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鐘楼と鐘撞き居宅修繕のこと(続き) - 駿河古文書会

(散歩道の白梅)

昨日の続き、かねつきに関わる覚書三通である。

       覚え
一 先日相触れ申し候、かねつき堂、並び、かねつき居宅修覆の義、取り掛り申し候。これにより、右入用金、壱軒役に付、三十壱銭ずつの積り、明五日より八日までの内、年行事当番、呉服町四丁目惣十郎方へ、持たせ遣わさるべく候。前方、申し進じ候通り、重き集銭、別して御世話に御座候へども、何とぞ丁頭衆御働きにて、右の日限、相違なく遣わされ候様に、頼み入り申し候。以上。
     申三月四日        年行司

       覚え
一 かねつき堂、並びかねつき居宅修覆に付、惣町中、家壱軒より三拾壱銭集め、町数合わせて九拾三町、家数合わせて弐千弐百弐拾壱軒半、この集銭〆て七拾壱貫七百丗五文。
       この払い方
              銭相場三貫百六拾四文替え
一 金弐拾壱両三分と五匁 右両所修覆請負金高払い
        この代、弐百五拾文
一 銭壱貫六百五拾文  仕用帳の外入用
一 五百文       撞木、柳 壱本代
一 五百文       同つりなわ代、かねつき両人へ渡す
             但し右撞木一代、請負候
〆て、金弐拾壱両三分、銭弐貫九百文
  指し引き三拾七文不足、これは右請負方へ引
  払い、惣躰出入これ無く候。

右品々請け取り證文、並び集帳ともに封印仕り、年行持箱へ入れ、次へ相渡し申し候、以上
  正徳六年申年三月    札之辻町
              呉服町四丁目
               同 五丁目

       覚え
例年の通り、鐘つき給、壱軒役に八文ずつ集め、鐘つき方へ遣さるべく候、以上
     申六月廿一日


「一軒役」とは何か、という疑問が担当より出された。常識的にはその名前から一軒に付きいくらの負担をするという意味で、我々の町内でもそれに近い負担は幾つかある。ただ、駿府の町の一軒役とは、そういう一軒毎の負担とは違うという。

おそらく、駿府の町を区割りしたところまで遡ると思うが、一軒ごとの区割りが決まり、当初、それが一軒役の基本となったらしい。それから時代が移り、勢いのある商家は周りを買い取って大きくなるから、一つの商家で何軒役も持つことになるし、屋敷を半分に分けると半軒役の家も出来る。なお、一軒役を負担するのは、家持ちの商人だけである。長屋住まいの職人などはこの負担はしない。なお、丁頭をすると一軒役の一部が免除される。

先日まで読んできた、駿府商人、松木新左衛門始末聞書には「丁役は十一軒役なり。内二軒は手前丁頭を勤むるゆえ、丁役を除く」という記述があった。この丁役が一軒役に当たると思われる。
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