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「駿河安蘇備 上」を読む 82

黒田代官屋敷の土びな

「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

黙齊筆記 当国島田駅に住す。明和元年の冬十二月、薬沢村の民、
六兵衛、上田村の民、彦右衛門、二人のもの、木挽きを業として、七ッ峯
という所に小屋を作り居りける時、犬の子を小屋に連れて、
飼い置きける。一夜、雪の降りけるに、夜更けて、二人打ち臥しけるに、犬
頻りに鳴き吠えるに、六兵衛もとより性憶病者なれば、彦右衛門が熟
睡せしを起して、先程より何かは知らず、小屋の廻りを廻るもの
あり。今、犬の吠えるによれば、豺狼の類いにや。何か怖しきなりと
※ 豺狼(さいろう)➜ やまいぬとおおかみ。
云う。彦右衛門は日頃不敵の剛夫なれば、答ていふ。深山
には種々の怪事あり。これらのことに怖れて、我らの
業はなし難し。怖るべきにあらず。寐たまえとて、また高
(いびき)に打ち臥しけるに、六兵衛は心ならず居りけるに、足音いよ/\
高く聞え、犬は増々吠えながら、六兵衛が許にあり。頻りに
吠えける時、小屋動揺して、引き倒すかと思うばかりに音
して、釣り置き多る丸太二、三本、上より落ちける。六兵衛大いに
叫びて、二度彦右衛門を起しけるに、彦右衛門もこの音に
起き立ちて、気弱なる者と同じく居れば、かばかりのことに
眠りを妨げられたり。さほど怖しくば、我れ外に出て
見届けんとて、小屋の戸を明け、外面を廻りて、内に入り、
何も目に遮るものなけれども、降り積りたる雪に、
凡そ尺五寸ばかりの足跡、小屋の廻りに付いてあり。何ぞ怖るゝ
に足らんとて、戸口を鎖して、また打ち臥しける。
(「黙齊筆記」の項、つづく)

読書:「泣く女 ひなた屋おふく」 坂岡真 著
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「駿河安蘇備 上」を読む 81

庭のヒヤシンス
もう20年も植えたままで、毎年季節に花を咲かせる
しかし、色や花数などは段々手抜きになっている

「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

薬沢 井川の内、金山なれども、外にては出さず。この村のみ河原
の砂を沙汰して、砂金を採りて出す。俗に、ホン金又沢流れと云う。
田代 諏訪神社あり。諏訪山というなり。井川七郷の惣氏神にて、
三年に一度、七月二十六日大祭りあり。河原へ神輿を幸せしめ、
※ 幸す(こうす)➜ 天皇・法皇・上皇が外出する。 行幸する。
男女とも昼夜集会して、歌舞をなす。唱歌、古雅にして、
※ 古雅(こが)➜ 古風で優雅なこと。
踊りもまた古風なりとぞ。男女、手を携えて、古えの歌垣もかゝる
※ 歌垣(うたがき)➜ 古代、求愛のために、男女が春秋二季、山や市などに集まって、歌い合ったり、踊ったりした行事。
さまなりやと云う。三住嶽、この村にあり。
小河内 井川の極まりなり。刎橋(はねばし)あり。長さ十五間、高さ七間余、大井川に架(か)す一本
の大木を、山岸の大巌に穴を掘り、それより刎ね出ず。その下、急流
なり。その橋へ登る時は、河原より岩上まで階子(はしご)七間余ありとぞ。
その上より、橋懸かりたれば、見るだにも怖ろしと云う。薪木(たきぎ)
背負いて、架する。その土(土地)に生れたるものならでは、往来し難し。
余国にまれなりという。
三ッ峯山御林 登り一里余の大山なり。笹金山、大日嶺に連
なり、西おもて、山崎、上坂、小河内に跨る山の後ろは、梅ヶ嶋
なり。この山、金山にして、古く金を掘りし所にて、今も間歩(まぶ)の跡あり。
※ 間歩(まぶ)➜ 鉱山で、鉱石を取るために掘った穴。坑道。
河内嶽、聖ヶ嶽、赤石嶽 井川の奥山、高大なること知るべし。
嶮岨なること、四時(しいじ)雪の消える事なし。この嶺を越えれば、かの
※ 四時(しいじ)➜ 一年の四つの季節、春夏秋冬の総称。四季。
甲斐、信濃へ四十里、人家なき地なり。
(つづき)
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「駿河安蘇備 上」を読む 80


庭のフリルパンジー

「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

大橋 この七村は、安倍郡の限りにて、大山前後に連なり、巌高く
(そび)え切立つこと、屏風を立てたる如く、西北は遠信に隣り、大井
川、山の腰を廻り、向う山里へ通う。この方より、かの山の端へ、刎ね
橋を渡す。これを大橋と云う。谷水峻々として、数丈の下に
流れ、路径(ろけい)嶮岨、語り尽くし難しと云う。その橋、長さ五十五間、
※ 路径(ろけい)➜ 小径。
幅二間、則ち大井川に架すなり。左右の山岸より、大木を刎ね出し、
元の方に巨岩をもって押え、その上に枕木を置き、十六間の大木を
三本突き出し、蔓(つる)にて絡み、枠にて本を挟み、丸太を敷き、
割木を並べ、麁朶(ぞだ)をまた蔓にて絡みたり。これ井川郷の通路
なり。大井川の源は甲斐の白嶺より出でて、当国志太郡に到りて、
海に入るなり。水道七十五里、この橋、その中間にして、川上三十六里、
下また三十六里余と云う。海野弥兵衛宅、井川郷にあり。家来百姓
百十八軒、口坂本九軒あり。同所を思い遣りて、
  〇人問わぬ 深山の奥も 春なれや
     霞渡れる 安倍の釣り橋     可安
(つづく)

読書:「惜別 鬼役 五」 坂岡真 著
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「駿河安蘇備 上」を読む 79

庭のラッパズイセン

「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

落合 この村、名主九郎兵衛と云えるものあり。安倍七騎の一員、
狩野氏なり。武田家古文書あり。
柿嶋 柿の樹多く、串柿にして売り出す。郷士朝倉氏の
所持なり。家来百姓六十三戸ありと云う。朝倉氏、諸役免除の
御印章を賜わり持てり。
口坂本 南光山大日嶺、この村より登る。峠を西に下れば井川の
中野村、刎ね橋に到る。井川七郷は、
上田(かた)、薬沢、中野、田代、岩崎、上坂本、小河内なり。府より
十里より十四、五里と云う。
(つづく)

読書:「稲妻の剣」 鈴木英治 著
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「駿河安蘇備 上」を読む 78

黒田家の寒サクラ
受付で桜の名を聞いたが、受付では分からなかった

「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

足久保茶 足久保、敷地、長沢、船津、粟嶋、佐尾、長嶋、
相沢の八ヶ村より出るあり。
足久保古老傳 昔、唐国より茶の種を持帰りし、明恵は
山城の国栂の尾に蒔き、同時に入唐せし円爾も同じく
※ 円爾(えんに)➜ 聖一国師。臨済宗東福寺の開祖。名は辨円、字は円爾、駿河の人。
茶の種を持ち帰りて、この村に植え初めりしなり。この円爾は隣村
なる栃沢村の老人なる故、この地を見立て、植え初めしと云う。
慶長年中より、御用茶という物になりて、この村内、谷沢と
原村、両所に御茶小屋を立て、海野弥兵衛、朝倉六兵衛、
御茶を製す。駿府御代官屋鋪に御茶小屋という所ありて、
この所に持ち来りて精製すとなり。
足久保川 木挽山の公林より出、谷々の水落ち合い、末流、遠藤
新田の前にて安倍川になる。
足坏(あしつき)の神社 同村にあり。式内の一社なり。
風土記 足つきの神社、蛭児を祭る所なり。ト部(うらべ)兼臣、承りてこれを祭るなり、
云々。この村に谷沢という沢あり。この所に白髭明神
という社あり。この神社と云う。
松野古城跡 同村にあり。居住のもの、祥(つまび)らかならず。
油山また湯山 谷間より温泉出る。
(つづく)

読書:「海戦 交代寄合伊那衆異聞 11」 佐伯泰英 著
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「駿河安蘇備 上」を読む 77

黒田家代官屋敷の長屋門

黒田家代官屋敷の白梅


黒田家代官屋敷の紅梅

今日は天皇誕生日(祝日)だったことを、今朝まで知らなかった。毎日が日曜日の身にとって、近年の祝日にはなかなか付いて行けない。

思い付いて、早めの昼食後、菊川市(隣町)の黒田家代官屋敷の「梅まつり」を見に行く。黒田家代官屋敷を訪れるのも久しぶりである。庭にたくさんの梅が植わっていて、祭りの期間は無料で開放されている。庭内、紅白の梅は満開にもう一歩といったところであった。

黒田家は支配が色々変わりながら、明治になるまで、一貫して、この地域の代官を勤めてきた家柄で、広い屋敷は堀に囲われている。

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「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。
 
遠藤新田 文禄年間、遠藤伝左衛門正忠、甲斐国より
ここへ来たり、荒廃の地を開発す。
身延山過去帳 遠藤左衛門尉、法名宗広。永正十五年十二月二十五日、云々。
その子、伊勢守正綱、同国粟の倉村に居城すと、永禄四年、川中島合戦に
討ち死にす。正綱の長男、尾張守正則、父とともに討ち死にす。二男伝蔵正忠、
後に伝右衛門と称ず。勝頼に仕う。天正十年、勝頼に随って、天目山に
(のが)る時に、勝頼の妹、於市殿と申すあり。助命致させたき旨、勝頼の命
にて、土屋惣藏、原甚蔵、遠藤伝蔵、三人の内へ、妻子与え立ち去り候様
にとて、鬮(くじ)にて伝蔵当たり、その場よりお市殿を具して、甲州成嶋村
の山間に隠る。文禄年中、駿河国安倍川の西岸、中の郷村に
来たり住みて、そこの芝地を開きて田畑とす。世の人、遠藤原と云う。
御縄入れの後、遠藤新田と云う。伝左衛門正忠、寛永十八年正月
二十三日、八十八歳にして死す。法性院法伝居士と云う。その長男、
五郎太夫正勝、家を続(つ)ぎ、二男兵右衛門正全、紀州御家に
召し出され、三百石を賜う。五郎太夫の母、信玄公の女(むすめ)お市殿、母は江州
浅井長政の臣、遠藤喜右衛門の孫なり。五郎太夫家、今に
存ず。武田家感状も蔵す。
(つづく)
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「駿河安蘇備 上」を読む 76

庭のクリスマスローズ

「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

内牧 風土記 宇知牧 寮馬並び駅馬を貢ず。例歳八月、信濃駒
※ 例歳(れいさい)➜ 例年。
使宿す、云々。 古牧ありしと云う。小地名、駒かくれ、駒飼所、
馬渡などいう所あり。
亀谷山結成寺 同所 寺領五石   禅宗
開山、南寂豊公元始和尚、慶長元年六月一日寂す。この僧の
ために建て給いしと云う。石塔あり。左の方に
右大臣、源家康これを建てるの文字を刻す。当寺は始め、相模国鎌
倉亀谷にある。工藤祐経をもって開基とす。祐経の法
謚、天徳法輪大禅定門と云う位牌あり。

古城跡 同所にあり。山上なり。何れの人、居(す)めるや、詳(つまびら)かならず。
(つづく)

読書:「無駄死に 日暮左近事件控 12」 藤井邦夫 著
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「駿河安蘇備 上」を読む 75

昨日、もう一鉢、衝動買いした
リーガース・ベゴニアの鉢

夜、金谷宿大学教授会。来年度、新しい受講者は2名。

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「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

風土記 椎田池、美石を出す。和銅元年戊申、三月より五月を経て、地底
鳴ること、昼夜百余度。恰(あたか)も地震るうが如し。五月望夕、一つの里牛池底より出づ
※ 望夕(ぼうせき)➜ 十五夜。
一顆(つぶ)の玉を負う。その玉光り、四辺を照らす。後、その牛を以って、京家に献ず。路程(みちのほど)暑さに堪えず、
※ 京家(きょうけ)➜ 京都に住む公家や貴族。
白須ばかりの渡しに至りて斃死す。その処を号して、牛瀬という。今猶、存せり、云々。
※ 白須(しらす)➜ 白い砂。
※ 斃死(へいし)➜ 行き倒れて死亡したり、野垂れ死をしたりすること。 動物が突然死ぬことを指す事が多い。
里人、斑牛(まだらうし)という。また牛の瀬、何処(いずこ)なるや。

慈悲尾山増善寺 同村 寺領   曹洞宗
白鳳十一年、道照法師草創後、四十二年過ぎて、養老七年、行基菩薩、
駿河国に来たり。足久保法明寺において、七躯の観音の像を
刻み、当山はその第二刻なりという。後、星霜積みて衰廃せし
を、文明十一年、辰應和尚、当る寺を再建す。今川氏親朝臣、明応
年中、伽藍・諸堂これを建て、氏親朝臣、増善寺殿という。その肖像
あり。この寺は今の所より、八丁余奥の谷間にて、塔中十二
坊あり。菩提院と云い伝う。今、礎石存る所あり。

古城跡 同山の頂にあり。羽鳥村との堺なり。福嶋伊賀守居すという。
(つづく)

読書:「先祖探偵」 新川帆立 著
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「駿河安蘇備 上」を読む 74


衝動買いしたプリムラ・マラコイデスの鉢

久しぶりに時間的余裕が出来て、朝、女房と買い物で六ヶ所の店を廻った。
信用金庫、茶問屋、菓子舗、ホームセンター 、農産物直売所、ガソリンスタンドの六ヶ所である。写真の鉢はその中の一つで衝動買い。

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「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

野良(やろう)の墓 山崎村にあり。安倍川、藁科川、落合の河原、芝間
を野良嶋という。昔、歌舞妓、女を禁(きんず)あり。少年の
男子をして、その事をなさしむ。これを野良(やろう)という。男色をもて遊ぶ
事、盛んなりし頃、男色の事より闘争して、野良を殺せし
ことあり。その墓なりと云う。

慈悲尾(しいのお) 風土記 椎の尾、云々。小地名、宮川と云える所の谷川、
文化年中、洪水に小山の先を欠落し、大いに石砂を押し出せし
事あり。一つの穴をなせり。里人この穴に入りて見るに、下りること
一丈ばかり左右、石垣ありや。九尺余り、奥深きこと五間の竿を
入るに、底を知らず。その中に土器の類、数品砕けたるものを
出ず。左右、大石にて築く。近村の人、見に行くもの多し。山陵のさま
※ 山陵(さんりょう)➜ 君主の墓。天皇・皇后などの墓。みささぎ。御陵。
なりと云う。古池田ヶ谷と云う所にあり。昔は大なる池なりしと云う。
(つづく)
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「駿河安蘇備 上」を読む 73

庭のビオラ

昨日は金谷宿大学2講座を行う。昨日今日ははりはら塾の発表会。昨日は出席できなかったが、今日は一日立ち会った。32部用意した「面白古文書」、一部を残してはけた。今日は雨で、人出はそれほど多くなかった。

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「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

小野寺薬師 手越南山にあり。       真言宗
薬師堂は山の中腹にあり。別當座敷に嘯月亭の額を掛け
たり。東海、不二峰、また府、安倍川を見下ろし、いと景色
よし。正月十六日、参詣、群集す。
金山、また桜山 同所の西にあり。安倍川の流れをうけて、北西は向敷地
村なり。この山を開きて、明和年中、駿府町与力、佐藤
弥惣右衛門資道と云えるもの、遁世して、この山に桜樹、数千
本を植え、幽棲の地とす。桜山と称す。その時、建てたる
一柱の碑あり。
舟山 向敷地、安倍河原の中にあり。弁天社あり。武田の一社、中津の神と云う。
風土記 中津の神社 天平神護元年三月、造社なり、云々。
この社、定かならず。この弁才天社、古くより安置にて、出所詳(つまび)らかならず。
俚俗、この岡に老狐あり。舟山五郎左衛門狐という。よく人をたぶら
かす。村民患(うれ)いて、惣社神主に退(しりぞ)けむことを乞う。惣社神主これを
追伏して、この国に居らしめず。四、五十年老狐の居る事を聞かず。
春齊翁乃癸未紀行
※ 癸未紀行(きびきこう)➜ 林羅山作。林春齊は羅山の三男で間違い。
阿倍河 土人の作猪衣、この辺、狐多し
※ 土人(どじん)➜ その土地で生まれ育った人。土着の人。土地の人。
  氷霜寒烈仲冬天     氷霜寒烈、仲冬の天
  冒ㇾ暁凌風阿倍川    暁を冒(おお)う、凌風(りょうふう)阿倍川
  借問放翁何用處     借問(しゃもん)放つ、翁何用の處
  紙衾夜座野狐禅     (かみふすま)、夜座す、野狐禅(やこぜん)
※ 仲冬(ちゅうとう)➜ 冬の真ん中。陰暦十一月を指す。
※ 凌風(りょうふう)➜ 風を凌いで飛ぶこと。
※ 借問(しゃもん)➜ ためしに問うこと。ちょっと尋ねてみること。
※ 紙衾(かみふすま)➜ 紙子(かみこ)で作った粗末な夜具。
※ 野狐禅(やこぜん)➜ 禅宗において、禅に似て非なる邪禅のこと。
(つづく)

読書:「屋久島トワイライト」 樋口明雄 著
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