goo

道聴塗説 その一 1

(頑張る!蝉の抜け殻)

庭の松の木で頑張る蝉の抜け殻を見つけた。こんな風通しの良い所で、蝉が抜けてから半年、まだ頑張っている抜け殻である。

*****************

今日から読む本は「道聴塗説」という宝暦6年(1756)の写本である。道聴塗説(どうちょうとせつ)とは、辞書によれば、「知識などの理解がいい加減で、しっかり自分のものになっていないこと。また、根拠のない伝聞、受け売りの意。」自著を謙遜して、そんなネーミングをしたのであろう。駿州の恵海師の話したものを、駿城の松哉氏が記し、沙弥辨隆という人が写したことが、表題やあとがきなどで知れる。それぞれ、どんな人なのか知らないが、いずれも300年近く前の人たちである。

以前に書いたが、「駿州八助行状聞書」の種本だったというのは間違いで、八助のことが書かれているのは、「道聴塗説」の最初の部分だけで、その他、幾つかの説話が載せられているらしい。まあ、読んでいけば解ってくる。

仏教説話を正面から読むのは初めてのことで、出て来る仏教用語などの理解で、多分苦労するであろうが、読んでみようと思う。読み終えるのに、ざっと、2ヶ月ぐらいかかるだろうか。

   道聴塗説            駿城  松哉 記
その一
一 問う。古えの念仏者は、臨終に聖(ひじり)衆、来迎、異香、紫雲などの霊瑞奇特ある事、諸往生伝に載せられたり。今時の道俗、念仏する人は数多(あまた)なれども、その奇瑞無きは何故(なにゆえ)ぞや。 
※ 来迎(らいごう)- 臨終のとき、仏陀や菩薩が浄土の世界から迎えに来ること。来迎のときの音楽、香、紫雲は平安時代の宮廷貴族の理想を反映している。
※ 霊瑞(れいずい)- 不思議なめでたいしるし。
※ 奇特(きとく)- 非常に珍しく、不思議なさま。
※ 往生伝(おうじょうでん)- 極楽浄土への往生を願い、浄土に往生した人びとの略伝・行業と臨終時の奇瑞を簡略に記した伝記集。
※ 道俗(どうぞく)- 僧侶と俗人。
※ 奇瑞(きずい)- めでたいことの前兆として起こる不思議な現象。


答う。念仏往生の臨終奇特などは、もと仏説にして、必ずあるべき事なり。然るに、その奇特なきは、行者の失(しつ)と知るべし。その失とは念仏を相続せざる故なるべし。

元祖は専ら念仏を勧進給い、開山は専ら信心を勧め給う。これに付いて、人々多く領解の相違ありて、往生の大益を失う故に、臨終の奇特を感ずる事もなし。
※ 元祖、開山 -「元祖」は法然上人、「開山」は親鸞上人にことを指す。
※ 領解(りょうげ)- 仏の教えを聞いて悟ること。
※ 領解の相違(りょうげのそうい)- 考え違い。誤解。


読書:「春に散る 下」 沢木耕太郎著
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )