平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「天明年中叓」を読む 43
夕方、散歩。出掛けるというと、女房もついて来た。新東名の北の辺りまで歩いた。
明日より消費税が10%になる。しかし、前もって買って置いたのは、プリンターのインクだけであった。年寄りには明日のために買い置くようなものがない。
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「天明年中叓」の解読を続ける。「申し渡し覚え」の項の続き。
留役勘弁
長瀧四郎右衛門
その方、実方兄、土山惣次郎、当九月十六日夜、出奔致し、同人娘ちよ、幼年の節、病死致し候処、届けも改めず候間、その方親類書にも、娘壱人と書出し置き、惣次郎親類書に、娘両人とこれ有り候とて、拾五才の娘、八才の娘、両人とも、惣次郎召し連れ、夜中裏木戸明け、忍び出候趣、相達しの儀、取り扱い申し出候段、不埒(ふらち)の義に候。仍って御役を召し放ち、小普請入り、逼塞(ひっそく)を仰せ付け候ものなり。
右今晩、評定所において、大目付牧野大隅守申し渡し、
奉行山村信濃守、御目付井上助之進、立ち合い。
※ 留役(とめやく)➜ 評定所の書記官で、勘定所から出向した役人の勘定がこの任に就いた。
※ 勘弁(かんべん)➜ やりくりすること。算段。
御小姓
安井兵庫頭
父豊前守、不埒(ふらち)の儀、これ有り候に付、御咎め
仰せ付けられ候。これにより、その方儀、御小姓御免、寄り合い仰せ付けられ候事。
但し、差し扣え相調い候間、指措(さしおき)候様、申し聞かす。
右太田備中守において、申し渡すに当り、若年寄列座、
御目付、曲渕勝次郎、牧野織部申し渡す。
※ 列座(れつざ)➜ 座につらなること。列席。
御勘定奉行
桑原伊予守
その方儀、先だって御吟味の儀、申し立て候、飛脚問屋孫兵衛、御買い上げ米一件の儀、この度、御詮義の上、それぞれ御仕置き仰せ付けられ候事に付、右一件は、松平伊豆守、赤井
豊前守掛りにて、取り極め伺い候儀に候えども、その後、吟味、評義の儀、申し立て候巨細に精を入れ糺し候程に候わば、自(おの)ずから不審も起り、申さざる処、豊前守相糺し置き候に、なづみ候儀相聞こえ候。再応打ち合わせ、評義申し渡し、その詮義これ無き次第、不念(ぶねん)の義に候。その後、如何(いかが)と心付候を、吟味の儀申し立て候儀、引受人身元、株式などの糺す義、追々取り調べ候て、自ずから手間取り候趣は、強(しい)て不束(ふつつか)成る程の次第にも聞こえず候えども、第一、最初評義にかかり候節、不意にて、何(いず)れも等閑(なおざり)成る儀に候。これにより差し扣(ひか)え仰せ付けらる。
※ 巨細(こさい)➜ 細かく詳しいこと。委細。
※ なずむ(泥む)➜ 進行がさまたげられる。とどこおる。
※ 不念(ぶねん)➜ 注意が足りないこと。考えが足りないこと。不注意。
※ 不意(ふい)➜ うっかりしていること。不覚。
※ 差し扣え(さしひかえ)➜ 江戸時代、武士や公家に科せられた制裁。勤仕より離れ、自家に引きこもって謹慎する。
(「申し渡し覚え」の項つづく)
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「天明年中叓」を読む 42
別名「明月草」という。こちらの名前の方が、余程立派に聞こえる。何しろ牧野富太郎博士の命名というから。当地では、白い花は回りにいっぱい咲いているが、赤い花は散歩の土手道、一ヶ所だけである。
午前中、金谷宿の講座による、みんくる(金谷公民館)の掃除。
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「天明年中叓」の解読を続ける。
申し渡し覚え
赤井豊前守
その方儀、御勘定奉行相勤め候節、御勘定与頭(よがしら)土山惣次郎へ任せ申す旨、越後米御買い上げ御用、石田儀右衛門へ申し渡し、同国御代官へ、御預け所より代金相渡すべき旨、申し渡し、義(儀)右衛門へ印鑑渡し遣わし、右躰、大金取り扱い候義、先格もこれ無き処、御普請役石田義右衛門、壱人へ申し付け候故、惣次郎と申し合わせ、御買米金の内、掠(かす)め取り、その上、飛脚問屋孫兵衛外弐人、引き受け、北国米御蔵収め致すべき旨申す義、御前貸金引き当てのため、当問屋株式御金へ書き出し候えども、株式の儀は、聢(しか)と取り極め候金高には、相聞かず候処、証拠取り用(もち)う。殊に京都に所持の屋鋪沽券金高など、得と糺(ただ)しも致さず、身元丈夫なりものと申し立て、御前借金、多分に金子相渡し候。かつまた勝手向き家来に任せ置き、不如意に成り候て、惣次郎弟(四郎)右衛門、貪(むさぼ)り取り候金子の内、借り受け候儀も、能く達し致さざる段、不埒(ふらち)の至りに候。これにより、半知召し上げられ、小普請入り、逼塞(ひっそく)仰せ付けらるものなり。
※ 与頭(よがしら)➜ 「くみがしら」とも読む。組頭。
※ 躰(てい)➜ 姿。ようす。ありさま。
※ 先格(せんかく)➜ 前例となる格式。前からのしきたり。以前からのきまり。先例。
※ 沽券(こけん)➜ 土地・山林・家屋などの売り渡しの証文。沽却状。沽券状。
※ 丈夫(じょうぶ)➜ 確かなさま。確実。
※ 不如意(ふにょい)➜ 経済的に苦しいこと。
※ 不埒(ふらち)➜ 道理にはずれていて、けしからぬこと。
※ 半知(はんち)➜ 知行の半分。
※ 小普請入(こぶしんいり)➜ 江戸時代、職務上の失態などによって、職を免ぜられた旗本・御家人が小普請支配に編入されること。
※ 逼塞(ひっそく)➜ 江戸時代の武士や僧侶に科された刑罰の一。門を閉ざして昼間の出入りを許さないもの。
(「申し渡し覚え」の項つづく)
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「天明年中叓」を読む 41
灰色なのにどうして「アオサギ」というのか。古代の人の色の感覚は、アカ、クロ、シロ、アオの四種類だったという。アカ、クロ、シロはそれぞれはっきりしていたが、アオはアカ、クロ、シロ以外の色と考えられていた。だから、木の緑も、灰色も皆んなアオと呼ばれた。アオサギのアオはそのようにして付けられたというのだが、信じられるだろうか。
午後、伊久美農村環境センターで、「ふるさとの歴史講座 伊久美・川根の茶業と文政茶一件」と題した講演会があった。島田市博物館学芸員の岡村龍男氏が講師で、歴史講座の三回目となるという。「文政の茶一件」という訴訟事件が最近の地元に残された古文書の解読によって、新しい解釈がされるようになったという。その講演はなかなか面白かった。
中で、自分の息子世代の講師が、過去の歴史学者のついて、「マルクス主義に染まった、唯物史観ですべての歴史を解釈する安易な歴史観」として、一蹴したことである。我々が学んだ唯物史観の歴史学者が、戦前の歴史観を、皇国史観として一蹴した態度に似ている。知らない間に、世の中が様変わりしていることに、改めて驚かされた。岡村龍男氏とは今後交流が始まると思うので、色々議論してみたいと思った。
講演会から帰って、ラグビーのアイルランド戦を見た。何と、19対12で勝ってしまった。不利と思われた肉弾戦に互角以上の戦いを見せた。アイルランドは前の試合でスコットランドを押えただけに、肉弾戦に自信を持っていたためか、そこへこだわり過ぎたのが、敗因ではなかっただろうか。
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「天明年中叓」の解読を続ける。「天明七未年十二月五日申渡」の項の続き。
溝口亀次郎領分 越後国蒲原郡福島村名主
過料五貫文 新之丞
煩(わずら)いに付代り 惣助
※ 過料(かりょう)➜ 江戸時代の刑罰の一種。銭貨を納めて罪科をつぐなわせたもの。
源右衛門義、京都に母これ有る候由、暇乞いに参り、直(すぐ)に町内へ帰り、自分より附き出で候由、承り申し候。死罪に申し付けべき処、自訴致し候存じ寄りにて、町内へ立ち帰り候に付、遠島申し付け候。
高砂町伝兵衛店(だな)
源右衛門 三十八
※ 自訴(じそ)➜ 罪を犯した者が自分から名のり出ること。自首。
※ 存じ寄り(ぞんじより)➜ 考え。意見。所存。
※ 遠島(えんとう)➜ 江戸時代の刑罰の一。財産を没収したうえ、伊豆七島・隠岐・壱岐などの島へ送る刑。追放より重く、死罪より軽い。島流し。
堀江町四丁目 藤七店
遠島 與市 三十二
飯塚常之丞御代官所 四谷内藤新宿 十郎兵衛店 八右衛門親
急度叱り 東作 四十
※ 急度叱り(きっとしかり)➜ 江戸時代、庶民に科せられた刑罰の一種。叱の重いもので、厳重に叱責するだけで放免する軽刑。叱と同様、犯罪者本人だけでなく、連座した者にもしばしば科せられた。
深川海辺大工町 家持
過料五貫文 八次郎 四十七
伊奈摂津守支配所 品川歩行新宿三丁目
無構(かまいなし) 七右衛門 四十五
※ 歩行新宿(かちしんしゅく)➜ 品川宿と高輪の間に存在していた茶屋町が宿場としてみとめられたもので、歩行人足だけを負担したために、歩行新宿と呼ばれた。
※ 無構(かまいなし)➜ 「構い」は江戸時代の刑罰の一、追放。「無構」は江戸時代の裁判で、お上としては罪に問う意思がなく、不問に付すこと。
同名主
無構 庄大夫 四十八
牢舎後御免 北鞘町太左衛門店 飛脚問屋 宗左衛門手代
無構 半七 四十
※ 御免(ごめん)➜ 赦免・容赦の尊敬語。
堀江町四丁目 藤七店与市召仕
無構 卯兵衛
新吉原江戸町壱丁目 半十郎店茶屋
無構 市兵衛 四十二
同所京町壱丁目 家持旅飯屋
無構 太郎兵衛 四十三
駿河町利兵衛店
無構 新七 五十四
右は評定所において、左の通り出席、
寺社奉行 松平右京亮
大目付 山田肥後守
町奉行 山村信濃守
御勘定奉行 拓殖長門守
御目付 井上助之進
右の通り立ち合い、信濃守、助之進、これを申し渡す。
未十二月五日
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「天明年中叓」を読む 40
午後、散歩に出ようと、玄関の網戸を開けたら、何かが腕に触った。地面を見ると、キリギリスより小振りの秋の虫、コバネササキリのメスがいた。網に止まっていたのが、びっくりして落ちたようだ。消毒をしないせいか、我が家の庭や裏の畑では、秋の夜、すだく虫の音でうるさいほどだ。
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「天明年中叓」の解読を続ける。「天明七未年十二月五日申渡」の項の続き。
菊の間掾側詰、横田筑前守家来
重き追放 福井忠右(左)衛門 五十七
※ 菊の間(きくのま)➜ 江戸城中本丸の表座敷の一。三万石以下の譜代大名、大番・書院番・小姓組番の各頭などの詰め所。襖に菊が描かれていた。
※ 菊の間掾側詰(きくのまえんがわつめ)➜ 菊間広縁とも呼ばれ、二万石クラス以下の無城の譜代大名が詰めた。
※ 重き追放(おもきついほう)➜ 重追放。江戸幕府の追放刑の一種。重・中・軽の三追放刑のうち、もっとも重く、御構い場所への立入りを禁じられ、田畑、家屋敷、家財が没収された。
預け置き、金子取上げ 戸田大炊頭(おおいのかみ)家来
押込 中澤次郎兵衛 六十九
寄合已後 赤井豊前守家来
押込 愛知長左衛門 三十九
牧野備後守中屋敷、不動院方に居候、新義真言宗
逼塞 真純 五十三
※ 居候(いそうろう)➜ 他人の家に寄食する者をいう。同居人の一種。
※ 新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)➜ 覚鑁(かくばん)を宗祖とし、大日如来の加持身説法の新義を唱えた真言宗の一派。
御書院番頭 松平志摩守組 青木(柳)大之丞地借(じがり)
牢舎引き廻しの上 元赤井豊前守家来
獄門 浪人 河野庄右衛門
※ 御書院番(ごしょいんばん)➜ 江戸幕府の職名。若年寄に属し、江戸城の警護、将軍外出時の護衛などの任にあたった。
※ 地借(じがり)➜ 江戸時代、主として家屋を建てるために、土地を借りること。
※ 牢舎(ろうしゃ)➜ 牢屋。また、牢屋に入れること。
※ 引き廻し(ひきまわし)➜ 江戸時代、死罪、斬罪以上の重刑に付加した刑で、刑の執行前に罪人を縛って馬に乗せ、罪状を紙幟(かみのぼり)に記し、府内または犯罪地を引きまわして公衆に見せること。
※ 獄門(ごくもん)➜ 斬罪に処せられた罪人の首を獄屋の門にさらすこと。江戸時代には刑罰の一つとなり、刑場などにさらした。さらし首。
御小姓組 長谷川理十郎組 田附又四郎地借
元赤井豊前守家来
獄門 山本平右衛門 四十
※ 御小姓組(おこしょうぐみ)➜ 江戸幕府の職名。小姓衆五〇人および番頭・組頭からなり、将軍に近侍し、殿中の警備などにあたった。
元飯田町半右衛門 浪人徳武嘉藤太こと
獄門 東馬 四十
牢舎引き廻しの上 室町弐丁目飛脚問屋 孫兵衛手代
獄門 宗(惣)兵衛 五十五
京都姉小路高倉西へ入町家持(いえもち) 飛脚問屋
獄門 五兵衛 四十一
※ 家持(いえもち)➜ 江戸時代、その町内に土地家屋をもって住んでいたもの。町人としての権利・義務を有した。
牢舎引き廻しの上 北鞘町太右衛門店 飛脚問屋
死罪 宗右衛門 六十
(「天明七未年十二月五日申渡」の項、つづく)
読書:「春風の太刀 口入屋用心棒5」 鈴木英治 著
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「天明年中叓」を読む 39
大代川の土手や河原に今の季節黄色が目立つ。イヌキクイモとかキクイモモドキとか、似た花もあるが、花の季節からキクイモだと思う。キクイモなら根が食用になるというが。
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「天明年中叓」の解読を続ける。「天明七未年十二月五日申渡」の項の続き。
富士見御宝蔵番之頭
死罪 土山惣治郎 四十八
※ 富士見御宝蔵番頭(ふじみごほうぞうばんがしら)➜ 江戸城留守居支配の職で、徳川氏歴代の宝物を収納している富士見宝蔵を守備する任務。
初め、揚り屋(あがりや)入り後、 同人弟 御勘定番頭
御役御免、小普請入、逼塞 長瀬(長瀧)四郎右衛門 三十九
※ 揚り屋(あがりや)➜ 江戸小伝馬町にあった牢屋敷の一部で、下級の御家人、大名・旗本の家臣などの未決囚を収容した牢房。
初め、御預ヶ後 惣治郎母
押込め 林昌院 六十一
※ 押込め(おしこめ)➜ 江戸時代の刑罰の一。一定期間自宅に閉じ込めて外出を禁じるもの。武士のほか庶民にも科した。
御預ヶ之上、同人江御預ヶ後 小普請組、酒井因幡守組
押込め 柳田次郎左衛門 五十三
御預ヶ之上、同人江御預ヶ後 御徒士頭瀬名傳右衛門組、小普請役御徒士仮役
押込め 久田見仲助 四十九
※ 御徒士頭(おかちがしら)➜ 徒士組は、江戸幕府の職名。将軍外出の際、徒歩で先駆を務め沿道警備などに当たった。「御徒士頭」はその隊長。
払方御納戸役
押込め 上野源太郎
同 五十幡利右衛門
同 佐藤栄次郎 四十一
※ 拂方(はらいかた)➜ 金銭を支払う人。会計方。
※ 御納戸役(おなんどやく)➜ 江戸幕府の職名。将軍家の金銀・衣服・調度の出納、大名・旗本からの献上品、諸役人への下賜の金品の管理などをつかさどる。若年寄の支配に属す。納戸方。
御普請役、石田儀右(左)衛門義、先達而自害。
江戸払い 石田儀右(左)衛門妻楚よ 三十三
※ 江戸払い(えどばらい)➜ 江戸時代の刑罰の一。江戸市内に居住を許さず、品川・板橋・千住・四谷の大木戸、および本所・深川の外に追放するもの。
土山惣治郎召仕女
押込め 春加 二十四
初預ヶ已後 同人召仕家来
押込め 若月常蔵 二十七
同人召仕女
押込め み祢 二十三
同 八重 二十六
同 志け次 十三
同 幾与 十八
同 さ起 五十三
同人中間(ちゅうげん)
押込め 與助 十四
同 喜八 三十五
同 弥五右(左)衛門 五十三
※ 中間(ちゅうげん)➜ 江戸時代、武士に仕えて雑務に従った者の称。
(「天明七未年十二月五日申渡」の項、つづく)
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「天明年中叓」を読む 38
近所の休耕田に、二束の稲が育ち、実りの季節を迎えている。だれがどんな意図で植えたのか、ミステリーである。
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「天明年中叓」の解読を続ける。以下、二項も「東都より未年風説書来たる」の一部に入るようだ。
一 高松中村氏より、江戸にての沙汰、御城坊主の申し遣し候とて、女中三人、その内壱人は老女中、御暇(ひま)出でしのよし。これは田沼殿の罪を軽(かろ)く取り計らい候様、仰せ出らるべき由、内々申上げる由聞こえ、如何なるものか、この由申し上げ候や、と越中守殿、問い奉られしかば、かの女中の申し上げ候よし、仰せこれ有るによってなり。
※ 御城坊主(おしろぼうず)➜ 江戸城の殿中には、頭を剃った男たちがぞろぞろいた。こうした者たちの多くは、「お城坊主」である。殿中での将軍や諸大名たちのお世話係で、大名たちの着替えから食事の用意、刀の上げ下げ、部屋への案内など、こまごまとした世話を実に丁寧にしてくれるホストのようなものである。
一 広瀬彦太夫森岡が書、来り候。浪華(なにわ)町与力に至るまで、武術専ら相励(はげ)み、これまで多く婢(こしもと)を蓄(たくわ)え候もの、婢を出し奴(やつこ)を召し抱え候旨、花美(かび)の衣服やめ、平日、悉(ことごと)く綿服のよし。蔵邸(くらやしき)諸役人帰り、物語(ものがた)りのよし。
※ 浪華町(なにわまち)➜ 大坂浪華町。
※ 花美(かび)➜ はなやかで美しいこと。華美。
※ 蔵邸(くらやしき)➜ 大坂にあった蔵屋敷。「蔵屋敷」は、江戸時代に大名が年貢米や領内の特産物を販売するために設置した倉庫および取引所を兼ねた屋敷。
次の、「天明七未年十二月五日申渡」は、天明の大飢饉の最中、勘定組頭土山惣治郎の申告により、越後米買付御用を、普請役石田儀右衛門に申渡したところ、買上米代金の内、2000両が損金となる不正があった事件で、松平定信が、田沼意次前政権の精算として断罪されたもので、それに関わった者どもに死罪など申渡された。
天明七未年十二月五日、申し渡し
御尋ねの上、相慥(たしか)むべき旨、仰せ付けられ、以後知行半知仰せ付けられ、小普請入り、逼塞(ひっそく)。
寄合 赤井豊前守 六十一
※ 半知(はんち)➜ 知行の半分。本来の知行・俸禄が半分になること。
※ 小普請入(こぶしんいり)➜ 江戸時代、職務上の失態または疾病・老衰などによって、職を免ぜられた旗本・御家人が小普請支配に編入されること。
※ 逼塞(ひっそく)➜江戸時代の武士や僧侶に科された刑罰の一。門を閉ざして昼間の出入りを許さないもの。閉門よりも軽く、遠慮より重い。
※ 寄合(よりあい)➜江戸時代、旗本で三千石以上の無役の者の称。若年寄の支配下にあり、寄合肝煎が監督した。
(「天明七未年十二月五日申渡」の項、つづく)
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「天明年中叓」を読む 37
そういえば、ヒガンバナの白花を最近あちこちで見るようになった。中には赤花に混じって咲いているものもある。
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「天明年中叓」の解読を続ける。「日野大納言卿の書面」の項の続き。
当(この頃)も、親父杢頭、六十賀にも出頭、重年(ちょうねん)たる所の堂哥(どうか)、頼まれ候て、直なる人と祭(さいし)候。歌も重立(おもだち)になくて、少し稽古され候わば、得道(とくどう)あるべき歌柄(うたがら)にて候。この節は、繁多(はんた)にて、不精(ぶしょう)に御座候儀と存じ候。左候えば、歌いう情にても、正直を守られ候わば、則ち、当世の歌人にて候、と存じ申し入り候。忠孝より歌道はなく、亦はこの人御用に立たれ候事、資持に於いて畏れ存じ候儀に候。
※ 六十賀(ろくじゅうが)➜ 還暦の祝い。
※ 重年(ちょうねん)➜ 年齢をかさねること。
※ 堂哥(どうか)➜(父方の同姓の)年上の男のいとこ。
※ 直なる人(ちょくなるひと)➜ 松平越中守のこと。
※ 重立(おもだち)➜ 集団の中で主要な人物である。中心になる。
※ 得道(とくどう)➜ 技芸の道に熟達すること。
※ 歌柄(うたがら)➜ 和歌の品格や風格。
※ 繁多(はんた)➜ 用事が多く忙しいこと。
※ 不精(ぶしょう)➜ 精を出さずに、なまけること。
貴公にも歌会など、御遠慮に及びまじく候。それとも、中庸(ちゅうよう)を用いられべく候。甚しき事御座候わば、咎(とが)めも有るべく候。資持など歌よみ候も、本心は隠し、芸の心にて候。損(そこ)ね冠、破れ装束、着用致し、走り廻り候事、公家の役にて候。歌は我国の道、殊に資持実父、光栄卿も候えば、出情致し、末々御用にも立ち候えば、忠をと存じ候事に候。兎に角に、世間より目立ち候様に出情致し、当世の人の知らぬ事を、歌に詠みなど致し候て、物知り自慢、その身の妨(さまた)げに候。乍序(ついでながら)、長文御免下さるべきなり。
未八月廿六日 資持
三四郎殿
※ 中庸(ちゅうよう)➜ 儒教の経書「四書」の一つ。世界の調和を達成するには、常に中正な道があるべきであるとし、人間の諸行為の根本を探究して、それを人間本性の「誠」の充実であるとし、その修養を説いた。
※ 出情(しゅっせい)➜(正しくは)出精。精を出して努めること。精励。
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「天明年中叓」を読む 36
サルビア・ミクロフィラは我が家の庭にもあって、年中花が咲いているような気がする。
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「天明年中叓」の解読を続ける。
日野大納言翁殿資持卿より、御籏本久世三四郎殿へ、書面写し
書状拝見、秋冷候えども、弥(いよいよ)、御平安奉賀候。賢息障りなく御暮らし、珎重に存じ候。御詠草、墨を加え、返通致し候。その御地、静謐成られ候よし、目出たく存じ候。この地、弥(いよいよ)静謐にて、近年凶作にて、諸神社へ御祈祷の由、感心仕り候。その御地、当時(現在)、御振合御相違(あいたが)い候故、歌(和歌)稽古は御遠慮の由、御もっともに存じ候。
※ 賢息(けんそく)➜ かしこい息子。また、他人を敬って、その息子をいう語。
※ 詠草(えいそう)➜ 詠んだ歌や俳諧を紙に書いたもの。
※ 墨(すみ)➜ 和歌などの評。
※ 静謐(せいひつ)➜ 世の中が穏やかに治まっていること。
※ 振合(ふりあい)➜ その場のぐあい。都合。また、状況。
乍然(さりながら)、いずれに仕り候ても、本体を忘れ候を誤(あやま)りと申し候。酒色には限らず候。儒、仏、神、文武とも誘(いざな)い候て、かたより候を、古今嫌い候。
※ 本体(ほんたい)➜ 物事の根本。中心、主体となる部分。本質。真髄。
※ 酒色(しゅしょく)➜ 飲酒と女遊び。
松平越中守は、資持甚だ近き縁者にて、則(すなわち)、親父杢頭(もくのかみ)は、資持甥にて候。越中守は資持歌道門弟にて、殊にやすらかに候。能(よ)く聞こゆる歌詠みに候えば、故内府大教訓なども伝え候学者にて、風雅(ふうが)人にて候。一躰にて、ものを能(よく)覚悟(かくご)せられ候人と存じ候。間柄、殊に門弟にて候えば、心安く、一両月には必ず一度ずつ、詠草の文通も、隔意(かくい)なく致し候。
※ 親父杢頭(おやじもくのかみ)➜ 定信の養父、松平定邦(さだくに)。陸奥白河藩二代藩主。
※ 資持甥 ➜ 資持は親父杢頭の甥に当たる。つまり、松平越中守は従兄弟になる。
※ やすらかに ➜ 心安くしているの意。
※ 聞こゆる(きこゆる)➜ 広く知れわたる。
※ 故内府(こないふ)➜ 徳川家康のこと。
※ 風雅(ふうが)➜ 詩文・書画・茶道などのたしなみのあること。
※ 一躰にて(いったいにて)➜ 総じて。概して。
※ 覚悟(かくご)➜ 覚えること。記憶すること。
※ 隔意(かくい)➜ 遠慮。
(「日野大納言卿の書面」の項つづく)
読書:「鑓騒ぎ 新酔いどれ小籐次15」 佐伯泰英 著
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「リアル野球盤」と老イワナ
家の裏の畑の隅にも、昔頂いたものの生き残りが咲いているが、これは、散歩道に見事に繁茂するサルビア・レウカンサである。とても丈夫な植物のようだ。
朝から、うちの班のグループ「ラ・フランスの会」が、「リアル野球盤」という高齢者のための、野球盤を模した軽競技に出場するというので、班の体育委員として放っておけず、夫婦で参加した。会場は市の「金谷体育センター」。体育館での競技に参加するのは何十年ぶりであろうか。この日のために、夫婦して体育館専用のシューズも購入して来た。今後、この靴が何度使われることになるのか。店でもっと高級なシューズを勧められたが、もう高齢だからと、安価なものを選んでいた。
初めての参加で、ルールもよく分からずに始めたけれども、二試合目にはコツがわかってきて、2ホームランという結果に終わった。その内、一本は満塁ホームランであった。少し気を良くした。午後はペタンクという競技、これも初めての競技であった。実際よりかなり簡易化されたもので、ボールを使った地上版のカーリングみたいなものと説明すればよいだろうか。いずれも汗を流すところまでは行かないものの、たまには身体を使うのもよいと思った。
夜は、近所のお寿司屋さんで慰労会。同年配の男どもの話は、年金、病気、葬式、お墓と、何とも悲しい話題が続いて、どれにも、とても付いては行けなかった。もっと、今自分が打ち込んでいるものというような、話題が欲しかった。
中に、渓流釣りが趣味のSさんから、初心者の人を連れて、小さな渓谷に入ったときの話はとても興味深かった。先を進んだ先に行った仲間が釣れないという、大きくカーブした渕で、追い付いて竿を入れてみると、いきなり70センチもあるイワナが掛かった。時間を掛けて引き寄せたが、身体がやせ細って、とても上げる気がしないので、リリースした。その後、入れる度に同じイワナが掛かってきた。余程お腹がすいているのだろう。やっと30センチのイワナが掛かり、それから数匹同型のイワナをゲットして、あの痩せたイワナはどうしただろうと、気にしながら釣りを終えた。
後日、渓流釣りのベテランに聞くと、イワナは七年くらい生きるが、年を取ると段々鈍くなり、若いイワナにエサを取られて、やせ細って死んでゆくのだと聞いた。何か、自分たちの行く末を聞いたようで、身につまされる話であった。何だ、結局話がここに行き着くのか。
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「天明年中叓」を読む 35
午後、「古文書に親しむ(経験者)」の講座。明治の御触書の覚書を解読する。明治の初年ではまだ江戸の御触書の雰囲気を引きずるが、突然に難解な文書になったりする。写した村役人たちがその難解さについて行けてない部分もあって、解読を難しくしている。
夜、地区の秋祭りの打ち合わせ。今年は我が班の当番であった。出来るだけ若い人に中心になってやってもらうため、年寄は出来るだけ口を出さないようにした。
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「天明年中叓」の解読を続ける。
東都より未年風説書来たる
一 瑣細(ささい)躰の事、兎角(とかく)、御奥より、上意/\と申す事出で、度々御正し御坐なされ候処、御内女中、余程御暇(いとま)下され、 一ツ橋様より御附きの分は、壱人も御坐なく候。誠に万事、政道を専一(せんいつ)に遊ばされ候。誰壱人、障(さわ)り候えも御坐なく候由。
一 外、御老中方、殊の外、御畏(おそ)れ成され、雅樂頭(うたのかみ)様など、別して御畏(おそ)れ成され候よし。
一 井上仲家来、御家鋪へ御扶持方請取に参り、咄し候由。旦那申し候、越中守様御政務後、天文(てんもん)相替り、殊の外、宜しく相成り候よし。
一 町方、役者にてもこれ無く、三味線などひき、酌取女(しゃくとりおんな)の様成るもの、抱え置き候事、御停止(ちょうじ)。
一 当五月以来、町方困窮の処、救い致し候段、奇特(きとく)に思し召され、この段、上聞(じょうぶん)に達し候。これに仍り、越中守殿御取計にて、御褒美(ほうび)として、五拾両下され、救い候者へ、百疋ずつ、百両以下、弐百疋ずつ、その上、三百疋ずつ下され候。右御褒美、人数六千五百人程。
※ 東都(とうと)➜ 東方にある都。特に京都に対して、江戸または東京をいう。
※ 風説書(ふうせつがき)➜ 各地の風説を報告した文書。
※ 瑣細(ささい)➜ あまり重要ではないさま。取るに足らないさま。
※ 一ツ橋様(ひとつばしさま)➜ 徳川治済(はるさだ)は、江戸時代の御三卿の一橋徳川家の第二代当主。
※ 専一(せんいつ)➜ 他を顧みないで、ある物事だけに力を注ぐこと。第一。
※ 雅樂頭(うたのかみ)➜ 酒井雅樂頭。酒井忠恭(ただずみ)。老中首座。雅楽頭系酒井家宗家九代。但し、この時代にはすでに亡くなっている。
※ 天文(てんもん)➜ 天文方。江戸幕府によって設置された天体運行および暦の研究機関。
※ 酌取女(しゃくとりおんな)➜ 酌婦。料理屋などで、酒の酌などをして客をもてなす女のこと。
※ 停止(ちょうじ)➜ 禁止すること。さしとめること。
※ 奇特(きとく)➜ 言行や心がけなどがすぐれていて、褒めるに値するさま。
※ 上聞(じょうぶん)➜ 天皇や君主の耳に入れること。天皇や君主の耳に入ること。
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