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再びの巨木巡礼 82 郷島浅間神社の大クス


静岡市葵区郷島の浅間神社
クスは右奥に小山の斜面に根を下ろす。

11月27日、四ヶ所目の巨木は、「郷島浅間神社の大クス」である。俵峰から安倍街道に出て南下し、郷島で街道から左へ分れ旧道に入る。「工事中全面通行止」の標識を気にしながら進むと、郷島浅間神社は工事個所のすぐ手前で、細い道を入り、何とか鳥居をくぐった。

 
平成9年5月10日「巨木巡礼」時の「郷島のクス」
 
「巨木巡礼」の時は次のように記している。

静岡から安部川の左岸を遡り、牛妻を通過し郷島に至る。旧道を少し入ると、郷島の浅間神社がある。

根元近くで2つの分かれた幹それぞれが、巨木の要件を十二分に満たしている、存在感たっぷりのクスであった。通路側に伸びた直径1mほどの枝が最近切られたようで、腐食止めの塗料がまだ新しかった。また前面で勇姿のじゃまになっていた、太い針葉樹が根元から切られて、見学者には有り難いような、残念なような気分であった。

「巨木巡礼」の時安部川を遡る順路を記している。
 
郷島のクス(静岡県の巨木153/№107)
 
雑木やひこばえなどが幹を隠して、「巨木巡礼」時の印象は無かった。それどころか、太い幹がほとんど見えない。見学者には残念な状態であった。
 
急な山道を少し登ると、クスの裏側へ出て、二又に分かれた太さが分かる
 
「静岡県の巨木」のデータでは幹周囲13メートル、樹高40メートルの静岡市で最も太い樹木であった。にもかかわらず、無指定となっていて、どうなっているのだろうと思ったが、今は静岡市指定の天然記念物になっている。指定が、平成7年1月23日で、「巨木巡礼」の平成9年5月には、すでに指定されていたことになる。
 
その後、平成12年に設置された案内板では、幹周囲13メートル、樹高43メートル枝張40メートル、樹齢は約1000年となっている。
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再びの巨木巡礼 81 俵峰白髭神社のスギ


沢を渡った茶畑の向うに俵峰白髭神社の鳥居が見える
写真左側、背の高い樹木が俵峰白髭神社のスギ

11月27日、三ヶ所目の巨木は、「俵峰白髭神社のスギ」である。平野から安倍川の左岸をさらに下って、俵沢から左に入り、賤機北小学校を左へ見て山へ登って行く。俵峰の集落に入ると、左の沢の向う茶畑の先に鳥居が見える。神社の周りの道を廻って見たが、車で行く道は見つからなかった。鳥居が見えた所まで戻って、沢に橋があったので、山道(あぜ道)をたどって鳥居のそばまで行った。


俵峰白髭神社
社殿の背後を守るように四本のスギが見えた

「静岡県の巨木」では、俵峰白髭神社に、 

   ① 幹周囲 4.9メートル 樹高 30メートル
   ② 幹周囲 3.9メートル 樹高 25メートル
   ③ 幹周囲 3.7メートル 樹高 20メートル
   ④ 幹周囲 3.7メートル 樹高 20メートル
   ⑤ 幹周囲 3.5メートル 樹高 20メートル

と、五本のスギの巨木が記されているが、四本しか見つからなかった。

本殿に向かって、左手前のスギ
 
 
本殿に向かって左手前のスギが最も太く、最も樹高が高いと思われたが、幹周囲4.9メートルの最大木には太さが足らないような気がする。測ってみようと思うも、足場が悪くて断念した。
 
読書:「恋わずらい 研ぎ師人情始末8」 稲葉稔 著
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再びの巨木巡礼 80 平野白髭神社のスギ


平野白髭神社のスギ

11月27日、有東木から安倍川沿いに下って来て、平野橋に差し掛かると、橋を渡ってすぐ左に、小山の上にスギの巨木らしきものが何本か見えた。立ち寄る予定は無かったが、寄ってみることにした。橋を渡って200mほど行くと、左へ戻るように、人家の間を登る道があって、まっすぐに、平野白髭神社に向い登って行く。

平野白髭神社の鳥居の正面に、右に一本、左に二本、杉の巨木があった。帰宅後、「静岡県の巨木」を確認した所、平野白髭神社には杉の巨木が3本記録されていた。

   ① 幹周囲 3.87メートル 樹高 30メートル
   ② 幹周囲 3.78メートル 樹高 30メートル
   ③ 幹周囲 3.18メートル 樹高 30メートル

日をいっぱいに受ける三本が巨木である
 
念のため、太く見えた向かって右と真中の2本を巻き尺で幹周囲を計測してみた。結果、右が4.2メートル、真中が4.15メートル、それぞれ30年前に、3.87メートル、3.78メートルと記されている巨木であろう。それぞれ30数センチしか、幹回りは増えていない勘定になる。根廻りが人工物に固められて、あまり環境が良くないのかもしれない。
  
 
こちらが幹回り4.2メートル
人を並べると太さが実感できる
 
これも「再びの巨木巡礼」のいっぽんとして数えようと思った。
 
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夜、久し振りの班の常会。来年の役を決める。

読書:「花始末 秋山久蔵御用控 8」 藤井邦夫 著
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再びの巨木巡礼 79 有東木白髭神社のスギ群


有東木白髭神社のスギの内、最大木と思われる

 
朝から、17回目の「再びの巨木巡礼」に女房と出かけた。最初に向かったのは、安倍川流域の静岡市葵区有東木である。新東名の新静岡ICで降りて安倍川に沿って遡り、有東木の集落に登っていく。集落の中央、食事処「うつろぎ」から見ると、谷の向いに、高い杉の樹叢が見える。谷川を少し遡り、小さな橋を渡って、対岸を少し進むと駐車場がある。そこからは、有東木の集落が一望に出来る。

右手の山に有東木白髭神社があるが、参道と境内に巨大な杉が林立していて、圧倒される。

「静岡県の巨木」によれば、有東木白髭神社には幹周囲4メートルを越す杉の巨木が10本記録されている。

   ① 幹周囲 6.7メートル 樹高 35メートル
   ② 幹周囲 6.6メートル 樹高 35メートル
   ③ 幹周囲 6.0メートル 樹高 35メートル
   ④ 幹周囲 5.7メートル 樹高 35メートル
   ⑤ 幹周囲 5.6メートル 樹高 35メートル
   ⑥ 幹周囲 5.2メートル 樹高 35メートル
   ⑦ 幹周囲 5.2メートル 樹高 32メートル
   ⑧ 幹周囲 5.0メートル 樹高 35メートル
   ⑨ 幹周囲 4.3メートル 樹高 30メートル
   ⑩ 幹周囲 4.2メートル 樹高 30メートル

の10本である。


本殿左側に3本

真中の一本だけ幹周囲を測ってみたら、6.1メートルあった。①~⑩のどのスギに当るのだろう。


本殿右側に2本

 


本殿から下、参道の右側に4本。内一本は鳥居より下、神社入口にある


境内左下隅に1本、これだけは日光を燦々と受けている

案内板によると、

白髭神社の大スギ群は、白髭神社の境内地に生える生育良好な十本のスギから成り立っている。大スギ群の中の最も太いものは、静岡市内で知られているスギの中でも最大級の大きさであり、静岡市を代表する樹木といえる。さらに、同規模のスギが十本生えている神社の社も大変珍しい。

大正時代の地誌によると、有東木の歴史は500年と記されており、大スギ群の推定樹齢は同地区の歴史に匹敵すると考えられる。白髭神社からは集落を一望でき、大スギ群は有東木の歴史を見守ってきたといえよう。

「有東木白髭神社の大スギ群」として、R2年9月1日、静岡市天然記念物にしてされた。推定樹齢は約500年、幹周は4.3m~6.6m、樹高は48mと記されていた。指定時の大きさだと思うが、どれが最大木なのか、標示が欲しいところである。

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読書:「詫び状 知らぬが半兵衛手控帖 14」 藤井邦夫 著

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「雲渓庵日記」の解読 64


今年最後の干柿

今年は渋柿が手に入らなくて、これが最後の干柿になる。小振りでよい干柿にはなりそうにない。

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「雲渓庵日記」の解読を続ける。11月12日の続き。

御藩債高、凡そ弐拾万千弐百五十両余の内、一ヶ年御下ヶ金

 一 金壱万四千九拾六両余
  御藩高弐拾壱万七拾六石弐斗五合六勺七才
     内
  高弐万千七石六斗弐升五勺七才      後 士族・卒、世扶持の分
    この藩債割合、金千四百九両弐分永百文
  高拾万四千弐百九拾九石弐斗       前 御家禄の分
    同断、六千九百九拾八両壱分永百七拾文

  高八万四千七百六拾九石三斗八升五合壱勺 公庁御入用の分
    同断、五千三百八拾七両三分永弐百三拾文   

    扶持割合
一 拾人扶持取     壱ヶ年   金壱両壱分
一 八人扶持取     〃     〃三分三朱
一 七人扶持取     〃     〃三分壱朱
一 六人扶持取     〃     〃弐分三朱
一 五人扶持取     〃     〃弐分壱朱
一 四人扶持取     〃     〃壱分三朱
一 三人扶持取     〃     〃壱分壱朱

    六月廿五日
免本官     参議        大久保利通
        〃         木戸孝允
        〃         大隈重信
        〃         佐々木高行
        〃         斎藤利行
免本官并兼官  神祇伯兼宣教長官  中山忠能
免本官     神祇大副      近藤忠房
免本官并兼官  神祇少副兼宣教判官 福羽美静
免本官     民部大輔      大木喬任
免本官并兼官  大蔵大輔兼送策頭  井上馨
免本官     兵部卿       熾仁親王
        同少輔       山縣有朋★ (★は誤記に付、正しく直す)
        刑部少輔      宍戸璣★
        宮内卿       万里小路博房
        同大輔       烏丸光徳
        弾正尹       九条道孝★ 
任参議               従三位木戸孝允
任参議正三位  鹿児島藩大参事   西郷隆盛

    六月廿九日
着神祇伯宣教長官          右大臣三條実美
麝香間祗候、仰せ付けられ候事    従一位中山忠能
任民部少輔             従五位井上馨

(「雲渓庵日記」の解読つづく)

読書:「平蔵の母」 逢坂剛 著

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再びの巨木巡礼 78 横内白髭神社のクス

藤枝市横内 白髭神社/鳥居と本殿の間、奥に御神木の楠が見える

11月21日、6本目の巨木は、帰路、藤枝市で洩れていた横内の白髭神社のクスを見に立ち寄った。静岡方面から、藤枝バイパス内谷インターを降り、国一を左折すると、間もなく左手に白髭神社の社叢が見えてくる。
 
白髭神社は案内石碑によると、開創は文禄三年(1594)、戦国時代豊臣秀吉家臣池田孫二郎輝利が中心となって、朝比奈川を改修し、横内を興し、故郷の近江國滋賀郡内下村の白髭神社より、御祭神を勧請して祭ったという。御祭神は、猿田彦命、天鈿女命、天忍日命の三神。
 
 
白髭神社のクス
 
本殿左に、御神木として、「白髭神社のクス」が立つ。
 
 
これも案内石碑によると、御神木に指定された平成13年に、目通り4.5メートル、樹高35メートル、枝張り23メートルとあった。「静岡県の巨木」では、幹周囲4メートル、樹高23メートルとある。そこで、巻き尺で測ってみると、幹周囲が5.1メートルあった。クスノキは年々確実に太くなって、巨木になっていくものだと、改めて感じた。
 
以上で、16回目の巨木巡礼を終えて、帰路についた。
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再びの巨木巡礼 77 小坂熊野神社のイチョウ

静岡市駿河区小坂 小坂熊野神社
 
11月21日、5本目の巨木は、小坂熊野神社のイチョウである。
 
平成9年4月27日「巨木巡礼」時の「小坂熊野神社のイチョウ」
 
最初に24年前の「巨木巡礼」で訪れた時の記録を見てみよう。
 
静岡から国道150号線バイパスを焼津へ向かって走り、トンネルに入る少し手前で北へ降りて、山間に入ったところに小坂の熊野神社がある。イチョウは石段を数段登った神社参道脇にあった。
 
東側からみると、幹中央に口を開けた洞(右写真)がムンクの叫びの口そっくりに見えた。『すぐ側まで、交通量の多いバイパスに迫られた、巨木の叫びを聞くようであった』と書くと作文し過ぎである。裏へまわると、幹や枝から乳垂れが下がって(左写真)、幽霊でも見るようであった。いずれにしても、昼間でもあまり陽が差さない陰気な場所であった。

 かたわらに祠があり、『鴨脚天神社』と木柱に表示され、『鴨脚』に『いちょう』と振り仮名があった。『銀杏』や『公孫樹』はよく見るが、『鴨脚』ははじめてであった。広辞苑によると『鴨脚樹』で『いちょう』と読む。葉の形は確かに鴨の足に似ていないこともない。
 
30年前のデーターで、幹周囲5.7メートル、枝張り東西11.4メートル、南北19.9メートル、樹高20メートル、静岡市指定の天然記念物であった。現在は倒失したものとして、指定は外れている。
 
 
小坂熊野神社のイチョウ(静岡県の巨木153/№3)倒失
 
「巨木巡礼」の順路をたどって、小坂熊野神社に至る。参道に上がってすぐ左手に、「小坂熊野神社のイチョウ」は主幹の根元から折れて倒れていた。よく見ると倒れた幹から小枝が伸びて葉っぱを付けていたから、根元が一部根に繋がっているのかもしれない。
 
参道に戻ると、おじさんが一人、参道を箒で掃いていた。イチョウが倒れたことを聞くと、何年か前に台風で倒れてしまった。それでも何とか生かそうと、土を掛けてやったりしているのだが、と話す。
 
倒れたイチョウを反対側(北側)から見る
 
本殿に参拝してから、もう一度北側から倒れたイチョウを見た。幹の先が倒れているあたりに、十数本ものひこばえが、倒れたイチョウを隠すように、林立していた。ひこばえに透けて、一本のイチョウの木が立っているのが見えた。倒れたイチョウが雌木で、そばに立っているイチョウが雄木だと、先程のおじさんから聞いた。その雄木なのだろう。林立するひこばえは、雄木の根から生えたものだろう。
 
帰りがけに、「ムンクの叫び」イチョウの、断末魔の叫びが聞こえたような気がした。すぐそばの高架を通る、国道150号線バイパスの、車のきしみ音だったのかもしれない。
 
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日曜日に購入した渋柿は、結局67個渋柿に加工した。20個余りは熟しすぎて干柿には向かないので、別の方法で渋抜きをしていただくことにする。
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再びの巨木巡礼 76 草薙神社の大クス

静岡市清水区草薙 草薙神社正面

草薙神社の大クス

11月21日、車で小鹿神明社に向かっている途中、草薙神社の標識を目にして、草薙神社に大クスのあることを思い出した。見に行った記憶があった。小鹿神明社の巡礼の後、草薙神社に引き返した。

 
平成11年5月29日「巨木巡礼」時のクス
 
帰宅後、調べてみると、静岡県の巨木153本には入っていなかったが、番外として「巨木巡礼」で訪れていた。以下その記録である。
 
草薙駅から南へまっすぐ日本平に登る道を1.5kmほど進むと道路左に草薙神社の森がある。草薙神社の参道左手にこのクスノキがある。巨木と言ってもこれはもう木としては壊れてしまっている。根か樹皮か何だかめちゃくちゃといったところ。だから幹周囲20m余といってもほとんど計測不能なのだろう。しかしまだ枯れているわけではない。何本かの細い支幹が生き延びている。ところでじっくりとこの写真を見てもらいたい。龍の頭部を背後から見た形に見えないだろうか。別の角度から見てもその印象が変わらない。草薙神社は『龍勢』で有名。このクスノキは『龍勢』の龍かもしれない。
 
『龍勢』については説明板があった。「戦国時代の天文十二年(西暦1543年)初めて火縄銃と黒色火薬が伝来したのち、城攻め用の『火矢』から転じて『のろし』が考案された。『昼のろし』(龍勢)は煙や布きれ又は旗などを漂わせて『夜のろし』(流星)は光で合図しあうものであった。駿府城と久能東照宮の守りとして、この技法が当地に口秘伝のまま受け継がれきて、更に工夫改良され、安政年間からは日本武尊を祭神とする草薙神社の秋季大祭日(九月二十日)に打ち上げが行われ現代に伝わっています。」
 
 
 
昭和37年9月17日、静岡市指定天然記念物であるが、名前が「大樟」とあるだけで、この巨木の特徴を何も示しておらず、つまらない。たとえば「龍勢のクス」と命名してはどうだろうか。「巨木巡礼」時に感じたことの延長であるが、一年に一度のお祭りで天に登る時を待って、ここで控えている「龍勢」である。必ずや、明日の飛躍を願う人々が、「龍勢のクス」をパワースポットとして、訪れるようになるに違いない。
 
御神木の案内板によると、周囲20メートル余、樹高6メートル余、樹齢1000年以上、この大楠は樹心は朽ちて外皮を残すのみといえども、今なお枝葉は繁茂し、御神木の威厳を保っている、とある。
 
草薙神社御朱印
 
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朝から、吉田町の若い古本屋T君(無店舗)宅を訪れた。コロナで中々訪れることを遠慮していたのだが、治まって来て、今回の来訪になった。お借りしていた古文書を返却し、新たに色々興味深い古文書のコピーを頂き、また写真に撮らせて頂いた。お話をするうちに、たちまち2時間が経過し、お昼になったので帰宅した。
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再びの巨木巡礼 75 小鹿神明社のカゴノキと「たそがれの楠兵衛」

小鹿神明社右手裏の社叢(最も右に、白い幹が見えているのがカゴノキ)

 
小鹿神明社のカゴノキ

小鹿神明社にまだいる。11月21日、二本目の巨木は、「小鹿神明社のカゴノキ」である。神明社の右裏手に廻ると、白っぽい幹のカゴノキがある。「静岡県の巨木」によれば、幹回り3.1メートル、樹高20メートルとある。30年前の記録だから、現在どうなのか、巻き尺で測ってみた所、3.4メートルであった。

カゴノキ(鹿子の木)は、ネットで調べると、高さ10~15メートル、直径30~40センチほどのクスノキ科の常緑中高木で、大きいものは高さ20メートル、直径1メートル以上になることがある。樹皮が円い薄片状にはげ落ち、古い黒褐色の部分と新しい淡黄白色の部分が、鹿の子まだらをなすので鹿子の木の和名がある、という。

「たそがれ楠兵衛」

「静岡県の巨木」によると、小鹿神明社の巨木として、もう一本記録されている。神社正面の右、道路脇にあるクスノキである。30年前、幹回り4.3メートル、樹高20メートルあったクスノキである。ところが、今では8メートルほどの所で主幹が失われて、枝一本で生きているという姿で、幹も心なしかやせ細っているように見えた。大クスがあまりにも立派に見えたので、それと比較して、このクスに「たそがれ楠兵衛」とニックネームを付けた。

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午前中、女房とS医院へ行く。2ヶ月に一回の定期受診である。今日は珍しく混んでいた。その事に触れると、インフルエンザの流行も無く、この所、ゆったりと診察できていたが、何か、急に混み合ってきたという。インフルエンザの予防注射も始まったことにもよるが、このところ普通の風邪の患者が増えた。これまで医者を敬遠していた人たちが、コロナが治まって、来るようになったのだろうと。夫婦して血を取られて帰った。

読書:「おしどり夫婦 研ぎ師人情始末7」 稲葉稔 著

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再びの巨木巡礼 74 小鹿神明社の大クス

静岡市小鹿 伊勢神明社
右手前のクスが、小鹿神明社の大クス
 
今年は柿が不作のようで、渋柿が中々手に入らない。昔、買った事のある、静岡市追分の青果店に、一昨日、駿河古文書会のついでに寄って見たが無かった。店主は明日市場で手に入れば購入して来るという。それなら5000円ほどと頼む。昨日、朝四時に起きて市場に行って、何とか手に入れたというので、今日、女房と静岡まで出かけた。せっかく来たから、帰りに何本か「巨木巡礼」をした。
 
最初に寄ったのは、小鹿の伊勢神明社である。カーナビ頼りで神明社に向かったが、順路は「巨木巡礼」時と同じである。
 
 
平成9年4月27日「巨木巡礼」時の小鹿神明社の大クス
 
クスノキの巨大さに圧倒されて、こんなクスは初めてのように思ったが、ちゃんと「巨木巡礼」で訪れていた。「巨木巡礼」には、次のように記している。
 
久能街道から北へ大谷街道を上り、東名高速道路をくぐって少し行った先に神明社の杜がある。社殿右に静岡県でも有数の太さの『小鹿神明社の大クス』がある。社伝によれば元亀・天正の頃、400年前にはすでに大木で、神木とされていたというから、樹齢は1千数百年になるという。樹勢はすばらしく境内を覆わんばかりである。
 
小鹿神明社の大クス(静岡県の巨木153/№103)
 
境内に誰もいないから、女房と声を上げて話していたが、気付くと拝殿では何やら神事が行われていた。急いで小声にしたが、神事の邪魔にならなかったかと、少し心配になった。(失礼しました)
 
裏側から
 
「静岡県の巨木」のデーターでは、幹周囲11.4メートル、樹高28メートルとある。伝承による、樹齢1千数百年は少し盛り過ぎで、洞も見えず、まだまだ若々しく勢いがあるので、樹齢は700年から800年といったところであろう。幹周を測り直せば、12~13メートルはあるだろうから、静岡市で一、二を争うクスノキの巨木であることは間違いない。昭和52年3月18日、静岡県指定の天然記念物である。
 
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夜、11月の班長会に出席した。区長も残りの任期が四ヶ月となった。
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