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最果ての月山神社に詣でた

(叶崎、白いのが灯台)

民宿叶崎の女将さんは戻っていた娘夫婦と朝5時に出発して行った。親父さんが一人留守番になった。5時過ぎに朝食をとりながらお話をする。女将さんは娘の家に二晩も泊まってお寺めぐりなどをするのだろうという。時々出かけるらしい。その度に御主人は留守番ですかと聞くと、いまさらどこへも行きたいとは思わない。昔は漁業組合の営業のような仕事をしていて、世界のたくさんの港に行ってきた。おそらく魚の買い付けのようなことをしていたのだろう。バブル全盛の頃は釣り客が多くて、叶崎丸を新造したのだが、それを最後にバブルがはじけて、釣り客のほとんど来なくなってしまった。


(通勤途中に猫にえさをやるのが楽しみ)

6時には宿を出た。雨は止んでいたが、叶崎の灯台までは行かず、手前の休憩所まで来て良いにした。休憩所で男性が猫にえさをやっていた。毎日ですかと聞けば、出勤の途中に寄って夕食の残り物などをくれるのが楽しみになっているという。一匹の母猫に子猫が3匹いる。集落から離れた、叶崎灯台手前を住まいに選んだ母猫の気持は、最果てのこの地までお遍路にやってきた自分には解るような気がする。

四国遍路で最果てという言葉の似合うのは月山神社のある辺りである。足摺岬は開けてしまって、最果てのイメージに合わない。月山神社への道は、今まで歩いた遍路道とは全く違う道だろうと、思い込んでいた節がある。しかし、今まで歩いた遍路道とそんなに変るわけが無かった。山道があり、旧林道のような道あり、舗装道路ありで、どこでも見る遍路道である。月山神社も海を背景に潅木の中に吹きさらしの状態で建っているとなぜかイメージしていた。けれども、山の中の奥まったところにあるあたり、よく見るような場所であった。ただ、月山神社に詣でた後、しばらく歩いた遍路道は潅木のトンネルを行き、いますべての植物が新芽をふいて新緑いっぱいであった。その後、一息に下り赤泊海岸に降りたのには驚かされた。後で地図を見るとそんな風には描かれている。

長い長い遍路道で、お遍路にも他の誰にも会わなかった。一人ぼっちで時々雨脚が増す中をひたすら歩いてきた。赤泊の集落に来てようやく村人に会い、折から雨脚が激しくなったので、そばの小屋で村人に断って雨宿りした。雨は長続きしないことが解かっていたので、雨脚がはげしくなるたびに、何度か雨宿りをした。店先であったり、遍路小屋であったり。出発が早かったので時間の余裕があるからそれが出来た。今夜の宿泊のホテルマツヤまであと2km足らずの、道の駅すくもの遍路小屋でおじさんに質問されるのをいいことに、歩き遍路に付いて講釈をたれてしまった。そういえば今日は人と話すことがほとんど無かった。

今、思い出した。国道に出る少し手前のみかん畑にいるおじさんと10メートルほど離れた状態でお話した。その畑のみかんはボンタンで、今は収穫は終わり、いっぱい花をつけている。静岡には三ケ日にみかん農家へ研修で住み込んで、しばらくいたことがある、などと話した。また、そのあとすぐに、在所の兄から電話があり、お袋の百ヶ日で、兄夫婦だけで納骨を済ませてきたという報告があった。電話を切る前に、気をつけてお遍路をするようにいう。特に動物などには。最後の言葉が気になったけれども、間もなく忘れた。

悪天候の割には大濡れしないで一日歩けて、ラッキーだったと思うべきなのだろう。
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とうとう拝まれてしまった

(民宿夕日はこんなところにあった。
真ん中の白い建物が民宿夕日)

この日、民宿叶崎に宿泊。お遍路を始めてから25日目にして初めて回線が繋がらない事態が発生。それだけ、日本の最果てまで来ているのだと思った。書き込みは明日まとめて行うこととして、記録は別途認めておく。(アップは翌日宿毛に出て行ったが、日付は4月29日とする)

この頃思うのだが、白衣、菅笠、金剛杖、リュックの歩き遍路スタイルは、四国以外で見かけたら異様な姿と映るに違いないけれども、四国では風景に溶け込んでしまっている。カメラを向けられることも何度かあり、四万十大橋から屋形船を見ていたら、屋形船からも何人もこちらを見ている。カメラを向けられてもいる。観光バスからも、視線を感じることがある。多分、ガイドが歩き遍路のことを説明しているのだろう。あのように、四国をぐるりと1200km、歩いて88ヶ所の札所を巡っている。それ、今右手にも一人いますなどと。

足摺岬を回るとお遍路の姿はぐっと減る。札所は無いから遠回りする必要は無いのだけれども、今夜の宿泊の叶崎より7km進んだ先に月山神社という、弘法大師ゆかりの神社がある。昔から、金剛福寺を打ち終えた遍路は、打ち戻って延光寺を打ってから築(月)山詣りをするか、月山詣りを終えて延光寺を打つかのどちらかだったという。延光寺から次の観自在寺に至る途中に、一本松町札掛という地名が残っているが、月山神社に詣でられなかった遍路はそこから遠く月山神社を遥拝し、この地に札を掛け先へ進んだ。そんな名残である。その月山神社に明日詣でる。(江戸時代はお寺だったものが、明治の神仏分離で神社に衣替えした)


(ジョン万次郎の復元された生家)

中浜の集落で、ジョン万次郎の復元された生家を見学して、先へ行こうと歩き始めて、杖を忘れたことに気づき取りに戻った。その間に追い越されたようで、遍路道に戻ると前方を歩き遍路が一人行く。遍路道を迷っているのに追いついて、しばらく一緒に歩くことになった。若い男性の足元が賑やかで、10日に歩き始めて15日でエアーシューズのエアーがすべて抜けて、歩くたびのぐしゃぐしゃと、ずうっと砂利道状態だと笑う。砂利道を歩くような音を立てて歩いている。とりあえず、「ジャリ靴」さんと呼ぶことにした。幾つに見えますと聞くから、25歳くらいかと答えると、今年大学を終わったばかりで、お遍路に出てきたという。就職浪人かときけば、就職活動はしなかったから就職浪人とも言えないと口ごもる。野宿をしながら一人で歩いていると、自然にいろんなことを考えている。妄想のようなこともたびたび浮かび上がってくる。「ジャリ靴」さんは、話せないような迷いごとを抱えているのだろうか。

遍路道から楽な車道へコースを変えて、「ジャリ靴」さんと色々なことを話した。野宿を続けていると、野宿臭のような雰囲気が付いてきて、自分でも近寄りがたい気がする人もいる。自分はそうはなりたくないので、風呂と洗濯はこまめにするように、受け入れてくれる温泉などを見つけて、こまめに入るようにしているという。「ジャリ靴」さんを風体からすぐに野宿とは感じなかったのはそのためだったようだ。

「ジャリ靴」さんは愛知県の三河出身だという。なまりが出ないねというと、出さないようにしているからと答える。金剛福寺への途中でおばあさんに接待を受けて、帰りにも寄りなさいと言われているからと、土佐清水から以布利へ別れて行った。悩み多き青年の未来に幸あれと願う。

あしずり港近くを歩いている時、突然自転車を引いたおばあさんが自分に向けて手を合わせ、「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛」と拝まれてしまった。話には聞くが、遍路をしていて初めての経験で、どうして良いか解らず、こちらも両手に地図帳を挟んで、手を合わせるだけであった。どうすれば良かったのか、今もって解らない。

長い海沿いの道で、逆打ちの若い夫婦遍路に逢った。両手にストックを持ったノルディックスタイルのお遍路である。挨拶して月山神社から先の遍路道の様子を聞いた。地区の遍路道保存会でしっかり整備されて、歩きやすい道だったと話す。今朝は民宿叶崎に宿泊していて、今日は足摺パシフィックホテルに泊まると話す。その情報で、雨は心配だが、予定通りに進もうと思った。

道の駅めじかの里でちらりと見かけ先へ進んだお遍路さんが下川口のバス停に座っていた。どうかしたかと聞くと、今日はここまで歩いて終わりにするのでバスを待っているという。近くの人が日帰りで区切って歩いているのであろう。そんな歩き遍路もある。

それで、今日出会ったお遍路さんはすべてである。27km歩いて、宿には2時半に着いた。女将さんは明日5時に出かける用事が出来たので、朝飯はどうするという。雨も気になるので早く出るから、作っておいてくれれば食べ次第出かけたいと話す。雨が小降りのうちに宿毛の町へ出てしまいたい。月山神社経由で、宿毛のホテルマツヤまで約30kmである。
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足摺岬を回れば、ホテルや民宿だらけだった

(やっぱり感動的な足摺岬の眺望)

安宿同宿の内、3人は相次いで延光寺へ歩いて去った。昨晩、疲れから食事が喉を通らなかったおじさんは、今朝リタイアした。歩くに自信のある調子の良い男は誰よりの早く金剛福寺へ向かって行った。歩き始めてまだ二日目だから元気一杯である。

しんがりなのに、まだ6時40分、自分も出発した。岩手からきた、禅師峰寺で会ったのが最後だった男性(ニックネームをまだつけていなかった)とすぐに出会った。およそ一日遅れで、自分が休みと決めた大雨の日曜日、先を進んでいたようだ。ここまで来てもコース取りに付いて自信なげに聞いてくる。その割にはしっかりとお遍路を進めていると思う。これで岬を回ると、2日~3日遅れになるから、もう会うことも無いだろう。

その後も打ち戻してくる人たち、何人かに出会う。その中には会ったことのある人も、いたような、いないような。金剛福寺の手前5キロほどの休憩所で、夫婦のお遍路に追いついた。打戻りかと聞けば、これから金剛福寺を最後に、区切って帰るという。遍路宿で頂いたバナナをもうお遍路を終えるからと一本頂く。話を色々聞かれるので、特製名刺を渡した。お遍路しながらブログを書いていると話すと、自分も旅行と写真が趣味で、ホームページやブログもやっている。自分は帰ってからまとめて立ち上げる。ブログの名前「このたびのたび」をメモしてくれた。先ほど見たが、中身を詳しく見る時間はなかったけれども、かさぶた日録とは比べものにならない立派なものであった。

金剛福寺を打ち終えて、足摺岬の眺望を写真に撮って、すぐ退散した。高所恐怖症には長居は無用である。今朝会った岩手の男性は足摺岬の風景に感動したと話していたが、感動する時間も置かずに退散した。

この後のコースは未知の領域であった。岬を回ればこんなにたくさんのホテルや民宿などが次々に現われる。今まで打ち戻るのに、いかに過酷な40kmを歩いたかと、いかにも岬に宿泊施設が無いような書きっぷりの歩き遍路の記録を読んできたが、岬までは無くともちょっと回ればこれだけの宿泊施設がひしめいている。打ち戻しを勧める手前側の民宿などの策略だったような気もする。最近は岬に一泊して打ち戻してくる方法も普通に行われるようになったと思う。打ち戻しに宿が無いから40km歩いたというと、遍路の厳しさが出て、インパクトは確かにある。しかし、岬を回ればお宿がいっぱいという状況をわざと落としていたとすれば、間違っていたと思う。


今夜の宿、民宿夕日は足摺岬の次に大きな岬(名前が確認できない)の向こう側にある。県道は岬の方へ蛇行して遠回りするが、山中へ入る遍路道がある。どうやら近道のようだ。登って来たところに別れ道があり、どちらに進むか迷い、民宿夕日へ連絡を取りたずねるが要領を得ない。遍路道を行けばよいのかと聞けばそれでよいと思うと自信無げだった。遍路道は山道の下りになって県道へ出た。目の前に民宿夕日の看板があった。


(民宿夕日の、沈み行く夕日
折りしも上空をジェット機が飛ぶ)

民宿夕日の名前に違わず夕日が海の向こうの山陰に沈んで行った。明日の宿の民宿叶崎はあの夕日が沈む辺りにあると、女将さんは話す。電話での案内が出来なかったのは、歩くのが嫌いで、遍路道もよく知らない。人に聞いたぐらいで、何がどうなっているのか解らないから言葉もあいまいになったようだ。

今夜も宿泊は自分ひとりであった。ゴールデンウィークに入るからもっと予約が来るかと思ったと、女将さんもあてが外れたようであった。ゴールデンウィーク前に準備をしていて、ぎっくり腰をやってしまった。今もコルセットで締めている。なったばかりの時、民宿叶崎の女将さんにこちらへ来る客を紹介してもらったが、そんな状態でうまく応対が出来なくて申し訳なかったと、言っておいて貰いたい。それを客に伝言させて済むのか、と思ったが了解した。
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久しぶりに心賑やかに過ごす

(朝の大方海岸-
3年前は波打ち際で遊ぶのんき夫婦の姿が見えた)

快晴で申し分ないお遍路日和である。すぐに海岸に開かれた公園の中を歩く。続いて入野松原と呼ばれる防砂林の中の道を行く。足の調子は悪くない。打撲箇所も昨日よりは良くなっている。

途中、別れ道で下田の渡しの運行状況を聞いたところ、忙しくて休んでいるとの返事。一人500円の渡し賃では稼ぎにならないのであろう。前回と同じコースを行く。勝手が解っているから意外と距離を感じなかった。四万十大橋の手前1キロのところで、背後から迫ってくる歩き遍路を発見した。三重県の男性で自分より少し若いくらいの年齢だろうか。6回に分けての区切り打ちで歩いている。今朝は夜行バスで土佐佐賀に着いて、電車で海の王迎駅で降りて歩き始めたと話す。前回は片肺さんと初めて会った辺りである。


(四万十川と屋形船)

土手に上ると四万十川ははじけるような新緑に覆われて、今が一年で最も美しい時ではないかと思った。橋のそばの土手にある休憩舎で、地元のおじさんと話していると、三重の男性はコンビニでビールを買ってきて、飲み始めた。ビールを飲んで歩き遍路する人をはじめて見た。ちょっと違うなと、余り近づけないと思った。

歩くのは早くてたちまち追い抜かれ、田子作に入ると、今度は瓶ビールを飲んでいた。うどん屋「田子作」は若い男性が店主になっていた。先ほど土手の休憩舎でおじさんから聞いていたから、おばさんに、息子さんですかと聞いてみた。違うとの返事に、疑問符をつけていると、もともとこの方のお母さんと二人でやっていたので。お母さんとはよく姉妹かと間違えられたという。

3年前には食べられなかったアオサうどんを頼んだ。青さがたくさん入って、700円であった。アオサはこの地でもけっこう高価なものらしく、干したものが一袋1000円で並んでいた。

三重の男性は今夜は自分より先の宿に泊まり、金剛福寺から先へ、自分が行くコースの方へ行くというが、あの速さでビールの勢いで歩かれたら、もう会う事は無いだろうと思った。

長さ1620メートルの新伊豆田トンネルをやっとの思いで抜けた。騒音と排気ガスに、頭がくらくらして、右へ左へゆらゆら揺れながら歩いているのを自覚していた。長いトンネルは本当にいやだ。出てから、前にも利用した自販機で缶の炭酸飲料を買って一気に飲み、気分を戻した。

途中で木陰で座り込む老婆二人に、声をかけて真念庵の場所を確認した。通りから少し登った山中にあった。小さなふるいお堂で、濡縁だけが白木の新しいものに修理されていた。勤行を終えて、書かれた電話番号へかけると、家へ入ってきてくれという。確か、下に納経所の小さな看板があったと思い、多分そこだろうと、下っていくと、途中まで同年輩の女性が迎えに来て、てっきり家の前の標示を見て電話をくれたと思っていた。真念庵からだったのですねと、迎えに来てくれたとようだ。

自宅に案内されて、納経印を打ってもらったあと、お接待のお菓子の袋を頂き、話に花が咲き始めたので、お茶を入れてくると、自家製の梅ジュースとぶどうを出して頂いた。この辺りも過疎化が進んで、65歳にもなる自分たち夫婦が最も若いといわれる。夜、夫婦で2キロの散歩を毎日欠かさないが、帰ってくる頃にはどの家も電気が消えている。皆んな早くに休んでしまう。あのトンネルが出来る前は峠を越えてくる道が唯一で、足摺への観光ブームもあって、家の前をひっきりなしに車が行き来し、この前でも向かい側へ渡るに苦労するほどだったという。真念庵をもっと案内板を付けて解りやすくしたいのだが、役場に頼んでも大したことがしてもらえない。わずかに残った旧遍路道(山道)も標識がはっきりしないため、ある時若い女性お遍路が道を間違え、山をどんどん登ってしまい、半泣きになってやってきたこともあったと嘆く。なかなか、考えても実行する若さがもう村には無いのだろうと思った。

戻ってくると、先ほどの老婆二人はまだ日陰から動いていなかった。時間がゆっくり流れている。ドライブイン水車で、若い歩き遍路にあった。あの雨の日曜日、浦戸大橋を越えて、高知屋に泊まったという。その先で遍路道ががけ崩れで通行止めになったことは知らないようであった。自分に追いつかれた最初の人だと、彼に話す。聞けば、足摺から先へは自分と同じコースを行く予定だとか。また会うことがあるかも知れないと言って、彼は先に発っていった。

安宿には午後3時40分頃に着いた。ここの親父は何でも断定的に言う性格で、客にいろいろアドバイスするのは良いが、それで客が混乱してしまうことも少なからずありそうである。本の距離標示は大体2割ぐらい少なめに標示されているという持論で、各地の間の距離を長くして発言する。すべて2割増しで標示するなら、しないのと結局は同じことなのだが、初めて聞く人は混乱してしまうであろう。善意からの発言で、それだから余計に厄介である。

安宿の今夜の客は6人。金剛福寺から打ち戻ってきて、延光寺へ向かう人が3人、1人は今日始めた区切り打ちの人、もう1人は疲れて飯が喉を通らないと休んでしまった人である。

まだ本当に仲間と思える人に当らないけれども、視野にたくさんの歩き遍路が入ってきて、心楽しくなった一日であった。
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宿を前にアイスクリン売りのおばさんと話す

(国道脇に鶏がいた、車に轢かれるなよ)

岩本寺同宿の歩き遍路は3人、一人は20キロ先の佐賀に泊まり、もう一人は交通機関も使っているようで、コースが違ってくる。朝食の後、自家用車利用の女性4人のグループと話す。島根から来ており、おばあさんの3姉妹に、50代のその娘が運転手で付いている。その娘も、亭主に先立たれ、一周忌を迎えたばかりだと話す。4回の区切り打ちの予定で、その2回目で、今回は金剛福寺、延光寺を打って、愛媛県に入り、いくつか打った後、しまなみ街道を通って帰ると話す。

朝食に時間を取られ、佐賀泊まりの男性はポンチョを被って先に出かけた。自分も急いで準備し、空模様を見たがほとんど雨は止み、時々霧雨ほどの雨で、午後は晴れると聞いていたので、ザックカバーはしっかりかぶせたものの、合羽は着なかった。こんな日に合羽を着ると外側より内側から濡れる。

岩本寺からの遍路道は3年前、鬼コーチと1時間ほど歩き、のんき夫婦と介護青年など、後になり先になって歩いた。常に視界に誰かがいる心賑やかなお遍路であった。そんな記憶を思い出しながら、間もなくポンチョも追い越し、足はまずまず動く。昨日、焼坂峠の下りで足がもつれてこけ、右ひざ横を打撲した。昨日は何とも無く歩いてこれたが、一晩たって少し内出血しているらしく、曲げ方によっては痛む。左足の三つ目の肉刺も痛む。急に痛みが増えた。3年前、頑張りさんはこのあたりで足がめろめろになりながら、テーピングで固めて歩いていた。そのことを思えば自分の状態は些細なものである。

後は一人旅で、逆打ちの人に2人ほど会ったぐらいである。国道56号脇の小さな祠のあるところに、鶏が一羽出て来て、妙に慣れっこくついて来ようとする。脇には車がスピードを出して次々に通り過ぎている。周りには人家は無く、誰かに捨てられたのであろうか。道路には決して出るなよと、声を掛けるぐらいしか自分にはすべがない。鶏との出会い、そんなことさえ重要に思えてくる。

民宿白浜に立ち寄り、昼食にうどんを頼んだ。ざるを頼みたっかたが、5月からのメニューだという。結局暖かいうどんを頼んだ。若い娘が一人で作って出してくれる。人寂しさから、色々と質問したり、言葉をかけてわずかに会話をした。

目の前に今夜の宿が見えていた。道端でポツンと路傍で高知名物アイスクリンを売っているおばさんがいた。アイスクリンを一つ頼むと特殊スプーンで三つ重ねにしてくれた。大盛りはお接待だという。車で寄るお客には200円と150円のものがあるといい、200円のものはスプーン三つ重ねにしていたから、150円で200円のサービスをしてくれたようであった。時間がもったいないからと、店番がてら、イタドリの皮むきをしている。パイプ椅子に座ってアイスクリンを食べながら、おばさんと話した。


(皮をむいたイタドリは塩漬けにして冷凍庫に保存)

イタドリはここを終わってから取ってきたもので、塩漬けにして冷凍庫に保存しておき、緑が少なくなる季節に直販所に出すという。一晩水につけて塩抜きをし、炒め物に使ったり、煮物に使っても良い。皮むきが済んだようで、バケツ一杯のイタドリにあら塩をまぶし、食べてみよという。小さいものを選んで口に入れる。これでは塩を舐めているようなもので、しょっぱすぎる。塩をかける前に言ってよ。もっと食べろというが、塩で味がわからないから遠慮する。

あの後、アイスクリンの仕事は切り上げて、そばにあった軽トラでイタドリを取りに行くんだろう。一度取ったところでも4日すれば新しい芽は出てくる。葉っぱの出る前の茎を取るのが理想だという。

宿の「民宿日の出」は、今日も自分一人だった。宿の若い主人は明日安宿なら、行き帰りに泊まるから、おそらく賑やかだと思うよと慰めてくれる。自分は足摺岬を越えて、西海岸の方へ回るから、さらにお遍路さんは減って、ほとんど一人旅になるのだろう。安宿の次は民宿夕日、さらに民宿叶崎と連休が始まるというのに、難なく予約が取れた。

民宿の窓から海が見える。今夜は一晩中潮騒が途切れないだろう。明日は海から陽が上がってくるのが見えるはずである。
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周辺に歩き遍路の少ないわけ

(空と田に鯉のぼり)

先の日曜日、一日停滞した結果、他のお遍路は先へ進んでいなくなった。一方、あの荒れた日、前日に自分が乗った渡船は一日欠航し、雪蹊寺から種間寺に至る途中の、切り通した遍路道がガケ崩れで通行止めになり、後から来る歩き遍路はその両方で足止めされたらしい。それでぽっかり空白になってしまったようだ。おかげで先の宿は取り易くなった。今夜は岩本寺宿坊で、昨日は歩き遍路で満員だったのに、今夜は3人だけ、他にいる数人の宿泊客は車のお遍路らしい。

今朝から標高差200メートルの焼坂峠、大坂峠の二つの峠を越えた。それほど大きな峠ではないが、流れるような汗をかいた。山にはウグイスなど様々な野鳥が鳴き、清流にはカジカが美声を競っている。人に会わない分、自然を独り占め出来る。リスが前を横切った。


(高岡神社へ四万十川を渡る)

七子峠の茶屋でアイスコーヒーを頼み、ざるうどんを食べた。その後、岩本寺に入る前に高岡神社へ足を伸ばした。高岡神社へは四万十川を渡って行く。また同じ橋を戻ったので、四万十川の向こう岸へはもっと下流で明後日越すことになる。

高岡神社は岩本寺の奥の院なのかと、岩本寺の納経所で聞くと、高岡神社は元岩本寺があった場所で、周囲に5社の神社がある。廃仏毀釈、神仏分離で、合計5社あった寺院は神社に衣替えした。仏像は他へ隠して置かれたものを、岩本寺再興にあたり、5体共に岩本寺の本尊とされた。納経所で頂く「お姿」に5体の仏像が描かれているのはそんなわけである。従って高岡神社は岩本寺の奥の院ではない。そんな説明があった。

昨日泊まった宿まで確認できていた蝸牛さん、足を痛めたとかで、安和駅から今朝、帰ってしまったという。昨日蝸牛さんと同宿だった男性から聞いた話である。

今日、また肉刺が一つ出来て、水を抜いた。以前の二つはほとんど治ったようだ。きのう宿の風呂で計ったら、体重が62kgを示し、目を疑い、秤を疑った。それが事実なら、9kgも減ったことになる。このままでは終わらず、戻ってくるとは思うが、62kgは自分の理想体重である。

人に余り会わないから、話題も少ない。本日はこれまでとする。今夜の宿は、岩本寺の宿坊である。夕方から雨になった。明日、午前中まで残るようだ。明日は雨覚悟の出立となる。コースはほぼ一般道路で、難しいところはない。30km歩けば次の宿で、途中札所も無い。
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どこまで行っても一人旅

(浦ノ内湾の朝-もやって見えるのは黄砂か
この日、この春初の黄砂が来襲)

宿から昨夜、船に乗る予定はないかと聞かれる。昼間、郵便局員に聞いたらそんな船は知らないと聞いたと話すと、郵便局は民営化してから、他の町から転勤して来た人ばかりになって、地元のことを知らない、と断言する。聞けば女将さんは昔郵便局に勤めていたのだという。蝸牛さんも歩いて行くと断る。蝸牛は「かたつむり」と読んでもらうつもりで書いている。念のため。浦の内湾の奥、多分横浪まで船で行くと8kmほど歩かずに済むようだ。

朝、表で女将さんと話し込んでいる蝸牛さんよりも一歩先んじて出発した。花山院廟は地元の方3人ほどに聞いた。それほど有名なところではないらしく、出見という集落に入って聞いたおじさんが詳しく教えてくれて、間違いなくそこまで行けた。社はくたびれて手入れも出来かねているようだが、注連縄など今年新しくされているように見え、宿の女将さんが言ったように朽ち果てかけているという表現は当らない。道を聞くとき何度か「朽ち果てかけて」と使ってしまった。地元の方には失礼な言葉であった。


(花山院廟の絵馬)

宿のおじいさんの話では、花山院の遺物が流れてきて、湾を横断した縄を何本か渡して、それに引っ掛けて遺物を引き上げ、祀ったのが花山院廟だという。社の中を覗くと絵馬が見えた。おじいさんの話を裏付けるような、綱にたくさんものを引っ掛けているような絵馬である。花山院は西国三十三ヶ所の霊場めぐりを再興した人として知られているから、お遍路さんが途中にお参りしたという。ただ、地元の伝説と花山院の結び付きがわからない。旅の途中では疑問とだけ記して留めるしかない。

道草して先に行かれた蝸牛さんに再び追いつき、南の平坦路を行く蝸牛さんとはそこで別れた。横波地区から仏坂不動尊に参る道をただ一人で歩く。横浪小学校では運動会をやっていて、最高に盛り上がるリレーをやっていた。しばらく、リレー結果がでるまで見物していた。大きく遅れた白組のアンカーは6年生なのだろう、大柄ですばらしい走りを見せたが、追いつくには差が開きすぎていた。何をやっていたのだろう。とにかく今日はいつもより2割以上歩く距離が少なく、余裕なのである。話す人も誰も居ない一人旅である。

仏坂不動尊にお参りして、下って行ったところで、逆打ち野宿のおじさんに逢った。休むところはあるかと聞くから、不動尊までは無い、不動尊までは1時間は掛からないと思うと答えた。「得々」で食べたぶっかけうどんは二玉まではリクエストで増やしてくれて、値段は変らない。二玉頼むと、さすがにボリュームがあった。

別格第5番大善寺は大師堂が下にあり、本堂はやせ尾根の上に鐘楼とともにある。熟年女性の一団が急な石段を登って行き、一人マスクを掛けた老婆が自分は足が悪いからここで待つと、大師堂前にきた。勤行を終えたところで、色々と質問を受けた。まだお若いのに。確かに老婆からすればその通りだろう。とにかく暑い日で四万十市では最高気温が30℃だったという。

宿の安和之里でも、お遍路は自分一人だけであった。他の客は仕事関係の人だという。民宿あわの方がよかったかも知れない。今日は終始一人で孤独に歩いた。
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嵐のあとのお遍路日和

(片雲さんのブログの写真と同じお地蔵さんを見つけた)

昨日の雨が嘘のように、気持ちよく晴れた。一日休んだだけで身体に溜まっていた疲れが取れて、足が自然に前へ進む。心配した二つの肉刺も温泉に何度もつかり、治ってしまったようだ。一日肉刺には気になることも無く過ごせた。

雨でも嵐でも必ず先へ進むのがお遍路だと、思い込んでいる人は多い。自分もそう思い込んでいた。宿の主人もそう思っていて、連泊を申し出ると、説教する人がいるらしい。もちろん雨だからと、毎回休んでいては、怠け癖が付いて、お遍路が続けて行けなくなる。しかし、危険が伴うような日にはお遍路をしないと決めるのも勇気だと思う。我々は何もお遍路レースをやっている訳ではない。修行中の弘法大師も一ヶ所に一日しか留まらずに巡られたわけでもなかろう。


(納経所の白猫)

弁解が長くなった。お遍路は順調に進むが、今日は他の歩き遍路よりもワンテンポ速くて、ほとんど誰とも会わない。孤独な一人旅だが、景色はどこも最高であった。清瀧寺の納経所では、老人夫婦がいて、白い猫がカウンターの上に居座って、納経を頼むに白猫の背中越しに渡す。可愛かったけれども、大きくなってデブになり、邪魔になっていることに気付かない。もう一匹、ゴールデンレトリバーが床にいたが、この犬猫は仲が良くて喧嘩しない。ペットを間に、けっこう会話が進む。

立ち寄った郵便局のおじさんは、送り返す荷物のことで面倒をみながら、お遍路が出来てうらやましい。自分も定年退職したら出かけたいと話す。

最も印象が残ったのは、青龍寺を奥の院まで打った帰り道に、夫婦者がなにやら親しげに寄ってきて、真言宗のことを歩きながらで良いから、少し話してよいかという。

話し出したことは、真言宗は中国では高僧が捨てた教えを、日本人にくれて寄こしたもので、そんなものを信じていると大きな間違いを起こす。お経の中で釈尊の意に適ったのは法華経だけで、釈尊自らそう語っている。だから南無妙法蓮華経と唱えることが最高なので、お遍路さんは宗教音痴な人が多くて困るなどという。

段々に不愉快になってきて、足が速くなる。その夫婦、やがて息が切れてきて、話が続かなくなり、また勉強させていただきますというと、夫婦して握手を求めて来て終わった。最後に女房が池田何某の、と有名な人名を言う。お遍路を取り巻く人たちの中には色々な人たちがいる。しかし、宗教音痴とは、当っているだけに腹が立つ。

民宿なづなの客は自分の他は一人だけ、埼玉から来た熟年女性の一人遍路で、今までもあちこちで顔を合わせて来たが、食事の時に初めてゆっくりお話しした。夫婦して山登りをやっていて、百名山も7割ほどは登ったほどのキャリアながら、お遍路は別で、自信が無くて前へなかなか進まず、みんなに置いて行かれてしまった。昨日も出かけたが、青龍寺への道が波を被っているかもしれないといわれて、途中で断念した。

そこで、あだ名を「蝸牛」さんと名付けたけれども、別格や奥の院を含めて回っているとはいえ、ほぼ同時期に出た蝸牛さんと、このあたりでまだ同宿しているとは、複雑な気持である。しばらくは大きな道草もなさそうなので、顔を見るのも今夜が最後になるだろう。だから特製名刺を渡した。

蝸牛さんは旦那を誘ったが、完歩を目指す自分と、途中交通機関を使っても良いではないかという旦那で意見が合わず、置いてきた。電話では、飯など作ったことの無い旦那だが、近くの飯屋に行って何とか食べているらしい。遍路の歩き方の割には大胆な女性である。
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後ろめたさも感じながら連泊休養

(竹林寺五重塔)

朝から雨が止むことなく降っている。はるのの湯は山に囲まれて、海沿いのような風は無いようだ。だが時々電線がうなる。お遍路で初めての連泊、明日は朝何時に出発ですかと聞くフロントの青年に、連泊が可能かと聞く。空いているという返事の割りに、毎日休まず進むのがお遍路だろうとの、とがめる口調を感じるのは気のせいだろうか。

先日逢い、自転車でお遍路を先行しているS氏にも名前を付けた。「片雲」さん。ブログの名前から取った安易なものである。今朝、携帯で電話したところ、四万十川手前のネスト・ウェストガーデン土佐に同じように連泊しており、海に近いので風雨が荒れ狂っているという。歩けばもちろん歩けたであろうが、自重して正解だったと思いたい。まだ雨は降り続いているが、夜半には晴れるようだ。足も休まり、肉刺もほとんど気にならなくなり、明日は朝早くからしっかり歩けそうだ。

今朝からこの17日間のお遍路の歩行距離を整理していた。以下に示す。30kmを越えて歩いた日が6日間ある。最初はかなり自重して歩いたことが解ってもらえると思う。88札所が34番まで、奥の院が7ヶ所、別格が4番まで、それ以外の番外霊場が23ヶ所で、合計68ヶ所の霊場を回った計算になる。

さて、明日からは新鮮な気持でお遍路を再開する。

お遍路踏路実績
4月5日(木)1日目
JR板東駅          0.9km
第1番霊山寺        1.4
第2番極楽寺        2.6
第3番金泉寺        0.6   本日計 5.5km
1泊目 ばんどう旅館           歩数14,332歩

4月6日(金)2日目
ばんどう旅館        2.4km
愛染院(金泉寺奥の院) 2.0
第4番大日寺        2.0
第5番地蔵寺        6.5
別1番大山寺        7.4
第6番安楽寺        0     本日計20.3km
2泊目安楽寺宿坊             歩数34,144歩

4月7日(土)3日目
安楽寺宿坊         1.2km
第7番十楽寺        4.2
第8番熊谷寺        2.4
第9番法輪寺        1.2
小豆洗大師         1.9
うどん屋昼食        0.7
第10番切幡寺       9.3
第11番藤井寺       2.0   本日計22.9km
3泊目BHアクセス鴨島          歩数39,045歩

4月8日(日)4日目
BHアクセス鴨島      5.3km
長戸庵            3.4
柳水庵            2.2
浄蓮庵            4.1
第12番焼山寺       1.4
焼山寺奥の院        1.4   本日計17.8km
4泊目焼山寺宿坊             歩数31,260歩

4月9日(月)5日目
焼山寺宿坊         1.8km
杖杉庵            8.2
道の駅神山昼食      0.3
善覚寺大師堂       11.3  
建治寺(大日寺奥の院)  0     本日計21.6km
5泊目建治寺宿坊             歩数39,050歩

4月10日(火)6日目
建治寺宿坊         7.7km
別2番童学寺        5.4
おやすみなし亭       2.0
第13番大日寺       2.3
第14番常楽寺       0.8
第15番国分寺       1.8 
第16番観音寺       2.8
第17番井戸寺       0     本日計22.8km
6泊目おんやど松本屋           歩数38,377歩

4月11日(水)7日目
おんやど松本屋      4.1km
峰の薬師法国寺      2.5
地蔵院           11.0
弘法大師御杖の水     1.8
第18番恩山寺       3.0
お京塚            1.0
第19番立江寺       0.6   本日計26.0km
7泊目鮒の里               歩数36,864歩

4月12日(木)8日目
鮒の里           16.6km        
ふれあいの里さかもと   3.3
別3番慈眼寺        0.5   
穴禅定            2.1    
灌頂の滝(迷う)       5.5  本日計32.0km
8泊目ふれあいの里さかもと        歩数49,796歩

4月13日(金)9日目
ふれあいの里さかもと   6.7km
第20番鶴林寺       7.0
第21番太龍寺       0.7
舎心ヶ嶽(太龍寺奥の院) 4.6   本日計19.0km
9泊目龍山荘               歩数31,924歩

4月14日(土)10日目
龍山荘            7.7km
第22番平等寺       3.4
月夜御水庵         3.5
弥谷観音          16.7   本日計31.3km
10泊目弘陽荘              歩数48,232歩

4月15日(日)11日目
弘陽荘            0.8km
第23番薬王寺       5.7
打越寺            6.2
小松大師           4.0
牟岐接待所         4.5
別4番鯖大師        0.1
鯖瀬大福食堂昼食     7.7   本日計29.0km
11泊目みなみ旅館            歩数45,189歩

4月16日(月)12日目
みなみ旅館         15.6km
明徳寺(東洋大師)    11.4
佛海庵             4.1
みかど食堂昼食       3.3   本日計34.4km
12泊目民宿増富             歩数48,424歩

4月17日(火)13日目
民宿増富          14.1km
御蔵洞             1.7
第24番最御崎寺      6.5
第25番津照寺        3.8
第26番金剛頂寺      0.1   本日計26.2km
13泊目金剛頂寺宿坊           歩数42,556歩

4月18日(水)14日目
金剛頂寺宿坊(迷う)    3.2km      
不動岩            12.2   
御霊跡大師堂        10.0
民宿きんしょう        4.0   
第27番神峯寺        4.0   本日計33.4km
14泊目民宿きんしょう          歩数55,791歩

4月19日(木)15日目
民宿きんしょう       16.2km
レストラン矢流        0.1
八流山極楽寺       14.4   本日計30.7km 
15泊目かとり              歩数47,951歩

4月20日(金)16日目
かとり              3.9km
第28番大日寺        0.1
爪彫薬師堂(大日寺奥の院)4.8
松本大師堂           4.5
第29番国分寺(〒立寄り) 6.1    
毘沙門ノ滝(国分寺奥の院)3.5      
第30番善楽寺        6.6
第31番竹林寺        3.0  本日計32.1km
16泊目ホテル土佐路たかす        歩数51,927歩

4月21日(土)17日目
ホテル土佐路たかす(迷う)6.2km 
第32番禅師峰寺       6.0
種崎渡船場          1.5
第33番雪蹊寺(迷う)    7.0       
岩屋神社(34番奥の院)  4.0
第34番種間寺        2.4  本日計27.1km
17泊目はるのの湯            歩数42,890歩

4月22日(日)18日目    
17泊目はるのの湯連泊
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迷い、失敗し、また迷い、人の情けを知る

(禅師峰寺から高知港方面の眺望)

ホテル土佐路・たかすの朝、今日は一日雨が降ったり止んだりの天気になるだろう。フロントで領収書を貰う。メモ代わりに貰って置くと後々確認できる。この領収書が後にとんでもないことに役に立つことになるとは、このときはまだ知らない。

ホテルがくれた略図は竹林寺への道に詳しく、それは昨日打ってきた。知りたいのは禅師峰寺への道である。これがなかなか難しいものであることは後で判った。一応ホテルがくれた略図でわかったつもりで、いきなりホテルを出た交差点で間違えた。

あちこちで聞いたが、だいたい禅師峰寺を知らないから判らない。雨も降ってきたので、まだシャッターの下りている店の軒下で雨支度をしながら、地図を出して確かめようとしていると、おばちゃんが運転する軽が軒下に車を寄せようとするので、位置を移した。どこへ行くのかと、例により質問が来る。地図を描いてくれると言って、説明しながら書き出したが、素人の説明では限界がある。一応郊外に出る方向は判った。

田の中に道が幾重にも別れ、その進む方向にも、同じような山が並んでおり、困ってしまった。古い道だろうかと、山際の道を選んでみたが、おばちゃんの言葉に右手に市のスポーツ施設が見えるというのを思い出し、スポーツ施設がはるか向こうに見えたので、田の中の道をスポーツ施設の方角へ進んだ。ようやくそれらしい広い道に出て歩いていると、先のおばちゃんの軽が行く手からやってきて、自分の前に止まった。

先ほどの説明に言い足らなかったところがあり、どうにも気になって追いかけてきた。先まで行ったけれども見当たらず、心配していた。実は迷っていて、この道へようやく戻ったところだというと、そのときに先へ行ったのだろうと納得する。ポイントをもう一度確認してくれたが、ほぼ考えていた山の狭間を行く道で間違いなかった。店を開ける準備をする貴重な時間に、こんな風に駆け回らせてしまって、大変恐縮した。

道は禅師峰寺の手前で大きな石土池にぶつかる。池の周りを右回りに行くか、左回りに行くか迷った。右回りの方が近そうだが、標識は左回りに進むように指示している。それで左回りに行こうとすると、散歩していたおじいさんに、右回りのほうが20分は早く着けると、池尻に着いた後のコースまで細かに教えてくれた。言った通りのものが現われ、無事に禅師峰寺に登り付いた。

前回は雨の降りしきる中、お寺からの眺望に全く気付かなかったが、すばらしい眺望であった。ここで、また岩手の初お遍路の男性にあった。あちこちでよく顔を合わしているので、名刺交換をした。

前回、禅師峰寺より渡船場まで急いだけれども10分ほど間に合わず、次の便を待った経験から、今回は発船時間まで、何とか1時間20分あったので、6kmを歩くことに再挑戦してみようと思い、歩きに歩いた。その結果、渡船場に発船10分前には到着した。

雪蹊寺で雨になったので雨支度を整えていると、携帯電話が鳴った。雪蹊寺納経所ですが、財布をお忘れになったでしょう。えっ!ポケットにない!すぐに取りに行った。しかし、どうして自分の携帯番号が解ったのかと聞くと、中身を調べさせていただき、ホテルの領収書があったので、ホテルに聞いて教えてもらった。なるほど、だからこんなに早く連絡を貰えたのか。とっさの機転に感服した。危うく、お遍路を中止しなければならなくなるところであった。お礼をさらに言って、雪蹊寺を出た。

雨の中、種間寺へ向かう。途中で種間寺の奥の院に寄る計画だが、この雨では止めようかと弱気になる。しかしそれらしいところに来ると自然に足が向いた。途中に何人かに道を聞き、かなり迷いながら、ほとんど海のそばまで出て、一度は素通りし、聞き戻ってようやく見つけた。

それは、岩屋神社という神社になっていて、地域で管理されているように見えた。誰に聞いても奥の院では知っているが、岩屋神社という名前が出て来なかった。お寺ばかり探していて、そこは見逃していた。一ヶ所に「奥の院」と書かれていた。大きな岩壁が御神体でその前に弘法大師の背もたれ石などがあり、大師の修行の場であったようだ。

種間寺で奥の院の納経印も頂いた。納経所の若い坊さんは神社になっていることも知らないらしく、ひょっとしたら奥の院に行ったことが無いのかもしれない。本当に奥の院なのか。奥の院とは何なのか。調査してみたい。

明日は、天気が最悪で、立っておれないほどの風が吹き、滝のような雨が降るとも言うので、今夜の宿、はるのの湯にもう一泊する予定である。行程のほぼ3分の1ほどを終え、疲労もピークになって、気も散漫になっているように思う。毎日歩くのがお遍路という人もいるが、無理をしてこれ以上地元の方に迷惑を掛ける様なことがあってはならない。この2週間を越してきた記録など、今整理して置きたいこともあるから、一日の休養は丁度良いタイミングである。
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