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四国邊路道指南 17 39番寺山院(延光寺)、40番観自在寺、篠山権現

(39番延光寺境内 2012.5.01撮影)

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(39番延光寺の御影と納経印)

一 丗九番寺山院、山を後ろにし、南向き、幡多郡中村。
※ 寺山院 - 39番延光寺。赤亀山寺山院延光寺。

(詠歌)  南無薬師 諸病悉除の 願こめて
        参る我身を 助けましませ

※ 諸病悉除(しょびょうしつじょ)- 諸々の病気がことごとく除かれること。

(御本尊の絵)立八尺、千手観音、古仏。

 奥の院有り。

これまで十六ヶ所土州分。予州、観自在寺まで七里。内三里半、松尾坂峠までは土佐分。寺山おしおか村。○和田村、この間うしのせ川。○宿毛村、町有り。与助宿を貸す。その外、諸事調え物よし。予州入口は時により米も調え難し。ここにて支度してよし。
※ 予州(よしゅう)- 伊予国の別名。

○貝塚村。○錦村。こぶか原(小深浦)村。○大ぶか原(大深浦)村。番所有り。土佐通路の切手はこれへ渡す。これ松尾坂峠、土予の境、標石これ有る前、休息所より、ひりょうが島、沖の島、ひろせ島、漁家多く見ゆ。○これより予州。○小山村、番所、切手を改むる。○広見村。へかける時は荷物をこの所に置く。○上大道(うわおおどう)村。○城辺村。
※ 篠(さゝ)- 番外霊場篠山観音寺(廃寺)。現、篠山神社。


 
(40番観自在寺の御影と納経印)

一 四十番観自在寺、平地南向き、宇和平城村。

(御本尊の絵)立壱尺二寸、本尊薬師、作者知らず。

(詠歌)  心願や 自在の春に 花咲きて
        浮世遁れて 住むやけだもの


これより稲荷へ道筋三つ有り。
  一筋 灘道 のり十三里。
  一筋 中道 大岩道越 のり十三里。
  一筋 篠山越 のり十四里半。
三筋ともに、岩渕満願寺に至る。
※ 稲荷 - 41番龍光寺。稲荷山護国院龍光寺。

先ず、灘道つゞき、観自在寺、この間山路谷間。○長洲○する木○柏、この間、二里の坂。○上畑地○下畑地○芳原(ほうはら)、阿弥陀堂あり、宿貸す。○岩松○岩渕満願寺。
※ 灘道 - ほぼ現代の遍路道。

次に中道つづき観自在寺。○長月。○大岩道坂、二里。○僧都村。○小岩道坂、三里○ひでまつ村。○岩渕満願寺。

次に篠山越え、観自在より広見村へ戻り。○いたお村○正木村、この村庄屋代々閉ざさぬなり。有難き謂れ有り。尋ねらるべし。○はらい川垢離して、篠山へかくる。
※ 篠山越え - 篠山詣りのときはこの道を使う。

篠山観世音寺、本尊十一面立像五尺。○寺より三町西に天狗堂。その上に三所権現。この所に札納む。○やはずの池、中に恠異の石有り。池を周りに篠竹有り。夜毎に龍馬来たりて食(は)むよし。諸病によしとて、諸人持ち去る。馬の病むに、なおよしと言い伝う。
※ 恠異(けい)- 怪異。あやしいこと。不思議なこと。
※ 龍馬(りゅうめ)- 非常にすぐれた馬。駿馬。


○槇川村、番所有り。切手改む。大師堂あり。庄屋長左衛門宿貸す。○御内(みうち)村、庄屋伊左衛門宿貸す。○山財(さんざい)村。○岩渕村。

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四国邊路道指南 16 38番蹉跎山(金剛福寺)

(大岐の海辺 2012.4.28撮影)

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○市野瀬村、佐賀浦よりこれまで八里。この村に真念庵という大師堂、辺路に宿貸す。これより足摺へ七里。但し篠山へかけるときは、この庵に荷物を置き、足摺よりもどる。月山へかける時は荷物持ち行く。
※ 篠山・月山 - 篠山と月山は共に四国霊場の番外とされ、四国八十八所を巡る遍路は、月山を打てば篠山を打たず、篠山を打てば月山を打たないのが例とされた。

この月山は足摺より九里有り。本尊三ヶ月なりの石、いわれ有りて御堂なし。足摺よりこの間の道中、清水浦、入り海渡し有り。益野浦のびわばこいし。三崎のうちたえまという所に、竜串の磯辺とて、言語(ごんご)に尽きせぬ景、奇岩奇岩と、目を驚かす所なり。

お月より寺山まで七里半。この間、姫ノ井村、庄屋喜兵衛並びに村中より、諸辺路のため、直ぐ道をつける。また荒瀬に霊験の地蔵まします。但し、初辺路は篠山へかくると言い伝う。右両所の道、案内は真念庵にて尋ねらるべし。
※ 寺山 - 39番延光寺。赤亀山 寺山院 延光寺。
※ 霊験の地蔵 - 荒瀬地蔵堂に残る。廃仏稀釈で廃寺となり、地蔵尊は現在荒瀬区民が世話をしている。


この間、小川四瀬あり。○市野々村。○小方村標石有り。川有り。洪水の時は下ノ加江浦、船渡り有り。この加江浦、太郎左衛門、その外、宿貸すなり。常には小方標石より右へ渡る。○貝がけ(鍵掛)村。○久百々村、山道。○大岐村、この間、海辺行き過ぎ山路。○以布利村、大師堂。○窪津、宮(一王子神社)有り。○津呂村、この間山路。○大谷村。


 
(38番金剛福寺の御影と納経印)

一 丗八番蹉跎山、平山、後ろ深山。南向き、幡多郡伊佐村。
※ 蹉跎山(あしずりやま)- 38番金剛福寺。蹉跎山補陀洛院金剛福寺。

(御本尊の絵)立八尺、千手観音、古佛。
 奥の院有り。
※ 奥の院 - 元は白皇山山頂にあった白皇権現が奥の院であった。現在は金剛福寺西500メートルの白山神社が奥の院となっている。

(詠歌) 補陀落や ここを岬の舟の棹
       取るも捨つるも 法のさだやま

※ 補陀落(ふだらく)- インドの南海岸にある山で、ここに観世音菩薩が住んでいるという。観音の霊地にはこの名が多く、金剛福寺も補陀洛院と号している。

これより寺山まで十三里。右真念庵へ戻り行く。○真念庵。○成山村。○狼内村。真念庵よりこれまで山路、渓川(たにがわ)。○上長谷村、標石。いにしえは左へ行きし。今は右へ行く。但し大水の時は左へ、常は江ノ村、川有り。水増しの時は庄屋並び村翁、辺路を助け渡す。○磯ノ川村、やきこめ坂。○有岡村。○山田村。
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四国邊路道指南 15 37番五社(岩本寺)

(四万十川 2012.4.27撮影)

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(37番岩本寺の御影と納経印)

一 丗七番五社あり。東向き、高岡郡宮内村。この在所惣名、仁井田という。
※ 五社 - 現、高岡神社。別名を仁井田五社といい、向かって右より東大宮(一の宮)、今大神宮(二の宮)、中ノ宮(三の宮)、今宮(四の宮)、森ノ宮(五の宮)が、単独の神社として並ぶ。明治の神仏分離により、札所は別当寺の岩本寺に移された。現在、37番札所、藤井山五智院岩本寺。
※ 惣名(そうみょう)- いくつかの物を一つにまとめて呼ぶこと。また、その呼び名。


(御本尊の絵)右、薬師、地蔵。本尊阿弥陀。左、観音、不動。五社ともに、秘仏、御作の由。
※ 五社が元になっているため、岩本寺には本尊が五体ある。

(詠歌) 六つのちり 五つの社 あらわして
       深き仁井田の 神の楽しみ

※ 六つのちり-(仏)六境すなわち感覚器官の対象である色、声、香、味、触、法のことで、真実の心性をけがすことから、塵(じん)と呼ばれている。

別当岩本寺、窪川町に居す。これより足摺まで廿壱里。○窪川村、この町、しもゝと七郎兵衛宿を貸し、善根なす人あり。○おかさき。○古市○きんしょ野(金上野)村、川坂有り。○峰ノ上村、片坂下り。○市野瀬村。○橘川村。○こぼしの川(拳ノ川)村。○かいな(荷稲)村。○小黒ノ川村。○ふばすら(不破原)村。この間、不破原坂。○熊井村。この間、熊越え坂。○藤縄村。○白石。○中角村。○佐賀浦町。五社よりこれまで六里。市野瀬よりこれまで三里。伊与喜谷とて山路、谷川、数々有り。

○白浜村。この間に灘峰坂。○伊田村、弥兵衛その外、宿貸す。これより
七、八町、有井川村。有井の庄司の石塔有り。○川口村、川坂あり。○浮津村。これより海端を行く。
※ 有井の庄司 - 有井川村の庄司(荘官)。後醍醐天皇の隠岐への配流にともな、尊良親王が幡多に流されたとき、御所を建てるなど親王に尽した。五輪塔が八幡神社境内にある。

吹上川渡りて、汐干の時は直ぐに行く。満ち汐の時は右へ行く。○入野村、蛎瀬(かきせ)川、引き舟有り。○田野浦、これより七、八町浜を行く。標石有り。向かう山端は下田道。こなたは舟渡し。少し廻り道。○出口(いでぐち)村。この間、小川、坂有り。○たかしま村、大河(四万十川)舟渡し。実(さね)崎村天満という所に引き舟有り。○間崎村薬師堂有り。津蔵渕村、この間、伊豆田坂下りて小川有り。

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四国邊路道指南 14 34番種間寺、35番清滝寺、36番青龍寺

(朝の浦ノ内湾、「船御許し」という。 2012.4.24撮影)

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(34番種間寺の御影と納経印)

一 丗四番種間寺、辰巳向き、吾川郡。

(詠歌) 世の中に 蒔ける五穀の 種間寺
       深き如来の 大悲なりけり


(御本尊の絵)座四尺六寸、本尊薬師、漢上人作。

これより清滝へ二里。○森山村○弘岡村、この間、二淀(仁淀)川という大河有り。舟渡し。渡し場、川上に有る時は、荷物を掛け清滝へ行く。渡し場、大道筋川下に有る時は、荷物を高岡町に置き、札所へ行きてよし。○高岡。


 
(35番清滝寺の御影と納経印)

一 丗五番清滝寺、南向き、高岡郡高岡。

(詠歌) 澄む水を 汲むは心の 清滝寺
       浪の花散る 岩の羽衣


(御本尊の絵)秘仏、本尊薬師、行基作。

これより清滝寺(青龍寺の間違い?)まで二里半。井関村。この間小河(波介川)有り。○塚地村○宇佐坂○宇佐村から道を行く時は、この村西に荷物を置き、
青龍寺へ行く。但し、舟にて行くは井尻(いのじり)へ荷物持ち行く。○福島浦。この間に入り海渡し有り。舟賃四銭。○井尻村、この所に荷物を置き、札所へ行く。この間、龍坂。○龍村。


 
(36番青龍寺の御影と納経印)

一 丗六番青龍寺、山上、堂南向き、高岡郡龍村。

(御本尊の絵)秘仏、本尊不動、御作。

(詠歌) 僅かなる 泉水に棲める 青龍は
       仏法守護の 誓いとぞ聞く


これより仁井田まで十三里。但し、井尻へ戻り、横浪という所まで三里。舟にても良し。この間、景よし。左にまき馬多し。また八坂々中八浜々中有り。徒歩道は宇佐村の西へ出ずる。○宇佐坂または灰方(坂)ともいう。○灰方村。○高祖村。○しあい(塩間)村。○塩間坂。○出見村。
※ 仁井田(にいだ)- 37番札所の五社は別名「仁井田五社」と呼ばれていた。

この所をいずみという事、花山院離宮の御時、天気ただならずして、都の空、御懐かしく、幾度か門の外へ出御なりしかば、出見(いずみ)と名付く。また土佐の大平がもとへ、御製(おんうた)

    土佐の海に 身はうき草の ゆられきて
      寄る辺なき身を あわれとも見る


御返し大平、

    あわれをば 如何に仰がん 及びなし
      身は入海の 藻隠れに居て


ついにこの所にて崩じ給うとなん。千光密寺に廟碑有り。

○出見坂または立目坂とも。○立目村。○あかくま坂、今は通らず、海辺を行く。○させぶ坂通らず。○摺木(するぎ)村。○たていし坂通らず。○どうめき坂。○横浪村。これまで、八坂々中八浜々中。大師の御詠めとて、
※ 詠め(ながめ)- よまれた歌。詠歌。

    道筋に ぬきなし機(はた)を 立て置きて
      おりてはうみ/\ おりてはうみ/\

※ 八坂々中八浜々中の徒歩を、機織りに見立てた歌。

井尻より横浪、船にてもよし。宇佐よりの徒歩道は難所ゆえ、船御許しの由


二度目のお遍路の時、横浪までの8キロを通う定期船が「お大師さんも乗られた船」とまことしやかに言われていたが、その根拠はおそらく真念さんの「船御許しの由」にあるのだろう。
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四国邊路道指南 13 30番一宮(善楽寺)、31番五台山、32番禅師峰寺、33番雪蹊寺

(31番五台山山門 2012.4.20撮影)

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(30番善楽寺の御影と納経印)

一 三十番一宮、平地、堂は南向き、長岡郡一宮村。
※ 三十番一宮 - 江戸時代は30番札所は土佐一宮(現在の土佐神社)であった。明治の神仏分離で、一宮の別当寺であった善楽寺に移ったが、善楽寺も廃仏毀釈で廃寺となり、所々変遷の上、昭和5年に善楽寺が一宮のそばに再興され、平成6年に、正式に30番札所は善楽寺に戻った。

(詠歌) 人多く 立ち集れる 一の宮
       昔も今も 栄えぬるかな


(御本尊の絵)秘仏、本尊弥陀、作者知らず。

これより五台山まで三里。○あぞうの(薊野)村、国の守(現、掛川神社)、氏神有り。この山中に御霊屋(おたまや)あり。麓に見龍院(現、国清寺)。過ぎて、比島橋。次に丸山有り。○高知城下町入口に橋あり。山田橋という。次、番所有り。往来手形改め。若し町に泊る時は、番所より庄屋へ指図にて、宿を借る。

町中に菜園場(さえんば)橋過ぎて、農人町、町はずれをみつがしらという。これより堤。左は田なり。右は入海、行きてたるみの渡し。次に及古(扱江、きゅうこう)寺、禅宗風景、煩悩の雲をはらう。かたわら町、これより五台へ八町坂。


 
(31番竹林寺の御影と納経印)

一 三十壱番五台山、辰巳、長岡郡。
※ 五台山 - 五台山竹林寺。

(御本尊の絵)秘仏、本尊文殊、行基作。

(詠歌) 南無文殊 三世の仏の 母ときく
       我も子なれば 乳こそ欲しけれ

これより禅師峰寺へ一里半。五台山より八丁下へ川(下田川)有り。舟渡し。堤を行く。○下田村、この間坂有り。○十市村、これより少し坂。


 
(32番禅師峰寺の御影と納経印)

一 丗二番禅師峰寺、南向き、長岡郡十市村。

(御本尊の絵)秘仏、本尊十一面、御作。

(詠歌) しずかなる 我がみなもとの 禅師峰寺
       浮かぶ心は 法
(のり)の早や舟

おしなべて 浄土/\の 禅師峰寺雲居を照らす 月をこそ見れこれより高福寺まで壱里半。壱里は海辺なり。○種崎ござ町という標石有り。渡しへ出づ。この口、浦戸という。屋形有り、城下へ三里。入海舟屋多くあり。これより渡し有り。五丁ほど海中右に佐島という小島あり。○御畳瀬(みませ)片原町。○長浜村。


 
(33番雪蹊寺の御影と納経印)

一 丗三番高福寺、雪渓寺ともいう。平地南向き、長岡郡長浜村。

(御本尊の絵)座長四尺、本尊薬師、運慶作。

(詠歌) 旅の道 うえしも今は 高福寺
       後の楽しみ 有明けの月


これより種間寺へ二里。出口に橋有り。この間、小坂有り。○東諸木村。○西諸木村。次、川有り。
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四国邊路道指南 12 27番神峯寺、28番大日寺、29番国分寺.

(28番大日寺の雨の境内 2012.4.20撮影)

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(27番神峯寺の御影と納経印)

一 廿七番神峯(こうのみね)寺、山上、堂南向き、安芸郡唐浜村。

(詠歌)  御仏の 誓いの心 神峯
        刃の地獄 仮令
(たとい)有りとも

(御本尊の絵)坐壱尺二寸、本尊十一面、作者知らず。

この谷に喰わず貝とて、土の貝に成りたる有り。これは大師、この浦人の貝持ち来りしに逢いたまい、乞わせ給うければ、人の喰わぬ貝なる由。御答(いら)いしければ、かの者の慳貪なる事を憐(あわ)れみ、また後の世のために加持し給うにより、その後は煮てもあぶり物にしても、食ぶべき物にあらずなりにければ、谷へ捨てゝける。今の世まで石貝となりて有り。かの浦人も恥ずかしく、また有難く遁世しけり。これより大日寺まで九里。
※ 慳貪(けんどん)- 物惜しみすること。けちで欲深いこと。
※ 石貝(いしがい)- おそらく、山から掘り出される化石の貝のことなのだろうと調べると、何と「石貝」という名の貝があり、食用にされているという。それでも、この説話の貝は化石の貝のことだろう。
※ 遁世(とんせい)- 俗世間を逃れて仏門に入ること。出家。


○大山、河野村、次、不動堂。○伊尾木村、この間伊尾木川、安芸川、二瀬あり。○安芸浦町過ぎ、新城浜壱里、砂深し。八流(やながれ)の麓に茶屋有り。○八流山下りて、小川。○和食(わじき)村、手井(手結)山ふもとに茶屋あり。○手井(手結)村山中に村有り。○手井(手結)浦、湊町有り。この間、小川、夜須浜。○岸本村○赤岡村、町過ぎて橋有り。○野市村、標石有り。○大谷村。


 
(28番大日寺の御影と納経印)

一 廿八番大日寺、山上、堂は南向き、かゞみ(香美)郡大谷村。

(詠歌)  露霜と 罪を照らせる大日寺
        などか歩みを 運ばざらまし


(御本尊の絵)座四尺五寸、本尊大日、行基作。

これより国分寺へ壱里半。○母代寺(ぼだいじ)村○父養寺(ぶようじ)村。この間に物部川、大水の時は大日寺より市町へ戻り、舟渡し有り。常は徒歩渡り。○土佐かしま村。○岩次村、松本村。○上野田村。○はたえだ(廿枝)村この間に川(国分川)有り。○国分村。


 
(29番国分寺の御影と納経印)

一 廿九番国分寺、平地、堂は南向き、長岡郡国分村。

(御本尊の絵)立長三尺、本尊千手、行基作。

(詠歌)  国を分け 宝を積みて 建つ寺の
        末の世までの 利益
(りやく)残せり

これより一宮まで一里半。この間に小川(笠ノ川川)有り。○八幡村。この間、小坂山上に八幡宮。○定林寺村、地蔵堂有り。本尊石佛、御作。この堂年久しく破損に及びしに、当村七兵衛再興し、大師御影建立し、並び宿を施す。○滝本村、坂有り。峠より土佐高知の城見ゆる。
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四国邊路道指南 11 24番最御崎寺、25番津照寺、26番金剛頂寺

(24番最御崎寺境内 2012.4.17撮影)

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(廿四番最御崎寺の御影と納経印)

一 廿四番東寺、または最御崎寺、南向き、安芸郡。

  大師御崇(あが)め、

   法性の 室戸と言えど 我住めば
     有為の浪風 寄せぬ日も無し

※ 法性(ほうしょう)-(仏)すべての存在や現象の真の本性。万有の本体。真如。実相。法界。
※ 有為(うい)-(仏)さまざまの因縁によって生じ、常に生滅し永続しないすべての物事・現象。


(御本尊の絵)秘仏、本尊虚空蔵、御作。

(詠歌)明星の 出ぬる方の 東寺(ひがしてら)
      暗き迷いは などかあらまし

これより津寺まで、壱里十町程下り坂。○津呂浦。右の岩屋より、女人これへ出づる。良き湊、石の切り通し、目を驚かす。○室津浦、ここにも石の切通し。右両所の湊、大きなる経営、筆にも尽くされず。
※ 津呂、室津、両湊は、石見銀山出身の六部、最蔵坊の発願で、土佐藩執政、野中兼山が土佐藩を挙げて取り組み、津呂、室津の順に、元和八年(1622)年、両港ともに竣工した。岩場を、巨大な深い方形のプール状に開削して、船溜まりを造ったもので、現在もそのまま利用されている。
※ 経営 - 土地を測り、土台を据えて建築すること。


 
(廿五番津照寺の御影と納経印)

一 廿五番津寺、津照(しんしょう)寺ともいう。麓より半丁、石段、南向き、安芸郡室津浦。

詠歌  法の舟 入るか出でるか この津寺
      迷う我身を 乗せて給えや


(御本尊の絵)秘仏、本尊地蔵、御作。

これより西寺まで壱里。少し行き、川(室津川)有り。○浮津浦過ぎて標石有り。女人はこれより左へ行く。行当岬という所に、大師御作の不動有り。女人はここにて札納む。西寺へは女人制し給う故なり。この先に土石という名物の硯石あり。とる事はならず。
※ 西寺 - 26番金剛頂寺。24番最御崎寺の東寺と対になる。

女人はこれよりくろみ(黒耳)村へ出、男は標石より右へゆく。小川有り。○もと(元)村。これより西寺まで四丁坂。


 
(廿六番金剛頂寺の御影と納経印)

一 廿六番西寺、金剛頂寺ともいう。安芸郡。

詠歌  往生に のぞみを掛くる 極楽は
      月の傾
(かたぶ)く 西寺の空

(御本尊の絵)秘仏、本尊薬師、大師御作。

これより、こうのみね(神峯)寺まで七里。○黒耳村。○吉良川村、この間、川(東ノ川)有り。○羽根浦、西寺より三里。この間、川(羽根川)有り。中山坂深山なり。○加領郷浦。この間、羽根石という海辺なり。○奈半利浦、町あり。この間大河(奈半利川)舟渡し。○田野浦、良き町なり。この間、八幡宮、大師堂、寺も有り。過ぎ安田川。○安田浦、町有り。町はずれに標石有り。○とうのはま(唐浜)。神峯まで坂、麓に、ようしん庵、荷物をここに置き、札仕舞い良し。
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四国邊路道指南 10 御蔵洞、観音窟

(御蔵洞の中より室戸の海 2012.4.17撮影)

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○那佐坂。○那佐村。○宍喰浦町有り。入口右、祇園の社、また円鈍密寺。遍路のため守護より建てらる。次に川(宍喰川)渡りて阿波境目番所、古目という所に有り。これにて往来の切手改む。行き過ぎ、坂有り。阿土両国の境の峠有り。
※ 円鈍密寺 - 驛路寺の円鈍寺。廃寺となり宍喰の大日寺に合併。

○甲浦(かんのうら)。これより土佐領。入口に、番所有り。土佐一国の御書き替え出る。町中に社有り。かた原町湊よし。○白浜町明神の社行きて川(河内川)、標石、甲浦坂、生見(いくみ)坂という。○生見村。○相間、この沖の岩に法然上人の筆、弥陀の名号ありて、汐干見ゆると言い伝う。この間に跡有り。○野根浦入口、宮立ち有り、並び大師堂、五右衛門宿を貸す。その外、志し有る人多し。調え物してよし。町末に川(野根川)あり。

○伏越(ふしごえ)番所、ここにて、甲浦切手は裏書いづる。伏越坂、これより一里余は跳び石とて難所、海辺なり。○入木村。八幡の宮、並び川(入木川)。○佐喜の浜浦、野根よりこれまで四里。○尾崎村、鹿岡(かぶか)坂、村もあり。○椎名村。○上三津村、下三津村。

これより東寺(24番最御崎寺)まで廿町余りの中に見所多し。まず大穴、奥へ入る事十七、八間、高さ一丈、或は三、四丈、広さは二、三間、或は五間、十間。大守石を穿ち、五社建立あり。愛染権現と号す。この岩屋に毒龍ありて、人畜を損害しけるに、大師辟除し、そのあとに権現を安置し給う。東に太神宮御社有り。過ぎて霊水これを亡者に手向ける。
※ 大穴 - 御蔵洞(みくろど)のこと。
※ 大守(たいしゅ)- 古代の官職。国守の別称。
※ 辟除(びゃくじょ)- 避け除く。
※ 太神宮(だいじんぐう)- 天照大神をまつる神宮、すなわち皇大神宮。伊勢神宮の称。


過ぎて聞持道場、また庵有り。うしろに岩窟口壱間余り、奥へ六、七間、本尊如意輪石仏、座二尺。龍宮より上り給うよし。石にて厨子壇、脇立ち二尺六寸の二王、両の扉に天人のうけぼり(浮彫)、ことごとく石なり。権化にあらずば、誰かこの妙用をなさんや。その外、龍燈時に上がり、霊瑞無辺の幽溪なり。東寺へは女人禁制の故に、この所に札納め、海辺を直ぐに、津呂浦へ出る。男は聞持堂より七丁、東寺へ登る。
※ 聞持道場 - 観音窟のこと。
※ 権化(ごんげ)-(仏)仏・菩薩などが人々を救うために仮の姿をとってこの世に現れたもの。化現。権現。
※ 妙用(みょうよう)- 不思議な作用。非常にすぐれた働き。
※ 龍燈(りゅうとう)- 夜、海上に光が連なって見える現象。竜神が神仏にささげる灯火と言い伝えられるところからの名。不知火(しらぬい)。
※ 霊瑞(れいずい)- 不思議なめでたいしるし。霊妙なしるし。祥瑞。
※ 無辺(むへん)- 広々と限りのないこと。際限のないこと。
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四国邊路道指南 9 八坂坂中八浜浜中

(大坂を越えて、内妻の浜を望む 2012.4.15撮影)
※ 大坂は昔は「逢坂」であった。その大坂旧遍路道を、今も越すことが出来る。

「四国邊路道指南」の解読を続ける。

○牟岐浦。日和佐よりこれまで、山、谷川多し。逢坂という坂あり。浅川まで二里。この間、八坂坂中、八浜浜中あり。この逢坂にて古(いにしえ)行基菩薩、鯖という魚、付けし馬追う男と行き連れ、如何なる方便にや、鯖一つ乞わせ給いしに、かの男怒り、宜(の)り奉りければ、御歌、

  逢坂や 八坂坂中 鯖一つ
    行基にくれで 駒ぞ腹病む


と連ね給いにければ、たちまちその馬倒れ臥しぬ。男驚き、かく唯人ならぬ御方、知らぬは賤(しづ)のわざと、ひれ伏して詫び、(鯖を)奉りければ、また、

  逢坂や 八坂坂中 鯖一つ
    行基にくれて 駒ぞ腹止む


馬踊り上り、本の如くなりぬ。(行基)菩薩、同時の済度、由ある事にや。

※ 済度(さいど)- 困難や苦労から救うこと。


(挿絵-行基菩薩に鯖を奉る)

右、八坂々中、八浜々中の次第。○逢(大)坂。○うちすま(内妻)。○松坂。○古江。○しだ坂。○福良村。○福良坂。○鯖瀬村。○はぎの坂。○坂中大砂という浜。○かぢや坂。○粟ノ浦坂過ぎ、天神宮有り。伊勢田川、潮満ち来れば、河上へ廻りて良し。○伊勢田村。○浅川浦、大道より左に町有り。○いな村観音堂あり。この村市兵衛、宿を施す。○からうと坂。これまで八坂々中八浜々中。

○めんきよ村、大師堂有り。村外れより左に海浦(かいふ、海部)、奥浦、鞆浦という町、湊賑わしき所なり。諸遍路、この町へ入り大道へ出れば廻り道ゆえに、奥浦、橋本屋右衛門作る。○鞆浦、嶋屋久右衛門、両人として、皆共成仏道のため直ぐ道をつけ、奥浦より那佐村へ出ずる。めんきよ村よりこの間に河(海部川)有り。奥浦へ行くにもこの河を渡る。○たかそね村、大師堂有り。次に母川という河有り。
※ 皆共成仏道 - 回向文の一節。「皆共に仏道を成ぜん」皆が共に悟りを開いて仏になる。

この河を母川という事、大師御順礼の折節、旱(ひでり)にて、魑魅鬚焦れ、河伯民尽きけるに、一人の女のはるばると、山間より水をひさげて来りしに、大師一滴を乞わせ給いにければ、女の申しけるは、亢陽月久しくて、一人二人のいときなき(かつ、かわき)を見るに忍びずして、命を岩窟に投げ打ち、求め得し。幸いに今日我が母、喜字の寿付き給う日なれば、三宝に奉るとて、惜しむ色なかりければ、かの女、まことの慈悲水に、大師加被の月浮かぶ河水となりて、如何なる日照りにも尽くることなし。
※ 魑魅(ちみ)- 山林の精気から生じ、人を迷わすというばけもの。ここでは「テング」と注意書きあり。
※ 河伯民(かはくたみ、かわたろう)- 河の神。河童。
※ 亢陽(こうよう)- ひでり。
※ いときない - いとけない。おさない。
※ 喜字の寿(きじのことぶき)- 喜寿(七十七歳)。
※ 加被(かび)-(仏)神仏が力を貸して守ってくれること。加護。
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四国邊路道指南 8 20番鶴林寺、21番太龍寺、22番平等寺、23番薬王寺

(驛路山打越寺 2012.4.15撮影)

今朝「のんき夫婦」さんから葉書が来た。先日、「四国お遍路まんだら ふたたび」(手製版)を送った礼状である。どうやら、二度目のお遍路を88プラス20で計画始めたらしい。行程が10日ほど延び、距離が300キロほど増えるけれども、自分も行けたのだから、心配するほどのことはない。

「四国邊路道指南」の解読を続ける。

 
(廿番鶴林寺の御影と納経印)

一 廿番鶴林寺、辰巳、勝浦郡。
※ 辰巳(たつみ)ー 南東の方角。

(詠)歌  繁りける 鶴の林を しるべにて
        大師ぞ居ます 地蔵帝釈


(御本尊の絵)立、長三尺、本尊地蔵、大師御作。

これより大龍寺まで一里半、これは近道なり。大師御行脚の筋は、加茂村、その程二里。旧跡も有り。○大井村なる川舟渡し。○若杉村、家四、五軒有り。


 
(廿壱番大龍寺の御影と納経印)

一 廿壱番大龍寺、辰巳向き、那賀郡。
※ 大龍寺は現在は「太龍寺」と表示される。

(御本尊の絵)本尊虚空蔵、秘仏。

奥の院有り。

(詠歌) 大龍の 常に住むぞや げに岩屋
       舎心聞持は 守護のためなり

※ 舎心聞持(しゃしんもんじ)- 境内の六百メートルほど西にある、舎心嶽の岩上で、大師が百日間の虚空蔵求聞持法を修したとされることを指す。

平等寺まで二里三拾丁ほど。深山本道は山中村、かゝる三里。今の道は直ぐなり。○あせび(阿瀬比)村、おゝね(大根)坂。○あらたの(新野)村。


 
(廿二番平等寺の御影と納経印)

一 廿二番平等寺、後山南向き、那賀の郡。

(御本尊の絵)坐像二尺、薬師如来、御作。

(詠歌) 平等に 隔てのなきと 聞く時は
       あら頼もしき 仏とぞ見る


これより薬王寺まで五里。○寺の前、川(桑野川)渡り、二十丁程は村続き。○月夜村、この名、子細あり。尋ねらるべし。○鉦打坂ふもとに茶屋有り。さかせ川(現、福井川)、この河の蜷貝尖りなし。大師加持し給うなり。
※ 蜷貝(にながい)- 先の尖った淡水の巻貝。蛍の餌になる。

○小野村、この間まつ坂標石あり。○田井村、苫越坂。○木岐浦、清右衛門、宿を施す。○おお坂。○日和佐田井村、おだ坂下り、川有り。○北河内村。○日和佐浦、川有り。


 
(廿三の薬王寺の御影と納経印)

一 廿三番薬王寺、後山南向き、海部郡日和佐村。
(御本尊の絵)本尊薬師、御作、秘仏。

(詠歌) 皆人の 病みぬる年の 薬王寺
       瑠璃の薬を 与えましませ


右弐拾三ヶ(寺)阿州分。これより土佐東寺まで廿壱里、内十里阿波分。
※ 土佐東寺 - 24番最御崎寺のこと。26番金剛頂寺を西寺という。

○潟(かた)村、よこかう(横川)坂。○山川内(やまがわち)村越に、打越寺、真言道場、辺路労わりとして、国主より御建立。少し行き、寒葉ヶ坂、山越し。○橘。○こま川。○ほとり。○河内。
※ 国主 - 初代阿波藩主、蜂須賀家政侯。
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