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秋葉街道似多栗毛17 三十丁目 - 秋葉山

(思い付いて、和室二タ部屋の畳、表替えをした)

「秋葉街道似多栗毛」の解読も今日で最終回である。やや問題表現も多くはらはらさせられたが、何とか最後まで来た。

ここを出、坂を登りけり。坂中の茶屋、あんころ餅の名物にて、女ども皆呼び込みて居る。通りながら見て、

   名物の あんころ餅は ちいさくて 呼びたつ芋が 声の大きさ

しゃれながら、段々と登りけるほどに、早くも三十丁目、富士見茶屋に至り、ここの女、真っ白く化粧をして、口紅粉青き程さしたるが、二、三人いでし。
「御早ようござりますお入りなされまし」という。両人、床木に腰をかける。ここは富士山真向いに見え、山々、谷々の風景、誠に云うべきもあらざる所なれば、弥二「こいつは気がはれて、いゝ所だ」

   富士見茶屋 月雪花に 事たりて 花のさかりも 雪は見えけり

はな紙にかき、もちを付けて、あたりの柱に貼り付くに、その歌かたわらに、年の頃六十ばかりの隠居、休みいたる。これを見て「はゝあ、面白い事よ。
ぶし付けながら、感心いたしました。とてもの事に。そっちゃの御人もどうか/\」北八「あい、わっちも一つ、やらかしましょう」

   塗ったりや 茶屋の女の 富士額 宝永山も むつくりとして

(隠居)「こりゃ、貴公様は余程の狂歌読みじゃ。御俳名はなんとな」弥二「わっちは江戸の寝ぼけの弟子のとぼけと申しやす」(隠居)「はて、兼ねて寝ぼけ先生が事は承知いたしたが、とぼけ先生はいまだうけたまわらず。はゝあ/\」と笑いながら、ここを立ち出でける。
※ 寝ぼけ先生-江戸時代中・後期の戯作者、文人、狂歌師。第一狂詩集「寝惚先生文集」で有名になる。

跡より、喜太八来りて、「御隠居様、おめい何かわすれ物はなかったか」
隠居「あい、わすれた。またよく思い付いて、忝けのうござります。おくれなされ」
北八「ほんまにおめい、跡でいうには、隠居様の餅の代をとったか、覚えがないが、わすれはせぬか、というたから、聞いて見たのさ」
隠居「それなら覚えがないから、ひょっと忘れたもしらぬ。おまいにやらずに、払いなされ」としやれをいゝながら登りて、(弥二)「やれ/\、御前の咄しで、もう秋葉山へ参りました」と定小屋へはいる。

両人「これは有難てい」とわらじをとき、うがい手水に身をきよめ、先ず、くわん音様、権現様へ参詣し、普請のけっかくなるを見廻り、下へおり、接待茶を呑み、しばらく休みながら、

   銭の話 無駄口も 今はしばらく どこへやら ここがちょうじょう(頂上と重畳)

それより台所の方へ行き、諸々見物し、釜の前の火箸などの大きなるを、珍らしく覚え、札を求めるまでに、筆を止めん。

   ぬったりや 茶屋の娘の 富士額媚 宝永山も むっくりとして

   名物と 人を呼びこむ 茶屋女 あんこねったと 口で丸ける


これにて、「秋葉街道似多栗毛」の読み終わり。目次ではこの後、鳳来寺から東海道の御油宿まで続く計画だったようだが、こゝで終ってしまった。明日からは「宗祇終焉記」を読む。短いものだから、7、8回で終ると思う。
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