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宗祇終焉記4 文亀二年二月~ 越後-江戸

(黒田代官屋敷の椿)

宗祇終焉記の解読を続ける。

この暮より、又わずらう事さえ、返りて、風さえ加わり、日数へぬ。

ここで患ったのも、宗長である。

二月の末つ方、おこたりぬれど、都のあらましはうち置きて、上野国草津という湯に入りて、駿河国にまかり帰らむのよし、思い立ちぬといえば、
※ おこたる(怠る)- 病気がよくなる。

宗祇老人、我もこの国にして、限りをまち侍れど、命だにあやにくに、つれなければ、こゝの人の憐れみも、さのみは厭わずかしく、又都に帰り上らんももの憂し。美濃の国に知る人ありて、残るよわい(齢)の影かくし所にもと、度々ふりはえたる文あり。あわれ伴ない侍れかし。富士をも今一とたび見侍らんなど、ありしかば、打捨て国に帰らむも、罪得がましく、いなびがたくて、信濃路にかゝり、千曲川の石踏み渡たり、のあら野をしのぎて、廿六日というに、草津という所につきぬ。
※ 限り - 命が絶える時。臨終。
※ あやにく(生憎)- あいにく。意に反して不都合なことが起こるさま。
※ つれない - 思いやりがない。薄情である。
※ ふりはえる(振り延える)- わざわざ寄越す。
※ いなぶ(辞ぶ)- 断わる。
※ 菅(すげ、すが)-カヤツリグサ科スゲ属の多年草の総称。


同じき国に伊香保という名前の湯ありし。中風のためによしなど聞きて、宗祇はそなたにおもむきて、二方になりぬ。この湯にて煩いそめ、湯におるゝこともなくて、五月の短夜(みじかよ)をしも、あかし侘(わび)ぬるにや、
※ 二方になりぬ - 二手(草津と伊香保)に別れた。

   いかにせん 夕つぐ鳥の しだり尾に 声うらむ夜の 老いの寝覚めを

ここで患ったのは、今度は宗祇である。「煩いそめ」とは患い始めるの意である。

文月の初めには、武蔵の国、入間川の渡り、上戸という所は、いま山の内の陣所なり。こゝに廿日余りが程、やすらう事ありて、すきの人々多く、千句の連歌なども侍りし。
※ 文月(ふみづき、ふづき)- 陰暦七月の異称。
※ すきの人々(数寄の人々)- 風流人たち。風流・風雅に心を寄せる人々。


みよしのゝ里、川越に移りて、十日余り有りて、同じき国、江戸という館にして、すでに今際のようにありしも、又とり延べて、連歌にもあい、気力も出くるようにて、鎌倉近き所にして、廿四日より千句の連歌あり。廿六日に果てぬ。
※ 今際(いまわ)- 死のうとする時。臨終。

一座に十句、十二句など、句数もこの頃よりはあり。おもしろき句も数多ぞ侍りし。この千句のうちに、
    今日のみと すむ世ごとぞ 遠きけれ(と云う句に)
  八十(やそじ)まで いづかたのみし 暮ならん
    年のわたりは 行く人もなし
  老いの波 幾帰りせば 果てならん
思いは今際のとろめ(とどめ?)の句にてもやと、今ぞ思い合わせ侍る。
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