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古文書解読講座の教授一年目の総括

(裏の畑のデコポン収穫)

やっと今年は収穫が出来ると、見てきたデコポン、ネットで見れば収穫は3月から4月とあったので、まだまだと思っていたら、今日、ヒヨドリが突いているのを女房が見付け、つつかれたものを収穫して、食べてみた。もう一人前に甘い。鳥が突くのは甘くなっているからだというが、その通りであった。そのまま置けば鳥の餌食になる。そこで、30数個収穫した。そのまましばらく保管してから食べれば美味しく頂けそうだ。まだ20個ぐらいは木に残っていて、今年初めて収穫らしい収穫が出来た。年々、収量は増えるはずである。

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金谷宿大学の「古文書に親しむ(経験者)」講座を引き受けて、事前の教授会で、右も左も知らないまま、理事にさせられた。四月から月一回、2時間のコマが決まり、学生が11人でスタートとなった。

昨年の秋、前の教授から引き受けることに決め、最初に心配したのが、教材としての古文書が手に入るかという点であった。もちろん、現物ではなくて、コピーが入手できればよいわけだが、全く当てがなく、前の教授から少しなら自分のところにある古文書を使ってくれてよいと言われたのと、女房の父親の実家に古文書があると聞いていたのが、わずかな頼りであった。

駿河古文書会の会員T氏を紹介してもらったのは、そんな時であった。会の後、紹介者のO氏と3人で近くの喫茶店に入り、話をした。T氏は若い古書店主であった。仕事上、手に入る古文書の内、静岡県近辺のものをたくさん保管されているという。自分の趣旨を理解して頂き、教材としての古文書を無償で提供して頂けることになった。これで、講座が無事開けると確信できた。

まず、T氏の倉庫を訪ねて、古文書を借りて来た。コピーを取らせてもらい、凡そ、自分の計算で2年分ぐらいの教材を手に入れた。無償とは聞いていたが、自分の気持として、T氏の古文書保存活動に、幾らかをカンパさせてもらった。そして、講座が無事スタートした。

講座を始めるにあたり、自分で心中に決めたことが幾つかある。今までの講座は金谷を中心にした村方文書が主であったが、これからは、一応範囲を県内へ広げて、様々な古文書を読んで行こうと思った。それがT氏の教材の集まる範囲でもある。

手初めには、ざっと見て、自分に無理なく読めるものを教材にしようと思った。いきなり難しいものに挑戦すればきつくなる。経験者ばかりが集まった講座で、優しすぎると言われるかもしれないが、しばらく時間をもらうことにした。

今まで一時間半の講座の時間を2時間に増やして、教材をどんどん読んで行こうと考えた。教材は幸いたくさんあるし、何よりも自分が読んでみたいものばかりで、どうしても前のめりになる。その分、教材には、解読した後に、必ず、解読と読み下しの解答を渡すことにした。

さらに、座学だけではなく、時には課外で、古文書の現地を見学するようなこともやってみたい。もっとも、これはまだ実現していない。

一年で、これから読む分も含めて、B4の用紙、74ページ分をよむことになる。おそらく同様の講座では最多量になるのではないかと思っている。古文書解読に腕を上げるには、どれだけ多くの古文書を読んでみるかだと、自分は考えている。その証拠に、この一年必死に読んできた自分自身が、この頃、古文書を読むことに自信のようなものが出来てきた。今ではどんな古文書でも、時間を頂ければ、読めないものはないと、不遜なことを、つい口走りそうな自分に気付く。

読書:「under the bridge」 堂場瞬一著
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「旅硯振袖日記 上之巻」 8

(電線に集るムクドリ)

今日の夕方、集ってねぐらへ帰るのだろうか。昼には直下のセンダンの実を啄んでいる姿が見られた。センダンの実は人やペットは、多量に摂取すると毒になるらしい。毒にも薬にもなる実だという。

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「旅硯振袖日記 上之巻」の解読を続ける。

折りから数多の人音、気遣う写絵、程もなく槍引っ提げて、鼓の家来、大勢こゝへ追い来たり。それと見るより、さてこそと、槍の穂先を突き並べ、みな一同に突きかゝる。写絵は一生懸命、前は茅花(つばな)の穂に等しき、槍に面ても向けられず、後ろは谷川、逆巻く水音、逃れぬところと、刃(やいば)を打ち振り、しばしは挑み戦いしが、次第に乱るゝ太刀先も、心のみこそ臆しけれ。
※ 茅花(つばな)- チガヤの花穂。食べられる。(下の写真を見れば、作者の形容が納得できる)
※ 面て(おもて)- かお。顔面。(正面に向けられない意)

まだその歳も二十八の、花こゝに落花と見えたりしが、さすが女の一念力、一ト声叫びて、斬り、斬り払う刃の稲妻、いと鋭く、多勢の追手の槍先も、少し乱れて、たじろぐ隙(ひま)に、写絵は心を定め、こゝにてきゃつらに打たれんより、いつそこの身をこの川へ、父が行方も夫の在処(ありしょ)も、これまでなりと言わませく、谷川臨みて立ち、間なくまた突き掛かる槍衾を、見返りもせず、写絵は逆巻く水に跳び入りけり。
※ 念力(ねんりき)- 一心に思うことによって得られる力。精神の集中による力。
※ 槍衾(やりぶすま)- 大勢が槍をすきまなくそろえ並べること。また、その状態。


これで上之巻は終るが、ここで入るのが、そう、コマーシャルである。次のページには「江戸日本橋坂本町一丁目 川口宇兵衛」の広告である。細かい文字がたくさん書かれているが、商品名だけを読んで見ると、「長崎一家伝 御薬白雪糕(御進物袋入折詰)」どうやら子供の生まれた女性の乳を出すのに効果があるというようなことが、書いてある。さらに「ちゝ能粉」「家秘ちゝの出る薬」「薬王小児散」「御薬加留焼」などと並んでいて、それぞれ功能が書かれているが、おおよその扱い商品は判るので略す。

一体誰に向けての広告なのだろう。読む人が八さん熊さんだったら切実なのか。意外とそのおかみさんたちも読んでいたのかなあとも思う。江戸の識字率は我々の想像以上のものがあり、ほとんどかな書きのこのような絵入り本は、貸本屋から借りて多くの人が読んだ。一冊の貸本が30人に貸し出されれば、その広告効果は30倍である。だから、目ざとい商人ならそこへ目を付けないわけがない。

続いて、次回から「旅硯振袖日記 中之巻」の解読に移る。
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「旅硯振袖日記 上之巻」 7

(毎年のように戴く花の苗が今年も届いた)

名前はそれぞれへメモを付けたと聞いたが、花が咲いてからのお楽しみということで良いのかもしれない。

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「旅硯振袖日記 上之巻」の解読を続ける。

さすが知られし弓取りの、娘と知らぬ判官は、ふとんに、やおら寝そべりて、しきりに呼べば写絵は、屠所のひつじの思いにて、歩みもなれぬ恋の床、立ち寄る気配に判官が、とん/\こゝへと、うつゝなき、そばへ寄るよと見えけるが、写絵はいと猛く枕刀を抜くより速く、打ち遂げたりし。判官が、肩先はっしと斬りつけたり。
※ うつつなき(現無き)- 何かに気を取られて、ぼんやりとして。
※ 猛し(たけし)- 勇猛である。勇ましい。
※ 枕刀(まくらがたな)- 寝るとき枕もとに置く護身用の刀。


薄手なれども、思い掛けねば鼓の判官、大きに慌て、「やれ、家来ども出合え、出合え」と呼ばわる声に写絵は、皆々来ては難しと、庭へ駆け出で垣を越して、足をばかりに逃げ去ったり。
※ 薄手(うすで)- 戦いなどで受けた、軽い傷。浅手。

集う家来は走り来て、判官が痛手を負いしと心得、ただ気を呑まれて狼狽(うろた)うるを、判官は苛で下知を伝え、
「わが傷は浅手(あさで)なり。われに構わず、下種(げす)女を、早くひっ捕えて連れ来たれ」と、言われてよう/\家来共、女は早く陣屋の外へ、逃げ出でたるに相違なし。疾(と)く追い止めよと、罵(ののし)り合うて、てにでに(てんでに)槍を引っ提げて、あえぎ/\ぞ、追うたりける。
※ 苛で(いらで)- とげとげしく。
※ 下種(げす)- 心根の卑しいこと。下劣なこと。また、そのようなさまやその人。


さる程に、写絵は、判官を切り捨てにして、陣屋の外へ逃げ出でしが、案内(あない)も知らぬ道もせを、しきりに走る鈴鹿山、嶮しき側を行く程に、追手の声が騒がしきに、立止りて耳を澄ませば、これ谷川の水音の、木霊に響きて聞こゆるなり。
※ 道もせ(みちもせ)- 道の狭い所。

写絵少し心落着き、しばし疲れを休めんと、なお引っ提げし、判官が枕刀を大事に突き立て、片辺(かたえ)の岩に腰うち掛け、初めて息をほっとつき、独り言に言いけるは、如何に女の年行かぬなればとて、侮(あなど)りて、無体にわなみをなぐさまんと、心驕(おご)れる皷の判官、操を破れば、許婚の男に立たず、さればとて否(いな)にはこの身を殺されん。女子ににげなきわざながら、是非なく彼に手を負わせ、あやうい場所を逃(のが)れしも、兼ねて父上の御指南を受けた剣術が、今日初めて役に立ちしと呟く。
※ わなみ(我儕)- 一人称の人代名詞。対等の者に対して、自身をいう語。
※ にげなし(似気無し)- ふさわしくない。似合わない。
※ 手を負わせ - 手負いにこと。
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「旅硯振袖日記 上之巻」 6

(旅硯振袖日記上之巻本文)

昨日は風邪で一日寝込んでしまった。風邪で寝込むのは久しぶりである。ブログのことも一切忘れていた。今朝は熱も下がったから、もう大丈夫だと思う。

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「旅硯振袖日記 上之巻」の解読を続ける。

いよ/\、どうじゃと猫撫で声。初めの威喝に引き替えて、やわらべ恋の片想い、花のつぼみに纏(まつ)わるゝ、毛虫の思い、写絵は、また心中に憤(いきどお)り、父は禁裏北面の武士、佐藤兵衛が娘なるに、つれなき父を訪ねわび、卑しき彼らが歓待、旅懐、ことには許婚の夫(おっと)さえある身と知らで、戯れ事。あゝあぢきなの憂き身やと、思い人はいとゞ急(せ)き、かかる胸の涙を呑み込みつゝ、紛(まぎ)らしながら、答うる様、
※ 威喝(いかつ)-大声でおどすこと。
※ 禁裏北面の武士(きんりほくめんのぶし)- 院御所の北面(北側の部屋)の下に詰め、上皇の身辺 を警衛、あるいは御幸に供奉した武士のこと。11世紀末に白河法皇が創設した。院の 直属軍として、主に寺社の強訴を防ぐために動員された。
※ 訪ねわぶ(たずねわぶ)- 訪ねあぐむ。「あぐむ」は、物事に行きづまって、どうにもしようがなくなる。また、もてあます。
※ あぢきなの - まともでない。つまらない。
※ いとど - ますます。いよいよ。いっそう。


「世にも賤しい妾(わらわ)をば、さまでやさしゅう宣(のたま)わする。その御心は嬉しけれど、父母の顔もいまだ見ず、身の安楽を極めましては、孝行の道にも違い、親の許しを受けずして、お心に従いまするも、また子の道に背く道理、こゝの所を思し召し、お許しなされて下さりませ」と振り切るその手を判官は、ちっとも離さず引き立てゝ、無理に奥へぞ連れ行きける。

写絵は心を据え、今宵はこゝに、まず宿りて、手段(てだて)をもつて逃れんと、工夫にこらす胸の内。一と間の内にとやかくと、辛き憂き世を託(かこ)つにも、父が行脚の道すがら、我れに増したる憂きことの、さぞあるらんと思いわび、そゞろ涙にくるゝ程に、判官はやゝ寝仕度整え、写絵の手を取って、何言い訳もあらゝかに、閨の内へぞ引き入れたり。
※ 行脚(あんぎゃ)- 仏道修行の ために、僧侶が諸国を歩き回ること。
※ あららかに(粗らかに)- 大ざっぱなさま。 こまやかでないさま。


写絵は、悲しくもまた、判官が傍若無人、今否みなば、身の害ならん。術(すべ)よく逃るゝ手段(てだて)もがなと思いながら、誘(いざな)われ、心にもなき寝巻帯び、しどけ形(なり)振り、打ち解けても、心に示し操の意図、顔に劣らぬ一と器量、胸に隠せる剱太刀。
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「旅硯振袖日記 上之巻」 5

(散歩道のアジサイの花の紅葉?)

散歩道で、とっくに枯れてしまう筈のアジサイの花が、しっかり残って、紅葉しているのを見つけた。そんな種類のアジサイがあるのだろうか。

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「旅硯振袖日記 上之巻」の解読を続ける。

写絵、思わず身を縮め、涙さしぐむ悲しさに、忍ぶ由とてもなかりしが、よう/\に気を取り直し、恐る/\言いける様、
※ さしぐむ(差し含む)- 目に涙がわいてくる。涙ぐむ。

「妾(わらは)事は、都の者にて、源氏平家の戦いより、修羅の巷(ちまた)に家を失い、父母も行方知れざるまゝ、吾妻の武蔵に少しの知る辺、それを訪ねて遥々と、下る旅路にはべるかし。」
※ 修羅の巷(しゅらのちまた)- 激しい戦闘や闘争の行われる場所。
※ 知る辺(しるべ)- 知っている人。知り合い。
※ はべる(れい)- あります。ございます。おります。(「あり」「居り」の丁寧語)
※ かし - 文末にあって、念を押し、意味を強める意を表す。


と偽り陳ずる言の葉も、うわの空なる皷の判官、先の程より写絵が器量を、つくづく見てあるに、沈魚落雁閉月羞花、またあるまじき装いに、心を奪われうつとりと、一人見とれて、糸の如くにしてありし眼(まなこ)を再び丸くして、百姓どもに打ち向い、
※ 沈魚落雁閉月羞花(ちんぎょらくがんへいげつしゅうか)-(美人を形容する言葉)あまりの美しさに、魚は沈み隠れ、雁は列を乱して落ち、月は雲間に隠れてしまい、花も恥らってしぼんでしまう、という意。

「汝(なんじ)らが働き、でかしたり。この女には詮議あれば、このまま陣屋に泊めおくなり。大儀/\早や立て。」と、一に喜び、百姓どもは皆うち連れて、帰り行く。
※ 一に(いつに)- ほかではなく、もっぱらそれによるさま。ひとえに。全く。

判官は自ら立ちて、写絵が手をとらえ、まずこちへ来よと言わるゝに、
写絵は再び驚き、
「殿様には私を今さら如何になし給うぞ。落人との御疑い晴れましたらば、このまゝに許して帰し給(たま)われかし。心にかゝる父母の行方、武蔵へ早く下りとう‥‥」
と半分言わさず打ち消して、判官打ち笑い、 

「ても、優しきお事が心、今まだ戦いのほとぼり冷めず、こゝまで来る道々も、さぞ恐ろしき目に遭いつらん。その艱難も厭わざる孝心を、今、纏頭(てんとう)の、我をして助け給う。こゝをよく弁えし。かゝる時節に、武蔵の果てまで訪ね行く道にては、また如何なる難義があらん。それよりは、まず判官が心に従い、閨(ねや)の伽(とぎ)して、この所にて暮らしなば、その身は安楽、父母の行方も、判官が威勢をもて訪ぬる時は、異国は知らず、およそ日本(にほん)のうちならば瞬(またた)く隙(ひま)に訪ね出して、逢わして安堵さすべきに、否応(いやおう)言わず、こちへ来よ。」
※ お事(おこと)- 二人称の人代名詞。あなた。親しみを込めていう語。主に中世・近世に用いた。
※ 纏頭(てんとう)- 当座の祝儀として与える金品。はな。
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「旅硯振袖日記 上之巻」 4

(土手の草の紅葉)

土手を散歩していて、紅葉しているイネ科の雑草に気付いた。長年歩いていながら、今まで気付かなかったのが不思議である。

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「旅硯振袖日記 上之巻」の解読を続ける。

今宵もすでに、初夜の鐘、こう/\と響く頃、陣屋の木戸口打ち叩き、百姓ども口々に、落人の女を搦め取りて参上せりと、罵(のゝし)る声。
※ 初夜(しょや)- 午後8時ごろ、宵の口を指す言葉。

番卒やがて木戸を開き、内へ通して、この由を早く奥へ通じければ、出で来る皷の判官、小具足の上に陣羽織帯刀(たちはき)ひけらし床几にかゝれば、百姓どもは、写絵を縁側近く、引き据ゆるにぞ。
※ 番卒(ばんそつ)- 見張りの番をする兵卒。番兵。
※ 小具足(こぐそく)- 甲冑の付属具の総称。これに兜、鎧を付ければ、甲冑姿の出で立ちとなる。
※ 陣羽織(じんばおり)- 羽織の一種。武士が陣中で用いたところから、この名称がある。
※ 帯刀(たちはき)- 太刀を帯びること。
※ ひけらす - ひけらかす。見せびらかす。自慢する。
※ 床几(しょうぎ)- 脚を打ち違いに組み、尻の当たる部分に革や布を張った折り畳み式の腰掛け。陣中・狩り場・儀式などで用いられた。


写絵はただ恐ろしと、顔もえ(得)上げず身を震わせ、如何なる憂き目に遭うやらん。無実の罪か、禍罪(まがつみ)の、神の祟りか浅ましと、たゞ悲しくぞ、つい居たる
※ え(得)上げず -(「え(得)」は、下に打消しの語を伴って、不可能の意を表す。)~できない。うまく~できない。
※ 禍罪(まがつみ)- わざわい。災厄。
※ つい居る(ついいる)- かしこまって座る。


その時、判官、眼(まなこ)を見張り、
やおれ女、こゝを何処(いずこ)と思うぞや。当時威勢四海に顕われ、天下の主とならせ給う右大将頼朝公、平家の奴ばら敗軍の後は、様々に姿を替え、八方へ落ち下るにより、そを改め捕えんため、この鈴鹿に新関を構え、かく言う皷の判官音高に、守らせ給う。いでまづ汝が素性を言え、言わずば眼にもの見せんず。」と苛声(いらごえ)高くきめ付くれば、
※ やおれ -(人に呼び掛ける語)おい、おまえ。やい、おのれ。
※ 当時(とうじ)- 現在。いま。
※ 威勢(いせい)- 人を恐れ従わせる力。
※ 四海(しかい)- 天下。世の中。また、世界。
※ 右大将(うだいしょう)- 宮中の警固などを司る左右の近衛府のうち、右近衛府には右近衛大将が置かれた。略して「右大将」。
※ いで - さあ。どうぞ。
※ 見せんず(みせんず)- 見せよう。(「んず」は、推量または意志の意を表す。だろう。う(よう)。)
※ 苛声(いらごえ)-(「苛」は、かどのある、とげとげしい。)とげとげしい声。
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「旅硯振袖日記 上之巻」 3

(サッタ峠からの未明の富士山)

12月10日、早朝4時56分に息子が撮影したもの。場所は薩埵峠。富士山上空のやや薄い光、UFOに見えないだろうか。きっと、レンズのいたずらだろうが。

午前中、若い古本屋のT氏に会いに行く。夏に預かって来た、金谷宿近江屋の古文書、綺麗にしたものを返しに行った。半年ぶりぐらいだろうか。先月は、一ヶ月、インフルエンザで寝込んでいたという。若者の元気に任せて、医者にも行かず、無理をして、こじらせたのだろう。しばらく連絡が無かったわけである。お昼ごろまで色々な話をする。店舗を持たない古本屋の、興味深い話を色々と聞いた。帰りに、掛川の武家の古文書や、幕末の長州征伐参戦の記録など、10点ほどの古文書を借りてきた。おそらく教材としては一年分以上のものがあるだろうと思う。さらに、藤枝の刀鍛冶から出た古文書は、紙くず同然の状態のため、洗浄、乾燥、補修などからやらねばならない。

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「旅硯振袖日記 上之巻」の解読を続ける。

あとは、大風の凪(なぎ)たる如く、ひっそとなりしに、写絵は、さらばこのまゝ眠らんと、膝を抱えてとろ/\と、まどろむところへ松明(たいまつ)振りて、以前の百姓二人ばかりに戻りして、思いがけなく写絵が、眠りし所をひん抱かえ、しめた/\という声に、はっとおどろく写絵の、右と左の手をとらえ、引き立てゝ行かんとす。
※ ひん抱く(ひんだく)- 強く抱く。抱きかかえる。
※ おどろく - はっと目を覚ます。


写絵はます/\恐れ、言葉のありたけ詫(わ)ぶれども、百姓どもは少しも聞かず、言い訳あらば陣屋へ行きて、殿様の前にて云ふべし。落人(おちうど)捕って差し出せと、それは/\厳しい言い付け、さあ/\来いと泣き沈む、写絵を無理無体、引いて陣屋へ連れ行きけり。

さればこの頃は、輸贏の初め、平家は栄華の夢醒めて、源氏の軍勢うち誇り、月卿雲客高位のともがら、平家に因みあるものは、山に入り草に隠れて、身を逃れんとするほどに、征伐草切る鎌倉どの、鈴鹿峠に新関を構え、平家の落人(おちうど)詮議のため、皷の判官音高をもて、守らせけるに、たださえ捩(ねじ)けし心なるに、鎌倉威勢の笠に着て、傲慢我慢の皷音たり。往き来の旅人(りょじん)改むるに、難渋せぬはなかりけり。
※ 輸贏(しゅえい)- かちまけ。勝敗。勝負。(「輸」は負ける、「贏」は勝つ意。)
※ 月卿雲客(げっけいうんかく)- 公卿と殿上人のこと。「月卿」は三位以上の公卿。「雲客」は宮中での昇殿を許された雲上人、殿上人。
※ 因み(ちなみ)- 関係。縁。つながり。
※ 草切る(くさぎる)- 田畑の雑草を刈り除く。(ここでは落ち武者狩りのことをいう)
※ 新関(しんぜき)- 新しい関所。
※ 笠に着る(かさにきる)- 権勢のある後援者などを頼みにしたり、自分に 保障されている地位を利用したりしていばる。
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「旅硯振袖日記 上之巻」 2

(佐藤兵衛則清と娘写絵 / 歌川国貞画)

新潟の糸魚川で140棟を焼く大火があった。江戸時代では密集地に大火はつきものであったが、現代でも、初期消火の遅れに、強風がともなうと、こんな大火事になる。凡そ10時間経って、ようやく治まったようだ。死者が出なかったことが何よりの救いであった。

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「旅硯振袖日記 上之巻」の解読を続ける。

(再び、登場人物の紹介)
皷判官(つゞみのはんがん)音高(おとたか)
佐藤兵衛憲清が女(むすめ)写絵(うつしえ)
象潟が客、山吹大尽(やまぶきだいじん)艶の都(はでのいち)

(読み始め)
心をさそう雲水の/\、行方や何国なるらん。これは鳥羽の院に仕え奉りしりし、佐藤兵衛則清出家し、大実坊円位が娘、写絵と申すものにて候。父とつま(夫)とを尋ねばやと、東国行脚と志し、都をあとに旅衣、梅ヶ枝匂う春風の、外には誰もふき送る、人さえも無き遠霞、遥か隔たる道芝の、よう/\日数(ひかず)も経(ふ)るという。
※ 雲水(うんすい)- 諸国を修行して歩く僧。行脚僧。
※ 鳥羽の院(とばのいん)- 鳥羽上皇。
※ 佐藤兵衛則清(さとうひょうえのりきよ)- 西行。(「則清」は、義清、憲清、範清とも記される。)
※ 大実坊円位 - 西行の法名は「大宝坊円位」。
※ 道芝(みちしば)- 道案内をすること。また、そのもの。


鈴鹿の山に日を暮らし、とある社を望み見て、今宵をこゝに明かさんと、旅の緒笠と杖、風呂敷、わらんじと取りて神前の、垂衣かゝげて内に入り、神の御名さえ白木綿の、掛けて頼むは父が事、又二つには許婚(いひなづけ)の、つま(夫)の在処(ありか)を教えてたべと、ひたすら念じておるほどに、
※ 緒笠(おがさ)- 結び紐の付いた笠。
※ 垂衣(たれぎぬ)- 昔、上から垂れ下げて仕切りや 目隠しに用いた布。帳 (とばり) 。
※ 白木綿(しらゆう)- 白色の木綿(ゆう、もめん)。
※ たべ - ~下さい。(「給え」の撥音化で「たんべ」、さらに「ん」は表記しないため「たべ」となる。)


表ての方、俄かに騒がしく、夜陰なれば、その表ては聢(しか)と分からねど、一人の侍を中に取り込め、蓑笠に竹槍持ちし百姓ども、両三人、唯一人と、追っつ返しつ、こゝを先途と闘う有様。写絵は怖さ、恐ろしさ、肝魂(きもたましい)も身に添わず、社(やしろ)の中に声をもせで、この躰(てい)を見ていたるに、かの侍は百姓どもを事ともせず、刃を抜いてあしらう早業(はやわざ)。敵(かな)わじものと逃げ行く奴ばら、逃(のが)さじとてぞ、追い行きける。
※ 先途(せんど)- 勝敗・運命などの大事な分かれ目。せとぎわ。
※ 奴ばら(やつばら)- 複数の人を卑しめていう語。やつら。
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「旅硯振袖日記 上之巻」 1

(朝日に染まる富士山)

これも息子が12月10日、早朝6時45分に撮影したもの。場所は薩埵峠。

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11月20日の駿河古文書会の見学会で、「合巻本」というジャンルの草双紙をたくさん見せてもらったことは、すでにこのブログで取り上げた。挿絵の空欄部分に細かい字でびっしりと彫りこまれた字は、さらっと読むわけにはいかず、あとで少し読んで見たいと思った。江戸繁昌記二篇も読み終えたので、さっそく「合巻本」の一冊、「旅硯振袖日記 上之巻」のデジタル化されたものを、ネットで探して、解読を始めた。「美圖垣笑顔作、香蝶樓國貞画」とある。香蝶樓國貞とは、歌川国貞のことである。

天保十余り三つの年(天保13年)、新たに絵草子を綴りて、その画に、遊女の歌かけるを詠める。    美図垣笑顔
   浮かれ女(め)の とまり定めぬ 旅まくら
      夜毎にかわる 客のさしひき

※ 絵草子(えぞうし)- 江戸時代に作られた、女性や子供向きの絵入りの小説。表紙の色により赤本・黒本・青本・黄表紙などに分けられる。草双紙。

(登場人物の紹介)
摂津国、江口の里の遊女、象潟大夫(きさかただゆう)
尺八指南、遊行庵(ゆうぎょあん)柳枝(りゅうし)
鳥羽院北面の侍、佐藤兵衛(ひょうえ)憲清(のりきよ)

(発端)
ここに鳥羽の院の北面の侍、佐藤兵衛のり清を、主上密かに御階(みはし)のもとに召され、三種の神宝、内侍所の御鏡と宝剱は、安徳天皇、西海へ持ち行き給いしかども、神璽の神宝は秘かに隠して、平家へ渡さず。
※ 主上(しゅじょう)- 天皇を敬っていう語。 至尊。
※ 御階(みはし)- 宮中・神社などの階段を尊んでいう語。特に紫宸殿の南階段。
※ 内侍所(ないしどころ)- 三種の神器の一つである神鏡(八咫の鏡)を安置する場所。宮中では温明殿にある。古来内侍がこれを守護した。
※ 安徳天皇(あんとくてんのう)- 平安末期の第81代天皇。高倉天皇の第1皇子。母は平清盛の娘、建礼門院徳子。1180年、2歳で即位、源平の戦に平宗盛に擁せられて西走、1185年、壇ノ浦の戦いで平氏一門とともに入水。
※ 神璽(しんじ)- 三種の神器の一、八尺瓊の勾玉のこと。


(なんじ)、神宝守護なして、兵衛佐より(とも)へ手渡しせよ。我れ所持する時は、木曽義仲、あるいは平家、(ことごと)帰らば、神璽も平家に属しなん。さあれば三つの神宝、終には兵火のために亡びんと仰せある。
※ 兵衛佐(ひょうえのすけ)- 兵衛府の次官。
※ 朝(とも)- 朝廷。
※ 都へ(ことごとへ)- それぞれへ。


のり清、倫言を給わり、秘かに守護して、家に帰り、一片(ひとひら)の書き置きして、娘、写絵が枕辺に残し置き、和歌に思いを墨染の、我を絵にかく朝がらす、三つ四つ五つ、飛び連れて、行くも遥けき旅の空、東路(あずまじ)さして急ぎ行く。
※ 倫言(りんげん)-(正しくは)綸言。天子・天皇のことば。みことのり。
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「江戸繁昌記 ニ篇」 92 薬品会3 (ニ篇終り)

(大崩海岸の富士)

これも息子が12月10日、早朝8時24分に撮影したもの。昔、大崩れの崖が崩れて、復旧を諦めてバイパスの海中橋を掛けた所である。

昨日「堀本古文書館」を訪れた。ご主人の堀本さんは88歳の高齢ながら、大変お話好きの方で、午後2時前、日当たりの良い、暖かい応接間に通され、お話を聞くうちに、日が傾き、夕暮れになってしまった。

堀本家の御先祖が庄屋を勤めた、上川原新田の歴史は、概ね大井川の氾濫との戦いの歴史であった。堀本家に残る古文書で、そのことを知り、大井川の様々なことを調べてみる気になった。その範囲は、古文書の域を越えて、地質学にまで及んだ。

南アルプスを源に、大量の土砂が供給されて、島田から南へ、東は藤枝まで、大井川の扇状地が形成された。川の流れが変わる度に、河床に土砂が堆積して高くなり、大井川はより低い地に流れを移す。その最後に当るのが、現在の大井川で、だから、この地は江戸時代から、起こした新田が大井川に流される、そんな繰り返しの、苦難の歴史であった。

さらには、新田に大量の伏流水が涌き出し、冷田になって米が育たず、小作たちから、田んぼが返される事態にも直面し、お米の取れ高が激減したような時代もあった。

堀本さんは大井川流域の地質学的特徴を、まるで「マヨネーズの容器」のようだと思い、それに見立てて説明する。そんな茶目っ気もある88歳である。まだまだ意欲満々で、これからさらに研究を深めて行きたいとも話された。

最近元気な先輩たちと交流があり、70歳はまだまだ若い衆と、大いに勇気をもらっている。

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「江戸繁昌記 二編」の解読を続ける。今日で読み終る。

庭草を生(はや)し。田禾(稲)を長ず。太平の、草木繁滋、奇状を呈し異様を抜く。世、従いて尚(とうと)ぶ所有り。
※ 尭(ぎょう)- 中国古代の伝説上の帝王(舜と並び称せられる、いずれも)、徳をもって理想的な仁政を行ったことで、後世の帝王の模範とされた。「尭庭」は尭の庭。
※ 周(しゅう)- 中国古代の王朝。殷を倒して王朝を開いた。周代に中国文明が成立したとされる。
※ 沢(たく)- めぐみ。恩恵。恩沢。
※ 繁滋(はんじ)- 草木が繁ること。


寛政年間、世、甚だ百両金(タチバナ)を愛し、寸茎千金、ただ百両金ならず。今日、万年青を好む。都下皆なこれなり。
※ 百両金(ひゃくりょうきん)- カラタチバナ。サクラソウ科ヤブコウジ属の常緑小低木。マンリョウ(万両)に対して百両(ヒャクリョウ)と呼ばれる。
※ 寸茎(すんけい)- 茎の太さ一寸(3センチメートル)。
※ 万年青(おもと)- オモトの古典園芸植物としての名。非常に豊富な葉の形や模様を持ち、古典園芸植物の葉芸では一つの標準である。


聞く、去年紀州の人、一異茎を携え来たる。茎の太さ箸の如く、上頭半ばは白し。初めこれを十金に鬻(う)る。未だ数日ならずして、またこれを七十金に転売す。既にして或は乞う、百五十金以って、これを買いしと。その人許さず、これを一大諸侯に献じて、三百金を得たりと云う。

思うにそれ繁昌間の橐駝と非ざるよりは、太平の世のとに、安(いずくん)ぞ、かれ売り、これ買うの、この若(ごと)きを見ん。謂(い)いつ所、は、これ太平の万年青と。
※ 橐駝(たくだ)- 植木職人。庭師。
※ 侯(こう)- 大名・小名。諸侯。
※ 箇(か)- これ。


江戸繁昌記二篇終り
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