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享保年中出入の一件(鋳物師の出入)4

享保年中出入の一件 4P

「享保年中出入の一件」の続き、3P4行目途中より。

去子ノ三月、真継刑部少輔様ゟ、御書付被成下、
御綸旨頂戴仕候。鋳物師、殊更 東照宮様ゟ 御朱印
頂戴致罷有候、七郎左衛門、久く上京不仕候。如何様(いかよう)之儀ニ候や。早々罷上、
委細之訳申披(ひらき)候様ニと被仰下候ニ付、去七月中、上京仕、拙者第一
不如意ニ御座候故、手前ニ(たたら)立候事不任(にんじざる)所存、家職不勝手従(より)
不便(ふびん)ニ被思召、向後(きょうこう)諸国鋳物師大工のごとく、両国鋳物師小工共ゟ、
(たたら)役金差出候様ニ、被成可被下置旨ニ而、鋳物師共居住仕候
所之御代官様、御地頭様方江、銘々御状被遣被下候御事。

一 右鋳物師居所(きょしょ)、駿州大谷村ハ星与左衛門様御支配所、鋳物師
助右衛門。同国江尻町ハ御代官山田治右衛門様御支配所、鋳物師六郎左衛門、
善兵衛。遠州浜松者松平伊豆守様御城下、鋳物師太兵衛。
同国見付町ハ小笠原壱岐守御預り地、鋳物師清兵衛。同国森町者
土屋平八郎様御知行所、鋳物師五郎左衛門。右五ヶ所鋳物師共
罷有候ニ付、右之所々江銘々ニ御状被遣候。山田治右衛門様、松平伊豆守様、
土屋平八郎様、御三ヶ所よりハ、刑部少輔様より之御書附ヲ以、鋳物師共ニ
被仰渡候所ニ、奉畏候由御請仕候御返答御座候御事。

【 読み下した文】

去子(きょね)の三月、真継刑部少輔様より、御書付成し下され、
御綸旨頂戴仕り候。鋳物師、殊更(ことさら) 東照宮様より 御朱印
頂戴致し罷り有り候、七郎左衛門、久しく上京仕らず候。如何様(いかよう)の儀に候や。早々罷り上り、
委細の訳、申し披(ひら)き候様にと仰せ下され候に付、去七月中、上京仕り、拙者第一
不如意に御座候ゆえ、手前に(たたら)立て候事、任じざる所存、家職不勝手より、
不便(ふびん)に思し召され、向後、諸国鋳物師大工のごとく、両国鋳物師小工どもより、
(たたら)役金差し出し候様に、成され下し置かるべき旨にて、鋳物師ども居住仕り候
所の御代官様、御地頭様方へ、銘々御状遣わされ下され候御事。

一 右鋳物師居所(きょしょ)、駿州大谷村は星与左衛門様御支配所、鋳物師
助右衛門。同国江尻町は御代官山田治右衛門様御支配所、鋳物師六郎左衛門、
善兵衛。遠州浜松は松平伊豆守様御城下、鋳物師太兵衛。
同国見付町は小笠原壱岐守御預り地、鋳物師清兵衛。同国森町は
土屋平八郎様御知行所、鋳物師五郎左衛門。右五ヶ所、鋳物師ども
罷り有り候に付、右の所々へ銘々に御状遣わされ候。山田治右衛門様、松平伊豆守様、
土屋平八郎様、御三ヶ所よりは、刑部少輔様よりの御書附を以って、鋳物師どもに
仰せ渡され候所に、畏まり奉り候由、御請け仕り候御返答御座候御事。

(4P9行目まで、以下続く)

********************

どうしても解読出来ない、軸物など、寝床まで持ち込み、寝る前に分らないところを再確認し、そのまま一晩寝ると、朝、ふとヒントがひらめくことがある。今朝も蕉園の七言絶句の三度栗の漢詩、目が覚めた時にひらめいた思い付いた流れで解読してみると、解読出来てしまった。ただ、辻褄は合いそうだが、果して合っているかどうかは蕉園に聞いて見なければわからない。

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享保年中出入の一件(鋳物師の出入)3


享保年中出入の一件 2P


享保年中出入の一件 3P

「享保年中出入の一件」の続き、2P最初より。

     乍恐口上書ヲ以申上候
一 遠州周智郡、土屋平八郎様御知行所、森町之住、駿遠
両国鋳物師(いもじ)、惣大工山田七郎左衛門、申上候。

一 拙者儀、先祖代々鋳物師ニ御座候ニ付、暦応五年(1342)
禁中様 御綸旨被下置頂戴仕罷有候右之御筋目ヲ以
※ 綸旨(りんじ)➜ 天子などの命令。また、その内容。
天正十五年(1587)、従 東照宮様、駿遠両国之鋳物師、惣
大工職之 御朱印、被為下置(くだしおかせられ)、両国之鋳物師、於爾今、支配
※ 爾今(じこん)➜ 今後。以後。
仕候御事。

一 三代以前、七郎左衛門若輩ニ而、父七郎左衛門相果(あいはて)申ニ付、鋳物師之訳、
(つぶさに)不申聞、殊ニ不如意ニ御座候故、手前ニ鑪(たたら)立之事不相叶、少之商(あきない)仕、百
※ 鑪(たたら)➜ 足で踏んで空気を送る大形のふいご。鋳物師が用いる。
姓相兼(あいかね)、取續罷有候。尤 御朱印之御威光ヲ以、両国之鋳物師
鐘鋳立(いだて)候節、鋳口金、或ハ銘文之祝儀(しゅうぎ)、少々宛(ずつ)受納仕候得共、是ハ
た満/\の儀ニ而、差而(さして)助成ニ茂不罷成、追々困窮仕、漸く渡世送り罷
有候所、

【 読み下した文】

     恐れながら口上書を以って申し上げ候
一 遠州周智郡、土屋平八郎様御知行所、森町の住、駿遠
両国鋳物師(いもじ)、惣大工山田七郎左衛門、申し上げ候。

一 拙者儀、先祖代々鋳物師に御座候に付、暦応五年(1342)
禁中様より 御綸旨(りんじ)下し置かれ、頂戴仕り罷り有り候。右の御筋目を以って、
天正十五年(1587)、 東照宮様より、駿遠両国の鋳物師、惣
大工職の 御朱印、下し置かされ、両国の鋳物師、爾今に於いて支配
仕り候御事。

一 三代以前、七郎左衛門若輩にて、父七郎左衛門相果て申すに付、鋳物師の訳、
(つぶさ)に申し聞かず、殊に不如意に御座候故、手前に(たたら)立の事相叶わず、少しの商い仕り、百
姓相兼ね、取続き罷り有り候。もっとも 御朱印の御威光を以って、両国の鋳物師、
(かね)鋳立て候節、鋳口金、或いは銘文の祝儀、少々宛(ずつ)受納仕候えども、これは
たま/\の儀にて、差して助成にも罷り成らず、追々困窮仕り、漸く渡世送り罷り
有り候所、

(3P4行目途中まで、以下続く)

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享保年中出入の一件(鋳物師の出入)2


庭に知らん中に、シランの花が咲き始めた

「享保年中出入の一件」の続き、1P10行目途中より。

七十年以前、拙者先祖ハ御地江罷越、久能
御山御用被仰付罷在候御筋目ヲ以、年貢ホ之儀者勿論之義、年始、歳暮
ホ之付届ヶニ而茂、曽而(かつて)不仕候由申上候處、左候得者、御支配様之御了簡
ヲ以、年貢御召出候様ニと者、難被仰渡思召候。 江戸御表御奉行様ゟ、御下知茂
御座候ハヽ、何分ニ茂可被仰付由、真継刑部(おさかべ)少輔(しょうゆう)様江御挨拶被仰遣候旨、
拙者江被仰聞候。委細之義者、刑部少輔様江、与左衛門様ゟ被仰遣候通御座候。右
与左衛門様御吟味之節、申上候通り、古来ゟ年貢ホ差出候儀者、曽而(かつて)無御座候得共、
御吟味之上、江戸従御奉行様被仰付、御支配様被仰渡候者、何分ニ茂奉
畏候。右之外、拙者存寄、曽(而)無御座候。左様御心得可被成候、以上。
  丑十一月             大谷村 田中助右衛門
     山田七郎左衛門殿

【 読み下した文】

七十年以前、拙者先祖は御地へ罷り越し、久能
御山御用仰せ付けられ、罷り在り候御筋目を以って、年貢などの儀は勿論の義、年始、歳暮
などの付け届けにても、曽(かつ)て仕らず候由、申し上げ候処、さ候えば、御支配様の御了簡
を以って、年貢御召し出し候様にとは、仰せ渡され難く思し召し候。江戸御表、御奉行様より、御下知も
御座候わば、何分にも仰せ付けらる由、真継刑部(おさかべ)少輔(しょうゆう)様へ御挨拶仰せ遣わされ候旨、
拙者へ仰せ聞かされ候。委細の義は、刑部少輔様へ、与左衛門様より仰せ遣わされ候通りに御座候。右
与左衛門様御吟味の節、申し上げ候通り、古来より年貢など差し出し候儀は、曽て御座なく候えども、
御吟味の上、江戸御奉行様より仰せ付けられ、御支配様仰せ渡され候わば、何分にも
畏(かしこ)まり奉り候。右の外、拙者存じ寄り、曽て御座なく候。左様御心得成さるべく候、以上。
  丑十一月             大谷村 田中助右衛門

     山田七郎左衛門殿

(1P終りまで、以下続く)

********************

午後、相良史料館のH氏に面会に行く。先日、我が家に見えたMさんが午前中に見えたばかりと聞く。小島蕉園と大蔵永常の交流について聞かれた。小島蕉園関係の書物に大蔵永常らしい人物が出ていたけれども、今まで気にせずに見過ごしていた。盲点だったと言う。一つの事実から芋ずる式にたどって行かれるパワーはすごいと感じた。

今日、H氏を訪ねたのは、「人道大意始学摘訓」の写真版の一枚がピンボケだったため、写真を撮らせて頂くのが目的だった。昨年に吉田の古書店主のTさんに写真を撮らせて頂いたものだが、現物がH氏に渡っていると聞いて、訪ねて行ったのである。

このブログの、次の解読古文書に、この「人道大意始学摘訓」を取り上げようと思う。儒学の入門書のような書だという。

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享保年中出入の一件(鋳物師の出入)1


享保年中出入の一件 1P

「享保年中出入の一件」の解読を始める。

     享保年中出入一件
                    駿州大谷
               相手     助右衛門
       口上覚
一 今度、江戸御表江、御願被仰立候ニ付、拙者共所存之所、致口上書
可進由、此度被仰聞、致承知候。去子年、京都真継刑部少輔様ゟ、拙者共
御支配、星与左衛門様江、被仰遣候者、遠州森町ニ罷在候、山田七郎左衛門先祖ニ
訳有(わけあり)之者ニ而、 御朱印ホ頂戴仕、罷在候義ニ候間、向後(きょうこう)、大谷村鋳物し(いもじ)
助右衛門方より、七郎左衛門方江、相応之爐(たたら)年貢差出候様ニ被成度候間、其段拙者へ
※ 爐(たたら)➜ 鑪。足で踏んで空気を送る大形のふいご。鋳物師が用いる。
被仰渡候様ニ被成度旨、刑部少輔様ゟ与左衛門様江、被仰遣候。依之(これにより)、
与左衛門様御屋敷江、拙者被召呼、古来より山田七郎左衛門方江、爐(たたら)
年貢ホ差出候儀有之候哉、又者、年始、歳暮ホ之付届ヶニ而も、致候儀有之
候哉と、御吟味被成候ニ付、(途中一部、文の重複があったので、削除した)

【 読み下した文】

     享保年中出入一件
                    駿州大谷
               相手     助右衛門
       口上覚え
一 今度、江戸御表へ、御願い仰せ立てられ候に付、拙者ども所存の所、口上書に致し
(しん)ずべく由、この度、仰せ聞かされ、承知致し候。去子年(きょねどし)、京都、真継刑部(おさかべ)少輔(しょうゆう)様より、拙者ども
御支配、星与左衛門様へ、仰せ遣され候は、遠州森町に罷り在り候、山田七郎左衛門先祖に
(わけ)有りの者にて、御朱印など頂戴仕り、罷り在り候義に候間、向後(きょうこう)、大谷村鋳物師(いもじ)
助右衛門方より、七郎左衛門方へ、相応の爐(たたら)年貢、差し出し候様に成されたく候間、その段、拙者へ
仰せ渡され候様に成されたき旨、刑部少輔様より与左衛門様へ、仰せ遣わされ候。これにより、与左衛門様御屋敷へ、拙者召し呼ばれ、古来より山田七郎左衛門方へ、爐(たたら)
年貢など差し出し候儀これ有り候や、または、年始、歳暮などの付け届けにても、致し候儀これ有り
候やと、御吟味成され候に付、

(1P10行目途中まで、以下続く)

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「校合雑記 巻の壱」の解読 38

今日で、「校合雑記巻の壱」を読み終える。明日からは短いものであるが、表紙を掲げた「享保年中出入一件」を読む。森町の鋳物師(いもじ)に絡む出入である。随分昔、講座で前の先生に課題にしてもらった古文書で、既読ではある。昨日来訪のMさんに提供するつもりで、過去の資料から捜し出したが、珍しい古文書だと思うので、いっその事、この場で読もうと思った。

********************

「校合雑記巻の壱」の続き、37P2行目途中より。

大猷院様、文武聞へある輩越、臣仕(仕臣)のうち与り撰(えらま)世給ひ、
※ 仕臣(ししん)➜ 家来。
其人数拾七人尓限(かぎり)し可、永井氏の家臣、酒和田喜六、年
来和歌尓心越よせて、
  吉野山 花咲古路能 (あした)なし
    古ゝろ尓かゝ類 み祢乃志ら雲
とよみ多る歌、折節(おりふし) 上聞尓入り介れハ、是も又文

※ 上聞(じょうぶん)➜ 天皇や君主の耳に入ること。
の一事な里。彼可健なる武乃徒とめ盤、内/\
聞し召連しとて、酒和田越御撰(えらみ)の内尓加へらるゝ。
然者、文の一端と成る和歌を、摺(おそれ)むも婦つゝ可なりと云遍し。
又曰、忠興の随一乃忠節尓てハ、老耄(ろうもう)とも申上
※ 老耄(ろうもう)➜ おいぼれること。もうろくすること。また、その人。
らるへし。武士歌よむニも、本どの有べき可、了簡の
阿るべき事也。苦し可ら須゛とゆるしやらバ、
武の備へ怠る方へ、流るべきハ必定なり。頼政の
、和歌尓盤遥(はるか)尓劣り希るなり。

※ 軍慮(ぐんりょ)➜ いくさのはかりごと。軍略。

校合雑記巻之壱 終

【 読み下した文】

一年(ひととせ)、大猷院様、文武聞えある輩(やから)仕臣の内より撰(えら)ませ給い、
其人数拾七人に限りしが、永井氏の家臣、酒和田喜六、年
来和歌に心を寄せて、
  吉野山 花咲く頃の 朝(あした)なし
    心に掛かる 峰の白雲(しらくも)
とよみたる歌、折節(おりふし)上聞(じょうぶん)に入りければ、これも又、文

の一事なり。彼が健(すこ)やかなる武のつとめは、内々
聞こし召されしとて、酒和田を御撰(えらみ)の内に加えらるゝ。
然れば、文の一端と成る和歌を、摺(おそれ)むも不束(ふつつか)なりと云うべし。
又曰く、忠興の随一の忠節にては、老耄(ろうもう)とも申し上げ
らるべし。武士歌詠むにも、程の有るべきか、了簡の
あるべき事なり。苦しからずと許しやらば、
武の備え怠る方へ、流るべきは必定なり。頼政の
、和歌には遥かに劣りけるなり。

校合雑記巻之壱 終

「校合雑記巻の壱」を読了した。まだまだ続きがあり、20巻まであるらしいが、岡部の旧家から出たのはここまでである。

********************

読書:「海へ」 南木佳士 著

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「校合雑記 巻の壱」の解読 37


校合雑記巻の壱 37P

「校合雑記巻の壱」の続き、36P15行目より。

一 江州大津の城主、京極宰相高次盤、
家康公の御味方と成て、城越守りて後尓、寄手と和睦
して、高野山尓蟄居有しを、
家康公、召出され介る尓、宰相辞退ハ理(ことわ)りなれとも、
数万の敵兵、九月十四日迠大津を攻(せめ)か春ミ(掠み)、関ヶ原江
遅参春るニ依て、九月十五日之戦ひ尓、敵陣もろく
破れし可ハ、高次の粉骨むなし可ら須゛とて、つ以尓
若狭國をあ多へらる。玄旨も又、数万之敵尓圍れ、
九月十二日迠篭城世ら連し上、
家康公い可て御氣色有べき。又幽斎尓限ら春゛、歌
よむ人、月花尓能ミ心を移し、家業ニ怠り、鋭気越
鈍く春るの論も、い王れなし。凡詩歌盤心さし能
ゆく所、物尓かんして言葉尓阿ら王須。習(なら)ひなるを、
い可でみ多り(猥り)尓破り捨(すつ)べき。其上、名高(なだかき)を將士の敵、
世の人乃口春さミ(ずさみ)尓阿れ盤゛、必春゛、武備(ぶび)尓怠りし人の、
※ 武備(ぶび)➜ 戦いに対する備え。軍備。兵備。
な世る業ともいひ難し。

【 読み下した文】

家康公、召し出されけるに、宰相辞退は理(ことわ)りなれども、
数万の敵兵、九月十四日迠、大津を攻め掠(かす)み、関ヶ原へ
遅参するに依って、九月十五日の戦いに、敵陣脆(もろ)
破れしかは、高次の粉骨虚しからずとて、ついに
若狭国を与えらる。玄旨も又、数万の敵に囲まれ、
九月十二日まで、篭城せられし上、
家康公、いかで御気色有るべき。また幽斎に限らず、歌
よむ人、月花にのみ心を移し、家業に怠り、鋭気を
鈍くするの論もいわれなし。凡そ詩歌は、心ざしの
ゆく所、物に感じて言葉に表す習(なら)いなるを、
いかでみだりに破り捨つべき。その上、名高きを将士の敵、
世の人の口ずさみにあれば、必ず、武備(ぶび)に怠りし人の、
なせる業とも言い難し。

(37P2行目途中まで、以下続く)

********************

午後、電話で約束の、浜松在住のMさんが訪れる。学校の先生退職後、郷土史の勉強を始めて、出身の森町、在住の浜松、磐田、掛川などで、郷土史の研究や発見をそれぞれの郷土誌に発表されている方であった。共通の話題も多くて、たちまち2時間近く経ってしまった。Mさんは古文書の解読はされないようで、必要があればその分野で協力することを約した。また新しい知り合いが出来て、色々と楽しくなりそうである。

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「校合雑記 巻の壱」の解読 36


校合雑記巻の壱 36P

「校合雑記巻の壱」の続き、35P12行目より。

権現様盤、其頃、天下能御後見多るニ依て、玄旨も
御下知を受奉る心ニて、田邊尓在城せしを、大坂より
下知して、諸將、丹州江寄る尓依て、無力(ちからなく)籠城せ
られし可、徳善院一二尓 勅命を傳へ、又関ヶ原
一戦の起りを告て、強く篭城せらるゝニおゐて、
秀頼公ニ對して不忠なるべきと、いろ/\
い希ん有りしと註(しるす)。岐阜の落城之注進を
聞な可゛ら、和睦有し上盤、今二三日籠城して、
家康公江一廉(ひとかど)御忠節春べきものをと、玄旨阿な可ち
※ あながち(強ち) ➜ 必ずしも。

後悔世られましきが、又幽斎、
家康公乃御意尓背(そむか)連しといふも、用ひ難し。

【 読み下した文】

権現様は、その頃、天下の御後見たるに依って、玄旨も
御下知を受け奉る心にて、田辺に在城せしを、大坂より
下知して、諸將、丹州へ寄るに依りて、力なく籠城せ
られしが、徳善院一二に 勅命を伝え、又関ヶ原
一戦の起りを告げて、強く篭城せらるゝにおいて、
秀頼公に対して不忠なるべきと、いろ/\
意見有りしと註(しる)す。岐阜の落城の注進を
聞きながら、和睦有りし上は、今二、三日籠城して、
家康公へ一廉(ひとかど)御忠節すべきものをと、玄旨、あながち
後悔せられまじきが、また幽斎、

家康公の御意に背(そむ)かれしというも、用い難し。

(36P4行目まで、以下続く)

********************

読書:「料理春秋 小料理のどか屋人情帖34」 倉坂鬼一郎 著

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「校合雑記 巻の壱」の解読 35


校合雑記巻の壱 35P

「校合雑記巻の壱」の続き、34P15行目より。

私尓い王く、細川忠興
家康公の御前尓おゐて、父可行ひ老老もの志王左゛ニやと
申されしとハ、誠志可ら須。又玄旨身乃罪を悔ミて
蟄居世られ、妙庵を初め家中の諸士面目なき
※ 妙庵(みょうあん)➜ 細川幽斎の三男。京都愛宕山の福寿院に住し、一条流の書をよくした。俗名は幸隆。
思ひしといふ説尓覚束(おぼつか)なし。玄旨、元より隠居の身也。
※ 覚束なし(おぼつかなし)➜ 不審である。おかしい。
廣く世上尓かゝ王るへき身ならね者゛、おのつ可ら
蟄居せられしならん。黒田如水ハ
家康公の御味方して、武威を九州尓振れ介れ共、
是も其頃隠居なりし故尓、其後世の勤免(つとめ)
や免られ多るニて、なぞらへ知るべし。又妙庵、其外
※ なぞらえる(準える) ➜ ある物事を類似のものと比較して、仮にそれとみなす。
家中の諸士、七月之初め迠堅固尓城を守りたれ盤、
何の面目なき事可あらん。又幽斎、今二、三日篭
城世らるゝ尓於てハ、関東方御勝利となりて、
家康公への忠節、又並方有間敷ものを、と後悔
せしといふ説も信し難し。

【 読み下した文】

私に曰く、細川忠興、
家康公の御前において、父が行い、老老もの仕業(しわざ)にやと
申されしとは、誠しからず。また玄旨、身の罪を悔みて
蟄居せられ、妙庵を初め、家中の諸士面目なき
思いしという説に覚束(おぼつか)なし。玄旨、元より隠居の身なり。
広く世上に関(かか)わるべき身ならねば、おのずから
蟄居せられしならん。黒田如水は
家康公の御味方して、武威を九州に振れけれども、
これもその頃、隠居なりし故に、その後、世の勤めを
やめられたるにて、なぞらえ知るべし。また妙庵、その外
家中の諸士、七月の初めまで、堅固に城を守りたれば、
何の面目なき事があらん。また幽斎、今二、三日篭
城せらるゝにおいては、関東方御勝利となりて、
家康公への忠節、また並方(なみかた)有るまじきものを、と後悔
せしという説も信じ難し。

(35P11行目まで、以下続く)

********************

午後、金谷宿大学の「駿遠の考古学と歴史」講座へ出席した。新年度、最初の講座である。

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「校合雑記 巻の壱」の解読 34


静岡城北公園のヒトツバタゴと富士山


校合雑記巻の壱 34P

「校合雑記巻の壱」の続き、33P9行目より。

幽斎篭城の節、歌(敵)と和談世しを異説尓いハく、
細川越中守忠興、
家康公之御前尓参り、志ろし召る(知ろしめさる)ゝことし、父幽斎ハ、
※ 知ろし召さる(しろしめさる)➜ 知っていらっしゃる。ご存じである。
文武のたしなミ有ものなりし可、某(それがし)可妻の
心操(しんそう)ニもおとりて、田辺の城を敵尓渡して、春古(すご)/\と

※ 心操(しんそう)➜ 心のみさお。心構え。心がけ。
上京世しハ、老々も能所為(せい)なるべしと申され介れ盤、
家康公仰(おおせ)尓、越中守不興(ふきょう)も理(ことわ)りなりと宣ふ尓依て、
幽斎其身の罪を恥て、やミて世間を憚(はばか)蟄居(ちっきょ)春。
※ 蟄居(ちっきょ)➜ 家の中にひきこもっていること。
是尓依て、田辺篭城之諸士、頃日(けいじつ)、面目なき事尓
※ 頃日(けいじつ)➜ 近ごろ。このごろ。
思へり。今二三日城を守ら者゛、関ヶ原の一戦、関東方
御勝利となりて、玄旨、
家康公への御忠節、又なら婦゛可多有満しきを、可へつて
内府の御意尓背(そむ)介り。是偏(ひとえ)尓、いらざる歌道を好ミ、
古今の傳を残(のこさ)ん抔、和(やわ)ら可なるか多ニ思ひ取て、寄手
を和談せられし故なり。凡(およそ)詠草盤公家の翫(もてあそ)ひ尓
※ 詠草(えいそう)➜ 作ったり詠じたりした和歌や俳諧。
して、武家のたしなむ業(わざ)尓ハ阿ら須。然ルを、幽斎尓
限ら須゛、歌よむ人、月花尓のみ心を移して、家業尓
(おこ)堂るのミなら須゛、剰(あまつ)さへ、おの連可゛鋭気(えいき)くしく(挫く)
※ 鋭気(えいき)➜ 鋭い気性、気勢。
む可し源三位頼政、宇治の戦ひ尓利を失ひ、直(すぐ)
自害尓及んて、
  埋木(うもれぎ)の 花咲(さく)古とも な可りし尓
    身のな里はて盤 阿王れなり希り
※ 埋木(うもれぎ)➜  樹木が長い年月、水中、または土中にあって炭化した木。(転じて)世間から捨てられて顧みるものもなくなった境遇の者。
と歌を詠(ながめ)し盤、や左し介れ共、身のなり果(はて)越哀れ
※ 詠む(ながむ)➜ 詩歌、俳句などを作る。詠(よ)む。
可りしハ、例の歌人の心なり。能/\心を尽春(つくす)へしと也。

【 読み下した文】

幽斎篭城の節、敵と和談せしを異説に曰く、
細川越中守忠興、
家康公の御前に参り、知ろし召さるゝ如し。父、幽斎は、
文武のたしなみ有るものなりしが、某(それがし)が妻の
心操にも劣りて、田辺の城を敵に渡して、すご/\と

上京せしは、老々もの所為(せい)なるべしと申されければ、
家康公仰せに、越中守不興(ふきょう)も理(ことわ)りなりと宣(のたま)うによって、
幽斎、その身の罪を恥じて、病みて、世間を憚(はばか)り、蟄居(ちっきょ)す。
これに依って、田辺篭城の諸士、頃日(けいじつ)、面目なき事に
思えり。今二、三日城を守らば、関ヶ原の一戦、関東方
御勝利となりて、玄旨、
家康公への御忠節、また並ぶ方有るまじきを、かえって
内府の御意(ぎょい)に背(そむ)けり。これ偏(ひとえ)に、いらざる歌道を好み、
古今の伝を残さんなど、和(やわ)らかなる方に思い取りて、寄せ手
を和談せられし故なり。凡そ、詠草は公家の翫(もてあそ)びに
して、武家のたしなむ業(わざ)にはあらず。然るを、幽斎に
限らず、歌よむ人、月花にのみ心を移して、家業に
(おこ)たるのみならず、剰(あまつ)さえ、おのれが鋭気(えいき)を挫(くじ)く。
昔、源三位頼政、宇治の戦いに利を失い、直(すぐ)
自害に及んで、
  埋木(うもれぎ)の 花咲(さく)ことも なかりしに
    身のなり果ては あわれなりけり
と歌を(ながめ)しは、やさしけれども、身のなり果てを哀れ

がりしは、例の歌人の心なり。よく/\心を尽すべしとなり。

(34P14行目まで、以下続く)

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午後、駿河古文書会で静岡へ行く。城北公園のヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃの木)の白い花が満開であった。確か昨年は、図書館が改装で、会場が駿府公園の近くだったので、ヒトツバタゴの花を見ることはなかった。

読書:「帝都争乱 サーベル警視庁2」 今野敏 著

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「校合雑記 巻の壱」の解読 33


校合雑記巻の壱 33P

「校合雑記巻の壱」の続き、32P10行目途中より。

幽斎、勅答(ちょくとう)申して曰、下官いま多若可りし頃ゟ、
※ 勅答(ちょくとう)➜ 臣下が天子の問いに答えること。
和歌尓心越よ春るといへとも、おろ可尓して、いさゝ可王きまへ
知る処なし。中尓も、古今の傳盤、其身尓應せぬ業(わざ)
なりし越、先仰三光院、憐(あわれ)ミをた連て傳へ置候へぬ。
されハ、未練之業といひ、殊更、和哥の家ニもあら春゛して、
公家江相傳申さん事、いよ/\恐れ阿りといへとも、
勅命更尓、毛多し難し(黙し難し)志可能ミなら須゛水より出て
※ 黙し難し(もだしがたし)➜ 黙っていられない。ほうっておけない。
※ しかのみならず(加之)➜ そればかりでなく。
水ゟさむく藍青しといふ事阿れハ、たとへ拙(つた)
※ 水より出て水より寒く ➜ 「氷は水より出でて水より寒し」弟子が師よりもまさることのたとえ。
※ 藍青し(あいあおし) ➜ 「青は藍より出でて藍より青し」(これも右と同じ)
なきおしへなりとも、後人(こうじん)を、語り知るの王つ可能(わずかの)助希(たすけ)
ともならざらん也。よしま多、一師共闇(くら)ふ志て、万弟道尓
※ よしまた ➜ もしまた。
迷ふとも、一鳥一木の名盤世尓残るべしと、終尓八條殿へ
傳へらる。ま多、鷹丸光廣公、其任尓多へ(耐え)阿多りしとて、
是も其頃相傳有。時の人の八條殿越 勅命能傳、光廣卿
器量之傳授といひしなり。
※ 器量(きりょう)➜ ある事をするのにふさわしい能力や人徳。
或説尓、中院道村卿、西三條公國卿も、其後傳授
世られし可、公國卿の傳へられし書の奥尓、再ひ
御家へ返し候と書連しと可や。

【 読み下した文】

幽斎、勅答(ちょくとう)申して曰く、下官、いまだ若かりし頃より、
和歌に心を寄するといえども、愚かにして、聊(いささ)か、弁(わきま)
知る処なし。中にも、古今の伝は、その身に応ぜぬ業(わざ)
なりしを、先仰三光院、憐(あわれ)みを垂れて伝え置き候えぬ。
されば、未練の業といい、殊更、和歌の家にもあらずして、
公家へ相伝申さん事、いよ/\恐れありといえども、
勅命、更に黙(もく)し難し。しかのみならず水より出て
水よりさむく、藍青しという事あれば、たとえ拙(つた)

なき教えなりとも、後人(こうじん)を、語り知るのわずかの助け
ともならざらんなり。よしまた、一師ども闇(くら)うして、万弟道に
迷うとも、一鳥一木の名は世に残るべしと、終(つい)に八條殿へ
伝えらる。また、鷹丸光廣公、その任に耐え当りしとて、
これもその頃、相伝有り。時の人の、八條殿を 勅命の伝、光廣卿
器量の伝授と云いしなり。
或説に、中院道村卿、西三條公國卿も、その後、伝授
せられしが、公國卿の伝へられし書の奥に、再び
御家へ返し候と書かれしとかや。

(33P8行目まで、以下続く)

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午後、掛川図書館に、本郷の小澤甚一郎さんのことを調べに行く。良い資料は無かった。

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