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金谷コミュニティ委員会

(今日の夕焼け-台風が関東沖に進んでいるという)

昨夜、二人の男性の突然の訪問を受けた。一人は、金谷コミュニティ委員会の広報部の方であった。いきなり「ボランティアをやりませんか」というお誘いであった。「『ほほえみ』というコミュニティ紙を出しています。ご覧になったことがありますか」公報などと一緒に配られたものを見たような気もするが、そんなに意識して見ていなかった。言葉を濁していると、「ブログを見せてもらい、熱心に更新されているのを拝見しました。委員会に参加していただけないだろうか。」そんな依頼であった。名刺を頂いた。

初対面の人に、理解していない組織に参加して、ボランティアを頼まれて、はい解りましたとは返事はできない。お話は聞きました。考えて置きますと返事をした。何をするのか聞かなかったけれども、話の流れでは「ほほえみ」の発行を手伝って欲しいということなのだろうか。

「ほほえみ」をネットで見てみた。島田市との合併によって、金谷地区の団体間の連繋が困難になってきたため、金谷地区の住民、団体等が連携して活動するための組織として、「金谷コミュニティ委員会」が設立された。「ほほえみ」はそのコミュニティ紙として発行されているという。

一緒に見えたもう一人の男性の名刺には「五加地域交流センター検討会座長・竹下コミュニティー推進委員会会長」の肩書きがあった。「交流センターが出来ることはもう決まったのだが、こちらにも参加して頂いて、中心になって活動をお願いしたい」と依頼された。

五加地域交流センターは昨日の朝、防災訓練で集まったとき、班長会で説明があったと、班長さんから計画書と計画図面を見せてもらった。早い話が市役所の出先が出来るのだという。住民票や印鑑証明なら、今やコンビニで取れるようにすればいい。わざわざ出先が必要なのかと、そんな話を近所の人とした。しかし、起工式がすぐにあると班長さんが話す。もう話はそんな段階ではないようだった。

確かに、仕事を終えて時間が出来ていることは確かであるが、どちらも自分が出て行く幕ではないと思った。職業人として組織に身を置くつらさはかなり身に染みて来た。ようやくくびきから開放されて、自由の身になったのに、新たなくびきをはめられるのは御免蒙りたいと言うのが本音である。ブログは好きなことを勝手に書いているだけで、書くも止めるも自由である。毎日書くのは、知らない人から見れば大変なことのように感じるかもしれないが、書いている本人は自ら掛けたプレッシャーを楽しんでいる。それとこれとは違うのである。

このブログは訪問されたお二方も御覧になっているだろうから、この書込みをご依頼に対するご返事としたい。ご依頼に応えられなくて申し訳ない。
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政権が変わった日

(庭のマツバボタン)

夜8時、民主党圧勝、自民党大敗とテレビが伝える。民主党は300を越す議席を確保した模様であると報道していた。8時というのは投票が終了する時間である。投票が終った途端に議席が決まったような報道がされるのがどうにも違和感がある。少なくとも票が一部でも開いた時点で当確を出すなら判るが、出口調査で当確を出してしまえば、我々の一票がどうなってしまうのか。ちょっと愉快ではない。

選挙結果については、これだけの雪崩現象も十分にあり得ると思っていた。しかし数字を見るとやはりびっくりする。それだけ国民の大きな期待が民主党の上に載っかるわけである。自民党の不人気は、すでに小泉ブームの前に顕著になっていた。それが、小泉ブームに乗って、何年か延命されたのだと認識していた。自民党はそれを党勢だと勘違いしていた。小泉ブームが去って、三代の首相がたらい回しになった。勘違いしていた自民党の緊張感のないだらけた内閣が続いた。この選挙で急に有権者が民主党に鞍替えしたわけではない。地殻変動はすでに起きていた。自民党が参議院選挙で負けたのはその先駆けであったのだが、自民党の誰も危機感を持ったようには思えなかった。

マスコミが民主党寄りだという批判があった。しかし政権与党がマスコミの批判の的になるのは当然である。また批判と対象になるごたごたが続いた。二代続いた敵前逃亡首相、老人ボケ議員、酔っ払い大臣、漢字の読めない首相等々、よくもこれだけ欠陥人材を集めたものだ。本当にそんな人材しか残っていなかったのだろうか。考えてみれば骨のある自民党の政治家は、その一部は金にまみれて一線から消え、その一部は見切りを付けて党から去った。残った政治家はその程度の人材だった。その体たらくの議員の多くが世襲議員で、どんな覚悟で政治家になったのか聞いてみたいと思った。この選挙でその多くが有権者の審判を受けて落選したのは、有権者の判断が健全であったと思う。

民主党政権に不安が無いかといえば、不安だらけである。国益を守る外交が出来るのだろうか。官僚政治からの脱却というが、官僚と戦える実力が本当にあるのだろうか。耳当りの良いマニフェストを、実施しながら財政はどのように立て直すのか、等々である。

しかし、もうサイは投げられたのである。明日から今度は国民とマスコミの厳しい眼は民主党に向けられる。野党になる自民党には雌伏の時代が始まる。自民党には今回の衆院選を反省の材料として健全な野党として存在感を維持してほしい。民主党の政権運営によっては、次回の衆議院選挙で全く逆のことが起っても何ら不思議ではない。それが小選挙区制度である。

午前0時を越えるころには、民主党はすでに300議席を越えていた。
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総選挙前日の一日

(庭の花にとまるモンキアゲハ)

お昼、お蕎麦をゆでていた。3人分で少し多めだが、250g×2袋で500g。そこへひょっこりまーくんとママが来た。亭主は土曜日だけれども出勤だという。中国人研修生に仕事をしてもらわねばならないから、休日出勤になったようだ。少しは景気も回復基調にあるのだろうか。親子でお昼を食べるという。500gの蕎麦を4人で分けることになった。昨日の残りのお団子とスパゲッティで何とか量を確保する。

まーくんは食事を口に入れて貰いながら、なぜか鍋の蓋と金網のザルを持って遊んでいる。これがお気に入りだという。何とも変なものが好みである。温室ミカンが大好きで、お正月の鏡もちに載せたプラスチックの小さなミカンを手にとって、皮をむこうとして、むけなくて、ひっぽ投げた。

午後は、掛川の資生堂アートギャラリーの日本画展を女房と見に行く予定にしていたが、まーくんが来たので中止にして、和室の畳に枕を持ち出し、「あくじゃれ瓢六」(諸田玲子著)という時代小説を読んだ。主人公は牢屋に入っていて、外で起きた事件を次々に解決していく。今までにない突飛な設定で、それなりに読ませる。和室にはすでに秋の風が通って心地よい。2話まで読んで、3話を読みかけで寝てしまった。

夕方、目が覚めた時には、まーくんはもう帰って居なかった。遠くから選挙カーの切迫した声が聞こえてくる。何を言っているのか、誰の名前を連呼しているのか、心に響いて来ない。夕方のニュースで、昨日までの不在者投票が1000万人を越したと言っていた。全国有権者数は1億434万4170人というから、今日の分を足せば1割以上の人がすでに投票を終えていることになる。

民主党は選挙後の速やかな政権移譲について検討を始めているという。政権を受ける方が初めてならば、不本意ながら渡さねばならない方も初めてである。政治的空白を出来るだけ無くしてスムースな移譲が出来るだろうか。すでに選挙後の政治日程が課題になっている。経済もすでに民主党の勝利を織り込み済らしく、選挙結果で相場が大きく動くことはないだろう。足踏み状態の8月が終わり、総選挙という足かせも取れて、とりあえず相場は民主党への政策期待で上昇することになるだろう。その後は実施される民主党の政策にどう反応するかということになる。

包帯の取れた指はかさぶたが取れ始めた。左手の指と比較すると人差し指は腫れも無くなったが、中指はまだ少し腫れて太く見える。そのせいかどうか、10日間使わなかったためか、指の動きがぎこちない。少しずつ動かしてリハビリをしている。治りがけ特有の痒みをまだ感じていない。これからなのか。ちゃんと治療したから痒みは無しで済むのか、まだ判らない。

テーマが浮かばなかったから、思いつくままに今日の一日を書いた。総選挙前夜の一日が静かに終ろうとしている。
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第7回古文書解読基礎講座「離縁状・久離願い他」

(庭のオリヅルラン)

ムサシが噛んだ指は10日で包帯が取れ、昨日をもって医者通いも終った。まだ少し腫れが残るが、傷口はすっかり塞がった。

    *    *    *    *    *    *    *

昨日の続きである。昨日解読した一紙文書を三つばかり紹介する。

まずは、有名な離縁状である。俗に三行半(みくだりはん)と呼ばれるもの。この離縁状も三行半に書かれている。内容はそれぞれ少しずつ異なるという。

離縁状
   一 この度なか儀、離縁致し候ところ親・伯父
   伯母方の住まい望み、早速不縁にいたし候あいだ
   この後、いず方へ縁付き候とも、子細無く御座候
   仍って離縁一札くだんの如し
     天保十亥年十月               藤兵衛㊞
       おなか殿


次は久離願いである。久離とは、江戸時代、不品行の子弟が失踪などしたとき、連帯責任から免れるため、親族が奉行所に届け出て、失踪者を人別帳から除名し、縁を切ること。しばしば勘当と混同された。勘当は、親が子との縁を切ること。また、主従関係・師弟関係を断つこと。奉行所では、久離は久離帳、勘当は勘当帳にそれぞれ記載された。

天保十一子年五月六日
一 松平丹後守方より断り。拙者(せっしゃ)領分駿河国有渡郡西嶋村、百姓勘七次男瀧蔵と申す三十歳に罷り成り候もの、農業無精(ぶしょう)、常々身持宜しからず、江戸屋敷に差し置き候ところ、当二月中、欠落致し行衛(ゆくえ)相知り申さず、右躰(てい)のものに付、これ以後、先々に於いて、如何様(いかよう)の義、仕出し申すべくも計りがたく御座候あいだ、親勘七はじめ親類ども久離致し、村方人別相除き申したき旨、組合村役人一同相願い候に付き願の通り申し付け候。後日のため相達し候由、使者鈴木三郎治申し来たり候。
   西嶋村百姓勘七忰瀧蔵、久離御書替

※ 無精(ぶしょう)- からだを動かして物事をするのを面倒くさがること。
※ 身持(身持ち)- 日常の身の処し方。品行。
※ 欠落(かけおち)- ひそかに逃げること。逐電。出奔。
※ 如何様(いかよう)- どのよう。

最後に親孝行御褒美請書である。江戸時代にはこのような美談を称えることが時々行われている。

恐れながら書付を以って御請け申上げ奉り候。
御支配の安倍郡門屋村、百姓八十八次男孝之助、老母へ孝行の段、御聴に達し、この度御褒美として老母へ御扶持下し置かれ、孝之助へ銀二十枚頂戴仰せ付けられ候段、冥加至極、有難き仕合せに存じ奉り候。この上は大切に養育仕り候よう、なお又私どもよりも心付くべく旨、仰せ渡され、畏(かしこみ)奉り候。右御請け申し上げ候ところ、仍ってくだんの如し。
  嘉永五子年十一月              門屋村  組頭  新太郎
                             名主  善太郎
  寺西直治(次)郎様 御役所

※ 冥加(みょうが)- 気がつかないうちに授かっている神仏の加護・恩恵。また、思いがけない幸せ。
※ 畏(かしこみ)- 恐れ多いこと。もったいないこと。
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第7回古文書解読基礎講座「宛行状・借用証文」

(城北公園の西側の賤機山)

第7回古文書解読基礎講座に今夜も出掛けた。再び講師が変わり、駿河古文書会会員の伊賀英生氏となる。本日の講師は解り難い文字を黒板に書いてくれることもなく、どんどん読み進めてしまう。資料を前もって貰っておれば、予習をしてきたから、スピードに追い付いて行けただろう。ところが資料はその場で貰っていきなり解読したものを読上げた。解読したものは別紙で貰っているから、後で見れば解らないわけではないが、文字を確認しながら、必死で追いかけるので精一杯だった。すでに第7回ともなれば、基礎講座といえどもかなり上級になってきた。金谷や掛川の講座では大半の人が置いてけ堀になっているだろう。この会場ではもっとゆっくりお願いしたいという声は無かった。

解読を聞いているうちに、慣用句や独特の言い回しが何度も出てくる。それらをマスターしておけば、かなりスピードを上げて解読が出来るのだろうと、何となく解ってきた。本日、一枚ものの文書(一紙文書)を9通も読んだ。その中で興味を引かれた文書を復習を兼ねて何通か紹介する。最初は、宛行(あてがい)状、あるいは、扶持(ふち)状と呼ばれるものである。主君が家来に対して宛行扶持を与える書状である。主君や家来がそれぞれ代替わりする都度出された。だから、一家に何通も残っている場合もある。石数は必ずしも親子孫と同じではなく、特に江戸の後期には能力によって石高を変えていたことがうかがえる。

邑久(おく)郡(こおり)領分の内、川口村に於いて高百石、同郡大久保村に於いて高五拾石、都合百五拾石、扶助せしめ訖(おわんぬ)。全て知行すべきものなり。
貞享四丁卯 正月十五日           勘解由 花押
                        近藤源蔵どの

※ 邑久郡 - 岡山県に現在もある郡。
※ 訖 - 「おわんぬ」と読む。「おわりぬ」の音変化。終わった、…してしまった。
※ 花押 - 文書の末尾などに書く署名の一種。

次に借金証文である。

借用申す金子証文の事
一 金壱両者(てへり)        但し文金なり
 右は当午年、御年貢米に差し詰り、貴殿たって相頼み借用申す所、実正に御座候。右の質物書入、当村高辻の内、新田原と申す所、高三升壱合地の場所、畑二枚書入申し候。利足(息)の儀は年壱割五分の利足を以って、急度御勘定仕るべく候。万一、利足相滞り候わば、右の質地、貴殿方へ御引取りなされるべく候。後日のため、仍ってくだんの如し。
 文政五年午 極月日                  借主   長三郎
                            請人   常右衛門
              乙右衛門殿

※ 者 - 文末に「者」がくると訓読みで(てへり)と読む。「と言へり」の転訛したもの。
※ 文金 - 江戸時代、「文」の字の極印のある金貨の称。元文金・文政金があるが、ふつう元文金をさす。
※ 実正 - 確かなこと。偽りやまちがいのないこと。(明日へ続く)
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古文書の文字検索ソフト

(裏の畑の柿の木の実り-今年は生り年か)

古文書解読の講座に通っていて感じるのは、古文書解読の辞書にぴったり合うものがないことである。現在、「入門古文書小事典」(柏書房)と、「くずし字用例辞典」(東京堂出版)の2冊の辞書を使っている。講座へ出席するときは軽くて持ち運びやすい「入門古文書小事典」を持って行き、自宅で予習復習するときは扱い文字数が圧倒的に多い「くずし字用例辞典」を使っている。

古文書を最初に見たとき、冒頭からどういう文字が書かれているのか、想像すらできなかった。今では8割方の文字はどういう文字か想像できるようになった。古文書は手書きで、ほとんど、くずし字で書かれている。そのくずし字を見て、それが何という字なのか、想像(あるいは推理)できれば、読みや部首で辞書を引いて、例示されているくずし字のパターンから、その字に該当するくずし字を見つけて、その文字を特定することができる。こんなふうに書いただけでもけっこう厄介だし、想像すら出来ない場合は、辞書があっても解読には役に立たない。

古文書の講師は、古文書解読のコツは出来るだけたくさん古文書解読の経験を積むことである、たくさんの古文書を読んでいくと自然に古文書が読めるようになる、と、自分たちの経験から口を揃えて話す。古文書が読めない素人は講座にたくさん出て経験を積むしかないとすれば、なかなか勉強に時間が掛かる。

一方で講師は、最近若い人で古文書を読もうとする人が減って、古文書が忘れ去られていく危機を持っているという。古文書を読むためには、いろいろな知識が必要である。旧漢字、旧かな使い、変体がな、漢文、候文、各時代の歴史・風物・生活様式など、いずれも現代の若者には縁の遠い知識である。それらの知識が縁遠いほど、古文書はより難しいものになっていく。

今日、ソフト会社で、古文書の解読のために、有効なコンピュータソフトが出来ないものだろうかと、話を出してみた。そのときにはほんのさわりしか話せなかったけれども、整理すると二つのソフトが考えられる。一つは古文書の自動解読システムである。もう一つは勉強をする際に、辞書代わりにするソフトである。

前者は日本語の自動読み取りシステムの古文書版である。だから想像は難くないと思う。

後者の辞書代わりのソフトは、アイディアを言えば、古文書の文字に書かれたと考えられる文字を何でも良いから入力すると、その文字の用例が出てくる。ここまでは「くずし字用例辞典」と同じである。用例に同じ文字が見つからない時は、手掛かりが切れてしまうのが、「くずし字用例辞典」の限界である。ソフトでは用例とは別に、くずし字同士が似ている文字を表示する。その文字のクリックで、その似た文字へ跳べるようにする。つまり文字解読のヒントが次へ繋がって行くような検索ソフトである。だれかフォームを作ってくれれば、データーは入れてもよい。
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政権交代のあとの話

(裏の畑のあだ生えのゴーヤ)

各報道機関の衆議院議員選挙の世論調査の結果が出揃った。概ね民主党が300議席を越える大勝利を予想している。これで衆参両院のねじれは解消して、進む方向に不安があるけれども、民主党政権の政権運営はスムースになるであろう。今度は民主党も無責任な反対をしている立場ではなくなる。国民がその一挙手一投足を注目している。小さなミスもマスコミは許してくれない。そして内閣支持率が頻繁にはじき出される。そんな緊張感の中でどんな政策が打ち出していけるか。

自民党から、民主党が政権を取れば大変なことが起ると危機を煽る論調があるけれども、そんな発言が出ること自体、自民党大敗の選挙結果は間違いがないようだ。心配が無いとは言えないが、政権を選ぶのは日本国民である。自分は国民の目をもっと信用してよいのではないかと言いたい。今までの国政選挙を見ていると、選挙民のバランス感覚に健全さを感じる。民主党が大変なことを起そうとすれば、きっちりと内閣支持率に反映するだろうし、マニュフェストに載せたことであっても、国民の支持がなければ進められない。

今、自分が心配しているのは、大敗北後の自民党が空中分解してしまわないかということである。自民党議員には地盤・看板・カバンを親から継いだ2世、3世議員が大変多い。政権党に長くいて、今回実質的には初めて、長期に野に下ることになる。その厳しい境遇に耐えられるかどうか。分裂して政権党に尾を振る輩が出て来なければよいがと思う。2大政党がしっかりとしていて、いつでも政権を取って変わる形がようやく出来たと思ったのに、片方が崩れてしまえば元の木阿弥である。自民党は野にある時代に、次の選挙で巻き返しを図るため、日本にとって本当に必要な政策を、じっくりと練り上げてもらいたい。国民はそれを期待している。

政権を取る民主党は政権与党内で不協和音が出ないように、権力を一極に集中してもらいたい。総理大臣を選んで置きながら、次の日から足を引っ張る方に回るという、自民党の轍を踏んではならないと思う。気になるのは、民主党内における鳩山、小沢の確執であり、旧自民党系と旧社会党系の対立である。期待したいのは、自民党の2世、3世議員に議席を占められて、議員になれなかった政治を志す若者たちが、大挙して民主党から議員になってくることである。是非、政治に新しい風を吹かして欲しいと思う。

選挙も終っていないのに選挙後の話題で恐縮だが、自民党がどうあがいても、神風でも吹かない限り大勢は動かない。但し、天邪鬼な自分は、小選挙区では自民党候補者、比例選挙では自民党に一票を投じることになるだろう。
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ご近所の話題の人

(水野昭南氏を取り上げた靜岡新聞8月22日朝刊)

ご近所の水野昭南氏が静岡新聞の「この人」欄に載った。「茶の新品種2種類を開発した」人として、この22日の靜岡新聞朝刊で紹介された。

我が家の斜め前に実験茶園があり、かなり昔からいろいろな茶の苗が少量づつ植えられてはこがれる繰り返しがされていた。女房はムサシの散歩などで水野氏とはしょっちゅう顔を合わせ、いろいろな珍しい野菜を頂いたり、実験茶園でどんな品種が育っているかなどの話を聞いていた。今回の2品種の品種登録についても、ずいぶん前から話に聞いていた。

記事によると、15年前から茶品種の研究に取り組み、この3月に極早生の「金谷いぶき」「金谷ほまれ」という名前で品種登録されたという。島田市に合併したけれども、金谷をこよなく愛する水野氏は、あえて「金谷」の名前を残すことにこだわったようだ。

品種の特徴は、早生品種の「さやまかおり」と「摩利支」の2種を交配させて開発したので、一番茶の摘採期が「やぶきた」よりも2、3週間早いのだという。再生力が強くて多收、うまみ成分のアミノ酸含有量も高く、摘採期が遅くて南九州産の新茶に遅れを取っている靜岡茶で、南九州より早く新茶を提供したいという目標で開発してきた。

茶業界では茶園の大部分を占める「やぶきた」という品種の寿命が来ている。替わる品種がなかなか出て来ないため、「やぶきた」の後継に、また「やぶきた」を植える茶園もあるようだ。「やぶきた」は挿し木で増やしてきた、今の言葉で言えばクローン種である。実を付けないで増やした樹木は寿命が更新されないので、開発から一定年経つと寿命を迎え、樹勢が勢いを失うという考え方がある。「やぶきた」は開発されてからゆうに100年経っており、そういう時期を迎えているのかもしれない。

最近聞く中に、昔のようにお茶が美味しくなくなったという声がある。お茶の消費低迷も、「やぶきた」の品種としての寿命が関係しているかもしれない。「金谷いぶき」「金谷ほまれ」が茶業界の救世主となれるかどうか、たいへん興味深く、また期待もしている。

多くの試験場が何十年もやぶきたに変わる品種の開発をめざしてきて、いまだ、これと言う品種に行き当たっていない。それほど「やぶきた」は偉大な優良品種であった。「やぶきた」を開発した杉山彦三郎翁は在野の研究家であった。そういう意味では水野昭南氏も在野の篤農家に過ぎない。しかし新しいものはそんなところから生まれるのかもしれない。新品種として結果が出るには、さらに何年という長い時間が掛かる。大いに期待して見守って生きたい。

水野氏の庭に育つアボガドの苗木をいただいて、我が家の裏の畑でも育っている。温暖化で楽々と今年の靜岡の冬を越してきた。
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第3回古文書に親しむ「寺子屋規則」


(西の空の夕焼けと東の天空に架かる虹)

夕方、息子が虹が出ているという。表に出てみると、西の空に夕焼けが空を染めて、東の天空には半円の虹が掛かっていた。昼間の真夏の暑さも夜には涼しくなって、秋が近いことを感じさせる。昼間はツクツクホウシが鳴き、夜は虫がすだき始めた。今年は梅雨が長く、梅雨が明けたと思ったら、もう秋が立ち残暑となった。あっけない夏であった。

昨日午後、みんくるに「古文書に親しむ」に出席した。講師から受講生のYさんが亡くなられたと話があり、一同で黙祷した。年齢の高い受講生も多いので、当然そんなこともある。先月の第2回と今月の第3回で善正寺というお寺の「寺子屋規則」を読んでいる。以下に書き下したものを示す。前半部分で、後半は次月になる。

相守るべき條々
それ手習稽古の道たる、先ず柔和にして行儀を正し、万事長(おさ)しき師匠を敬ひ、手本を大切にいたし、たとえ破れ候反古たりといえども、不浄のところへ捨てるべからざる事。
一 毎日早朝より来て、先ず机に向かい、硯箱並びに文庫を明け、手本、双紙を取直し、これまで上げ候手本を相習わるべく候。早書、世上の咄(はなし)をまじえ、浮(うわ)の空なる儀は甚だもって無益の至りに候。
 附り 手本の読み、毎日懈怠有るまじく候。これまた高からず下からず、差別分明に読まるべき事。

※ 双紙 - 字の練習用に紙を綴じたもの。
※ 早書 - 手習い帳のようなもの。
※ 懈怠 - なまけること。おこたること。

一 読書は随分静かに読まれるべく候。はた又大音を揚げ、文庫硯箱の蓋抔(など)にて拍子を取り、大勢一度に相読み候儀、無用たるべく候。覚束(おぼつか)なきところ、そのまま差し置かれまじき事。
※ 抔(など)- など

一 読み書き相習い候みぎりは、師匠並び兄弟子の前に向いて、行儀を正し、昨日習い候ところ、一二返、くりかえさるべく候。一処にても忘れこれ有り候わば、無精(ぶしょう)の咎として、その日習い候儀、無用たるべき候事。

一 午飯過ぎ来て、まず早朝習い候書物二三返、くりかえさるべく候。相忘れ候歟(か)覚束(おぼつか)なきところ、早速相尋ねらるべく候。
 附り 当前習い候手本、数返念入り稽古有るべく候。もっとも世上の雑談いたし、就中、子供の悪口、食事の咄は聞きづらきものに候事。

※ 午飯過ぎ来て - 寺子屋では昼食は出ないから、家に帰って食べる。
※ 歟(か)-(疑問、推測、反語、感嘆の意を表わす助字)
※ 就中(なかんずく)-その中でも。とりわけ。

一 清書の節は随分心を鎮め、入念申さるべく候。墨薄くあるいは字を消し、継ぎ筆などを致し候儀、反古同じ事に候。

一 毎晩宿に帰り候いて開け候書物、くりかえさるべく候。なお又忘れこれ有り候わば、附紙いたし翌日来て相尋ねらるべき事。
※ 附紙 - 書籍や文書中、必要なところや不審なところに目じるしとしてつける紙。付箋。

一 客来たりこれ在り候時、雑言並び高声に、時に花小歌の類い、急度相嗜まれるべく候。
 附り 戸障子閉開作法ならば、跪(ひざまずき)候えども、腰を屈めて致されるべく候。もっとも敷居並び畳の縁り踏み候儀は不(無)礼の至りに候事。

※ 花小歌 - 鼻歌の小唄
※ 嗜む - つつしむ。気をつける。用心する。

一 寺へ金銀は申すに及ばず、一文の銭並び小刀、魚釣針などの殺生の具、持参有りまじく候。なお又竹弓を拵え、筆の軸にて吹矢、押鉄砲などの塵芥になり候事、相慎まれるべき事。
 附り 借貸、諸勝負、壱銭の売買も急度停止(ちょうじ)せしめ候事。

※ 停止(ちょうじ)- さしとめること。

一 相傍輩(ほうばい)懈怠の内、文庫硯箱猥りに明けられまじく候。勿論、一枚の紙、一管の筆、墨屑などに至るまで、取り盗むの輩は吟味せしめ、急度申し付くべき事。
※ 傍輩(ほうばい)- 同じ先生についたりしている仲間。同輩。
※ 急度(きっと)- きびしく。

一 相傍輩は兄弟の親しみに候間、平生相互に致し、喧嘩口論は申すに及ばず、腕押し枕引きなどの児童に似合わざる仕業(しわざ)沙汰の限りに候。
 附り 往来の道筋にて、石打ち合い、水掛け合い、相撲り打擲(ちょうちゃく)などの儀は極悪の至りに候事。
(次月に続く)
※ 平生 - ふだん。いつも。つね日ごろ。
※ 腕押し - 腕相撲。
※ 枕引き - 1個の木枕を両側から二人が指先でつまんで引き合う遊戯。
※ 沙汰の限り - 是非を論じる範囲をこえていること。論外。また、言語道断。もってのほか。
※ 打擲(ちょうちゃく)- 打ちたたくこと。なぐること。

規則を読んでいると、当時の寺子屋の風景が目に浮かんでくる。講師の話では当時の寺子屋は生徒が飽いてしまって、今なら学級崩壊と言われかねないほど、生徒は勝手なことをやっていたらしい。
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衆院選世論調査を受けた

(今年は豊作だろうか、裏の畑のミカンがたくさん実を付けている)

衆議院選挙も後半に入って、各種報道機関で世論調査が幾つもなされて報道されている。世論調査というけれども、本当に調査しているのだろうか。少なくとも自分は調査の対象になった経験が無いから、そんな疑問が浮かんでも確認する方法はなかった。

ところが一昨日のこと、朝遅めに起きたら女房が受けた電話を回してきた。衆院選に対するアンケート調査だという。女性調査員が某地方新聞だと名乗る。2、3分で済むからアンケートに答えて欲しいという。最初は住所を聞かれた。町の名前だけでよいという。「島田市」と答える。あと一問一答を以下へ記す。

選挙に関心があるか。「大いに関心がある」
誰に投票するか決めているか。「まだ決めていない」
各党のマニフェストを見て検討しているか。「検討している」
マニフェストを手に入れたか。「手に入れてはいないが、新聞などで見ている」
現時点で入れるとすると誰になるか。「候補者は誰がいるのか」
候補者名を読み始めた。「それは隣りの選挙区だろう」
ちょっと待ってとしばらく時間があって、正しい候補者名を読んだ。毎回投票している自民党の候補者名を言う。
比例ではどの党になるか。「自民党」
政権としてはどの形態が好ましいと思うか。「民主党の単独政権」そのあと「発言がねじれていて申し訳ない。つまり、まだ決めかねている」
年齢は何十代か。「60代」
職業は。「会社役員」
管理職でよいですね。「それでよい」
ご協力ありがとうございました。


実際世論調査の対象になったのは生まれて初めてである。しかし、この調査は何かおかしい。電話調査は安直に出来て手軽な方法ではあるが、無作為な選択による調査になっているのだろうか。最初に名前の確認がなかったから、女房に聞くと、誰でもよいというので、電話を回したという。自分はたまたま休みで在宅したが、勤め人ならこの時間には自宅にいない。いきおい在宅の年寄りとか主婦などが電話を取るケースが多いのではないだろうか。そもそも携帯しか電話を持っていない若者たちも多く、彼らはもともと調査対象から外れている。

正しく無作為サンプル調査をするならば、選挙人名簿から無作為で選んで、直接本人にコンタクトして調査をすべきであろう。いくら電話を無作為で選んでも、在宅する人というだけで対象が偏る。世論調査にはそんな欠点もあるのだろうが、とにかく実際に調査していることだけは確認が出来た。

テレビのあるコメンテーターが「今度の選挙は不満と不安の戦いだ」とコメントをしていて、言い得て妙だと思った。自分を含めて、不満と不安の狭間で態度を決めかねている選挙民はまだ多いだろう。彼らの気持をどうつかむのか、各政党が懸命になっている。ただし、今朝の新聞でも民主党が圧倒的に有利な予想は変わっていない。選挙戦も残すところ、あと一週間、良くも悪くも、大詰めでの党首の一言でころっと動く可能性もまだ含んでいる。
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