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「旅硯振袖日記 下之巻」 12

(裏の畑のアボカドの木の花芽)

裏の畑にアボカドの木が2本ある。植えてから10年近く経つが、まだ実が生らない。実が生るまでに20年ほど掛かると誰かに聞いたが、この頃色々調べてみたら、アボカドの木は雄花が午前中に咲き、雌花が午後に咲くから、そのままでは実をつけ難い。特に木が若いうちはそうだという。と言うことは人為的に受粉させてやればよいわけで、事実、8年ぐらいで実を付けた例もあるらしい。さっそく今年やってみようと思う。花の咲くのは5、6月、実が熟すのは12月以降らしい。気候的には、静岡なら十分育つようだ。

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「旅硯振袖日記」も今日で読み終る。とても手に負えないと思っていたが、読んで見れば読めるものである。複雑な現代小説からすれば、実に素朴でご都合主義的な物語で、今の人には物足りないであろうが、長屋の八さん、熊さんは十分に楽しんで読んだのだろうと思う。

判官音高に向い、鈴鹿の関にて図らずも、傷付けたりしを詫びければ、音高は打ち笑い、
「語るも聞くも恥ずかしき、我がこれまでの悪事の段々」と、言い様、刀抜くより早く、髻切って写し絵が、方へにありし猫骨の、扇の上に差し置きて、「今日より西行上人の、弟子となりてこの扇の、二字の文字の遊行と名を呼び、仏の道へ共に行脚」と言うに喜ぶ西行上人、何れも共に感じける。

方へに口を閉じ居たりし、親父もそこへにじり出で、
「都見物せんものと、出でし途中で写し絵様に、お目に掛かりてお伴せし、この親父は東海道の土山の、青田村なる直兵衛と申す者、西行様、また猫間家の御様子は、写し絵様から、道々残らず聞きました。疾く/\都へまた出んとも」という内に、夜も明けければ、都之介は直兵衛と図りて、象潟が亡骸を近き寺院に葬れば、

西行、遊行の両上人は、念仏称えてこゝを立ち出で、生涯諸国を行脚して、共に長寿を保ちつゝ、末の世までも、大悟道のその名高くぞ聞こえける。
※ 悟道(ごどう)- 仏道の真理を悟ること。悟りを開いて道理を会得すること。

さて、都之介は江口の里の、栖(すみか)の片付き何くれと、事を済まして写し絵を伴い、直兵衛を召連れて、日ならず都へ上りつゝ、執奏の公家に付きて、本領安堵の勅書を奉げて、猫間家の事を申し上げしかば、さっそく叡聞に達しられ、元の如くに館を給わり、都之介を改めて、猫間の少将光春と名乗り、則(すなわち)帰参の参内を遂げ、写し絵姫と婚姻あり。
※ 叡聞(えいぶん)に達し - 天子がお聞きになること。

さてまた、かの家の重器、白金の猫の香炉の奇特によりて、写し絵姫の盲目ある人も、全快せし故、いよ/\以って大切に、家の重宝と秘め置きて、子々孫々に伝えけり。
※ 重器(ちょうき)- 貴重な器物。大切な宝物。重宝。

さる程に直兵衛は、猫間の家に逗留して、ゆるりと都を見物するに、往ぬる頃、写し絵の介抱懇ろなりしとて、そのもてなし大方ならず。やがて青田村へ帰るに及びて、数多の引き出物、黄金など給わりけり。
※ 往ぬる頃(いぬるころ)- 去る頃。その往昔。

また、猫間の少将光春卿は、日に/\上の御覚えめでたく、次第に官位昇進して、家益々富み栄え、公達(きんだち)多く出で来しとぞ。めでたし、めでたし。


最後の口上は再びコマーシャルになっている。

口上 御薬おしろい 美艶仙女香、 しらが染め薬 黒油美玄香、一包み四十八ずつ。右両品とも相変わらず、沢山御用向きのほど、偏えにこい願い奉り候。
※ 孔(こう)- 穴あき銅銭。江戸時代の銅銭。
            江戸京橋 南伝馬町三丁目 坂本氏

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