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「深川新話」を読む 4

(裏の畑のタンポポの奇麗に広がったロゼット)

朝、掛川の図書館に行くかたがた、まーくんの少年野球試合を見ようと出掛けた。図書館が休館で駐車できず、グランドは寒風が吹く荒び、まーくんは出場していなくて、早々に帰ってきた。後で聞けば、その試合は大勝し、午後、まーくんが出場した試合は惜敗だったようだ。

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「深川新話」の解読を続ける。

 [文] ほんにお前(めえ)、大文(でえもん)字屋のはどうなせんした。
 [東] なあに、あいらぁ、ずつとながしさ。
 [文] それでも、かわいそうだね。
 [東] なにさ、色男と升屋代物に情の有るのは無(ね)えのさ。
※ 升屋(ますや)-「升屋」は江戸最初の高級料理茶屋。
※ 代物(しろもの)- 人や物を、価値を認めたり、あるいは卑しめたり皮肉ったりするなど、評価をまじえていう語。


 [安] 大文字屋のは、どういう理屈え。
 [東] なに、よくもねえ女郎だが、今年、年が明くとやら何とやら、という注文の所(とけ)へ、野郎がずっと乗り込みさ。始終世話にもしようという風で、小袖二つがりの直(じき)ぶち殺し、さる所で居続けなんぞはどうだろう。
 [安] そりゃぁ、あんまりむごいね。
※ つがり(縋り)- 糸で結びつないだもの。「二つがり」は「二着」のことか?
※ ぶち殺し(ぶちごろし)- 質に入れ流すこと。


 [文] えゝ、わたしもえさを取られやした。
 [東] なに、もう釣所じゃぁねえ。
 [安] 咄しがしこってきやしたね。なんと、いっそ、今から何所へぞ付けようじゃぁ、ごぜえせんか。
 [東] こいらも、はやりそうな作者だ。むすこどうだ。
 [文] あい、親父に釣りと言ってめえりやしたから、どうも。
 [東] うゝ、流石(さすが)文公。有難てえ一言だが、少ないがな、方便さ。根っから、はぜっ子も持って帰らねえようじゃぁ、悪いけれども、もう取り集めて四、五十もあろうから、今日は凪は良かったが、なぜか不猟で、とか何とか、そりゃぁ又、ふるなの弁でおれもとりなすから、気遣いのきんの字もねえわさ。
※ しこる(凝る)- 物事に熱中する。
※ こいら(此等)- 話し手側の複数の人をさし示す。ののしったり、遠慮なく言ったりする場合に用いる。こいつら。
※ 作者(さくしゃ)- 計画する人。陰謀などをはからう人。
※ ふるなの弁(富楼那の弁)- 釈迦十大弟子のうち、弁舌第一といわれた富楼那のような巧妙な弁舌。すらすらとよどみなくしゃべることのたとえ。
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「深川新話」を読む 3

(ブラックベリーの花)

一昨日、SN氏から頂いてきたブラックベリーの鉢が早くも花を咲かせた。まだ蕾も幾つかある。6月ごろには黒い実が成るはずである。

WHさん、久し振りに見え、2時間ほど話して帰られる。かなくん親子、我が家に泊る。

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「深川新話」の解読を続ける。

 [東] どれ/\おれも釣ってみせよう。
 [安] まあ/\、もうちっと、わっちにお釣らせなんし。
 [東] いんにゃぁ/\、おれもけへづを上げねぇけりゃぁ、口が利けねえ。
 [安] なに、又お前(めえ)、えさの接待(せってえ)だろう。
 [東] なにさ、見給え。あれ、もう来た。(また逃がす)えゝ、業腹(ごうはら)な。
 [安] そりゃ/\、わっちが言わねぇ事か。
 [文] あんまり、上げなさりようが、早えのだろう。

 [東] どうも久しく止(や)めていたから、調子が知れねぇ。おとゝしあたりゃぁ、凄かったよ。一時の間に二、三束とるにゃぁ、骨は折れなんだ。
 [安] そりゃぁ、おめえ、胴二が無性(むしょう)すべたで、踏み下げたろうから。
 [東]こいつぁ、いゝ事をいって呉れた。
※ 胴二(どうに)- 花札で、親の右隣にいる人(親の次)。
※ すべた(素札)- 花札で、点にならないつまらない札。素札(すふだ)。


 [文] どっこいな。
 [安] 若旦那ぁ、よくお上げなせんすね。
 [東] くやしい事だの。
 [安] あれ、そこでさ。
 [東] ここが来た/\。えゝ、たま/\釣ったらだぼうだ。
 [文] それでも、懸かれば張り合いに成りやす。
 [安] ようごせんす、口が直りやしょう。
※ だぼう(佗房)- おろかもの。

 [東] ほんに。口が直るといえば、この中、駅の何泉とかいう所(とけ)へ、一晩往ったら、とんだ事の初会から、帯紐解きの身の上咄しという幕さ。
 [安]そりやぁ、とんだことでごぜんすね。
 [東]さあ、それから聞きねぇ。そいつ我慢に、成りたかして、この頃 じゃぁ、何処(どけ)へ行っても、鉢巻をしねえ助六という身で、意休にかくれの間夫遊びさ。
 [安]なるほど、あれもかわったもんで、ひよっともてると何処(どけ)ヘ往っても感通するもんでごぜんすよ。
※ 意休(いきゅう)- 歌舞伎の登場人物。「助六所縁江戸桜」で、助六のなじみの傾城揚巻に横恋慕する武士。白髪、白髭の敵役。
※ 間夫(まぶ)- 遊女の情夫。
※ 感通(かんつう)- 自分の思いなどが、相手に通じること。
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「深川新話」を読む 2

(庭のルリカラクサ)

ムサシの49日の今朝、春休みの孫たちが集って、ムサシのお墓を作り、骨壺のまま埋葬した。皆んな神妙に御線香を焚き、手を合わせた。

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「深川新話」の解読を続ける。

  深川新話

次第)朝風の松は常盤の声ぞかし。浪は音なき朝凪(なぎ)に、釣人多き小舟かな/\。
※ 次第(しだい)- 能や狂言で用いる語。謡曲組織の一部で、七五・七五・七四の三句からなる部分。多くは、ワキの登場第一声として謡い、その役の意向や感慨などを述べる。

 [東里] 舟州、きつい、いかさまの、根っから喰わねえぜえ。
 [舟頭安] なにさ、ここほどよく釣るゝ所ぁごぜえせん。
 [東] まだ結句、今の所がいゝのう、息子。
 [文言] あい、それでもまあ、もうちっと、ここで釣ってごろうじやし。
 [安] 昨日なんぞもここでばかり、二歳、三歳が懸りやした。
 [東] そんなら、昨日、皆んな釣れて仕廻(しもう)たのだらう。
 [安] そんなことだも知れやせん。
※ 舟州(せんしゅう)- 船頭さん。「州」は、人名などに付いて、親愛の意を表す。
※ いかさま - 確かに。本当に。
※ 結句(けっく)- かえって。むしろ。
※ 二歳、三歳 - 釣れた魚の年齢。


 [文] 来た/\。 
 [安] あれ、見なんし。
 [東] ほんにこいつも二歳ぐれえだ。おっと、ござった。えゝ、忌々(いめえま)しい。また取られた。
 [安] なんだ、とってもお前のように、餌ばかり取られちゃぁ、始まらねえ。どれ、お出しなんし。わっちが、ちっと、やらかして見やしょう。

 [東] おお、そのうち一盃、気を付けよう。少秋(すこあき)の暮だ。
吸筒を出して二、三ばいのみ)どうだ息子、呑みねえか。
 [文] いゝえ。
 [東] 舟州は気はなしか。
 [安] わっちもたべんすめえ。
 [東] それでももう、一盃はよかろう。
 [安] あい、まあ今にいたゞきやしょう。
※ 少秋(すこあき)の暮 - (不明)「間が空いたから、少し飲もう」の地口か。
※ 吸筒(すいづつ)- 酒や水を入れて持ち歩く筒形の容器。水筒。
※ たべる(食べる) -「飲む」「食う」の謙譲語、また丁寧語。


 [安] よいやさ、これごろうじやし。一寸(ちょっと)下ろしても、けへづさ。
 [東] こいつぁ、恐ろしい(すごい)。
 [文] おれも負やぁしねえぞ。
 [安] ほんにきつい/\、けへづのつらだね。
※ けへづ -(不明)魚の名前か。後に「ハゼ釣り」と判明するから、「はぜ」のことであろうか?
※ 恐ろしい(おそろしい)- 程度が並外れている。驚くほど立派だ。
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「深川新話」を読む 1

(庭のワスレナグサ)

明日はムサシの早や49日、孫たちも集まって、骨を庭に埋葬する予定である。

今日から、久し振りに江戸の洒落本を読もうと思う。少しはすらすらと読めるようになっただろうか。「深川新話」はネットで影本を見付け、少し読みかけたが、途中で投げ出していた。地口などが多用され、解読しても意味を理解することが難しかった。

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「深川新話」の解読を始める。

   
ここに山手の馬鹿人という人あり。むだの聖なり。また肩のごとくひど丸という人あり。むだはぞっこん得手なり。ひど丸は馬鹿人が上に立たんこと難く、馬鹿人はひど丸が下に立たんこと難くなん有りける。
※ 山手の馬鹿人 - 大田南畝の戯作名?。山部赤人のもじりで、山部赤人は、柿本人麻呂とともに、「歌聖(うたのひじり)」と呼ばれた。
※ むだの聖(ひじり)-「歌聖(うたのひじり)」のもじり。
※ 肩のごとく飛ど丸 - 柿本人麻呂のもじり。
※ ぞっこん - 心の底から。本気で。
※ 得手(えて)- 最も得意とすること。また、そのわざ。
※ ひど丸は~ - 紀貫之の古今集仮名序に、「人麿は赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける」とある。


ひど丸も御好なれば、馬鹿人も御好。日さえ暮るれば、早往(さゆこ)/\と鳴く。鳥はもとより助兵衛鳥。一度(ひとたび)垂天に羽うって野父天睥睨す。
※ 御好(おすき)- 好色。
※ 垂天(すいてん)- 天から垂れるさま。(「荘子・逍遙遊篇」に「怒して飛べば、その翼は垂天の雲の如し。」)
※ 羽うつ(羽撃つ)- 鳥が羽ばたきをする。
※ 野父天(やぼてん)- 野暮天。きわめて野暮なこと。また、その人。
※ 睥睨(へいげい)- にらみつけて威圧すること。


されば、山の手の西より、深川の東の果て、蟻の穴まで仔細に見きわめ、一巻の書を著わす。名づけて深川新語という。予、蓬蒿際よりちょびと閲して、これを如在の序の字(辞)とす。
     正月             朱楽舘主人題
※ 蓬蒿(ほうこう)- 草茫々たる野原。
※ 閲す(けみす)- 見る。調べる。調べて読む。
※ 如在(じょさい)- 如才。気を遣わずに、いい加減にすること。疎略。
※ 朱楽舘主人 - 朱楽菅江(あけらかんこう)。江戸時代後期の戯作者、狂歌師。「あっけらかん」をもじった筆名。大田南畝、唐衣橘洲と共に天明狂歌ブームを築き、狂歌三大家といわれた。
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「一銭職之由緒」を読む 7




(牧之原公園下斜面のカタクリの花)

昼食後、女房と牧之原公園下斜面に咲く、カタクリの花を見に行く。今朝新聞で公開されているのを知った。このカタクリは市の天然記念物に指定されている。ボランティアにより、しっかりと保護されて、今年はずいぶん花の数が増えたように思う。

その後、池新田のSN氏のお宅へ行き、春花盛りの庭を見せて頂く。バラの季節にはまた見に来るように誘われた。確かに、これでバラの花が加わったら、それは見ものだろうと想像した。

最後に、御前崎市図書館に行き、「本間家文書展」を見学して帰った。

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「一銭職之由緒之巻」の解読を続ける。今日で終りである。「起請文」は髪結に弟子入りする際の約束事を記した書類のひな形である。

    起請文の事
※ 起請文(きしょうもん)- 日本でかつて作成されていた、人が契約を交わす際、それを破らないことを神仏に誓う文書である。
一 御帝(みかど)御代々の御厚恩、深く忘れまじく候事。
一 神仏尊(とうと)み、時の将軍家、御役人衆の仰せ出され候
趣、心得入り候事。
一 親に孝行、兄弟睦(むつ)ましく、我が身を立て申すまじく候事。
一 諸事堪忍、相慎み、師命背かず、職分大切に相勤め申すべく候事。
※ 堪忍(かんにん)- 肉体的な痛みや苦しい境遇などをじっとこらえること。我慢すること。忍耐。
※ 師命(しめい)- 師匠の命令。先生の言いつけ。

一 家の事柄、師匠・朋輩の事ども、悪口申すまじく候事。
※ 朋輩(ほうばい)- 同じ主人に仕えたり、同じ先生についたりしている仲間。
一 職分振舞い、二百俵の侍格式と、世間へ威張り申さず、道を行くにも左を通り、老幼労(いたわ)り申すべく候事。
一 朝は明六つの鐘に起き、日輪入相まで、仕事怠り申さず、客衆挨拶、丁寧申すべき候事。
※ 入相(いりあい)- 夕暮れ時。日没時。
一 海山川の生物狩り、月見、花見の遊楽致さず、作病、偽り申すまじく候事。
※ 作病(さくびょう)- 病気のふりをすること。仮病(けびょう)。
一 遊興、勝負事致さず、酒を過ごして、人に無理難題の迷惑、相懸け申すまじく候事。
一 縦令(たとい)如何様の儀御座候とも、辛抱可仕るべく、万一辛抱出来申さず候時は、御笑い被下されたく、その節、手向い、口答え致すまじく候事。
一 分けのれん(暖簾)、家職の上は、御大名、御役人衆、武家方へ仕事仕るべく、、乞食、、罪人の仕事致すまじく候事。
一 人の仕事に善悪申さず、仮りにも喧嘩口論致すまじく候事。
一 家職中に於いて、不埒の儀御座候節は、職分御取り上げ成し下され候とも、苦しからず候事。
右の條々、堅く相守り申すべく、相背くは、日本国中、大
小神祇の神罰、冥罰、各(おのおの)蒙るべきもの、依って起請文、くだんの如し。
        鎌倉
         正八幡宮   氏地生  何才男
                何寺宗門
                親判
                 何   誰〇
                弟子入
                 何   誰〇
   北小路家様

(以下、「備考」は略)

読書:「ズッコケ中年三人組 42歳の教室戦争」 那須正幹 著
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「一銭職之由緒」を読む 6

(散歩道のハナニラ)

NT氏に電話して、相良で講座を開講する話をした。これで後へは引けなくなった。もっとも、始めるのは一年後である。

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「一銭職之由緒之巻」の解読を続ける。

(和文の続き)

家康公深く御悦びの上、遠江浜松へ御入城に就き、藤七郎は本多佐渡守平八郎忠勝殿の手に加わり、三河原村まで御供なし、同所にて家康公の髪結を成す。家康公当座の褒美として、銀一銭、御脇差一腰を、榊原式部大輔小平太康政殿を以って、藤七郎へ下し置かると同時に、髪結職を一銭職と唱(とな)うる旨を御上意蒙り、諸国御関所、御番所、並びに川河渡し場に至るまで、切手に及ばず通行御免を蒙るの仕合せに預り、

その後、慶長八年癸卯歳、家康公、征夷大将軍に御昇職成らせ賜い、江府御入城の砌り、藤七郎を岐阜より御召しに相成り、将軍家御目見えを仰せ付けられ、御物語りの上、先年天龍川その功に於ける御褒美として青銅十貫文を、伊那備前守熊蔵殿を以って降し置かる。その後、藤七郎は慶長九年甲辰歳、美濃国金山岐阜を発足し、江府芝赤羽根に引越し居住する内、
※ 昇職(しょうしょく)- 官職や地位を上げること。

職分相続は北小路藤七郎より四代目継ぎ、孫幸次郎に渡り、時の将軍、厳有院家綱公御代に、御府内八百八街、八百八軒の一銭職株(式)、許可を請願す。前将軍よりの由緒これ有るに付き、将軍の御覚えよく、御府内、五海道まで御免許仰せ出され、御大名、御役人衆、武家方御通行のため床場仰せ付らる。四代目孫幸次郎幼年に付き、叔父北小路宗四郎藤原元之、芝赤羽根に於いて、御朱印、御焼印札など頂戴す。この時、天下副将軍水戸黄門光圀卿摂政。寛文四年甲辰歳の事。

その後、享保二十年乙卯歳十二月、将軍、有徳院吉宗公御代、町奉行職大岡越前守忠相殿、奉行御役所へ諸職商人残らず御召しに相成り、株敷これ有る者ども、御賦役を仰せ付らる。その節、一銭職の者、初代将軍へ大功を成せし故あるを以って、御役懸り御免とあるも、一銭職たる者、余りの御冥加に感じ、府内出火の節は、一銭職の者、両町奉行所へ駈け付け、御用相勤めたき旨、願い上げ、この段御聞き届け蒙り、一銭職の由緒(かくの)如し、畺畢(以上)
※ 一銭職の者~ - かつて、テレビドラマで、江戸の大火の際、髪結たちが奉行所に集り、それぞれ文書類を背にして退避するシーンを見た。何で髪結が、と思って見ていたのを思い出す。その元がここにあったと、初めて知った。
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「一銭職之由緒」を読む 5

(府八幡宮のスズランスイセン)

ジパング倶楽部の会費を納入した。今まではあまり利用できなかったが、これからは大いに利用して行きたい。

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「一銭職之由緒之巻」の解読を続ける。今日からは、漢文の部分(ここでは読み下したものを載せた)を和文で記したもので、内容は重複になる。全く同じではなく、微妙に表現が変わっている。(「注」は重複はさけるので、漢文の方を見てほしい)

職分の起りは、文永年中、人皇九十代亀山天皇御宇、藤原晴基、御宝物係職務中、御帝より預りの御宝紛失致せし咎により、官職を御召し上げと相成り、御宝詮議と渡世のため、嫡男大内蔵亮元勝は反物商売人となり、次男兵庫亮元春は染物師となりて、御宝手懸りの手分けを成し、これ等二人を京都に残し、父晴基は三男采女亮政之を連れて、御宝尋ねのため諸所を流浪なし、終に文永五年戊辰歳(年)、長門下の関に落ち、

ここに居住し月日を送る内、渡世と更に御宝詮議の手懸りにもと、人寄せ髪結職を始む。然れども、面体現わし難く、故に屋作り、雨落ちより三尺張り出し御免にて、箭除けの板を以って軒場を飾り、素袍大紋七幅に仕立て面隠しとす。具足箱を床場の台となし、長暖簾軒下五寸幅、四尺二寸縫下げ三尺に仕立て、暖簾竿に冠りの紐を以って用い、横鏡障子三尺四方定めとす。ここに晴基、釆女亮父子、髪結職を営む事、十有余年の間、然る内、父晴基は死去す。
※ 面体(めんてい)- 顔かたちのこと。

その後、釆女亮は後宇多天皇御宇、時の執権職北條時宗公、弘安四年辛巳歳、相模鎌倉相ヶ谷に転移し、永禄年間の頃まで、凡そ三百三十有余年間、この地に暮す。釆女亮十七代、北小路藤七郎事、美濃国織田信長の武威を聞き、信長に取り入て武士と成らん事を、家筋以って思い立ち、永禄三年庚申歳、鎌倉を発足し、美濃を指して登り、同国金山岐阜に一先ず足を留めて、居住する事十有余年、
※ 武威(ぶい)- 武力の威勢。また、武家の威光。
※ 家筋(いえすじ)- 一家の系統。家の血筋。


時は元亀三年壬申十二月二旬三日、徳川家康公、甲駿信の押領主武田大膳大夫晴信入道信玄と、遠江三方ヶ原に於いて御一戦、双方軍(いくさ)別れとなり、家康公、東海道の見附驛より、袋井浜松に帰陣の時、大雨にて天龍川満水し、徳川勢渡川する事に苦しむ折柄、藤七郎その場に行き懸り、この様子を見て必死となり、川中に踊り入り浅瀬を踏み案内せしため、恙(つつが)なく川を渡り御引上げ相済み、
※ 満水(まんすい)- 河川・湖沼などが増水して、あふれるばかりになること。

(明日へつづく)

読書:「スクエア 横浜みなとみらい署暴対係」 今野敏 著
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「一銭職之由緒」を読む 4




(相良の数少ない田沼時代の遺構「仙台河岸」)

午後、相良の牧之原市資料館で、「田沼意次の虚像と実像」と題して、大石学氏の講演があり、NT氏と受講した。相良では「田沼意次」の再評価と町おこしを企画していて、今回の講演はその一環である。田沼意次は決して清廉潔白の人ではなかったが、その政策は目覚しいものがあり、田沼意次が失脚しなかったら、日本の近代化がもっと早まっていただろうという。

相良の田沼時代の遺構は、失脚時に徹底的に破壊されて、あまり残っていないが、仙台河岸が一部残っていると聞き、講演の前に見学した。仙台河岸は相良湊に開けていて、千石船もつけることが出来たという。

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「一銭職之由緒之巻」の解読を続ける。

慶長八年癸卯(1603)、家康公、征夷大将軍に任じ、及び江戸城に入る。藤七郎、岐阜より召され、将軍に謁し、天龍川先導の功を賞し、伊那備前守熊蔵殿を以って、青銅十貫文を賜う。慶長九年甲辰(1604)江府芝赤羽根に移住し、その職を継ぎ、藤七郎四世孫、幸次郎に至る。
※ 伊那備前守熊蔵(いなびぜんのかみくまぞう)- 伊奈忠次。戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。家康が江戸に移封された後は、関東代官頭として、大久保長安、彦坂元正、長谷川長綱らと共に、家康の関東支配に貢献した。
※ 江府(れい)- 江戸の異称。


当時将軍、厳有院家綱公御代、府内八百八街に、八百八軒の一銭職株式の許可を請願し、由緒あるを以って、将軍(よみ)、これを納め、五府内五海道に至り、御免許を蒙り、御大名、御役人、武家の御通行のため、床場を命ぜられ、而して、幸次郎なお幼く、叔父北小路宗四郎藤原元之、芝赤羽根に在り、御朱印、御焼印札等を受領す。この時、天下の副将軍水戸黄門光圀卿、摂政たり。実に寛文四年甲辰(1664)なり。
※ 厳有院家綱(げんゆういんいえつな)- 江戸幕府四代将軍徳川家綱。「厳有院」は家綱の法号。
※ 嘉す(よみす)- よしとする。
※ 五府内(ごふない)-「御府内」の誤記か。御府内とは、江戸時代、町奉行の支配に属した江戸の市域。文政元年(1818)、東は亀戸・小名木村辺、西は角筈村・代々木辺、南は上大崎村・南品川町辺、北は上尾久・下板橋村辺の内側と定められた。
※ 五海道(ごかいどう)- 江戸時代の五つの主要街道。東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中。別名 五街道。


其後、享保二十年乙卯(1735)十二月、将軍有徳院吉宗公御代、町奉行職大岡越前守忠相殿、諸職商人を奉行所に召集し、株敷者に悉く課賦役を有す。唯、一銭職者は初代将軍の時に、祖先之勲功を建つるを以って、役を免じられ、その殊遇を深く感ずに依り、特に請いて、許し聴けられ、府内出火の際、両町奉行所に馳せ赴き、役に服す。一銭職の由緒、(かくの)如し、畺畢
※ 畺畢(きょうひつ)- 以上で終る。以上終り。

  享保二十年乙卯十二月
       花押
        右五職浪人の内
         一銭職
          赤羽根住人瓢草床
            北小路幸次郎
           叔父江府駿河町住人
            北小路宗四郎
              藤原元之

   両町御奉行所
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「一銭職之由緒」を読む 3

(庭のアセビの花/昨日撮影)

曇り、昨日とうって変わって寒い天気となった。NT氏と第二回目を計画する延喜式に載る古社を巡るイベントの、下見に行く。二回目は遠江の神社を巡る。今日下見をしたのは磐田の式内社で、東八王子神社、松尾八王子神社、島名神社、鹿苑神社、田中神社、府八幡宮、天御子神社、淡海国玉神社、賀茂神社、見付天神(矢奈比賣神社)、天神社、鎌田神明宮をこの順に廻った。数えてみれば12社となる。有名な神社、村の神社など、中には式内社であることを意識していない神社もある。この中から取捨することになるであろう。夕方帰宅する。

夜は班の会合で、会計報告があった。班でまた一軒減り、無住の家が増えた。全部で34軒となる。新しい年度は祭り当番となる。

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「一銭職之由緒之巻」の解読を続ける。

後宇多天皇の御宇、執権北條時宗の時、弘安四年辛巳(1281)、釆女亮、相模鎌倉の相谷に移り、永禄三年庚申(1560)に至る、凡そ三百三十余年、この地に住む。
※ 相谷 - 鎌倉に「相谷」が見つからず。桐ヶ谷(きりがやつ)の間違いか。「相」と「桐」は、手書き文字では読み違いやすい。桐ヶ谷なら材木座にあったようだ。鎌倉桜(桐ヶ谷桜)は、材木座の桐ヶ谷が原産といわれる桜で有名。

釆女亮、十七世孫、北小路藤七郎、美濃国の織田信長の威風を聞き、信長を頼り、家系を以って武士に為らんと欲す。永禄三年庚申、鎌倉を発し美濃に来たり。足を同国の金山岐阜に留む。

十有余年、元亀三年壬申(1572)十二月二三日、徳川家康公、甲駿信押領主、武田大膳大夫晴信入道信玄と、遠江の三方ヶ原に戦い、互いに勝ち敗け有り。家康公、将に東海道の見附驛より、袋井、浜松に帰軍せんとす時、大雨に天龍川水漲(みなぎ)り、徳川軍、渡河に困りたり。適(たまたま)、藤七郎、その所を過ぐ。直ちに、死を冐(おか)し河中に踊り入り、浅瀬を捜し、先導して大いに渡渉を助く。
※ 旬(じゅん)- 10日。10日間。特に、一か月を三分したときの、それぞれの10日間。「二旬三日」で23日を示す。
※ 押領(おうりょう)- 他人の領地などを実力をもって奪うこと。


家康公、深くこれを悦び、及び、藤七郎を浜松城に入れ、本多佐渡守平八郎忠勝軍に加え、御供させ、三河原村に到り、家康公のため結髪す。公、榊原式部大輔小平太康政を以って、仮に、銀壱銭、佩刀一口を賜い賞す。且つ、結髪職を一銭職と唱えせしむ。而(しこう)して諸国関所、御番所、並び渡船場、切手を持たず通行を許さる。
※ 佩刀(はいとう)- 刀を腰におびること。また、その刀。
※ 切手(きって)- 関所や乗船場で示した通行証。手形。
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「一銭職之由緒」を読む 2

(うっすらと咲き出した土手の江戸ヒガン)

今年はサクラも早いと思っていたが、去年の3月22日のブログの写真ではエドヒガンの花は今日より進んでいたことが分かる。

昨夜、大リーグマリナーズ、日本での開幕二試合目に、突然イチローの引退が発表された。イチローの活躍は讃えて余りあるもので、言葉も浮かばない。昨年春、現役から外れ、何か中途半端な立場に置かれて、おそらくそれ以来、今日の引退表明が計画されていたのではなかろうか。日本での開幕戦はイチロ-の引退試合だったのだろう。イチローには最大限の敬意を表わし、開幕興行も成功裏に終わった。マリナーズのフロントはしてやったりであろう。ただ、ファンにはやられた感が残るが。

お彼岸で、女房の実家のお墓詣りに行く。女房の実家では、最近、消化器の暴発事件があり、煙霧が家中に広がり、ピンク色の粉末を掃除するのに大変だったと聞いた。火事は大変だが、消化器も作動させると、後が大変とは聞いていたが、想像以上に広がるらしい。

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「一銭職之由緒之巻」の解読を続ける。

(最初は漢文で、読み下し文を載せる。どうやら、後に同内容の和文があるようだ。それも続いて載せよう。)

 一職分の儀は、文永年中、人皇九十代、亀山天皇の御宇

藤原晴基、御宝物係職務中、天皇の宝物を預かる所、紛失する罪を以って、免職す。

嫡男大内蔵亮元勝は反物商として、次男兵庫亮元春は染物師として降り、二人は京都に留まり、晴基と三男采女亮政之は、宝物を探索して、諸所を流浪す。

文永五年戊辰(1628)、西に落ち、長門下関に居住す。更に宝物を探すの旁(かたわ)ら、結髪職を以って業と為す。

然れば、人目を憚(はばか)り、家屋を免ぜられ、軒端三尺を張出し、箭除板を以って軒端を飾り、具足箱を以って床場の台と為す。素袍大紋を七幅に仕立て、以って面隠しの長暖簾と為して、軒下五寸、幅四尺二寸、縫下三尺、暖簾竿に冠り紐を用う。横鏡障子を方三尺と定め為す。茲(ここ)に於いて、晴基、釆女亮父子、結髪業を営み、十有余年、晴基、遂にその間に歿す。
※ 箭除板(やよけいた)- 「垣楯(かいだて)」のことを指すか。垣楯は敵の矢を防ぐために楯を垣のように立て並べたもの。
※ 具足箱(ぐそくばこ)- 甲冑(かっちゅう)を納める箱。
※ 素袍(すおう)- 日本の男性の伝統的衣服の一種。素襖とも書く。室町時代にできた単 (ひとえ) 仕立ての直垂。
※ 大紋(だいもん)- 武家の男子服の一種。大紋の直垂 (ひたたれ) の略称。直垂に大きく紋所をつけたことによる。
※ 面隠し(おもがくし)- 表面をかくすこと。表面をおおうこと。

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