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「旅硯振袖日記 下之巻」 9

(城北公園からの富士山)

午後、駿河古文書会で静岡へ行く。いつもの城北公園で富士山がきれいだったので、写真に撮った。ここで富士山を撮るのは何度目になるだろう。おそらくこれからも、こんなに奇麗に見えるのは初めてのような気になって、何度もデジカメを向けるだろうと思う。

夕方、豆をまく。子も孫もいないから、ひっそりと「鬼は外、福は内」。たくさん撒くと、ムサシが拾い食って、お腹を壊すから、一回に3、4粒ほど撒くだけである。そのあと、恵方巻。マーケットは恵方巻を求めて、随分買物客が多かったとか。まあ、たくましい商魂に脱帽したわけである。

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「旅硯振袖日記 下之巻」の解読を続ける。

表の方に人音して、「ここじゃ/\」と、まだ明けぬ、朝(あした)の露を踏みしだき、提灯点して昼の程、田舎娘の迎いに来たる、おやじを先に艶の都、かの娘に手を引かれ入り来るを、見向きもやらず、手負いに心引かされて、挨拶もせず介抱す。

三人は座に着きても、かゝる躰(てい)にうち萎(しお)れ、言葉も出でぬ。そが中に艶の都は、柳枝に向い、
「夜明けぬ内に事を済まし、すぐに旅立ちせんものと、表の方へ来かかりて、様子を聞けばこの騒動、さぞ心配でござろう」と、言わるゝ柳枝は気を落し、未だとこうの答(いら)えせず、その折り手負いの象潟は、苦しき息をつきながら、
※ とこう - あれこれ。何やかや。

「とても叶わぬこの深手、今際に言いたい只一と事、皆様聞いて下さりませと、肌の守りを取り出だし、もと私は吾妻にて、親は由ある武士(ものゝふ)の、腰元に手をつけて、私をば産ませたれど、内君の妬みを思い、己等の上から母もろとも、田舎へ返され生い立ちて、貧しき中に母の病死、その弔いと、年貢の未進、貧苦を見兼ね身を売って、この浪花屋へ勤め奉公、
※ 今際(いまわ)- 死にぎわ。臨終。最期。
※ 内君(うちぎみ)- 他人の妻の敬称。内室。奥方。
※ 己等(おのれら)-(卑下の自称の人称代名詞)私ども。われわれ。ここでは、自分たち。
※ 未進(みしん)- 年貢をまだ納めていないこと。


母が折々話には、正(まさ)しき兄は今も(ここ二行ほど文字が削られて不明)ほぞの緒を証拠にして、兄弟の名乗りをせば、今の貧苦は昔語りと、聞いたばかりで名も知らず。ただこのほぞの緒の皮包みに、年月と皷の方々が、描きてあるが証拠とやら。片時忘れぬ兄が事、またこれなる柳枝さん、ふと馴れ初(そ)めて言い交せど、本名隠して言い給わず。せめて今際(いまわ)に聞かせてたべ。それが何より引導」と言うを聞き入る艶の都、
※ 削られた2行には、想像するに兄が誰かが解ってしまう文句が彫られていたのだろうと思う。ここでバラシてしまうと、クライマックスの演出が色褪せてしまうと、乱暴に削ってしまったのだろう。
※ ほぞの緒(ほぞのお)- 臍(へそ)の緒。
※ 引導(いんどう)- 葬儀の際に導師が棺の前に立ち、死者が悟りを得るように法語を唱えること。
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