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文化十三年、大井川満水あらまし - 古文書に親しむ

(二日続いた雨で、大代川の工事現場も休み)

午後、「古文書に親しむ」講座へ出席した。今日、解読した文書は文化13年(1816)の、おそらく台風の被害状況を金谷側から著したもので、公的な文書ではなく、個人的な記録なのだろうと思う。一見やさしいかと思ったが、中々解読の難しいところがあった。以下、読み下し文で示す。

文化十三丙子(ひのえね)年、閏八月三日朝より、少々雨降り、同夜大雨、大井川満水、通り路無し。翌四日辰下刻頃より、風吹出し、次第大風諸木を倒し、生木枝天に飛行し、誠に恐ろしき事、言語に述べ難し。見る間に、洞善院山にて大木の松三本倒れ、その外屋根を吹きまくり、家々に戸を繕い、突っ替え棒をし、空飛ぶ鳥も翻(はね)をふせ、地上に落つなどし、冷敷(すさまじき)事、言うばかりなし。

大井川堤より上へ水越し、窪所などは水上に瓢(ただよ)い、十一分に水増し、本道堤、水越すや否、大水押し来り、堤切れ、同所下七番同断、水勢すさまじく、八軒屋庵へ押し当る。もっとも危き事、風の前の灯し火よりいや増し、家々男女老若、家財をはこび、縁有るは、老若手を引き連れ、行違いするやと見る程に、漸く同日申刻にして、風止み下風ばかり吹く。
※ 下風(したかぜ)- 樹木などの下の方、地面近くを吹く風。

翌五日、大井川水引き候処、五尺余、見る間に引く。これにより、引き水にて二番堤危うし。馬指より右場へ防ぐべく、門役として申し触れ、家々より壱人ずつ出し、危き場所へ大木を振りなげなどし、また竹綱を拵えるも有り、篭を拵えるも有り、石などを持ち運び、漸く防ぐ。
※ 馬指(うまさし)- 宿場において、荷物を人馬に振り分ける役の内、馬に振り分ける者を馬指、人足に振り分ける者を人足指という。
※ 門役(かどやく)- 江戸時代,戸ごとに課せられた税。
※ 竹綱(たけつな)- 細い割り竹を綯(な)って綱にしたもの。


川水五尺余、一時に引きしは、下川大日村前にて切れ、大日の某大家などは蔵など居家へもたれ、出し(山車)の如くに成り、流れずに、依って水道二筋に分れしとぞ。駿河方にても、源助新田にて切れ、榛原通り大損じ。

且つ寔(まこと)にいたわしき事有り。同月一日、さくら明神へ詣でし人、駿府とも云い、江尻とも云う、定かに知らず。併しながら、流れ死は誠の由。死骸川尻へ上り候由。一両日も縁者の方に泊まり、曇天にて、雨も少々降りし故、出かけ候て、大井川満水の由承り、一刻も早く川を越ゆべしと、住吉辺りの縄手を通りしに、田畑をながれ高浪打ち、終(つい)におぼれ死したるとなん。

又川尻と云い、又住吉と云う、煎(焚き)物拾いに出でし所、大風にて松打ち折れしが、因果と拾い居りし者の上へ折れ押しになりしが、不意に折れし事なれば、左の足股よりとれ、膝ぶし近く砂へうまり有りしと云う。誠に痛ましき事なり。
※ 膝節(ひざぶし)- 膝の関節。ひざがしら。

さて、八軒屋並木倒れし数、大小三拾弐本。洞善院山、金性寺山にて、拾六本程。所々並木堤を覆(くつがえ)し倒せし事、数をしらず。天竜川通り懸塚辺りにて壱ヶ所、川下通りにて壱ヶ所切れし由。遠きはしらず。出で見る所々破損。言語に述べ起こし、又大井川出水は六拾余の人、未だ見聞かざる由、誠に増水拾壱分にて、堤、窪所は水乗り、往還より立つ浪見え、すさまじき事なり。あらまし図を略す。
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