goo

ねんりんピック静岡2006

(グランシップでマイリーフカップが販売された)

四日間の“ねんりんピック静岡2006”が今日閉会した。

「ねんりんピック」の愛称で呼ばれている全国健康福祉祭が、今年は静岡県の主催で、県内各地で行なわれた。60歳以上の高齢者を中心とした、スポーツ、文化、健康と福祉など幅広いイベントが開催される一大祭典で、今年は第19回目である。60歳以上と聞けば、自分にも参加資格が出来たことになる。

一昨日の日曜日、昼前になって「ねんりんピック」を見に行こうと、女房と静岡のグランシップに出かけた。実はグランシップで、世界緑茶協会の人が第6回O-CHAフロンティアコンテストで金賞を頂いた「マイリーフカップでお茶三昧」のセットを販売してくれていると聞いたからだ。どんな風に販売されているのか見てみたいと思った。

グランシップでは文化面の各種イベントが開催されていた。駐車場はグランシップ入場者は時間200円から100円に割引になっていた。

世界緑茶協会はエントランスホールの右側にコーナーがあった。お茶を飲ませるコーナーとL字型のテーブルに入賞作品が所狭しと並んでいた。その中央あたりにあった!あった! マイリーフカップが飾ってあった。予備の一本にお茶が入れてあった。

係りの女性が付いているが、それほど積極的に販売する様子ではなかった。女房がテーブルの前に行き、入賞作品を見ているように装い、マイリーフカップを指して、これは何ですかと聞いたところ、お茶をこんな風に入れて飲むと便利なようですよなどと一応は説明してくれた。

しかしやはりうんちくを述べないとなかなか購入してくれることにはならないだろう。やはり我々が売らなければなかなか売上には繋がらない。

グランシップでは絵画、彫刻、写真、手芸、陶芸、書道などの作品が所狭しと展示されていた。いずれもプロの作品と遜色が無い作品が並んでいた。たっぷりと時間を掛けたと感じる力作ぞろいであった。昭和の子供の玩具などの展示もあり、懐かしく見学した。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ハヤトウリ大繁茂

(「ハヤトウリの木」と化した枇杷の木にぶら下がるハヤトウリ)

しばらくぶりに裏の畑をのぞくと、ハヤトウリが大繁茂していた。女房があだ生えのハヤトウリを何本か茶畑の畝間に植えておいたところ、秋になって大繁茂して、茶畑を覆い、枇杷の木はハヤトウリの木になってしまい、隣のアパートとの間の生垣もかっこうの繁茂地と化し、大変なことになっていた。

ハヤトウリは原産地は熱帯アメリカである。大正時代に鹿児島県に導入されたのが最初で、だから「隼人瓜」の名前が付いた。一つの株から100個以上の実がなることから別名センナリウリ(千成り瓜)ともいう。蔓性植物で、秋に花が咲き、10月から12月にかけて西洋梨に似た形と大きさの実が次々に成る。種は一つの果実に一つ出来、果実の養分で育つため、種を取り出すと育たないという。霜を受けると枯れてしまうからそれまでが収穫期なのだろう。

とにかく、毎日たくさんのハヤトウリが収穫できるのだが、女房はその処置に参っている。毎日バケツ一杯の収穫があり、少し油断すると台所はハヤトウリだらけになってしまう。近所や知り合いに貰っていただくのだが、誰でもというわけにはいかない。糠床があるお宅なら良いが、でなければ貰っても困ってしまう。義理堅い奥さん方からはすぐにお返しが来る。柿、ジャガイモ、豆や、中には明らかにマーケットで買ってきたものもある。これではわらしべ長者だ。貰っていただいて負担を掛けたのでは意味が無い。

そこで自家消費のため、何とか新しい食べ方を研究しようと、砂糖で煮たらデザートにならないかと女房にリクエストした。思い浮かべたのはパイナップルの缶詰である。キッチンの増築のため邪魔になって切ったミカンの枝に、完熟前のミカンがたくさん付いていて、女房はそのミカンでジュースを作っていた。そのジュースに砂糖を加え、縦に八つ切りにしたハヤトウリをいれて煮たところ、形は崩れず柔らかくなった。食べてみると桃の缶詰に似た食感と味がして、美味しいデザートが出来た。ハヤトウリの新しい食べ方が誕生した瞬間である。ネットで調べてみたが、そんな食べ方はどこにも載っていなかった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

千頭温泉“旬”は貸切?

(千頭温泉“旬”)

まだ、大札山山頂である。そろそろ汗が引いて寒くなってきたので下山にかかる。女房は膝に不安があるのでゆっくりの下山となる。樹名を表示した看板がついていたので、名前を拾いながら下った。雑木林には実に豊かな樹種が確認できた。以下へ書き出してみる。

マンサク、クマシデ、ブナ、シナノキ、ナツツバキ、リョウブ、イタヤカエデ、アブラチャン、キハダ、ヒメシャラ、カヤ、ウラジロモミ、ミズメ、クリ、アセビ、シロヤシオ、コシアブラ、ミズキ、コシネカエデ、ホウノキ、コハウチワカエデ、ハリギリ、コハクウンボク、エドヒガン、ケアオダモ、ツガ、モミ、タンナサワフタギ、ニワトコ。目に付いた樹名の看板だけで30種である。この山全体ではいったいどのくらいの樹種があるのであろうか。駐車場に下りて振り返ると見上げる大札山の尾根は改めて錦秋の山であったことに気がついた。

さあ、あとは温泉である。川根温泉か、接阻峡か、森の泉か。まだ時間が早いから接阻峡温泉に行くことにして、車を千頭方面に向けた。千頭の町を抜けようとして、そういえば度々ここを通るときに、対岸に千頭温泉“旬”の看板が出ているのを見て通ったことを思い出した。そこへ行ってみようと女房に話し、橋を渡り戻って、細い道を通って河原に出た。堤防の内側に、食堂も兼ねた千頭温泉“旬”はあった。

少し不安に思いながら、食堂になった店に入ると、レジに居た女性が案内してくれた。入湯料は500円。湯舟は数人で一杯になりそうな小さいものであったが、露天風呂もあった。お湯は熱くなくて、初めは露天風呂とのドアを閉めたくなるような肌寒さを感じたが、貸し切り状態でゆっくり入っているうちに芯の方から温まってきた。お風呂は透明で癖の無い奇麗なお湯だった。温かさは次の日まで残った。

女房を待つ間、外を散策した。目の前に大井川の支川に吊り橋が架かっていた。大井川に架かる橋と川沿いの散歩道、さらにこのつり橋を渡ってくると、この温泉まで歩いて来れる。SL客が千頭温泉“旬”で温泉に入ったり、食事をして、また電車で帰るコースはけっこう面白い旅になる。そばの土手で、SL急行「かわね路」号乗車記念券を拾った。今日の10時10分発、指定席が7号車12番B席のものであった。落とし主もこの温泉に入って帰ったのであろうか。

出て来た女房も貸し切りで湯質もよく気に入ったようで、客が我々だけだったことを逆に心配していた。拾いものの31湯目の日帰り温泉であった。また来ますから頑張って続けて下さい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

紅葉満喫の大札山

(大札山山頂 標高1373.6m)

日曜日に天気が崩れる、ムサシが腹の調子が悪い、などの理由で中山道の夫婦旅を取りやめた。しばらくぶりで、もう一つ中山道の夫婦旅に弾みがつかないことも確かである。

中山道は中止にしたが、朝、お天気に誘われて大札山に登ることにした。女房が新しいウォーキングシューズを購入したので、その使い下しにちょうどいい。二、三日前に川根本町の稜線林道の紅葉が報道されていたので、大札山を思いついた。

“四季の里”で昼食を調達して稜線林道に向う。ふもとに「山犬の段への稜線林道は落石で通行止め」の標識が出ていた。稜線林道からの大札山登山口は通行止め個所より随分手前だから問題ない。登山口駐車場は車で一杯だった。何とか車を止めて登り始める。檜林を抜けると雑木林になる。ジグザグに登山道が付けられているが、1時間足らずの登りは思ったより急登であった。お昼を回っているので、下山してくる登山者と何組も会った。山頂は稜線の手前で右手に大きく回りこんだ先にあった。

一等三角点に向って右手の尾根を登ってくる登山道は、ふもとの集落、藤川から登ってくる道で、3、4時間かかるコースになる。女房は高校時代、山頂に雪の残る季節にそのコースを登ってきて、山頂で寒くて、服の中に新聞紙を挟むことを教わったという。40年前の話である。


(山の昼食)

山頂は少し紅葉の時期が過ぎて、全山紅葉とは行かなかった。山頂は登山者が数組で静かになっていた。早速“四季の里”で調達した写真の昼食を食べた。ソバ、特大の稲荷寿司、よもぎ入りの金つば、お茶と家から持参したミカンである。惣菜の“いもがら”は持ち帰った。

山名表示板があって、左から蕎麦粒山、板取山、沢口山、朝日岳、黒法師岳、大無間山などの川根奥の山々が特定できた。富士山や伊豆半島は雲で見えなかった。山頂部は樹林が切れて、植えたものか、自然のものか馬酔木(あせび)が繁茂していた。春には一斉に花が咲いてみものだろうと想像した。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ヒメツルソバ、オンブバッタ、ジョロウグモ

(こんぺい糖のようなヒメツルソバの花)

先週の日曜日の朝、家の庭を見て回った。いつもは漠然と眺めていて、「いつまでも花が絶えない庭だなあ」と見ていた。娘の亭主の島田のお父さんが花好きで、季節に花の鉢植えが次々に届く。女房は管理がいいのか、ほとんど枯らすことがないから、庭に花の鉢が所狭しと増殖していく。

その朝は対象にぐっと近付いて観察してみた。すると色々見えてくるものがある。まず目に付いたのは、駐車場の縁のわずかな土の部分に根を下ろしたヒメツルソバである。近所の方から頂いて植えたものだが、ほとんど忘れられていても、小さい花をしっかり咲かせている。タデ科イヌダテ属の常緑多年草で、夏から秋にかけて花が咲いている。名前の通りつるになって伸びていき、前はもっと繁茂していたと女房がいう。


(オンブバッタ)

表に回るとマリンゴールドの花の間に、オンブバッタを見つけた。大きいメスの背中に小さいオスが乗って、じっと動かない。秋の日差しが当って何とも気持ち良さそうである。しかし冬は卵で越すというから、オンブバッタの寿命もあとわずかで、その間に子孫を残す作業を終えなければならない。なおオンブバッタはニックネームではなく、本名である。

裏の畑に回ると、ミカンの木の間に大型のクモが何匹も網を張っていた。腹部の背中側は黄色と青の縞模様であるが、腹側は赤い模様が毒々しい。名は体を表して、ジョロウグモと命名されている。オスははるかに小さいようだから、目に止まるジョロウグモはすべてメスである。ジョロウグモも卵で冬を越すから、成体は残り少ない命である。


(ジョロウグモ)

一つ疑問が浮かんだ。ジョウロウグモはどれも網の中央にあの毒々しい腹を見せて獲物を待っている。少しゆすると慌てて網の縁の方に逃げる。獲物を待つなら初めから端に隠れていた方が良いと思うがそうはしていない。なぜだろう。一つの仮説だが案外あの腹の赤い模様が花に見えて、虫が誘われて網に引っ掛かるのかもしれない。それでジョロウグモと名付けられたのだろうか。調べてみよう。

最近、新訳の「ファーブル昆虫記」を読み始めているので、こんなことが気になるようになった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

中山道テクテク旅

(「街道てくてく旅」上松宿-右が勅使川原郁恵さん)

NHKの「街道てくてく旅」は、この秋、今度は中山道六十九次を、元スピードスケートのショートトラック日本代表の勅使川原郁恵さんを旅人に迎え、西の京都三条大橋から歩き始め、東京の日本橋へ進んでいる。9月16日に京都を出発し、写真は10月20日の上松(あげまつ)宿からの放映の様子である。

前回の「街道てくてく旅」は、今年の春にサッカーの元日本代表、岩本輝雄さんが東海道五十三次を歩いた。初めは「街道てくてく旅」がなじみが薄くて、低調でどうなるかと思ったが、途中から人気が出て、道中の一般の人たちの反応が加わり、楽しめる番組となった。

今回はスタートから注目度が高く、スポーツマンらしく物事をあまり深く考えない勅使川原郁恵さんのキャラクターもあり、楽しい番組になっている。夜のBSで女房と見ているが、時間が日によっていろいろ変るので、見逃してしまった部分も多い。いずれ総集編でまとめて見たいと思っている。

中山道は、東海道五十三次の完歩に続いて、女房と少しづつ歩いている最中で、長野県野尻宿まで来たところで、いろいろあって一年以上中断している。勅使川原郁恵さんは見る見るうちに我々が歩いて来たコースに追いついてしまった。今は我々の未知の部分を先行して歩いていてくれる。これから歩く我々の参考にしようと見ている。

歩く彼女の姿はウォーキングというより、上体を前にスケートの延長のような歩き方に見える。体力に心配ないから問題ないが、もっとリラックスして歩けば楽だろうにと思う。歩きに慣れて、日本橋に着く頃には歩き方も変るかもしれない。女房は下半身が自分に似て、がっしりしてスポーツマンタイプだと評していた。

「街道てくてく旅」に触発されて、中山道の夫婦旅を再開したくなってきた。次の休みにはどうだろうと女房に話している。家から遠くなっているから現地まで行くだけで時間とお金が随分かかるのが行き難くしている。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

「アクアスやいづ」って何だ!

(海に浮かぶ船がモチーフという、アクアスやいづ)

土曜日、中島潔童画展のあと、後は温泉だと女房と話しながら、国道150線で焼津に出て、4月に高草山登山のあと一人で立ち寄ったサンライフ焼津の黒潮温泉に立ち寄った。駐車場に車が少なかったので、今日は空いているねと話しながら玄関に進むと、温泉は終了したと張り紙があった。今日は休みかと残念に思いつつ、よく読むとサンライフ焼津はリニューアル工事に入り閉鎖されたようだ。この10月から平成20年の3月までの工期でリニューアルする。焼津市勤労会館を併設するというが、そこに温泉施設も出来るのであろうか。

丘の上の“かんぽの宿”にも行ってみたが、温泉の雰囲気が無いし、駅の前の黒潮温泉にも行ってみたが、入る気がぜずに素通りした。国道150号線を西へ進んでいると「アクアスやいづ」の看板が目に入った。ここに温泉施設があるのではないのかと、海岸の埋立地に、「アクアスやいづ」の不思議な建物があった。だだっ広い駐車場に車を入れたが、何も案内板が出ておらず謎めいた建物である。

建物から歩いて来た制服の女性に、ここは何する所かと女房が聞いた。「プールなどスポーツ施設があって、レストランもあります。コーヒーだけでも飲めますよ。」「温泉は無いです。プールは水着が必要ですし、‥‥」と、頓珍漢な問答であった。この夫婦はいったい何をしにここへ来たんだと言いたそう。

後日、「アクアスやいづ」は、焼津市が「富士山などの恵まれた景観や日本一深い駿河湾からもたらされる深層水を活用した焼津市駿河湾深層水体験施設(タラソテラピー施設)」として平成18年7月に開館した施設である。と言われても、我々には何をやっている施設なのかピンと来ない。こんな施設が継続的に利用されていくものなのだろうか。やはり施設の中に日帰りの黒潮温泉を作らないと、人は集らないような気がする。

温泉は諦めて、帰り道で、妙に腹が空いたと話しながら、そういえば昼食を摂るのを忘れていたと気付く夫婦であった。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

駿府博物館-中島潔展

(中島潔童画展のポスター)

土曜日、静岡でシステムキッチンを見てきたあと、駿府博物館に中島潔展を見に行った。「風の画家」といわれた中島潔の童画展である。中島潔展については新聞などで紹介されていたのを見ていた。

駿府博物館は駅前の国道1号線沿いにある。中島潔の童画は誰もが一度は見たことがある懐かしい画である。1982年、NHKテレビの「みんなのうた」のイメージ画を担当して大反響を呼び、一気に皆んなに知られるようになった。

中島潔展は3部構成になっていて、第1章が「パリの四季」、第2章は「日本の四季」、第3章は「故郷の四季」である。「パリの四季」は、最も最近の作品で、パリに在住した約1年間に、パリを舞台に描いた作品である。「日本の四季」は、画面いっぱい花で埋め尽くした中に、憂いに満ちた女性を描いた作品など、日本の詩情を描いた絵が並ぶ。「故郷の四季」は、中島潔の故郷佐賀や温泉掘りで一時働いた伊豆を舞台に、日本の原風景の中で子供の姿を描いた、1980年代から90年代の作品群である。

20年間の作品を比べてみると、初期の童画は田舎の風景、素朴な服や着物でほのぼのとさせる絵が多い。しかし年を経るにつれて筆は自由になり、子供は異常に短胴でしっかりした大足に描かれるようになる。また手足の指が不自然に長くなり反り返ってくる。また最近のパリの作品では絵の具のにじみを上手く利用した絵が目立った。20年を通して、ほとんどの童画の中に、さりげなく丸顔たれ耳の和犬が描かれている。名前を「うめ吉」という。人気キャラクターらしい。

出口に売店があり、画集、アートプリント、絵葉書、うめ吉のグッズなどがしっかりと売られていた。20万円台のリトグラフがたくさん並んでいる。こんな絵をほいほいと買える身分になりたい。「中島潔が描く パリそして日本」という画集を購入した。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

金時山から御殿場市温泉会館へ

(金太郎縁の公時神社)

金時山山頂にまだ居る。山頂の登山者はほとんどが中高年、若い人はちらほらである。中高年は団体、若い人はカップルが多い。

金時小屋に入ると、「金時むすめは芸能人ではありません。写真、サインは御遠慮してください」の張り紙があった。10数年前に来たときは先輩のYさんが「金時娘」に、ウィンドブレーカーにマジックで言葉入りのサインをしてもらって、大喜びをしていたのを思い出す。小屋の中では男性が切り盛りしていて、金時娘の姿は見えなかった。

「金時娘」こと小見山妙子さんは多分80歳近い高齢だと思う。お父さんは新田次郎を世に出した「強力伝」のモデルの小見山正である。白馬岳の山頂に合計188kgの風景指示盤を運び上げたことで知られている。

小屋の天井に登頂回数と名前を書いた木札がびっしりと打ち付けてあった。最高の回数は3000回とある。毎日登っても10年近くかかる回数である。3000回も登った人はどんな人なのだろう。

一息ついて下山にかかった。登りは皆に追い越されたが、下りは得意である。足の運びに昔の力はないが、中高年の登山者を何人も追い越して下る。しかし、調子に乗りすぎて途中でひざが笑い出し、スローダウンした。春には低山を何度か登り足を鍛えてきたつもりであったが、4ヶ月のブランクで元に戻ってしまった。また鍛えなおさねばならない。

ふもとの公時神社に参拝した。公時神社は御伽噺の金太郎のモデルとなった坂田公時を御祭神とする。坂田公時は平安時代の後期の武将源頼光の四天王の一人とされる。昔はもっとにぎやかな神社だったのだろうが、今では金太郎も流行らないか、静かな境内であった。

帰りに御殿場市温泉会館に寄った。何年ぶりかの入湯である。湯舟から富士山がまともに見える日帰り温泉として知られている。残念ながら今日は富士山は見えない。印象より湯船も洗い場も狭い。最近の日帰り温泉は湯船や洗い場を広く取っている。数え始めてから2年半で、30湯目の日帰り温泉である。西に帰るにつれて雨が降り出し繁くなってきた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

社内ハイクの下見

(大賑わいの金時山山頂)

本日は日曜日、社内ハイクの下見にK君に誘われて、金時山に出かける。

社内ハイクは山の会の主催でもう22年も続いている。以下にその22回の山の名前を書き出しておく。この中で平成13年の満観峰だけは欠席したが、後の21回はすべて出席してきた。この22年間一度も雨で中止になったことが無い。これはもはや奇跡と言って良いだろう。

  昭和59年 八高山   金谷町     平成7年 だいらぼう   静岡市
  昭和60年 びく石    藤枝市     平成8年 本宮山     森町
  昭和61年 長者ヶ岳  田貫湖     平成9年 牛ヶ峰(高山) 静岡市
  昭和62年 野田山   富士川町    平成10年 小笠山     掛川市
  昭和63年 帆掛山   清水市     平成11年 浜石岳     由比町
  平成元年 富幕山   奥引佐     平成12年 久遠寺-火剣山 掛川市
  平成2年 大尾山   掛川市     平成13年 満観峰     焼津市
  平成3年 千葉山   島田市     平成14年 びく石     藤枝市
  平成4年 高根山   藤枝市     平成15年 龍ヶ岳     山梨県
  平成5年 金時山    箱根      平成16年 パノラマ台   山梨県
  平成6年 高草山   焼津市     平成17年 三方分山    山梨県

お天気はもう一つであったが、雨になったら駐車場を確認して、温泉に入って帰ってくればよいと話しながら出かけた。金時山には平成5年に一度社内ハイクで登っている。その時は乙女峠から登ったと記憶しているが、今回は駐車場の都合で仙石の公時神社の登山口から登ることにする。金時山には霧がかかっているが、登り口に雨は降っていなかった。お天気は持ちそうであった。降っても大降りになることは無さそうで、登り始めた。

山頂近くに厳しい登りはあったが、登山道は概ね登りやすく整備されていた。ただ、雨が降ると登山道が雨水の流れ道になるのであろう。登山道の浸蝕が目立つ。登りは多くの人に抜かれた。それでも2時間はかからずに、12時には大賑わいの山頂に立った。景色は南のゴルフ場方面は見えたが、西の富士山の方は全く視界が無かった。この賑わいを見ていると金時山は東京圏の山だと改めて思った。

東名のサービスエリアで買ってきたおむすびと、金時小屋で購ったなめこ入り味噌汁で昼食にした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ