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道聴塗説 その一 7

(散歩道のキクザキリュウキンカ)

新しいデジカメの最初の一枚である。花の少ない陽だまりにひっそりと咲いていた。

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「道聴塗説 その一」の解読を続ける。

世に董永至孝にて、天の織女を妻とし、郭巨が黄金一釜を得たること、人の伝えるが如くなり。孝行をすれば金釜を得、天女を感すと心得て、父母に事(つか)える。志を外にして、金釜、天女を心掛けて、孝行を務むるは、臨終の来迎等の奇特を心に掛けて、往生の大利を喜ばず。
※ 董永(とうえい)-「二十四孝」の人物の一人。貧しくて父の葬式が出せない董永は、身売りをしてその金で葬式を出した。身請け主の所へ出向く途中、一人の美女が現われ、董永の妻となり、沢山の絹を織り、身請け主に届けて、董永は自由の身になった。最後に、妻は天の織姫であることを明かし、天に帰って行った。
※ 至孝(しこう)- この上もない孝行。
※ 郭巨(かくきょ)-「二十四孝」の人物の一人。貧しさのため母が食を減らすのを見かね、一子を埋めようと地を掘ったところ、「天、孝子郭巨に賜う」と書いた黄金の釜を発見した。
※ 大利(たいり)- 大きな利益。巨利。


念々の称名は、ただ臨終正念の金釜を期し、来迎の天女を望む故に、皆な自力分別の上にある念仏なれば、却って他力を障(さわ)りて、臨終も正念ならず。来迎の奇特も現せざるなり。何ぞとなれば、臨終の正念を期して往生を定むるは、平生の念仏に於いて、往生不定の心あるべし。
※ 正念(しょうねん)- 極楽往生を信じ て疑わないこと。一心に念仏すること。
※ 往生不定の心(おうじょうふていのこころ)- 必ず往生できるとは定まってはいないと思う心。


臨終の往生とは、生涯逆悪の人の臨終まで、仏とも法とも知らで、一息閇眼の砌(みぎり)に至って、善知識の勧めに依って、生来の罪障を懺悔(さんげ)し、一念、十念なりとも本願に帰命し、称名すれば、兼ねて如来の御約束なれば、即時に往生を定め給うを臨終往生と申すなり。
※ 逆悪(ぎゃくあく)- 主君にそむくなど、道理や秩序に反する悪。
※ 閇眼(へいがん)- 眼を閉じること、転じて死亡する意。
※ 善知識(ぜんちしき)- 人々を仏の道へ誘い導く人。特に、高徳の僧のこと。
※ 罪障(ざいしょう)- 往生・成仏の妨げとなる悪い行為。


この人、もし命延びて、一日、二日、乃至は年月を過ぎてもあらば、その臨終の一念
は、最初帰命の一念となれば、それより日を渉り、年月を送る際は、決定往生の報恩と心得て、念仏を相続すれば、また平生往生と申すなり。
※ 決定往生(けつじょうおうじょう)- 必ず極楽に往生すること。
※ 平生往生(へいぜいおうじょう)- 臨終を待つまでもなく平生に、如来の慈悲の働きが到り届いて信受せしめられた時に浄土行きが定まるという浄土真宗の教え。


読書:「再発!それでもわたしは山に登る」 田部井淳子著
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