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駿台雑話壱 37 飛騨山の天狗(前)

(富士市、岩本山公園の富士山と桜 その2)

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  飛騨山の天狗
しばらくありて、翁、鬼神の感応は気の往来なり。わづか気に渉れば、声色に顕わるゝを、尋ねずして、鬼神ははや疾(と)くに知るものにて侍る。こゝに寂然不動にして毫末も気を交えず、鬼神もいろい得ざる所あり。これ我が本分のある所にて候えば、翁はここをさして我と申したく候。
※ 感応(かんのう)- 外界からの刺激によって心が深く感じ動くこと。
※ 声色(こわいろ)- 声の音色。声の調子。
※ 寂然(せきぜん)- さびしくひっそりとしているさま。
※ 毫末(ごうまつ)- ほんのわずかなこと。常に否定の語を伴って用いる。
※ いろう - いらう(弄う/綺う)。いじる。さわる。ふれる。
※ 本分(ほんぶん)- その人が本来尽くすべきつとめ・義務。


謝霊運が、「達人は自我を貴ぶ」と言いしは、暗に申しあて候えども、その我といふもの、中々霊運如きが知る事にてはなく候。「天且つ違わず。況んや人に於いてや。況んや鬼神に於いてや。」とあるも、人は言うに及ばず、天地鬼神も我に違(たが)い得ざる事をいうなり。
※ 謝霊運(しゃれいうん)- 中国南北朝時代,宋の詩人。晋の謝玄の孫。山水を詠じた新詩風を興す。叛意ありと訴えられて処刑された。

三代の聖人、「この我をもて天下の上に立ちて、天下惟(これ)我のみあり。誰か我が志に違う事あらむ」といえり。後世の賢人、「この我をもて万人の外に立ちて、千万人の中といえども、ただ我ある事を知る」と言えり。
※ 三代の聖人 - 儒教において聖人とされる中で、夏王朝の創業者である禹、殷王朝の創業者である湯王、周王朝の創業者である武王の、三代の王を呼ぶ。

されば、我というものゝあり所を尋ぬるに、一念未生の時、本然未発の体、これなり。君子ここを存養して、損なわねば、天地も我より位し、萬物も我より育し、鬼神も我より感応す。何事か我によらぬ事あるべき。邵康節の「一念起る事なければ、鬼神も知る事なし。我によらずして誰にかよらん」と言えるは、これを言うなり。
※ 一念未生(いちねんみしょう)- 一つの心のはたらき、一瞬の意識も、まだ生まれないこと。
※ 存養(ぞんよう)- 本来の心を失わないようにして、その善性を養い育てること。
※ 邵康節(しょうこうせつ)- 中国、北宋の学者。共城の人。神秘的宇宙観・自然哲学を説き、朱熹らに影響を与えた。

(この項続く)
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駿台雑話壱 36 妖は人より興る(四)

(岩本山公園の富士と桜)

かなくん母子と一緒に、富士の岩本山公園に行った。富士と桜が同時に見られる公園として有名な桜の名所である。桜はほぼ満開、富士山もばっちり見えて、しかも日向では暑い位の陽気であった。こんな日が土日なら駐車場も満杯になるところだが、平日だからそこまでの人出ではなかった。

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  妖は人より興る(続き)
彦左衛門は、手に覚えのある時に、我が手ともに切りて落さんと思い詰めけるを、狐悟りしなり。されば武士の心剛にして、一筋に直なるさえ、その気燄になき程に、狐も妖をなしえず。まいて(まして)正人君子においてをや。
※ 正人君子 - 高潔な人。人格者。聖人君子。

本より邪は正に敵せねば、正気に遇うては、氷の日に向かうて忽ちに消うるゝ如し。西域の妖僧、傅毅を祈り殺すとて、自ら暴死し。武三思が妾、狄仁傑に遇うて芸を施しえず。畏縮せしと知るべし。
※ 傅毅(ふき)- 中国、後漢の文人。博学能文、賦にすぐれて「顕宗頌」によって文名をあげ,班固と並び称された。
※ 武三思(ぶさんし)-中国、唐代の権臣。則天武后の異母兄武元慶の子。武后が周朝を建てると梁王に封じられ、要官を歴任して宰相となった。みずから皇太子になろうと策動したが、狄仁傑の直諫にあって失敗した。
※ 狄仁傑(てきじんけつ)- 中国、初唐の政治家。高宗の時、巡撫使として地方行政に手腕を振るい、また,突厥・契丹と戦い功をたてた。則天武后に宰相として重んぜられ、国老と呼ばれた。


それにつきても、世に正人君子乏しき故に、邪気己がじし威福をなすこそ悲しけれ。しかのみならず、世挙(こぞ)りて宮観淫祠を崇め、浮屠の邪法を信じて、歩みを運び、貨を費やさざるはなし。もとより正體もなき事なれども、ものゝ緩るみながらも、形あればそのなりに、影あるように、深く信向する心から、不思議と見ゆることもあれば、いよ/\これみ惑いて、正理を失うにてとありけるともある事には、ここの神、かしこの仏とて、漫(みだり)に霊験ありと称しつゝ、いろ/\虚誕なる事を造作して、世を誣(し)い、民を欺く程に、人群れ聚(あつま)りて市をなし、銭財積みて山をなす。その人は国家の大賊、この事は天下の大獘と言うべし。
※ 己がじし(おのがじし)- 各自がめいめいに。それぞれに。
※ 威福(いふく)- ある時は威力で、また、ある時は福徳をもって思いのままに人を服従させること。
※ 宮観(きゅうかん)- 道教寺院。道観
※ 淫祠(いんし)- いかがわしい神をまつったやしろ・ほこら。
※ 浮屠(ふと)- 仏陀。
※ 信向(しんこう)- 他人を信じてその徳に心が向う。
※ 虚誕(きょたん)- おおげさなうそ。おおうそ。でたらめ。つくりごと。
※ 大獘(たいへい)- 大弊。はなはだしい弊害。
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駿台雑話壱 35 妖は人より興る(三)

(庭のクリスマスローズ)

会社を終る頃いただいた、これもクリスマスローズである。毎年忘れずに花を咲かせている。

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  妖は人より興る(続き)
唐宋小説の書に、洞庭湖の辺りに水神の祠あり。大湖を渡る人は、これに水難を逃るゝように祷(いの)る事になんありける。ある賈人毎年大湖を渡る程に、その祠を深く信じて、往来に必ず賽祀せしが、ある年、湖上にて風に遇って船破れて、ついに溺死しけり。
※ 賈人(こじん)- 商業を営む人。商人。あきんど。
※ 賽祀(さいし)- 神仏にお礼参りして祭る。


その子、湖辺に到り、父の死を悲しみつゝ、怨悔する余りに、我が父この祠を多年信仰して、祭奠いさゝか懈(おこた)らざりしに、冥助なかりしこそ遺恨なれ。明日は必ずこの祠を焚(やか)んと思い極めて、い寝たりし。
※ 怨悔(えんかい)- うらみくやむ。
※ 祭奠(さいてん)- 祭りの供え物。また、祭り。
※ 冥助(みょうじょ)- 神仏の目に見えない助け。冥加。


その夜の夢に、水神深く恐るゝ気色にて、汝、我が罪を許さば、湖上にて楽を奏して、その恩を報ずべし。さればとて我れ、祠を焼かるゝを恐るゝにあらず。また汝が怒気の勢いに恐るゝにもあらず。ただ心の底に必ず焚かんと決断したる一念、我に応えて敵し難き程に、かく謝すると言いけるとぞ。

もとより斉東の野語、信ずるに足らぬ事なれども、神は決断に恐るゝという事、道理ある事なり。もしこの人、怒りの心ゆくまゝに、焼かんと思いながら、その気燄にして、焼くとも焼かぬとも決せず、その気進退せば、焼かで神に気圧されて、反って崇りを受くべし。
※ 斉東の野語(せいとうのやご)- 信じるに足りない、下品で愚かな言葉。(中国斉国東部の田舎者の言葉つきの意。)

むかし駿府の御城に、うば狐と言い伝えし狐あり。人これに手巾を与うれば、それを被りて舞いしが、声ばかりして形は見えず。ただ手巾空に飜転して廻舞のようを見せし程に、人々興に入りけり。人手巾を与うる時に受取る形は見えねども、持たる手を物のすりて通るように覚えて、そのまゝ取って行きける。
※ 手巾(しゅきん)- 手ぬぐい。手ふき。

若き人々わざと渡さじと抗うに、何と堅く持ちても、取られぬという事なしと語るを、大久保彦左衛門聞く。我は取られじとて、手巾を持ちてこれ取れと言うに取りえず。さて言うは、さても無分別の人よ、あな恐ろし、とて逃げ去りぬとぞ。

(この項続く)
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駿台雑話壱 34 妖は人より興る(二)

(散歩道のオーニソガラム・ウンベラタム)

昼間は孫4人が集まり大賑やかであった。

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  妖は人より興る(続き)
前年、真西山の集を見侍るに、ある民家の女子、父の疾(やまい)を憂えて、夜になれば天に向いて身をもて、代らんと祷(いの)りしに、その誠感じてやありけん、一夜群鵲俄かに屋を遶(めぐ)り飛び噪(さわ)ぎし程に、仰ぎて空中をみれば、大星三つ、として月の如く閻楹の(間)を照しけるが、翌日より父の疾、瘳(いえ)りけり。
※ 真西山(しんせいざん)- 真徳秀。は、南宋中期の政治家、儒学者。号は西山先生。建州浦城出身。
※ 群鵲(ぐんしゃく)- カササギの群れ。
※ (よういく)- 盛んに輝くさま。
※ 閻楹(えんえい)- 「閻」は正しくは木扁に閻。のきと柱。


西山、郡守として、その事を目の当たり見聞きせしまゝ、その閭(門)榜表して、懿孝坊とし、記を作りてその事を詳しく著されける。これらは、殊に確かなる事にて、その感、著しと言うべし。
※ 榜表(ぼうひょう)- 立て札や額にしるして明らかにする。
※ 懿孝坊(いこうぼう)- 「懿」は「立派な。すばらしい。」。素敵な親孝行の家。


然るに、衰世に及びて、人心正しからねば、大方邪氣の感のみにて、それより妖怪を生ずるなるべし。もとより怪力乱神は聖人の語り給わぬ事なれども、その理を窮むるは格物の一端なれば、諸君のために申し侍るべし。
※ 衰世(すいせい)- 衰えた世の中。末の世。末世。
※ 怪力乱神(かいりょくらんしん)- 理屈では説明しきれないような、不思議な現象や存在。(「論語」述而篇に「怪力乱神を語らず」とある。怪異・勇力・悖乱・鬼神の四つをさす。)
※ 格物(かくぶつ)- 朱子学では「物にいたる」と読み,個々の事物の理を究明してその極に至ろうとすること。窮理。


左伝に妖を魯の申繻が論じて、「人の忌むところ、その気燄を以ってこれを取る。妖、人によって興るなり」と言えり。よく物理に通ずる言と言うべし。「燄」は火の未だ盛んならずして、進退するとあれば、人の気にてもかくの如し。すべて、人の忌恐るゝ所は、世話に、恐ろしき物の見たきというように、さながら心に忘れえぬ程に、思想に引かれて、火の、かつ燃え、かつ消ゆるように、あると見つ、なしと見つして、かくして止まねば、気浮かれて我にもあらずなりぬる程に、邪気隙に乗じて、幻に形象をさえ生じぬれば、様々に妖をなし、怪をなすぞかし。
※ 左伝(さでん)-「春秋」の注釈書。魯の左丘明著と伝えられる。春秋三伝の一。歴史的記事に富み、説話や逸話を多く集め、また、礼制に詳しく国家興亡の理を説く。
※ 申繻(しんじゅ)- 魯の国の大夫。
※ 気燄(きえん)-(炎のように)盛んな意気。威勢のいい言葉。気炎。気焔。


斉侯の彭生を見、鄭人の伯有を見るの類いこれなり。すべて氣燄の致る所にて、正気の感には絶えてなき事なり。
※ 彭生 -「春秋左氏伝」より。斉の襄公の臣下だった彭生は魯の桓公の暗殺を命じられ実行したが、その犯人として襄公により処刑され、死骸を魯に送られた。彭生は大豚の妖怪となって襄公を襲った。
※ 伯有 -「春秋左氏伝」より。小国・鄭で政変があり、時の執政・伯有は晋への亡命に失敗して死を賜った。伯有は悪鬼となり、鄭にたたりをなした。

(この項続く)
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駿台雑話壱 33 妖は人より興る(一)

(毎年、一株だけ咲く青紫のヒヤシンス)

夜遅く、名古屋のかなくん一家が来る。四月に小学校へ入学するかなくんは春休みである。

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  妖は人より興る
座中一人、神は聡明正直なるものにて、至誠感応はさもあるべき事にて候。然るに昔より妖怪不正の事ども、世に流布し侍る。これもその理ある事にや、と言うに、翁、鬼神は天地の功用二気良能といえば、勿論正理より出たる事なれども、人の本性、悪なくして、気質におちては善悪ある如く、神も人世に降りては、正しきあり、正しからざるあり、
※ 至誠(しせい)- きわめて誠実なこと。また、その心。まごころ。
※ 感応(かんのう)- 人々の信心に神仏がこたえること。
※ 功用(こうよう)- 役に立つこと。働き。ききめ。
※ 二気(にき)- 陰と陽の二つの気。二儀。
※ 良能(りょうのう)- 生まれながらに備わっているすぐれた才能。
※ 正理(せいり)- 正しい道理。正しいすじみち。
※ 気質(きしつ)- 言動に表れる、その人の身に備わった性質。
※ 人世(じんせい)- 人間の生きていく世の中。世間。


その子細は陰陽五行の気の四時に流行するは、天地の正理にて、不正なけれども、その気両間に游散紛擾して、いつとなく風寒暑湿をなすには、自ずから不正の気もありて、人に感ずるにて知るべし。されば、天地の間、この気の往来にあらざるはなし。
※ 気の四時(きのしじ)- 四気。天地間に生じたり消えたりする四時の気。春の温(生)、夏の熱(長)、秋の涼(収)、冬の寒(蔵)の各気。
※ 游散(ゆうさん)- 自由に散らばること。
※ 紛擾(ふんじょう)- 乱れもめること。ごたごた。


正気をもて感ずれば、正気応じ、邪気をもて感ずれば、邪気応ず。但し、正邪ともに二気の感応より出れば、邪気の感とても神にあらずというべからず。それ正気の感は、大小となく精誠の致すところにあらぬはなし。大事にていわく、高宗の良弼を感じ、周公の金縢を感じ、小事にていわく、鄒衍六月の霜を感じ、韓愈悪溪の鰐を感ずる。その事は異なれども、同じく精誠の感にして怪しむに足らず。
※ 精誠(せいせい)- まじりけのないまごころ。純粋な誠実さ。
※ 良弼(りょうひつ)- 主君を補佐するすぐれた臣下。
※ 高宗の良弼 - 殷の高宗が夢に出てきた賢人、傅説(ふえつ)を探すという伝説のこと。
※ 周公の金縢(きんとう)- 書経の金縢篇、周公の武王・成王父子に対する忠誠を記した物語のこと。
※ 鄒衍(すうえん)- 中国、戦国時代の思想家。斉の人。宇宙万物を陰陽五行の消長によって解釈、のちの中国思想に大きな影響を与えた。
※ 六月の霜 -鄒衍が、無実の罪で投獄された時、そのいわれなきことを天に訴え、天はこれに応えて夏に霜を降らせたという故事。
※ 韓愈(かんゆ)-中国、中唐の儒者・文人。唐宋八大家の一。詩をよくし,白居易と並び称され、また儒学復古を唱えて,文章・学問とも後代に大きな影響を残した。
※ 悪溪の鰐(あっけいのわに)- 左遷された韓愈が福建省の悪溪で鰐を退治し、学校を興すなど、多くの貢献をした。悪溪はその功績を称え、韓江と改称された。

(この項続く)
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駿台雑話壱 32 聖人の誠(後)

(裏の畑のムスカリの花)

どこかにあったはずのムスカリ。季節になると向うからここにあると教えてくれる。

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  聖人の誠(続き)
枚乗が呉王を諌める書に、「人聞くこと勿(な)からんことを欲せば、言うこと勿きに若(し)くは莫(な)し。人知ること勿からんことを欲せば、為すこと勿きに若くは莫し。」この語、浅きに似て味深し名言というべし。
※ 枚乗(ばいじょう)- 中国,前漢の文人。淮陰の人。景帝のとき、呉王濞(ひ)に仕えたが、王に反乱の志のあることを知って呉を去り、梁の孝王のもとに走った。

口に言うて人の聞かぬようにし、身に為して人の知らぬようにとするは、いやしき譬えながら、悪に利息を添えて身に負うが如し。日に添い月に添いて、その負いまさりなば、いかで覆い隠すべき。聖人より以下は、君子も過(あやま)ちなきにあらねども、これを隠さんとはせずして、人の見るまゝに改むる程に、過ちは過ちと見え、改むるは改むると見えて、その仕方に隠るゝ事なく、心に一点くもりなきと知るれば、反ってその徳の光もまさりぬべし。

されば、子貢も、「君子の過ちは日月の食の如し。過ちてるも人皆見、更むるも人皆仰ぐ」と言えるぞかし。
※ 子貢(しこう)- 中国、春秋時代の人。孔門十哲の一人。衛の人。弁舌に巧みで、諸国を巡遊して政策を授け、魯と衛の宰相となった。貨殖の才でも知られる。

昔、小邾(しょうちゅ)駅、千乗の盟を信ぜずして、子路匹夫の一言を信じ、回紇六軍の兵を恐れずして、郭子儀が単騎の約を恐る。これ二子の誠、かねて隣国に現われ、蛮貊に及ぶことを知るべし。千里の外、応ずるにあらずや。
※ 千乗の盟 - 大国の諸侯の盟(ちかい)。
※ 子路(しろ)- 中国、春秋時代の人。孔門十哲の一人。魯の人。武勇にすぐれ、孔子によく仕えたが、衛の内乱で殺された。
※ 匹夫(ひっぷ)- 身分の低い男。また,道理をわきまえない卑しい男。
※ 回紇(かいこつ)- ウィグル(族)。
※ 郭子儀(かくしぎ)- 中国唐代の武将。華州の人。安史の乱を平定し、のち吐蕃の侵入を退けた。最高官の太尉中書令に任ぜらる。
※ 蛮貊(ばんぱく)- 野蛮国。


もとより聖人の誠には及ばねども、心事明白にして、一毫の疑いなき事を、天下の人皆知る故に、一度その言を聞き、一度その面を見ると、そのまま、信服する程に、何の手もなく、何の造作もなし。これ誠の感応にして、恩威智力の及ぶ所にあらず。これをもて言う。好事門を出ず、悪事千里を行くと、世話に言えどこれ僻言なるべし。好事悪事ともに、その実ある事の何れか千里に行かざる事あるべき。悪事のみに限るべからず。
※ 心事(しんじ)- 心の中で思っていること。心中。
※ 信服(しんぷく)- 信頼して服従すること。
※ 恩威(おんい)- 恩恵と威光。
※ 智力(ちりょく)- 知的な能力。
※ 僻言(ひがごと)- 一方にかたよった言葉。悪口。
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駿台雑話壱 31 聖人の誠(前)

(シンビジウムの残党)

10数年昔、花期が終って、捨てるという鉢を幾鉢か貰って来たことがあった。ほとんど放置したままであるが、毎年、少しずつ花を咲かせてきた。今年も少し情けない姿であるが、花をつけた。

昨日は機器のトラブルでネットへ繋げられず、久し振りに書き込みを休んだ。今日は復活である。

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  聖人の誠
翁また言うは、前に申し侍る西行が歌にて、無為にして治まるという事を思い給うべし。
※ 舜(しゅん)- 中国の古伝説上の聖王。五帝の一人。儒教の聖人の一人。その治世は,先帝尭の世とともに天下が最もよく治まった黄金時代とされる。
※ 無為(むい)- あるがままにして作為しないこと。


聖人の誠は、則ち神明なり。もし何事のおはしましては、無為とは言うべからず。そも何事の何故とは、知らねども、ただその篤恭の至りなん、神の如くにして、自ずから忝さに、涙こぼるゝばかりに覚えぬべし。それに衣裳を垂れ手を拱(こまね)いて、上に現在しておはしませば、天下仰ぎ奉る事日月の如く、慕い奉る事父母の如し。天地無形の神の感応時あるようなる事にてはあるべからず。されば、「過ぐるところのものは化(ばか)す」とて、聖人の身の歴(へ)給う所は、変化をなして改まる事、物のかたに入るが如し。
※ 篤恭(とくぎょう)- 手厚く慎み深い。
※ 感応(かんのう)- 人々の信心に神仏がこたえること。


舜、歴山に耕し給えば、民皆畔(あぜ)を譲り、河浜に陶(すえ)したまえば、器皆いしまあらざるというにて、知るべし。また「存するところのものは神なり」とて、聖人の心のとまる所は、自由を得て廻る事、ものの掌にあるが如し。孔子、邦家を得てんには、綏(やすん)ずれば、そのまま来たり。動かせばそのまゝ和すというにて知るべし。
※ 歴山(れきざん)- 舜が耕作したと伝えられる山。
※ いしま(窳)- 陶器などの、ゆがみ、くぼみやきず。
※ 邦家(ほうか)- 国。国家。特に、自分の国。


ここに至りては、とかく凡慮の及ぶ事にあらず。これ聖人の手柄にて、仕出し給える不思議にもあらず。ただ誠は覆われぬものになんありける。されば、君子、室に居て言を出して善なれば、千里の外応ず。況やその邇(ちか)きものをや。室に居て言を出して不善なれば、千里の外違(たが)う。況やその近きものをや、と孔子も宣えり。
※ 凡慮(ぼんりょ)- 凡人の考え。

さりとて、家にてする事の、忽(たちま)ちに千里に及ぶというにはあらず。例えば風の草木に移るが如し。その響き、弥高にまさりゆく程に、家より国に響き、国より天下に響く。これ自然の理にして、誠の覆うべからざる所なり。
※ 弥高(いやたか)に - ますます高く。いよいよ高く。

こゝをもて、君子は常に内に心を用いつゝ、ただ手前を正しくして、外を飾る事なし。たとえば錦を衣で上覆いするがごとし。その美覆えども覆うべからず。いやましに著きぞかし。小人は内行おさまらずして、外見をのみ飾れば、臭きものに蓋するが如し。その臭塞げども塞ぐべからず。いとど現るゝぞかし。
※ 著き(しるき)- 目立つ。明らかである。
※ 内行(ないこう)- 家庭内でのおこない。私生活上の行為。
※ いとど - いよいよ。一層。ますます。

(この項続く)
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駿台雑話壱 30 鬼神の徳(後)

(土手のエドヒガンはが一足先に咲く)

桜開花のニュースが流れて、今日は一転して冬型の気圧配置に逆戻り、烈しい北風が吹いた。明日の朝は0℃近くまで下がるという。

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  鬼神の徳(続き)
されば天地の間に、極めて耳疾く、極めて目速きものありて、時をも分かず、所去りせず、有りのまゝに現在し、端的に往来し、あらゆる物の体となりて、両間に盈(みち)わたりてあれども、元より形もなく声もなければ、人の見聞には及ばずして、ただ誠あれば感じ、感ずれば応ず。誠なければ感ぜず、感ぜねば応ぜず。応ずれば忽ちあり、応ぜねば自ずからなし。これ天地の妙用にあらずや。
※ 所去り(ところさり)- 遠慮。

中庸に、「これを視れども見えず、これを聴けども聞こえず、物に體して遺すべからず」といえるはこの事なり。昔、西行法師、伊勢の神祠に詣で詠める歌に、

  なに事の おはしますをば 知らねども 忝けなきに 涙こぼるゝ

なに事のおはしますとも知らずして、忝けなさは何事によるや。涙は何故にこぼるゝや。これ誠の感動にあらずして何ぞ。神前にてその心、他念なく一筋に誠になれば、神もその誠のなりに来格して、かたみに感動する程に、涙もこぼれつべし。
※ 来格(らいかく)- 祭祀などにおいて、神霊が降ること。
※ かたみに(片身に)- たがいに。かわるがわる。


例えば、清く澄める水には、そのまま月の映りて、互いに光を増す如し。久しくなれば、一ツ誠に渾融して、神と人とを分かず。例えば、水や空、空や水、一つに通いて澄めるが如し。ここに至りては、洋々乎(ようようこ)として、その上に在るが如く、その左右に在るが如くなるべし。
※ 渾融(こんゆう)- 入りまじって、一つにとけ合うこと。

この神の現るゝなり。誠の蔽(おお)うべからざるなり。さりとて神を遠き事とな思い給いそ。ただわが心にも留め給え。如何にと言えば、心は神明の舎なり。一毫も私欲の障りなければ、自ずから天地の神明と同気相感じて、かく著(いちじ)るきぞかし。但し相感ずる事なければ、さる事なかるべし。西行も神前に至らぬ時は、いかで涙こぼるゝばかりの忝けなさあるべき。これをもて来格は相感ずるにありという事を知りぬ。
※ 神明の舎(しんめいのしゃ)- 神様のやしろ。
※ 一毫(いちごう)- ごくわずか。寸毫。


今各(おのおの)に申す。ただ躬(みずから)に省み、内に求めて、心の誠に基づき給わば、下学の功積みて上達せらるべし。その時にこそ、只今翁が申すよう、いさゝかうける事にてなしと思い知り給わめ、とて、その談止みぬるに、座中良久く声もなく、静まりかえりてありしが、翁の御物語りいと尊くこそ侍れ。誠に西行が歌に応えて、今日も忝さに涙こぼれつべう侍るとて、各(おのおの)感心に耐えずぞ見るべし。
※ 良久く(ややひさしく)- しばらく。やや長く。
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駿台雑話壱 29 鬼神の徳(前)

(散歩道のラッパスイセン)

夜、班の会合が公民館であった。帰ってきたところに、大きな雷鳴が2度ほど鳴り響いた。花火や雷にも反応しないムサシが小さく吠えた。しかし雷雨の様子は無かった。

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  鬼神の徳
ある日、講過ぎて後、五、六輩、跡に残りつゝ、おの/\疑問に及びしが中に、一人言うは、ここに一つ問いまいらせたき事侍る。我朝は神国とて、近き頃、世に神道を説く人、数多あれども、いずれもその説、陰怪にして、正理を得たりとも覚え侍らず。もとより鬼神の説は、聖人も仮初めには宣わねば、我ら如き薄識の人の俄かに悟るべき事にはあらねども、多くその片端を示し給わば、他日の功夫の種ともならましと、各々同じ心にを乞えば、
※ 正理(せいり)- 正しい道理。正しいすじみち。
※ 功夫(くふう)- いろいろと考えて、よい手段を見いだすこと。工夫。
※ 益(えき)- 人や世の中の役に立つこと。ためになること。


翁聞きて先を引いて、「聖人神道を以って教えを設(もう)く」とあるは、聖人の道の神妙なるをさして、神道と言えり。仁道などいう如し。これを一つの道とするにあらず。然るに、世に神道とて説くを聞くに、我国の道とて、聖人の道より一等高き事のように言えるこそ、意得難けれ。
※ 易(えき)-「易経」のこと。「聖人‥‥」は易経から引用。

(そもそも)鬼神の深き道理は、翁も知らぬ事にて侍れども、日頃覚悟し置きけるあらましを語り侍るべし。中庸に、「鬼神の徳を為す」と言えるは、いかが心得給える。朱子釈して、性情功效と言えるは、徳字の義を釈して、かく言えり。もしその徳たる実をいわば、左伝に神は聡明正直にして壱なるものなりと言える。これ則ち神の徳なり。
※中庸(ちゅうよう)-中国、戦国時代の思想書。子思の著と伝えられる。朱熹が取出し、四書の一として儒教の根本書となった。
※ 釈す(しゃくす)- 説明する。解釈する。
※ 性情功效 - 「徳なるは、なお性情功效と言うがごとし。」「性情」は「性質と心情。こころ。」「功效」は「効能。効果。」
※ 左伝(さでん)-「春秋左氏伝」「春秋」の注釈書。春秋三伝の一。左丘明の作と伝えられる。
※ 聡明(そうめい)- 物事の理解が早く賢いこと。
※ 正直(せいちょく)- 心がまっすぐで言動に偽りのないこと。


然るに神は正直なるものという事は誰も知れども、聡明なる事を知らず。神ばかりすゝどきものはなし。その故は、人は耳をとて聞けば、耳の及ばぬ所は、師曠が聡というとも、聞かずしてありなん。目をもて視れば、目の及ばぬ所は、離婁が明というとも、見ずしてありなん。心ありて思慮すれば、頴悟の人というとも、なを猶予ありぬべし。神は耳目を枯らす。思慮に渉らず。真直に感じ、真直に応ず。これ二つもなく三つもなき、ただ一ツの誠より得たる徳と知るべし。
※ すゝどい - 鋭い。機敏な。
※ 師曠(しこう)- 中国春秋時代の晋の平公に仕えた楽人。
※ 師曠が聡 - 師曠は音を聞き分けて吉凶を知ることが出来たという故事から。
※ 離婁(りろう)- 離朱。中国の古伝説上の人物。黄帝時代の人で、視力にすぐれ、百歩離れた所からでも毛の先まで見ることができたと伝えられる。
※ 離婁が明 -「離朱が明も睫上の塵を視る能わず」いくら目のよい人でも、自分のまつげの上の塵を見ることはできないという格言。
※ 頴悟(えいご)- すぐれて悟りのはやいこと。賢いこと。
※ 真直(しんちょく)- 正しく偽りのないさま。心のまっすぐなさま。

(この項続く)
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岩渕村親類女子常躰奉公願書 - 駿河古文書会会長講義

(散歩道のレンゲソウ)

昨日の駿河古文書会は、年に一度の川崎会長の会長講義であった。膝栗毛などでお馴染みの宿場の「飯盛り女」は各旅籠ごとに二人までは置くことを認められていた。借金などのために売女奉公の契約書は、旧旅籠屋の古文書などから多く見受けられるが、この文書は売女を苦界から救おうとする訴詔の願書で大変珍しいものだという。

しかし、よく読んでいけば、立場々々の思惑が見えて来て、一概に善悪で分けることが出来ない所がある。この訴状は、印も押されて正式のものに思われる。ただ、この文書が地方より出て来たことから、恐らく役所で受理をして貰えなかったのではないかと思われる。役所はこういう問題には口を出さなかったのではなかろうか。

気の毒なのは売女勤めの女である。通常、6、7歳で奉公に出て、16歳で売女勤めとなる。見付宿のある時期の宿場女郎の記録をみると、全体で50人ほどおり、年齢が16歳から25歳の間であった。25歳を越える者がいないのは、年季が明けたというより、ほとんどがそこまで命が持たなかったのではないかと、講師は話した。

   岩渕村親類女子常躰奉公願書
一 岩渕村百姓惣右衛門妹儀、吉原宿三階屋七郎右衛門方に売女勤め居り候に付、岩渕村親類共、恐れながら御訴詔申上げ奉り候は、右惣右衛門流り病にて相果て候に付、富士郡平垣村、祖母聟、新助と申す者方に預け置き申し候処、右新助方より、吉原宿三階屋七郎右衛門方へ、奉公に差出し候由、

然る所、七郎右衛門儀、如何(いかが)相心得候や、売女勤めさせ候段、その意得ず候に付、右七郎右衛門方へ、右の女、相返し候様、相断り申し候所、右女の儀は十弐年の年季にて、売女奉公に買取り申し候様これを申し候間、平垣村新助方へその段相尋ね申し候所、新助申し候様、売女に売り申し候事、毛頭覚えこれ無く、常躰の奉公に差出し、右に付、給金の儀は金壱両を金壱分ずつ四度に請取り申し候。

売女に売渡し候えば、親類一統相談の上、身代金なども相応の金子にも相成るべく候えども、私妻の姪の儀に付、毛頭左様成る心躰これ無く、常躰の奉公に付、親類どもへも相談も不仕らず候段、申し候に付、左候わば、右金子壱両相返し申すべくの間、右女相返しくれ候様、七郎右衛門方へ申入れ候処、

七郎右衛門申し候は、金子は壱両相渡候えども、幼年より召仕い候ニに付、手形の儀は金六両の証文取り置き候間、何分相返し候儀、相成り申さざる段、これを申し候。

依って、新助方相糺し候処、右証文の儀は、印形持参致すべき段、申し来り候故、則ち印形持参いたし候処、七郎右衛門座敷へ持入れ、奥にて印形いたし候。これに依り何へ印形いたし候や、私儀は勝手に罷り有り候事故、一切存じ申さず、右証文読み聞かせ候様申し候えども、その儀なく候由に申し候。これに依り、近所の衆相頼み、七郎右衛門方へ色々断り申し入れ候えども、何分聞き入れ申さず候。

何れ差障りこれ有る女、殊に常躰の奉公に差し遣し候者を、売女にいたし候儀は、その意を得ず候。私、売女と申す儀は一切存じ申さざる処、差障りこれ有る女を、七郎右衛門方にて、勝手に証文相拵え、売女に買い取り候と申す儀、いかがわしく存じ奉り候。

何とぞ御慈悲を以って、差障りこれ有る女の儀に付、七郎右衛門、並び右女ともに御召し出し遊ばされ、早速私どもへ相渡し候様、何とぞ御慈悲の御下知、恐れながら御訴詔願い上げ奉り候、以上。
   丑3月            親類願人
                    武右衛門  ㊞
                   〃
                    六郎右衛門 ㊞
                   〃
                    久左衛門  ㊞
 柴村藤三郎様
   御役所

前書の通り、御訴詔申し上げたき段、申し出候に付、恐れながら御慈悲を以って、御願いの通り、仰せ付けられ下し置かれ候様、願い上げ奉り候、以上。
                 岩渕村
                  名主惣代 十郎右衛門 ㊞
                   〃   弥兵衛   ㊞
                   〃   奥右衛門  ㊞

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