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お昼は麺類、そーめんサラダを作る

(お昼に作ったソーメンサラダ)

週休4日の休みの日、夏時期のお昼はいつも麺類にしている。作るのはほとんど自分である。といっても乾麺を茹でるだけで、そんなに高等な料理技術はいらない。

乾麺で買い置かれているのは、うどん、ソーメン、そば、スパゲッティの4種類で、選択肢はその4つである。ラーメン、焼きそば、冷やしラーメンなどは購入したときに女房が作る。

うどんは早ゆでのものと、そうでないものがある。早ゆでで6分、普通で10分。ゆで時間10分の場合は5分間のむらし時間が加わる。つゆは濃縮されたものを氷水で薄めるだけで、薬味にネギ、海苔、青紫蘇、わさびを用意するが、無いときは省く。ちなみにネギと青紫蘇は裏の畑から摘んでくる。

ソーメンはゆで時間が2分ほど、油断するとゆで過ぎになる。つゆや薬味などはうどんと同じである。

そばはゆで時間が6分で、薬味にとろろやオクラなどが加わる。もちろん無いときは省略される。

スパゲッティは子供たちがいるときに作る。熱湯に塩を多めに入れて、麺を細さによって6分から10分ゆでる。一分前に荒く刻んだキャベツを放り込む。キャベツの入ったまま湯を切って、フライパンにバターかサラダ油を敷いて、麺をいれ手早く油を馴染ませる。これをやっておくとパスタがくっ付かない。あとは出来合いのスパゲッティソースをかけて混ぜれば出来上がりである。市販のソースで本格的な味に仕上がる。定番はミートソース、ナポリタン、和風たらこなどが買い置かれている。

自分が作る麺類は概ね好評である。留意点はゆで時間。タイマーが必需品となる。火力が小さいためか、マニュアルの時間では少し固ゆでになるから、一度ゆで時間経過の直前に口に入れて硬さを試し、一分刻みで延長する。スパゲッティ以外は、冷水で冷やしながらよく洗い、麺が絡まないように、少しずつ冷水から摘み上げてお皿に並べていく。麺の上に氷を載せると涼しそうに見える。

今日の昼は、メインのうどんに加えて、ソーメンサラダを作った。お昼にうどんを作ろうと、台所を見るとキュウリが10数本もあった。雨が多い今年は裏の畑でキュウリがどういうわけか大豊作で、毎日10本近く出来てくるのである。テレビで見た料理のソーメンサラダにキュウリが使われていたのを思い出した。うどんとは別にソーメンサラダを作ってみようと思った。

材料はソーメン2束、キュウリ1本、タマネギ半分、薄切りハム4枚、マヨネーズである。タマネギは5ミリほどに薄切りにして水に晒しておく。キュウリは縦方向に半分に切って、中の種の部分をスプーンでこぎ取ってから、斜めに5ミリほどに切る。塩を2つまみ入れ揉んで置く。ハムは2×1センチに切っておく。ゆで上がったソーメンを良く冷水で洗ってから、ボールに入れ、水を切ったタマネギを入れ、水が出ているキュウリはしっかりしぼって、ハムも入れ、後は適量にマヨネーズをかけて混ぜれば出来上がりである。写真は出来た分の5分の一くらいである。

女房はタマネギはスライサーで切れば辛さが取れたというが、タマネギを晒した水は3回替えたので、辛さはほとんど取れて、たまねぎの甘みだけが残った。テレビで見た記憶通りに作ったが、出来上がりは上々であった。
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第3回古文書解読基礎講座「助郷取極規定」

(講座帰りの安東循環バス)

第三回の「古文書解読基礎講座」で夕方、静岡市立中央図書館に出向いた。今日の課題は地方文書(じがたもんじょ)の「助郷取極規定」である。講座で勉強した「助郷取極規定」の読み下しを書いてみる。

【 読み下し 】
規定一札の事 弘化四年 未三月
取極規定の事
一 道中御奉行所様より仰せ渡され候通り、宿方より觸れ當ての人足壱人も不参遅参これ無く刻限觸れ當て通り出で申すべきこと
一 大御通行御大切の儀に付、荷物の軽重争い等致しまじく、諸荷物人足割込(割り当て)の通り急度(きっと)相勤め申すべきこと
附(つけたり) 安倍川深川の節は東西川端へ惣代(助郷惣代)中出張いたし、出人足の者に聊か(いささか)も心配これ無き様、取計い申すべく候
一 出人足の者問屋前よりおこたりがちに荷物取るべからざること
一 平日(普通の日)御通行の儀も右に准じ申すべく、出人足の者は萬事穏便に相勤め申すべきこと
一 月々平均不足金の儀は近来仕癖(しぐせ)悪しく相成り、十日まで御出金これ無く村方多くこれ有り、賄い金よんどころなく借入取り賄い候えば、自然利足(利息)相かさみ候あいだ、先規取極の通り十日限り不足金差出し申すべきこと

右箇條の通り、助郷村々役人相談仕り、取極め候上は一村限り出人足の者へ厳しく申し渡し、聊かも違背仕まじく候。若し心得違の者これ有り、村役人の申付をも相用いず、御通行に御差掛り、差支え等仕出だし(しでかし)、多分の雑用(雑費)等相かゝり候節はその村方にて引請け、出金致すべきつもり、取極め規定連印仕り候以上

(41名請印)
前書の通り助郷一同御取極の段、御申し渡され候。承知仕り候。右御申し渡しの趣き、少しも相背き申しまじく候。これにより請印仕り差上げ申し候ところ、件(くだん)の如し。
弘化四年  未三月
      御役人衆中
          駿州有度郡古庄村 助郷取極規定一札 石高五百八拾五石


「規定」は「議定」「儀定」などとも書き、「皆んなで合議して決めた証文」の意味であり、読みも「ぎじょう」と読む。この「規定」は「助郷村々役人相談仕り取極め候」と記されており、助郷の地方役人が合議して決めたものである。この「規定一札」はその「規定」を村々に持ち帰り、村の「出人足」に周知し、「出人足」の請印を付けて、請書の形式になっている。この文書は駿州古庄村のものである。

「道中奉行」は定員2名、4人居る大目付から1名、同じく4人居る勘定奉行から1名選ばれる。宿駅の取締り、5街道の道・橋、人馬の賃銭、人馬の継立などを管理した。

「大通行」は「街道の大人数まとまった通行」で、御三家の尾張藩や紀州藩、あるいは他の大藩の大名行列、お茶壷道中や日光例幣使などの大人数の通行を示す。

※「おこたりがち」は「慢勝」と書きそう読む。
※「よんどころなく」は「無拠」と書きそう読む。
※「附(つけたり)」は「付則」のようなもの。
※「如件(くだんの如し)」は証文・手紙・公用文書などの末尾に用いるきまり文句。

「助郷」は「江戸時代、宿駅常備の人馬が不足する場合、その補充のために宿駅近隣の村々に課された夫役(ぶやく)」で、このような規定が出されたことから、なかなか出人足が思うように集まらなかったことがうかがえる。
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松本清張の「球形の荒野」を読む

(松本清張著「球形の荒野」)

昨日までの出張の行き帰りに、図書館から借りてあった松本清張の「球形の荒野」を読んだ。再読だと思っていたが、改めて自分の読書記録を見ると初めて読む小説だった。筋書きはテレビドラマなどを見ているから、おおよそ判っていたから再読のような気がしていた。

50年前、戦後まだ15年しか経っていない時代の話である。日本を終戦に導くために奔走し、現地で死亡として国籍を離脱せざるをえなかった外交官が故郷へ秘密裡に帰国することから物語が始める。日本に残した娘への想いは、そのまま故国日本への思いなのだろう。二つの殺人事件と一つの事故死事件が起きるが、犯人が殺人まで踏み込まねばならなかった動機を説明されても、いま一つ納得が出来ない。死が日常であった戦争を経験した人たちには同感できることなのだろうか。

高速で走るのぞみの車内で読み続けた。作品の時代は50年前、まだ新幹線も高速自動車道も無く、東京オリンピックも大阪万博もまだ先の時代である。自分もやっと中学生になった頃の話である。

筋を追いながら、現代との違いを追っかけていた。何が違うかといえば、物のスピードであろうか。当時、東京-大阪間は特急でも最速で8時間掛かっていた。作品でも京都を朝、特急に乗り、その日の夕方着く。夜に乗れば夜行列車で翌朝に東京へ着く。そんなスピード感である。早く行きたければ、羽田-伊丹間の飛行機便があったが、一般の人が乗れる料金ではなかった。国道1号線を車で行けば20時間近く掛かったのではなかろうか。

もう一つ、大きく違うのが通信手段である。作品の中で、地方へ電話をかける時、電話局の交換手に申し込んで、つながるまで20分も待つという情景が描かれている。しばらく前までは外国に掛けるのにそんな状況があった。電話の普及率も低いから、一般に緊急連絡には電報が使われた。それ以外はすべて手紙である。昔の人はよく手紙を書いたと思う。作品の筋回しにも手紙が何ヶ所かで使われているし、独特な筆跡が筋回しの道具に使われていた。現代の携帯電話や携帯メールの普及など、手塚治虫でさえ想像できなかった。

作品の筋とは別に、そんな時代の違いを感じながら読んでいた。車社会がまだ来ていない時代の推理小説で、死体は殺人現場からそんなに遠くには運べない。探偵は汽車とバス、あとは徒歩でひたすら歩くしかない。それでも、作品では探偵役の新聞記者は、社旗を立てた運転手付きの車に乗っているから、随分広く行動が出来た。

この50年、これだけ社会条件が変わると、推理小説の書き方も変わらざるをえない。推理小説のスピード感が随分変わったと思う。清張作品を読んでいると、登場人物の動き云々ではなくて、小説そのものがゆったりと動いているのを感じる。
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JRオール自由席で帰る

(肥前鹿島駅入線の通称 “白いかもめ”)

仕事が3時過ぎに終わり、嬉野から武雄温泉駅に出るのと、肥前鹿島駅に出るのではどちらが近いかと聞くと、肥前鹿島駅なら15分で行けるという。初めての肥前鹿島駅に送ってもらった。高架化して新しくなった武雄温泉駅に比べて、肥前鹿島駅は古い駅舎のままであった。

午後4時を回っていたから、窓口で切符を買うときに「東海道線の金谷駅だけれども、今日中に着けるだろうか」と聞いた。着けないようなら博多に一泊するつもりであった。言葉が終るか終らないうちに、「22時20分に着きます」という答えが帰って来た。今日中に十分着けるという返事である。「今日は混んでいないから、自由席で十分座れますよ」と、これまた嬉しい情報である。指定席を取ると席が確保される一面、乗車してから自由に席を選べない不自由さも伴う。理想は空いている自由席に乗ることである。

気になる博多駅の乗換時間を尋ねると「14分あります」と即座に答える。「これを差し上げます」と、JR九州の検索システムで印字されたものをくれた。

<検索条件> 利用日 2009年7月28日 16時04分出発
       乗車駅 肥前鹿島
       降車駅 金谷
       優先条件 新幹線/特急・急行列車/普通列車
<検索結果>第1経路 7/28 16:23発→22:20着
      所要時間:5時間57分 乗換回数:3回

その後に、博多まで特急かもめ23号、名古屋までのぞみ52号、掛川までこだま690号、金谷まで普通列車(興津行)のそれぞれ発着時刻と乗継時間、所要時間までしっかりと印字されていた。

3日前の書込みの「切符購入の駅窓口で」の中で、顧客サービスのために、パソコンで検索する時間と経路の検索システムを備えるべきだと書いたが、肥前鹿島駅では導入されていて、切符購入に1分と待たなかった。お客にストレスを感じさせない、大きなサービスだと思った。


(透明版越し、かもめ運転席)

特急かもめで、すわり心地の良さそうな座席を探して、先頭車両の目の前に運転席が見える最も前に座った。運転席とは全面透明な板で仕切られていて、真ん中に車掌が出入りする透明のドアがある。電車が駅に着くと車掌が操作するようで、一瞬にスモークが入って不透明になる。発車するとこれまた一瞬に透明に戻る。これは一体どういう仕掛けになっているのであろう。走行中に運転する様子を客に見せるサービスと、停車中に運転士に一息入れさせる措置が、この発明品で実にスマートに処理されていると思った。


(のぞみ1号車1A席)

のぞみでは自由席の1号車1Aに座った。1号車は最後尾で、1Aの席は列車の最も後である。児戯に等しいと思いながら、そんな遊びをしてみた。これも自由席だから出来ることである。
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昨今ビジネスホテル事情

(佐賀駅前のビジネスホテルから一夜明けて晴れた佐賀駅)

ビジネスホテル業界もこの不況下、経営が厳しい状況にあるのだろう。最近宿泊するビジネスホテルでは朝食がサービスになっているホテルが多い。企業経営が苦しくなると、まず社員の出張旅費に経費節減の目が向けられる。渡しきりの場合は額を減らされたり、出張日当、朝食代、夕食代、ホテル代など、細かく見直される。出張の多い社員たちも自衛策で、当然より価格が安いビジネスホテルに流れる。しかし安ければ客が集まるかといえば、設備もそれなりに整っていなければ客は逃げていく。

自分が出張して泊まるホテルは、ほとんど出張先が予約してくれたホテルで、当然高級なホテルというわけにはいかない。ただ頼んでくれたホテルに泊まるだけで、選り好みすることはないし、清潔であれば何も言うことはない。

ところが、最近、泊まるホテルが以前より色々な形で価格を下げてきているのに気づく。今夜泊まった嬉野のビジネスホテルも、料金が前回泊まった時よりも500円値下げされていた。今や5000円以上するホテルは相手にされないのかもしれない。

このビジネスホテルも建物はかなり年数を経ているが、ツインのゆったりした部屋で、湯船も新しく手足が伸ばせるゆとりがある。温泉街近くにありながら温泉が引かれていないのが玉にキズであるが、トイレもウォシュレット(普通名詞として使っている。メーカーは違っていた)に替えている。それでも今日は月曜日とあってガラガラのようである。

昨夜飛び込みで泊まった佐賀の駅前のホテルは、日曜・祝日は30%オフのキャンペーンをやっていた。日曜・祝日はビジネス客が大幅に減るのであろう。5000円なら3500円になるわけで、大変なプライスダウンである。但し、会員になるか、60歳以上の人、学生、妊娠中又は産後一年以内の人に限るという。一年間限定のキャンペーンであった。しかも、カレーライスでよければ夕食サービス、朝食も当然サービスの散財である。朝夕食付で3500円なら破格の値段である。会員になるのに1500円かかるというのでやめたが、会員でなくても申し出て、60歳以上であることを証明すれば3割引の恩典を受けれたようだ。それを知ったのは朝のチェックアウトの後であった。

今朝、サービスの朝食が出る一階ホールに、ビジネスホテルでは珍しく、老人であふれていた。どういうわけかと首をひねったのだが、キャンペーン効果だろうと納得した。
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JR佐世保線不通となる

(掛川新幹線ホームにて、久しぶりの夏空)

今夜は、武雄温泉まで行き着かなくて、佐賀駅のそばのビジネスホテルにいる。

お昼頃、名古屋駅で“のぞみ”に乗り換えようと、行列に並んでいた。列車が入ってくると、熟年男性がすたすた歩いてきて、列の先頭のドアのすぐそばに立った。列に並んでいる人たちに、緊張の糸がピーンと張る。指定席だから早く乗ってもいい席が確保できる訳でもないから、クレームを言う人もなく、唖然と見ているだけである。

ドアが開いて、最初に乳母車を押した女性が出ようとするのを、その熟年男性が手を貸してホームに出した。その後を小さい子供を二人連れた男性が続いた。列の緊張した空気がふっと緩んだ。荷物を受け取りながらホームを歩き去る一団を見送って、普段通りにの乗り換え風景に戻った。おじいちゃんが孫一家を新幹線ホームまで迎えに来たのであった。孫がたくさんいて、荷物もあるし、迎えに来てもらうと心強い。列を作っていた乗客の列全員が一瞬、勘違いをした風景だった。

掛川駅では久しぶりに夏空を見たが、途中曇ったり、日が射したり、雨が降ったりの天気であった。博多までは、山口県で少し徐行をしたために、2分遅れただけで着いた。ところが車内放送では、博多から乗り継ぐ在来線が大雨の影響で列車に遅れや運休が出ていて、詳細は駅の係員に聞いてくれと切り返し放送していた。在来線のホームは騒然として、あちこちで乗客が駅員をつかまえて情報を聞いている。自分も武雄温泉へ電車はいつ出るかと聞いた。ホームには長崎行きの特急かもめが20分遅れで止まっている。駅員はそのかもめに乗って肥前山口駅まで行き、各駅停車に乗り替えるようにいう。


(肥前山口駅に入る “かもめ”)

かもめの自由席に座って、さらに15分ほど待たせて出発した。途中の川がことごとく増水して、水嵩が堤防近くまである。低い田圃は冠水している。雨はほとんど止んでいるのが頼みである。肥前山口駅で下車、かもめは長崎本線を行ってしまった。武雄温泉は肥前山口から佐世保線を行く。ところが駅員の情報では、列車が入ってこないので、それを待っている。来れば運行できるという。ただしそれが何時になるのか答えがない。何人かの乗客と一緒に待っていたが、そのうちに高橋駅が冠水していて、復旧がいつになるか分からないと情報が入った。近くにビジネスホテルはないかと聞くと、ここにはないという。佐賀まで戻ればどうかと聞けば、佐賀ならいくつもあるという。かもめの上りに乗れば次が佐賀である。駅員さんはかもめなら間もなくホームに入ると、ほっとしたようにホームを教えてくれた。佐賀のビジネスホテルに入るまで、さらに小1時間掛かり、6時頃になった。部屋に入って早速、電話で予約ホテルのキャンセルと朝の迎え場所の変更を頼んだ。

昨日、切符を買ったとき、駅員さんが言った言葉、「明日は博多までは良いが、その先は雨で止まるかもしれない」という不吉な言葉がその通りになってしまった。佐世保線の高橋駅の冠水は常習なのかもしれないと思った。
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切符購入の駅窓口で

(アンスリウム-女房がいただき一度花が枯れたが、新しく咲いた。
もっとも赤い部分は「仏炎苞」と呼ばれる「ほう」で花びらではない)

明日からまた佐賀県に出張である。今日午後、JRの駅で切符を求めた。前回の出張で、切符を買うのに下準備無しで行ったところ、研修中の駅員さんに当り、随分手間取った。目的の武雄温泉駅がどこにあるのか捜すところから始まった。時刻表の地図を見るが、なかなか見つけられなかった。鉄道員になるなら、主要駅がどこにあるかぐらい勉強しておいてくれよと言いたくなった。

今回はそれに懲りて、パソコンで検索した時間と経路を印刷して持参し、それを見せて購入した。ごく短時間で購入できた。ネットで簡単に検索できるサービスだから、窓口にパソコン一台あれば、随分便利になる。少なくとも時刻表を引きまくる必要はない。専用ソフトを作っても、JRにとっては大した費用では無いだろう。列車の時間を気にしながら切符を購入することも多いから、切符発行のスピードアップは大きなサービス向上である。

今回、 “こだま” と “のぞみ” の指定席の号車を近くにして欲しいと注文をつけた。近くに取れなければ、 “こだま” は自由席でよいとことわった。かって、 “ひかり” から “のぞみ” に乗り継ぐとき、指定席が6号車から13号車へ乗り換えるようになっており、同じホームの向かい側なのに、短時間の乗り継ぎに、荷物を転がして、ホームを早足で延々と歩いたことがあった。席が取れないほど新幹線が混んでいた訳ではなかったから、明らかに切符を販売した駅員が配慮しなかったためである。駅員の想像力の欠如であろうが、そんな配慮はマニュアル化しておくべきであろう。歩くのに苦労するお年寄りなど、乗換えが間に合わないことだってある。そのときは近くの号車に乗って、列車内を移動すればよいわけだが、走っている新幹線の中を移動するなど、やりたくない難行である。

「同じ号車で取れました」と駅員さんが嬉しそうに言った。切符を見ると、 “こだま” が11号車1番A席、 “のぞみ” が11号車2番A席であった。そこまで席を揃えてくれなくても、同じ号車か近くの号車であれば問題ないのだが、駅員さんの努力に感謝した。この駅員さんは、今後同じようなケースでは、黙っていても同じ配慮をしてくれると思う。

最近、歳のせいであろうか、色々な場面で苦言を呈したり、わざわざ質問をしてみたり、けっこう意地悪じいさんになっている。接客業に従事しているなら、もっと勉強をすべきだと思うからである。それが相手のためになると思って、意地悪な言葉を掛ける。

切符を渡し終えると、駅員さんが明日は博多までは良いが、その先は雨で止まるかもしれないと、不吉なことをいう。確かに明朝には北九州で集中豪雨が予想されいるが、不通の情報は今のところ無い。多分マニュアルで言わされているのだろうが、余計なサービスだと思った。
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第2回古文書解読基礎講座「暑中見舞状」

(雨のうちの庭-梅雨はいつ明ける?)

山口県から九州北部に梅雨末期の豪雨が降り、土砂崩れなどで犠牲者が出ている。東海地方も雨が降ったり止んだりで、梅雨はいったい何時終るのだろう。酷暑は好みで無いが、夏を待ちごがれる気持にもなる。

昨日に続いて古文書解読基礎講座、今日は皮肉ではないが、「暑中見舞状」である。

【 解読 】
一筆致(二)啓上(一)候
酷暑之節候得共其御地御全家御揃弥御清栄可(レ)被(レ)成(二)御凌(一)珎賀之至ニ存候
次ニ当境皆々無異罷在候間乍(二)慮外(一)御安心可(レ)被(レ)下候
寔為(レ)差儀も無(レ)之候へ共塩肴一篭指送申候
聊右暑中御見舞申入度寸志計ニ御座候猶重便可(二)申演(一)早々如(レ)此候
恐惶謹言


【 読み下し 】
一筆啓上致し候。
酷暑の節に候えどもその御地御全家御揃いいよいよ御清栄御凌ぎ成さるべく珍賀の至りに存じ候。
次に当境皆々無異罷り在り候間、慮外ながら御安心下さるべく候
寔にさしたる儀もこれ無く候えども塩肴一篭指し送り申し候
いささか右暑中御見舞い申し入れたく寸志ばかりに御座候
なお重便に申し演(の)ぶべく早々かくの如くに候
恐惶謹言

・「弥」という字は一字で「いよいよ」と読む。「愈」も一字で同じ読み
・「珎(珍)賀」は「きわめて目出度い」、「珎」は「珍」の異体字
・「寔」は「まことに」と読む。「実」「真」「誠」も同じ読み
・「申演」は「申し演(の)ぶ」

※ 凌ぐ - 困難や苦境などにじっと堪えて、なんとか切り抜ける
※ 境 - ところ、場所、「当境」は「当地」の意
※ 無異 - 無事、「異」は異体字を使用
※ 慮外ながら - はばかりながら
※ いささか(聊か)- ほんの少し
※ 重便 - 重ねての便り
※ 恐惶謹言(きょうこうきんげん) - 「おそれつつしんで申しあげる」の意。改まった手紙の末尾に書き添え、相手に敬意を表す語

漢字の中で音訓や意味の上からは同じ字として用いられるが、標準的な字体とは異なる字を「異体字」と呼ぶ。この異体字がさらに古文書を読みづらくする。主なものは覚えておかねば解読が出来ない。昨日紹介した「入学依頼文」と、今日の「暑中見舞状」に、それぞれ幾つか「異体字」があった。以下へ書き出して覚えておこう。

まず「入学依頼文」に出てきた異体字
は「宜」の異体字
  は「迄」の異体字
  は「召」の異体字

次に「暑中見舞状」に出てきた異体字
 は「珍」の異体字
  は「異」の異体字
  は「籠」の異体字
  は「聊」の異体字 
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第2回古文書解読基礎講座「入学依頼状」

(庭のアサガオ-紫色)

早くも一週間経って、第2回古文書解読基礎講座で靜岡中央図書館に行った。

本日は「返読」が学習テーマである。江戸時代頃から昭和初期まで、主に手紙に、漢文風の「擬漢文」という文章が普通に使われていた。文字を、順序通りではなくて、順番を逆に読む返読が多用されている点が漢文に似ているけれども、仮名が混じっており、漢文ではない。今日はこの「擬漢文」で書かれた手紙のサンプルを2通解読した。「入学依頼状」と「暑中見舞状」である。解読しながら、返読に利用される「レ点」「一ニ点」「上下点」を学んだ。予習してだいたい読めると踏んでいたのだが、異体字、当て字、言い回しなど独特な読み方があって、改めて鼻をへし折られた気分である。

まずは「入学依頼状」である。

【 解読 】
入学頼之文
先以倍御静康被(レ)遊(二)御座(一)奉(二)敬賀(一)候
然は倅義幼稚ニ候得共早々手跡為(レ)致(二)稽古(一)度御頼申上候處御承引被(二)成下(一)忝奉(レ)存候
幸今日者日柄宜為(レ)致(二)入門(一)可(レ)申候何卒御世話可(レ)被(レ)下候
随而白銀壱封御祝儀之験迄進上仕候御収納可(レ)被(レ)下候外ニ茶巾餅三百是ハ御門弟御子達江御披露奉(レ)頼候
追付寅市召連参上可(レ)仕候頓首


【 読み下し 】
入学頼みの文
先ずもってますます(倍)御清康御座あそばされ、慶賀奉り候
然れば倅義幼稚ニ候えども、早々手跡稽古致させたく御頼み申上げ候処御承引成し下され、かたじけなく(忝)存じ奉り候
幸い今日は(者)日柄宜しく入門致させ申すべく候、なにとぞ(何卒)御世話下さるべく候
したがって(随而)白銀壱封御祝儀のしるしまで進上仕り候、御収納下さるべく候、外ニ茶巾餅三百是は(ハ)御門弟御子達へ(江)御披露頼み奉り候、追っ付け寅市召しつれ参上仕るべく候、頓首

「入学依頼状」で注意すべき点を書き留める。

・「先以」は「先ずもって」と読む
・「倍」という字は一字で「ますます」と読む。他にも「益」「増」も一字で同じ読み
・「静康」「敬賀」は今は普通「清康」「慶賀」と書く
・「然は(者)」は「しかれば」
・「候得共」「候へ共」はともに「候えども」
・「為(レ)致(二)稽古(一)度」は「稽古致させたく」
・「忝」は「かたじけなく」
・「奉(レ)存候」は「存じ奉り候」
・「可(レ)被(レ)下候」は「下さるべく候」
・「随而」は「したがって」
・「験」は「しるし」、「印」「徴」も同じ読み、ただしここでは「印」の方がふさわしい。「験」は「ききめ」、「徴」は「きざし」の意味を含んだ「しるし」である
・「追付」は「おっつけ」
・「召連」は「召し連れ」

※ 手跡(しゅせき) - 筆跡
※ 承引(しょういん) -承知して引き受けること。承諾。
※ 白銀(白銀) - 江戸時代、銀を長径約10センチの平たい長円形につくって紙に包んだもの。多く贈答用にした。
※ 頓首(とんしゅ) - 手紙文の末尾に書き添えて、相手に対する敬意を表す語。

たったこれだけの短い手紙文で、これだけの注意書きが必要となった。この手紙、ごく標準的なもので、昔の人はすらすらと読んでいたのである。
(「暑中見舞状」は明日へ続く)
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日蝕と衆議院の解散


AM11:09

AM11:12
(掛川市から見えた部分日蝕)

今日は皆既日蝕の日である。日本で皆既日蝕が見られるのは実に46年ぶりだという。日本といってもトカラ列島の悪石島などで見られるだけだが、本州でも7割から9割欠ける様子が観測できるという話であった。

午前11時前、少し暗くなってきたような気がした。空は一面に雲に覆われている。掛川市にある会社で今日は見れないだろうと話していると、今見えているという情報がもたらされた。窓から見下ろすと玄関を出たところに事務員さんたちが上空を見上げていた。窓から乗り出して中天を見ると、雲が薄くなったところに、薄い雲をすかして三日月型の太陽が道具無しの肉眼で見えた。薄い雲がフィルター代わりになっているのである。これならデジカメでも撮れると思い、試したらしっかりと写った。その後雲の割れ目に入ってまぶしくて見えなくなった。デジカメにも光が写るだけであった。3分ほどたって再び薄雲の中に入り、今度は太陽はさらに細くなっていた。

晴天だったら道具が無くて見れなかった。薄雲の中だったからデジカメにも写せた。何ともラッキーであった。皆既日蝕ではなかったが、全国的に梅雨空であった日本では見ることが出来た人は少なかったのではなかろうか。写真の時間は11時9分と11時12分で、おそらくあとのものが当地(掛川市)の最大の欠けた状態であったと思う。

夜、テレビによると、ファンが大挙して出かけた悪石島では、その時間は土砂降りの天気であった。天気が良ければ満月の夜ほどの明るさになるというが、厚い雲に遮られて、全くの闇夜になってしまったと報道していた。8割ほどの日蝕ではなかなか夜のようにはならない。少し明るさが減じたと感じるほどでしかなかった。このくらいの日蝕なら何度か体験しているはずなのに、もっと暗くなると思っていたから、人間の記憶などいい加減なものである。  

話は変るが、昨日、衆議院は解散した。8月30日が投票日である。今年は暑い夏になりそうである。自民党の両院議員懇談会(総会でないところがミソ)で、麻生首相は自分の発言がぶれたことと、それらが原因で地方選挙に負け続けたことを陳謝して、バラバラになりかけた自民党の結束を呼びかけた。反麻生派もここに至っては鉾を収めて、その場では何とか党の結束が演出された。しかしこのまま結束を保って40日の長丁場を乗り切ることが出来るかどうか、また麻生首相が再び首相として戻ってこれるかどうか、神風でも吹かない限り難しいと思う。離れた選挙民の気持はそう簡単には戻ってこない。今の麻生自民党の人気の低落が日蝕のようなものであるならば、今回の選挙では負けても、復活は近いと思うけれども、落日であったならば、次の夜明けまでに長い夜を過ごさねばならない。
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