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お袋七回忌の法事に帰郷(6)

(諸国温泉一覧)

「諸国温泉一覧」によれば、但州城崎湯は西の関脇である。

江戸の精進料理の食材を調べに、図書館に行き、二つの食材を知った。
 「あられ豆腐」-小さいさいの目に切った豆腐を油でさっと揚げたもの。
 「海素めん」(うみそーめん)-海藻の一種。濃い紅茶色で、ねばりが強く、熱湯を注ぐと青萌黄色に美しく変わる。酢醤油で和えて頂く。

こんな調子で少しずつ解明していくしかないだろう。

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3月26日は、城崎温泉の夜である。兄弟三人、水入らずで、こんな温泉旅館に泊まるのは、初めての気がする。長兄とは11歳、次兄とは5歳違い、兄弟げんかをする程、年齢が近くない。長兄と次兄とは6歳の年齢差があるが、その間に、もう一人、男兄弟がいたのだが、二歳足らずで亡くなった。

両親は死因について何も言わなかったが、長兄は誰かから泣きすぎによる腸捻転だったと聞いたという。その頃、父は兵役で、母が家を守り、古本屋を営んでいた。二階で一人寝かされていたのだが、泣く声が聞こえなかったのか、忙しかったのか。泣き過ぎで、腸捻転になるものであろうか。親類縁者が集って、お百度まで踏んでくれたけれども、回復しなかった。

去年、連れ合いを亡くした長兄が話し出した。すでに8ヶ月経ち、ようやく義姉の死を乗り越えたと云う。しかし、当時10キロやせた体重は、今もって戻らないと言う。しばらくは何も手に付かず、死んだことが夢のようであった。くよくよして、このままでは自分がだめになってしまうと思い、自分自身に、何度も何度も、しっかりせい、頑張れと声を挙げて励ました。これを長兄は、言葉は悪いが、自分で自分を洗脳したのだという。

今はようやく、最悪の状態からは脱して、とにかく身体を動かすことを、毎日欠かさないようにしている。体内の免疫細胞は、体温が上がると活発になると何時か聞いた。だから、毎日、5キロの速歩の散歩は欠かさない。朝はラジオ体操をして、腕立て伏せ、エクスバインダーをそれぞれ50回を励行している。

今、三日置きぐらいに、ゴルフやら旅行やらと、先々予定が決まっていて、なかなか忙しいとも話す。それが長兄の生きがいになっているならば、何も言うことはないのだが、そこまで頑張らなくても、もっと生き易い方法もあるだろうと思う。義姉の亡くなる前後に、痩せてしまった身体が、元に戻らないのも、頑張りすぎのためではないだろうか、などと思ったが、口には出さなかった。

読書:「鉄道探偵団 まぼろしの踊り子号」 倉阪鬼一郎 著
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年に一度のすき焼きパーティ

(片雲さんから頂いたビオラで、庭の仕切りの小花壇を作った)

年も押し詰まった今夜は、我が家、年に一度のすき焼きパーティである。夕方の開宴を目指して、3家族が集ってくる。名古屋のかなくん母子はもう何日か前に帰って来ている。パパは名古屋から夕方5時半には到着する。まーくん一家は4時過ぎにやって来て、かなくんを交え、ゲームに興じている。息子は今朝から正月用の富士山の写真を撮りに行ったが、5時40分には戻ってくる。富士の写真はうまく撮れたようで、このブログにも拝借する積りである。3家族11人の役者はそろった。

川根のAさん(男性)は、我家の入り口に畑を借りて、川根から通ってきて野菜を作っている。時々野菜を頂くこともあるのだが、今朝、玄関先へ来て、しばらく畑には来れないから、畑に残った野菜は全て採ってくれてよいと言って行かれた。奥さんの介護で苦労されているとは聞いていた。近所の方にも分けてあげてくれと言い残して帰られた。畑を見に行くと、大根、正月菜、春菊、白菜などが立派に育っている。正月前で、青菜の高直の時期だから、大いに助かる。少し気は引けるが、早速、今夜のすき焼き用に春菊を少し頂いてきた。

今年は予定外に頂いた商品券もあるので、財政に不安はない。アピタに女房と出掛けて、いつもより多めに、上肉と具材を買ってきた。

ムサシの散歩から戻って来る頃には、女房とかなくんママの手で準備が進んでいる。幼児が4人いるとはいえ、11人が全員ダイニングに入るには少し無理がある。まずは子供たちから食べさせようと、声を掛けるが、ゲームに夢中で、まだお腹が空かないという。作り始めれば匂いに釣られて集まって来るだろうと、鍋奉行の自分が鍋に牛脂を溶かして、肉を焼き始めたら、たちまち子供たちも集ってきた。すでに食べる気満々である。

我家のすき焼きの味付けは、砂糖と醤油だけの関西風で、割下は一切入れない。ようやくこの味にも皆んな慣れてきたようだが、子供もスタンバイしているので、まずは味を薄めに作った。子供たちの箸が意外と進む。特に牛肉を美味しいとパクパク食べる。もっと野菜も食べろと言っても、肉を選んで食べている。彼らに関西風のすき焼きの味を印象付けたから、彼らは一生すき焼きを関西風の味で覚え込んだはずである。すき焼きを食べる度に、鍋奉行の祖父のことを思い出してくれるならば大成功である。

味が濃いと言われるから、今日は、全体に味をやや薄めにした。その為かどうか、用意した材料の野菜まで気持良くはけた。一寝入りしてやゝ腹が減った。汁だけでも残っていれば、うどんを入れて夜食にしようと思う。
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再開した「街の電気屋ブログ」

(街の電気屋さんの記念品、カプチーノケーキ)

昨日の昼過ぎ、故郷の次兄夫婦がマイカーをとばして来静した。お袋の一周忌が済んで、実家もようやく落ち着きを取り戻したようで、ようやく二人して、自宅を気にせずに旅が出来るようになった。今回は我が家に一晩泊まって、今日は東京の三男の家へ行った。孫の顔を見て、東京スカイツリーに上り、明日はもう一度我が家に一泊する予定である。

積る話といっても、兄弟間では案外なくて、お互いに顔を見ることで満足してしまう。自分はもっぱら兄嫁さんに、興味があるのか無いのかは別にして、古文書の勉強の話を熱心にしていた。

かつて、次兄は、自分が勧めたこともあって、しばらく「豊文堂日録」というブログを書いていた。一生懸命書きすぎたことと、身辺が多忙になって、中断していた。もう何年か経つ。年齢も70歳を越え、時間的余裕もできたのだろう。再開したいから、チェックして欲しいというので、今でも問題なく続けることが出来ることを確認した。

そんな話の中で、電気屋さんがブログを再開しているという、情報を得た。故郷の町で頑張っている、次兄の知り合いの電気屋さんが「街の電気屋ブログ」というブログを毎日書いていた。ところが、昨年の2月20日、突然に「ブログの投稿を終了いたします」の言葉を残して、ブログの投稿を止めてしまった。何があったのか心配しながら、覗きに行くことも絶えていた。それが、再開したというのである。早速、開いてみると、一段とパワーアップした言葉が、洪水のように画面に踊っていた。

次兄に聞くと、身内の不幸があって、書く気をなくしていたらしい。それから7ヵ月後の9月15日から、いきなりトップギアで再開された。自分は次兄に言われるまで、全く気付かないでいた。

最新の5月25日、26日の書き込みでは、夏の大感謝セールの話題で、小さな店舗に、70世帯ものお客さんが押し寄せて、不況といわれる家電業界にあって、耐久財である商品が飛ぶように売れてゆく。アベノミクス効果もあるのだろうが、電気屋さんの日々のたゆまぬ努力が、一斉に開花したのだと思う。

次兄の話では、家電量販店もたくさんある中で、量販店もたじたじだという。ブログを読んでいるだけで、自分の顔もほころんでくる。元気がもらえるブログとして、勝手に自分のブログにブックマークをさせていただいた。

こちらに来る前に店に寄ったとかで、記念品に頂いたカプチーノケーキが、遠路はるばる我が家に到来した。あす次兄が東京から戻ってきたら、皆んなで頂こうと思っている。
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まーくん一家帰る

(戦隊ヒーロー、Oさん撮影)

かなくんたちが合流して、我が家が一段と賑やかになり、寝場所も追われ、自分は居間のパソコンの前にふとんを敷くことになった。便利なようで、寝る前に書き込みをしていた身にはちょっと困ったことになった。昼間は孫たちに占拠された我が家に居場所を見つけるのが一段と難しくなり、やっと皆んなが寝静まって、パソコンの前に座るが、そこはそのまま寝床になったから、直接的な睡眠への誘惑に勝てなくて、この二日間は書き込みをしないで寝てしまった。外出もほとんどしないので、材料も底を付いてしまい、書くテーマも浮ばなかったから、ついつい誘惑に負けることになった。

午前中に、島田のOさんご夫妻が孫たち3人を、島田の大型商業施設で行われる戦隊ヒーローショウへ連れて行ってくれることになった。ところが最近顔見知りするようになった、あっくんは、恥ずかしいから行かないという。いじけているように見えたので、戦隊ヒーローショウは楽しいよとけしかけたら、女房たちが我慢しているから、話題にするなという。我慢するなら行けばよいと思い、かなちゃんママも行くから恥ずかしいことなんかないと話す。行きそうな気配を見せたので、話題にするなと言った女房たちも、勧める側に回った。やっと行く気になると、急いでトイレを済ませ、車に走って乗ったよと、まーくんママの報告があった。本当は羨ましかったけれども、行かないと言った手前、やせ我慢をしていたようだ。勧めてくれて良かったという。

島田のOさんご夫妻は、早くから場所取りに行って、最前列を取ってくれた。ところが、最前列では迫力がありすぎて、恐かったらしい。しかし、皆んな興奮の態で帰ってきた。夕方にはOさんから早速戦隊ヒーローショウの写真が届いた。

午後は、かなくんママに、段ボールを張り合わせた、剣付機関銃を3人分作ってもらい、色とりどりのビニールテープでそれぞれに彩色して、長い間、戦隊ヒーロー遊びをしていた。かなくんママはさすが美術部と幼稚園課程の出身だけのことはあり、そんな工作に手際が良い。

まーくん一家は昼の中に引越して、残っていた、まーくん、あっくんも宵の中に迎えに来たパパと帰って行き、1ヶ月半近い同居が終わった。始めたときは4人家族で、帰るときは5人家族になった。前半はまーくんの幼稚園の送り迎えで大変だった。後半は幼稚園が春休みに入り、送り迎えは無くなったが、我が家が1日幼稚園状態になり、かなくんを迎えて最高潮になった。それが今夜、ようやく終止符が打たれた。まだ、一週間、かなくんたちが残るけれども、今までの状態と比べれば静かなものである。

この間に、季節は過ぎて、桜も散り、昨日あたりは、大代川に花筏(いかだ)が流れていた。今年は花見も無しに花の季節が終わろうとしている。
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名古屋から、かなごん来襲

(ひそかに咲く庭の隅のレンギョウ)

午前中、名古屋からかなくんとママが来るというので、新幹線駅のJR掛川駅まで迎えに行った。直前になってまーくんがいっしょにいくというので、助手席に乗せた。行き帰りで見た桜はどこも満開で、早くも散る花びらも見えた。お花見も平地ではこの週末が最後だろうと思った。掛川駅にはすでに「こだま」が到着していて、駅前広場にかなくん母子の姿が見えた。向うからも、じいじの車を見つけ、かなくんが駈けてくる。また一段と大きくなったようだ。かなくん母子は幼稚園がはじまるまでの約10日間ほど、我が家へ逗留するようだ。女房は娘の骨休めだからというが、その間、パパは名古屋へ置き去りで、大丈夫なんだろうか。

午後は一番西の和室に避難して、読書をしていた。かなくんを迎えて、我が家は一段とヴォルテージが上ったようだ。あっくんとかなくんが、がなっているのが聞こえる。太いあっくんの声にはかなくんもたじたじで、まーくんは兄ながら、はじめから勝負は諦めている。まーくんの高い声では、あっくんのど太い声の迫力には対抗できない。もっともまーくんの声の方が子供としては普通である。あっくんの声は異常で、子供らしくない。本人も知ってか知らずか、得意がって、がなる。まーくんの声は喉で出しているが、あっくんの声はお腹から出しているから迫力が違うのである。あっくんは黙って聞いていると、よく耳で覚えた歌を歌っている。まだ歌詞はいい加減であるけれども、歌が好きなのかもしれない。お腹から声を出すという歌の基本が生まれながらに出来ている。

かなくんが持ってきたキョウリュウジャーの剣付機関銃が大人気で、まーくん、かなくんも借りて、機関銃の音を出して目を丸くしている。そのうち、何がきっかけなのか、駆けっこが始まった。小さい家の中、応接から居間、玄関前廊下から応接とぐるぐる駆け回る。あっくんも一歩遅れるが懸命に付いて行く。やがて、居間から8畳の和室、6畳の和室の自分の脇をかすめて、縁側から玄関前廊下と、最長の周回コースに広がった。男の子3人が汗をかきながら大声を挙げて走っている。我が家ながら、自分の身の置き所を失った感じである。

えまちゃんは騒がしさには慣れているようで、そんな騒々しい中でも、目を覚まさずによく寝ている。逆に食事時など、子供たちがダイニングに引っ込み、静かになると、目を覚まして泣き始める。ダイニングに連れてきて、子供たちのそばに置くと安心するらしく、泣き止むから不思議である。
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えまちゃんのお宮参り

(えまちゃんのお宮参り、ばらばらな記念撮影)

風邪で1日休んだ日の書き込みを1日遅れで書いていたが、ややこしくなったので、土曜日を休載とし、追いつくことにした。

今日の日曜日のお宮参りは、えまちゃん一家と女房で相談していたようで、自分は正式には昨日聞いた。自分の数少ないスケジュールは、カレンダーに書いてあるから、予定がバッティングすることはないし、問題はないのだが、心積もりもあるし、風邪を引く都合もある。ただし、文句はぐっと呑み込んで言わない。

明けて今朝、10時前に、昨夜は一人掛川の自宅に泊ったパパと向うのお母さんが到着して、車2台に分乗して大井神社に向かう。えまちゃん一家は掛川に住みながら、結婚式から命名、お宮参りから七五三まで大井神社にお世話になっている。

お宮参りの前に、そばの写真館で記念写真を撮るのが習いで、今回はえまちゃんの衣装は写真館で貸して頂いた。まーくん、あっくんはお揃いの服だが、あっくんが着ているのは同じ頃に名古屋のかなくん用にあつらえたものを、借りたという。まーくんは大きくなって、ズボンが短くて半ズボンに見えるが、あっくんでは長ズボンである。あっくんは上半身の肉付きが良くて、上着が一杯々々であった。

まーくん、あっくん同様に、えまちゃんも写真を撮る間、ずうっと眠っていた。写真館の人が起こそうと、でんでん太鼓や鈴などで騒がせるが、いよいよ目を固く瞑ってしまう。本当に熟睡しているわけではなくて、目を開けてなるものかと頑張っているように見える。名古屋のかなくんは大きな目を開けて写真に写っているけれども、掛川の孫たちは皆な目を瞑って写ることになった。写真館の人が起こそうと、背中を叩いたり揺すったり、一生懸命であったが効果はなかった。その様子を見ている方が、そんなに乱暴に扱わないで、と言いたくなる。我が家でも、まだ首も脳も固まっていないから、壊れ物のように扱っているのに、気が気ではない。

今日は日が良いのであろう、何組もお宮参りに来ていた。直前の祈祷には10組もいただろうか。自分たちの番でも7組ほどの家族がいた。もう首も据わったような赤ん坊も混じり、皆が皆、1ヶ月目ということではないようだ。寒い冬場は避けて、ようやく春めいたので出てきた家族もいるのであろう。

拝殿に入っても、まーくんもあっくんも騒ぐことなく式を終えた。歌好きのあっくんは、神主さんの祝詞の声に合わせて、お気に入りの歌を小声で歌っていた。お宮参りの行事を終えて、まーくん一家が掛川に戻るまで、あと一週間を残すばかりとなった。
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えまちゃんの笑顔に、お地蔵さんの顔を思う

(ムサシの散歩道のスイセン)

新生児、えまちゃんが来て、我が家はスクランブル状態のまま、早や二週間が経った。女房は自分の体重が3キロ減ったといい、自分も1キロくらいは減っていそうである。

自分の1日は、朝起きて、まーくんを幼稚園に送り、早起きした分、寝なおし、昼食後しばらくすれば、もうまーくんを迎えに行かねばならない。帰ってきたら、すぐにムサシの夕方の散歩で、夕食後、夜孫たちが寝てから、ようやく落ち着いて、自分の時間となり、その最後に今日のブログを書く。寝床で読書後、就寝になる。夜型の生活は治らず、やはり翌朝の早起きは辛い。しばらくはこんな1日が続いてゆく。

夜、シャワーを浴びてくるからえまちゃんを見ていて、と娘がそばに赤子を置いて行く。泣いたら抱いてやって、と言い残して娘が去った。寝ているわけではなく、それでもしばらくは静かであったが、やがて泣き始めた。女の子は泣き声も優しいと思っていたら、なかなか、元気な声になった。両手でこわごわ抱き上げる。生まれたばかりは抱くのも恐いほどであったが、少しは扱い易くなったのだろうか。まだまだ首は据わっていないから、自分がなれたのであろう。

そろそろ4キロを越える頃で、軽いけれど長く抱いていると疲れる。胡坐の膝に抱く手を下して、膝で調子をとる。まだ脳がみるいので、乱暴に揺すると壊れてしまうこともあるらしい。テレビなどで生まれたばかりの子を腕を揺らしてあやすシーンを見ることがあるが、赤ん坊をあやすシーンとして定番なのだろうけれども、危うい話である。

抱けばすぐに泣き止み、切れ長の目を開けて、花粉症対策眼鏡を掛けたジイジの顔を、不思議そうに見ている。もう見えているはずだけれども、どんな風に映っているのであろう。背中を指でトントンと軽く叩いてやると、目を瞑り寝てしまったようだ。時折り、何を思うのか、両の口唇の端を上げて笑い顔になる。笑っているのではないのだろうけれども、見ていると、あっ、笑ったと言いたくなる。

両親が聞いたら喩えがよくないと怒るかもしれないが、お地蔵さんの顔を思い出した。地蔵巡りをしている間に、こんな顔をたくさん見たように思った。地蔵菩薩は子供たちの守り仏だと言われている。お地蔵さんの顔が子供の顔に似ているから、そんな信仰が生まれたのか、あるいは子供たちの守り仏だから、どうしても仏師が子供の顔に似せてしまうのか、おそらくその両方なのだろうけれども、お参りするおばあちゃんたちが、ついつい赤い帽子とよだれかけを付けたくなってしまうのも解る気がする。
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目立つあっくん、大活躍

(大代川の春の照り返し)

現在、8人と1匹の大家族の我が家で、もっとも目立っているのは、孫のあっくんである。まーくんは昼間は幼稚園に行っていていないし、えまちゃんと名付けられた赤ん坊は、ほとんど寝ていることが多く、ときどき泣いて存在を示すだけで、話題の中心にはなりにくい。ムサシは孫たちが来てからは、部屋には入れてもらえなくなり、昼間は庭の芝生の上、夜は裏の土間の部屋で、これも時々啼いて存在を知る程度である。

そんな中で、ようやくおしゃべりが出来るようになった、あっくんは、大人相手に怒とうの如くしゃべりだした。時々、吃音になるのも、思いの丈を口にするのが追いつかないのだろうと思う。

最近、あっくんの観察力には大人たちが脱帽することが多い。箸立ての中で、ネコの赤い箸がバアバの箸だという。ネコの箸とは何かと聞けば、女房が説明する。よく見ると赤い塗り箸に1センチ足らずの小さな招き猫が点々とデザインされていた。毎日のように箸を見ていながら、その猫の絵には全く気付かなかった。ジイジの箸も同じデザインの色違いである。色が黒であるが、この「黒」という言葉をあっくんはまだ知らず、ジイジのは青い箸だという。まだまだ言葉は発展途上である。

風邪気味の女房がマスクをしたら、さっそく何でしているの?と聞いてくる。大人の様子をじっと観察していて、変化があるとさっそく質問が発せられる。まったく油断も空きもあったものではない。

今までまーくんの陰で目立たなかったけれども、最近だんだんいたずら坊主ぶりを発揮し始めた。横になってテレビを見ていると、横切るあっくんが、毎回わざわざ腹の上を乗り越えていく。体重もぐんぐん増えているから、油断をしていると、ううっと酷い目にあう。まーくんは足元を迂回して行くのに、あっくんはじいじの腹の上を越すのを楽しんでいる。

一方、今までなかった人見知りも始まった。赤ん坊を見に義弟夫婦が見えたとき、逃げて行ってしまい、どこへ行ったかと探すと、ダイニングのテーブルの下に隠れていた。引っ張り出そうとしても出てこない。義弟夫婦が帰ったら、自分から出て来た。

トイレも言えるようになって、昼間はオムツパンツを濡らすことがなくなってきた。食事ももりもりと食べて、夕食のあと大人たちが食べていると、ごはんが食べたいと言ってくる。今、食べたばかりでしょうといわれ、口の悪いジイジからは、若年性健忘症か、などと言われていた。そして、頂き物のケーキに有り付いていた。
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あっくんの「これ何?」攻撃

(まーくんが通う幼稚園)

本日は、車で掛川へ3往復した。幼稚園までまーくんを送って1回、今日は午前中で帰ると聞いて、11時半には園バスの停留所まで迎えに1回、午後、まーくん、あっくん、女房と4人で、クリニックへ赤ん坊に面会のため1回である。実際には朝、まーくんがマスクを忘れて女房が幼稚園まで軽で追いかけてきたから、我が家としては4往復であった。6度のドライブに、いずれも、あっくんが同行した。

後部座席の幼児用安全座席に座っているから、ずっと顔を見ているわけではないけれども、待ち時間に安全ベルトを外してやると、助手席までやって来た。2歳半で何事にも興味津々の時期で、さっそく、車のパネルを指差して「これ何?」と始めた。「カーラジオ」「これ何?」「クーラー」「これ何?」「灰皿」「これ何?」‥‥‥。これ何と指差されて、とっさに名称が出てこないから、一瞬空いて答える。名前を知る目的から、いつか答えさせるゲームになって、間を置かずに、機関銃のように「これ何?」攻撃が続く。段々、うるさくなって反対にカーラジオを指さして、「あっくん、これ何?」と逆に質問を返したら、ようやく質問攻撃が止んだ。あっくん、狡猾な大人の知恵を侮ってはいけないよ。

まーくんは話すのが早くて、言葉を丸のまま覚えて、適時に再現することに長けて、はじめから大人と会話が出来ていたように記憶する。今から思うと、言葉を主に右脳を使って音楽を覚えるように、一瞬に記憶していたのではないかと思う。

ところが、あっくんはまーくんに比べると言葉をしゃべるのが遅くて、2歳近くなってからようやくしゃべりだした。それも、短い単語を発することからはじまって、ここへ来てずいぶんおしゃべり出来るようになった。しかし、同じ言葉を何度も使うことが目立つ。どうやら、左脳で単語を理解し記憶することから始めて、会話も一つ使って、大人たちの反応から、意味を理解し、記憶として留める、そんな作業を地道に行っているのではないかと思った。

兄弟だけれども、言葉の覚え方が全く違う。スピードはまーくんの方がはるかに速いけれども、言葉の理解という面では、あっくんの方が深いのかもしれない。今後の二人の成長を見て行けば分かるような気がする。

次男のあっくんは、言葉が遅かった分、大人の言葉や所作をしっかり観察していて、必要な場面にティッシュを持ってきて感心されたり、気配りがすごいという。何もしなくても、目立って注目される長男と違って、次男は長男の影で目立たない。注目を集めるにどうあるべきかと、日々大人を観察し、大人が何を求めているか判断し、行動するということが自然と身に付いてくる。この特徴は、世の中の次男が持っている特徴だとも言える。
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まーくんを幼稚園に送る

(赤ん坊のいるクリニック)

今朝、車で30分掛けて、まーくんの通う幼稚園まで、送って行く。幼稚園バスの乗り口まで送ることも出来るが、その方が朝早くなるから、距離的に変わらない幼稚園まで送ることにした。

父兄証明カードが幼稚園より出ていて、それを持参しないといけないらしいが、持たずに出かけてしまった。間違って知らない人に子供を渡さないための、証明カードであるから、送って行く分には問題ないだろうと判断した。

幼児用の補助座席は、まーくんはもう必要なくなった。しかし、子供用の安全ベルトがあるらしく、パパの車には付いているが、付け替えて置かなかった。仕方なく、あっくん用に取り付けておいた補助座席に無理やり乗せた。腰のベルトは何とか回せたが、両肩へ掛けるベルトがもう回らなくなっていた。仕方なく、腰のベルトだけでよしとした。まーくんは文句も言わずに神妙にしている。知らないうちに確実に成長している。

幼稚園が付属しているお寺の駐車場に車を停めて、差した傘に入れて、先に歩かせる。背中には大きなリュックを背負っている。それほど重いものが入っているわけではないだろうが、小さな身体に比べてリュックが大きくて、リュックが歩いているようだ。首には水筒が掛かり、両手にも何やら持っている。今日はお弁当の日だと女房が言っていたから、大きく作りすぎたというおにぎりが入っているのであろう。ふと、家康の言葉を思い出した。「人の一生は重き荷を負うて遠き路を行くが如し」だったか。

幼稚園の門前には、雨の中に園長先生が立っていて、挨拶を頂いた。子供は教室の前まで連れて行き、先生に直接渡すのが決まりだという。なかなかセキュリティが厳しい。昇降口に先生がいて、まーくんの名前を呼んだので、了解を頂いてまーくんを引き渡した。

午後は2時42分に幼稚園バスの降り口まで、あっくんと女房の三人で迎えに行った。子供用の安全ベルトは必ず使う決まりはなくて、大人のシートベルトは小さい子供の首に掛かるので、座布団で座席を高くすればよいと女房が聞いてきて、ふた折りにした座布団2枚の上に座らせてシートベルトを掛けた。

父兄証明カードが見つからないので、それを持たないことを女房が心配する。お産のことは話してあるだろうから、まーくんがおばあちゃんだと言えば問題ないだろう。女房は困ったらあっくんを見せるという。それがどう証明になるのか分からないが。一緒に子供を待つ人におめでとうと言われたという。まーくんは問題なく引き渡された。引き取り手が間に合わないと、そのまま幼稚園まで連れて帰ってくれるという。もちろん、下して終わりというわけには行かないのである。

クリニックはすぐそばだったので、皆んなで赤ん坊を見に行った。あっくんの関心はママがいつ帰ってくるのかという点で、再三、質問をする。答えは、あと三つ寝たらと、昨日より一つ減った。
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