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道聴塗説 その二 5

(春一番で落ちた甘夏の実)

昨夜、当地では春一番が吹いた。朝起きてみると、甘夏の実がたくさん落ちていて、驚かされた。こんなにたくさん落ちるのは初めての気がする。収穫にはまだ早いが、大きいものはもう甘くなっていて食べられそうだ。

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「道聴塗説 その二」の解読を続ける。今日で「その二」を読み終える。

また心外の仏は妄想虚見といえども、韋提夫人は三尊を拝見して、無生法忍を得たり。或は三尊は三心の影と見るときは、行者の息の外に非ずといえども、三心、即ち、清浄、歓喜、智恵の三光の加持(所持)する処なれば、三尊を離れて行者の三心も無し。これ能所相応じて自他不二の妙感、妙応なれば、無生忍を證得すべし。
※ 無生法忍(むしょうぼうにん)- 一切のものは不生不滅であることを認めること。
※ 三心(さんじん)- 観無量寿経に説かれる、往生する者が具えなければならない三つの心。至誠心・深心・廻向発願心の総称。
※ 能所(のうじょ)- ある行為をなす行為者を能といい、その行為がなされる目的または対象を所という。
※ 自他不二(じたふに)- 絶対的な平等のこと。自身と他人には区別などなく、自身を救うことと他人を救うことは同じことであるという仏教の言葉。
※ 無生忍(むしょうにん)- 生じることも滅することもないという真理を認識すること。


観経に曰う、「諸仏如来はこれ法界身なり。一切衆生の心想の中に入り給う。これ故に、汝ら心に仏を想う時、この心、即ちこれ三十二相、八十隨形好なり。この心、仏と作(な)し、この心これ仏、諸仏の正偏知海心想生ずるに従う」と。
※ 法界身(ほっかいしん)- 法身。仏陀は真理そのものであるとして、真理を仏陀の身体であるとする考え。
※ 三十二相(そう)、八十隨形好(ずいぎょうこう)- 仏の身体に備わっている特徴。見てすぐに分かる三十二相と、微細な特徴である八十隨形好。「相好を崩す」の「相好」はこれより出る。
※ 諸仏の正偏知海(しょうへんちかい)- 真理を正しくさとったさまざまな仏たちの意。
※ 心想(しんそう)- 心に想うこと。


これ衆生の心想は事識の麁念なれども、如来の法界身を加持し給う故に、この麁念の心に念仏すれば、即ち三十二相等を具足し、当念に作仏す。かの韋提の無生は、この旨を示し給う。みな他力の不思議なり。
※ 麁念(そねん)- 粗雑な思い。
※ 無生(むしょう)- 生じたり変化したりする迷いを超えた絶対の真理、または悟り。


これ故に、経に、「汝はこれ凡夫、心想羸劣、未だ天の眼を得ざれば、遠く観ること能わず。諸仏如来に異の方便有り。汝をして見ることを得せしむ」と、説き給う。
※ 心想羸劣(しんそうるいれつ)- 心が弱く劣っていること。

この文は韋提を称(たた)わしめ、首として未来悪世の、罪障の凡夫麁念にして、見仏する手本とし給う。これ他力冥加の験(あかし)なり。
※ 見仏(けんぶつ)- 仏の姿や光、あるいは浄土のさまを、目のあたりに見ること。

これ故に経に「先に説く所の如きは、無量寿仏身量無辺なり。これ凡夫心力の及ぶ所に非ず。然るに、彼の如来宿願力の故に、憶想する有る者は、必ず成熟することを得る」とある、これなり。
※ 無量寿仏(むりょうじゅぶつ)- 阿弥陀仏の異称。
※ 身量無辺(しんりょうむへん)-「身量」は、身長、身の丈。「無辺」は、広々として果てしないこと。
※ 宿願力(しゅくがんりき)- 阿弥陀仏が法蔵菩薩といわれた因位のときに、衆生救済の ためにおこした本願の力。


読書:「山怪 弐 山人が語る不思議な話」田中康弘著
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