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女房の取材協力

(クンシランの花芽が伸びてきた)

ブログも今日で2ヶ月続いた。出張で書き込めなかった日が1日あるが、一日2テーマも2日あり、ほぼ毎日書込み、本日で60回、かさぶた(六十)分の書込みとなる。

続けることが出来るかなあと危ぶむ声に、テーマはいくらでもあるから困らないと豪語したような記憶もあるが、実は何回か種切れの危機があった。困った時にはムサシの話題と、何度か愛犬ムサシに助けてもらった。

この日曜日はアクセスip数(閲覧者数?)が40ipになった。そんなに沢山の人にはこのブログのことは話していないが、聞いてみると、女房の友達関係にかなりこのブログを教えているらしい。そうと分かると書く内容も意識する。だんだんと自分個人のブログというより、当家の公式?ブログの様相を呈してきた。

女房も意識してか、ブログの材料になりそうな話題を仕入れてきて話そうとする。今日は大根とキャベツを貰ったとか、クンシランの花芽が伸びてきたとか、ムサシの散歩を3回も行ったとか、いずれも事実そのままではブログに書けないのだなあ。そこにストーリーとか、オリジナリティとか、一味無いとね。しかし種が切れてくるとそうも言っておれない。女房の話からブログをでっち上げたことも再三あった。

このブログ、当家の近況を知らせるに良いかとも思い、自分の故郷の実家にも教えた。なかなか面白いとの評判に、気を良くしていたところ、生活の一端が知れて、早速ダメ出しが伝わってきた。勘弁してよブログの内容は生活のほんの一部、それもデフォルメあり、カリカチュアありで、あんまり真面目にとらないで欲しい。

いよいよ明日から3ヶ月目に入る。



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ムサシの教育方針

(スノコの上はムサシのお気に入りの場所)

ムサシが我が家に来たとき、娘が勝手に買ってきたからと、2階の娘の部屋にしばらく放って置いた。女房はそのことを今も後悔する。それがムサシの性格を悪くしたという。こんなものだよ、柴犬だものと言っても聞かない。

柴犬は他の犬種に比べて自尊心が強い。飼い主にべたべたと媚びるところが無い。飼い主を飼い主と思わないところもある。それが気に入って、時々噛み付かれながら、好んで柴犬を飼っている人も多い。

女房はもっと優しく育てたかったという。やさしい犬なら別の犬種を選べばいくらでもいると思うのだが、「犬の気持」などという犬の飼い方のハウツー雑誌などを読み、掛り付けの獣医からもいろいろと知識を入れてくる。

自分にはそんな知識はないから、好き勝手にムサシと付き合おうとする。にらみ合いをしてみたり、じゃれ合う相手になってやったり、時々蹴飛ばしてみたり。しかし、女房は性格が悪くなると、ムサシとの間に割って入る。

かくして、教育方針が違うという、自分の子供達に対してもなかった問題が生じる。しかし、女房とは付き合っている時間が違うし、自分には理論武装がないから引き下がるしかない。

けれども、過保護に過ぎるから時々ムサシと戦ってやる。おびえていると女房は言うが、自然界では犬もおびえることは多い。負け犬などという言葉もあるくらいだから、かなわない相手が必ずあるはずである。

先週土曜日、山歩きから帰って来ると、玄関が閉まっていて鍵を持っていなかった。息子が買い物から帰ってくるまで、ムサシのそばに座り込んで待った。囲いを隔てたすぐそばのスノコの上が、日中のムサシのお気に入りの場所で、そこは日当たりがよく、いつも寝転んだりしてリラックスしている。ムサシは異常接近に慌ててスノコから降り、スノコに前足を掛けて伏せをして構えた。スノコを取られたくない気持と、異常接近の意図が図りかねるといった表情であった。

残念ながら、今のところ、自分はムサシの一目置く相手になっていない。だから時々牙を向いて吠えるし、時々飛びついて顔を舐める。まあ中途半端な存在というわけである。教育方針が間違っていたのかなあ。
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西大渕の大松と「二本松」

(写真はカレンダーをデジカメで取ったもの)

K信用金庫の今年のカレンダーに「西大渕の大松」が取り上げられている。K信用金庫は四年前から、掛川市内の巨木を一枚カレンダーのテーマとして取り上げ、今までに、大尾山の鳥居スギ、事任八幡宮の大スギ、事任八幡宮のクスノキを取り上げてきた。巨木ファンの自分には大変嬉しい企画である。

今年の「西大渕の大松」は合併で新たに掛川市に入った旧大須賀町西大淵にある。今は松には苦難の時代で、松食い虫に次々にやられ、松の由緒ある巨木も姿を消していった。近くでも、吉田町の「田村の松」や旧浜岡町の「豊受の松」も枯れて切られてしまった。

県内で残っている松の巨木も少なく、天然記念物の巨木の中でまともなものは藤枝市の大慶寺の「久遠のマツ」位であろうか。その中で「西大渕の大松」は県内で最も元気の良い松の巨木である。

  樹種クロマツ、樹齢約400年、幹周囲4.1m、樹高10m

上記の巨木に少し細めの木が寄り添っている。最初にこの巨木を見たとき、これは「二本松」だと思った。二本の松が根元より先に向かって開いた形で並んだ姿は、故郷の小学校の西校舎前に立っていた二本の松とそっくりであった。下校時、昇降口を出ると目の前に「二本松」が立っている。

夏、小学校の近所だった我々は下校後、再び「二本松」の前に集る。手にはボール、バットそしてグローブ。夏の終りの地区対抗野球大会にそなえて、「二本松」をバックネット代わりに、暗くなるまで練習した。あの頃は町内に子供たちのコーチをしてくれる大人が必ずいたものである。

ちょっと傾いだ幹を子供たちが駆け上がろうと試みるので、二本松は樹皮が大きくはがれていた。その後、松は一本枯れて一本松になり、もう一本も失われた。西校舎も取り払われ、今は西校舎跡の緑地に「二本松 二世」が植えられている。

地区対抗野球大会は、自分達が中心になる六年生になって、突然取りやめになり、女の子も参加できるドッジボール大会に変ってしまった。しかも、その大会にも出場出来なかった話はまた別の機会としよう。
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神尾山に花粉は飛んだか?

女房は朝から小学校の女先生のお宅へ、同級生たちと訪問すると言って出かけた。まるで「二十四の瞳」だ。中にはやや濁った瞳も混じるが。

本日は快晴無風、山行日和である。2月12日のブログで書き込んだことを実行しようと思った。一人で神尾山(標高551.4m)へ向かった。

今日は二つの事を試そうと思って出かけてきた。一つは「べにふうき」がこの花粉の飛ぶ真っ只中にあってどこまで効くか。二つはなまった体力がどこまで山登りに耐えられるか。

大井川鉄道五和駅から一駅の神尾駅下車。運賃は230円と一駅にしては高い。名物たぬきの焼物の群像に見送られて、神尾集落から地蔵峠までアスファルト道を登る。登山口はこの地蔵峠にある。

八高山、経塚山、神尾山と続く尾根が大井川にせり出し、大井川を大きく東へ蛇行させている。そのせり出した部分に地蔵峠およびその先に神尾集落がある。神尾の「尾」は「山の峰つづきの所」あるいは「山の裾の延びた所」をいい、まさに地形通りの地名だと思う。

久しぶりの山歩きに、登りはけっこう足にこたえた。出会う人も無く山は静寂そのものだった。昔、来た時より山が明るくなっている。注意してみると、たくさんの木が倒れていた。登山道を塞いでいるものも多い。樹種はほとんどが松である。枯れた松が台風で倒れたようだ。北から南へほぼ同じ方向へ倒れている。

今日は「べにふうき」を500ccのペットボトル2本に詰めて持参した。それを飲みながら登って来て、花粉はたくさん舞っているはずなのだが、今のところマスク無しで、くしゃみ1回のみで、洟は時々ハンカチで拭く程度である。目のかゆみは無い。

山頂はスギとヒノキの林の中であった。間伐や枝打ちがされて明るくなっている。反対側に下って高圧線の鉄塔敷地に出た。昔、家族連れで来たとき、ここから大井川の川筋が見えて絶景だったのだが、周囲のヒノキが大きくなって全く展望がきかなくなっていた。

下りは引返して神尾駅に戻ることも考えたが、鉄塔の巡視路が南へ下っていたので、そちらを下って、そのまま家まで歩いて帰ろうと思った。花粉症もおかげで軽いし、後は下ってゆく道である。

林の中を巡視路は下り、鉄塔脇を2箇所通って、想像した通り林道に出た。天王平という造成された茶畑の中を延々と歩き、横岡の国道に降りて帰宅した。本日歩いた歩数は23,732歩であった。

帰宅後、改めて独りで川根温泉に行った。いつもの事だが大変込んでいた。この温泉は湯量が豊富なため、掛け流しが自慢である。

これを書いている今、花粉症が出てどうにも止まらなくなっている。やはり防禦せずに山歩きは乱暴だったか。

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堀江メールのガセ度

騒がした堀江メールがガセであったことがほぼ判明した。

最初に堀江メールを、民主党の永田議員が国会で取り上げた時、違和感を感じた点が3点あった。

一つは、こんな重大な指示を、なぜ証拠の残るメールで行ったのか。証拠の残らない電話や口頭で行うのが常識だと思う。真実なら堀江氏は世の中をなめ切っていたことになる。

二つは、お金の受け渡しがなぜ履歴が残る振込みなのか。やましいお金なら余計現金で渡す。振込みで行うのは授受双方ともノー天気というほか無い。

三つは、なぜお金を会社の経費で出すのか。もし出しても当然使途不明金で処理する。また本当にやばければ個人のお金を使うだろう。そのくらいのお金は堀江氏にとっては何でもない金額のはずである。

このメールがガセだと思ったのは、どこかのテレビでメールを打った時間のアリバイチェックをしたところ、その時間は堀江氏が選挙運動中で、移動の車の中であったという報道を聞いたときである。時間的には可能という報道であったが、間違いのあってはいけないメールを、選挙で頭が一杯の昼間やる必然性はほとんどない。メールなら相手が在社している必要はなく、夜間にゆっくりと打っても何の問題もない。

こんな紙切れに永田議員がとびついたのは、手柄を焦ったためと理解しても、民主党の首脳陣がその後一貫してメールの真実性を追認し続けたのは解せない。

政治家諸氏があまりメールと言うメディアに詳しくないため、簡単にガセメール位作れることに理解が及ばなかったのであろうか。実際、民主党の鳩山幹事長が日常に使うメールに嘘があると想像出来なかったといっていたが、言い訳にもならない。

国会で永田議員がメールを取り上げたとき、渦中の検察当局が異例の速さで、「検察はそういうメールの存在を把握していない」とのメッセージを出している。今から考えると、証拠を洗いざらい押収した検察の発表に、民主党はもっと謙虚に耳を傾けるべきであった。その時点では、まだ永田議員個人の問題で、責任が民主党に及ぶことはなかったはずである。検察は民主党にそのメールは違うよという、重大なメッセージを送っていたのだと思う。
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野菜が届く

(昨日、いただき物のばんぺいゆ【晩白柚】)

遠方からこの地にやってきて根を下ろすことになった自分と違って、家の女房は地元の人で、けっこう人付き合いを大切にしていて、学校時代の友達や、近所付合い、PTA、JA女性部、カルチャーセンターなどの仲間も多い。中に農家の人も多く、たびたび野菜をいただくようだ。

休みに留守番をしていると、なるほど時々野菜が届く。畑から取ってきたままで、土の付いたものもある。金額的には安価なものだろうが、当家には野菜が無いだろうと気に掛けて、寄って頂くだけでも有難い話である。

付き合いの多い女房はよく留守をするが、帰ってくると玄関脇に野菜が置かれていることも度々であるという。メモをしておいてくれれば、帰宅して早速お礼の電話を掛ける。

しかし、畑の帰りに寄ってくれた場合など、筆記用具が無い場合も多いのであろう。メモがついていない場合もある。置いて帰るほうは食べてもらえばそれでよいと思うのかもしれないが、貰うほうはそうはいかない。見当を付けてそれとなく相手を探るが、余り露骨に言うと催促しているようで、結構言いにくいものである。

もっともお礼の電話は出来なくても、食卓へは載り、食べることが先行する。先日も1週間以上たってから、ある会合で会って、野菜の頂き先が判明したこともあったと聞いた。

いっそのこと、玄関口に伝言板を付けようかと提案する。宮沢賢治が「うらの畑にいます」と白墨で書いたような黒板が良い。話には上るがまだ実現していない。
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茶工場の総会 その2

昨日、午後から藤枝のT茶工場の総会にメーカーとして招かれて出かけた。来賓の挨拶で、2月11日にT茶工場の総会で話したミエルカップのことを、ここでも話してみた。結果反応は今まででもっとも良かった。

懇親会の席で数人の人が来ていい話を聞かせてもらった。あのカップが是非ほしいと言ってくれた。ついでにその話題でさらに話が弾んだ。その内容の一端を以下の書き出しておく。

今まで茶業界の開発してきたことは、お茶の葉は邪魔なもので、出来るだけ排除するに越したことは無いという一方向であった。ティーパックが出来、粉末茶が出来、フリーズドライのようなものや、錠剤にしてしまおうなどという動きもあった。行き着いた先がペットボトルである。他のものはとにかく、ペットボトルは急激に伸びて、リーフ茶の売れ行きに大きく影響してきた。

我々のリーフがこんな風に排除されるのは何とも悔しい。排除されるリーフだから、そこへ神経は行き届かない。形を気にしない味だけの追求で深蒸し茶が出来た。さらに、味に影響しなければどんなお茶が混ぜられても問題にならなかった。

ミエルカップの提言は逆転の発想である。邪魔にされているリーフを消費者に見て楽しんでもらうことで復権させようという提案である。ハーブ茶はわざわざガラス製の透明急須を使っている。ハーブの緑を、見せることで癒しになり、飲んで安らぎを感じるのである。同じようにお茶の葉を見ながらお茶を飲むのが定番になれば、そこにペットボトルの割り込む余地はない。

生産者はお茶をミエルカップでよく眺めて、自分たちがどんなお茶を提供しているのかを認識すべきである。そして、見るに耐えるお茶づくりに真剣に取り組んで行く。色々個性のあるお茶をどんどん開発して行きたい。問屋も混ぜればすぐに見えてしまうし、めったなことは出来ない。特徴を持った良質なお茶は、仕上げ加工もいらないかもしれない。荒茶にしっかり火入れしただけの製品があってもいい。

値段が高くなることは心配要らない。500ccのお茶(ペットボトル一本分)を出すのに5g必要だとして、150円(ペットボトル1本の値段)の費用をかければ100g3000円の高級茶でも使える計算になる。

要はマイリーフ、ミエルカップを流行させることである。それぞれ個人個人が私のリーフを決め、ミエルカップに入れて私だけで飲む。それが最も新しいお茶の飲み方としたい。そうなればお茶の値段は少々高くても売れるはずである。
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カーリングにはまった

(イタリア戦、勝利が決まった瞬間、黄色が日本)

トリノ冬季オリンピックが始まって10日になるが、いまだにメダル0、日本選手は実力を出し切れないのか、世界の水準がオリンピックを目標にレベルを上げていることが計算に入ってないのか、いずれにしても自分の中ではもう一つ盛り上がらないオリンピックである。

ところがここに来て、カーリングという競技にはまってしまった。ルールも判らないまま見ていたのだが、最初に見た女子カーリングのカナダ戦、次にイギリス戦、昨日のイタリア戦と、いずれも勝ってしまった。しかも劇的勝利である。カーリングを見て、こんな面白い競技があったのかと、見直した人が多かったと思う。

カーリングは氷上のチェスと言われている。身体だけでなく、これほどじっくりと頭を使う競技は他に無い。しかし自分にはチェスというより囲碁に見える。赤と黄色のストーンはそのまま白と黒の石である。12個ある石そのものは同じもので、役割は決まっていない。それが投げた瞬間に役割を与えられる。ガードをする石、相手を外すためだけの石、勝ち負けを決める石、得点する石。戦いの中では相手の石さえも利用して、その石の陰に回り込む。やっていることは囲碁とそっくりである。

イタリア戦もイタリアの最後の1投、石のコースの1cmの違いで勝敗が分かれた。

2時間半に及ぶ試合時間はちょうどマラソンの走る時間と同じである。テレビではその間10人の競技者を映し続ける。自然に出る選手の喜怒哀楽が茶の間に伝わり続ける。マラソンのトップグループの選手がそうであるように、これだけ映され続けると競技者の顔をすっかり覚えてしまった。これからこの競技はかなり人気のスポーツになりそうである。

女子カーリングは最終戦でスイスに敗れ、残念ながら準決勝進出はならず、7位に終わった。
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時代小説を読む

若い頃から読書は好きで続けてきた。どんな本を読むかは特別にこだわりは無く、いわば興味のおもむくままの濫読である。

しかし自分の中で長く封じてきたジャンルがある。それは時代小説と呼ばれる分野で、老後のの楽しみに残して置くと考えるようにしていた。実際にはもう一つ興味がわかず、本を手にする気にならなかったのが事実である。

中学のころ、小学校の担任だったN先生の家によく遊びに行った。当時、先生のうちにあった30冊ほどの山手樹一郎全集を借りて、片っ端から読んだ記憶がある。あれが時代小説の読み始めで、その後、時代小説を読むことは絶えてなかった。

ところが50歳を越えた頃になって急に読みたくなった。平成11年、藤沢周平の「三屋清佐衛門残日録」を読んだのが、最初の時代小説であった。NHKテレビの金曜時代劇の原作で、そのテレビを見たのがきっかけであった。このブログを「‥‥日録」としたのは、この小説の影響である。

以後、藤沢周平の「用心棒日月抄」「蝉しぐれ」「よろずや平四郎活人剣」「隠し剣孤影抄」「秘太刀馬の骨」などを立て続けに読んだ。そして、池波正太郎、宮部みゆき、岡本綺堂、出久根達郎、平岩弓枝、佐藤雅美、山本一力などを手当たり次第に読んだ。

読んでみると、江戸時代の市井の生活ぶりが伝わって大変面白い。我々は江戸時代といえば「封建時代」という言葉で教えられてきた。反面、蘭学・国学などの学問や絵画・工芸などについては割合詳しく取り上げられた。士農工商の身分制度の型にはめられ、年貢に苦しめられ、移動すら制限された時代と、文化興隆の事実がどう結びつくのか、誰も答えてくれなかった。

時代小説から滲み出てくる江戸時代は、平和で、皆がのびのびと生活できた時代だったと思われる。今の目で見れば、物は無く自由も無く切り捨てご免の大変な時代に見える。しかし、物は無くても時間はゆっくりと流れていて、仕事に追われ続けることも無かった。厳しい責任を問われるため、侍もめったな事で刀を抜くことは出来なかった。
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ムサシのパニック

(川浚いできれいになった)

家の西側の幅4mほどの川に川上からの土砂が溜まり、その上に葦が生い茂って川をあちこちで狭めていた(1月20日写真)。水が出た時いかにも危険だと近所で話していたが、昨日ようやく役所でユンボを使って川浚いをしてくれた。

昼間は家の前庭のケージの中に放されている愛犬ムサシは、川下からだんだん近づいて来るユンボの騒音に、午前中は何も反応しなかった。午後になってキンヒバの生垣のすぐ外側まで来て大パニックになった。

自分の縄張りを主張して、最初ははげしく吠え立てていたが、いつものようには効果がない。そのうち恐怖に吠え声も震えて聞こえる。今までに無い様子に、女房が出てみると、ケージの中で身体を打ち震わせて、人間ならば顔面蒼白で引きつらせてという状態で、パニックになっていた。騒音の出所がキンヒバに隠れて見えないため、恐怖心が余計につのるのであろう。

ゲージから出すと玄関を開けるのももどかしく、家に逃げ込んだ。キッチンで仕事をする女房の側に悄然と打ち伏せて、ようやく落ち着いた様子であった。しかし身体の震えが止まるまでにはさらに時間がかかった。

いつも自分の縄張りと考えている芝生の中に入って来る人には、電気の検針のおばさんや夕刊配達の女性にも容赦なく吠え立て、気分がすぐれない時には飼主にさえ吠え立てる、憎らしいムサシであるが、弱みをまた一つ見つけた。

ムサシは家に来たとき、最初は2階の娘の部屋にいた。階段から落ちかけた幼犬体験でもあったのであろうか、階段が怖くて、つないで置かなくても階段を降りてくることは絶対になかった。階段の側に寄ろうとしないばかりか、階段の方へ押しても余程手前で足を踏ん張って前に出ない。また水が嫌いでどんなに騒いでいても、水をかけるとしゅんと静かになった。

この二つの弱みは、確認していないが、今も変ることはないであろう。そして、新たにこの三つ目の弱みである。しっかり覚えておこう。
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