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鳴り物御免の儀 - 駿河古文書会

(蕾をもたげる、庭のクリスマスローズ)


去る頃、御中陰明け。その砌、所作に致し候、鳴り物御免遊ばさせられ候。これは先格にて御触れに御座候。慰みに致し候鳴り物御免の儀、
先年より御座なく候。盆中に至り候ても、子ども等おどりなど、
御座なく候。慰みの鳴り物までも苦しからず候。右の段、御当番様より、
年行持心得を以って相触れ候様に仰せ付けられ候、以上。
     申七月十五日        年行持

※ 中陰(ちゅういん)- 人の死後、次の生を受けるまでの間の状態。また、その期間。日本では四十九日とする。
※ 所作(しょさ)- 仕事。職業。
※ 先格(せんかく)- 先のきまり。


正徳六年(1716)四月三十日、七代将軍家継が八歳で早世する。3ヶ月後、年号が改まって、享保元年八月に八代将軍吉宗が就任する。この御触れは家継の四十九日の喪が明けた後に出されたもので、鳴り物を自粛はそれを生業としているものに限っており、盆踊りなど子供たちの楽しみにしているものまで自粛したわけではないと、弁解がましい御触れである。おそらく盆踊りの実施について問い合わせがあったために出したものと思われる。どちらにしても既に喪が明け、自粛期間は終っている。

この御触れを写した部分に、19年後の享保十九年(1735)に、以下の付け紙がされている。(付け紙は、別紙に書いて、文書の上に上辺を張り付けておくもの)

書き添え差し上げ申し候
廿日會、内触れの義、前々の通り、拙者どもより差し出し申し候。御番所様よりかつて仰せ付けられ候儀にては御座なく候。家臺(屋台)にても出候町も御座候えば、早速相伺い候ため、触れ書差し出し申し候。殊に、去年は格別の世柄(よがら)にて、余り麁末なる義にて、町方衰徴仕り候間、何とぞ先々の通り、練り物などにても、宜しき御座候えば、所々より人も入り込み申し候に付、潤(うるおい)にも罷り成り候間、兼々惣丁頭ども申し合いにて御座候。則ち内触れ写し、右の通りに御座候、以上
  享保十九年寅二月廿四日        両替町四丁目
                       年行持  吉右衛門
                      同 五丁目
                       年行持  与兵衛
                      同 六丁目
                       年行持  清兵衛
     御番所様


享保十九年に音曲自粛をするべき何かがあったので、過去の資料を探し出して、この付け紙がされたのだろう。「去年は格別の世柄」とは何の事を示しているのか。まだ吉宗の治世が続いており、喪に服するようなことは発生していない。調べてみると、享保十七年、十八年と凶作で、享保の大飢饉と呼ばれて、一揆なども頻発していた。このような「世柄」に、駿府の町衆のお祭り、廿日會について、自粛の議論が起きたのであろう。音曲自粛は、いまだかつて、役所の指示で行ったことはなく、あくまでも年行持の判断で行ってきた、そんな経緯を改めて確認している。

東日本大震災後の平成の庶民たちの自粛の反応を見ていると、江戸時代と何も変わっていないと思う。
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