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激動の経済の一年

(庭の紅葉するナンテン)

世界経済にとって、何とめまぐるしい一年だったことか。

サブプライム問題に端を発した世界経済のかげりは、今年に繰り越されて、じりじりと経済が下り坂にあったが、9月15日のアメリカ大手証券会社リーマン・ブラザーズが経営破綻したというニュースが世界を駆け巡ると、サブプライム問題に不安を懐く投資筋が一斉に株の売りに転じて、リーマンショックと呼ばれる大暴落を呼んだ。日本株もその後、アメリカ発の様々なニュースが流れる度に暴落を呼び、一時7000円台まで下がった。

かって小泉改革によって経済の仕組みを世界標準に合わせるグローバル化が行われた。アメリカの意図に沿った政策で、胡散臭さを感じながらも、世界から投資を引き入れるためには、やむを得ない政策と思い支持してきた。しかし世界不況へ突入した経済状況を見ていると、あの政策が何も生きていないどころか、裏目に出ているのではないかと感じる。

グローバル化の後、海外からの投資は増えたと思う間もなく、世界不況が始まると、資金が一斉に引き上げ始め、経営が悪くない日本企業の株までも投売りされて、大暴落になった。要因は海外の投資家が資金不足になり、資金調達のために優良な日本株を売りに走ったという話であった。身を切る思いをして行ったグローバル化が何の効果も及ぼさなかった。

アメリカの会社と日本の会社の最も顕著な違いは、アメリカの会社は株主のためにあるのに対して、日本の会社は働く社員のためにあった。グローバル化とは、株主のための会社に変えてしまうことである。投資家には魅力的であるが、働く社員にとっては厳しいことになった。

前年に2兆円を越える史上最大の利益を上げたはずのトヨタまでもが、1600億円の赤字になると発表したあと、派遣社員の首切りを一斉に始めた。日本全国で派遣社員切りが一斉に始まって、宿舎まで追われた派遣社員はこの暮れにたちまちホームレスに落ちていく。これがグローバル化した社会の行き着くところであった。

海外の投資を取り込むことに賢明でありながら、日本の何百兆円といわれる個人金融資産が、海外に流れて円高で大きく目減りしている現状もある。その内の何割かが日本の市場に戻ってくるならば、海外から投資を当てにせず、日本独自の年功序列、終身雇用制を維持して行けたと思う。

今回の世界不況は、世界標準である株主本位制の限界を示していると思う。日本の改善活動に世界の企業が学んだように、また魚と米飯の日本の食生活にアメリカが懸命に学んでいるように、日本が培って来た年功序列、終身雇用制の企業制度を世界が見直すときが来ると思う。

夜、紅白歌合戦。おばかキャラの羞恥心 with Paboの「陽は、また昇る」の歌詞に、元サラリーマンはついつい涙腺が緩み、氷川きよしが大トリを歌った「キヨシのずんどこ節」が「どん底節」に聞こえたりした。激動の子年も除夜の鐘とともに終った。
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神座のTさんの話

(三日月と宵の明星)

今年も残すところ一日と少々、バタバタと夕暮れを迎えた。外に出てみると、陽が沈み山の端にまだ明るさが残っている中で、太陽を追いかける三日月と宵の明星が輝いていた。デジカメでこの雰囲気がどこまで撮れるか試してみた。何とか伝わるだろうか。風が出て寒くなってきた。

子供たちにすき焼をやるから全員集合の号令を掛けた。といっても、下の娘一家と上の娘は昨夜から泊り込んでいて、上の娘の夫君だけがお昼前に駆けつけた。

午前中、女房と買出しに行った。肉は例によってジャパンバザールに行く。大変な買い物客で、駐車場の整理の警備員が付いていた。牛肉のケースにはすき焼用肉がほとんど無かった。あきらめずに頼んでみたら、10分ほど待たされて準備をしてくれた。明日は予約ですでに売り切れだと聞いた。ここの肉ははっきり比較が出来る訳ではないが、少なくとも2、3割は安いのだろうと思う。

帰ったら、もうお昼である。昼御飯を準備するのも大変だから、夜を待たずにすき焼に突入することになった。鍋奉行は自分で、いつものように関西風で砂糖と醤油だけの味付けである。お酒を欲しい人もいるかもしれないが、当家で食事をしてもお酒が出ることは無い。

今日の鍋奉行として、反省点が二つあった。一つは味付けで、全体に醤油が足らず、砂糖が多くて甘くなってしまった。途中から修正しようとしたが、失敗に終った。もう一つは肉と野菜のバランスが悪くて、最後は残った肉だけを入れて作った。もっとも、若い人たちの食欲では残る気遣いは無かった。

夕方、神座の遠い親戚のT氏がミカンを届けてくれた。女房が親しくしていて、贈答用にミカンを頼むこともあり、毎年のようにミカンを頂く。この頃は神座のミカンは大した人気で、直接の注文と、藤枝のファーマーズマーケット “まんさいかん” への出荷と、無人販売ですべて捌けるので、市場に出すことは無いのだという。そういえば、ミカンを買うためにわざわざ神座の無人販売に行く人が多いと聞いた。T氏は80歳になるだろうか、秋に足を怪我したが、医者は歳の割りに直りが早いと誉めてくれた。まだまだ元気で、美味いミカンは剪定が大切だが、今でもすべて自分で剪定すると胸を張る。

今朝、T氏が肉屋さんにステーキ用牛肉を買いに行った話になった。よく聞いてみると何のことは無い、ジャパンバザールのことだった。9時の開店にはすでに行列が出来ていた。今朝我々もすき焼用牛肉を買いに行ったばかりだというと、あそこは自分の同級生の甥っ子が経営しているのでよく買いに行く。町内に残った同級生は10数人いたが、もう3、4人になってしまったと寂しそうにいう。戦争で死んだのも多いから。

特攻機の戦闘機乗りとその整備員が同級生で、特攻の日に妹と結婚して家を継いでくれと頼まれて、婿に入った整備員の同級生もいるなどと、寒い玄関で長い昔話を聞いた。
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ムサシに異変が、その2

(りんごケーキ)

午前中、息子、上の娘と4人で女房の実家のお墓参りに行く。お墓は山中にある観勝寺である。風も無く穏やかな快晴で、千葉山の肩に真っ白な富士山が顔を見せていた。お参りが終ったところに下の娘一家が来て待っていると女房の携帯に連絡が入った。下の娘の夫君は夕方、島田に忘年会に行くのだという。

その夫君を送って行ってから、姉妹で作り始めたのが写真のりんごケーキである。ケーキの中にさいの目にしたりんごが入っている。そこにイチゴジャム、黒ミツをかけ、バニラアイスを添えて出来上がり、シナモンの香りがアクセントになっている。夕食後、皆んなで頂いた。娘たちはプロ並の出来だと自讃する。姿と味は申し分ないが、年寄りには少し硬いと評した。プロならもう少しふんわり焼きたい。

    *    *    *    *    *    *    *

昨夕のことである。散歩から戻って裏の寝所に入れたムサシが小さく何度か吠えた。炊事に取掛かっていた女房がどうしたと声を掛けるが、そのうち静かになった。息子が餌をやろうと持ち込んだところ、ぐったりして餌に反応して来ない。ムサシが変だと騒ぎになった。見に行くと、吐いたらしい。女房は吐いたものをティッシュに取っていた。

暮の日曜日の夕刻だったが、動物病院に電話をすると当直がいた。息子が運転をして女房が連れて行くことで話が決まり、ムサシを見ると、起き上がって人間どもの騒ぎをうかがう様子であった。あれっ、元気が出たじゃん。復活したなら病院に行くことも無いかという話も出たが、準備したから行っておけばという息子の言葉に、連れて行くことになった。車の大好きなムサシは喜んで乗込んだという。

さて、病院から帰って来ての結果は、吐いた中には細かい砂利と、散歩中にくれたおやつが入っているだけで、悪いものは無さそうであった。いつもは観念して診察を受けるのだが、今日は女医さんでウーウーと唸って威嚇する風が見えた。女医さんは吐き止めの注射を打ちましょうかと勧めたが、元気そうなので断わった。女医さんも必要ないでしょうねとやや残念そうに同意した。

動物病院は保険が利かないから、医療費が馬鹿にならない。そのことが女房の頭を過ぎったのであろう。診察料を1050円払って帰って来た。昨年の11月14日に同じ「ムサシに異変が」という題名で書き込んでいた。だから今回は「その2」とした。前回は蜂に刺されたのではないかということだったが、原因がはっきりしたわけではなかった。診察料も12400円も掛かったと書いている。

というわけで、お騒がせムサシは、昨夕1回吐いただけで、今日も元気にしている。
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クリスマスプレゼントを貰う

(ハンディクリーナー)

昨日、上の娘夫婦と下の娘夫婦から、相次いでプレゼントを貰った。クリスマスプレゼントだという。上の娘夫婦がとっくりのセーターとボーダーフィンガーソックス6足である。下の娘夫婦は同じくとっくりのセーターとハンディクリーナーであった。とっくりのセーターは温かくて良い。さっそく一枚を昨夕の忘年会に着て行った。女房にもそれぞれ頂き、爺さん婆さんに気を使ってくれて申し訳ないことである。

下の娘夫婦のハンディクリーナーは、半年前の誕生日のプレゼントだという。まーくんの誕生と重なったから、それどころではなかったのだが、律儀に覚えていてくれた。パソコンのテーブルに埃が溜まって、小さな掃除機が有ったらいいなあと思っていた。口にしたのかもしれない。それを聞きつけてのプレゼントだったのだろうか。

さっそく使ってみた。イメージ通りなのだが、違ったのはクリーナーの音がびっくりするほど大きかったことである。普通の掃除機と違って、耳のそばで使うから余計にそう感じるのだろう。夜中には使うわけにはいかないだろう。これでパソコン周りのほこりの掃除や、キーボードの掃除、車の社内の掃除なんかにも便利である。来年はこれを使ってパソコン周りをきれいにしようか。しかし、それじゃあ、パソコン回りが汚いといつも言う女房の思う壺である。


(ボーダーフィンガーソックス)

ボーダーフィンガーソックスというのは、軍手のように五本指の分かれたソックスである。会社のO氏が愛用していて、はき出したら止められないと話していた。確かに水虫や外反母趾の人には良いかもしれないが、自分には縁が無いだろうと思っていた。だからこのソックスをはくのは初めての体験である。指が並んでいるソックスは見るからにユーモラスである。そろそろとはいてみる。最初は五本指にうまく入らず、指に分かれるあたりで突っかかってしまう。一指ずつ入れてやろうとするが、薬指のところへ小指が一緒に入ろうとする。しっかり指を別けて入れ奥まで何とか指を収めると、5本の指が自由に動かせるのが面白い。初めて味わう妙な感覚であった。

もうかれこれ1時間ほどはいて、ようやく慣れてきた。指一本一本が布に包まれて暖かさも違うような気がする。癖になるというO氏の言葉が判るように感じた。同じ柄のものを3足ずつ用意したのは、穴が空いても捨てないで残して、片割れ同士で1足にしてはけば無駄が無いと、上の娘らしいアイディアである。但し、このソックスの特徴は左右が決まっている点である。足の癖で片方だけに穴が空くようだとアイディア倒れになる。
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歳の暮れの一日

(クリスマスナイトツアー №4 島田の某所)

昨夜は名古屋の娘夫婦が夜遅く帰って来て泊まった。若い人らしく高速道路の割引ねらいの帰郷である。今朝はさっそく夫婦して産婦人科のクリニックに出掛けた。予定日までもう2ヶ月少々に迫っている。

お昼にはまーくんの一家もやって来て、まーくんも入れて8人で食堂は満員の状態であった。スパゲッティの山が二つ、たちまちに消えてしまった。人数が多いということは小気味よいことである。

午後は年賀状の住所録作りに費やした。去年までの住所録が古い方のパソコンに入っているのだが、そのパソコンが立ち上がらなくなってしまったために、住所録を去年の年賀状を元に作り直しになってしまった。

夕方には、関与しているお茶問屋の忘年会で島田に行った。飲み過ぎたわけでもないのに、不覚にも10分ほど寝てしまった。目覚めてみると、座は明日に控えた有馬記念のことで盛り上がっていた。実は25日、東京・大井競馬場で100円で1523万円の超大穴が出た。買ったのが一人100円だけだったので、そんな大穴になった。ビッグなクリスマスプレゼントである。そんな話も飛び交っている。

明日の有馬記念をどこの場外馬券場で買うのかと聞けば、ネットだという。ネットに口座を作っておいて、お金を入れて置き、馬券を指示して買うのだという。配当金もその口座へ入金してもらう。今どき常識ですと言わんばかりの説明に、時代はもうそこまで来ているのだと初めて知った。

一口100円からで、良かったら買いましょうかという。賭け事は勝てる気がしないから、やらない主義なので遠慮した。男も女も、参加した全員があちこちで競馬の話に盛り上がっている。ネットで買っている人が、口座のない人の分を買うために、色々な情報を取り交わし、何を買うのか検討しているのであろう。興味深く聞いていたが、さっぱり理解が出来ない話題であった。重賞レース前なら、どこの職場でも見受けられる光景なのだろうが、自分がいた職場にはそんな話題が出ることはなかった。

帰宅して、年賀状を印刷した。何年か前の余った年賀状で試し刷りをしたよりも、写真がずいぶんはっきりと印刷できた。これは明らかに用紙の側の問題である。何年も経つとインクジェット用のはがきも変質して、印刷が載りにくくなるのだろうか。とにかく、150枚ほど印刷した。プリンターを換えたために、印刷のスピードが何倍かに上がり、3時間ほどで刷り上った。表書きの印刷は明日にしようと思う。
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「かさぶた日録」五大ニュース

(クリスマスナイトツアー №3 五和の某所)

年末である。外は天気は快晴だが、寒波が到来して空っ風が吹きまくっている。北国は大雪で、この年末年始、スキーがようやく可能になる恵みの雪のようだ。しかしお客さんが来るであろうか。近年多かった外国人客も、この世界不況と円高ではとても日本のスキー場へは来れまい。新聞やテレビで今年の十大ニュースが報道される季節になった。地震、テロ、世界不況などいいニュースが割り込む余地がない。

「かさぶた日録」で、今年の五大ニュースといえば、何が入るであろうか。ネタ切れのため考えてみた。そして時系列に5つを撰んでみた。

1.金谷宿大学入学 5月
2.初孫まーくんの誕生 6月
3.息子と城めぐりの旅 6月
4.夏祭りの故郷に帰る 8月
5.「かさぶた日録」1000回達成 11月

金谷宿大学は5月18日に開講式があって始まった。今年はじめて二つの講座を申し込んだ。「島田金谷の考古学と歴史」と「古文書に親しむ」、それぞれ月1回、年10回の講座で、すでに各7回が終っている。欠席は「島田金谷ー」で1回だけで、熱心に出席している。内容はその都度ブログに紹介してきた。

初孫「まーくん」は律儀に私の誕生日の6月11日に、日を合わせて生まれてきてくれた。もう7ヶ月で這いはじめるまで、あと少しである。もっぱらごろごろ転がって移動している。歯も生えてきて離乳食も始まった。泣き声だけでなく、言葉にならぬ声をしきりと出すようになった。触発されたのか、上の娘にも子供が出来て、来年2月の出産予定である。「かんくん」と呼ぼうとしたら「かなくん」が正しいらしい。

6月に、急に思い立って、息子と二人で近畿・中部の古いお城を巡る旅に出掛けた。犬山城 → 彦根城 → 丸岡城 → 松本城と、息子の金銭感覚に合わせた2泊3日の節約旅行であった。しかしけっこう楽しい旅であった。

8月に、女房とお盆の帰郷をした。毎年帰っているが、今年はいつもより早く、8月はじめの故郷の夏祭りの時期に、伊勢の長兄とも示し合わせての帰郷であった。焼かれるように暑い旅だったが、お盆の帰郷とは違う懐かしさを感じた。

そして、11月5日、「かさぶた日録」がついに1000回に到達した。ほとんど毎日書き込んで、3年掛かった。今日は1051回目の書き込みになる。

夜中、寒い中、名古屋の娘夫婦が帰って来た。娘は出産まで我が家で過ごす予定のようだ。
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国民の負託と党議拘束

(クリスマスナイトツアー №2 金谷の某所)

昨夜は女房とクリスマス恒例のナイトツアーに出掛けた。車の運転は息子が引受けてくれたので、車を降りてゆっくりとデジカメに収めてきた。昨日のブログからしばらくはこのナイトツアーの写真を使おう。

昨日、今年最後の出勤日となった。電話があって久しぶりに証券会社の支店長さん達が年末の挨拶に見えた。激動の経済や株式の話から、無力な政治の話になって、我々が非力でも声を上げなければ、この状況から抜け出せないのではないかという話になった。

不況を迎えると、大会社に勤めていた人がいきなりホームレスに直行してしまうような社会を、我々は目指して働いてきたわけではない。こんな経済や社会を胸を張って子や孫の世代に引き継ぐことは出来ないと思う。何とかしなければならない。

ところが、その役割を担うべき政治家たちの体たらくには目を覆いたくなる。衆参両院の逆転現象は声無き選挙民の、政治家に対する負託の一形態であった。衆議院で自民・公明の与党に多数を取らせ、参議院に民主党を中心とする野党に多数を取らせて、ねじれ現象といわれる微妙な状況を作った。与党の暴走を許さず、バランスの取れた政治を期待したはずだったと思う。

今の政治状況はこういう選挙民の負託はどこかへ飛んでしまい、近付く解散を睨んで政治がまさに政争の具に成り果てている。世界不況の波に翻弄される日本経済に、今こそ思い切った迅速な対策を打ち出すべき時であるにも関わらず、国民の負託に答えられていない。

こうなったら一度民主党に政権を渡してねじれ現象を解消した方が良いのかもしれないという話になった。しかし、民主党議員の政府与党の出す議案に対して、すべてに反対と発言する民主党議員を見ていると、党議で拘束されているとはいえ、自分の考えが発言できない哀れさを感じてしまう。民主党が政権を取り、その政策がそのまま実現することになったとき、自分の政治信条を殺して、今までのように民主党が一枚岩でおれるかと危惧される。

問題なのは、小選挙区制の中で政界が再編される際に、真ん中辺りの塊りが自民党を構成し、右と左が集まって民主党を結成したという点である。野党のうちは対立は表立ってはいないが、政権を取ると党内での対立がはっきりして、もう一度政界の再編が起きる可能性が高い。どちらにしても当分は政治にあまり大きな期待できないようだ。

夜のニュースによると、衆議院での民主党の解散要求決議案に、渡辺行革大臣が自民党から一人だけ賛成投票をしたとして、政界に波紋が広がっている。総理大臣を選ぶ際に党議拘束するのはやむを得ないと思うが、与野党とも、一つ一つの政策に党議拘束を掛けるのはおかしいと思う。血の通った議員が出て投票をして、与野党の議員数通りの投票結果になるならば、議会はいらないと思う。政治家であるならば、党議拘束に従うのではなくて、自分の政治信条に従うべきである。その点で渡辺喜美行革大臣に拍手を送りたい。
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明治の改暦、金谷宿の騒ぎ

(クリスマスナイトツアー №1 島田市某所)

この年末の忙しい時に、悠長な話題で申し訳ないが、今日は暦の話である。新しい明治の時代に、旧弊を廃止、世界標準に暦を合わせるという高い理想のもと、明治5年に太陰暦から太陽暦に暦が改められた。改暦に際して地方の金谷宿でどんな騒ぎがあったのか、「歳代記」にも少々であるが記事がある。以下書き下した記事を記す。

明治五(申)年秋より、風聞に、新暦に相改められると申す事にて、当(申)年までは大陰暦、明年より太陽暦と、いよいよ十一月二十五日に御布告、十二月は朔日二日を十二月一ヶ月と定め、三日は太陽暦一月一日と定め、にわかに正月元旦に相成り、すす払い致す家もあり、餅つきの家もあり、大騒ぎなり。

秋から噂があって暮れにはいきなり改暦と、準備期間もない突然の布告であった。「歳代記」には「11月25日に御布告」とあるが、実際には11月24日に布告が出ている。太政官布告も古文書の一つだから、判りやすく読み下して記すと、

明治十一月二十四日(※旧暦)太政官布告
今般、太陽暦を御頒行に付、来たる明治六年に限り、各地方において略歴版刻を差し許され候条、出版・販売致したき者は草稿をもってその管轄庁へ願い出で、許可を受けるべき事。但、略歴は御頒行太陽暦を標準と致すべし。
旧暦中、歳徳・金神・日の善悪を始め、中下段中掲載候不稽の説等を増補致し候儀、一切相成らず候。もっとも、世上の便利のため、時刻表等を加入候儀は苦しからず候事。

※「頒行」は、広く配布すること。頒布。
※「歳徳」は、陰陽道で、その年の福徳をつかさどると歳徳神がいる方角を示したもの。明きの方・恵方(えほう)といい、万事に吉という。年によって方角が違う。
※「金神(こんじん)」は、陰陽道で祭る方位の神。この神がいる方位に向かって土木を起こしたり、移転・旅立ち・嫁取りをしたりすることを忌む。
※「不稽の説」は、根拠のない、でたらめな説。
※「時刻表」は、時間と刻の対応表。たとえば「午前0時は子の刻 」など。

実際の改暦の太政官布告はその前、明治5年11月9日に詔書を引用する形式で出ている。この太政官布告は、現行の暦の根拠になる法律として、現在も生きている。詔書では太陽暦の正確さや便利さが述べられ、来る12月3日をもって太陽暦に移行する旨、述べられている。

明治政府が改暦を急いだのは台所事情があったようだ。まだ徴税制度も十分確立しておらず、新政府にはとにかくお金が無かった。公務員の給料を月給制にしたばかりで、翌年の明治6年は旧暦ではうるう年で、一年が13ヶ月ある。石高(年俸)なら変らないが、月給制だと1ヶ月余分に払わねばならない。このタイミングで太陽暦に移行すれば、翌年の1ヶ月は無くなり、さらに今年は11ヶ月分で済んでしまう。つまり2か月分の給料が節約できるわけである。

突然の変更に、すす払いや餅つき以外に、年末は掛売りの集金があったはずで、それが一ヶ月も早まれば大騒動だったはずなのだが、「歳代記」にはそのような記述が無い。おそらく、切替えたのは役人だけで、民間が切り替わるのは何年か時間が掛かったのだろうと思う。現代でもなお旧暦が習慣の中に残っているくらいだから。
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女房がギンナンにかぶれた

(裏の畑のブルーベリーの紅葉)

女房がギンナンにかぶれた。10日ほど前、紅葉の子角山で拾ってきたギンナンを水洗いしていて、かぶれてしまった。ギンナンの処理方法を教えてくれたOさんは、臭いが酷いから、必ずゴム手袋をはめて洗うようにしていると教えてくれた。ウルシのようにかぶれるとは聞かなかった。最初、二俣城址で拾った時は、教わった通りゴム手袋をして洗ったから問題なかった。今回少しだからと油断して素手で洗ったのが悪かった。濡れた手で顔を掻いたりしたから、手から顔から発疹が出て痒くてたまらないようだ。

月曜日に皮膚科に行った。最初原因が判らなくて、洗剤にかぶれたらしいと話したら、医者は「ギンナンでしょう。やられましたね」とうれしそうに言った。この季節ギンナンにかぶれる人が多いのだという。だから一目でそれと判る。商売繁盛で顔もほころぶわけか。塗り薬と飲み薬をくれたという。ネットで見ると効く薬はステロイド系のものしかないようだ。

イチョウの種皮(果肉のような部分)には、ウルシのかぶれ原因物質「ウルシオール」に似た性質の物質があって、ウルシにかぶれるのと同じようにかぶれるのだという。前もって知っておれば良かったが、事後にネットで学んだことである。まさに女房が素手で洗い流そうとした部分に、かぶれの原因物質があったのだ。知らないということは恐ろしいことである。

「かぶれる」という言葉を辞書で見ると、「漆や薬品などの刺激で皮膚が炎症を起こし、赤くかゆくなる」という、身体の「かぶれ」とは別に、「影響を強く受けて、その風(ふう)に染まる」という、心の「かぶれ」の意味がある。「西洋かぶれ」とか「新思想にかぶれる」というように使われる。心の「かぶれ」には「若気の至り」という形容が聞こえて来そうである。西洋に傾倒することを一生を通して貫いた人を、「西洋かぶれ」とはなかなか言いにくい。

世の中には色々な主義や思想があり、それぞれに美点と欠点がある。年長けてそのことを知れば、心の「かぶれ」からは覚めることが出来る。身体の「かぶれ」はかぶれの原因が判っても、すぐにさめるというわけにはいかない。女房は今朝も痒がって、かぶれが首から胸に降りてきたとうったえる。かぶれの経験のない自分にはどうも理解の外にある症状である。夜には顔の湿疹は収まってきたが、ノーメイクでは外に出られないという。

それでも、女房は、朝夕2度、帽子をかぶりマスクをして、怪しい姿でムサシの散歩には出掛けたらしい。
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読書の仕方

(下から見たシャコバサボテン)

若い人に読書の仕方を聞かれた。本離れが進んでいて、今、本の読み方を聞かれることなど、ほとんどない。だから驚いた。聞けば上司から本を読みなさいと勧められていたが、忙しくて時間が取れなかった。この不況に週休3日になってしまうから、時間が出来る。読書でも始めようかと思っているという。

万巻の書物というが、人が読める本は一年に100冊ぐらいとして、50年読んでも高々5000冊で、とても一万冊には届かない。だから精選して良い本を読みたいと思う。けれども興味の無い本を読むほど辛いことはない。長続きしない。

興味のある本を読むことである。本は買うとなればけっこう高いものである。だから、図書館の利用を勧める。最寄の図書館に行って、貸し出しのカードを作ってもらう。10冊前後、2週間ほど借りられるから、興味を引かれた本を手当たり次第に目一杯借りてくる。

少し読んでみて、興味がなければ放り出せばよい。10ページ読んで駄目なら、きっとその本は向かない。勢いが付いて一冊読んでしまったら、しめたものである。同じ著者の本はきっと読めるだろうから、続けて読んでみる。そんな風に自分のレパートリーを増やして行けばよい。

さて、本を読んでいて難しい言葉や読めない字が出てきたらどうするか。まじめな人は辞書を引いて調べないと先へ進めないと思うかもしれないが、思い切って飛ばす。場合によってはまとめて何ページか読み飛ばしてもよい。トルストイに「戦争と平和」という長編小説がある。戦争の場面と平和の場面が交互にあって、戦争の場面が読むのに苦痛だった。それで、学生の頃、戦争場面を飛ばして読んだ経験がある。

読書を勉強だと思っている人があって、読んでもすぐに忘れてしまうと嘆じる人がいる。読んだ内容をすべて憶えてしまう人がいることも確かだが、普通の人は忘れるように出来ているから、読んだ先からどんどん忘れる。忘れることは社会的な人間の防衛本能だと思う。すべてを憶えている人とは、付き合いたいとは思えないだろう。気にしないで、どんどん忘れることである。一度読んだ本を再び読むと、昔読んだことを必ず思い出すはずである。忘れているようで、決して100%忘れているわけではない。たとえ1%でも憶えていれば、それが教養として身に付いていく。

読書を続けておれば、文章を書こうとするとき、あるいは人の文章を読むとき、その文章の良し悪しの判断が出来て、実務に役立つようになる。人の話題に付いていけるようになる。さらには自分で話題をリードできるようになる。

ビジネスマンだからビジネス書しか読まないという人は、どんなに偉い人でも自分は信用しない。ビジネス書は所詮お金儲けの本だからである。お金儲けを否定するつもりは無いが、それしか考えないと、平気で偽装に手を貸すようなビジネスマンになってしまう。

本を読み終わったら、日付、書名、著者名などの記録をとって置くとよい。読書の励みになる。さあ、本を手に取ってみよう。
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