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「家忠日記 六」を読む 21

(散歩道のルドベキア)

夜に、二つのニュースがあった。一つは、都知事に小池百合子氏が選ばれたこと。もう一つは元横綱千代の富士がすい臓がんで亡くなったこと。二人とも自分よりはるかに年下の、60代前半である。いつの間にか、こういうニュースの主役が我々より若い世代になってきている。

「家忠日記 六」の解読を続ける。

 天正十九年(1591)卯六月
十六日庚戌 江戸逗留候。刈谷大かみに見相い候。水清六にふる舞い候。
十七日辛亥 忍へ日駆けに帰り候。水藤八、同心候。
十八日壬子 
十九日癸丑 江戸へ原田内記遣し候。
      江戸より、今度の御陣は当城御留守居候え候由、申し来り候。
廿日 甲寅 江戸へ酒井平右衛門遣し候。龍圓寺ふる舞い候。
      了意越し候て、玄佐、正佐、四吟の連歌候。

廿一日乙卯 
廿二日丙辰 
廿三日丁巳 夜、夕立候。
廿四日戊午 夕立候。
廿五日己未 了意越し候て、四吟連歌候。

廿六日庚申 新次郎煩い候て、下総奥殿(鵜殿八郎三郎所)迎い越し候。
      江戸へも使者、進上物持‥て越し候。
      行田市にて沼津衆、人を斬り消えて、木村七蔵なり。
廿七日辛酉 恕総に御蔭のふる舞い候。
      伊熊蔵同心、富辺九右衛門に馬売り候。青。麦十九表(俵)に。
      江戸より、小笠原三郎九郎越され候て、宿へ越し候。
      晩に小雨降る。
廿八日壬戌 三九越され候。土蔵など改め候。
廿九日癸亥 また江戸へ進上物越し候。


 天正十九年(1591)卯七月
 七月大
一日 甲子 小(笠原)三九(郎)に、ふる舞いにて越し候。
      息子に刀出し候。親父三郎左衛門殿が板物
      同女房衆は樽代百疋、帋(紙)二十束。
      また三九女房衆二人へ帋二十束ずつ。
      行田市にて富三右衛門小性
      鐙(あぶみ)‥‥売りを押し買い、その上‥‥打ち候。
※ 板物(いたもの)- 板を芯に平たく巻いた絹織物。いたのもの。
二日 乙丑 小三九ふる舞い候。
三日 丙寅 夜より霍乱煩い候。
※ 霍乱(かくらん)- 日射病をさした語。また、夏に起きやすい、激しい吐き気・下痢などを伴う急性の病気をいった。
四日 丁卯 小三九、明日帰られ候。暇(いとま)乞いに越され候。
      刀くれられ候。
五日 戊辰 小三九帰られ候。上州厩橋、平岩七之助所より使いを越され候。
      音信として、上旦帋五束、小錫一対、柳一、菱喰一。
      使いに鉄放(砲)出し候。富長三右衛門へ甲(かぶと)貸し候。
      小笠原孫六に鞍貸し候。
※ 旦帋(だんし)- 檀紙。楮(こうぞ)で漉いた和紙の一。江戸時代以後、ちりめん状のしわを特徴とした。
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「家忠日記 六」を読む 20

(散歩道のノウゼンカヅラ)

「家忠日記 六」の解読を続ける。

 天正十九年(1591)卯六月
 六月小
一日 乙未 初茄、名倉喜八より越され候。沼津衆、礼に越され候。
      同日まで雨降り。土用に入る。
二日 丙申 時雲、伊勢に預け候荷物の儀に遣し候。
      跡(部)大炊助、鉢方へ通られ候。
三日 丁酉 正佐より初夕顔。跡大鉢方より帰りに越され候。
四日 戊戌 夜雨。恕総、与五左、下総松平伊豆所へ越され候。
      御福松様衆、知行渡し候由、江戸より申し来り候。皆々越され候。
      拙者、知行の儀、聞きに、伊熊蔵所へ飛脚越し候。
五日 己亥 熊蔵所より、知行の儀、新郷を所にて渡し候由、申し来り候。

六日 庚子 伊豆下田、戸田甚九郎所より音信候。
      伊奈熊蔵、熊谷へ越し候て、知行壱万石渡し候。
  一 四千七百弐拾四石三斗壱升 新郷下新郷
                 荒木前所とも
  一 三千三百丗三石五斗六升  須賀村
  一 九百四拾三石三斗壱升   犬塚村
                 西新井村ともに
  一 三百拾七石五斗六升    下中条村
  一 六百八拾壱石弐斗六升   酒牧の郷内にて
      戸田三郎右衛門、館林へ煩いにて越され候人を越し候。
※ 下新郷(しもしんごう)- 現、埼玉県羽生市下新郷。
※ 須賀村(すがむら)- 埼玉県南埼玉郡須賀村。現、南埼玉郡宮代町。
※ 犬塚村(いぬつかむら)- 現、埼玉県行田市犬塚。
※ 西新井村(にしあらいむら)- 東京府南足立郡西新井村。現、東京都足立区。
※ 下中条村(しもなかじょうむら)- 現、埼玉県行田市下中條。
※ 酒牧の郷(さかまきのごう)- 現、埼玉県行田市酒巻。

七日 辛丑 江戸、家康より墨印を以って、
      七月下旬に奥州表へ御陣候由、申し来り候。
※ 墨印(ぼくいん)- 黒印(墨印)を押して発給した文書を指す。
八日 壬寅 出陣評合に、戸三郎右へ修理を遣し候。
      同日、時分より夕立。
九日 癸卯 
十日 甲辰 八幡山より、宗盤越され候。
      御陣の儀に、江戸へ原田金左衛門越し候。
      京より了意候て、来られ候。

十一日乙巳 
十二日丙午 朝、雨降る。
十三日丁未 雨降り。宗盤帰られ候。金左衛門、江戸より帰り候。
十四日戊申 また江戸へ半助越し候。
十五日己酉 殿様おこり煩われて、御見舞に江戸へ日駆けに越し候。
      賀藤源太所にふる舞い候。城へ出で候。殿様おこり落ち候。
      水野三左衛門、身上、会津より尽き候。十三郎所に居り候。
※ おこり(瘧)- 間欠的に発熱し、悪感や震えを発する病気。主にマラリアの一種、三日熱をさした。えやみ。わらわやみ 。
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「家忠日記 六」を読む 19

(赤いサルスベリ)

赤いサルスベリの木が散歩道にあった。大代川の川向うに赤いサルスベリが見えたので、ムサシの散歩の後、ムサシを家に置いて、改めて見に行った。

「家忠日記 六」の解読を続ける。

 天正十九年(1591)五月
十一日乙亥 ちいはの女房衆帰り候。
十二日丙子 
十三日丁丑 雨降り。
十四日戊寅 江戸より関八州の、東堂長老御寄せ候て、法門御聞かせ候。
      恕総にも早々御越し候え候由、板倉四郎右衛門承りにて、折帋越し候。
※ 能(のう)- 特定の技術に達者なこと。「お能」ではないと思う。
※ 法門(ほうもん)- 仏の教え。真理の教え。
※ 折帋(おりがみ)- 奉書・鳥の子・檀紙などを横に二つに折ったもので、消息、進物の目録、鑑定書などに用いる。

十五日己卯 午刻地震候。夜も地震候。恕総、江戸へ越され候。
      伊奈熊蔵、熊谷まで越し候て、鷹肴にて、人を遣し候。
      夜より雨降る。

十六日庚辰 雨降り。
十七日辛巳 朝まで雨降る。三州衆形原しゅかん越され候。
      十七夜代待ち、けん蔵主。
十八日壬午 江戸恕総より仕合能候由、申し来り候。
      八幡山松平玄蕃女房衆より、源了心さし(法要)合力
      鐚(びた)壱貫文越され候。
※ 合力(ごうりき)- 金銭や物品を与えて助けること。
十九日癸未 晩より雨降る。神谷小左衛門、館林より越され候。
廿日 甲申 たい‥ん所に石風呂建て候。

廿一日乙酉 雨降り。手作瓜、初なり取り候。
      恕総、江戸に逗留にて、清善寺時に御越し候。
      布施、永楽弐十疋。
※ 清善寺(せいぜんじ)- 現、行田市忍にある曹洞宗寺院。永享12年(1440)、当地の豪族成田刑部少輔顕忠の草創。
※ 時(とき)- 天台・真言などの密教で行う、定時の勤行。時の修法。

廿二日丙戌 夜、雨降り。十三日、水(野)藤八、江戸へ越され候。
廿三日丁亥 雨降り。
廿四日戊子 大雨降る。
廿五日己丑 雨降り。富長三右衛門所より山鳥の子、越され候。村雨降る。

廿六日庚寅 恕総、江戸より帰られ候。
廿七日辛卯 恕総、時越し振る舞い候。
      伊(奈)熊蔵所より、御陣の沙汰、申し来り候。
      江戸へ林子進上申し候。
※ 林子 - 林檎(りんご)のことか?
廿八日壬辰 朝‥降りし。場乗に熊谷筋へ越し候。
      初ささげ、名倉喜八より越され候。
廿九日癸巳 
晦日 甲午 晩より夕立。
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「家忠日記 六」を読む 18

(昨日作った、ゴーヤチップス)

庭の日除けのゴーヤ、次々に生り、雨で油断していたら、一本赤く熟れてしまった。昨日、まだ熟れていない大きなものを2本収穫して、ネットで見たゴーヤチップスを作った。先日、ゴーヤチャンプルを作った次の日に、一本試しに作って、けっこう美味しく食べられたので、今度はゴーヤ2本分作った。

味は塩もみをした後、水洗いした残りの塩味だけだが、美味で次々に手が出る。続けて食べていると、苦味は全く感じないけれども、食べ終えて少し経つとじんわりとわずかに苦味がやってくる。ゴーヤチップスで検索すると、レシピがたくさん出て来る。

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 天正十九年(1591)卯四月
六日 辛丑 江戸より与五左衛門は帰り候。知行方、未だ相定まらず候。
      晩より雨降り。水野藤八、殿様へ出でられ候事ならず候。
七日 壬寅 江(?)
八日 癸卯 小田原より道具来り候。
      江戸より金左衛門帰り候。
九日 甲辰 
十日 乙巳 

十一日丙午 水藤八身上の儀、館林榊式部所へ、同九七を遣し候。
十二日丁未 右衛門は江戸へ知行方の儀に遣し候。九七館林より帰り候。
十三日戊申 朝めし、恕総に候。藤八の儀、大方済み候。
      同与五左、江戸へ知行の事、越し候。
十四日己酉 夜雨降る。風呂焼け候。
十五日庚戌 雨降り。恕総‥‥ふる舞い候。

十六日辛亥 雨降り。
十七日壬子 夜雨降る。
十八日癸丑 大雨降る。
十九日甲寅 
廿日 乙卯 

廿一日丙辰 夜雨。
廿二日丁巳 橋普請候。夕立候。御福松御鷹上洛、
      餞(はなむけ)(紙)二十束、代物弐百疋。
廿三日戊午 しゅせん十七年忌候。
廿四日己未 雨降り。
廿五日庚申 同与五左衛門は江戸より帰り候。知行方、未だ相定まらず候。

廿六日辛酉 
廿七日壬戌 跡大炊助、越され候。
廿八日癸亥 夜雨降る。恕総に朝粥にて、大炊助帰られ候。
廿九日甲子 


 天正十九年(1591)卯五月
 五月小(大)
一日 乙丑 御福松衆、礼に越され候。
二日 丙寅 
三日 丁卯 
四日 戊辰 夜、雨降。江戸へ知行の儀に、原田内記越し候。
      前橋へ、酒井平右衛門越し候。
五日 己巳 御福松衆、礼に越され候。

六日 庚午 富長三右衛門所へ礼に越し候。雨降り。十三郎越し候。
      妹ちいはの、跡大炊助女房衆越され候。
※ ちいは - 家忠妹。跡部大炊助妻。
七日 辛未 雨降り。源了心差し(法要)候。夜、地震する。
八日 壬申 夕、雨降る。内記、江戸より帰り候。
九日 癸酉 夜、雨降り。
十日 甲戌 雨降り。
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「家忠日記 六」を読む 17

(庭のサルスベリたわわ)

昨日、我が家を訪問されたWHさんは帰りがけに、我が家のサルスベリを見て、白いサルスベリは珍しいと言われた。サルスベリはピンクやムラサキもある。自分は白が普通なのだろうと思っていたから、その言葉は意外であった。

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 天正十九年(1591)卯三月
十一日丁丑 
十二日戊寅 午刻より雨降る。
十三日己卯 朝まで雨降る。伊(奈)熊蔵、熊谷より越し候て、恕総候て、夜話し候。
十四日庚辰 松井八右衛門所に、熊蔵ふる舞い候。
      三州より、宇野与三右衛門、同久三郎越し候。
十五日辛巳 恕総に時をふる舞いにて越し候。

十六日壬午 雨降り。初時鳥(ほととぎす)
      小笠原三九郎、夜、三郎左衛門ふる舞い候。
十七日癸未 伊奈熊蔵所より、知行方、書き出し、壱万貫越し候。
      但し、殿様御下向までは、預けに成り候。
十八日甲申 酉刻、城へ盗人追い入り候もの搦め候。
      雨降り。知行御礼に熊蔵所へ、人を越し候。
十九日乙酉 雨降り。城樋損じ、木も転び候。
廿日 丙戌 

廿一日丁亥 新二郎所にて、泰印十七年の御心差し候。
※ 十七年の御心差し - 17回忌の法要。
廿二日戊子 
廿三日己丑 一昨晩、江戸へ殿様、京都より御下向候由、申し来り候。
廿四日庚寅 江戸へ夫丸(人夫)出で候。
廿五日辛卯 江戸へ日掛け越し候。城に出て御目に掛り候。

廿六日壬辰 朝、板倉四郎右衛門所にふる舞い候。
      夕、水野清六所にふる舞い候。
廿七日癸巳 浦和まで帰り候。右衛門は知行方の事に残し置き候。
廿八日甲午 雨降り。忍まで越し候。
廿九日乙未 卯辰の間、地震候。


 天正十九年(1591)卯四月
 四月小
一日 丙申 
二日 丁酉 小田原へ道具取りに越し候。雨降り。
      同与五左衛門、江戸へ越し候。高野聖越し候て、物乞い候。
      江戸の御普請、壱万貫五人づゝ越し候へ由、
      普請奉行より申し来り候。
      同十郎左衛門、息子死去候。
三日 戊戌 大原修理母も果て候。
四日 己亥 焼物調合候。
五日 庚子 江戸へ普請衆、五人遣し候。
      殿様御前にて我の鷹遣いとて、当地麦踏み散らし候由候。
      阿部善八、さ候へ候礼にて、申し分けに原田金左衛門越し候。
      そし‥‥‥‥にて候。
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「家忠日記 六」を読む 16

(午後から雨降り)

午後雨になる。前に雨が降ってから10日ぐらい経つ。見渡す限りの緑が、皆、喜んでいる声が聞こえてくるようだ。

午前中、近所のWHさんが見えた。6年前、このブログで、五和村の初代村長さん、渡辺真一氏の話を取り上げたが、その際、世話になり、同じイニシャルで書かせてもらった人である。そのブログは、2010-06-23、2010-06-30、2010-08-10 の3回に渡っている。もう記憶の隅にしかない話であったが、思いがけない展開を見せそうになってきた。ただ、今は詳しくは話せない。いずれ詳しく書けるときも来ると思う。話がはずんで、終ったのは正午を回っていた。

「家忠日記 六」の解読を続ける。

 天正十九年(1591)卯二月
十一日丁未 小笠原孫六、館林より越され候。
十二日戊申 雨降り。小総ふる舞い候。
      成田下総所より音信に、丸田うほ、越され候。
十三日己酉 小総、如総にふる舞い候。雨降り。晩より雪に成る。大雪降る。
十四日庚戌 
十五日辛亥 朝粥有り。雨降り。松平越中越され候。

十六日壬子 雨降り。
十七日癸丑 朝まで雨降り。
十八日甲寅 寺本殿御こし候。晩より少し煩い候。うのす下し候。
十九日乙卯 煩い候。悪党成敗候。
廿日 丙辰 煩い候。

廿一日丁巳 煩う。夜より雨降り。
廿二日戊午 雨降り。煩い候。名倉喜八より、鷹のうずら越され候。
廿三日己未 
廿四日庚申 
廿五日辛酉 戌刻より雨降り。

廿六日壬戌 朝まで雨降り。
廿七日癸亥 
廿八日甲子 しからより越し候、伊(奈)熊蔵、朝めしふる舞い候。
      夕めし、富(長)三右(衛門)所に候。
廿九日乙丑 
晦日 丙寅 朝、雨ちと降る。
      上方よりの御左右へ、殿様御仕合せ一段能く候由候。
      晩にきょう田筋に火事出来候。

※ 左右(そう)- 指図。命令。。
※ 仕合せ(しあわせ)- めぐりあわせ。運命。


 天正十九年(1591)卯三月
 三月小
一日 丁卯 点取誂諧、ふる舞い請け候。
※ 誂諧(ちょうかい)- 俳諧の連歌のこと。点数を付ける連歌の会。
二日 戊辰 夜雨。同九七郎、江戸へ、福松様明日の御礼に越し候。
三日 己巳 朝、雨降る。
四日 庚午 同日雨降り。三州より家中者、足弱輿(こし)にて越し候。
五日 辛未 三州より内衆、足弱輿にて越し候。

六日 壬申 誂諧ふる舞い候。熊谷筋、堤五十間築き候。
      九七、江戸より帰り候。殿様は三日、京都を出られ候由候。
七日 癸酉 夜、地震する。
八日 甲戌 昼より雨降る。
九日 乙亥 雨降り。
十日 丙子 
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「家忠日記 六」を読む 15

(散歩道のコヤブラン)

ヤブランは庭にもあるが、これはコヤブラン。小型の花房はまだ蕾である。

しばらく雨が無くて、大代川が涸れそうだと見ていた所、いつの間にか水量が増えていた。源流はそんなに遠いわけではない。おそらく八高山辺りで驟雨でもあったのだろう。

「家忠日記 六」の解読を続ける。

 天正十九年(1591)卯閏正月
十六日癸未 尊通帰り候。
十七日甲申 鷹給衆帰られ候。石川五左衛門越され候。
      小(栗)忠蔵には出し、扇十枚、皿廿。
      安(藤)彦四(郎)には錫の湯注、皿十、
      賀藤には可多色一反、木村には皿廿、出し候。
十八日乙酉 夕飯、家中衆へ鷹の雁ふる舞い候。
十九日丙戌 跡大炊助越され候。
廿日 丁亥 伊勢預け物に、舟の書と‥‥。京へ覚道飛脚に越し候。
      侍衆三川へ越し候。

廿一日戊子 瀧山より兵粮の代りに紙取り候。
      家方、井口やいと候。
廿二日己丑 下総、鵜殿八郎三郎所より音信候。
      皆川より兵粮の方に、代物六十分越し候。
廿三日庚寅 夜、雨降る。家中衆へ鷹のふる舞い候。
      跡大炊助越され候。
廿四日辛卯 江戸より十三郎越し候。
廿五日壬辰 

廿六日癸巳 伊奈熊蔵、忍領、竿打ちに熊谷まで越し候、音信候。
※ 竿打ち(さおうち)- 江戸時代、間竿(けんざお)で田畑の面積を測量したこと。また、検地のこと。竿入れ。
廿七日甲午 
廿八日乙未 熊蔵所、熊谷へ越し候。
廿九日丙申 夜、雨。青黒の馬買い候。

※ 青黒(あおぐろ)- 馬の毛色の名。黒に青みを帯びたもの。

 天正十九年(1591)卯二月
 二月大
一日 丁酉 夜雨。
二日 戊戌 御福松様衆、ふる舞い候。
三日 己亥 彼岸に入り。
四日 庚子 宵に雨降る。節のやいとう(灸)する。
五日 辛丑 朝まで雨降る。

六日 壬寅 殿様は、関白様清須に御鷹野のためとして御座候て、
      清須にて御見相候。矢倉へ参り候。
      江戸方にて、また御国替え候沙汰候。
      関白様より、鷹給小栗忠蔵、鳥見の御小人九左衛門、御乞い候。
※ 見相(みあい)- 顔を合せること。
七日 癸卯 雨降り。御福松様衆、ふる舞い候。
八日 甲辰 
九日 乙巳 夜、雨降る。清善寺に越し候。
      樽代百疋。樽、食籠、了意同心候。
※ 食籠(じきろう)- 食物を盛る器。ふたがつき、円形または角形。重ね式のものもある。
十日 丙午 雨降 
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「家忠日記 六」を読む 14

(散歩道のモミジアオイ)

散歩道で、真っ赤で大きくて目立つ花、モミジアオイと呼ばれている。このブログに初登場かと思ったら、2015年7月23日、2011年8月28日に続いて、3度目である。

東海地方が梅雨明けしてからちょうど一週間、西日本は猛暑のようだが、当地は夏とは思えない涼しい日々が続いている。これではまるで避暑地に来ているようで、大変凌ぎやすい。おそらく、西日本とは5度から10度くらい違うのではないか。昼寝も気持ちよく出来て、寝過ごし、夕方の散歩をせがむムサシの吠え声で目が覚めた。

「家忠日記 六」の解読を続ける。

 天正十九年(1591)卯閏正月
 閏正月小
一日 戊辰 雨雪降る。
二日 己巳 成田下総より駿河音信候。
三日 庚午 御福松衆振る舞い候。中根新八より鯉二、越され候。
      本田十助帰られ候。仁田山きぬ二端(反)出し候。
※ 仁田山(にたやま)- 仁田山織りのこと。群馬県仁田山地方(現在の桐生市)の織物の総称。
四日 辛未 
五日 壬申 殿様、三日に御上洛候由候。

六日 癸酉 夜、雨降り。内藤四郎左衛門、見舞に越られ候。鷹さかな。
七日 甲戌 朝、雨降る。
      夕、酒井善五左衛門所にふる舞い候。
八日 乙亥 
九日 丙子 右衛門、いも帰り候。
      相州中郡、上総にて、先度の引き合い、四千五百表(俵)給り候。
      栗毛粕毛の馬求め候。
      江戸より深尾清十越され候。御兵粮の足あしか候、瀧山‥‥
※ いも(妹)- 男性が自分の恋人や妻をいう語。
※ 相州中郡 - 中郡は、中世の淘綾(ゆるき)・大住(おおすみ)・愛甲(あいこう)の三郡。
※ 先度(れい)- さきごろ。このあいだ。せんだって。
※ 栗毛粕毛(くりげかすげ)- 栗毛の地に肩や頸、四肢等に白い刺毛が混生する。

十日 丁丑 三浦右衛門の所にふる舞い候。

十一日戊寅 夜、大雨降る。恕総を頼みて明星待ち候。
十二日己卯 深尾殿帰られ候。江戸御鷹飼衆、百五十ばかりで越され候。
      小栗忠蔵、安藤彦四郎、大将にて候。
十三日庚辰 
十四日辛巳 晩、雨降る。御右筆、尊通越され候。
※ 右筆(ごゆうひつ)- 中世・近世に置かれた武家の秘書役を行う文官のこと。文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。祐筆。
十五日壬午 大雪降り候。
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「家忠日記 六」を読む 13 、 講座「横須賀城の魅力」受講

(掛川市大須賀図書館)

午後、掛川市大須賀図書館に開館25周年記念講座が開催されて参加した。演題は「横須賀城の魅力~その歴史と構造~」講師は掛川市職員で、城郭研究家の戸塚和美氏。受講者は30人位だっただろうか。

高天神城を巡る武田氏との攻防で、その拠点として家康の命で横須賀城は築城された。高天神城は勝頼から奪還して間もなく、家康は廃城としたけれども、横須賀城はその後も江戸時代にも残り、歴代の城主によって維持拡充された。

横須賀城が重要とされたのは、城の南直下に遠州灘に繋がる良港を以っていて、遠州の物流の拠点として重要視されていたからであった。ところが、宝永4年(1707)の宝永地震で、一帯が隆起し、湊は使用できなくなって、横須賀城と城下町は大打撃を受けることになったという。

大須賀図書館に城主西尾氏関連の古文書のコピーがあった。どういうものか詳しくは確認しなかったが、改めて調べに来ようと思う。

講座の後、池新田のS氏を訪ね、自分の講座の受講の感想など、色々な話をして帰った。

「家忠日記 六」の解読を続ける。

 天正十九年(1591)卯正月
十六日癸丑 三州二連木、善(全)久院、越され候。
十七日甲寅 善(全)久院、朝粥、恕総にて御時、振る舞い候。
十八日乙卯 (奈)熊蔵同心、ふる舞い候。館林、榊原式部大輔所へ音信候。
※ 伊奈熊蔵 - 伊奈忠次(いなただつぐ)。幼名熊蔵。武蔵国小室藩初代藩主。関東代官頭として、家康の関東支配に貢献した。
※ 榊原式部大輔 - 榊原康政。徳川四天王。式部大輔は官位。上野国館林藩の初代藩主。

十九日丙辰 殿様、来る廿一日に御上洛候由、申し来り候。
廿日 丁巳 

廿一日戊午 点取連歌候。
廿二日己未 松井図書所へふる舞いにて越し候。
      江戸より殿様御上洛延び候て、早々出仕候え候由、申し来り候。
廿三日庚申 江戸へ越し候。
廿四日辛酉 江戸へ越し候。大門まで。
廿五日壬戌 城へ出仕候。福松様へ鹿毛の馬進上候。
※ 鹿毛の馬(かげのうま)- 茶褐色の毛を持つ馬のこと。

廿六日癸亥 家中衆、礼に歩き候。浦和の宿まで帰り候。
      御上洛、来三日まで延び候由候。
※ 浦和(うらわ)- 現、さいたま市浦和区。
廿七日甲子 忍へ帰り候。
廿八日乙丑 点取連歌了意より合点にて、越し候。
      松井八右衛門所より、海老越され候。
      発句          家忠
      青柳の 軒端や不路(風呂)の 玉簾(たますだれ)
廿九日丙寅 本田十助、うすいより越され候。
      土産に皿十、おさる所へ糸巻きの太刀、鼓の皮。
晦日 丁卯 
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「家忠日記 六」を読む 12 天正十九年 家忠37才

(初めてのゴーヤチャンプル)

昼食に、ゴーヤチャンプルを作ってみた。ネットでレシピを探して、ほぼその通りに作ったら、意外と味能く出来上がった。替えたところは、冷蔵庫に
しめじが沢山あったので、それを洗って加えてみた。ところが水を絞らずにそのまま入れたので、水がたくさん出て、フライパンで飛ばすのに、少し時間がかかってしまった。味は薄くなることはなかったので、成功の部類であろう。

今日は一日、どんよりして、夏とは思えないほどに涼しさであった。夕方のムサシの散歩では、涼しい東風が吹きまくっていた。

今日、ポケモンGOの日本上陸。皆んなが熱中すると、色々な社会現象を引き起こし、問題にもなりそうである。無関係なお年寄りも、町中を歩いていて、気を付けないと、プレー中の若者にぶつかられる危険性がある。

「家忠日記 六」の解読を続ける。

 天正十九年(1591)卯正月
 天正十九辛卯正月大
        小年丗七
一日 戊戌 家中衆、沼津衆、礼に越され候。沼津衆へ礼に越し候。
二日 己亥 身(親)類衆ふる舞い候。
三日 庚子 雨降り。供前茶候。小野田忠右衛門、火取り遣し候。
四日 辛丑 僧衆、礼に越され候。
五日 壬寅 

六日 癸卯 大風吹き、稲吉主水家火事候。
      殿様、岩付へ昨五日に御立ち越し候由、十三郎所より申し来り候。
七日 甲辰 伊熊同心、ふる舞い候。松平玄蕃父子、岩付へ人を越し候。
      江戸へ出仕越され候て、熊谷まで帰られ候。人を遣し候。
八日 乙巳 夜は雨。朝より雪に成り候。関白様より、奥州表へ御働き候え候由にて、
      殿様十一日に、古河辺りまで御出馬候由候。
      松平玄蕃父子、見舞のためとして越され候。戌刻地震候。
九日 丙午 玄蕃帰られ候。大坂より福松様、江戸へ御帰りにて、
      音信のため、同喜平越し候。
※ 福松(ふくまつ)- 松平忠吉(まつだいら ただよし)。家康の四男。幼名、福松丸。東条松平家第四代当主。武蔵国忍藩主。
十日 丁未 上方人数、先勢、品川、小田原辺りまで越し候。

十一日戊申 右衛門は御兵粮の儀に、江戸へ越し候。
      奥州無事成られ候由にて、浅野弾正殿、
      頓(やが)て御帰陣候由候。
十二日己酉 殿様御出馬止め候て、岩付より江戸へ、明日御帰り候由候。
      福松様衆ふる舞い候。
十三日庚戌 毎年連歌、御陣の沙汰候てやめ候。
十四日辛亥 中納言殿、武州府中まで御出陣候て、殿様江戸より御越し候由候。
※ 中納言(ちゅうなごん)- 徳川秀忠。「江戸中納言」と呼ばれた。
十五日壬子 跡部大炊助越され候。二の曲輪、風呂屋に火事出来候。
      江戸より飛脚越し候。三州より人数越し次第、
      御兵粮下され候由候。伝えの書、立て、取りに越し候。

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