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「壺石文」 中 36 (旧)九月十九日~

(散歩道のネムノキの花)

「壺石文 中」の解読を続ける。

十九日、朝こゝを罷り申して、小舟に乗りて、山鳥の渡しを渡る。今日は波風も立たず、海の面、鏡の如し。とみこうみ(左見右見)、漕ぎゆくに、いと/\景色よし。北の方、沖遥かに真帆あげて、寄り来る大船もあり。向いの磯伝いして、魚採る海士(の)小舟も見えて、面白き景色、絵に描き取らまほし。よう/\岸に近くなるに、舟端に臨みて見れば、底の岩が根にひま(隙)も無く、鮑(あわび)つけり。真砂も玉藻も鮮やかに見ゆ。
※ 真帆(まほ)- 順風を受けて十分に張った帆。

鹿子(かこ)の言いけらく、このわたりの、今日のごとには、良き事は年のうちに幾日(いくか)もあらじ。いと良き日なりけり。祝い事し給えと言うなるを、舟こぞりて空耳に聞き流して、答(いら)えもせず。果てぬれば、人々名残り惜しげに顧みしつゝ、岸に登りぬ。
※ 鹿子(かこ)- ここでは、水主(かこ)のこと。船を操る人。船頭。
※ 祝い事し給え - 船頭が天候に恵まれたことについて、暗に御祝儀を求めたのであろう。舟客は、聞こえないふりをして無視した。


茶店に立ち寄りて、珍(めずら)かなれば、ほやと云うもの乞い出でて、喰いつゝ茶飲む。土佐日記にほやのいずし(飯酢)と見えたれば、鮓(すし)ならんと思いしを、漬けたるにて、いと塩はやし。粟飯にて作りたる餅飯(もちい)の如く、黄にして柔らかなり。生けるは如何なるさまぞ。有りなば見せてよといへば、有らず、貝つものなりとぞ答(いら)う。
※ いずし(飯酢)- 魚とダイコン・ニンジンなどの野菜類を麴・飯とともに漬けた食品。
※ 塩はやし(しおはやし)- 塩がきつい。塩っ辛い。
※ 貝つもの(かいつもの)-(「つ」は、名詞、形容詞の語幹に付いて、所有・所属などの意を表す。)貝の仲間の物。


時移るまで、煙(けぶり)吹きつゝ眺め居て、飽く時なければ、また顧みしつゝ、手向け(峠)に登り、鳥居のもとの芝生に伏して、なお見やるも乗る
※ 乗る(のる)- 道に沿って行く。

夕つ方、小渕浦に着きて宿りぬ。あるじを兵蔵と云い、家刀自(いえとうじ)を松子と云い、娘を篠子と云いて、網引き、釣りする村君なりけり。こゝも世離れたる海づらにて、小家がちなれど、大船寄り来る湊なれば、人目も繁く見えて、寂しげにもあらず。
※ 網引き(あびき)- 網をひいて魚をとること。
※ 村君(むらぎみ)-(漁父、漁翁とも書く)漁民の長。


ここに宿り居て、あるじの乞うまゝに絵描きて与えければ、愛(め)でのゝしりて、秘め置きて、訪いくる人毎に取(と)う出て見すめり。ほとりの人々、屏風、襖など様のもの、よう/\に持て来てぞ乞うなる。こを描(か)い遊(すさ)びて、少しくしぬる時は、遠近(おちこち)の浦山に登り、磯伝いして見巡る。いと面白し。
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「壺石文」 中 35 (旧)九月十七日、十八日

(散歩道のヒメヒオウギズイセン)

ムサシの散歩の距離が段々少なくなって、運動不足を感じて、午後、デジカメを持って、近所周りを少し歩いた。その折り、土手でヒメヒオウギズイセンを撮った。

「壺石文 中」を読み終えた。ブログではもうしばらく掛かる。続いて「壺石文 下」を読んでしまおうと思っている。

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「壺石文 中」の解読を続ける。

十七日、昨日描い認(したた)めて進(まいら)せたる山の写し絵持て来て、かしこをしかじか、こゝをかく描い直して給いてよと云うまゝに、また改め描いて進(まいら)すれば、いと好う、似通いたりと、愛(め)ののしりて、取りて秘め置くめり。
※ ののしる - 声高に言う。

十八日、なお同じ客居(まろうどい)の方に、独りつれづれと居て、少し(くぐ)ぬる心地すれば、山に登りて詠める長歌、
※ 屈ぬる(くぐぬる)- 気がめいる。

  塩箇の おぢ(老翁)ちう(という)神の 作らしし まなしかたま
  小舟にし 乗りて描きぬと 思うまで あやにかしこき
  海原の 中に包みて 波の咲く 黄金の花の
  山の辺に しみさび立てる 大木小木(おおきこき) しもと押し分け
  畳なわる 五百(いお)岩群(いわむら)を さくみつゝ 牡鹿腹這う
  谷や渓(たに) や尾(を)越えて 雲霧の 中にさまよい
  岩波の 音を畏こみ 足曳の 山より山に
  山巡り ふりさけ見れば 青雲の 棚引く限り
  白雲の 向伏す極み わたつみの 波より外の
  物もなく 高天原も 海原も 一色にぞ
  おほほしく 紛える見れば 空(に)満つ やまと島根
  くぬちかこゝも
※ 塩箇(しおしか?)-(固有名詞?)金華山黄金山神社の由緒に、天平勝宝2年、牡鹿連宮麿等が神社を創建したとある。「塩箇」はこの「牡鹿」のことか?
※ まなしかたま(無目籠)- 目を細かくかたく編んだ竹かご。上代 の舟の一種ともいう。
※ あやにかしこき - 畏れ多いことである。
※ しみさぶ(茂みさぶ)- こんもりと茂る。草木が繁茂する。
※ しもと(細枝)- 細長く伸びた若い木の枝。
※ 畳なわる(たたなわる)- 幾重にも重なる。
※ 五百(いお)- 数の多いこと。
※ さくむ - 岩や木の間を押し分け、踏み分けて行く。
※ 尾(お)- 山裾の、なだらかに延びた部分。「山の尾」
※ 岩波(いわなみ)- 岩に打ち寄せる波。
※ 足曳の(れい)- 「山」や「峰」に掛かる枕詞。
※ ふりさけ見れば - 振り仰いで見ると。
※ 向伏す極み(むかふすきわみ)- 彼方に横たはる究極。
※ わたつみ(海神)- 日本神話の海の神のこと。転じて海・海原そのものを指す場合もある。
※ おほほし - ぼんやりしている。おぼろげだ。
※ やまと島根(やまとしまね)- 日本国の別名。
※ くちぬ(国内)- 国の内。こくない。


     反歌
   夕づく日 差しくる塩に 光り合いて
        黄金花咲く 波の花咲く

※ 夕づく日(ゆうづくひ)- 夕方の日光。夕日。


読書:「童話 そよそよ族伝説 3.浮島の都」別役実 著
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「壺石文」 中 34 (旧)九月十五日(つづき)、十六日

(裏の畑の雨後のアジサイ)

アジサイには雨が似合う。けれども、なかなか雨のアジサイを撮る機会がなかった。今日、小雨の止んだ時をねらって撮影した。

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「壺石文 中」の解読を続ける。

水晶石、黄金石など云いて、おどろ/\しく高く大なる巌(いわお)も有り。また千畳敷、やぐら岩など云いて、平らかにて、いと広らなるも、高く聳え立てるもあり。こちごちに名前多かり。奥の院と云う所は、南の方と思(おぼ)しき切り岸にて、畳なわれる岩の中を分けつゝ下り/\て拝むめり。若人どもは、とこうして下りて額(ぬか)づくめれど、老人は危うしと思いなりて、岸の芝生につい居てぞ、物しける。
※ 切り岸(きりぎし)- 切り立った崖。絶壁。断崖。
※ 畳なわる(たたなわる)- 重なり合って連なる。
※ つい居る(ついいる)- かしこまって座る。(続く「物しける」は額づくこと。)


巡り巡りて、寺に帰りぬる頃は、酉の降ちばかりなりけり。客居の方に誘いて、僧俗出でて(あるじ)。日一日、山路を行き巡りぬれば、甚(いた)困じにたれど、湯あみしければ、足のたゆきをも忘れて、庭に降り立ちて見やるに、望月の光華やかに、海に映りたる景色言わん方なし。
※ 酉の降ち(とりのくだち)- 午後6時~7時ごろ。
※ 客居(まろうどい)- 客を通す座敷。客間。
※ 饗す(あるじす)- 客をもてなす。御馳走する。
※ 困ず(こうず)- 非常に疲れる。
※ たゆき(弛き)- 疲れて力がないこと。だるさ。


十六日、寺の事、取り賄う武士(もののふ)ならん、四十ばかりなる男(おのこ)自重なりける、出で来て、物(う)け給わる、画描い給う人や坐(おわ)する、いかで向山の方、写し取りて給いてよと乞うまゝに、肯(うべな)いて、北面の格子まばらに見渡し、爽(さわ)らかなる(つぼね)に誘われて、硯に向いて見つゝ、描い認む。あるじの大徳の前に持て出で、とこう論(あげつ)ろうめり。
※ 自重(じちょう)- 言動を慎んで、軽はずみなことをしないこと。
※ 局(つぼね)- 大きな建物の中を臨時に仕切ってつくった部屋。


夕づけて、かの竹本と共に渚に降り立ち、磯伝いして遊ぶ。日にかげろいて岸根の巌も、真砂路も、きら/\と光渡りて、並べて黄金の山と見ゆ。
※ 夕づく(ゆうづく)- 夕方になる。日暮れに近づく。
※ かげろう - 光がほのめく。ひらめく。ちらちらする。


   並べて世の 海辺には似ず 陸奥(みちのく)
        黄金花咲く 山のみる芽

※ みる芽(みるめ)- 若くて柔らかい新芽。

夜になりて、竹本男(おのこ)三つの小琴を調べ整えて、声甚(いと)う繕いてぞ語りける。寺の内、挙りて聞くめり。甚(いと)更かしてぬ。
※ 三つの小琴(みつのこごと)- 三味線のことか?
※ 更かす(ふかす)- 夜遅くまで起きている。夜ふかしをする。


読書:「絵巻寿司 隠密味見方同心七」風野真知雄 著
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「壺石文」 中 33 (旧)九月十五日

(散歩道のひまわり)

あちこちにひまわりの花を見るようになった。この頃は丈の小さい花がほとんどである。

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「壺石文 中」の解読を続ける。

十五日、暁かけて雨そぼ降り出づ。かくては今日も如何にかあらんと、人々危うがるほどに、朝になりて止みにけり。急ぎ立て来て見れば、海の面、鏡の如し。岸に立ちて、向うより人渡し来る小舟を、待ち取りて込み乗る。
※ そほ降る(そほふる)- 小雨がしとしと降る。雨が静かに降る。

磯の岩、波高く打ち寄せて、いと恐ろし。かろうじて漕ぎ出でぬるに、海中(わだなか)はなか/\なりけり。されど、習わぬげにや、気上がる心地して胸潰るめり。人々も辛さ青になりて、物をも言わずうつ伏し臥しぬ。
※ 習う(ならう)- 経験を積んで、なれる。
※ 気上がる(けあがる)- のぼせる。上気する。
※ 胸潰る(むねつぶる)- 胸がしめつけられる。どきどきする。はらはらする。


彼方の岸の近くなるまゝに、やおらづゝ頭(かしら)もたげ、身動(みじろ)ぎして息出づ。時の間なれど、八十日も経ぬる心地せられて待わびぬ。果てぬる磯辺は、波もこよのう平らかなりければ、すこし心安(うらや)すげなりき。
※ やおら - ゆっくりと動作を起こすさま。おもむろに。
※ 時の間(ときのま)- ほんの少しのあいだ。つかのま。


いと高き岸の半らばかり登り来るほどは、なお胸走りて汗あゆる心地すれば、しばし憩い居て顧みするに、青波、白雲に紛(まが)いて、遠方には眉引きばかりの山も無く、高天原も、海原も一つになりてあらぬ世界と見ゆ。
※ 半ら(なから)- およそ半分。なかば。
※ 胸走り(むねはしり)- 胸がどきどきすること。
※ あゆ(落ゆ)-(汗などが)したたり流れる。
※ 眉引き(まよびき)- 眉墨で眉をかくこと。また、かいた眉。
※ あらぬ - ほかの。別の。


寺に詣でて案内(あない)の童(わらわ)を雇いて山巡りす。三十六里(20キロほど)ばかり有るとぞ云うなる。岩角高く、苔滑らかに、真柴生い繁りたる谷に降り、峰に登り、木の根、岩が根に登り付きて、伝いす。四方の海に臨み、島山を見下げて、面白き景色など云うは、世の常の所をこそ。こゝはただ蓬ヶ島かと覚ゆばかりなりけり。
※ 岨(そば)- 山の崖が切りたってけわしいところ。絶壁。
※ 蓬ヶ島(よもぎがしま)- 蓬莱山のこと。中国の神仙思想に説かれる三神山の一。山東半島の東方海上にあり、不老不死の薬を持つ仙人が住む山と考えられていた。


   雲に入り 波に(かづ)て 取りてみん
        老いず死なずの 薬もぞある

※ 潜く(かづく)- 水中にもぐる。


読書:「鵺の闇鍋 隠密味見方同心六」風野真知雄 著
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「壺石文」 中 32 (旧)九月十四日

(庭のデュランタ・タカラヅカ)

今年も庭のデュランタ・タカラヅカが花を付けている。剪定の時期を誤ると、花が見れないが、今年は何とか花が見られた。

今夜、将棋の藤井聡太四段、14歳が、プロデビュー以来、公式戦、負けなしの29連勝を上げて、神谷広志八段が1987年に達成した、公式戦連勝記録の28を30年ぶりに塗り替えた。将棋界は今や大フィーバーである。最近、スポーツ界を始めとして、10代の人達が大活躍している。彼らのどんな舞台でも物おじしない姿は、日本人のDNAが大きく進化を遂げたのではないかと、思われるほどである。注目して行こうと思う。

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「壺石文 中」の解読を続ける。

十四日、大原給分十八成(クグナリ)浜鮎川など云う浜を経て、山雉(ヤマドリ)渡に至る。青波騒ぐ切り岸に、唯一つの店ありて、物売るあり。すのこに尻掛けて、煙り吹きつゝ見れば、旅人一、二人来居たり。波風も立たで、いと良き折りなりけりな。今渡してんと、楫取りだつ男の言えば、いと嬉しくて暫し待つほどに、俄かに北風吹き出でゝ、浪立ち騒ぐ気色(様子)、見るも恐ろし。
※ 大原(おおはら)- 大原浜。現、石巻市大原浜。
※ 給分(きゅうぶん)- 給分浜。現、石巻市給分浜。
※ 十八成(くぐなり)浜 - 現、石巻市十八成浜。
※ 鮎川(あゆかわ)- 鮎川浜。現、石巻市鮎川浜。
※ 山雉(ヤマドリ)渡 - 牡鹿半島から金華山に渡る渡し場があった。
※ だつ(だつ)- そのようなようすを帯びる。


かくては不用なりと言い/\て、楫取りら三、四人団居(まどい)して酒のむめり。こゝにて宿すやと問えば、否とよ、鮎川まで帰りてよと教うれば、せんすべ無くて、立ち帰りて宿りにけり。浄瑠璃と云うもの語りて、浮き世渡らう京人、竹本の某と云う若人(わこうど)と、諸ともに物語りして宿る。この家も磯際にありて、砌のもとまで荒波寄せ来なり。

明かり障子の一重ばかりを隔てにて、戸も鎖(さ)さざりければ、そゞろ寒きに、薄きふすまの垢じみたる一つばかりを、添い臥しの妻と頼むも、あわれなりける旅寝なりけり。折々寝覚めせられて、ゆまりがてら月を見て、
※ 明かり障子(あかりしょうじ)- 木の枠の片面に和紙を 張った、採光のできる障子。今は「障子」と云えばこれを示す。
※ そぞろ寒し(そぞろさむし)- なんとなく寒い。
※ ふすま(衾)- 身体の上にかける寝具。木綿・麻などで縫い、普通は長方形であるが、袖や襟を付けたものもある。現在のかけぶとんの役割をした。
※ 添い臥し(そいぶし)- 添い寝。
※ ゆまり(尿)- 小便。


   網引き(あびき)する 海士(あま)の苫屋に 旅寝して
        波の寄る/\ 月を見るかな
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「壺石文」 中 31 (旧)九月十三日(つづき)

(15歳を過ぎたムサシ)

久し振りに、ムサシの写真である。シャンプーに行ってきた直後で、若々しくみえるが、4月には15歳になり、りっぱな老犬である。

今日、静岡県の知事選挙の投票日であった。開票結果は、川勝知事の続投となった。投票率46.44%。しかし、対抗馬が実力不足だっただけで、川勝知事が県民に好かれているとはとても思えない結果であった。日頃、静岡市長などと、子供の喧嘩のような、理由のよく判らない反対があったりして、言動に納得行かないことがあることを、県民はよく見ている。

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「壺石文 中」の解読を続ける。

今宵は十三夜なれば、月の宴の心ばえにて、我も些(いささ)物せんと言えば、また汲み出だせり。気色ばかり飲みてみるに、濁りたるが味わい悪しく、香さえ言い知らず立ち添いて、鼻も口も耐え難かりければ、止めてけり。傍ら目に惜しと思うめりと見取りて、即ち、譲り与うれば、かの男、微笑みて、金椀(かなまり)を頂き(頭上)に奉げ/\、飲み/\て罷りぬ。
※ 心ばえ(こころばえ)- おもむき。味わい。風情。
※ 物せん(ものせん)-(ここで「物す」は酒を飲む事)酒を飲もう。
※ 気色ばかり(けしきばかり)- ほんのわずか。
※ 言い知らず(いいしらず)-(言いようのないほど)ひどく。
※ 立ち添う(たちそう)- 他の物がつけ加わる。
※ 傍ら目(かたわらめ)- 傍らから見える姿。
※ 惜し(あたらし)- もったいない。


門の戸の浜に立ち出でて見れば、月中空(なかぞら)に澄み渡りて、きら/\と波に映ろう光、面白きものから、凄まじき心地ぞせらるゝ。渚近くかもめ群れ来て魚を喰いつゝ遊ぶさまなど、様変わりて珍しき見物なりけり。
※ 凄まじい(すさまじい)- 恐ろしい。ものすごい。

   隈もなく 波に映ろう 中空の
        月に数来て 遊ぶ水鳥


この浜はひた猛し海士の苫屋、わずかに二十(はたち)ばかり、よろぼい立ちて、寂しげなる里なりけり。言問い交わすべき人影も見えざれば、あいなく覚えて、眺め捨てゝ、宿りに入りて臥す。
※ ひた(直)- ひたすら。いちずに。
※ 苫屋(とまや)- 苫で屋根を葺いた、粗末な家。(「苫」は菅や茅などを粗く編んだむしろ。)
※ あいなし - つまらない。おもしろくない。
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「壺石文」 中 30 (旧)九月十三日

(散歩道のカンナ)

ムサシの散歩道、先の大雨で流れが戻った大代川に、カジカカエルが鳴いていた。遠くにはウグイスの声も聞こえる。カワセミにも時々出会う。国一と新東名に挟まった日本の大動脈に近い当地であるが、だんだん野生の勢いが増してきたような気がする。日本の田舎では、人口減に伴い野生の逆襲が始まっているのかもしれない。

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「壺石文 中」の解読を続ける。

(十三日)、明るを遅しと待ち取りて立出づ。海沿いの松の林の中なる真砂路を行き/\て、渡ノ波(ワタノハ)という浦に出で、江を渡りて、岩井田という処より山路に入る。小笹、真柴のみ生しげりて、松、杉などはなくて、岩角こゞしき道なり。
※ 待ち取る(まちとる)- 待ち構える。
※ 渡ノ波(わたのは)- 現、宮城県石巻市渡波。
※ 岩井田(いわいだ)- 現、石巻市渡波祝田。
※ 真柴(ましば)- 柴の美称。
※ こごし -(岩が)ごつごつと重なって険しい。


行き交う人目も見えず寂しげなれど、みぎり(右)に、左に、前に、後(しりえ)に海を見下ろして、景色こよなし。いと甚(いと)高じぬれば、とある岩陰に憩いて煙(けぶ)り吹きつゝ、うつぶし臥して微睡(まどろ)みぬ。驚きて日影を見れば、時移りぬ。心慌ただしくなりぬ。急ぎて往ぬ
※ 人目(ひとめ)- 人の出入り。人の 往来。
※ 高じぬ(こうじぬ)- 程度がはなはだしくなる。
※ 驚く(おどろく)- 目がさめる。
※ 往ぬ(いぬ)- 去る。


往ぬるほどに、蛤濱より桃ノ浦と云う所に出でぬ。幼けなかりし時、宵団居の添い寝に、乳母(めのと)らが物語りける猿ヶ嶋の敵討ちとか云いし、古言に似通いたる処かなと、ふと思い出られてをかしかし。
※ 蛤濱(はまぐりはま)- 現、石巻市桃浦蛤浜。
※ 桃ノ浦(もものうら)- 現、石巻市桃浦。
※ 幼けなし(いわけなし)- 幼い。子供っぽい。あどけない。
※ 宵団居(よいまどい)- 夜の団らん。
※ 猿ヶ嶋の敵討ち(さるがしまのかたきうち)-「猿蟹合戦」の異伝。
※ 古言(ふること)- 昔話。


荻ノ濱小積濱と云うを経て、小網倉という濱に宿りぬ。海士(あま)ならんかし、辺り(ほとり)むくつけ(おのこ)入り来て、酒乞うめり。主の女(おむな)しわぶきを先に立てゝ、しぶ/\にすのこに降りて、汲み持て与うれば、かの男(おのこ)嬉しげに片笑みて、大なるかなまりに注(つ)ぎてかかのむ
※ 荻ノ濱(おぎのはま)- 現、石巻市荻浜。
※ 小積濱(こづみはま)- 現、石巻市小積浜。
※ 小網倉(こあみくら)という濱 - 現、石巻市小網倉浜。
※ むくつけ - 無骨 (ぶこつ) で荒々しいさま。
※ しわぶき - わざとせきをすること。せきばらい。
※ かなまり(金椀)- 金属製の椀 (わん) 。
※ かかのむ - ごくごくと音を立てて飲む。


読書:「希望荘」宮部みゆき 著
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「壺石文」 中 29 (旧)九月十一日(つづき)、十二日

(散歩道のアガパンサス)

今年もあちらこちらでアガパンサスが咲き出した。けっこう強い花である。

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「壺石文 中」の解読を続ける。

黄昏時にたどりつゝ、富山に登りて宿りぬ。主の大徳(だいとこ)、目はかたわにて、空目(上目)がちなれど、心は真(まこと)にて情けあり。
※ 富山(とみやま)- 松島を見晴らす標高116.8mの山。別名を「麗観」という。山頂には坂上田村麻呂が創建したという観音堂(富山観音)がある。宿った寺は大仰寺と思われる。

行き止まるをぞ宿と定むめる法師ばら二人来居て、東だみたる声遣いにて、共に物語す。諸ともに庭に降り立ちて眺めやるに、十一日の月、澄み渡りて海の面(おもて)いと清らなり。御山下ろしの冷やかなりければ、折々寺に入りて、柴火焚く。
※ ばら(輩、原)- 人を表す語に付いて、複数の意を表す。
※ 東だみたる(あずまだみたる)- あずまなまりの。(「東訛り」は東国地方の言葉のなまり。京言葉に比べて下品とされた)
※ 声遣い(こわづかい)- 声の出し方。物の言い方。口調。
※ 折々(おりおり)- 次第に。だんだん。
※ 柴火(しばび)- 柴を集めて焚く火。


十二日、暁に起きてもまづ庭に降り立ちて、とみこうみ見廻らせば、西の方遥かに、白う雪の降り積りたる山見ゆ。かれは何処ぞと問えば、最上わたりならんとぞ答(いら)うなる。
※ とみこうみ(左見右見)- あっちを見たり、こっちを見たりすること。また、あちこち様子をうかがうこと。

罷り申して、田づらの道を分けて、大路に出でゝ、小野矢本など云う町を経て、石ノ巻と云う湊に至り、新田と云う所に江(こう)を渡り来て宿りぬ。
※ 小野、矢本 - いずれも、現、東松島市の小野、矢本。

この家は田づらの磯際にて、楫(かじ)の音、波の声、枕に響きて耳かしがましきに、かたい法師、優婆塞(うばそく)放下師、陰陽師(おんみょうじ)、女、童べどもなど、廿人ばかり枕上(まくらがみ)に囲み居て、せうさい掛けさらぼいたる被布(ひきれ)様の物に俯(うつぶ)せつゝ、何やかやと言いしらうさま、いち/\むくつけし
※ かしがまし -(音や声が)大きくてやかましい。かしましい。
※ かたい法師(乞食法師)- こじき坊主。
※ 放下師(ほうかし)- 江戸時代に現れた、田楽から転化した大道芸を行なう者。曲芸や手品を演じ、小切子(こきりこ)を鳴らしながら小歌などをうたったもの。
※ せうさい - 不明。衣の一種と思われるが?
※ 掛けさらぼいたる(かけさらぼいたる)- 掛けてみすぼらしくなる。
※ 被布(ひきれ)- ひふ。着物の上に羽織る上着の一種。
※ しらう(れい)- 互いに(言い)合う。
※ むくつけし - 無骨だ。むさくるしい。無風流だ。


かゝる世離れたる海づらなれば、ようせずは白波などもたち混じりてんと思(おぼ)ほえて、微睡(まどろ)まれずなん。
※ ようせずは(能うせずは)- 悪くすると。ひょっとすると。
※ 露(つゆ)- 少しも。夢にも。(下に打ち消しの語を伴って、打ち消しを強調。)
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「壺石文」 中 28 (旧)九月四日、五日~、九日、十日、十一日

(庭の隅のサカキの花)

神棚用に一本植わっている、サカキの花を初めて見た。毎年咲いているはずだが、注意して見ることがなかった。

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「壺石文 中」の解読を続ける。

四日、来るつ(来たる)十七日は東照大御神(おおんかみ)の御祭りなりとぞ云うなる。その試楽、例(たぐい)ある技とて、昨日今日すめり。国分町と云う処に出でゝ見もて行くに、おどろ/\しう、高き屋形に、色々の人形(ひとがた)立てて、後に、錦に装束きたる、おかしき様々(ようよう)の見ものなりけり。
※ 試楽(しがく)- 公事・祭礼などに行われる舞楽の予行演習。
※ 屋形(やがた)- 仮にこしらえた家。
※ 装束きたる(そうぞきたる)- 着飾った。


五日、光明山孝勝寺の丹後ノ局の御霊屋に詣づ。
※ 御霊屋(みたまや)- 先祖の霊や貴人の霊を祭っておく建物。霊廟。

   千代かけて 朽ちぬなよ竹 若竹を
        おふしたてたる 蔭も見えつゝ

※ なよ竹(なよたけ)- 細くてしなやかな竹。
※ おふしたてたる -(意味不明)「ふし」は竹の節を示しているのだろうか。


躑躅岡の神明宮の神主、菊田ノ求馬師也と云う人を訪らいて物語りす。
※ 躑躅岡(つつじがおか)- 仙台市宮城野区にある歌枕の地。

九日、事もなし。

十日、晴れみ曇りみ、定めなき空の景色に、躊躇(ためら)いて、辰の降ちばかりならんかし。こゝを発ちて桜の馬場に出づ。このわたり、古しえのつつじの岡なりとぞ云うなる。十八里ばかり山路を来て青麻宮というに詣づ。神主鈴木ノ対馬と云うを訪らいて宿る。
※ 辰の降ち(たつのくだち)- 辰の刻の終り頃。現在の、朝の9時近くの時刻。
※ 桜の馬場(さくらのばば)- 躑躅岡に仙台藩主伊達綱村が開設した馬場。桜を植えて、領民に開放した。
※ 青麻宮(あおそぐう)- 仙台市宮城野区にある青麻神社。


(十一日)、つとめて(早朝)起きて、主の乞うまゝに画かきて与えて、日出て後、こゝを発ちて、六、七里山路を来て、利苻(リフ)と云う宿に至り、古しえの十符(とふ)の里なりとぞ云うなる。十、七八里ばかり来て、松島に至り、さいつごろ宿りたる家に立ち寄りて、南面の簀の子に尻掛けて、煙吹きつゝとばかり眺む。
※ 利苻(りふ)- 宮城県の中部に位置する、現、宮城郡利府町。
※ さいつごろ(先つ頃)- さきごろ。先日。
※ とばかり - ちょっとの間。しばらくの間。


   二夜寝て 飽かず別れし 松島は
        今日来て見れど 珍しきかな


   今日も飽かで 別れ行けども 色変えず
        待つ
(松)てふ(という)島の 頼まるゝかな


読書:「アンカー」 今野敏 著
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「壺石文」 中 27 (旧)九月二日(つづき)、三日

(午前中、大雨の降る庭。植物の喜ぶ様子が見えるようだ。)

朝から夕方まで大雨。梅雨入りして初めての雨である。小河川があふれるほどの雨量だったが、大事に至らずに済んだ。

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「壺石文 中」の解読を続ける。

されど遠き国より、かく振り延へて物してけるを、ただ、やはあるべきと、とこう躊躇(ためら)いて書い付けける詞、
※ 振り延へて(ふりはえて)- ことさら。わざわざ。
※ 猶(なお)- 現にある物事に付け加えるべきものがあるさま。


  灯火(ともしび)もと暗し、とかや云うめる諺(ことわざ)宜なりけり。
  我が朝庭(廷)六十余州に似なき景色なりけりと、昔より
  名立たる塩釜、松島も、かしこにて近く見るには、搔い撫で
  なりけるを、こゝにて遠く見探れば、こよなかりけり
※ 宜なり(うべなり)- れい。
※ 搔い撫で(かいなで)- ありきたりのもの。とおり一遍なこと。
※ こよなかりけり - 格別に優れている。


    陸奥は いづこはあれど 松島の
         島の八十島 磯の崎々


  須磨も明石も、三穂も清見も、ここもとに並べては
  気圧されなましとさえ、思うばかりの眺めなりけり。
※ 気圧される(けおされる)- 相手の勢いに押される。精神的に圧倒される。

江戸人、狩野ノ法橋晨信と云う、来逢いて、共に物語りす。主の大徳(おおとこ)迎え入れて乞うまゝに、絵描(か)い遊(すさ)びて、夕つ方松島に帰りぬ。
※ 大徳(だいとこ)- 僧侶。法師。

三日、朝疾く起きて見渡すに、波風立たず。海のおもて、いと長閑(のどか)なり。

   松島や 朝目よく見て 想うかな
        月、雪、時雨 夕立の空

※ 朝目(あさめ)- 朝の見たときの印象。

雄島に這い渡りて、その上、唐国より詣で来たりける寧一山とか云える僧が書けりと云うなる石文(碑)を見るに、いと大なる物、唐文字様、細やかに数々ありて、けじめ(区別)定かならず。(元の僧、寧一山、正安元年に来朝、文保元年に寂。)
※ 寧一山(ねいいっさん)- 一山一寧。中国台州(浙江省)出身の臨済宗の僧。建長寺・円覚寺・南禅寺に歴住。五山文学隆盛の糸口を作った。一山国師。

日やゝ差し登りて後、宿りける家の前より小船に乗りて、塩釜にぞ渡る。波路の景色言わん方なく面白し。追いて良き程に吹くに、筵帆挙げて行く。見る目の珍しければ、飽かぬ心地するほどに、舟果てぬ。
※ 筵帆(むしろぼ)- わら・藺草などを編んだ筵をつなぎ合わせた帆。木綿帆が普及する江戸時代以前では、和船の帆はこれが主に用いられた。

梶取り、物のあわれを知れるようにて、漕ぐ来る島々、崎々はさらにも言わず、遠方の山々などをさえに、目の及ぶ限りは、指して名所(などころ)を教えたりき。籬ヶ島の間近き岸より、岡辺に登りて、顧みしつゝ町家に出づ。今日も阿部氏と藤塚氏とを訪らいけるに、在らざるければ、え会わで、仙台にぞ帰りける。


読書:「白い標的 南アルプス山岳救助隊K-9」樋口明雄 著
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