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嬉野温泉から帰って来た

(嬉野温泉、塩田川畔の温泉公園)

お昼に嬉野を発って帰路に着いた。バスで約30分で武雄温泉駅に着き、特急みどりで博多へ。乗ったのぞみは臨時列車(多分ゴールデンウィーク時期の)で、指定はがらがらだった。妙に疲れてのぞみで中国路をほとんどうつらうつらとしていた。温泉に浸かりすぎて疲れたのかもしれない。

嬉野温泉のシーボルトの湯は泊ったホテルの泉質と比べるとさらさらしていたと、午前中にお会いした銀行の支店長さんにお話したら、ホテルの温泉とシーボルトの湯では温泉が違うという。そんなことがあるのだろうか。自分は加水されているのが原因だと思っていたが、どうなんだろう。

昨日、少し書くことに困って、「今風の湯治場」などと書いたら、「大村屋」という署名で「いいかもしれません!アイディアありがとうございます。」とのコメントを頂いた。「大村屋」さんが、嬉野温泉の「大村屋」さんだったら、老舗の温泉旅館で、嬉野の街をうろうろしていた間に、名前を何度も見てきたような気がする。こんないい加減な感想がヒントになるならば、昨日の続きをもう少し書いてみようか。

長く逗留してもらえる今風の湯治場。ターケットにするのは仕事を終えた60代のご夫婦。昔の湯治場のように、ただ朝昼晩と温泉に入って湯治をし、食事は自炊で安く上げるというわけにはいかない。今風ではもう少し活動的になるし、自炊は嫌われるだろう。ホテルを拠点にして、ウォーキングシューズを履いて、半日ぐらいは表へ出る。軽く汗を流して、午後早めにホテルに戻って、温泉に入る。手の込んだ料理や満腹できる料理などは、60代のご夫婦には今さらいらない。温泉豆腐やだご汁のようなヘルシーな郷土料理の方が余程楽しい。

昼間、半日ほど汗を流すコースを出来るだけたくさん作って、その中から選んで、3日とか4日楽しめるようにしたい。嬉野の立地で思いつくものをあげてみようか。

   1.岩屋茶ロードの散策コース
   2.塩田川を溯り、轟の滝散策コース
   3.武雄巨樹見学コース
   4.有田焼見学買い物コース
   5.肥前街道散策と肥前夢街道見学コース
   6.元湯、シーボルトの湯など湯めぐりコース
   7.低山ハイキング登山コース

その位しか思い付かないが、地元の方ならまだまだたくさん思いつくだろう。テニスなど軽いスポーツもあってよいし、雨の日の美術館・博物館巡りなども面白い。それぞれに、交通機関、地図、食事処、立寄れる店や施設などの詳しい情報を提供し、自分たちで出かけてもらう。そして、歩くことと、温泉による湯治で元気になって帰ってもらう。旅に行って疲れて帰ってくるのではつまらない。

それを町として取り組んで、コースをどこの宿泊施設でも共通のものとして、整備充実したらどうかと思う。
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嬉野温泉二日目の夜

(ホテルから見える夜のシーボルトの湯)

嬉野温泉二日目の夜、ホテルから昨日入湯した「シーボルトの湯」が夜景の中に見えた。

一日仕事をしてきて、午後5時半にホテルに入った。夕食の箸袋に、「嬉野夢音頭」という新しい民謡の歌詞が印刷されていた。その囃し言葉に「♪嬉野きてみて 逢いに来て 湯どころ茶どころ 夢どころ」とあった。嬉野は昔から温泉とお茶の町といわれ、主たる産業は温泉を中心におく観光と、嬉野茶の生産である。

昔、お茶工場の30周年記念式典があって、来賓で出席するように頼まれ、右も左もわからないまま、落下傘で降りるように嬉野へ出かけたことがあった。参加者が何十人も居る宴会で、知った人が全くいない中、どうして座を持たせようかと考えた。機械メーカーの代表でありながら、機械の専門的なことはほとんど知らず、下戸だから酒も飲めずに、2時間過ごすのは難行である。苦肉の策で午前中にタクシーを使って、嬉野の山間にある「大茶樹」を見に行った。嬉野の茶の木のルーツといわれる古い茶の木である。この話題だけで宴会をやり過ごそうと思った。一つの共通の話題があれば、相手は次々に変るから2時間十分持たせることは出来ると考えた。

ラッキーだったのは目的のお茶工場はまさに大茶樹のある集落であったことである。話題がはまった。見てきたばかりの話題で、リード出来、おらが自慢の大茶樹の話だからみんな茶樹にまつわる話などをしてくれて、苦に思った2時間がたちまち過ぎていった。もう10年ほど前の話である。

その宴席の隣の席がやはり来賓の町長さんで、名刺の交換をして少し話をした。嬉野の主たる産業は何ですかと聞けば、温泉とお茶と答える。そのどちらも今は振るわなくて問題なのだと話した。温泉も新しい温泉が次々に出来て、老舗温泉だけではジリ貧になってしまうと話されていた。

町長さんは嬉野が市になって、今は市長さんのようだが、温泉とお茶に加えて、「嬉野夢音頭」で謡うように、「夢」というキーワードを加え、町興しをされているようである。町内を見下す高台に「肥前夢街道」という江戸時代の宿場を再現した観光施設が出来たり、「シーボルトの湯」の再建もその一環であろう。

嬉野温泉は湯量、泉質ともに大変優れた温泉で、やり方次第で客の呼べる余地のある温泉だと思う。今年のゴールデンウィークは、旅の形が安近短から、遠く長くという傾向に変ってきたとテレビニュースが伝えていた。団体観光旅行の途中に一泊するような旅は、新しいホテルが林立する温泉に行ってしまうだろう。周囲の山里を含めて滞在型の旅の拠点ととらえて、町興しをしていければ、団塊の世代を中心にまだまだ集客できると思うのだが。目標は一日に落とすお金は少なくても、長く逗留してもらえる、今風の湯治場であろうか。
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嬉野温泉シーボルトの湯

(レトロな嬉野温泉シーボルトの湯)

今夜は嬉野温泉ホテル光陽閣に泊まっている。出張一日目で、JRで武雄温泉まで来て、JRバスで嬉野温泉には午後3時過ぎについた。ホテルの場所が判らず、荷物もあったので、バスセンターからタクシーに初乗り区間で着いた。

嬉野温泉に新名所が出来た。この4月1日にオープンしたばかりの、「嬉野温泉シーボルトの湯」である。NHKのお昼の番組で紹介されていた。以前に来たとき大正時代の古湯温泉が再建されるとして、塩田川のほとりが整地されて看板が出ていたのを思い出す。

古湯温泉は江戸時代、蓮池藩の湯治場が元で、シーボルトが訪れた温泉として知られていた。版籍奉還によって地元の有力者の共同経営となって続けられていたが、大正11年(1922)正月の大火で全焼し、2年後にドイツ人建築家の設計で西洋建築の公衆浴場として再建され、家庭に風呂が無かった昭和40年頃まで公衆浴場として賑わった。1996年、利用客の減少で閉鎖されていたが、地元の要望を受けて「シーボルトの湯」として大正時代の西洋建築の意匠のままに再建されて、嬉野温泉の新名所としてオープンしたものである。

さっそくホテルでタオルを借りて出かけた。塩田川の赤い橋を渡って温泉公園を行くとすぐそこに「シーボルトの湯」の新しい建物が見えている。建物はレトロな洋風建築で嬉野温泉街に似合いそうである。もう一度橋を渡って、料金400円払って入った。エントランスホールが吹き抜けになっていて気持がよい。

浴室は設備がまことにシンプルである。昔の公衆浴場には余分な施設は何もなかったから、あえてシンプルにしたのだろう。銭湯なら壁いっぱいに富士山の絵でも描くのだろうが、変りに小さくタイル絵で塩田川上流の轟の滝が描かれていた。泉質は加水と書かれていたが、嬉野温泉のとろりとした感触が少なく、湯の温度もややぬるくて、以前に入った元湯とは随分違った。毎日汗を流しに入るならこちらの方が良いかもしれないが、温泉目当てに来るならば少し物足りないかもしれない。自分はホテルに帰ってとろりとしたホテルの湯に入り直した。


(シーボルトの湯浴室)

時間帯のせいであろうか、客が少なくて、浴室に人がいなくなったので、浴室内の写真を取ってきた。湯上りに中を見学して回った。2階は休憩室があり、食堂は無いけれども近くの幾つかの食堂から色々なものが出前できるという。このシステムは斬新で面白い。ベランダへ出ると足下の塩田川と温泉街が一望に出来て眺めが最高であった。

貸切湯が5箇所もあって、現代はお年寄りなどを介護しながら入れるのに必要なのだろう。大人5人までで2000円だから、随分割安であった。
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改正検察審査会の働き

(庭のアマドコロ)

司法改革の一環として、裁判員制度が2009年5月21日に施行された。世の中、裁判員制度で大騒ぎしていて、同時に検察審査会法が改正されたことにはマスコミもほとんど触れることなく、国民の関心を呼ぶこともなかった。

ところが、最近になって検察審査会法の改正がどういう意味を持っているのか、国民はしっかり知ることになった。その最初の事件は2001年7月21日に発生した明石花火大会歩道橋事故で、不起訴になっていた明石警察署の元副署長が検察審査会の2度の議決によって強制的に起訴されることになった事件である。

それまで検察審査会の議決には拘束力がなかったが、この法改正によって拘束力が生じた。検察審査会が起訴相当の議決をし、検察官が再び不起訴処分にした場合、検察審査会は再度審査を行い、その結果、再び起訴相当の議決があった場合には、検察官に代わって、裁判所が指定した弁護士が被疑者を起訴するという制度である。

検察官は司法・警察関係者にどうしても甘くなり、先の事件も不起訴になったと思われるが、真の社会正義を実現するためには、検察審査会の権限を強める必要があったのである。

昨日、今日と再び検察審査会が脚光を浴びることになった。政治資金不正処理の問題で、昨日は鳩山首相が「不起訴相当」と議決され、事件が終結したが、今日は小沢幹事長を「起訴相当」と議決した。これで、不起訴(容疑不十分)とした東京地検特捜部に戻されたことになり、東京地検は再度捜査の上、起訴、不起訴を決めることになる。再び地検が不起訴とし、審査会が再び起訴相当と議決すれば、小沢幹事長は裁判所が指定する弁護士によって強制的に起訴されることになる。

起訴相当の審査会の議決書によると、「担当者が真実を記載していると信じていた」とする小沢幹事長の供述は「きわめて不合理、不自然で信用できない」とし、収支報告書を提出する際に「小沢氏に報告、相談した」という元秘書の供述を、小沢氏の容疑を裏付ける直接証拠に当たると判断した。さらに「絶対権力者である小沢氏に無断で秘書らが隠ぺい工作をする必要もない」と述べている。

まさに、何か違うぞと感じる庶民感覚を検察庁に吹き込むことになった。検察はこの事件は秘書止りと最初から決めていた節がある。小沢幹事長の言うように、問題は単に手続きミスで、取るに足らない罰則にしかならない事件である。検察もその辺りの判断があったのだろう。ただ国民の目には小沢幹事長の嘘で固めた発言の数々が不審を呼び、今国民は小沢幹事長の政治家としての資質を問うているのであろう。
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凍霜害茶園の現状と草枯らし

(裏の畑のコデマリ)

今朝、会社へ行くのに、牧之原に登り菊川に下るコースで、凍霜害を受けた茶園の回復の様子を見ながら車を走らせた。防霜ファンの風の当たり具合で茶園に緑の黒いところと、新芽の萌黄色の部分が曲線模様を描いていて、まだまだ回復というにはほど遠いように見えた。80%の回復と報道ではあったが、牧之原を見る限りでは、まだ回復には時間がかかると思った。良いとこ取りの摘採をするにもまだ10日以上掛かるのではないかと見えた。牧之原のかなりの部分で茶農家は大打撃を受けているように思う。

県知事は、凍霜害の対策として、お茶の消費拡大のために、具体的な対策を発表した。その対策を聞いて、やはり知事の顔は商人の方を向いていて、直接被害を受けている茶農家の方へは向いていないと思った。もちろん、お茶の消費拡大がすすめば茶農家のために少しはなるであろうが、かゆい足を靴の上から掻いてあげるようなものである。それを4文字熟語で「隔靴掻痒」という。前知事も全く同じであったが、商人の声は知事に届くが、茶農家の声はほとんど知事には届いていない。どこに問題があるのであろう。知事の持つ情報網に農家の情報は入っていないのだろうか。

    *    *    *    *    *    *    *

春になってどことも一斉に新芽を出している。土手や畦の雑草も元気に芽を出して花を咲かせたりにぎやかである。しかし雑草はある人にとってはやっかいな存在である。ムサシを散歩させていて、雑草がいっぱい生えた中に、不自然に枯れ色を見せている部分がある。草枯らしをかけたところである。ムサシを草枯らしの掛かったところには近づけるなと女房には言われているから、避けて通り過ぎるようにしている。といっても、かけたばかりのところはまだ枯れていないから、判らずにムサシが近付く場合もあるかもしれない。草枯らしにはかけたことが判るような色をつけることを、このブログで提案したこともあった。

草枯らしが生き物にどのような影響があるのか知らない。使っている人は影響はないと思って使っていると思う。ただ植物を枯らすものが動物に何にも影響がないとは考えにくい。直接毒性は無くても環境ホルモンのようなこともある。だから極力ムサシは近付けないようにしている。

雑草を刈ったり抜いたりせずに、枯らしてしまうから便利だとはいえ、すぐに稲を育てる田んぼの畦に草枯らしをかける農家の無神経さには首を傾げたくなる。草枯らしのかかった田んぼで出来たお米は、出来たら食べたくないと考えるのは自分だけでないと思う。おそらく、そのような農家は必要とあれば農薬を限度いっぱい使いそうだから余計に恐い。しかし一般消費者にはそのお米がどんな形で作られたのか、知る手立てはない。当家のお米は知り合いの農家から分けてもらっていて、安全なお米だと女房は言う。
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鳩山政権に末期症状

(庭のアヤメ)

沖縄には火が付いてしまった。鳩山政権はもうこの火を消すことは出来ないであろう。これ以上突っ込めば火だるまになって果てるしかない。予想せぬ大差で政権を手に入れて有頂天になり、マニフェストに賛同を得て総選挙に大勝利したと勘違いしてしまった。マニフェストというものに、政治家が慣れていない以上に、選挙民自体が慣れていなかった。マニフェストをそれほど吟味して投票したわけではなかった。例えば子供手当、自分がもらえそうな額の計算はしても、それが国の借金で払われて、その付けが自分の子や孫に回っていくであろうことなど、選挙時には誰も説明してくれなかった。

国民が民主党を選んだ理由は、三代にわたって短期政権で終ってしまった自民党政権に、国民が見切りをつけたためである。具体的に金権政治が目立った訳ではない。金権政治家がいても、真に国の将来を託せられる政権であれば、国民に見切りを付けられることはなかった。国家のことよりも自らの利権を第一に考え、党内抗争に明け暮れして、政権がたらいまわしにされる。その間に、国益は日々失われていく。そんな自民党政権に国民は見切りを付けたのであった。

民主党政権の悲劇は政権奪取時に、マニフェストの勝利だと思ってしまったことにあった。マニフェスト通りにすべてを実施していくと聞いて、国民は戸惑ってしまった。一つ一つのマニフェストにはそれぞれ賛否が当然ある。話が進んで新たな問題が見えてくれば、当然、賛否も変ってくる。すべてマニフェスト通りに実施すると大見得を切る前に、一つ一つの問題について詳しく説明した上で、世論の動向を見直して政策を決める方法だってあったはずである。マニフェスト違反だというのは野党ぐらいで、世論が付いていれば、マニフェストの方針転換があったとしても、国民の理解は得られたと思う。

幾つかの問題について、内閣と政権与党の間に表立った対立が始まった。いよいよ鳩山政権も末期症状になってきた。このまま推移すれば、沖縄問題解決の5月末には政変が起きそうである。唯一、鳩山政権で国民の支持がある事業仕分けの第2ステージが始まった。これがタミフルのように鳩山政権の特効薬になりうるのかどうか。タミフルも早期に処方すれば効果が大きいが、ここまで来てしまえばもう効かないだろう。

鳩山政権をここまで追い込んでしまったのは、小沢・鳩山両氏の不明朗な政治資金問題が大きいことは確かだが、ここに至って、鳩山首相の指導力や決断力の欠如、熟慮された様子のない場当たり的発言の頻発で、鳩山首相の首相としての資質まで疑われ始めては、もう長くはないのであろう。身の引き時をどうするのか、そろそろそんなタイミングを計る時期が来たように思う。
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雹(ひょう)が降る

(庭の芝生を埋める雹)

不安定な天気が続いている。午前中、日も差してお天気は回復したものと思っていたら、昼食をとっていると「雨が降っている」と電話をくれたご近所さんがいて、女房が慌てて飛び出して行った。日が差したから洗濯物を庭にいっぱい干していたところに、気付かないうちににわか雨が降っていた。

夕方には雷雨もあるという予報が早まって、その後、雷が鳴った。「雹(ひょう)が降る」と女房が呼ぶので出てみると、パラパラと豆粒大の雹が降っていて、女房が庭のムサシを家に中に避難させていた。雹はみるみるうちに芝生の上に溜まって行った。一度止むと見えたが、そのあと、再びざぁーと氷粒が芝生を埋め尽くすほど降った。雹がお茶の新芽を叩いてとばす被害が過去にあったが、この程度の雹であれば被害も無く済んだだろうと思った。夕方天候が回復して、ムサシの散歩に出て茶畑を見たが、見た範囲ではお茶の新芽に被害は無さそうであった。

    *    *    *    *    *    *    *

雨が降るのに洗濯物が干してあると電話をくれる、たったそれだけのことなのだが、それだけの近所付き合いも無くなっているところが少なくない。我が家のご近所にはまだ近所付き合いが残っている。女房はご近所さんの誰が連絡をくれたのか、電話の声だけでは判らず、聞き返す余裕も無かったと気に病んでいる。家の庭が見える範囲のご近所ではないようだというから、たまたま前を通ったご近所さんが電話をくれたのだろう話した。今は携帯という手もある。

好意はあっても、電話をするにはまず家の電話番号を知っていなければ出来ない。それに加えて日頃のお付き合いが無ければ電話をする気にもならないだろう。車が停めてあれば家に誰かいるはずという最低の情報を持っていなければ、電話をするのも躊躇するだろう。電話一本のことながら、幾つかの条件が整わなければ掛けることにならない。

洗濯物が濡れれば洗い直せばいいだけのことなのだが、ご近所にはだんだん年寄りだけの家が増えてきているから、万が一ということも可能性としてはある。先日も二日間、二階の軒下に洗濯物が干してあり窓が開いていたご近所があり、その間に雨も降っているから変だと思い、そのお宅は高齢のご夫婦だとわかっていたから、女房が電話をしてみたという。その時は単に窓の閉め忘れ、洗濯物の取り込み忘れだけのことであったが、遠くの親戚より近くの他人というから、何か出かける用があったら車を出すから、遠慮なく言ってくれるように話して、電話を切ったという。近所付き合いについては別の機会にまた考えて見たい。
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赤瀬川原平と3Dテレビ

(庭のスターチス)

2、3日前、昼間からテレビを目的もなく見ていた。どの番組であったか、赤瀬川原平氏が出演して、彼独特のアバンギャルドな人生を紹介していた。彼が関わっている「路上観察学」「縄文建築団」「老人力」など、何でもない日常生活を少し見方を変えることで、何でもアバンギャルド(前衛芸術)になってしまう。そんな人生の楽しみ方が語られていた。

その中で、中古カメラの世界に足を踏み入れ、マニアになっていくのを、あたかもウィルスの侵される病人のように表現して、仲間内で楽しんでいる話は面白かった。彼が中古カメラの世界に足を踏み入れたきっかけは、立体カメラを欲しいと思ったことによる。立体カメラは一時流行ったが、今は廃れてしまい、新しいものは無いので、中古カメラの市場に探しに行った。そこから中古カメラに魅せられて、今では80台も所有していると話す。

立体カメラは人間の眼のように、二つ並んだレンズで同時に写真を撮ると、わずかにずれた2枚の写真が撮れる。その2枚の写真を左右の眼それぞれで見る装置に入れて見ると、写真が飛び出すように立体に見える。赤瀬川氏は立体写真を御点前を味わうように茶室で回し見て神妙に楽しめば、それはもうアバンギャルドである。

昔、少年雑誌の付録に青と赤で少しずれた絵が付いてきた。左右に赤と青のセロファン紙を貼ったメガネで見ると、その絵が立体に見えた。子供たちが立体画像に遭遇した最初の体験であった。その後、万博などでも本格的な映像を見せられて楽しんだ経験がある。

それが今、3Dテレビという形で茶の間に入って来ようとしている。パナソニックが国内メーカーでは最初に3Dテレビの発売に名乗りを上げた。店頭に出し始めたというニュースを聞いたのはまだほんの何日か前であった。

今日の午後、洗濯機を買い換えるので、下見に行きたいという女房に付き合って、電化用品の量販店に出掛けた。洗濯機のおおよその説明を聞いてから、地デジのこともあるから、テレビ売り場も覗いてみた。3Dテレビが店頭に出ていた。プロゴルファーの石川遼選手がバンカーショットを打っているサンプル画像がくり返し流れていて、テレビ画面は少しぶれている。これをテレビの前の台上に固定された眼鏡に顔を寄せて見ると、見事に立体に見え、石川選手が打った砂が自分の方にかかって来そうに見える。なるほど、これがうわさの立体テレビかと思いながら見たけれども、30数万円の立体テレビを誰が買うのだろうと疑心が起きる。

まだコンテンツの環境がほとんどない。それが出来てきても、お茶の間に入るのはどうだろう。眼鏡をしている人は楽しめるが、それ以外の人はぶれた映像を見る事になってしまう。眼鏡をしたままテレビから視線を外すと部屋がどう見えるのだろう。普通には見えないとすれば不便である。家庭で見るとしても、専用の映像室を作って見ることになるだろう。立体映像をそこまでして見たいかどうか疑問である。メーカーの意気込みにも関わらず、立体カメラがそうなったように、3Dテレビもそんなに普及せずに廃れるような気がする。
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「お遍路」ゲラ校正と技術シーズ

(庭のガザニア)

朝から1日ほとんど止み間なく雨が降った。また寒気が張り出したとかで、昨日の夕方はムサシの散歩で汗をかくほどであったのに、今日は温度で10度以上下がって季節が逆戻りである。福島では咲き出した桜の花に雪が積もって不思議な光景が報道されていた。

家にこもって「四国お遍路まんだら」のゲラ校正をした。本文180ページ(41枚の白黒写真を入れる)、カラー写真頁が8ページで(33枚のカラー写真の入れる)、合計188ページになった。カラー写真頁の配置も自分で決めて、印刷してみた。

校正も終り、写真のコメントも付け、表紙などの紙も指定し、本にするためのすべての情報を明日印刷屋に渡そうと思う。奥付には発行日を6月1日と記したが、5月20日頃には完成する運びになった。残るのはカバーのデザインだが、これは印刷所に任せるしかない。固い印刷所だから、もう一度出来栄えのチェックが必要かもしれないが、早く完成させて皆さんに配り終えてしまいたい。

お遍路から帰ってもう5ヶ月近く経つ。その間、どうも家に籠りがちになって、季節が冬であったから止むをえない部分もあるが、余り良い状態ではなかった。本格的に暖かくなって、天候が回復してきたら、色々な計画の実現に向けて、もっと活動的にならねばならない。

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2日ほど前、テレビタックルで久し振りに麻生元首相を見た。麻生さんにこんな笑顔があったのかと思うほど、にこやかな顔を見せていた。首相の頃の苦虫を噛み潰したような歪んだ顔の片鱗もなかった。首相という重圧はものすごいものだと改めて思った。片や毎日のようにテレビ画面に大写しになる鳩山首相の顔。鉄仮面の虚ろな目が本人の意思に反して泳いでいる。最近は見るに耐えなくて、チャンネルを変えてしまうことが増えた。

麻生元首相は日本のアニメなどを含めた世界に誇れるコンテンツ産業を世界に売って出るために、「アニメの殿堂」を造ろうと真剣に考えていたらしい。首相の頃には漫画好きの変ったオヤジぐらいにしか思われなかったが、もしそれが実現していたら、日本のこれからの世界戦略の大きな柱になったかもしれない。それを理解しない民主党からは漫画やアニメの博物館位に考えられ、一蹴されてしまった。

自動車も電気製品も海外に席巻されて、これから日本は何で生きていくのか。世界の各国が真剣に取り組んでいるのに、日本はほとんど何もやっていない。バブルがはじけた時点で、財政がいかに厳しくとも未来のために取り組まねばならなかった問題である。政治家は政争に明け暮れて、全く省みなかった。わずかな取組みも、「一番にならなくても良いではないか。なぜ一番なんですか」ときくような、若葉マークの政治家によって、「仕分け」という名前で潰されていく。日本には次世代のための多くの技術のシーズが今ならまだある。しかし政治家が真剣に取り組まなければ、研究者はそのシーズとともに海外へ流出してしまうだろう。外国は鵜の目鷹の目で日本にあるシーズをねらっている。

残念ながら、民主党政権は国民の人気取りに終始し、未来への布石を打つ暇は無さそうである。日本の選挙民は政権が考えている以上に賢い。政権の人気取り政策がまやかしであることに気付き始めている。ばら撒かれたお金の付けは自分たちの子や孫にそのまま回って来ることに気付いている。(この問題は後日また考えて見たい)
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コウノトリはかすがい

(庭の白のツツジ)

故郷の豊岡市では今年も放鳥コウノトリのヒナが次々に誕生している。コウノトリの記事はネット上で頻繁にチェックしており、先日帰郷したときも、コウノトリの話をすると、地元にいるものより余程詳しいと感心されたほどである。

但馬に高さ10メートルもの人工巣塔がすでに21基も建てられている。現在その何基かにコウノトリが巣作りしている。ただ高い巣塔の様子を観察するのは大変困難で、クレーンの上から遠望したり、監視カメラを設置するなど、コウノトリを刺激するようなことも控えているため、発表されるときはすでに卵から孵ってからしばらく経っていることが多い。そういう前提で、こうのとりの郷公園の観察に基づく発表を追っていく。

1羽目と2羽目は豊岡市百合地の人工巣塔で、3月27日に確認された。このペアからは4年連続となる。そのうち一羽は4月14日に死んだことが確認された。

3羽目は豊岡市赤石の人工巣塔で、4月11日に確認された。

4羽目は県立コウノトリの郷公園内の仮設人工巣塔で、4月17日に孵化が確認された。放鳥したオスと野生のメスとの間のヒナで、新しい血を入れることになるため、期待されていた。ここではその後、4月19日に5羽目、4月21日に7羽目の合計三羽のヒナが孵った。

6羽目は豊岡市日撫の電柱上の巣で、4月20日に孵化が確認された。ちなみにこの電柱は現在コウノトリの保護のため、送電がストップされている。

今年、産卵が確認された巣は、百合地巣塔、日撫の電柱、公園内の仮設人工巣塔、伊豆巣塔、野上巣塔の5箇所で、うち百合地巣塔、日撫の電柱、公園内の仮設人工巣塔では孵化が確認されている。その中でもまだすべての卵が孵ったわけではないし、伊豆巣塔、野上巣塔はまだこれからである。赤石巣塔のように、産卵が確認されないうちに、孵化が確認された例もある。

ヒナ誕生の発表はまだこれから1ヶ月くらいは続くであろう。今年もすでに1羽死んだように、自然界ではヒナのうちに死んでしまう例も多いから、油断は出来ないが、今年も2桁の幼鳥が巣立つことは確実なようだ。

近年の大合併で、豊岡市は近在の5つの町と合併した。それぞれ想いの違う6つの地方公共団体が財政問題解決の目的だけで合併して、一つに機能する豊岡市にまとめていけるのであろうか。故郷を外から注目して見てきた。そこへ、放鳥コウノトリをそれぞれの地区に住み着くように仕掛けることで、コウノトリを育む街づくりという共通目標が出来た。この目標の本に、豊岡市は一つの町に融合していくように感じられ、大変頼もしく思った。その共通目標は豊岡市を故郷に持つ我々も、胸を張って紹介できる素晴らしい目標であることが何とも嬉しい。「子はかすがい」というが、新豊岡市にあっては「コウノトリはかすがい」と言える。
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