平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
再びの巨木巡礼 96 船木八幡神社のクスノキ
島田市船木、八幡神社のクスノキ
右手道路際に根元が見える
谷口橋を渡り、県道34号島田吉田線を南下、井口の交叉点を右折、750メートルほど進んで右折してすぐに船木八幡神社がある。12月29日、粟ヶ岳の帰りに立ち寄った。
2メートルほどの所で主幹が失われて根っ子だけ残る
左の根っ子だけ残るのがクスノキ
中は空洞で、ひこばえ伸びているだけであった。枯れてしまったというべきかもしれない。
「静岡県の巨木」には、幹回り5メートル、樹高7メートルと記録されている。
以上で、今年の「再びの巨木巡礼」を終える。
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令和3年もあとわずか、主として「かさぶた日録」から選んだ、今年の個人的な10大ニュースは以下の通りである。
四月 区長(会計担当)に就任。(来年3月まで一年間)
四月 かなくん、まーくん中学進学。(まーくん野球部、かなくん剣道部)
六~七月 新型コロナワクチン2度の接種を受ける。
八月 無観客の東京オリンピック開催される。
八月 「再びの巨木巡礼」始める。(30年後の「巨木巡礼」、年内96本)
十月 コロナ治まり、次兄の見舞と父母の墓参に、女房と帰郷。
十二月 「雲渓庵日記」(明治初めの徳川藩士の御達などの記録)解読終了。
十二月 「面白古文書12月」小冊子にまとめる。(古文書講座の枕の古文書)
十二月 岡部英一著「一言坂の戦い」出版。(古書籍、古文書解読で協力)
十二月 時代小説、年200冊読破。(全読破数、243冊)
来年はどんな年になるだろう。
「美耶巨萬有提」の解読 7
粟ヶ岳山頂から富士山/12月29日撮影
夕方、名古屋のかなくん一家帰郷。掛川のまーくん一家が合流して、今夜はにぎやかにすき焼きパーティ。コロナ禍以後、初めてのパーティである。飯を五合焚いたら、4人の孫たちの食欲で釜の底が見えて、急いで追加の五合を炊いた。食欲旺盛なだけに、皆、雨後のタケノコのように背が伸びて、びっくりさせられる。
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「美耶巨萬有提」の5P
「美耶巨萬有提」の続き、4P13行目より。
廿五日、徒とめて驛を多ち、寝覚の里、浦嶋子可古跡なりとて
臨川寺尓立よる。い可那る故乃有て、可く古跡と以へけんといふ。
可し起(かしぎ)尓案内須る童部(わらわべ)さへもて起て、何くれとみ多りこ登以ふ(事言う)
もうるさくて、立出(たちいで)ぬ。
※ 寝覚の里(ねざめのさと)➜ 「寝覚めの床」浦島伝説の残る、長野県木曽郡上松町にある景勝地。
※ かしぎ(炊ぎ)➜ 飯をたくこと。また、その人・場所。
三留野登いふすくまて、渓川(たにがわ)尓そひ
て、山吹盤さら也。きのふけふ成る登、徒ゝち(つつじ)さへ咲まし里(混じり)多るけ者い(気配)、以は無可多奈し(言わむ方なし)。洗馬といふすくよりけふま
て、三日乃山路、すへて山吹乃咲徒ゝ可佐る(続かざる)所なし。
唐衣(からごろも) 以さ(いざ)立可へて 山振(やまぶき)乃
起そ(木曽)路迠所(ぞ)ハ 以はま本し(いわまほし)け連
※ 唐衣(からごろも)➜ 唐風の衣服。袖が大きく、丈が長くて、上前・下前を深く合わせて着るもの。転じて、美しい着物。
※ 言はまほし(いわまほし)➜ 言いたい。
い尓しへ乃井な(伊那)乃下飛(下婢)も、めく里あはん(巡り逢わん)ハ以つれ(何れ)の日登、
名もなつ可しき(懐かしき)妻籠乃すくにやとる。
※ 下婢(かひ)➜ 召使いの女。下女。はしため。
【 読み下した文】
廿五日、つとめて驛をたち、寝覚の里、浦嶋子が古跡なりとて、
臨川寺に立ち寄る。如何なる故の有りて、かく古跡と云えけんと言う。
炊ぎに案内する童部(わらわべ)さえもてきて、何くれと妄り事言う
もうるさくて、立ち出でぬ。三留野という宿まで、渓川に沿い
て、山吹はさらなり。昨日、今日成ると、つつじさへ咲き混じり
たる気配、言わむ方なし。洗馬という宿より今日ま
で、三日の山路、すべて山吹の咲き続かざる所なし。
唐衣 いざ立ち替えて 山振(やまぶき)の
木曽路までぞは 言わまほしけれ
いにしえの、伊那の下婢も、巡り逢わんは何れの日と、
名も懐かしき妻籠の宿に宿る。
(5Pの2行目まで、以下続く)
「美耶巨萬有提」の解読 6
色々にぎやかな粟ヶ岳
栄西禅師と寅
午前中、粟ヶ岳に第3の寅像を見に行く。ここのとらは肥満体である。
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「美耶巨萬有提」の4P
「美耶巨萬有提」の続き、3P17行目より。
廿四日、徒とめて驛を多ち、福嶋と上松とのすくのあ
王ひ(間)、中平といふ里尓て、便(びん)えて故郷尓、古ゝまて津ゝ可(つつが)
なくこし登、消息せぬ。
※ 消息(しょうそく)➜ たより。手紙。
沓掛といふ里を過し可ハ、
果もの飛さく(鬻ぐ)嫗(おうな)乃「腰うち可け給へ。こゝそ、木曽乃かけはし(桟)
也」登いへ里。漢土(もろこし)、蜀乃桟道なといふめるものとも
なし。その可ミ(その上)桃青可「命をからむ蔦可徒ら」登
以へけ無(云えけん)も、以つれ(何れ)なりやと多とる(辿る)はかり也。い尓しへ盤、佐て
も、木枕(きまくら)、岩可登(岩角)踏さくみけん、此山路(やまみち)乃かく安須(やす)く
平ら可に、都大路(みやこおおじ)をゆけら無(行けらむ)可如くな里しを、
旅人盤 志らて過け無 か介はし(桟)も
御代乃めくみ(恵み)尓 かゝ里(掛り)ゆるとハ
※ 鬻ぐ(ひさぐ)➜ 売る。商いをする。
※ 木曽の桟(きそのかけはし)➜ 昔、木曽川の絶壁に数百mにわたって架けられた藤づるで編んだ桟橋。
※ 桟道(さんどう)➜ 山のがけの中腹に棚のように張り出して造った道。
※ 蜀乃桟道(しょくのさんどう)➜ 中国四川省北部、剣閣から北へ、陝西省の南部に通じる険しい道。蜀と長安を結ぶ交通の難所として知られた。
※ 桃青(とうせい)➜ 松尾芭蕉の事。
かけはしや 命をからむ 蔦かつら
※ 踏さくむ(ふみさくむ)➜踏み分ける。 難儀して踏み進む。
※ 木枕(きまくら)➜ 山道で、丸太を並べた階段。
まこ登(誠)や、
行路難(こうろなん)、非山(やまにあらず)非水(みずにあらず)、
在人情(にんじょうにあり)」
と打す(誦)して過ぬ。此王多り乃山の姿、渓川(たにがわ)乃なかれ(流れ)、
巌(いわお)乃たゝすまゐ(佇まい)、唐画尓可起(画き)多らん如く、興(きょう)ありて
を可し。弥生の里も、桜盤ちりて名能ミなり。上松
乃すく尓や登る。
※ 行路難、不在山兮、不在水、唯在人情反覆之間 〔白居易‐太行路詩〕
【 読み下した文】
廿四日、つとめて駅をたち、福嶋と上松との宿の間、
中平という里にて、便得て故郷に、ここまでつつが
なく越し、と消息せぬ。
沓掛という里を過ぎしかば、
果物鬻ぐ嫗の「腰うち掛け給え。こゝぞ、木曽の桟
なり」と云えり。漢土、蜀の桟道など、いうめるものども
なし。その上、桃青が「命をからむ蔦かずら」と
云えけんも、何れなりやと辿るばかりなり。いにしえは、さて
も、木枕、岩角、踏さくみけん、この山路の、かく安く
平らかに、都大路を行けらむが如くなりしを、
旅人は 知らで過ぎけん 桟も
御代の恵みに 掛りゆるとは
誠や、「行路難、山にあらず、水にあらず、人情に在り」
と、打ち誦して過ぎぬ。このわたりの山の姿、渓川の流れ、
巌の佇まい、唐画に画きたらん如く、興ありて
おかし。弥生の里も、桜は散りて名のみなり。上松
の宿にやどる。
(4Pの12行目まで、以下続く)
読書:「真夏の刺身弁当」 沢野ひとし 著
「美耶巨萬有提」の解読 5
静岡市駿河区曲金、軍神社のイチョウの紅葉
12月15日の撮影、ちょっと古いけれど
落葉のじゅうたん
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「美耶巨萬有提」の続き、3P3行目より。
廿一日、徒とめて驛を多ち、行手尓善光寺如来を
を可ミ(拝み)、犀川(さいがわ)を渡る。丹波嶋(たんばじま)の遠近(おちこち)、桃尓
麥那里(なり)。東路(あずまじ)尓可よふ(通う)篠井乃里過て、稲荷
山乃すく(宿)にやとる。
※ 遠近(おちこち)➜ 遠い所と近い所。あちらこちら。
廿二日、津とめて驛を多ち、猿可馬場といふ多うけ(峠)、以登(いと)
け者し(険し)。賤(しず)乃女可うむ(産む)てふ(という)貴き君、麻績(おみ)、名に
おふ。青柳(あおやぎ)な登いへるすく(宿)をゆくり可(ゆくりか)尓す起ぬ(過ぎぬ)。
會田より刈谷原、岡田な登いふあわひ(間)、所々多うけ(峠)
あ李て、松本乃すく(宿)まてゆ可んハ、おそ可り那ん
登て、夕徒けて浅間といふ温泉ある所尓やとる。
※ ゆくりか ➜ 軽はずみであるさま。不用意なさま。
※ あわい(間)➜ 物と物とのあいだ。
※ 夕づく(ゆうづく)➜ 夕方になる。日暮れに近づく。
廿三日、今朝もゆあミ(湯浴み)志て、辰乃時過るころ多つ。洗馬(せば)
といふすくよ里、中山道也。此わ多りより行先
乃みちのへ(道の辺)、山吹咲そめ多り。贄川(にえかわ)といふすく尓やとる。
※ 辰の時(たつのとき)➜ 現在の午前八時の前後二時間頃を指す語。
※ 咲きそめる(さきそめる)➜ 花が咲きはじめる。
【 読み下した文】
廿一日、つとめて駅をたち、行く手に善光寺如来を
拝み、犀川を渡る。丹波嶋のおちこち、桃に
麦なり。東路に通う篠井の里過ぎて、稲荷
山の宿にやどる。
廿二日、つとめて駅をたち、猿ヶ馬場という峠、いと
険し。賤(しず)の女が産むという貴き君、麻績、名に
負う、青柳など云える宿をゆくりかに過ぎぬ。
会田より刈谷原、岡田などいう間(あわい)、所々峠
ありて、松本の宿まで行かんは、遅かりなん
とて、夕づけて浅間という、温泉ある所に宿る。
廿三日、今朝も湯浴(ゆあ)みして、辰の時過ぐる頃立つ。洗
馬という宿より、中山道なり。このわたりより、行く先
の道の辺、山吹咲き初(そ)めたり。贄川という宿に宿る。
(3Pの16行目まで、以下続く)
再びの巨木巡礼 95 湯日八幡神社のスダジイ
島田市湯日、八幡神社のスダジイ
12月22日、三本目の巨木は、島田市湯日の八幡神社のスダジイである。
島田から谷口橋を渡り、県道34号島田吉田線を南下、色尾の交叉点を右折、湯日の谷に入る。2.7キロほど進むと新幹線を潜るが、その手前200メートルほどの左の山側に、湯日の八幡神社がある。神社へ上がる石段の途中に、八幡神社のスダジイは見えている
石段の半ばの脇にあって、参拝の邪魔になって
案内板によれば、明治初年、参道脇でじゃまになると、切り倒すとの声もあったようだが、現在に至っているという。当時の村人の判断は正しかったと思う。社殿は建て替えが出来るが、巨木を育てるには数百年かかる。片田舎の神社ではあるが、このスダジイのお陰で誇るべき神社になっていると思う。
何本かの幹を束ねてねじったように見える
これも案内板によると、幹周囲5メートル、樹高20メートル、樹齢は400年以上だと記されていた。外見では何本かの幹が束になって、一本にねじられているように見えるが、樹種によって、老木になると幹が縦に割れて、そのように見えるものがあると言い、もちろん一本の木である。
この日の巨木巡礼はここまでとし、帰路に付いた。
ここまでで、5ヶ月で、95本の巨木を見て来た。その内訳は、「再びの巨木巡礼」リストをご覧下さい。見て来たのは遠州の一部と駿河の一部に過ぎない。巡る中に色々と発見もあって、なかなか面白い。だから、まだまだ続く。
再びの巨木巡礼 94 若宮神社のスダジイ
掛川市逆川池下、若宮神社のスダジイ
12月22日、二本目の巨木は、若宮神社のスダジイである。
掛川市伊達方から国道1号線の南、逆川の隔てた向う側の道を、西へ1.5キロほど西へ進んだ左側に「鞍骨(くらほね)の池」がある。池の名前の由来によると、戦国時代、今川の武将、堀越陸奥守が、横地、勝間田の連合軍に敗れて討ち死にし、ここに埋められたことによるという。その池の十字路を直進するとすぐの角に、石垣の上の若宮神社と、その斜面にV字形に幹を伸ばしたシイノキの巨木がある。
しばらく見ない中に、幹が傷んできたように見える
昔の職場に近かったから、通るたびに見えたお馴染みの巨木であったが、しばらく見ない中に、随分傷んできたように思う。右側の幹は傷みが激しくて、5、6メートルあたりで、すっぱりと伐り詰められてしまった。「静岡県の巨木」には、幹周囲7メートル、樹高20メートルとあったが、樹高は15メートル足らず、幹も何やら細くなったように見える。もっとも、7メートルの幹回りといっても、2本の幹合わせて測ったものではあるから、幹1本で7メートルの巨木と比べれば、見劣りするのはやむを得ない。
神社側から見ると
初めて若宮神社に登って見た。こちらから見ると、V字形の幹に傷みがあるようには見えなかった。
再びの巨木巡礼 93 松葉のカヤ
掛川市 松葉のカヤ、斜面に添うように枝を伸ばす
12月22日、大代のジャンボ干支「寅」を見た後、倉真へもう一頭の寅を見に行く途中、大代から山越しで倉真へ出る直前、掛川市倉真の松葉で、左へ行けば松葉の滝へ通じる三叉路の目の前に、天然記念物の案内板があった。
掛川市指定の天然記念物、松葉のカヤは、道も明らかでない緩斜面を登り、天然記念物の案内板の先の斜面にあった。簡易水道と思われる施設があったので、そばまでは行かずに写真を撮るに止めた。斜面に添うように枝を伸ばした姿は、今まで見たカヤの巨木とは少し違っていた。
松葉のカヤ
案内板によれば、掛川市の天然記念物指定は平成12年2月24日、樹高14.2メートル、幹周り4.3メートル、根周り11.7メートルとあった。「静岡県の巨木」には掛川市にカヤの記録はないから、山中に隠れていて、巨木調査では未調査だったのだろう。
このように、「静岡県の巨木」に未記載の巨木が、まだまだ多いのだろうと思う。
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夜、年賀状の印刷する。明日は宛名印刷である。
読書:「濡れぎぬ 研ぎ師人情始末11」 稲葉稔 著
来年の干支の寅を見に行く
「大谷さ~ん」の向うにジャンボ干支の寅
一昨日、「来年の干支の造り物を見に行こうと出掛けたが、‥‥」の続きである。
島田市五和から大代の谷に入って、大代川に沿って4.5キロ入った左側道畔に、来年の干支の寅の大きな造り物がある。大代の王子田会制作のジャンボ干支である。前年の丑こそ、コロナ禍で取りやめになったが、もう四半世紀も続いていて、しまだ市民遺産にも認定されている。こうなったら中々止められないだろう。
平日ながら、見に来る人は多いようだ。今年の寅は親子三頭、前にもまして大きく、製作者の意気込みが知れる。見物を終えて、思い出した。掛川市倉真にも寅の造り物が出来たと、テレビで見た。そこへ行ってみようと、大代川を遡って、トンネルを越えた庄司から、県道ながら悪路の山越えで、倉真に向かった。途中、松葉でカヤの巨木を一本見て(後日紹介)倉真の集落に入った。
テレビで流れるのを横目で見ていただけだったから、聞き間違えたかと不安になりながら、倉真温泉の広場の近くで、寅の造り物を見つけた。
倉真の寅の造り物
立派な歯を付けてみたが、インプラントじゃあないよ
話し好きのおじさんが説明してくれる。お昼になったので、ラーメンを頼んで説明を聞いた。
倉真地区ではフジバカマを植えていて、秋に、長距離を渡る蝶として有名なアサギマダラがやって来ると、それを報道したビデオを流してくれた。アサギマダラの生態や、飛来先を調べるイベントなど、詳しく話してくれた。すぐ脇に枯れたフジバカマの畑があり、今は、アサギマダラの飛来も終わって、次の人寄せに、今年初めて寅の造り物を造ってみた。立派な歯を付けたことが自慢のようで、「インプラントじゃあないよ」とジョーク。
コックさんをしていたという、別のおじさんが作った、普通のラーメンを頂いて(そこそこ旨い)倉真を後にした。
「美耶巨萬有提」の解読 4
「美耶巨萬有提」の3P
「美耶巨萬有提」の続き、2P10行目途中より。
そ乃可ミ(その上)、東乃土城のも登(元)尓物せん
とて、む月(睦月)乃末つ可多(方)、雪ま多(まだ)ふ可ゝり(深かり)けるに、此わ多
里をそ李(そり)といふもの尓能里て(乗りて)、過尓し(すぎにし)事とも思へ
出(いで)て、
雪のうへ乃 そ里尓盤あらぬ そり人乃
行雄を飛き(率)て こゆる中山
このそけ歌盤、飛とりすし(誦し)てやミぬ。
※ 其の上(そのかみ)➜ 当時。そのころ。
※ 睦月(むつき)➜ 旧暦一月の異称。
※ 末つ方(すえつかた)➜ 一月や季節などの終わりのころ。
※ そり人(逸り人)➜ 思いがけない方へ向かう人。それる人。
※ そげ歌(そげうた)➜ ひねくれた歌。
中山といふは、妙高山乃麓尓徒ゝき(続き)て、二本
木といふ宿与里(より)柏原乃宿まて、八つ乃驛路(うまやじ)を
志可以ふ(しか言う)也と可や。所々一重ハち里(散り)て、八重桜尓
名多ゝる(名立たる)雪乃おも可け(面影)能こり(残り)多る。めつらし(珍し)おもへ
かけぬ行雄まて、うちむれ里(うち群れり)。けふ牟礼(むれ)といふす
く(宿)にやとるも、よし(由)あ里や。
※ 駅路(うまやじ)➜ 宿駅のある街道。えきろ。
※ しか(然)➜ そのように。さように。
※ 「むれ」と「牟礼」を掛けている。
【 読み下した文】
そのかみ、東の土城の元に物せん
とて、睦月の末つ方、雪まだ深かりけるに、このわた
りを、そりといふものに乘りて過ぎにし事ども、思え出でて、
雪のうえの そりにはあらぬ そり人の
行雄を率きて 越ゆる中山
このそげ歌は、ひとり誦して止みぬ。
中山というは、妙高山の麓に続きて、二本
木という宿より柏原の宿まで、八つの駅路を
しか言うなりとかや。所々一重は散りて、八重桜に
名立たる雪の面影残りたる。珍し思え
掛けぬ行雄までうち群れり。今日、牟礼という宿
にやどるも、よしありや。
(3Pの2行目まで、以下続く)
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昨日の話の続きは一日延ばして、明日へ。
読書:「渡り鳥 知らぬが半兵衛手控帖 16」 藤井邦夫 著
「美耶巨萬有提」の解読 3
「美耶巨萬有提」の2P
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「美耶巨萬有提」の続き、2Pより。
廿日、徒登めて(つとめて)驛(うまや)を多ち、小出雲坂をこえなは、
ゆく先み可多志(見がたし)とて、はる可(遥か)尓北乃海をふりさけみる(振り放け見る)ハ、
帰り来ん年、その名残なりや。関山乃宿尓やすらふ
ほとに、あとより馬を以そ起(急ぎ)て、市川行雄き多る。
※ 小出雲坂(おいずもざか)➜ 上越市中郷区板橋と妙高市小出雲との間、「北国街道」にある坂。
※ 振り放け見る(ふりさけみる)➜ 遠くを仰ぎ見る。はるかかなたを見上げる。
こ盤(こは)何事乃以て起(出で来)つら無と、むね(胸)さ王(騒)可るゝ尓、「共に
都尓ものせ(物せ)ま保しく、みそ可に(密かに)家をぬけ以て(出で)ゝ、
夜を日に徒起(継ぎ)てこし(来し)」登可多る(語る)尓、まつおち津起(落ち着き)ぬ。
かくは可り(ばかり)、心はセ(馳せ)しを、以那(否)といはんもほ以(本意)なく、父の
行貞可二尓(二タ荷)之み盤、おの連(己れ)可徒起(担ぎ)て無と、うへなひ(宜い)て
打徒れぬ。
※ 物す(ものす)➜ 行く。来る。
※ みそかに(密かに)➜ ひそかに。
※ 本意(ほい)➜ 本当の気持ち。本心。真意。
※ 宜う(うべなう)➜ 承諾する。肯定する。
【 読み下した文】
廿日、つとめて駅をたち、小出雲坂を越えなば、
ゆく先見がたしとて、遥かに北の海を振り放け見るは、
帰り来ん年、その名残なりや。関山の宿に安らう
ほどに、あとより馬を急ぎて、市川行雄、来たる。
こは何事の出で来つらんと、胸騒がるゝに、「共に
都に物せまほしく、密かに家をぬけ抜け出でて、
夜を日に継ぎて来し」と語るに、「まず落ち着きぬ。
かくばかり、心馳せしを、否と言わんも本意なく、父の
行貞が二荷のみは、己れ担ぎてん」と、宜いて
打ち連れぬ。
(2Pの10行目途中まで、以下続く)
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昨日、植木屋さんが入って、今朝少し残った仕事を終えたのが10時、天気が良いからどこかへ、との女房のリクエストに、来年の干支の造り物を見に行こうと出掛けたが、‥‥
詳しくは明日。
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