goo

「旅硯振袖日記 下之巻」 6

(宵の明星と三日月)

今日の夕刻、我が家から見る西の空に、月と宵の明星の競演が見られた。三日月にしては太めだと思い、暦を調べたら、今日の月例は3.1となっていた。これは三日月なのだろうか。

*****************

「旅硯振袖日記 下之巻」の解読を続ける。

柳枝は後にうつとりと、もの思わしく溜息をつく。入相の鐘の音にそこら片付け、行灯(あんどう)に灯(あかし)をつけて、用ありげに、やがて表へ出で行きけり。
※ 入相の鐘(いりあいのかね)- 日暮れ時に寺でつく鐘。

賑わいも、よそと変わりて夜の花。別けて盛りの浪花屋が、二階は宵より大騒ぎ。高大尽の大胡坐(あぐら)。並べ立ったる太平楽もつとも尽くしで太鼓らが、なだむるほど、なお声高。折柄来たる象潟が、内掛け姿しとやかに、高大尽の傍へ座れば、小言もどこへか消え失せて、大きな目玉も細くなり、花撒き散らす可笑しさを、こらゆる象潟。
※ 太平楽(たいへいらく)- 勝手なことを言ってのんきにしていること。勝手気ままにふるまうこと。
※ もつとも尽くし - どんな言葉にも「御もっとも」と逆らわないこと。


芸者ども、折からかゝる迎いにつれ、暇(いとま)申して立ち帰れば、新造どもは高大尽を部屋へ伴う。かたえには、内掛け取って象潟は、衣桁に掛け、やがて抜き足差し足して、廊下へ出でて奥座敷、そっと入って屏風の陰、忍ばせ置きし間夫、柳枝の手を掻い取って、また他の座敷へ行かんとするほどに、屏風を内よりさっと開け、めくら探りに手早くも、柳枝が襟髪(えりがみ)掻いつかみ、をもって打たんとす。
※ 衣桁(いこう)- 室内で衣類などを掛けておく道具。
※ 間夫(まぶ)- 情夫。まおとこ。遊女の情夫。
※ 襟髪(えりがみ)- 首の後ろ側の髪。また襟首あたり。
※ 枕(まくら)- 木製の枕と思われるので、打つ威力は大きい。


象潟驚き、その手にすがり、止めても、止らぬ艶の都(はでのいち)、柳枝は忍びし 誤りに手向いなさず。打ち伏せば、嵩に懸りて艶の都。象潟が手を振り払い、柳枝が肩先枕にて、散々に打ちのめし、枕をそこへ放り出し、我が懐の一通を、柳枝に打ち付け言いけるは、
※ 誤りに(あやまりに)- 間違っても。

「これ、そこの色男殿、いや、狼狽えものゝ大腰抜け、大切の金銀出して、人の揚げ詰めの女郎を盗む、卑しい根性には、何時なった。殊には人の入り込む廓で、君、傾城に性根を乱し、望みある身でうか/\と、月日を送りて世に亡き親に、不孝を重ぬる放逸惰弱、おのれを見たら俺までが、好い歳をして女郎買い。娘にしてよい象潟へ、通うて来たり。世間へ気の毒、向後(きょうこう)こゝへは立寄らぬ。それ故、今方親方へ、掛け合いをして象潟が、身請けの金も疾(と)く済んで、そこへ投げしは年季証文、それと一緒に象潟も、さつぱりくれてやる。代りまたこっちにも、一つの望み、それを否とは言わさぬぞ」と言われて、
※ 揚げ詰め(あげづめ)- 遊女を連日揚げ続けること。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

甲州御普請割増し歎願 その4

(大代川の濁りで何がを探るカモ)

一昨日、雨が無くて流れが少ない上に、上流で浚渫工事をしていて、泥に濁った水面で、カモが集って濁りに首を突っ込み、何やら探す風であった。

昨夜来、久し振りにまとまった雨が降って、大代川に水量が戻り、水も澄んだ。午後から快晴。やや暖かくなった。

*****************

「甲州の川除け御普請の歎願書」の続きである。今日で終って、明日からは、「旅硯振袖日記」の続きに戻る。

一 蛇籠壱本 長五間      御定直段代永七拾文五分
       差渡し壱尺七寸

一 米九合三勺七才   代甲銀三分七厘       但し甲銀壱両に付
             この永九文五分       米壱石弐斗替え
   合永八拾文
     村々買入れ直段 右壱本 甲銀七匁五分   但し弐間籠甲金壱両に付
       この永百九拾弐文三分          拾六本替え
   差引 永百拾弐文三分             全て弁金相成り候分

一 筋麁朶壱束 但四尺打違い  御定直段代永六文弐分
         五尺縄じめ
     村々買入れ直段 壱束 甲銀壱匁弐分    但し前同断
       この永三拾文八分
   差引 永弐拾四文六分             全て弁金相成り候分

一 中聖壱組  御定直段 代永八百七拾弐文四分   但し雑木竹代とも
     村々買入れ直段 甲銀五拾八匁壱分四厘
       この永壱貫四百九拾文八分
   差引
      永弐六百拾三文九分           全て弁金相成り候分

右は、当国川除け御普請諸品、当時買入れ候分、土地により高下はこれ有り候えども、大概取調べ差し上げ奉り候処、書面の通りに御座候、以上。
                     当御支配所
                       甲州八代、巨摩郡
                       定式川除け御普請所
  市川                     里方村々惣代
   御役所                       七人

一 尺木牛、長さ拾間 御定直段 代永六百拾七文七分 但し雑木竹代とも
     村々買入れ直段 甲銀四拾六匁七分     但し前同断
       この永壱貫百九拾七文四分
   差引 永弐五百七拾九文七分          全て弁金相成り申し候分

右の通り取調べ差し上げ奉り候、以上。
 嘉永三戌年十月             当御支配所
                       甲州八代、巨摩郡
                       定式川除け御普請所
  市川                      四人代兼
   御役所                       八之丞
                             喜内
                             重右衛門
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

甲州御普請割増し歎願 その3

(諏訪原城跡、薬医門再建中)

午前中、息子と諏訪原城跡に行く。礎石の発掘で、当時、在ったことが確認された薬医門の再建中と聞いて、様子を見に行った。薬師門はシートを被っていて、中はうかがえなかったが、出来上がったときは、背後の富士山とのツーショットが人気になるだろうと思った。

午後は、大井川中学校の校長の矢沢和弘氏の歴史講演会で、金谷公民館に行く。大井川にまつわる歴史の新しい味方を期待していたが、伝説や地名由来と講師の思いを述べた講演で、お話としては面白くて、時間の経つのを忘れたが、歴史とは、少し外れていたように思う。

「一豊堤」を連呼されたので、どのような確信で使われたのか、質問して見た所、あっさりと間違いと撤回されてしまった。出来れば、「一豊堤」と呼ぶことの、講師の考え方が聞きたかった。ここまで流布してしまえば、それはもう公認してもよいのではないかといったような。

*****************

「甲州の川除け御普請の歎願書」の続きである。

前書の通り、御支配御役所願上げ奉り候えども、今般御廻村に付、継ぎ添えを以って願上げ奉り候、以上。
                         右 吉左衛門
  嘉永三戌年十月朔日            要助
                 浅原村名主四郎左衛門代兼
                           八之丞
                           重右衛門
                           喜内
     御普請御掛り
       御役人中様
右は石和宿寄合御帰りにて、継ぎ添えを以って御普請役元締、米倉武助様へ差上げ奉り候処、もっともの願筋候えば、御支配三郡申合い、一手に相願い候様、御利解これ有り候事。

一 棚牛拾組  御定直段合せて永壱貫九百五拾文五分 但し雑木竹代とも
     村々買入直段甲銀百三拾四匁弐分九厘
       この永三貫四百四拾三文三分      但し金壱両に付
                           三拾九匁替え
   差引 永壱貫四百九拾弐文八分         全て弁金相成り候分

一 菱牛壱組  御定直段合せて永参百壱拾五文三分  但し雑木竹代とも
     村々買入直段甲銀廿壱匁
       この永五百三拾八文五分        但し金壱両に付
                           銀三拾九匁替え
   差引 永弐百弐拾三文弐分           全て弁金相成り申し候分

一 中枠壱組  御定直段代永八百九拾六文三分    但し雑木大工
     村々買入れ直段 六拾弐匁三分        縄代とも
       この永壱貫五百九拾七文四分      但し金壱両に付
                           三拾九匁替え
   差引 永七百壱文壱分             全て弁金相成り申し候分

一 沈枠壱組  御定直段 代永壱貫廿九文八分    但し雑木大工賃
     村々買入れ直段 甲銀七拾壱匁        縄代とも
       この永壱貫八百廿文五分        但し前同断
   差引 永七百九拾文七分            全て弁金相成り候分
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

甲州御普請割増し歎願 その2

(昨日、夕方、金谷の大井川公園から見えた富士山)


午前中、神座のYさん宅へ行く。解読を終えた「御觸書寫帳 慶應四年戊辰正月」を、解読書類とともに届ける積りだったが、それに終らず、2時間ほど、解読した古文書についてお話して、お昼になったので帰ってきた。自分の得意分野だとついつい話が長くなってしまう。

*****************

「甲州の川除け御普請の歎願書」の続きである。

当戌年の儀、都合三度の大満水にて、御普請所多分破損流失致し、その度、自普請所とても同様の義にて、来戌春御普請御目論見下され候とも、前件申上げ候通り、諸品格外払底、高直にて、所詮弁金仕るべき手段御座なく、村々途方に暮れ、
※ 満水(まんすい)- 洪水。
※ 御普請と自普請(じぶしん)- 御普請は領主側が費用を負担して行う工事。自普請は周辺村落が費用を出して行う工事。


止む事をえず、なおまた今般、願上げ奉り候は、恐れ多くも御座候えども、来亥年一ヶ年限り、竹類の分はこれまで下し置かれ候代永へ、九割増、雑木並び筋麁朶の義は七割増、御入用下し置かれ候様願い上げ奉り候。
※ 筋麁朶(すじそだ)- 江戸時代、砂堤を築くとき、敷込んだ一尺あまりに伐った柳・宇津木の類。

もっとも右の通り割増下し置かれ候とも、やはり弁金は相立て候えども、それだけの義は何分にも才覚仕り、入念相仕立申すべく、これに依り、当時村々買入れ直段と御定め直段と差引き金弁金相立て候分、別紙仕訳書差上げ奉り候間、余義なき訳柄、厚く御賢察成し下し置かれ、願いの通り割増仰せ付けられ、御普請丈夫に相仕立て、御田地守護、御百姓永続仕り候様、御憐愍の御沙汰、幾重にも願い上げ奉り候。

右願いの通り、御聞き済まし被成し下し置かれ候わば、村々大小百姓相助かり、広大の御仁恵、有難き仕合わせに存じ奉り候、以上。
 嘉永三戌年九月   当御支配所  定式川除け御普請所
             巨摩、八代両郡
                巨摩郡上円井村
                 外五拾弐ヶ村惣代
                  八代郡高田村
                     長百姓
                       喜内
                巨摩郡山神村
                     長百姓
                       八之丞
                同郡最勝寺村
                     長百姓
                       重右衛門
                同郡若尾新田
                     名主
                       吉左衛門
                同郡野牛島村
                     長百姓
                       要助
                同郡鏡中条村
                     名主兵助代兼
                   浅原村
  市川                 名主
   御役所                 四郎左衛門
※ 嘉永三戌年 - 一八五〇年。第十二代将軍、徳川家慶(いえよし)。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

甲州川除け御普請割増し歎願 その1

(大代川のダイザギ)

夕方、ムサシの散歩で、大代川にダイザギを見た。白いサギだが、よく見るコサギよりもかなり大きい。

稀勢の里の雲龍型の土俵入りをテレビで見た。しばらくは嫌が上にも相撲人気が沸騰するであろう。

神座のY氏宅へ、明日朝、行く約束をした。古文書解読、第一回目の報告である。

*****************

「大井川川除け御普請増永願い書」になぜか甲州の川除け御普請の歎願書の写しが添付されていた。どうやら歎願書を書くのに参考にしたと思われるが、入手の経路は謎である。

 市川付巨摩、八代五拾三ヶ村、御普請割増し歎願、江戸御伺い書に相成り候写し

     恐れながら書付を以って御歎願申し上げ奉り候
荒井清兵衛支配所、甲州巨摩、八代両郡、里方定式川除け御普請、巨摩郡上円井村外、五拾弐ヶ村惣代一同、申し上げ奉り候。

私ども村々川除け御普請の義、定式並び急場水防とも、その時々、御掛り様方御見分の上、御普請仰せ付けられ、御入用米金頂戴、相仕立て来り、有難き仕合わせに存じ奉り候。

然る処、御入用諸色の儀、去る酉年大風難の節、吹き毀れ候後、自然国中払底に相成り候に随い、諸品高直に相成り、難渋至極、もっとも去る辰年、格別の御仁恵を以って、竹代増永成し下し置かれ、有り難き仕合わせ存じ奉り候えども、時節柄に候や、拾ヶ年以来、竹林一面立枯れにて、無難の竹数なく、年増し不足にて、
※ 去る酉年(さるとりどし)- 一八四九年。第十二代将軍、徳川家慶(いえよし)。
※ 仁恵(じんけい)- 思いやりの心と、恵み。


その上去る酉冬中より、信州、諏訪、松本在々より、竹(せり)買いに相廻り、数駄付け送り、その外里方御普請所、河内領村々より買上げ、川船にて積み登せ、御遣い用にも相成り来り申し候処、当戌春方に相成り、すべて河内領へ竹数船、川下にて御普請御遣い用に相成り候次第、
※ 糶(せり)- 買い手に競争で値をつけさせ、一番高い値をつけた者に売ること。
※ 河内領(かわちりょう)- 現、山梨県 南部の富士川右岸。西八代郡、南巨摩郡一体。


かれこれ過分の行き違いに付、年増し高直に相成り、先年と当時と引き競べ見候えば、倍増直段に相当り、それのみ成らず、雑木の類いも右に準じ、代銀は勿論の上、運賃などまで、高直に相成り、かつ諸職人、または人足日雇賃銀に至るまで、多分打銀差し出し候様に相成り、入用頂戴の外、諸入用格別相懸り、多分弁金相立て、難渋至極仕り、村々一統立ち行き難く、当惑悲歎の余り、去巳年以来、追々御支配御役所へ御歎願申上げ候処、
※ 打銀(うちぎん)- ここでは、上乗せ賃金のようなものか。

御普請の義は御田地御囲い方の義、冥加の程、篤と相弁え、手厚く相仕立て候様、精々御利解仰せ聞かされ、願書御下げに相成り、余義なく難渋を忍び、これまで出精相励み候えども、限りも無く、年々の御普請、殊更前年出水の度々、耕粒最中、防方人足、並び諸色など多分に遣い捨てに相成り、実に川除け村方に限り、辛苦困窮仕り、御年貢御上納方にも響き
候義と、心配罷り在り候折柄、
※ 冥加(みょうが)- 気がつかないうちに授かっている神仏の加護・恩恵。(ここでは、神仏を御上と読み替え)
※ 耕粒 -「耕種」(こうしゅ)。田畑を耕し,作物をつくること。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大井川川除け御普請増永願い書  その6


(堀本家、庭のヤマモモの巨木)


(ヤマモモが根に抱える、大井川が運んだ玉石)

朝から、「文書に親しむ(経験者)」の見学会で、午前中、堀本古文書館を訪問した。88歳になられる堀本さんがプロジェクターを使って、大井川の話をして下さった。アピタで食事後、川根筋へ牛枠などの現物を見学に行った。現在実際に使われている牛枠は見つからなかったが、帰りに金谷の大井川公園で牛枠の見本展示を見てきた。何とか、発表会の材料は得ることが出来たのではないかと思う。

*****************

「大井川川除け御普請増永願い書」の続きである。

一 沈枠 壱組            諸色代、永弐分五厘引き、並び
   代永七百六拾八文五分      賃永とも御定直段下され候分
    銭八貫弐拾文          村々買入れ直段
     この永壱貫弐百五拾三文四分   
   差引
    永四百八拾四文九分       全て弁金相成り候分
     右買入れ直段仕訳
  枠柱四本   長六尺 末口八寸
    代銭壱貫弐百文         但し壱本、銭三百文
     この永百八拾七文五分
  樌木八本   長壱丈三尺七寸 末口五寸
    代銭壱貫八百三拾弐文     但し壱本、銭弐百廿八文
     この永弐百八拾六文五分
  根太木三本  長壱丈三尺七寸 末口四寸
    代銭六百文          但し壱本、銭弐百文
     この永九拾三文八分
  敷成木拾六本 長壱丈弐尺八寸 末口三寸
    代銭壱貫六百文        但し壱本、銭百文
     この永弐百五拾文
  立成木六拾八本 長六尺 末口弐寸
    代銭壱貫百三拾弐文      但し壱本、銭拾六文
     この永百七拾七文壱分
  藤拾三房   弐拾尋(ひろ)曲げ
    代銭七百五拾六文       但し壱房、銭五拾六文
     この永百拾八文五分
  大工四人
    賃銭八百九拾弐文             
     この永百四拾文       但し壱人、永三拾五文
      〆

 長拾間敷込             
一 麁朶 三束   四尺打違い 五尺縄じめ
   代永拾八文七分        弐分五厘引き
                  御定直段下され候分
    銭五百文           村々買入れ直段
     この永七拾八文壱分   
   差引
    永五拾九文四分        全て弁金相成り候分

一 蛇籠壱本    長五間 差渡し壱尺七寸
   代永百廿四文六分       竹代永弐分五厘引 籠造
                  賃永とも御定直段下され候分
    銭壱貫四百文         村々買入直段
     この永弐百拾八文八分
   差引
    永九拾四文四分        全て弁金相成り候分

一 石取り壱坪    東側通 西島村、中島村、飯渕村
             同新田村
           西側通 大日村、高嶋村、川尻村
  これは川裾にて、右石払底の場所に付、右七ヶ村
  の分、これまで御積り下し置き候人足へ五割増
  御積り願い上げ奉り候。

右は、大井川通り川除け御普請、諸色当時買入れ候分、村方により高下は御座候えども、大概取調べ差上げ奉り候処、書面の通り御座候、以上。
 嘉永五子年五月           大井川通り駿遠宿村
                       役人共連印
島田御役所                  
  中泉御役所
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大井川川除け御普請増永願い書  その5

(御前崎から撮ったカノープス)

真っ暗な空に星が写っているだけの写真だが、一番下に横長の明りが見えるのが船でほぼ水平線に近い。画面上部中央辺りに斜めに三つ並んで見えるのがオリオン座の三つ星。その斜め左下に一際明るいのがシリウス。三つ星の下を見て行くと、水平線の少し上に見えるのがカノープスで、シリウスに次いで2番目に明るい星だという。ただ、南半球で見える星で、日本では限られた時間にわずかにしか見えない。中々見ることが難しい星だという。写真は今夜、息子が御前崎より写してきた写真である。見た人は何か良いことがあるというが、‥‥

お昼、同い年のN氏のお葬式に行ってきた。S氏が迎えに来てくれて、同行した。N氏の死因は膵臓ガンだった。昨年10月に病気が見つかった時には、すでに末期で、彗星の如く逝ってしまった。健康にはひときわ自信があり、病気とは縁がないと確信していただろう本人が、一番驚いたのではなかろうか。それでも、暖かい家族、親族に囲まれて、幸せな最期だったと思われた。

同行したS氏は自らも胃がんの手術をしていて、他人事ではなかったはずで、もっともS氏の場合は手術から節目の5年が過ぎ、完治したことになる。帰りに、我が家に寄ってくれて、長い時間、色々話した。

*****************

「大井川川除け御普請増永願い書」の続きである。

  御普請諸色直段へ御増永願に付
   村々諸色買入れ直段、取調べ書上げ
一 大聖牛 壱組           諸色代永弐分五厘引き、並び
   代永壱貫五百四十八文六分    賃永とも御定直段下され候分
    銭拾七貫弐百四拾三文      村々買入れ直段
     この永弐貫六百九拾四文四分  但し金壱両に付
                      銭六貫四百文替え
   差引
    永壱貫百四拾五文八分      全て弁金相成り候分
     右買入れ直段仕訳
  棟木壱本   長五間 末口六寸
    代銭壱貫七百文
     この永弐百五拾五文六分
  桁木弐本   長五間 末口五寸
    代銭弐貫二百文         但し壱本、銭壱貫百文
     この永三百四拾三文七分        
  前合掌木弐本
  梁木三本
  砂払木壱本  長三間 末口五寸
   〆六本
    代銭三貫六百文         但し壱本、銭六百文
     この永五百六拾弐文五分        
  中合掌木弐本
  前立木壱本  長弐間半 末口四寸
   〆三本
    代銭壱貫四拾八文        但し壱本、銭三百四拾八文
     この永百六拾四文五壱分        
  跡合掌木弐本 長弐間 末口四寸
    代銭五百文           但し壱本、銭弐百四拾八文
     この永七拾八文壱分          
  棚敷木拾五本 長弐間半 末口三寸
    代銭四貫文           但し壱本、銭弐百六拾四文
     この永六百弐拾五文          
  棟挟竹弐本   目通七寸廻り
    代銭四百文           但し壱本、銭弐百文
     この永六拾弐文五分          
  扮詰竹弐拾五本 目通六寸廻り
    代銭三貫七百四拾八文      但し壱本、銭百四拾八文
     この永五百八拾五文九分        
  大工弐分
    賃銭四拾三文             
     この永七文          但し壱人、永三拾五文
      〆
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大井川川除け御普請増永願い書  その4

(ご近所の梅の花)

昨日の散歩の時、近所の梅の花が咲いているのを見つけた。この寒さの中、健気だと思った。そういえば、故郷(くに)の豊岡は積雪60センチだとニュースで見た。この冬もほとんど雪を見ないと、次兄が電話で話していたが、ようやく雪らしい雪の到来となったようだ。

神座のY氏宅の古文書、最初の分(B4、63枚)の解読がようやく終り、報告書が出来た。さっそく近いうちに報告に行って来ようと思う。引続き、B4、36枚の解読に入る。

*****************

「大井川川除け御普請増永願い書」の続きである。

右廉の御増永願上げ奉り候義も、諸品高直に相成り候上へ、銭相場の義も、文化の度は、金壱両に付、銭七貫文より七貫弐、三百文にこれ有り候処、近来六貫四百文位にこれ有り、引競べ見候えば、八、九百文の相違にて、人足遣いの廉にても、余程の相違に相成り候分、村足しに罷り成り、難渋申し尽し難く、この分にては村々相続逸々(いちいち)相抱わり、悲歎の義に御座候間、前顕始末、聴こし召し訳させられ、竹類の義は、これまで下し置かれ候御直段へ、七割増、雑木、藤、麁朶(そだ)、人足、御積り方の義は、五割増成し下され、跡御請年限の義は、来丑より卯まで三ヶ年季、右御増永を以って、村御請仰せ付けられ、下し置かれ候様、願上げ奉り候。

もっとも右御増永成し下し置かれ候ても、矢張り村々弁金は相立て候えども、右弁金これ丈にては、何様にも才覚仕り、御普請念入り相仕立申すべく候。これにより村々当時買入直段と御定め直段差引金、弁金相立て候分、別紙仕訳書差し上げ奉り候間、余義なき訳柄、厚き御賢察成し下し置かれ、願いの通り、割増仰せ付けられ、村囲い御普請、丈夫に相仕立て候様、願い上げ奉りたく候。

もちろん右様願上げ奉り候ても、向後病竹立直り、雑木その外、買入直段、追々下落仕り候節は、これまでの御直段に御引戻し下されたく、願上げ奉り候間、当時危急の時節に御座候間、願いの通り仰せ付けられ、下し置かれ候わば、宿村大小百姓相助かり、広大の御慈悲、有難き仕合わせ存じ奉り候。これによりこの段幾重にも願上げ奉りたく、恐れながら宿村役人ども一同、連印書付を以って、願い上げ奉り候、以上。
 嘉永五子年五月            大井川通り
    島田               東西駿遠宿村一同
     御役所                 役人共
    中泉                    連印
     御役所
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大井川川除け御普請増永願い書  その3

(日限地蔵に初詣)

稀勢の里が初場所で、初優勝と横綱を一度に手にした。19年ぶりの日本人横綱の誕生である。何度も横綱に手が掛かりながら、その度に逃して、もう横綱にはなれないのかと思っていた。新年早々、多くの大相撲ファンを喜ばせた快挙である。遅咲きであるが、これでプレッシャーから解放されて、名横綱になってもらいたい。これをスタートに、今年は良いことずくめの年であってほしい。

身体が鈍って、その解消に、午後散歩に出た。寒くて頭も身体も動きに悪い中で、一時間半ほど歩いた。日限地蔵に初詣、その後、島地区の氏神さんの放光神社に参り、帰りに大井川鉄道の五和駅、五和合格地蔵に寄った。明日も歩こうと思う。

*****************

「大井川川除け御普請増永願い書」の続きである。

一 雑木の儀、山方追々浅山立木伐り尽し、次第に深山へ立入り伐り出し候に付、自然、運送諸掛りなど相増し候上へ、財木商売の者など山内へ立入り、仕入方糶(せり)上げ候に付、御仕立方難渋仕り候。かつ沈枠雑木の義は、文化の度、村請け仰せ付けられ候節、御直段下げの侭、御引戻し御座なく、難義これまで相忍び居り候えども、何分取続き出来仕らず候に付、これまた別紙仕訳の内、五割御増永願上げ奉り候。
 但し、藤、麁朶の義も別紙仕訳の内、五割御増永願上げ奉り候。
※ 沉枠(しずめわく)- 堤防や海岸の修築に用いる枠。
※ 麁朶(そだ)- 粗朶。切り取った木の枝。


一 沈枠、蛇籠石詰め、坪掛け人足の儀、川丈村々の内、取り石に差支えこれ有り候村方これ有り、石は東側通りにて、西嶋村、中島村、飯渕村、同新田村、西側通りにて、大日村、高嶋村、川尻村、東西にて七ヶ村の儀は、川裾にて、他村と違い、先前より大石払底の場所柄に御座候処、近来川上より土砂押出し候故にこれ有るや、追々川床高に相成り、小石ばかりにて、坪石に相用い候大石は殊の外払底罷り成り、御仕立ての毎度、格外の手数相掛り、それだけの村損相立て、難儀罷り有り候えども、村御請年季中の儀に御座候に付、難渋相懲らえ罷り在り候えども、何分これまで下し置かれ候坪掛り人足にては、已来、御仕立て村弁のみ相立て、相続き出来難く、難義至極に御座候間、御賢察成し下し置かれ、これまた別紙の内、人足御積り御増し人足願上げ奉り候。
※ 川丈(かわたけ)- 川端。
※ 已来(いらい)- 以来。
※ 賢察(けんさつ)- 相手を敬って、その人が推察することをいう語。お察し。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大井川川除け御普請増永願い書  その2

(静岡城北公園のセイヨウカラシナ)

朝、Y氏のお葬式に、静岡へ行く。会社の頃、大変お世話になった、会計士さんである。ずいぶん色々なことを教わった。享年92才、亡くなられる二日前まで仕事をされていたと、後を継がれている息子さんから聞いた。死因は誤飲性肺炎、高齢者は気を付けなければならない病気である。ご冥福をお祈りする。

もう一人、自分とは同い年のN氏が亡くなられ、この水曜日にお葬式だと聞いた。会社に入社した時、入った独身寮の寮長だった。その頃から今の奥さんとお付き合いされていて、寮に不在のことが多い寮長だった。一昨年だったか、お遍路の自著を届けてお宅にお邪魔して、御夫婦と昔話をしたことを、昨日のことのように思い出す。こちらの訃報は、ショックが大きい。

***************

「大井川川除け御普請増永願い書」の続きである。

右様、これまで格別の思し召しを戴き奉り、御増永、成し下され候御儀に付、相成べくだけ相懲(こ)らえ、歎願申し上げず、納得に罷り在り候えども、申年より引続き米價高直に随い、諸色並びに人足、日雇賃などまで引上り、御仕立方難渋仕り、年々村足損金相増し候のみにて、一同必至と当惑罷り在り候に付、去る酉年、難渋の余り御役所様へ歎願奉り候処、年季中の義にもこれ有り、銘々村囲いに成し下され候御普請の義、冥加の程、篤と相弁(わきま)え、手厚く相仕立て候様、精々御利解仰せ聞けられ、願い書御下げ相成られ、余義なく難渋を忍び、これまで艱難御仕立て仕り候えども、年々の御普請、村弁じ相嵩み、難義の段、御賢察願い上げ奉り候。
※ 村足(むらあし)- 村の損失。欠損。借金。
※ 冥加(みょうが)- お礼。報恩。


かつ毎年出水の度々、農業中、防ぎ方人足、並びに諸色など、多分に遣(や)り捨てに相成り、実に川通り村方に限り、辛苦困窮仕り、御年貢御上納方にも相響き候義と、心配罷り有り候。時節、諸品格別払底、高直にて、所詮弁じ金仕るべき手段御座なく、村々途方に暮れ止む事を得ず。なおまた今般季明けに付、跡御請け諸色御直段、御増永歎願奉り候。廉々左にヶ條を以って願上げ奉り候。
※ 廉々(かどかど)- それぞれの箇所。部分部分。

一 蛇籠の義、去る子年より御増永下し置かれ候えども、拾ヶ年以来、山方竹林、過半立枯れに相成り、無難の竹、数なく罷り成り候。及び直段追々引上げ候上ヘ、去る冬十一月下旬より、当子正月上旬まで、日数凡そ四十余日も照り続き、雨一滴もこれ無く、その頃寒気別して烈しき故に候や、大きに相障り、当川通り、両縁山方村々持ち竹林悪しく立枯れ、殊更竹払底に罷り成り、何分仕入方難義仕り候義に付、凡そ以前の倍増直段に引上げ候儀に御座候間、所詮これまでこれを下さる御直段にて、御仕立て出来仕らず、村々損金、格外相立て候義に御座候間、竹類の儀、別紙仕訳の内、七割御増永願上げ奉り候。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ