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「家忠日記 二」を読む 1

(諏訪原城講演会、会場の案内板)


午後、新市誕生10周年記念講演会「諏訪原城と真田丸」に出席した。講師は、諏訪原城講演会ではお馴染みの加藤理文氏と城郭ライターの萩原さちこ氏。真田丸は言うまでもなく大河ドラマの題名だが、その示す所は冬の陣の大阪城の真田丸で、丸馬出の備えだという。丸馬出といえば、その構えに7つも丸馬出が遺構として残る諏訪原城である。そんな切り口での講演会であった。

ただ、内容的には城郭見学の初心者向けで、聴講者のほとんどが毎年ある諏訪原城講演会の聴講者であろうから、少し物足りなかったかもしれない。来週、同じ場所で諏訪原城講演会があり、出席の予定だが、こちらの講演会ではもう少し専門的なことが聞けるかもしれない。

今日から「家忠日記 二」を読み始める。

 天正七年(1579)卯九月

 九月小
一日  甲辰 
同二日 乙巳 牧野番として日通しに、浜松まで越し候。
       家康御煩(わずら)いにて、城へは出でいられず候。
       我々所、松平玄蕃、休庵越され候。

同三日 丙午 鵜殿善六所にふる舞いにて、懸河まで越し候。

同四日 丁未 牧野番に西郷孫九郎替り候。松平周防所にふる舞い候。

同五日 戊申 定番衆ふる舞い候。伊豆御扱い済み候て、
       朝比奈弥二郎、昨日越され候由、浜松より申し越し候。
※朝比奈弥二郎 - 朝比奈泰勝。今川氏の家臣で氏真に従い小田原へ行く。その後家康の家臣となり、この時は小田原北条氏との同盟締結の報を遠江国浜松城に届けた。

同六日 己酉 東条衆都筑助太夫所にふる舞い候。
同七日 庚戌 東条衆岡田権平所にふる舞い候。
       夕食、牛久保殿にふる舞い候。
同八日 辛亥 へい(塀)普請候。
       小笠原丹波所にふる舞い候。


塀普請の記述がある。牧野(諏訪原)城の空堀の内側には土塁とその上に柵や塀が構築されるが、塀普請の記述は一部にしろ塀が造られたことを示している。遺構は出ていないが、この日記から知れることは多そうである。

同九日 壬子 未刻より夜まで雨降り。
       家中新二郎、各定番衆ふる舞い候。
同十日 癸丑 同‥‥ふる舞い、定番衆。
同十一日甲寅 松平甚太郎所にふる舞い候。
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「家忠日記 一」を読む 27

(散歩道のキャベツ三兄弟)

「家忠日記 一」の解読を続ける。

 天正七年(1579)卯八月
同十一日甲申 深溝へ帰り候。厩(うまや)造らせ候。
同十二日乙酉 会下へ参り候。
同十三日丙戌 十二日の事、家康浜松へ御帰り候。鵜殿善六越され候。
       岡崎城には本田作左衛門、御留守候。
同十四日丁亥 卯刻に雨降り。

同十五日戊子 本田作左所へ音信候。
       吉田左衛門尉所より、来る十九日、陣触れこし候。
同十六日己丑 卯刻より夜まで雨降り。

同十七日庚寅 京の茶湯者、宗音越し候。
       平岩七之助所より預かり候、鷹とりに越し候。

同十八日辛卯 竹谷まで陣用‥‥在り候へば、今度は先へ相延び候由、
       酒井左衛門尉所より行き寄り越し候て、帰り候。

同十九日壬辰 足助へ漆(うるし)買いに人を越し候。
同廿日 癸巳 子刻より雨降り。
同廿一日甲午 夜まで雨降り。台所勘定候。
同廿二日乙未 酉刻より雨降り。

同廿三日丙申 同雨降り。鉄砲薬調合候。
同廿四日丁酉 卯刻まで雨降り。犬法(師)浜松へ帰り候。
同廿五日戊戌 彼岸に入る。午時より雨降り。會下へ参り候。
同廿六日己亥 同雨降り。

同廿七日庚子 同雨降り。松平藤五郎、月次連歌候。
       発句
        いや増しの 花や露添う 野辺の秋 亭主名代正佐

同廿八日辛丑 夜まで雨降り。会下へ参り候。
同廿九日壬寅 
同晦日 癸卯 申刻に地震。


これで「家忠日記 一」を読み終えた。ここで一段落、何か他の本を読もうと思ったが、家康、信康親子のその後が気になって、引き続き「家忠日記 二」を読むことにした。

毎日、解読を少しずつ続けて、ブログに書き込むということは、瞬間芸のようなもので、十分な検討が出来ない分、誤りも多い。先を読み進んで、間違いに気付くことも多い。そんな時は遡って修正を加えている。

特に固有名詞、人名、地名は、本来なら一つ一つ確認しないと正しい解読にはならないけれど、時間に追われて読み飛ばしている。昔の武将は名前を幾つも持っていて、ややこしいこと極まりない。幼名、通称、官職名、諱、号など。似たような名前も多く、家忠と同時代に、三河から遠江にいたであろう人物を特定するのは随分手間がかかる。地名も、それが地名なのか、人名の一部なのかすら、特定が難しい。

いずれ、「家忠日記」登場人物と地名の一覧表のようなものを作ってみれば、もっと理解できるようになるだろう。
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「家忠日記 一」を読む 26

(庭のジンチョウゲ、開き初める)

朝から一日雨降り。

「家忠日記 一」の解読を続ける。

 天正七年(1579)卯七月

同十六日庚申 
同十七日辛酉 川狩りに越し候。

同十八日壬戌 踊り、寺方へ掛け候。
同十九日癸亥 申刻より酉時まで夕立する。
同廿日 甲子 三光院大坊より踊りも返し候。
       申刻より戌刻まで夕立する。

同廿一日乙丑 卯刻より午時まで雨降り。会下へ参り候。
同廿二日丙寅 
同廿三日丁卯 
同廿四日戊辰 

同廿五日己巳 小算へ川狩りに越し候。岡崎伊東殿、
       刃隼(?)越され候。

同廿六日庚午 保々孫十郎所にふる舞い、同川狩りに越し候て、深溝へ帰り候。
       松平九七郎祝言候。野田、菅沼又左衛門殿より。
同廿七日辛未 卯刻より雨降り。
同廿八日壬申 九七郎所へ祝言、ふる舞いに越し候。同雨降り。
同廿九日癸酉 同雨降り。風吹く。


 天正七年(1579)卯八月
 八月大
一日  甲戌 大雨ふる。家中衆礼に越され候。
同二日 乙亥 夜まで雨降り。永良堤切れ候。
       松平喜平所に月次連歌候。
       発句
        露に香は こぼれぬやなお 萩が花  正佐作 亭主。

同三日 丙子 浜松より家康、岡崎へ越され候。
同四日 丁丑 夜より雨降り
       御親子‥‥仰せられ候て、信康大浜へ退かれ候。
同五日 戊寅 夜より雨降り。
       岡崎へ越し候へば、家康より、早々弓鉄砲の衆連れ候て、
       西尾へ越し候へ、仰せられ候て西尾へ越し候。
       家康も西尾へ移られ候。
       会下に陣取り候。北端城番にあがり候。
同六日 己卯 雨降り。
       北端城番にあがり候。
同七日 庚辰 午時まで雨降り。
       家康、岡崎へ越され候。
       本城(西尾城)番、松平上野、榊原小平太。
       北端城番、松平玄蕃、鵜殿八郎三郎(と家忠)両三人なり。
       善五左衛門所に陣取り候。玄蕃、八郎三郎ふる舞い候。
       平岩七之助所より、大鷹兄弟預り候。
同八日 辛巳 榊原小平太、松平上野、同玄蕃、鵜(殿)八郎三郎、ふる舞い候。
同九日 壬午 勘解由、岡崎大津石川伯耆‥‥へ越し候。
       ‥‥仰せられ、小姓衆五人、信康大浜より遠州堀江城へ被越され候。
同十日 癸未 家康より、岡崎へ越し候へ、の候由、鵜殿善六郎が使いにて、岡崎へ越し候。
       各國衆、信康へ内音信申すまじく候と箇条、起請文候。
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「家忠日記 一」を読む 25

(季節外れのセッコク2輪)

よりもよって、この極寒の季節に、初夏の花、セッコクが咲いた。どこでどう間違えればこの季節に咲くことができるのか。不思議である。

「家忠日記 一」の解読を続ける。

 天正七年(1579)卯六月
同十九日癸巳 辰時まで雨降り。
  ‥‥
  ‥‥
同廿四日戊戌 卯時に雨降る、ばら/\。また酉時より雨降り。

同廿五日己亥 未時まで雨降り。
       月次の連歌候。
       発句
       (まき)入れて 風香りそう 庵(いおり)かな  正佐作
       竹谷金左衛門御由‥‥

同廿六日庚子 
同廿七日辛丑 会下へ参り候。
同廿八日壬寅 卯時雨降り。
       同酉時より雨降り。
同廿九日癸卯 巳時まで雨降り。川狩りに越し候。

同晦日 甲辰 川狩りに越し候。知多の郡(こうり)より、意卜(?)越られ候。
       越前よりも幸鶴太夫舞へ越し候。
       会下に、舞の下和田酒盛(わださかもり)
       烏帽子折(えぼしおり)、以上三番有り。


 天正七年(1579)卯七月
 七月小
一日  乙巳 幸鶴越し候て舞い候。夜討曽我八幡笛の巻
       またその後、座敷にて、勧進帳あり。以上四番。

同二日 丙午 川狩りに越し候。
       同各(おのおの)与五左衛門所に舞い候。
       太守かんこうたちふし、と、ときわこしなり。
       已上四番。

同三日 丁未 
同四日 戊申 川狩りに越し候。
    ‥‥
同六日 庚戌 酉時より夕立夜まで降る。堤突かせ候。
同七日 辛亥 岡崎城へ出仕に越し候。また永良へ帰り候。同堤突かせ候。
同八日 壬子 深溝帰り候。同堤突かせ候。
同九日 癸丑 川狩りに越し候。岡崎より松嶋伊東殿越され候。
       遠州より大草殿越され候。
同十日 甲寅 川狩りに越し候。
           (この所図有り)
同十一日乙卯 
同十二日丙辰 午時より雨(夕立)夜まで降る。
       松崎伊藤、岡崎へ帰られ候。川狩りに越し候。
同十三日丁巳 巳時より夜まで、夕立雨降り。川狩りに越し候。
       浜松より犬法越し候。
同十四日戊午 会下施餓鬼越され候。
同十五日己未 同城施餓鬼にて、会下へ参り候。
       大草殿、兵法ならい候。
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「家忠日記 一」を読む 24

(北の山々には雪が見える / 手前の高架は新東名)

この何日かの寒さで、北の山々(南アルプスに南の端)にも雪が降ったようだ。

「家忠日記 一」の解読を続ける。

梅雨時とはいえ、雨の記述が延々と続く。時々「川狩り」は季節柄、鮎が目的であろうか。獲物のことは記されていない。とにかく、この2ヶ月は珍しく平穏に過ぎている。月を越せば牧野番が回ってくるから、動きがあるだろう。

 天正七年(1579)卯五月
 五月小
   ‥‥
   ‥‥
同六日 辛亥 ‥‥
同七日 壬子 夜より雨降り。
同八日 癸丑 雨降り。東条都筑助太夫越し候。
同九日 甲寅 同雨降り。
同十日 乙卯 卯刻まで雨降り。
同十一日丙辰 夜より雨降り。祈勝候。

同十二日丁巳 夜まで雨降り。川狩りに越し候。
同十三日戊午 夜より雨降り。川狩りに越し候。
同十四日己未 雨降り。
同十五日庚申 酉時まで雨降り。会下にて日待ち候。
同十六日辛酉 
同十七日壬戌 寅刻より雨降り。

同十八日癸亥 同雨降り。
       法花寺に月次連歌候。‥‥並び殿所。
       発句
       ‥‥ ‥‥ 早苗哉  亭主たい正佐

同十九日甲子 巳時まで雨降り。竹谷備後守殿、座敷作らる。
  ‥‥
  ‥‥
同廿五日庚午 会下より初揚梅(やまもも)越し候。
同廿六日辛未      (此所図有)
同廿七日壬申 
同廿八日癸酉 東条都筑助太夫越され候。
同晦日 甲戌 川狩りに越し候。


 天正七年(1579)卯六月
 六月大
一日  乙亥 申刻に夕立する。
       山崎はは、ばあ越られ候。初ぶり越し候。
       岡崎に越し候て、城へ出候。松平伊豆所に振る舞い候。
       小算に川狩りに越し候。
同二日 丙子 保々松平孫十郎に振る舞い候。
       巳時より雨降り候。保々にとまり候。

同三日 丁丑 夜まで雨降り。深溝へ帰り候。
同四日 戊寅 川狩りに越し候。午刻より雨降り。

同五日 己卯 家康浜松より信康御‥‥越しに越され候。
同六日 庚辰 初龍‥‥院より楊梅越し候。

同七日 辛巳 浜松殿、遠州帰られ候。‥‥霍乱煩い候。
※ 霍乱(かくらん)- 漢方で、日射病をさした語。
同八日 壬午 辰時に雨降り。

同九日 癸未 山崎女房衆帰られ候。
同十日 甲申 
同十一日乙酉 卯時より雨降り。
同十二日丙戌 夜まで雨降り。
同十三日丁亥 川狩りに越し候。
同十四日戊子 夜より雨降り候。

同十五日己丑 巳時より大風吹き候。同雨降り。
同十六日庚寅 卯時まで風吹く。同雨降り。
同十七日辛卯 卯時まで雨降り。又夜より雨降り。
同十八日壬辰 同雨降り。裏に三間の座敷作り候。
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「家忠日記 一」を読む 23

(散歩道のナンテンの実)

「家忠日記 一」の解読を続ける。

 天正七年(1579)卯三月
同廿三日戊辰 牛久保衆、稲垣平右衛門所にふる舞い候。
※ 稲垣平右衛門 - 稲垣長茂(いながきながしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。牧野康成の家臣として、今川氏に属し家康に敵対していたが、後に家臣となり、上野伊勢崎藩初代藩主。志摩鳥羽藩稲垣家初代。

同廿四日己巳 
同廿五日庚午      (この所書判有り)
同廿六日辛未 番、戸田新六郎ヘ替り候。浜松まで越し候。
※ 戸田新六郎(とだしんろくろう)- 二連木城城主。戸田康長、後に松平姓を受ける。家忠とは諏訪原城の交替勤番で、家忠の後を勤めた。

同廿七日壬申 戌時より雨降り。深溝へ日掛けに越し候。
同廿八日癸酉 寅刻まで雨降り、竹のや備後殿より使いを越し候。
※ 竹のや備後 - 竹谷松平備後守清善。宇津山城の城番。

同廿九日甲戌 
同晦日 乙亥
     (この所絵有り)

 天正七年(1579)卯四月
 四月大
同一日 丙子 三光院にふる舞い候。
       会下へ参り候。
  ‥‥
  ‥‥
同七日 壬午 深溝むかい市場‥‥たち候。
同八日 癸未 崇福寺へふる舞いに越し候。
       岡崎松崎殿、伊東殿、越され候。
同九日 甲申 松平‥‥殿にふる舞い候。
       横落、民部殿より鹿毛の馬、所望候。
同十日 乙酉 大原一平所にふる舞い候。
       戌刻より雨降り候。
同十一日丙戌 未刻まで雨降り。深溝帰り候。
同十二日丁亥 

同十三日戊子 申刻より雨降り。
       浜松へ人を越し候。犬法(師)迎い、
       同条、初尾(初穂)持たせ下り候。
同十四日己丑 雨降り。
同十五日庚寅 巳時まで雨降り。会下へ参り候。
同十六日辛卯 夜、雨降り。
       吉田藤田寺へ馬合せに、八木拾俵越し候。
       浜松より犬法(師)越し候。
※ 八木(やぎ)- 米を分解した形から、「米」の異称。
‥‥
‥‥
同廿二日丁酉 家、板壁候。宗右衛門所にふる舞い候。

同廿三日戊戌 市にて雑馬買い候。
       敵、武田勝頼、駿河江尻まで出で候由にて、
       来る廿六日に濱松まで立たれ候へ由、石河(川)伯耆所へ触れ。
同廿四日己亥 

同廿五日庚子 浜松まで日掛けに出陣候。城へ未刻に出で候。
       敵、高天神、国安に陣取り候由候。

同廿六日辛丑 家康、夜内に馬伏塚まで御馬出でられ候。
       信康も吉田より馬伏塚まで越られ候。
       各三河国衆と見付に陣取り候。

同廿七日壬寅 三河衆、袋井まで陣よせて、敵、国安を引きのき候。

同廿八日癸卯 我々は河合市場へ陣替り候。

同廿九日甲辰 馬伏塚はたもらへ(?)越し候。
       敵、大井川を越え候て、浜松まで御帰陣候。

同晦日 乙巳 亥時より雨降り。
       惣人数は三河へ返り候て、大将衆計り浜松に候。
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「家忠日記 一」を読む 22

(少し早めのムサシの散歩)

あまりの寒さに、夕方の散歩を日暮れになる前に出掛けた。寒くても、日差しがあるとなんとか凌げる。

「家忠日記 一」の解読を続ける。

 天正七年(1579)卯三月
 三月大
同一日 丙午 同普請候。
同二日 丁未 同普請候。屋敷に家作らせ候。
 ‥‥
同三日 戊申 同普請候。城へ出仕候。
同四日 己酉 同普請候。卯時より雨降り。小姓衆ふる舞い候。
同五日 庚戌 ‥‥まで雨降り。同普請候。

同六日 辛亥 牧野原番に懸河益田まで越し候。
       人数浜松に半分置いて普請させ候。

同七日 壬子 牧野原番、西郷孫九郎に替り候。
※ 西郷孫九郎(さいごうまごくろう)- 西郷家員(いえかず)。西郷清員の嫡子。牧野城の交替番。家忠の前の番で、家忠が来ると交替になる。

同八日 癸丑 定番衆ふる舞い候。
同九日 甲寅 雨、寅刻まで降る。‥‥
同十日 乙卯 番、普請候。松平甚太郎所にふる舞い候。
※ 松平甚太郎(まつだいらじんたろう)- 松平家忠。東条松平家第3代当主。東条城を領した。この時、牧野定番。

同十一日丙辰 同普請候。
       同甚太郎内衆、ふる舞い候。
       晩、牧野新二郎内衆、山本与一郎所にふる舞い候。
※ 牧野新次郎(まきのしんじろう)- 牧野成定(なりさだ)、右馬允。三河国牛久保城の城主。このとき、松平甚太郎とともに、牧野定番として詰めていた。

同十二日丁巳 同普請出来候。
       松平周防、東条より帰られ候。
       同牛久保、山本小一郎所にふる舞い。
※ 松平周防守 - 松平康親(やすちか)、戦国時代の武将。初め松井忠次と称す。松井松平家の祖。
       
同十三日戊午 同周防守へふる舞い候。
       足軽衆挊(はたらき)に越し候て、
       男女廿四人、牛馬四つ取り候て越し候。

この足軽衆は浜松に残してきた家忠の家内衆であろう。牧野番に付くとき、当然家内衆を伴ってきたはずと思っていたが、具体的な人数が判らなかった。戦さの無い時は普請が主な仕事だから、沢山の人足が必要で、この24人が浜松に残してきた半分だとすれば、全員では50人ほどの人足になる。女や牛馬まで伴っていたとあり、納得できる。

同十四日己未 同甚太郎内衆、都筑助太夫所にふる舞い候。
同十五日庚申 
同十六日辛酉 辰時より雨降り。寅刻まで。
       同周防所にふる舞い候。晩、東条衆‥‥
  ‥‥
  ‥‥
同廿一日丙寅 
同廿二日丁卯 普請出来候。
       家中喜平、定番衆ふる舞い候。
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「家忠日記 一」を読む 21




(合格地蔵尊開眼)

大井川鉄道五和(ごか)駅の無人駅舎を、合格駅として町おこしをしている金谷コミュニティーが、今度木像の合格地蔵尊を安置し、祈願の受験生たちを呼んで賑わいを興すとして、午後、五和駅舎でその開眼法要が行われた。ご近所のSさんから声が掛かって、見物に行った。長い挨拶と、余りの冷え込みに、法要の途中で帰った。

今日は奄美大島で100年ぶりの雪というニュースが流れるほど、寒い日であった。100年ぶりといえば、今日、大相撲で10年ぶりの日本人優勝が出た。大関琴奨菊である。次は横綱で、出ればこちらは何年ぶりになるのだろう。

「家忠日記 一」の解読を続ける。

 天正七年(1579)卯二月
 二月小
‥‥
同三日 己卯 浜松へ、鷹雁下され候礼に、使者を越し候。
       点取の誂諧候。
同四日 庚辰 
同五日 辛巳 点取の誂諧候。

同六日 壬午 小笠原‥‥六殿越され候。三日に浜松へ遣し候志返り候。
同七日 癸未 
同八日 甲申 松平勘解由所に誂諧のふる舞い候。夜より雨降り。

同九日 乙酉 雨降り。浜松より家康印判を以って、
       十八日に浜松普請に越候へ由、申し来り候。
同十日 丙戌 
同十一日丁亥 明けに夜雨する。子刻に地震する。
       同戌時雨降る。

同十二日戊子 犬法(師)浜松へ越し候。
同十三日己丑 夜雪あられ降る。
同十四日庚寅 夜雨ふり。
       岡崎鷹匠、伊東殿越され候。清田も越し候。
       会下へ参り候。
  ‥‥

同十六日壬辰 家康より下され候、御鷹雁振る舞い候。
同十七日癸巳 伊東殿、清田岡崎へ帰られ候。

同十八日甲午 浜名まで出陣候。夜より雨降り。
同十九日乙未 戌刻まで雨降り。
       浜松まで越し候。城へ出仕候。
同廿日 丙申 彼岸に入る。

同廿一日丁酉 酉刻より雨降り。
       本田作左衛門構えの普請候。
※ 本田作左衛門 - 本多重次。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣。渾名「鬼作左」。有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は重次が妻に宛てた手紙。

同廿二日戊戌 申刻まで雨降り。
       家康鷹の鶴のふる舞い、各国衆に成され候
       また夕食、如雪へ越し候。
※ 鷹の鶴(たかのつる)- 鷹狩りで獲った鶴。

同廿三日己亥 同普請候。
同廿四日庚子 同普請候。
       内藤四郎左衛門所にふる舞い候。
※ 内藤四郎左衛門 - 内藤正成(ないとうまさなり)は、戦国時代の武将。徳川氏の家臣。

同廿五日辛丑 同普請候。
       松平玄蕃所にふる舞い候。

同廿六日壬寅 同普請候。
       天野清兵衛所へふる舞い候。
       巳時雨降り。午時大なえゆる(大地震)
同廿七日癸卯 同普請候。

同廿八日甲辰 辰時より雨降り。同普請候。
       本田作左衛門所にふる舞い候。

同晦日 乙巳 酉時まで雨降り。
       本田平八郎所にふる舞い候。

※ 本田平八郎(ほんだへいはちろう)- 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。徳川四天王の一人。
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「家忠日記 一」を読む 20

(庭のクンシランの種)

いつの間にか、クンシランが種を付けていた。大きな種で、春に植えれば芽を出すらしい。植えてみるか。

「家忠日記 一」の解読を続ける。

 天正七年(1579)卯正月
              
 天正七年己卯正月大   小年廿五才
             竹にしねんにつく(?)

同一日 丁未 家中衆、礼に越し候。

同二日 戊申 夜通し、浜松礼に下り候。
       夕は出仕、謡い初め候。立春。
同三日 己酉 松平玄蕃所にふる舞い候。
       浜松家中、礼にあるき、あらい(新居)まで帰り候。

同四日 庚戌 吉田、左衛門尉所へ礼に越し候て、深溝まで帰り候。
       酒左(酒井左衛門尉)は安土ヘ御使に越され候。

同五日 辛亥 出家衆、礼に越され候。
       会下の東主様ふる舞候。

同六日 壬子 戌刻にはやち落ち候て、あられ降る。

※ はやち(疾風)- はやて。

同七日 癸丑 丹羽隼人越し候。
同八日 甲寅 松平勘解由左衛門所にふる舞い候。
同九日 乙卯 岡崎より久志本法安、越され候
       未時より雨ふる。
同十日 丙辰 卯時まで雨降り。日待ち候。

同十一日丁巳 卯刻に地震候。祈勝候。夜雪ふる。
       岡崎一世越され候て、京の舛(升)屋越し候て、拍子候。
       戌刻におすえに火事出でき候えども、消やし候。

同十二日戊午 松平喜平所にふる舞い候。
       申刻なへゆる(地震)

同十三日己未 佳例の連歌候。戌刻より雨降り。
     発句
         春いく代 采女が候 古き宿 又は 

同十四日庚申 卯刻まで雨降り。
       松平与五左衛門所にふる舞い候。
       岡崎信康御礼、謡い初め越し候。

同十五日辛酉 爆竹乗り候。岡崎家中礼に歩き候て、深溝帰り候。
同十六日壬戌 
同十七日癸亥 夜雪なり。
       松平玄蕃礼に越され候。午時より戌時まで雨降り。
同十八日甲子 会下にふる舞い候。雪降る。

同十九日乙丑 家康岡崎へ越され候。岡崎へ越し候。
       嶋へ人をこし候。
同廿日 丙寅 家康、吉良へ御鷹のため越され候。

同廿一日丁卯 大坊にふる舞い候。午時より夜まで雨降り。

同廿二日戊辰 かりてい作らせ候。

※ かりてい(仮亭)- 深溝に家康を迎えるための仮亭であろうと思う。

同廿三日己巳 浜松より犬法(犬法師)越し候。
同廿四日庚午 
同廿五日辛未 
同廿六日壬申 一尺雪降る。

同廿七日癸酉 吉良大塚へ、家康御鷹野、見舞い越し候。
同廿八日甲戌 鵜殿八郎三郎殿、礼に越され候。

同廿九日乙亥 家康、吉良より深溝御帰り候。
       宇谷にて御酒迎い申し候。
       鷹の雁を下され候。
同晦日 丙子 


家康が鷹野の帰り、家忠の深溝城を訪れると聞いて、家忠は深溝の宇谷に仮亭を建てて、御迎えした。お酒を出してのお迎えの宴だったのだろう。家康は礼に、鷹野の獲物の雁を下さった。
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「家忠日記 一」を読む 19

(庭のマンリョウの実)

マンリョウんの実はレンギョウの薮の中にある。レンギョウが咲き始めるのはまだまだ先である。明日からさらに日本列島は強烈な寒気の中に入ると予報はいう。

今朝、訃報が入った。会社の先輩だったMY氏が亡くなった。81歳、長兄と同じ年代である。お遍路の本を届けに行って会ったのは、去年の夏頃だったか。もう好きなゴルフも出来なくなったと、寂しそうであった。イッコクな人だったが、自分の話は不思議と素直に聞いてくれた。会社に一台目のワープロが入ったとき、ユーザーへの提案書を一緒に夜遅くまで打ったことを、昨日のように思い出す。契約が取れたとき、ワープロの提案書の御陰だと、子供のように喜んでくれた。夜、通夜に出席した。

「家忠日記 一」の解読を続ける。

 天正六年(1578)寅十二月
 十二月小
一日  戊寅 小寒に入る。
       白須賀まで引き候。

同二日 己卯 あられふる。‥‥大岩にて‥‥
       深溝まで越し候。家康公、岡崎へ越られ候。

同三日 庚辰 会下へ参り候。平岩七之助所‥‥
同四日 辛巳 会下へ参り候。
       鷹野へ出で候。
同五日 壬午 鷹野へ出で候。

同六日 癸未 卯刻より申時まで雨降り。牧野(城)鉄砲衆帰り候

同七日 甲申 雪ふる。門の地、今日引かせ候。
       家中、宗右衛門所振舞い。
       伊勢村山掃部助所よりさし越し候。

同八日 乙酉 永良へ鷹野に越し候。
同九日 丙戌 指物仕立て候て、侍衆へ遣し候。

※ 指物(さしもの)- 昔、戦場で武士が鎧の背に差し、目印とした小旗。

同十日 丁亥 長池にて白なわ引かせ候。
       風吹くにて魚なし。深溝へ帰り候。

同十一日戊子 夜雪ふる。門立て候。
同十二日己丑 ‥‥く人をこし候。
       去る八日、信長摂津国、荒木信濃城、有岡、御攻め候。
       緒川水野藤次殿討死に候由、申し越し候。人を遣し候。

※ 有岡(あるおか)- 有岡城。伊丹氏に代わって伊丹城へ入場した荒木村重は、城の名を有岡城と改めて、城だけでなく、侍町と町屋地区をも堀と土塁で囲んだ惣構(そうがまえ)の城として、大改造を行った。

緒川水野藤次殿は、家忠の妻の実父で、信長に仕えて、西の情勢をことある度に知らせてくれていた。ここで討死にとは、悲しみにくれるところであるが、家忠は淡々と事実を記すだけである。

同十三日庚寅 藤次殿必定の由、申し越し候。
※ 必定(ひつじょう)- そうなると決まっていること。必ず そうなると判断されること。(この場合、水野藤次の死をいう。)

同十四日辛卯 
同十五日壬辰 
同十六日癸巳 夜中より雨降り、未時まで。大寒に入る。夜、薄雪ふる。
同十七日甲午 緒川水野藤次殿、弔いに人を越し候。
同十八日乙未 岡崎、満生寺一世越され候。

※ 満生寺(まんしょうじ)- 現、岡崎市菅生町、満性寺。三河一向一揆では、家康方についた。

同十九日丙申 
同廿日 丁酉 岡崎同町へ越し候。一世所に留り候。
同廿一日戊戌 町へ出で候。
同廿二日己亥 深津へ帰り候。
同廿三日庚子 卯時より雪降り、巳時より雨になる。
同廿四日辛丑 
同廿五日壬寅 

同廿六日癸卯 犬法師、浜松へ越し候。
       家康より兵粮百粮(俵)下され候由、申し来たり候。

同廿七日甲辰 水野藤次殿形見として、刀壱腰越し候。
       山崎へ歳暮のため人を遣し候。
       吉田へも債銭済ましに人を越し候。

※ 債銭(さいせん)- 借金。

同廿八日乙巳 岡崎へ歳暮に越し候。
       松平新二郎祝言候。同名伊豆守所より。
       戌刻より雨降り。

同晦日 丙午 雨降
       新次郎所へ食にて越し候。
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