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「旅硯振袖日記 下之巻」 8

(旅硯振袖日記のクライマックス)

何とびっしりと字が書かれている。今時の人なら、読むのを諦めるだろうが、よんでいけばよめる。「ばらりずんと斬り込まれ」などと、実に面白い擬音語が使われている。今の劇画のルーツかと、言われる由縁であろう。

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「旅硯振袖日記 下之巻」の解読を続ける。

後より柳枝、象潟も、主(あるじ)を始め内戸の者へ、一礼述べて帰るにも、廓を出るというでは無く、世にいう引っ越し、女房の如く、隣り歩きの心にて、暇乞いさえそこ/\に、別れて出れば浪花屋の、新造、禿、芸者ども、やり手、若いもの、大勢付き添い、柳枝が家まで送りけり。

さる程に、象潟とともに、柳枝は居宅へ帰りつゝ、やゝ落ち着けど落ち着かぬ、胸はもや/\晴れやらぬ、思いはいとど艶の都が、心の内をなお疑い、うち按じてのみ塞ぎがち、象潟一人いそ/\と、
※ いとど - いよいよ。いっそう。

「日頃に似合わぬ艶の都さん、粋(すい)なさばきでお前の家へ、今宵来たのできっぱりと、日本晴れがしたような」と喜ぶ言葉を耳にもかけず、思案に更けし丑三つ頃、表のくゞり戸開けるやいなや、どや/\と二、三人、刃抜きつれ押し入りて、行灯(あんどう)蹴かえし騒ぐにぞ。
※ 丑三つ(うしみつ)- 今の午前2時から2時半ごろ。また転じて、真夜中。深夜。

柳枝は驚き手身近かなる尺八取って、象潟を後ろへ囲うて、身構えす。狼藉者の三人も、闇のつぶてのめつた討ち、柳枝は尺八かいがいしく、打ち振り/\支(ささ)ゆるを、後ろに潜みし象潟が、「やれ、危なし柳枝さん、怪我ばしさんすな、はあ/\」と危ぶむ声を聞きつけて、得たりと踏み込み斬り付くる。
※ 闇のつぶて(やみのつぶて)- あてずっぽうで行動するたとえ。

刃に象潟肩先を、ばらりずんと斬り込まれ、あっと魂ぎる一と声に、柳枝は驚き掻い探る。手先に当たる刀の腕、然知ったりと掻い掴み、力に任せ捻じ伏せて、刀もぎ取り振り回す。象潟は苦痛の声、「あゝ苦しや」と叫ぶにぞ。
※ 魂ぎる(たまぎる)- たまげる。こわがる。びくびくする。
※ 然知ったり(さしったり)- 待ち構えていたときに発する言葉。よし、きた。心得た。合点だ。


狼藉者は聞き付けて、人違いせし大変と、言いざま、刃を引っさげて、表の方へ逃げ出せば、続いて逃ぐるを後ろ袈裟、押さえし手先の緩む時、組み敷かれたる一人も、跳ね返して逃げ出だすを、何処(いずく)までもと追わんとせしが、柳枝は手負いの気遣わしさに、そのまゝ家へ走り入り、呻く象潟が傍へ寄り、掻い探りて声励まし、

「やれ、象潟傷は浅し。心を確かに/\」と言いつゝ、行灯(あんどう)探り起し、とつかわ、灯(あかし)を点(とも)しつゝ、象潟を抱き上げ、思い掛けなきこの狼藉、そも何奴ぞと、こぶしを握り、口惜し涙の折しもあれ、
※ とつかわ -(あわてて動作をするさま)せかせかと。


読書:「春に散る 上」 沢木耕太郎著
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