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ウォシュレットの水漏れ

(庭のトレニア-ゴマノハグサ科)

先日、浄化槽が漏れていると言われ、修理に10万円以上掛かったばかりで、今度は2階のトイレのウォシュレットの水漏れが発覚した。トイレの床に水漏れしていると女房がいう。さっそく近所で水道工事店に勤めているHさんに見てもらった。その結果、ウォシュレット本体からの水漏れで、自分の手には負えないから、島田の修理専門業者に連絡して見てもらうと言って帰った。それが金曜日のことである。

明けて昨日の月曜日、3時過ぎに帰宅すると修理に来てくれると伝言があった。間もなく、水道工事店の若い担当者が来て、「ウォシュレットの修理が効かないから、新しい物に交換しますがどれがいいですか」とカタログを取り出す。「ちょっと待って、今日は専門の業者が修理に来るというから待っていた。故障の様子を見もしないで交換というのはおかしかないか。」
「もう11年経っていて、この型式のものは部品がないから修理が出来ないと言われた。家電と一緒で部品を持つ期間は7年まで、去年9月までは部品があったのだが」と説得にかかる。

「それでも見もしないで新品に換えろというのは乱暴な話だ」「見に来てもらうだけでお金が掛かるから」とはおためごかしな言い方である。「あなたは見積もるために来たのだろうから、見積もってくれるのはいいけれど、とにかく一度見てちゃんと説明するのが筋だろう」

息子の友達だと言っていた若い担当者は帰って行った。結果は同じなんだろうが、商売のやり方としては下手である。それを知らしむために、爺さんは分らず屋になることも必要だ。と、すぐに戻ってきて、「専門の修理業者が近くにいるのでもうすぐ来てくれるそうです」と言って帰った。

しばらくすると今度は修理業者を伴ってきた。3人でウォシュレットを見に行く。カバーは簡単に外せ、中を見せてくれた。カバーの中には臓物が目一杯詰まっていた。温水を出すためにお湯を作るタンクの弁が長い年月に熱で変形したのだと説明があり、水を手でさえぎりながら出してみると、タンクから漏れた水が周りを巡って槽に流れ込んでいる。この水の一部が床へこぼれているようである。

「この温水のタンクの部分はユニットで取替えられるのだが、部品がもうないから修理できないのだ」と説明する。更新を早めるメーカーの戦略なのだろうけれど、そんな風に説明してくれれば判る。「我々も修理をしないとお金にならないので、修理をしたいのだが、部品がないのでどうにもならない」

結局了解したが、この担当は対応を間違えると客を失うところであった。納得したから見積りを持ってくるように言って帰した。

会社に帰ってうるさい客に当ったと報告しているだろうか。それとも、客の気持を理解しないで、対応を間違えるところであった反省しているであろうか。この先、彼の営業活動の可否が掛かっていると思った。今日見積書が届いていた。また12万円余の出費である。痛いなあ。
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今年も出掛けた栗拾い

(栗拾いで収穫してきた栗)

昨日の続きである。

男滝・女滝を見た後、帰りに掛川に栗拾いに寄った。まーくんを伴って娘夫婦も夫君の実家で待っていてくれた。さっそく裏へ栗拾いに行った。元田んぼであったところに栗の木が植えられているが、かなり枯れてしまった木も多いという。畦沿いの二、三本でたくさん落ちていた。裸で落ちているクリもたくさんあった。はじめはそれらの栗を拾った。イガに入ったものは軍手をはめても手では取り出せない。両の靴先で割れ目を広げて取り出した。あとで夫君が火バサミを貸してくれて、これは必需品だと思った。消毒を全くしていないと言い、無農薬で好ましいが、枝に虫が付いて、大枝が枯れていた。触ったらもろく落ちてしまった。

息子が拾った跡を見ると拾い残しがずいぶんあったので、落穂ひろいをしていると、虫が入っていて拾わなかったものだという。先に言えよ。栗の木の根元にマムシがいると息子たちが騒いでいる。日が傾いて虫が寄ってきて、虫に刺されるのも嫌であったから、引き上げることにした。

庭先で、まーくんの曾御祖母さんと御祖母さんたちとお茶をよばれた。それまで曾御祖母さんと御祖母さんはそれぞれ草刈をして、草を燃やす煙りの筋を上げていたのだが、手を休めて縁側に戻ってきてくれた。

まーくんの御祖母さんと言ってもまだずいぶん若いのだが、栗の木が次々に枯れて年々少なくなるという話に、栗の木は条件次第でずいぶん太くなって、東北の三内丸山遺跡で出土したように太い柱として使われている例もあるとうんちく話をする。栗の木から柱に使う材が取れるという話に信じられないという顔になる。自分も話している間に不安になってきた。帰ってからネットで調べると、クリやクルミという記述があったが、見つかった掘立柱が栗の木であったという記述は見つからなかった。発掘当初、栗の木と聞いて、有用な食物で集落のそばにたくさん植えられていたのだろうと思い、印象に残って記憶していたから間違いないはずである。

まーくんの御祖母さんが、あの落葉樹なら柱になりそうだと指差す方に、隣家の落葉樹が真っ直ぐに立っていた。あれはエノキだと曾御祖母さんが言う。エノキは隣りの地所との境界によく植えられたものだそうですねと話を合わせた。たしかにその木も隣りとの境界近くに植えられていた。御祖母さんはさらに隣りの杉の木を指して、あの方向から朝日が上るので気になる。お嫁に来たころは低かったから、朝日の差すのも早かったけれど、年々高くなって朝日が差すのが遅くなったと話す。

帰りに、収穫したクリに加えて、曾御祖母さんの作った野菜(カボチャ、秋ナス、ゴーヤ)をいただいた。

持ち帰った栗を見て、女房が息子の拾ったものは皆んなきれいだが、自分が拾ったものは明らかな虫食いが多いとクレームを付けた。そして虫食いと良品を仕分けた。見れば判るだろうというが、自分にはもう一つ虫食いの区別が出来ない。
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阿多古七滝の「男滝・女滝」

(阿多古七滝のうち「男滝」)

今朝、掛川の娘の夫君の実家から、栗がたくさん落ちているから、拾いに来てと連絡があった。この栗の経緯については、昨年「栗ひろいはどうなった?」で詳しく記した。せっかくだから出かけようと話し、都合が悪い女房を残して息子と出掛けた。思いついたのが11時、このままおじゃまするとお昼になる。その前に滝を見てきて、帰りに栗拾いに寄れば頃合いになるからと、天竜まで車を進めた。

ターゲットは前回の青谷不動の滝とは山の反対側の男滝・女滝とした。「青谷不動の滝」も「男滝」も「女滝」も、「阿多古七滝」に数えられている。七滝はこの三つのほかに、「清滝」「倉沢不動滝」「かまんどの滝」「不動の滝」とあるようだが、まだよく調べていない。

前回と同じ飛龍大橋を渡り、阿多古川に沿って北上する。下阿多古小学校の手前で左折し、阿多古川の右岸を進む。左側の阿多古川は緩やかな清流でバーベキューや川遊びなどが楽しめる。今日ももう寒かろうに海水パンツになって魚の網で遊んでいる人たちがいた。川へは左岸の下阿多古の集落から入れる。右岸は崖になって近づけない部分が多い。その右岸を進むと、男滝・女滝の標識が出て来た。山道をさらに1キロほど登っていくと、左へのカーブに車が駐車でき、そこに「女滝」の降り口の標識があった。


(阿多古七滝の「女滝」)

山道を5分ほど下ったところに「女滝」はあった。手前に沢から水を引くために自然石を積み上げて作った堰と水路があった。かなり古いもので、今はもう使用されていないのであろう、堰や水路はすでに壊れて小さな滝を作っていた。この堰の山際の踏み跡を乗り越えた先に「女滝」が落ちていた。落差20メートル、ニ段になって、二段目の落ち口に岩が挟まって、岩の下から水が噴出しているように見える。この滝の案内書の写真を見ると、水量が増えるとこの岩を越えて水が落ちてくるようである。女滝はやや末広がりに滝壺へ注いでいた。


(横から見た「男滝」)

女滝から車道に戻って、車でわずかに先へ進むと「男滝」が右下に見えてくる。手前から滝へ下る道は通行禁止になっていた。少し先へ進むと滝の落ち口から遊歩道があった。遊歩道をたどると滝の下の滝見のスペースへ降りることができた。この滝見のスペースも自然石を積み上げて造った古いものであった。「男滝」は落差7メートル、巾が6メートルあるといい、なかなか見ごたえがあった。
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小泉元首相が引退する

(庭の白のヒガンバナ)

一昨日、小泉元首相が議員を引退するというニュースが列島を駆け巡った。引け際の鮮やかさは彼らしいと概ね評価されているが、後継者に自分の秘書である次男をあてる点は評価が分かれた。2世3世議員がぞろぞろ居て、国会議員という職業が家業となってしまった感がする。安倍さんも福田さんも、麻生首相も2世3世議員である。

2世3世議員が政界で目立つのは確かである。2世3世議員は親の地盤を引き継いで議員になってくる。下積み無しで議員になるから年齢が若く、泥にまみれることも無しに政界に出てくる。だから全般に2世3世議員は清潔なイメージが持たれやすい。政界の序列は当選回数で決まる。若くして議員になれば、政界で伸し上がる可能性も高い。

政治家の係累を持たないと、秘書など下積み時代を長く過ごすため、議員になる年齢が高くなる。政界の序列が上がらないうちに政治家としての賞味期限を終えてしまう。しかも下積み時代に多く汚れ役も果たし、ダーティなイメージを引きずることにもなりかねない。

政治家は2世3世議員で良いかというと、それだけでは日本の政治は軽くなってしまう。首相になることは、良くも悪くも日本で最高の権力者になるということである。首相の座は権力欲が旺盛でなければ勤まるものではない。2代続いて任期途中で政権を投げ出した2世3世議員の首相は権力欲が希薄であったような気がしてならない。だからいとも簡単に政権を投げ出した。親の後を継いで国会議員になっただけで、権力を得たいと思って政治家を目指したわけではない。

2世3世議員を批判しても、それを選ぶのは国民であり、落選させることは出来るわけで、そうしないのは国民が2世3世議員を認めていることになる。ただ選挙民側からは選択の余地がないとも言える。かつて松下政経塾というのがあって若い政治家を育てようとした。そこ出身の政治家も何人か残っている。日本にも政治家を養成するためだけの大学や学部があっても良いと思う。ただ、役人の成れの果てに政治家になり、族議員いう群れを作って日本の政治を歪めている国会議員よりも、2世3世議員の方が余程いいと思う。

    *     *     *     *     *     *

今日はまーくんのお食い初めを夫君の掛川の実家で行うと聞いていた。夕方、無事に終わって、お赤飯のお裾分けを持って親子3人で来た。そのまま来たようで、炊飯器から直接お赤飯を分けてもらった。数日前に娘が試しに炊いたお赤飯を試食させられた。その甲斐あって上手にできたようだ。曾祖母がまーくんの口に形だけの食事を運ぶ様子を、ビデオで見せてくれた。またお祝いにあげた幼児の食器セットに鯛などを盛り合わせたデジカメ写真もあった。まーくんが疲れてしまって、むずかったので、早々に帰って行った。喜びに湧く掛川の実家の様子が目に浮かぶようで、まーくんは想像以上の幸せを両家に運んできてくれたようだ。
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健康診断のあった一日

(玄関脇のムラサキシキブの実)

今日はどういう日であったか、出来事や胸に去来する事を記してみよう。

会社の健康診断で、朝、いつもより早めに出掛けた。人間ドックに行けばと言われるが、なに、今は健康診断も人間ドックも検査項目に大差はない。健康診断は短時間で済むし、病院に行くのは出来れば避けたい。健康診断は滞りなく進んだ。心電図の検査が終わって、「腹回りを測りますからおへそまで出してください」と、“来たーー!”メタボの測定である。腹をへっこめようとする企みが先回りされて「お腹の力を抜いてください」ときた。「87センチメートル」と勝ち誇るような言い方である。「そんなはずはない」という言葉は呑み込んだ。

9時には健康診断も終った。今日はもともと自分の休みの日である。朝食も抜いているし、バリウムを呑んで下剤も飲んだ。これから自分の身体に起きる異変も心配だ。道草せずに、そのまままっすぐ家に帰った。

女房は友達に会うのだと靜岡に出掛けた。下の娘が皮膚科に行くため、その間、まーくんを見ていて欲しいと頼まれている。10時にやってきて、母乳を飲ませて寝たところで11時頃に出かけて行った。一時間くらいは寝ているだろう。

この間に昼食を作る。夏になる前に、うどん、そば、そーめん、きしめんなどの乾麺の在庫がたくさんあった。夏の間にそれらを主に付け麺で大いに食べた。その結果、麺類の在庫を見ると、ほとんど底をついていた。残っていたきしめんを作ろう。「だしつゆ」が買ってあると女房が言っていたのを思い出し、掛け汁を作って暖かくして食べようと思った。

掛け汁は8倍に薄めると判ったが、初めてのことなので汁の量がわからない。どんぶりに水を入れてみて、一杯200CCが適量と踏んだ。冷蔵庫にあったあぶらげを短冊に切り、ネギも入れた。茹で上がったきしめんをどんぶりに入れて、卵を落とし掛け汁を掛ければ出来上がり。我ながらいい味に出来た。マニュアル通りに作れば、簡単な料理なら失敗することはない。

一時間経って、まーくんが目を覚ましてむずかり、15分ほどなだめすかしているところに、下の娘が帰って来た。何とか救われた。

午後、何回かトイレに通いながら、読書をしているつもりがいつの間にか寝ていた。まーくんの泣き声を聞いたような気がして、目が覚めたら4時を回っていた。そのうち、女房が駅への迎えの電話をしてきた。時間を計って迎えに行く。

カーラジオで、王、小泉、朝青龍の三人で、引退が惜しまれる人は誰かと、随分失礼な電話アンケート調査をしていた。王監督は今シーズン限りで監督を辞めると表明している。小泉元首相も今期限りで議員を引退すると昨日表明したばかりである。しかし朝青龍は今場所途中休場しただけで、引退を表明したわけではない。アンケート結果は王監督が半分、小泉元首相が4分の一、朝青龍が4分の一の結果になった。

まーくんがもう少しで寝返りが打てそうで、最後の腕が抜けないでウンウン言っている。蒲団の縁に寝かせると、段差を使ってゴロンと転がった。成功と思ったら転がりすぎて、うつぶせ状態に止まらずに、あお向けになってしまった。上手くいかないとワーワー騒ぐ。寝返りを打つのも時間の問題であろう。

今日一日のことを書き始めるとたちまち一日の書込みの分量を越してしまった。
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トキが放鳥された

  
(トキ放鳥)

我が故郷のコウノトリが放鳥されて早くも丸3年経つ。ヒナも昨年1羽、今年は8羽が巣立ち、飛び立った幼鳥は関西、中国、四国、最も遠くは九州の佐世保まで、驚くほど遠くへ活動範囲を広げている。コウノトリの放鳥は一度は絶滅した大型鳥類を再び自然界に帰した、世界でも例のない成功事例となった。

コウノトリと同じように一度は絶滅した大型鳥類のトキが、今日、新潟県佐渡市で試験放鳥された。大空から佐渡のトキが消えてから、27年目の快挙である。佐渡トキ保護センターでは中国からトキを譲り受け、この20年で122羽にまで増やして、今日の放鳥を迎えた。

今朝10時30分、秋篠宮ご夫妻を迎えて、雌雄各5羽の10羽が試験放鳥された。これが本当の「トキ(解き)放たれた」だねと親父ギャグ。放たれたトキは四方に散らばって、ほぼ半径2、3キロメートルの範囲内に広がっているという。バラバラに広がって飛んだことを研究者が残念がる報道があったがその理由がわからない。ハラハラでは繁殖出来ないという意味であろうか。まだ先は長いわけだから一喜一憂していれば疲れてしまう。とはいっても、コウノトリのように上手く自然界で繁殖が出来るかどうか、しばらくは注目である。

トキのことを少し調べてみた。トキの学名は「ニッポニア・ニッポン」コウノトリ目トキ科の鳥である。コウノトリと割合近い仲間のようだ。全長約75センチメートル、全長1.1メートルというコウノトリよりもやや小振りである。白色の羽毛に覆われ、後頭部に長い冠羽がある。風切羽や尾羽は淡紅色を呈し、顔と脚が赤い。繁殖期には羽色が灰色となる。黒く長い下方に湾曲したくちばしを持つ。

コウノトリと同じようにかつては日本各地に分布していたが、乱獲と害鳥として扱われたこともあり、明治以降激減した。5羽まで減って、1981年、最後の生育地の佐渡でその5羽を捕獲し、人口繁殖が試みられた。しかし、コウノトリがたどったと同じように、2003年までにはすべて死に国内の野生種は絶滅した。野生では中国の陝西省で繁殖が確認されていのみである。特別天然記念物にして国際保護鳥である。

風切羽や尾羽の色はピンク系の「とき色」として、色見本などに昔から使われてきた。かつてはそれだけ身近な鳥であったことが判る。ついでに言えば、高層湿原の植物にトキソウという花があるが、花の色がとき色であることから命名されている。

3年前、コウノトリの最初の放鳥の時も、秋篠宮ご夫妻を迎えて行われた。あの後、秋篠宮家には後に悠仁親王と名付けられる男子御懐妊の慶事があった。さてトキの放鳥はどんな慶事をもたらしてくれるのであろうか。
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「青谷不動の滝」と垂木川のヒガンバナ

(青谷不動の滝)

葛布の滝を観たあと、もう一ヶ所滝を観に行くことにした。案内書で浜松市天竜区にある「青谷不動の滝」を選んだ。森町から天竜川に出て飛龍大橋を渡った。橋の街灯に空を飛ぶ龍の意匠が施されているのに気が付いた。県道9号天竜東栄線を阿多古に向かう途中に標識があり、左折して、一台の車がやっと通れる細い橋で阿多古川を渡った。

橋の先に車を停めて、遊歩道を行く。周りに幾つもの人の住まない廃屋が点々とあり、道端には句碑や歌碑が幾つも建っていた。寂れた雰囲気で、かつては滝が景勝の地として賑わっていたのだろうか。あるいは、滝に打たれる修行の地として、参拝客が多かったのであろうか。荒れた遊歩道を数分歩いて不動尊を祀ったお堂に出た。「青谷不動の滝」はお堂の後ろに落ちていた。

途中の案内板には郷土の国学者内山真龍が文化七年(1810)9月に、青谷不動の滝を訪れたときの日記から引用した文が載っていた。

青谷村小堀谷の岩から湧き出した水は、800メートルほど流れて滝となる。滝は十六メートルの落差があり、その下に不動尊がまつられている。青谷の地名は、平安時代には碧田と呼ばれていたものが、青谷となった。

  岩ばしる たるみの末は 長石の いつみてぐらを とらぬ日もなし 真龍


地の文はメートルの表示も含めて現代文に直されているが、和歌は原文に近いのだろう、意味がわからない部分がある。少し調べてみよう。

「岩ばしる」は「たるみ」に掛かる枕詞。「たるみ」は「垂水」で「垂れ落ちる水」で「滝」のこと。「長石」はこの滝の下の集落。「みてぐら」は「神に奉納する物の総称」。「みて」は「見る」と「みてぐら」の掛詞。歌の意味は「滝の流れていく下の長石ではいつ見ても神へ奉納するものを採っていない日はない、それだけ豊穣の地である」という土地誉めの挨拶歌であろう。

「青谷不動の滝」落差15メートルほどでまっすぐに滝壺に落ちていた。黒い滝壁は葛布の滝と同じような褶曲が現れていた。午後の東側の山腹で、薄暗くてどうかと思ったが、滝壺の下の流れの岩に降りて写真を撮った。


(垂木川土手のヒガンバナ)

帰り道、掛川市初馬を通る道を選び、渡った原野谷川の支流の垂木川で、土手を真っ赤に染めるほどのヒガンバナの群落があった。わざわざ引き返してデジカメに納めてきたが、圧巻の風景であった。今日は彼岸の中日、初めから終りまでヒガンバナの咲く中のドライブとなった。
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彼岸の中日の「葛布の滝」

(葛布の滝 一の滝)

今日は彼岸の中日。この季節、計ったように彼岸花が咲き出す。一週間前には全く見なかった彼岸花が、土手や畦を鮮やかな赤に彩っているのに、今朝始めて気が付いた。10時ごろ、女房の実家にお墓参りに行った。その後、女房は毎年恒例の、40年前に亡くなった同級生のお墓参りに友人二人と出掛けた。おそらくおしゃべりが弾んで、夕方まで帰って来ないだろうと思った。昼食に蕎麦を作って食べた後、突然に思い付いて、息子を誘い滝を見に行くことにした。


(大代川土手の紅白入り乱れた彼岸花)

今月の5日に平沢の大滝を見に行って時間が掛かったため、次の機会にした「葛布(かっぷ)の滝」が最初の目標である。最初に大代川の土手に出て、女房がムサシの散歩で見たという、彼岸花を見に寄った。これは植えられたものであろう、白と赤の彼岸花が入り混じって咲いていた。彼岸の花も紅白そろうとお祝いの花に見える。

前回と同じように大代から峠を越えて、原野谷川に沿って原田まで進み森町に抜ける。アクティ森とは反対側、県道58号袋井春野線を進む。間もなく葛布入口のバス停の先で左折し、葛布の集落に入る。葛布川に沿って3キロほど入った葛布の滝入口に駐車した。

案内板によると「葛布の滝」の名はこの地に葛が多く自生し、その蔓が滝の水に洗われて繊維が白布のようになっていたことに由来するという。滝は下流より一の滝、二の滝、三の滝とあって、道は一の滝から上が崩れて通行止めになっていた。二の滝、三の滝も山登りを覚悟すれば、いけるのかもしれないが、今日はそのつもりは無かった。

もう一枚、案内板があり、「葛布の滝」にまつわる伝説が書かれていた。長い文を要約して記すと、
「葛布の滝」の滝壺には赤牛が棲むと伝わっていた。ある大旱魃の年、滝に雨乞いしたが叶えられず、見かねた村の有力者の黒兵衛が、小屋にあった不浄のむしろを滝壺に放り込んで洗った。やがて大雨になり、勢いを増して川が氾濫するほどになった。その濁流の中に、大きな赤牛が流れてきて、黒兵衛の家の前で「黒兵衛さらば‥‥‥」と言い流れて去った。黒兵衛はその場に転倒して息絶え、死骸も消えてしまった。村人が捜したところ、滝付近で聳え立つカヤの木の枝に掛かっていた。村人は遺骸を懇ろに葬ったという。

「葛布の滝」の一の滝へは小さな谷へ降りて、右岸へ左岸へと、角材を束ねて造った橋を渡って奥へ進んで行く。滝はすぐ近くまで行かないと姿を見せなかった。最後の一越えしたところに「葛布の滝」が落ちていた。落差14メートルといわれ、葛布川の水量から想像してきたよりも水量は多く見えた。黒い滝壁の岩の褶曲がよく見えた。

滝の入口に自転車とバイクが1台ずつ置かれていたが、滝の途中で外国人の男性(自転車で来たと思われる)と青年(バイクで来たのだろう)に出会った。
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天王山、巨人対阪神三連戦

(プロ野球2試合同時アニメーション)

「巨人・大鵬・玉子焼き」といわれたのはいつ頃だったか。多分、団塊の世代が小中学生の頃だったと思う。

ネットで調べてみたら「巨人・大鵬・玉子焼き」は昭和36年(1961)の流行語であった。当時の子供の好きな物を羅列したもので、言い出したのは堺屋太一氏である。ちなみに「団塊の世代」も彼の言い出した言葉である。この流行語は巨人や大鵬の人気を知るとともに、往時プロ野球と大相撲が国民的なスポーツとして双璧をなしていたことが知れて、現代からは隔世の感がある。

このところ立て続けに、福岡と千葉で5~6歳の幼い子供たちが命を奪われた。このような事件が最近は日常茶飯事になってしまった。皆んながプロ野球や大相撲に熱中していた時代、つまり「巨人・大鵬・玉子焼き」の時代、現代のように幼い子供たちが理由無く殺される事件はめったに起こらなかった。海外へ優秀な選手が流出していくプロ野球、不祥事続きの大相撲、共に大きく観客動員数を減らして、日本全体が殺伐たる様相を呈しているように思う。

その巨人がこのところ勝ち続けて、一位の阪神と最大13ゲームあった差を2ヶ月で縮めて、天王山といわれたこの3連戦を3連勝して、昨夜ついに阪神とのゲーム差を0とし首位に並んだ。1996年、首位広島東洋カープに最大11.5ゲームの差をつけられていた長嶋巨人が、監督の「メイクドラマ」というキャッチフレーズのもと、逆転優勝を果たした。この「メイクドラマ」の再現と騒がれて、昨夜の東京ドームは立見席すら満員で、たくさんのファンが場外の大型スクリーンで試合を見たという。プロ野球が久しぶりに往時の熱狂を思い出している。

我が家でもこの10連勝の間、息子と二人で大騒ぎでテレビ観戦をした。自分も「巨人・大鵬・玉子焼き」世代のさきがけで、息子は「団塊の世代」二世の世代である。

この10連勝の間に、主力の小笠原、ラミレス、グライシンガー、クルーンといった選手が活躍するのは当然であるが、鈴木、坂本、亀井、越智、山口、久保、東野という若い選手が日替わりで活躍しているのを見ると、この強さは本物だと思えてきた。おそらくこの勢いで優勝まで突っ走って行くだろうと思った。

明けて今日はテレビ放映がない。ならばと息子がパソコンのアニメーション中継をニ画面出した。一つは巨人対広島戦、もう一つは阪神対横浜戦である。それを左右に二つ並べると同時中継になる。2試合のアニメーションが同時に見られて大変面白い。

本日の結果、巨人対広島戦は9対1で巨人が勝って、何と11連勝である。阪神対横浜戦は3対2で阪神が勝って、今日のところはゲーム差は0のままである。
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「島田まげ祭」とお食い染め

(島田まげ祭道中)

雨が心配であったが、島田まげ祭を見に行きたいという女房に付き合って、昼食を早めに済ませて出掛けた。島田髷を結った女性たちの踊りの道中が7丁目から出発しているとの女房の情報に、大井神社に駐車して、本通りを東へ歩いた。大井神社では撮影会でもあったのか、踊りの道中とは別に五人ほどの島田髷を結い浴衣を着た若い娘が池の周りでカメラに向けてポーズをとっていた。

帯通りの一番南で、人だかりがあり、今しも踊りが終って次の場所へ移動するところであった。「島田まげ祭」の幟を先頭に、次の場所の清水屋前に歩く。80人ほどの髷と浴衣の女性たち、半分以上は子供たちであるが。白地に髷の色々な名称を染め込まれた揃いの浴衣に帯を締め、背中には髷の名前と結った美容院の名前が記された紅い団扇が帯に差されている。足元は素足に下駄である。二本歯の下駄ではなくて、土踏まずの部分がえぐられて鼻緒がすげられた、「右近下駄」という下駄である。動きやすい下駄なのだろう。列を成して進む姿は何とも不思議な光景であった。


(島田髷の後姿)

駅から北へ進み本通りと交差する手前で、踊りが三曲披露された。観客の前に髷は結わない同じ浴衣の女性(年齢はかなり上)がずらりと並んでいる。彼女らが髷を結った美容院の先生方なのだろう。自分の結った踊り子がそばに来るとちょっとした髷の乱れや着崩れを直してやっている。自毛もカツラもきりりと結われると、顔のすべてが見えてしまい、美しさも、それなりも、誤魔化しようがなく見えてしまう。島田髷というのはある意味、怖い髪型とも言える。踊りが回ってきて周囲のカメラマンがついついきれいな娘へカメラが集中してしまう。自分は島田髷を撮るべく、後姿をたくさん取った。これなら美人もそれなりも区別がない。

アマチュアカメラマンといえばずうずうしいおじさん達というのが相場であった。ところが、最近はカルチャーセンターのカメラ講座などが盛んなためであろうか、おばさんパワーがここでも活躍しているのに改めて驚いた。

次の踊りは大井神社である。狭い参道に大人と子供の輪が二重になって踊りを披露した。カメラの砲列が並んで女房のいたところではカメラマン同士が邪魔をし合って揉め事が起きそうになったという。自分も社殿前の石灯籠の土台に乗って、少し高い位置からデジカメを構えた。

島田髷の由来に付いては、今年の2月に「島田髷と髪の塚」で書き込んだ。行列はそこで紹介した鵜田寺で最後の踊りを披露すると放送があった。しかし、人ごみで草臥れてしまったので、お祭見物はここで終りにした。

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まーくんが生誕100日を迎え、「お食い染め」に必要だからと、お祭見物のあと大井神社の境内で小石を拾った。3つあれば良いらしいが、女房は5つほど拾った。そのあとアピタに行き、乳幼児の食器のセットを見てきた。色々キャラクターの入ったものもあり、娘は無地が好いと言っていたようだが、女房は迷ってしまった。結局、娘に電話して自分で選ばせることにして買わずに帰った。「お食い染め」は夫君の実家でやるのであるが、女房は何かと世話をやいている。
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