平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「浅間山大焼次第」を読む 6
今夜の残り物野菜のカラフル料理
茄子、ピーマン、パプリカ、人参、大根、南瓜、玉ねぎ、いんげん、ゴーヤ
すべて残り物、切れ端など、9種の野菜を入れた
人参、大根、南瓜はレンジで2分の前処理
油で炒めて、五倍に薄めためんつゆに、砂糖を少々
10分ほど煮詰めたら出来上がり
意外とそれぞれの野菜の味わいも残っていて好評
これぞ家庭の、食品ロスの削減の一環である
「浅間山大焼次第」の解読を続ける。
野七里、山七里、
ここぞと言う宛てども無く、滅多無性に逃げ行きける。
※ 滅多無性(めったむしょう)➜ めったやたら。考えもなく手当たり次第に何かをすること。
馬拾四疋、眷属(けんぞく)は云うに及ばず、八九十人の人々は、廿四人ならで
は見えざりけり。漸々草津の湯本へたどりつき、ここにて
何角(なにかと)の支度なし、それより信州善光寺の近在、埴科(はにしな)郡松代
※ 何角(なにかと)➜ あれこれと。なにやかやと。いろいろと。
より五里隔たる、渋の湯へ行き越しける。さて、家内の人々は、終に
習わぬ旅なるに、殊更(ことさら)、雨はしきりに降る。殊に、難所の事
成れば、難義とも、言わん方とて無かりけり。
※ 言わん方無し(いわんかたなし)➜ 何とも言いようがない。 たとえようもない。
(つづく)
「浅間山大焼次第」を読む 5
田んぼに水が入る
田植えが終わってずいぶん経つ
稲もぐんぐん育っているが、この暑さである
稲も水を欲しがっているのだろう
「浅間山大焼次第」の解読を続ける。
さて、吾妻郡の内、坪井村というは、浅間嶽より拾里隔(へだ)たった所なり。
この処に小林輔(すけ)右衛門と言いて、三ヶの津へ聞えし大尽有り。門戸、梁を
※ 三ヶの津(さんかのつ)➜江戸時代の京、大坂、江戸の三都。
※ 大尽(だいじん)➜大金持ちの人。財産家。
構え、家内美々(びび)しきばかりなり。眷属(けんぞく)夥しく、家来、亦者(またもの)まで
※ 美々敷(びびしき)➜ 人目をひくように美しい。きちんと整っていて立派な。
※ 眷属(けんぞく)➜ 一族、親族、さらに郎党。
※ 亦者(またもの)➜ 将軍・大名などに直属していない家来。又家来。陪臣。
八、九十人の暮しなり。かの硫黄水に推(お)し掛けられ、取る物も取り敢え
ず、財宝振り捨て、命からがら、皆な散々(ちりぢり)に逃げ出す。棟数六組九軒、
※ 取る物も取り敢えず(とるものもとりあえず)➜ 大急ぎで。大あわてで。
土蔵拾六ヶ所、残らず一時に押し埋めたり。ここに哀(あわれ)みを留(どど)め
しは、次男源治郎とて、当年廿二才なりしが、平生痰症にて
有りけるが、かの大変ゆえ、父母に手を引かれ、こけつまろびつ
※ こけつまろびつ ➜ たおれたりころがったり。あわてふためいて走るようすをいう。
弐、三丁も逃げけるが、硫黄煙りにむせび、終(つい)にはかなく
なりにける。父母、はっと力を落し、兄弟諸共(もろとも)寄り添う
て、これのう、源次、力を付けよと呼びけれども、薬も水も
あらざれば、死骸に取り付き泣き叫ぶ。その間に、火水鳴り渡りて、
間近く火烟立て見えければ、哀(あわ)れなるかな、源次郎が死骸
を捨て逃げる。目も当てられぬ次第なり。
(つづく)
読書:「はぐれ十左暗剣殺」 和久田正明 著
「浅間山大焼次第」を読む 4
庭で巣を張る蜘蛛
安直なデジカメで、そこへピントを合わせるのはかなり難しい
「浅間山大焼次第」の解読を続ける。
続いて、武州利根川まで
川筋三拾里余り、その内の村数、締め七拾九ヶ村、人馬逃げて
間もなく埋もれ、焼死人数三万六千人とて、人馬の死骸、
家財、草木押し出しければ、武州利根川の水、築留(つきどめ)の
如し。または死人の山を築(つ)きたる如く、溢水(いっすい)湛(たた)えて、水は登り
※ 溢水(いっすい)➜ 水があふれ出ること。堤防を越えて水がこぼれること。
へ流れこれを湧く。平地の事なれば、田畑を押流し、武州八丁
川岸まで、近辺、江戸通船の場所、人間の死骸、泥と押し入り、
通行なり難し。殊に幅五、六間、長サ廿四、五間程の大石、数多(あまた)
押し出す。雨降れば烟り立つなり。これにて江戸通船は止まりにける。
助かりし人々は財宝を振り捨て、命限りに何国ともなく逃げ
出し、または幼(おさな)きを背中(せな)に負い、老たるを手を引き、逃げるも
有り。喚(おめ)き叫ぶ声、山も崩るゝばかりなり。
(つづく)
読書:「ズッコケ中年三人組 44歳のズッコケ探検隊」 那須正幹 著
読書:「金の記憶 日雇い浪人生活録 7」 上田秀人 著
「浅間山大焼次第」を読む 3
裏の畑のムギワラトンボ
7/13シオカラトンボをブログ写真に使った
その後、メスのムギワラトンボを探していたが、今日漸く写真に撮れた
「浅間山大焼次第」の解読を続ける。
弥々(いよいよ)八日、大焼けにて盤石(ばんじゃく)を返らし、野に住む鳥
※ 盤石(ばんじゃく)➜ 重く大きな石。いわお。
獣も打ち殺され、前日より同八日まで、日月の出入を知らず。諸人、
命限りに逃げ出す。または横川の御関所、男女、上下
※ 横川の関所(よこかわのせきしょ)➜ 碓氷関所のこと。
の分かちなく、御通し成られ候。これ権現公以来、例なき事
にて候。砂ふり候事、碓井峠、深さ七、八尺余りなり。それより
高下(こうげ)有るとも、江戸まで砂降り申すなり。野山は昼中(ひるなか)の如く、草木
は冬枯れの如く、前代未聞の事どもなり。弥々八日の晩、六っ時、
大焼けにて、黒烟天に満ちて、雷光、稲妻頻(しきり)に天地を
動(ゆるが)し、古(いにし)え宝永の頃、富士山の焼けをさえ夥(おびただ)しくといえども、
※ 富士山の焼(ふじさんのやけ)➜ 宝永山の出来た噴火。
この度の事は合うに懸るかや。時に硫黄、水押出し、跡へ火
※ あふに懸る(あうにかかる)➜ 合うに掛かる。匹敵する。
石、水に随い押し流す。この時、上州吾妻郡大笹村、
御前、鎌原、備番、新田、☐☐宿まで、幅六里の間、
※ ☐☐宿 ➜ 虫食いにて解読出来ず。
どっと煙り立て、押し出す。
(つづく)
読書:「埋蔵金 新・知らぬが半兵衛手控帖 15」 藤井邦夫 著
「浅間山大焼次第」を読む 2
庭のサルスベリ
「浅間山大焼次第」の解読を続ける。
それより弥々増して、同六日朝より焼け出し、
その鳴る事、千万の雷よりも恐しく鳴り渡る。地震の長く
大地を動(ゆる)がし、拾里四方は板戸、障子、溝も外れ、天縁(てんぶち)
※ 天縁(てんぶち)➜ 天窓。
も落ち、山も崩るゝかと、諸人驚く事限りなし。同六日の夜
は大石焼け上り、只白昼の如し。これに依り、天地を焦(こが)し、同七日
※ 大石焼上り(おおいしやけあがり)➜ 溶岩ドームが出来る状態をいうのであろう。
弥々焼け増(ま)さり、近辺へ石砂降り、家を打ち破り、ゆり潰(つぶ)れ
殊に、軽井沢、五、六拾軒焼け失い、相残りの家はゆり潰れ申す。
人馬おめ(喚)きさけ(叫)んで、何国ともなく逃げ出す。されども、天より
※ おめく(喚く)➜ 叫び声を上げる。わめく。
火石降る中なれば、桶(おけ)、盆(ぼん)を戴(いただ)き出れども、打ち砕かれ、手負う
※ 手負う(ておう)➜攻撃を受けて傷を負うこと。また、その傷を負ったもの。
人数を知れず。或いは、戸板、畳を冠(かむ)る族(やから)も有り。歎き叫ぶ
声、ウンカのごとく。同四っ時、戌亥の方より風烈しく、黒烟、
武州の方へ赴(おもむ)き、昼夜の分かちなく、諸人驚き、日亡(ひほろび)しか、
または、常闇(とこやみ)にならんかと歎き悲しみ、神社仏閣にて鐘、
※ 常闇(とこやみ)➜ 永久に暗闇であること。永遠の闇。
太皷を鳴らし、或いは、百万遍を申す力にて暮らすもあり。
往来の旅人は掛念佛(かけねんぶつ)を申し,灯燭(とうしょく)を提げて通る者も
※ 掛け念仏(かけねんぶつ)➜ 念仏講などで、大勢が声高に念仏をとなえること。 鉦や木魚をたたくこともある。
※ 灯燭(とうしょく)➜ ともしび。灯火。
あり。
読書:「金の裏表 日雇い浪人生活録 6」 上田秀人 著
「浅間山大焼次第」を読む 1
裏の畑のビワの新芽
刃のような新芽が立つ
「浅間山大焼次第」を読み始める。
天明三癸卯四月八日より
浅間山大焼次第明細
浅間山大焼次第
天高きといえども狭まり、地厚しといえども荒く踏めず。
生死浪うつの有りさま。この度、信州浅間嶽大焼けの次第を
※ 大焼け(おおやけ)➜ 大噴火。
委(くわ)しく尋(たずね)ねるに、浅間山高き事、平地より五里にして、
上野(こうずけ)の国境(くにざかい)なり。峰には廻り壱里餘りの御鉢流れあり。
※ 鉢流れ(はちながれ)➜ 噴火口。
たゞ水なき池の如く深き事、維縵国(ゆいまんこく)へ通(つう)じとかや。
※ 維縵国(ゆいまんごく)➜ 根の国。黄泉の国。
常に黒烟出る。千駄の薪を焦(こが)すに似たり。時に天明三
癸卯四月八日より焼き出し、六月十七日溢水(いっすい)の節、大きに
※ 焼き出し(やきだし)➜ 噴火。
※ 溢水(いっすい)➜ 水があふれること。
焼き出し、諸国砂降る。同廿二日夜、雨降り候節、大きに焼き出し
大烟り出る。これも国々へ砂ふり。同廿七日、八日まで、両日とも大焼け、
弥々(いよいよ)止む事を得ず。同七月二日四っ時分、黒烟出て鳴り渡る
事、雷の如し。
(つづく)
読書:「恋女房 新秋山久蔵御用控 1」 藤井邦夫 著
「田中氏道中記」の解読を終えて
「田中氏道中記」の表題
昨日、読み終えた「田中卿道中記」、その表題からして、どう読めばよいのか、判らずに読み始めた。だから題名は仮題で、読むうちに分るだろうと、見切り発車してきた。さて読み終えて、正確には今もってわからないのだけれども、まず、「田中卿」はあり得ないと思う「卿」を使うべきような人は出てこないからである。ならば「田中郷」はどうかというと、道中記に「昨年一ヶ年、三百人住居の跡へ引移り候事ゆえ、全て一郷(いちごう)のごとし」とあって、期待注目したが、記事はそれだけであった。
もう一度、題名をしっかりと見てみると、「田中氏」とも読めそうで、道中記としては人名が入るのが最もよいと思い、それを採用することにした。そして、初めからすべて、ブログの中も、「田中氏道中記」と変更した。
今もって根拠はないのだが、秋田市の御城のお膝元に大字「手形」小字「田中」、近代になって「手形田中町」という地名があった。最後の手紙の発信元に「宇右衛門」とあり、武士だから苗字があったはずなのだが、記されていない。ひょっとすると、この道中記を記した主は、この小字「田中」に住んでいた「田中宇右衛門」という秋田藩の藩士ではないかと推理した。それで、「田中氏道中記」である。ただ、この「田中宇右衛門」ネットで検索したが、見つからなかった。
ともあれ、この道中記の記事から、この旅は、噴火した有珠山から、大規模な火砕流が発生した嘉永六年の翌年、嘉永七年(1854)だったことが分かった。その当時、幕府は東北各藩に蝦夷地の備えを命じていた。秋田藩は西蝦夷(北海道西岸)から北蝦夷(南カラフト)までを守備範囲とされていた。秋田藩は増毛に陣屋を置いて、その先へ三ヶ所出先を置いて守備した。但し、赴任は春から秋までで、極寒の冬期は帰国して、翌年には交代要員がくるという配備であったようだ。
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久し振りに、桜島の大噴火のニュースに接した。人的被害がなかったことが何よりである。噴火といえば、たしか、浅間山の噴火の古文書があったはずと、「浅間山大焼次第」という古文書を探し出した。昔、頭の部分が難解だったので、あきらめて放置していた古文書である。明日から解読に掛かろう。
「田中氏道中記」を読む 25
掛川城公園の蒲の穂
蒲鉾、蒲焼の言葉の由来
蒲鉾はかってはちくわの形だった
蒲焼もかっては鰻のぶつ切りをくしに指して焼いた
そういえば昨日は土用の丑の日、マーケットで、昨日売り出しだった鰻が、今日半額になって並んでいた。
「田中氏道中記」の解読を続ける。
一 当七日、和田大将始め、同役も至る。壮健、一同安着、大慶、天気
も宜し。これにて惣御人数到着、安心、大慶いたし候。御小人(こびと)、藤五郎
と申すもの、ヲシャマンべ(長万部)にて落馬、首をくい違い大難儀、よんどころなく逗
留保養。右に付、係りに御小人弐人残し置き候由、未だ起き兼ね模様、案じ
罷り在り申し候。余程ひどい怪我にて、死生覚束なきと聞え、さてさて
案じられ候事に御座候。
一 この間冷え晴れ、とかく暑(あつ)さも薄く、綿入れにてもよし。先ず袷(あわせ)に肌着
用い居り申し候。夜中、外は殊の外、冷え候方に御座候。
一晩の間、同じからず、変化致し候。 右は七月十四日達
文音(ぶんいん)
※ 文音(ぶんいん)➜ 手紙。
残暑の砌り 御祖母様、益々御機嫌克(よ)く、恐喜(きょうき)奉り候。
※ 恐喜(きょうき)➜ 狂喜。ひどく喜ぶこと。
随いて、一同御無異御揃い目出たく存じ奉り候。拙者至って壮健
罷り在り申し候。御安堵下さるべく候。さて北蝦夷地ナヨロ(名寄)と申す処へ異
国人三十人ばかり上陸、家を立て候由、仍って箱館御奉行御廻
浦向きより、御渡海御応対これ有る由、右に付、クシユンコタン詰め、
御人数の内三十人、出張り致されたく候段、申し来たり、急段、便を以って致
有り立ち致し候に付、鳥渡(ちょっと)申し進じ候。この節、日々天気、しかし
単物にても綿入にても宜しく、近来厚着に相成り、多分夜など
肌着を用い居り申し候。追々目出たく申し遣すべく候。已上。
六月晦日 宇右衛門
新八殿
八月六日昼達
(以上で「田中氏道中記」の解読を終える)
読書:「天眼通 新・知らぬが半兵衛手控帖 14」 藤井邦夫 著
「田中氏道中記」を読む 24
掛川城公園のカノコユリ
昨日、午後、駿河古文書会に出席。課題が女文字の解読。担当の先生も大苦労の跡がうかがえたが、大変勉強になった。
「田中氏道中記」の解読を続ける。
一 堀織部正様、上下三拾五人、引馬(ひきうま)壱疋、外に石狩取撫(とりなづ)調役(しらべやく)
※ 引馬(ひきうま)➜ 大名・貴人などの行列で、鞍覆をかけ、飾りたてて連れ歩く馬。
長谷川儀三郎殿、濱マシケ詰め下役、吉川昇之進殿(儀三郎殿同姓も同伴、
六月三日マシケ着)樋堅惠助殿、菰田直次郎、森田千代松、右は六月四日御
陣屋御見分、直々(じきじき)諸炮御一覧、大筒業(わざ)弐拾弐人(百目、五十目、三十目)、御足軽五
拾人六匁、昼後より打ち初め、一同出来も宜しく、別けて御足軽ども大いに見事
にて、萬端はからい。御払い分、赤飯一と通り添えさせ、将なし。右に付、御陣屋の
掃除、置場の手配、品々これ有り、大いに心配、度々公儀御役人衆へ
罷り越し(単物(ひとえもの)帷子(かたびら)着)、早々打合、一躰御都合も宜しく大慶。御宿先にては
御奉行御迎えこれ有り候。御台場御見分もこれ有り。右廉々(かどかど)には御
案内申し上げ候。先々(まずまず)天気にて、大仕合わせにこれ有り候。然れば、薄縁(うすべり)弐
※ 薄縁(うすべり)➜ 布の縁をつけたござ。薄縁畳。
百枚余、入用の処、御有り合わせは三、四枚よりこれ無く、運上屋にも有り合わせ
これ無く、大差支え、よんどころなく、交代御長屋の畳相用い、間に合わす。幕
も不足にて、布を以って俄か相拵え、漸々(ようよう)間に合い候躰、何もかも不自
由には別けて心配の事これ有り。この間、朝より単物(ひとえもの)着、罷り在り申し候。もっとも袷(あわせ)
にてもよし。
三日四つ時過、御着の段申し来たり、直々(じきじき)御出迎え、日暮に帰り、それより手配致し候。
右六月五日認
(つづく)
読書:「光る海 新酔いどれ小籐次 22」 佐伯泰英 著
「田中氏道中記」を読む 23
掛川城公園のハト
午後、掛川文学講座で掛川図書館に行く。
「田中氏道中記」の解読を続ける。
運上屋にても、右近辺へ年々畑作いた
し候えども、久吉畑よりは、皆以って生育悪しく候。今年詰めは青物もあり、
大、小豆も津入(つい)れ、何にも不足なし。かつ昨年一ヶ年、三百人住居
※ 津入れ(ついれ)➜ 港へ入れること。
の跡へ引移り候事ゆえ、全て一郷(いちごう)のごとし。何にも案じ候事はこれ無く候。御
仕出し品々の内、さとは思いの外入り増し、下戸、上戸遣い、残り上下の近村
※ 仕出し(しだし)➜ 作り出すこと。
なく、保養に用い候故、不足相立候様にて、心配罷り在り申し候。当
地第一は将に大、小豆、さとなり。糯米(もちごめ)なども、また案外と売れ候ものに御
座候。麺類もまた売れ申し候。この節、日々天氣に付、久吉は頻(しき)りに雨
を願い罷り在り申し候。何とか好(よ)き一雨(ひとあめ)、降らせ申したく事に御座候。もっとも出精なり。
一 竹木替りなし。松杉はこれ無く、今年御国より分遣(ぶんけん)候、松は、残らず根
※ 分遣(ぶんけん)➜ 分けて派遣すること。
付き申し候。杉は下地枯れかゝり参り、皆むずかしく御座候。蓬沢山にて、皆な
背丈越し。鳶(とび)、鴉(からす)、雀(すずめ)(白雀も見る)、鴎(かもめ)、替りなし。シカンヘと申し候て、黒鴨(かも)に
似る。菱喰(ひしくい)より大きく海上に居る鴎と入り立てり候。右鳥、人怖れ致さず、
食物を投げ候えば、手近(てぢか)まで来る。それ故、釣られ候と申し候。鴨も順じ
参り申し候。犬は沢山なれど小さし。皆水をよく游(およ)ぎ、何ぞ水
中へ投げ入れ候えば游(およ)ぎ行き、それを咥(くわ)い、岡へ上り候事、奇
妙なり。就いては、この節見えず。さて鼠は沢山にて、御蔵には申すに及ばず、御長
屋中、何方(いづかた)も、毎夜枕元へ往来、大きさ曲尺一尺余の分これ有り。惣
て大きこと驚目(きょうもく)候。
右六月三日認め
※ 驚目(きょうもく)➜ 目をひく。
(つづく)
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