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道聴塗説 その八 3

(散歩道のコメザクラ満開)

午後、掛川のまーくん一家が来て大賑わい。夜は名古屋の娘特製のハンバーグ。中に麩を交ぜるのがコツとか。肉汁が中に閉じ込められて、美味しくなるのだそうだ。

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「道聴塗説 その八」の解読を続ける。

同じく果報を受け、即ち、かの劫の中、還復(またまた)、第二の如来に値遇して、かの如来、刹利より生じ、出家成道して名のりて、電徳如来と曰う。而して後、かの如来の法中に於いて、出家修行する事、八万四千歳を経て、還復(またまた)、かくの如く三昧を思惟して、更に第三如来に値遇す。
※ 果報(かほう)-以前に行なった行為によって、のちに報いとして受ける結果をいう。
※ 値遇(ちぐ)- 縁あってめぐりあうこと。特に、仏縁あるものにめぐりあうこと。
※ 刹利(せつり)- 古代インド四姓制度の第二階級。婆羅門につぐもので、王侯・貴族・武士の階級。
※ 成道(じょうどう)- 仏教の修行者や求道者が修行を積んだ結果、悟りを開くこと。


かの第三仏、婆羅門家に於いて生れ、已に本出家成道して、号して光王如来と曰う。復び、かの如来の所に於いて出家し、修行するも、また、八萬四千歳中に於いて、常にかくの如く三昧を思惟する事を得る。賢護(菩薩)、時にかの長者子須達多、これよりの後、百余劫(こう)を過ぎて、即ち、成就阿縟菩提を得る。
※ 婆羅門(ばらもん)- インドのバルナ(四種姓)で、最高位の身分。僧侶で、学問・祭祀をつかさどり、インド社会の指導的地位にあった。
※ 阿耨菩提(あのくぼだい)- 阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の略。般若心経にも出てくる。最高の理想的な悟りのこと。


賢護(菩薩)、汝じ、応(まさ)に知るに当り、その時、かの長者子須達多は、豈に異人ならんや。即ち、彼の過去、然燈如来これなり」と、この経の三昧とは、念仏三昧なり。然れば、錠光佛はこれ念仏三昧の祖なり。

大集賢護経、四に「我れ往昔を念ずるに、無量無邊阿僧祇劫に仏世尊有りき。号して然燈如来と曰い、世間に出現す。我れ時に、かの然燈仏前に於いて、かくの如きの一切菩薩、念仏三昧を獲得す」とあるこれなり。
※ 無量無邊(むりょうむへん)- はかり知れないこと。数限りないこと。
※ 阿僧祇(あそうぎ)- 数の単位で、無限に近い大きな単位。「阿僧祇、那由多、不可思議、無量大数」と続く。
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道聴塗説 その八 2

(散歩道のクサイチゴの花)

昼前に名古屋のかなくん母子が車で来た。春休みで、仕事のパパは名古屋に残しての帰郷である。かなくんのリクエストに合わせて、昼はラーメンを作り、夜はカッパと納豆を海苔で巻いた。かなくんがお寿司というとこれのことで、安上がりに出来ている。巻くのを待ちきれないように、棒のままで食べて、何と6本食べて、もう、お腹いっぱいだと言った。2月生まれだが、背丈はクラスで後ろから2番目、随分大きくなった。この春には小学校3年生に進級する。孫が大きくなるのは実に早い。

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「道聴塗説 その八」の解読を続ける。

時に須達多、即便(すなわち)、かの無畏王如来、広くかくの如く三昧の深義を宣(のたま)うことを請ず。その時如来、長者子深い信心有りて、かくの如く三昧を聴聞せん事を楽欲するを知りしめて、時に応じて隨順して、為に敷演し給う。
※ 三昧(さんまい)- 心を一つのものに集中させて、安定した精神状態に入る宗教的な瞑想。
※ 請ず(しょうず)- 願う。
※ 楽欲(ぎょうよく)- 願い望むこと。欲望。
※ 隨順(じゅうじゅん)- 心から信じて従うこと。
※ 敷演(ふえん)- 敷衍。広く説き述べること。


賢護(菩薩)、時に須達多、かの仏所に於いて、三昧を聞き已(おわ)りて、読誦し、受持して、その義を思惟す。即ち説の如くに行す。既に修行し已(おわ)りて、還って即ち、かの如来の法中に於いて、家を捨て、家を出て、八万歳を経て、かくの如く三昧を思惟し、住持す。また復び、かの如来の所に在りて、一切の法を聞きて、皆な悉(ことごと)く受持す。
※ 受持(じゅじ)- 教え、特に仏の教えを銘記して忘れないこと。
※ 思惟(しい)- 考えること。思考。
※ 住持(じゅうじ)- 仏の教えをかたく守ること。


これより後、復び諸如来の所を経て、この法を説き聞いて、皆な能持し、諸仏所に於いて、諸(もろもろ)の善根を種(う)えて、能く広く不思議を成就し已(おわ)りて、然る後、命を捨て、即ち、三十三天に上生する事を得る。
※ 能持(のうじ)- いっさいの言語説法を記憶して忘れないこと。
※ 三十三天(サンジュウサンテン)- 欲界の六欲天の一で、須弥山の頂上にある天といわれる。中央に帝釈天が住し、頂きの四方に各八人の天人がいるので、合せて三十三天となる。忉利天(とうりてん)ともいう。


読書:「密室本能寺の変」風野真知雄 著
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道聴塗説 その八 1

(大代川土手のハマダイコンの花)

午前中、給湯漕から洗面所に繋がる給湯管が経年劣化で水漏れして、配管の交換の工事をしてもらった。今の配管はパイプマシーンも使わず、鉄管でもない。太いホースのようなもので、接続に接着剤すら使わないと聞いた。中々想像が出来ないが、縁の下へ入って、割合短時間で工事が終わった。

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今日より「道聴塗説 その八」の解読を始める。

その八
一 問う。聖道並びに他流には、誰にても念仏等の法を示すを、善知識と申す。当流には本刹の御住職を善知識と称して、崇敬仕るは如何なる故ぞや。 
※ 本刹(ほんさつ)- 本寺。本山。

答う。経論の通説は仏法の正理を示す。人を皆な善知識と申せども、当流には別に仔細あり。その故は、念仏の法に系統あり。大経に、錠光如来より処世如来まで、五十三仏を列名して、五十四に、世自在王如来のもとにて、法蔵菩薩(阿弥陀如来)の因願を説き給う。この錠光仏とは然(燃)灯仏の事なり。
※ 経論(きょうろん)- 仏の教えを記した経と、経の注釈書である論。
※ 正理(せいり)- 正しい道理。正しいすじみち。
※ 大経(だいきょう)- 浄土宗・真宗で,「無量寿経」のこと。
※ 錠光如来(じょうこうにょらい)- 燃灯仏ともいう。過去世に出現して、釈迦菩薩(釈尊の前生)に、未来には仏に成ると予言した仏。
※ 世自在王如来(せじざいおうにょらい)- 法蔵菩薩(阿弥陀如来)の師仏とされる如来である。
※ 因願(いんがん)- その願いごとが弘(ひろ)いという意味で、本弘(ほんぐ)誓願、略して弘誓(ぐぜい)、弘願(ぐがん)ともいう。


大集賢護経第四に云う。
※ 大集賢護経(だいじゅうげんごきょう)- 五巻。 隋の闍那崛多 (じゃなくった) 訳。 賢護菩薩に対して、般舟三昧の法を説いたもの。 『般舟三昧経』の異訳の一。
「我れ、往昔を念ずるに、無量、阿僧祇に過ぐ。時に一仏有り。無畏王如来と号し、世に出興し給う。その時に当りて、長者子有り。須達多と名づく。二万人と倶(とも)に、かの仏所に詣(もうで)る。到り已(おわ)りて、かの世尊の足に頂礼して、退きて一面に坐す。
※ 無量、阿僧祇(むりょう、あそうぎ)- 数の単位で、無限に近い大きな単位に、「阿僧祇、那由多、不可思議、無量大数」と続く。
※ 劫(こう)- 仏教などインド哲学の用語で、極めて長い宇宙論的な時間の単位。
※ 無畏(むい)- おそれるところのないこと。特に、仏が法を説くときの何ものをもおそれない態度。
※ 出興し給う(しゅっこうしたまう)- お出ましになる。
※ 長者子(ちょうじゃし)- 広大な土地所有者・商業資本者で、社会的勢力があり、富裕層を代表する立場にあるもの。「子」は、有徳の人。
※ 須達多(すだった)- コーサラ国の舎衛城の富豪・長者。祇園精舎を建立し寄進した。彼はよく孤独な貧者に食物などを施したので、給孤独と呼ばれていた。
※ 世尊(せそん)- ゴータマ・ブッダの尊称。
※ 頂礼(ちょうらい)- 仏教の礼法の一。尊者の前にひれ伏し、頭を地につけ、足元を拝する最敬礼。五体投地。
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道聴塗説 その七 7

(散歩道のレンゲソウ)

今では田んぼにレンゲソウを見ることはほとんどなくなったが、田んぼのスミのレンゲソウの生き残りを見つけた。

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今日で、「道聴塗説 その七」の解読を終る。

同廿八日の早朝に、髪を■(不明)い起坐して、仏前に於いて勤行すること常の如く、子息の次郎兵衛、法名宗元を呼びて、今朝の御斎に参りたるかと問う。宗元申すには、看病に侍る故に不参仕りしとあれば、徳雲大きに呵(しか)りき。
※ 御斎(おとき)- 法事や法要が終わったあとの食事の席のこと。

その後に孫女(まごむすめ)を呼びて、今日は往生するほどに、北枕になさせよとて、臥牀を移し、合掌に念珠を掛けて、両足を組み、仰(あお)ぎて臥し、念仏の声と共に往生しき。時に、享保十七年壬子年六月廿八日午刻とかや。
※ 臥牀(がしょう)- 寝床。

これらの人は善き念仏者なり。今の行者は、法義を沙汰するときは、古の念仏者にも勝りはするとも、劣りはせじ。その志、身口の作業(さごう)、或は念仏を申すに至りては、甚だ口と心と相違せり。それを三業を守り、たしなめなど言えば、自力なりとて用いず。
※ 三業(さんごう)-(仏)身体的な 行動 (身業)、言葉を発すること (口業) 、心に思う働き (意業) の三つの総称。

但し、本願に誇るのみは、仏智不思議を信ずるにてもあるべけれと、行者の機まで誇りて、三業を放逸にすること、元祖開山(親鸞)の御意に背くものなり。世の人皆な、煩悩業障は凡夫の本性なりと心得て、とても止まぬものと打ち投ぐる。これ領(了)解の足らぬなり。生得業惑なれども、止めんほどは、その力に任せて止むべし。とても止め得ぬを生得と申すべし。
※ 本願に誇る(ほんがんにほこる)- 阿弥陀仏の本願は、どんな悪人でも助ける本願だと甘えること。
※ 煩悩業障(ぼんのうごうしょう)- 煩悩の障り。
※ 生得(しょうとく)- 生まれながらにして身に備わっているもの。生まれつき。
※ 業惑(ごうわく)- 惑業。煩悩から生ずる行為。


仏法を信ずる人は、自然と転悪成善の益を得るなり。世に王法ありて、盗賊をなし、人を殺せば、皆な死刑に逢う事なれば、人々心には盗みてもと思うものも、王法の掟を恐れて、盗まず、人を殺すことも、皆な王法を守る故にせざるなり。仏法には地獄あり。罪を犯せば、重苦を受くなれども、王法ほどには恐れぬ故に、色々に罪をつくるなり。生得の悪人ならば、王法とても憚(はばか)りなく、明日重罪に堕するまでも、逆悪をつくるべけんと、世の人皆な、王法をば恐れて、盗みをもせねば、人も殺さざるなり。
※ 転悪成善(てんあくせいぜん)- 悪を転じて善となす。悪(苦しみ悩み) がそのまま、善(よろこび)に転ずること。
※ 王法(おうほう)- 仏教で、国王の定めた法令。また、仏法に対して政治をいう。世法。国法。


然れば、凡夫なればとて、悪も止めらるゝ事もあり。これを本性と云って放逸に造らんや。また念仏を申して、年月を過ぎぬる人は、自然に悪も薄きものなり。それを却って、昔より勝れる悪人にならん事は、領(了)解の相違なり。また悪人往生、善人往生と申すは、共に念仏往生なり。悪が往生の因にあらず。善も自力の善は報土の因に非ず。ただ悪人も善人も念仏して往生すれば、悪人念仏往生、善人念仏往生と心得べし。然らば、何ぞ悪を誇りて造るべけんや。


読書:「先生の夢十夜」芳川泰久 著
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道聴塗説 その七 6

(散歩道のシバザクラ)

今朝、新聞を見たら、何と稀勢の里が優勝していた。昨日千秋楽で、怪我で強行出場はしたものの、とても相撲を取るどころではないだろうと思い、敢えて千秋楽を見なかった。ところが本割、決定戦と照ノ富士を破り、13勝2敗で優勝していた。おめでとう。感動で、日本国中大フィーバーである。

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「道聴塗説 その七」の解読を続ける。

また、江府湯島妻恋稲荷の辺りに小森氏と云う人あり。その祖父、次郎左衛門と申す。法名徳雲生歟主、国は勢州にて少壮にして江府に来り。兄弟共に渡世の業を務む。漸く富めり。壮年の比(ころ)より念仏を申し、三宝を信じ、その性、質直にして言語少なく、人に謟(うたが)うことなし。
※ 江府(えふ)- 江戸のこと。
※ 湯島妻恋稲荷(ゆしまつまごいいなり)- 東京都文京区にある妻恋神社。


既に居住も定まれば、持仏殿を求めんとて、弟、庄次郎と、同国の人に尾張屋長三郎と申すを、語らいて、持仏殿の事を告げれば、両人許諾して、翌日速かに求めて、徳雲に申すには、仏殿の直(ね)高くありしが、種々に長三郎が弁舌にて、拵えたれば、下直(げじき)に求め得たりと、手柄のように語りければ、徳雲はこれを求むるに付いて、両人往来の労を謝し、さて高直にもせよ、持仏殿を請(しょう)する世の売買の物と同じく、直に高下を論ぜんや。ただその売人の申す如く直を与うべしとて、思いの外に不興にてありき。両人甚だ慚愧せりとなん。
※ 慚愧(ざんき)- 自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること。

ある時に富士へ登りて、山上の石室に宿す。その夜、夢に威容端厳の女人、白き衣服を着し、手に錦の嚢(ふくろ)を持し、徳雲に告げて曰く、汝じ此処(ここ)に来ること甚だ善ろし。我れこれを汝じに授(さず)くとありければ、徳雲は夢に答えて曰く、某(それがし)申す、これに詣ずる事は、三国に並びなき名山なるを聞きて、一度登らんと願う故なり。曽(かつ)て、かゝる物を得んとて来たるに非ずと申しき。その時、かの女人は微笑して失せ給いき。見了(おわ)りて夢覚めぬ。その外にも奇異の事どもあれども、徳雲は口に顕わさず、深く慎しめり。
※ 威容(いよう)- 堂々とした、りっぱな姿。
※ 端厳(たんげん)- 姿などが整っていて威厳のあること。


かくて行年八十歳の夏に至り、病無くて衰え臥し、常に念仏口に絶えず。訪(と)う人あれども余言なく、念仏するばかりなり。もとより訪う人を嫌い、瞻病の人も多きを忌みき。平生西を枕として臥せり。六月廿五日に至りて頻りに人を呼びて、向うの壁を拝し、人々にもあれを拜せよと云いて、高声に念仏すること暫しなり。傍人の目には何も見えざりきとなん。
※ 瞻病(せんびょう)- 看病。
※ 傍人(ぼうじん)- そばにいる人。
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道聴塗説 その七 5

(神座Y氏宅の斑入りヒバ)

我が家の生垣は金ヒバだが、それよりかなり希少種らしい。

夜、班の常会。

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「道聴塗説 その七」の解読を続ける。

駿城に井上祐西と申す念仏者ありき。その性質、直にして常に念仏す。報恩講には信も不信も、流義の習いにて、朝夕寺ヘ参詣を遂ぐることなれば、不信の輩、偶(たま)に参詣して、祐西と出合えり。
※ 報恩講(ほうおんこう)- 浄土真宗の開祖親鸞の忌日に、報恩謝徳のために行われる法会。

祐西申すには、遠き処より御苦労にあるべしと。彼の人答えて申すには、路の遠きを厭い申さねども、夜中に同伴なくて、志を遂げずとあれば、祐西もげにもと存じ、さらば某(それがし)申し、御同伴仕るべしとて、その翌朝には夜八ツ時より、彼の人の許(もと)へ尋ねて、それより同道して、寺へ戻る。寺は南にあれば、祐西が家も南にて、彼の家人の家は北にあり。かく路を行きつ帰りつ、毎朝誘いければ、彼の人も祐西が志に感じして、後には同伴も無く、一人参詣しき。
※ 申す(もうす)-(「する」「なす」の謙譲語。)…してさしあげる。

またある人その寺へ参詣せるを、祐西出合いて遠路の労を申せば、その人申すには、遠境の労はさまでもなく、子息多くて渡世に間隙なく、それ故に参詣に疎(うと)しとあれば、祐西これも道理なりと存じて、ある時その人の許へ尋ねて、御子息多くて参詣も疎き由を承り、今日尋ね申すは、まず御子息の中一人、祐西が子に賜わり候ように、と存ずる故なりとて、その子を申し受け、直ちに同道して帰れり。さて彼の夫婦も、この義に感じて、それより法に入りて念仏者となりき。

また、ある時に、四、五輩の同行申し合わせて、御本寺へ参詣するに、途中にて一人の同行、筇(つえ)を欲しく思い、道路の傍らなる人家の薮に入りて、竹を一本切り取り、笻にして一里ほども行きけるに、祐西笻を見て申すには、これは何れの処より求めらるゝやと、その同行申すは、路辺の竹を盗みたりとあれば、祐西大いに驚き、人の竹を盗む人を同伴して、御本寺へは参詣仕るまじ。祐西はこれより下向致すと申して、別れんとす。

四、五輩の者、色々申しなだめけれども、得心なし。さらば後へ戻り、竹の主に詫びて、笻を申し受けんとあれば、祐西もこの義に同じて、竹の主を尋ねて、右件(くだり)を申し、詫びければ、竹の主もその質直に感じ、何事も許諾しけりとなん。これ念仏者の志にてあるべし。
※ 質直(しっちょく)- 飾りけがなくまじめなこと。
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道聴塗説 その七 4




(神座の墓地からの眺め)

午後、神座のYさん宅を来訪、前回の古文書の解読結果を渡す。合せて、別の古文書を見せて頂き、4通の文書を借りてきた。「大井川通船願書」「修験道宗旨御改判形帳」「御条目并五人組帳」「村差出明細帳」の4通である。幕末、明治初期のものがほとんどだけれども、保存状態が大変よく、虫食い一ヶ所もない。明治初期の当主が大切に保存されたものだという。もう処分しようかと思っていた古文書に光が当てられて大変うれしいと言われた。解読したものを、来客に見せたりしていると聞いた。

最後に、お墓に行く。山の高い所で、大井川と神座の村を一望に出来る場所に、神座の墓地が集っていた。過去帳から歴代の物故者の名前、命日、戒名などを刻んだ墓碑を最近建てたと、見せて頂く。初代は、正保3年(1646)、慶安元年(1648)などの年号が見える。江戸初期の時代である。

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「道聴塗説 その七」の解読を続ける。

また本願に誇りて、悪を告ぐるは邪見なり。何ぞなれば、本願は如来の法なれば、凡夫の法に非ず。五逆も生じ、謗法も生ずとあるは、五逆謗法の手柄に非ず。仏智の不思議なり。その不思議を信ずる故に、謗法闡提回心皆往と申す。これ他力の功なり。
※ 謗法闡提回心皆往 - 謗法・闡提、回心すればみな往く。「法をそしる、仏のたねをやくものも、そのこころをひるがへして本願をたのめば、みな往生するなり」 (口伝鈔)

それを誇りて造悪を許し、放逸なれとは示し給わず。譬えば罪人の王法を犯し、刑獄に入りて死罪などに定れるを、威勢の人に助けられて、死刑を免れ、剰(あまつさ)え、禄位などを得る事あらん。その時に罪人は、ただ我が罪の重きを知りて、威勢の人の恩を思い、少しも我が罪に誇ることはあるまじ。それを威勢の人を依怙にして、益々罪を重ねて作らば、何ぞ人に捨てられざらんや。
※ 造悪(ぞうあく)- 悪事を行うこと。
※ 放逸(ほういつ)- 悪を防ぎ善を修する ことに対してだらしなく、精進を怠ることである。
※ 威勢(いせい)- 人を恐れ従わせる力。
※ 禄位(ろくい)- 禄と官位。
※ 依怙(えこ)- 頼ること。


されば、本願に遇はぬ先に、大罪にて無有出離の縁の身なり。今、遇う方奉りて、三悪道の死刑を逃れて、剰(あまつさ)え浄土に往生して、福禄尊位を得る事になりたれば、ただ我が先よりの重罪を知りて、仏恩の深広なることを信じ、念仏すべし。何ぞ重ねて我が罪に誇りて、仏意に背かんや。
※ 無有出離の縁(むうしゅつりのえん)- 出離の縁あることなし。助かるまじき自分である。
※ 三悪道(さんあくどう)- 仏教において、悪行を重ねた人間が死後に趣くといわれる、 三つの下層世界(地獄・餓鬼・畜生の三つ)を指す。三悪趣。三悪。三途。
※ 福禄尊位(ふくろくそんい)- 禄位の美称。


本性の煩悩は誇ることなり。止めんとしても止まらず。それを本願を頼みに、放逸に作るべけんや。近来の念仏者、多く領解(了解)の相違あり。然れども御法義は海内に流布して、在々処々に説法勧化あれば、耳と口とは昔より優れて、安心起行に就いて、身の作業など、甚だ以って背けり。
※ 安心・起行・作業(あんじん・きぎょう・さごう)- 中国の念仏宗の善導大師が、その著「往生礼讃」において浄土を目ざす行者の心(おもい)・行(おこない)・相(すがた)を「安心・起行・作業」と総称したことに始まる。つまり、仏にかける信心を安心と称し、念仏を起行とし、その念仏の方法を作業と呼んだのである。
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道聴塗説 その七 3

(散歩道のハナニラ)

電話で、明日午後、神座Y宅を来訪する約束をする。預かった古文書の残り半分、「明治元年の御触れ書き写覚え」が、解読を終ったので渡すためである。明治になると文書が途端に難しくなり、少し時間が掛かってしまった。

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「道聴塗説 その七」の解読を続ける。

正信偈に、「邪見憍慢、悪衆生、信楽受持、甚だ以って難し」とある、これなり。
※ 正信偈(しょうしんげ)- 正信念仏偈。真宗の要義大綱を七言60行120句の偈文にまとめたものである。同じ親鸞撰述の「三帖和讃」とともに、本願寺第8世蓮如によって、僧俗の間で朝暮の勤行として読誦するよう制定され、現在も行われている。
※ 邪見(じゃけん)- 正しくない見解。よこしまな考え。
※ 憍慢(きょうまん)- うぬぼれて人を見くだすこと。おごりたかぶること。
※ 信楽(しんぎょう)- 教えを信じ喜ぶこと。阿弥陀仏の本願を信じて疑わないこと。
※ 受持(じゅじ)- 教え、特に仏の教えを銘記して忘れないこと。


然るに、この邪見憍慢の人を本願の非機とし給うを疑うものあり。五逆謗法だにも往生するに、何ぞ邪見憍慢の機を嫌い給うやと。今、按ずるに、常の邪見憍慢は廻心して生ずべし。これに嫌うは、愚禿鈔に「二河喩釈して、悪見人等と言うは、憍慢懈怠、邪見疑心の人なり」と仰せられたり。
※ 愚禿鈔(ぐとくしょう)- 親鸞の著作で、浄土教の先徳の教えを通して親鸞自身の信心 の立場を明らかにした論書である。上下2巻からなるため『二巻鈔』ともいう。
※ 二河喩(にがひ)- 浄土教における極楽往生を願う信心の比喩。
※ 釈す(しゃくす)- 文章・語句などの意味をわかりやすく説明する。
※ 悪見(あくけん)- 仏教に反する誤った考え・学説。


然れば、念仏の法に於いて、憍慢邪見の人を嫌い給う。この法は恭敬専要とするに、憍慢に恭敬なり。また他の念仏者に対して、我は勝れりなど、事々に憍慢の心あらば、他力には非ず。自力なり。凡夫、報土に生ずるは他力による故なるを、何を我が働き手柄して、憍慢するや。少しでも往生の法に憍慢あるは、自力の手柄を表わすものなれ。他力には非ず。これ故に、信楽受持すること、甚だ以って難し。
※ 恭敬(きょうけい)- つつしみ、うやまうこと。
※ 専要(せんよう)- 最も大事なこと。きわめて大切なこと。
※ 報土(ほうど)- 報身仏の住する世界。阿弥陀仏の極楽浄土もその一。
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金谷宿近江屋の手紙四通 その4 - 古文書に親しむ

(庭のアセビの花)

近江屋の四通目の手紙は、それから20年近く経った、明治になってからの手紙で、事業や財産の一部を整理する手紙である。明治になって、宿場は大きく様変わりした。旅籠の多くは商売が成り立たなくなって、廃業や転業を余儀なくされたはずで、近江屋さんも酒造りなどに手を出したのだろう。しかし、畑違いの事業がうまく行かなかったのか。いったい、この20年の間に何があったのだろう。手紙類はまだ20通ほどあるから、それを読めば、分ることがあるかもしれない。しかし、この4通よりかなり難しそうで、解読にはさらに勉強が必要なようだ。

態々(わざわざ)飛脚を以ってその意を得候。過日は遠路御出頭下され、万端、御厚情の段、相謝し奉り候。

(のぶ)れば、本日至急御便申し上げ候は、兼ねて各々様、御承知もこれ有り候酒造関係の書類、残らず、駒置様御持参相成り候処、右の内、器械表、醸造表、何れも十三年度の掛り官吏の見留めもこれ有り、書類として、右これ無くては誠に差支えに相成り候様、本年度出張官吏より、右書類等、廿八日までに遅滞なく取り寄せ置き候様、本日御達しに相成り候に付、何とぞ御手数ながら、この者へ御渡しに相成り候様、御注意成し下されたく候。
※ 陳(のぶ)れば - 申し上げますが。さて。(候文などの手紙で、時候のあいさつの次、本文の書き出しに用いる。)

一 過日、桶売り渡しの儀に付、合併酒屋へ相談仕り候処、先方よりその侭御捨て置きに相成り候ゆえ、一寸御窺い申したく候。本日参られ候えども、右は到底、相談いたし候処、三十七、八円位にも相成るべきやと、愚察仕り候間、右にては御売り払いはむずかしきや、一寸申し上げ候。万一合併酒屋へは売渡しむずかしきものならば、先方へ程(てい)能く相断り候間、否や御報せ下されたく候。もっとも御調べの内、溜め五丁は、拙者方にて申し請けたき間、右を除くの外に御座候。
※ 到底(とうてい)- つまるところ。つまり。
※ 愚察(ぐさつ)- 自分の考察・推察をへりくだっていう語。


一 隣家宇作裏の建家の儀も、御相談これ有り候えども、右は他へ御売却に相成り候わば、十円はむずかしく候の事ゆえ、余り御見込み違いこれ有り候ては、相済まず候に付、篤(とく)と御検査の上、他へ御相談に相成り候ても苦しからず候。もっとも御売り払い方、御差し支えの節は、拙者どもにおいて、十円くらい差上げ置き、五、六年間も借用仕りたく候間、何とぞ御勘考の上、然るべく御取り計らい下されたく候。
※ 勘考(かんこう)- よく考えること。思案。

一 年貢の儀も、何とぞ三十日限り、御遣わしに相成り候様、願い奉り候。昨日新野と参り、種々相談の上、誠に御気の毒様ながら、三十日限りに取り片付け仕りたき間、右御承知成し下されたく、この段懇願奉り候。まずは用事のみ、取り急ぎ
申すべく候、不具
※ 懇願(こんがん)- 誠意をこめて頼むこと。
※ 不具(ふぐ)- 自分の気持ちを文章に尽くしていないこと。(手紙の終わりに書く語。)不一。不尽。不備。


 十月廿六日       相良町
               増田茂作
   永井様これにて
     松浦様
     野中様
        足下
※ 永井様 - 近江屋は「永井」という苗字であった。
※ 足下(そっか)-(相手の足もと・おそばの意)手紙の脇付の一つ。


読書:「書楼弔堂」京極夏彦 著
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金谷宿近江屋の手紙四通 その3後半 - 古文書に親しむ

(散歩道の八重咲のスイセン)

午前中、掛川の孫三人来る。ジブリのアニメのDVDを持参して見ていたので、あっくんに、「ナウシカ?」「ちがう」「天空の城?」「ちがう」「アピタ?」「そうだよ」。会話がどこかおかしい。正しくは「天空の城ラピュタ」。ちなみに「アピタ」は複合商業施設の名前。

さて、昨日前半を読んだ手紙、前半の終わりの記述で、六郎さんが江戸に出向いた主目的が解ってきた。幕末に向かう当時、公務で往来する人々が急増している時節柄、一橋慶喜、徳川家茂などの上京がたて続いた。その大通行のため、宿や助郷など入用が嵩み、年の暮れに向い、宿場が疲弊して、年が越せない状況であることを、江戸の道中奉行に訴えて、宿への援助を願うことだったのだろう。その訴えは功を奏して、緊急の援助が貰えるようになったようだ。

一 さて、申し上げ候も、甚だ御気の毒に御座候えども、金弐拾両、御差し立て相成り候よしの所、今日まで相届き申さず候。嘉平殿より与左衛門へ、為替の拾両も、今以って手取り申さず。日々催促いたしたく候ても、小壱里も離れ居り、小生などは繁務にて、手廻り兼ね、今日昼頃より催促に参り申すべく存じ候えども、右の始末にて、宅を出で候節、金弐拾壱両ならでは持参致せず。

右の訳は三拾金、御借り申し候内、五両、与左衛門に渡し、三両、宅へ差置き、三分、安平へ遣わし、右にて、当方着の所、安平相返し候にも壱両持たせ相返し、道中の入用など候て、最早壱文もこれ無く、臨時向けに持参に差し支え候ては、願いの方へ差し響き、誠に当惑この上無く、

もっともその内には、着金もこれ有るべくとは存じ候えども、日々着金を相待ち居り候義にも至り兼ね、よんどころなく原方にて、拾五両借用いたし、右にて漸く日を送り罷り在り候にて、龍吐水買い調え、差し上げ申したく候えども、手が届き申さず、それのみならず、願いの筋に、咄し行き届き候上にては、拾や弐拾の金は手になくては、甚だ不都合の次第、

これのみ心配に存じ居り候義に御座候間、この書状着き次第、何とぞ治平より為替にて、金拾五両御仕組下されたく、右黒田へ為替を成し下され候様、申し上げ候義は、第一正金にては道中手間取り申すべく、かつまた、貴兄御手よりも、只今の為替なれば、正月に至り黒田へ御渡し下され候ても然るべく、当方ももしや急に出立いたし候様、相成り申すべくも計り難く、万一途中行き違いに相成り候ては、正金にては又々不都合に存じ奉り候。
※ 正金(しょうきん)- 現金。

回しのこの書状着の上は、即刻、治平へ相談、黒田より壱通、当方飛脚屋へ手紙認めさせ、小生手許へ御差し掛け下され候様、御取り計らい願い上げ奉り候。龍吐水方の分、御注文の品も御座候間、相成るべくは弐拾両とも存じ候えども、原へも一旦返金の上は、またまた差し掛り候へば、借用も出来申すべきやと存じ候にて、先ず、拾五金申し上げ候。

黒田より手紙を以って、何れの飛脚屋なりとも、拙者どもへ右金相渡し候様にと申す書状、早速御差し出し下さるべく候。取り急ぎ、余事申し上げず候。皆様へ宜しく御通語(通話)下さるべく候、以上。
※ 通語(つうご)- 通話。話を通すこと。

 十二月廿二日朝        六郎

  永大兄 御許

尚々、時気折柄、御自愛成らるべく候、以上。
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