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「富士日記」 19 (旧)七月廿五日(つづき)~廿七日、廿八日

(大代川のダイサギ)

図書館で調べもの、午前中は掛川図書館、午後は金谷図書館に行く。夜、サッカー、日本代表ワールドカップロシア大会の出場を決める。若い人たちが活躍し、2-0でオーストラリアを破った。大きく世代交代が進んでいる。

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「富士日記」の解読を続ける。

夜に入りて、倫丈大徳、正章など、喜びに詣で来て、夜更くるまで物語りし、詠み置きし歌ども、墨加えてよとて、置きて帰れり。
※ 大徳(だいとこ)- 僧侶。法師。

廿五日より廿七日までは、こゝかしこに行き交い、或は短冊(たにざく)を書き、古今集の中の、覚束なき所々を尋ねられつゝ、日を暮らし、夜更くるまで、物語りせる序でに、この国の賤山がつの、臼挽き(うすひき)、或は田植うる折りなどに、唄える歌とて、語れるが、古しえ覚えて、おかしければ、ここに記しつ。
※ 賤山がつ(しずやまがつ)- 身分の低い者。山里に住む者。

 麦搗き歌
  色よきおな(女)の薄化粧、花ならば散り
  ても咲かせたいもの。
  西殿と、東殿と、あい(間)の垣根の、からもも
  紅のまゆを開いて、これへ落ちよからもも
※ からもも(杏)- アンズの古名。
  
 田植え歌
  今日の田の太郎殿は、朝日差すまで通うた、
  朝日は差さば差せ、お帳台は暗かれ。
  君が田と吾が田は並び、畦(あぜ)並び、吾が田へ掛か
  れ、君が田の水。
※ 帳台(ちょうだい)- 平安時代に貴人の座所や寝所として屋内に置かれた調度のこと。

廿八日朝、とく吉田を立ちて、甲府に赴く。里離れまで、これかれ送りす。富士を左に見つゝ、川口の駅に近くなれるわたり、広き野に大きなる石の、焼けたりと見ゆるが、いと多かり。
(原注 川口駅、延喜式に見えたるは、八代郡なるが、近頃、都留郡に属せりとぞ。)

こは、三代実録、清和天皇、貞観六年六月十七日、甲斐国言(もう)す。富士大山、忽(こつ/突然)、暴火有り。崗巒を焼砕し、草木を焦熱し、土礫し、石流る。八代郡本栖並び剗(せ)水海(みずうみ)を埋める、云々、と歌えし所に、川口の海も見ゆれば、その折り焼たりし石なるべしと思えば、見所なきものの、目留る心地す。
※ 三代実録(さんだいじつろく)- 平安時代の歴史書。清和・陽成・光孝天皇の三代三十年間を編年体で叙述。
※ 貞観(じょうがん)六年 - 西暦864年。この年、富士山が大噴火する。いわゆる貞観大噴火。
※ 崗巒(こうらん)- 岡々山々。
※ 剗(せ)- 剗の海。9世紀半ばまで、富士山北麓にあった湖。
(原注 日本紀略に云う、承平七年十一月某日、甲斐国言(もう)す。駿河国富士山神火、水海を埋める。)
※ 承平七年(れい)- 西暦937年。


読書:「むーさんの自転車」ねじめ正一 著
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「富士日記」 18 (旧)七月廿五日(つづき)

(散歩道のオシロイバナ)

夕方、雷が鳴って一雨あった。オシロイバナが斑なのは白花と赤花が自然交配したのだろうと思う。

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「富士日記」の解読を続ける。

かくて朝の餉(かれいい)とて、怪しき粥様のもの調じ出したるを、いさゝか食(たう)べて、人々は高嶺に登り、我輩三人は、二王の前に捧げし様なる藁沓を、上に履き添えて、左の方へ横様に折れて、五合目までは須走(すばしり)とて、歩(あり)くともなく、たゞ滑りに滑り下りて、砂払いと云う所にて、かの大藁沓は脱ぎ捨て、また左の方へ十七、八町行けば、小御嶽の御社なり。

このわたりは、昨日言いし如く、いと木深く繁りて、木陰には、さくなげ(石楠花)のいと大きなるも見ゆ。またはまなしとて、葉の形は槻(けやき)の如く、身はいと赤くて、南天燭の如き、小さき木あり。こは先々、国仲より、実を塩に漬けて、贈れりしものにて、見知りたれば、取りて食うに、まだしければにや、味わい酸(す)し。一本(ひともと)根こじて持たせたれど、生い着かんことは、いと覚束なし。
(原注 倭名抄に云う 本草に云う 石楠草。和名、止比良乃木(とびらのき)。俗に云う、佐久奈無佐。はまなし、或人云う、寿庭木か)
※ 南天燭(なんてんしょく)- 植物ナンテンの漢名。
※ まだし(未だし)- まだその時期になっていない。時期尚早だ。
※ 根こじて(ねこじて)- 根を掘って。


さて御社に詣でて、もとの道を五合目まで出て、こゝかしこに、腰打ち掛けて憩いつゝ、鈴原まで下れる頃は、午の時ばかりなり。そこにこわいい(強飯)ありと云えば、いさゝか食(たう)べて、帰さの野路、名にし負う裾野なり。

昨日も通りし道なれど、たゞ向かい向かえる。高嶺をのみ、仰ぎ見つゝ上りたりしげにや、目留らざりしが、今日は徒歩なれば、心のまゝに分け行くに、女郎花(おみなえし)、桔梗(きちこう/ききょう)、吾亦紅(われもこう)などを始めて、知る知らぬ千草(ちぐさ)の花咲き乱れたり。

   時知らぬ 高嶺の雪に 逢えませば
        千草も永久
(とわ)に 匂うべらなり
※ べらなり - …するようだ。…そうに思われる。

と思い続けて、吾れも手折(たお)り、人にも折らせて、午の半ばばかり、吉田の里に帰り入りたれば、國仲出でゝ坂迎えにとて、破子(わりご)様のもの調じたるを、いま少し過(すご)して、麓まで迎え参らせんと、設けたるを、こよなき早さかなと言いて、
※ 坂迎え(れい)- 境迎えとも。郷里に帰ってくる人を村境まで出迎えること。また、そこで酒宴をすること。
※ 破子(わりご)- 破籠とも書く。弁当箱の一種。ヒノキなどの白木を折り箱のようにつくり、中に仕切りをつけ、飯とおかずを盛って、ほぼ同じ形のふたをして携行した。


   磨きなす 君が心の 先見えて
        四方
(よも)に隈なく 仰ぐ富士の嶺
※ 四方(よも)- 東西南北の四つの方角。周囲。

と言えりければ、

   富士の嶺に 如何で登らん 羽山津見(はやまづみ)
        志藝山津見(しぎやまづみ)の 恵み掛けずば
(原注 古事記に云う、迦具土神を殺した所、(中略)左手に成る所、神名、志藝山
津見神、次いで、右手に成る所、神名、羽山津見神。)
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「富士日記」 17 (旧)七月廿四日(つづき)、廿五日

(散歩道のニラの花)

早朝、北朝鮮のミサイル発射に驚かされて、一日、悪い寝起きの気分であった。

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「富士日記」の解読を続ける。

やゝ子の刻(とき)も過ぎぬらむと思う頃、ゆばり(尿)せまほしければ、供の男(おのこ)を起して、室の戸を明けさせて、やおら出て空を見れば、星の光、きら/\として、東の方は月白覚えて、海の果てなるべし。横ざまに棚引きたる雲間より、光ほのめげば、手洗いて出るを待つ。
※ 子の刻(ねのとき)- 午前0時ごろ。
※ ゆばり(尿)- 小便。
※ 月白(つきしろ)- 月の出ようとするとき、東の空が白んで明るく見えること。月代。
(原注 悦目抄 ろかい多て 水門も知らぬ 夕闇に 舟漕ぎ出だせ 夜半(よわ)の月白
※ ろかい(櫓櫂)- 舟の櫓と櫂。
※ 覚える(おぼえる)- 思われる。
※ ほのめく(仄めく)- かすかに見える。ちらっと見える。


法師たちも宵に契り置きたれば、驚かするに、とく目覚まして、同じく蹲(うずくま)り居て待つ。かの行者も出でて、何やらむ、いと高らかに唱えて、ずゞ(数珠)押し揉み居たるは、少し姦(かしま)しき心地す。室の外、三、四尺ばかりは平らかにて、下は這い登りし山路なれば、いと危うし。とばかりありて、差し出でたり。
※ 驚かす(おどろかす)- 目をさまさせる。起こす。
※ とばかり - ちょっとの間。しばらくの間。


   二十(はたち)ばかり 重ね上げたる 山の上に
        廿日余りの 月を見るかな

(原注 伊勢物語 その山(富士)は、ここに例えば、日枝の山を二十(はたち)ばかり 重ね上げたらんほどして、云々)

また日の出を見んとて、しばし枕をとる。

廿五日、夜べのごと、光ほのめけば、例の室の外に出でたるに、見ゆる限りの、国々の野も山も、見下せば、押し並べて、陸(くが)地と見ゆるに、雲はこの山の帯の如く、幾重ともなく、綿を打ち散らしたらんように見ゆ。
(原注 白楽天詩 白雲帯に似て山腰に繞(めぐ)り 青苔衣の如く岩肩に掛る)
※ 山腰(さんよう)- 山の中腹と麓との間。
※ 青苔(せいたい)- 緑色のコケ。あおごけ。


さて東南の海面(うみづら)いとなく晴れたるに、八重の塩路の、汐の八百合に、浪を離るゝ日の御影、さらに言葉も及び難し。近頃、肥後の玉山と聞こえし博士の記に、つばらに載せたり。開き見るべし。
※ いとなく(暇無く)- 絶え間がない。
※ 八重の塩路(やえのしおじ)- はるかに遠い海路。非常に長い海路。
※ 百合(ゆり)- 襲かさねの色目の名。表は赤、裏は朽葉くちば色。夏用いる。
※ つばらに(委曲に)- くわしく。詳細に。


   富士の嶺に 振りさけ見れば 青海原
        豊栄登る 天つ日の影

※ 振りさけ見れば(ふりさけみれば)- 遠くを眺めれば。
※ 豊栄登る(とよさかのぼる)- 朝日が美しく輝いてのぼる。
※ 天つ(あまつ)- 天の。天にある。天上界に所属する。
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「富士日記」 16 (旧)七月廿四日(つづき)

(散歩道にススキが穂を出した)

ススキが穂を出し始めて、秋が確実に近づいていることを知る。気が付けば8月も残す所3日となった。頼まれている「紙魚」の原稿は、なかなかはかどらない。明日は図書館で調べものをして来ようと思う。

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「富士日記」の解読を続ける。

暮れ果てなば、かの岩角いとゞ恐(かしこ)からんとて、宿りと定めし八合目の石室(いわむろ)に、辛うじて下り着きぬ。この山の有る様、五合目までは、仮初めの板屋なるが、六合目より頂きまでは、大きなる巌を盾(たて)に取りて、三方をも岩もて囲みたるが、二間に七間ばかりなる中に、土の上に板を並べ、莚(むしろ)を敷き、炭櫃(すびつ)を構え、雪の氷りたるを、桶の上に置きて、その滴りを持て、茶をも煮、飯をも炊(かし)ぐなりけり。
※ 仮初めの(かりそめの)- ちょっとした。一時的な。
※ 炭櫃(すびつ)- いろり。


打ち聞きは、氷室めきて、清らなるようなれば、雪は黒き土の中より掘り出だせしまゝなれば、砂も混じり、灰汁(あく)もありて、濁れるさま、湛(たた)え置きたる雨水よりも、いま少しむさし。元より、さる石室(いわむろ)の中なれば、誠に飢えを助くるのみなり。
(原注 東鑑に云う、炎暑の節は召し寄せ、富士山の雪、備えとして珍しき物。)
※ むさい - 汚らしい。


六月朔日より山を開きて、七月廿五、六日までにて、人も登らず、岩屋も岩戸を固めて、降り侍りぬなり。されど、この頃となりては、例の年は登る人もなけれど、今年は暑き年なれば、かく人も侍ると主(あるじ)語れり。
※ 例の年(れいのとし)- いつもの年。例年。

今宵、この室に宿れる人、法師四人、行者一人、これかれすべて十人ばかりなり。山づみの御心、和(なご)み給えるげにや。いさゝか風もなし。
※ 山づみ(やまづみ)- 大山祇神(おおやまづみのみこと)。「大いなる山の神」という意味。

夜更くるまゝに、霜月(旧暦11月)ばかりのように、冷やゝかなるに、蚤(のみ)てふ(という)虫のいと多く、さらでもこの山の上に、かく居ぬることよと思い続くれば、目も合わぬを、人はさも思いおらぬにや、こう/\と鼾(いびき)高くして、味寝(うまい)せるさまに、いとゞ心澄みて、寂しきこと、たゞ思い遣るべし。
※ 目も合わぬ(めもあわぬ)- 眠れない。
※ 味寝(うまい)- 気持ちよく熟睡すること。
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「富士日記」 15 (旧)七月廿四日(つづき)

(挿絵 富士山絶頂図)

午前中、町の防災訓練。暑くて、途中で帰宅した。

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「富士日記」の解読を続ける。

(めぐ)りは一里ばかりありて、釈迦の割石、賽の川原など云う処々有りて、巡り拝むなり。廻り給いなんやと、案内(あない)の人言えど、打ち聞きも、ゆかしからぬ上、その所々も、大方見渡さるれば、そこは巡らで、右の方に原の如き所有るに、いさゝか下りて見れば、これなん御山水なりと云えり。
※ ゆかしからぬ(床しからぬ)- 心が引かれない。
※ 御山水(おさんすい)- 現、「金明水」と呼ばれる。外に「銀明水」が、静岡県側にある。


小さき井なれど、如何なる日照りにも涸れずとぞ。うべ(諾)、今年の夏だに涸れせねば怪しき水なりけり。いま二つ、同じ様なる井有れど、そこは水が無く、雪いさゝか消え残りたり。思うに山水(さんすい)を三水と、僻心(ひがごころ)えせし人の、掘添えしなるべし。
※ うべ(諾)- なるほど。もっともなことに。
※ 僻心(ひがごころ)- 間違った考え。考え違い。


その辺りの石も、焼けたらんと見ゆるが、多きが中に、紫、赤、白などの混じれるを、山祇(やまづみ)に乞い奉(まつ)りて、家苞にもし、かつ後の忘れ形見にもとて、いさゝか拾いて、
(原注 古事記に云う、次に生れし山神の名、大山津見神。)
※ 大山津見神(おおやまつみのかみ)- 山をつかさどる神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子。大山祇命(おおやまつみのみこと)。
※ 家苞(いえづと)- わが家に持ち帰るみやげもの。
※ 忘れ形見(わすれがたみ)- 忘れないように残しておく記念の品。


元の頂きに登りたる頃は、日も西に傾(かたぶ)き、分け登りし方は暮れたれば、山の形、はるかなる海面掛けて映ろいたり。朝日には、また、西に映ろうとぞ。箱根、足柄山なども、ただこの麓の如く、見下ろさるれば、ましてその外の山々は、ただ大地(おおち/だいち)と一つに見えたり。また雲立ち上れば、雨や降らんと、急ぐに麓より昇れる雲は、いさゝかも恐(かしこ)きことなし。この中窪より雲も立ち、風も吹き出だせば、必ずあるゝとなん、烟は絶えて無しやと問えば、今も時にふれて、立ち昇れるを、里人は見侍るとぞ。
※ 中窪(なかくぼ)- 富士山中腹の宝永山の火口のことか? 宝永大噴火は宝永4年(1707)で、この富士登山は寛政二年(1790)だから、83年前のことである。


読書:「悩むなら、旅に出よ。 旅だから出逢えた言葉Ⅱ」伊集院静 著
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「富士日記」 14 (旧)七月廿四日(つづき)

(散歩道の風に波打つ青田)

夕方、やや涼しい風が吹いて、青田が波立つ。海の波と違って、風の通り道がもろに靡く。つまり、この波のエネルギーは決して先へ伝わることはないのだ。これはちょっとした発見であった。

今夜は大井川の花火大会。予定された日が大雨で先へ伸びた結果である。我が家からは農協の建物があって花火は見えない。だから音だけを聞きながら、テレビの大曲の花火大会の実況画面を見ていた。横着な花火見物である。

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「富士日記」の解読を続ける。

大方、一合毎に憩いて、汗おし(のご)て、黒き色したる茶を、怪しき器(うつわ)して、飲みて登るに、後より潮の涌くごとくに、雲立ち登りて、見るが中に、高嶺を指して登れりければ、及ばざりけり。雲は馬頭より生ずとか、唐人(もろこしびと)の言いたるもさることながら、そは馬も通いたらめ、この山は鳥だに見え渡らず。雲もかく遥かなる、梺の方より競い登れゝば、掛かる類いは、また有らじとぞ覚ゆる。
※ 拭う(のごう)- ぬぐう。
(原注 李白詩、山は人面より起き、雲は馬頭に傍(そ)うて生ず。)


六、七合辺り、かま石、烏帽子(えぼうし)岩など云う所々は、草も木もすべてなく、焼けたりと思しき物から、紫、或は黒色したる砂(いさご)の、角立ちたるを、辛うじて攀(よ)じつゝ、未の時(午後2時頃)ばかり、八合目の石室に着く。

大方はこゝを泊りとして、明日つとめて(早朝)、頂きには登れることゝしたれど、思いの外、日も高ければ、如何にと、強力に問えば、うべ(諾)、今より宿らんは不要(ふよう/無益)なり。然(しか)(おぼ)さば、疾くこそ、など言えば、暫し憩いて登るに、九合より上の険(さが)しさは、誠に譬えん方なし。

(にわか)益荒男心振り起して、こゞしき岩角を攀(よ)じつゝ、辛うじて登り果てて見るに、頂きは思いしよりも平らかにて、中を見下ろせは、窪かなるが、底はすぼみて、いくちひろ(幾千仭)ともはかり難し。古え煙の立ちし跡と知られたり。
※ 益荒男(ますらお)- 勇気のある強い男。
※ こごし - ごつごつと重なって険しい。
※ 千仭(ちひろ)- 谷や海などがきわめて深いこと。


鳴沢は何処と知らねど、大きなる川水の、谷に響きて流るゝ音にも聞こえ、はた、松の群立(むらだち)に、秋風調ぶるようにも聞きなされたり。こはそとも(背面)の方にて、石の崩れ落る音なりと云えど、とことはに、さることあらむとも思いなされねば、とにかくに、この中窪の事(わざ)ならんかし。
(原注 万葉集に  さ寝(ぬ)らくは 玉の緒ばかり 恋うらく
               富士の高嶺の 鳴沢のごと
  都留郡のうちに鳴沢と云う里あり。)

※ 玉の緒(たまのお)- 美しい宝玉を貫き通すひも。少し。しばらく。短いことのたとえ。
※ さ寝らく(さぬらく)- 男女が共寝すること。
※ 恋うらく(こうらく)- 恋うこと。
※ 鳴沢(なるさわ)- 現、山梨県南都留郡鳴沢村。「鳴沢」は大沢崩れのことか?
※ はた(将)- また。あるいは。
※ 群立(むらだち)- 群生すること。
※ 調ぶる(しらぶる)- 楽器を演奏する。かなでる。
※ とことはに(常に)- とこしえに。


読書:「嫁入り 鎌倉河岸捕物控30」佐伯泰英 著
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「富士日記」 13 (旧)七月廿四日

(オハグロトンボの繁殖地)

畑にたくさんいるオハグロトンボは脇を流れる小川を繁殖地にしているらしい。いつもこの辺りに集っている。

本日、歴史講座のS教授から頼まれた、碑文の解読を本日郵送した。

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「富士日記」の解読を続ける。

廿四日、今日は雲晴れ、高嶺の雪も消えにたれば、いざやとて出で立つ。兼ねては、主知る辺、すべかめりしを、この頃、幼子のもがさ(疱瘡)病めれば、術(すべ)なしとて、強力(ごうりき)と名付くる者を添えて、案内(あない)とせり。
※ すべかめり - ~するに違いないようだ。きっと~するように見える。

卯の半ばに家を立ちて、先ず大鳥居のうちなる、浅間社に詣でて、登山門を通りて、馬返し(あざな)せる、鈴原まで、裾野三里がほど、馬に乗りて、そこより徒歩にて登る。高嶺までを十に割りて、一合、二合と称ふるは、大方、一里、二里と云えらんが如し。
※ 卯の半ば(うのなかば)- 午前6時ごろ。
※ 浅間社(せんげんしゃ)- 現在の北口本宮冨士浅間神社。
※ 馬返し(うまがえし)- ここまで馬で行けた。
※ 字(あざな)- 実名以外に、呼びならわされた名。
※ 鈴原(すずはら)- 鈴原天照大神社がある。


三合目に、御室権現と申すは、木花開耶姫(このはなさくやひめ)、片方の祠は、信玄僧正を斎(いわ)いたるにて、こゝまでは女も登れりとぞ。
※ 御室権現(おむろごんげん)- 富士御室浅間神社。本殿は、昭和49年に富士河口湖町勝山の里宮に遷祀(せんし)され、奥宮だけが残る。拝殿は立入禁止となっている。
(原注 武田大膳大夫晴信、後に入道、信玄と号し、大僧正に任ず。)


四合目、御座石の社は、磐長姫の命。いささか登れば、右に鳥井あり。小御嶽に詣ずる道なり。今は石尊権現と云えど、大和武尊、径津主命(ふつぬしのみこと)を合わせ祀れりと、兼ねて聞き置きたれば、帰さに詣でんとて、ひた登りに登る。
(原注 磐長姫、木花開耶姫の姉。)
※ 小御嶽(こみたけ)- 現在の富士山小御岳神社。
(原注 径津主命、伊那那岐命の子。)


中宮と、額打ちたるは、大日孁貴(おゝひるめのむち)を鎮め祭れりとぞ。梺よりこの辺りまでは、木立ち深く、目慣れぬ木草多かる中に、富士松と云えるは、世にいう唐松(からまつ)にて、いと多く、雪にされたるなるべし。唐めきて立ち並べるさま、いとおかし。
※ 大日孁貴(おゝひるめのむち)- 天照大神 (あまてらすおおみかみ) の異称。
※ 目慣れぬ(めなれぬ)- 見慣れぬ。
(原注 から松、漢名金銭松また落葉松。)
※ 唐めき(からめき)- 普通と違っていて異国風に見える。
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「富士日記」 12 (旧)七月廿三日

(散歩道のノウゼンカズラ)

ここへ来て夏らしい暑さが続く。天候が回復したらしたで、この暑さ何時まで続くと、会う人毎に(配達に来た郵便局のおじさんにまで)愚痴が出る。ノウゼンカズラの花も草臥れ気味である。

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「富士日記」の解読を続ける。

廿三日、よべ(夕べ)より、いささか雨降り出でたり。今日は御山に登らんとて、心構えしたれば、雨止めてと云うは、本意なき物から。この訳、来し村、里人どもの、こゝかしこの高き峰に登り、笛吹き鼓打ちて祈り、
※ 本意なし(ほいなし)- 不本意だ。思うようにいかない。

この吉田にても、我が詣で来しを聞かば、やがて来訪うべき、倫丈法師なども、近き村々より願えりとて、往にし十七日より、(お)し物を絶ちて、七日の祈りはじめて、今日なん満(み)て侍る日なりと聞けば、我があらまし(予定)の違(たが)うは、返りては喜ぶべきことにこそなど、主に語らうほどに、
※ 往にし(いにし)- 去る。過ぎ去った。
※ 食し物(おしもの)- 食べ物。


かの聖(ひじり)より消息(手紙)して、とく詣で来ぬこと、この祈りに掛かりてなど、ねもごろ(懇ろ)に聞こえたり。歳も二十(はたち)に二つとせ(年)足らぬ法師の、さる晴れの祈りをして、いさゝかなれど、かく験(しるし)著せること、いと頼もし。文も七日ばかり、食(お)し物絶てる人の、筆の遊(すさ)びとも見えず。返す/\目出たしかし。

午の時頃より雨晴れたるに、とく門に出て見給え、珍しきもの見せ参らせんと、主の言えれば、出て見るに、その夜、降りけりと云いしに違(たが)わず、峰の方、いと白く積りたり。
(原注 万葉集に 
     富士の嶺に 降りける雪は 六月(みなづき)
          望
(もち)に消(け)ぬれば その夜降りけり


   名にし負う 富士の高嶺も 昨日今日
        思い掛けきや 雪の白木綿

※ 白木綿(しらゆう)- 白色の木綿 (ゆう) 。木綿 (ゆう) は、楮(こうぞ)の木の皮を剥いで蒸した後に、水にさらして白色にした繊維である。また、玉串や大麻の麻苧を木綿(ゆう)と呼ぶ。

この頃、浅間の社の広前(神前)にて、

   五百重山 重なる道を 分け来つゝ
        仰
(あう)ぐ心は 神ぞ知るらん
※ 五百重山(いおえやま)- 幾重にも重なる山々。

   塵ひぢの 積りてなれる 物ぞとは
        富士の嶺知らぬ 人や言いけん

※ 塵ひぢ(塵泥/ちりひじ)- ちりと、どろ。

と、思い続けしを、同じくは書きて奉れと、主の勧むるに任せて、かの四位の袍(うえのきぬ)着し、五位の神主のもとに、国仲して奉りつ。

また朝夕となく来訪う幡野正章、志(こころざし)は侍る物柄など言えりければ、
※ 物柄(ものがら)- 人や物の質。

   高しとて 登らざらめや 梺(ふもと)より
        分け見よ富士の 大和言の葉


と言うに返し、

   言の葉の 道しるべせよ 富士の嶺の
        麓に繁き 露の下草


読書:「面影汁 小料理のどか屋人情帖6」倉阪鬼一郎 著
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「富士日記」 11 (旧)七月廿二日

(散歩道のタマスダレ)

午後、散髪に行く。散髪屋の主は自分と同年配だが、冷房の効いた部屋に一日中いるので、汗を掻けないという、一種の職業病だと話す。だから、暑い中に長くいると体温が徐々に上昇して、熱中症の症状が出てくるので、腕を水で冷やしたり、濡れタオルで身体を拭いたり、汗の代りの体温を下げる対応をしなければならないと話した。

散髪屋に入った第一声に、「あまり暑いので、涼みに来ました」と言ったので、そんな話の流れになった。

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「富士日記」の解読を続ける。

廿二日、今日は祭りのすまひ(相撲)ありと聞けば、行きて見るに、大鳥井の脇なる森の、いささか窪かなる所にて、相撲なりけり。小高き所に、柴折り敷きて見るに、いと興あり。
※ 窪かなる(くぼかなる)- 窪んでいる。
※ 折り敷く(おりしく)- 木の枝や草を折って敷く。


夕づけ帰さに、四位の上の衣(袍)着たるが、日蔭の糸かづらきて、馬に乗れる宮人あり。いと珍しく覚えて、
※ 夕づく(ゆうづく)- 夕方になる。日暮れに近づく。
※ 帰さ(かえさ)- 帰りがけ。帰り道。
※ 上の衣(うえのきぬ)- 袍 (ほう)。束帯・布袴 (ほうこ) ・衣冠のときに用いる上着。位階によって色彩を異にするが、束帯には縫腋 (ほうえき) の袍(文官)と闕腋 (けってき) の袍(武官)の区別がある。
(原注 平治秘記に云う、日蔭蔓冠巾子を結ぶ。結び目あり。上組、青糸を用う。また白糸をもって、若少人、或は紅梅また白を用い、相交わす。また萌木を用う。今度大嘗会通方朝臣、青糸日蔭を用う。もっともその謂れ有り。要を取る。)
※ 日蔭蔓(ひかげのかづら)- 山野に自生する多年草。古代朝廷における祭事のおりの頭部装飾具として使われた。
※ 冠巾子(かんむりこんじ)- 冠の頂上後部に高く突き出ている部分。髻(もとどり)を入れ、その根元に笄(こうがい)を挿して冠が落ちないようにする。
※ 纓(えい)- 冠の付属具で、背後の中央に垂らす部分。
※ 大嘗会(だいじょうえ)- 大嘗祭に行われる節会 (せちえ)。
※ 通方朝臣(みちかたあそん)- 中院通方。鎌倉時代前期の公卿、故実家で歌人。源通親の五男。
※ かづらく(鬘く)- 草や花や木の枝を髪飾りにする。


   石上(いそのかみ) 古りにし神の 宮人と
        人も見るがに かづらくや誰れ

※ 石上(いそのかみ)- 現、石上神宮。奈良県天理市布留町にある神社。

と、古歌(ふるうた)めきたることを口遊(くちずさ)びつゝ帰りて、国仲に問えば、それなん、神主小佐野何某(なにがし)とて、五位なるが、都に上れりける折りに、何某殿とやらん、給えりとて、四位の上の衣着るよし。いぶかしき
事にこそはとて、所のものも、物の心知りたるは、承け引かずとぞ。日蔭の糸は、雅びたれど、この上の衣ぞ、興醒むる事(わざ)なりける。
※ 承け引かず(うけひかず)- 承知できず。承認できず。

神事(かみわざ)やゝ終えつとて、上総来たりて、夜更くるまで、物語りせり、かの七十五度は、如何にして、かく早く終えにけんと、聞かまほしき心地す。
※ 上総(かずさ)- 諏訪の社の外つ宮の神主、佐藤上総。
※ かの七十五度 - 今宵の中に奉れる神籬(ひもろぎ)、七十五度。
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「富士日記」 10 (旧)七月廿一日

(頂いた食用のホウズキ)

昨夜、頂いて来た食用のホウズキである。皮を取って、中の丸い部分をいただく。初めて口にしたが、甘いような、少し酸味があるような不思議な味であった。牧之原のどこかで栽培していると、放映していたのを思い出した。

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「富士日記」の解読を続ける。

廿一日、朝とく起きて、まず仰ぎ見れば、

   (こと)山に 知らぬ朝日を 雲居にて
        一人待ち取る 富士の高嶺か


今日、明日は、諏訪の社の祭りとて、暮れ方より、家毎の前に、焚き木、一抱えにも余
るばかりの囲みにて、高さは弐間壱尺と云うが、古しえよりの定めと云えれど、中には五、六間ばかりにて、馬に負(おう)するに、凡そ十駄ばかりなりと云う、続松(ついまつ)を、立て並べたり。町の長さ十三町ばかりなるに、残れる者、忌ある家のみなれば、大方、百(もゝ)の数、八(やつ)にも及ぶべきか。
※ 続松(ついまつ)- 松明(たいまつ)。
(原注 倭名鈔に云う、松明、今按ずるに、松明は今の続松か。)


日の暮るゝを待ちて、一時に点し付けたるさま、秋の夜の闇もあやなく見えたり。されど如何に風の激しき折りも、昔より、今宵の火の過(あやま)ちは、さらに無しとぞ。いとも畏(かしこ)き神の御威稜(いづ)は、末の世とも思いなされぬ事(わざ)なりけり。
※ あやなし(文無し)- むだである。かいがない。無意味だ。
(原注 古今 春の夜の やみはあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やはかくるゝ)
※ 威稜(いづ)- 天子の威光。


今宵、諏訪の社、浅間の社に詣づ。名立たる大鳥井は、真に名に違(たが)わざりけり。そも/\この御社は、延暦七年(788)に、甲斐守紀豊庭朝臣の、宮造りしなえりとぞ。祭れる神、富士浅間は、木ノ花開耶姫ノ命(このはなさくやひめのみこと)藤武神。諏訪の方は、建御名方ノ命(たけみなかたのみこと)建岡神、と斎(いわ)えりと、里人の詳しく言えり。
(原注 木花開耶姫命、大山津見神の女(むすめ))
(原注 三代実録、光孝天皇、仁和元年閏三月廿七日、甲斐国正六位下藤武神に授く。建岡神並び従五位下。)


鳥井の高さ、すべて六丈二尺、額は「三國第一山」とありて、縦一丈二尺、横九尺、筆は、二品良恕(りょうじょ)法親王、後ろの二社は、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、大山祇命(おおやまつみのみこと)を斎(いわ)い祭れるよし。
※ 二品(にほん)- 官位の二位の異称。
(原注 曼珠院良恕親王、正親町院第四皇子)


国仲知る辺(知り合い)して、宿りに帰る道、諏訪の社の外つ宮の神主、佐藤上総が家に行く。この上総は、去年故郷にて逢いし人なれば、大御酒など下ろして、いささか持て成すさまなれど、今宵の中に奉れる神籬(ひもろぎ)、七十五度にて、その品も七十五種ありとて、いといみじき気色なれば、とく帰りぬ。
※ 大御酒(おおみき)- 神や天皇などに奉る酒。
※ 神籬(ひもろぎ)- 神事で、神霊を招き降ろすために、清浄な場所に榊 (さかき) などの常緑樹を立て、周りを囲って神座としたもの。
※ 気色(けしき)- それとなく示される内意。意向。


読書:「出来心 ご隠居さん4」野口卓 著
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