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秋葉街道似多栗毛16  乾の渡し

(ムサシの散歩、土手の上の影)

秋葉街道似多栗毛の解読を続ける。

斯くて大日の立場も相過ぎて、若見平へ下りる。ここに大きい家あり。この内に年の頃十五六の美しき娘見えければ、
弥二「今夜は、喜太八、おいらぁ、この内に泊る」北八「旅籠屋でもないもの、泊めるものか」
弥二「おいらが泊ると云い出してからは、止めても泊る。止めいでも泊りて見せる。もし泊めぬ時は、軒下にこもを敷いても泊る。そうすると、あの娘が、あの人も軒下に寝さしては気の毒なと、男どもにたゝき出させるが、その時にたゝき出されるぶんの事さ」大笑いだと行く程に、気田川の渡し場にて筆をとめる。
            似多栗毛、弐編終

  似多栗毛   三編
神祇釋教恋無常、ちゃちゃむちゃにして、言葉のかけながしなる事、水の流れに似て、とどまる所もなし。うまみもおかしみもなきは、豆腐の吸もの似て、予が目くら蛇におじずと、己れが膝栗毛にまかせて、むしょうにはしるまゝに、乾川の渡し場の船へ入る。

この乗合の内に、年頃三拾ばかりにて、羽織を肩に懸け、男「おまえ方は御国はへ」と問う。北八「あい、わっちらぁ、江戸さ」
男「何と江戸に、近く珍らしい事はないかの」と聞くと、(北八)「ありやした、いろ/\ありやすが、その内で珍らしい事は、たいそうな力持ちが出ました。そのくせ親に孝々で、この夏も親仁殿が富士へ立願があるが、馬も籠も嫌いだから、船で行きていというと聞きなせい。俄に屋台船を拵らい、その中へ親父をのせ、大きな綱を付けて、引いたり、背負いたりして、富士へ登られたが、とんだ力持ちでねいか」と話すと、弥次は吹き出す程、おかしさをこらえて、跡から行く。

男「その噺しに付、今度秋葉様へ大きな臼が上ったが、行ってこうらじ。米
なら五俵程もつける臼だ」喜太八「何をつく臼だ。あかうすだろうねい」
男「あい、うそもついたり、餅もついたり」男「富士へ船を引いて登った人が、先日背負いて見えました。ハア/\/\」と笑いながら坂下に至り、喜八「一つてき、きめかけて行きてい。弥二さんどうだ」(弥二)「この内がよかろう」と茶屋へ這入る。

茶屋の女、茶を持ち来る。喜太八「茶はいらねいが、酒を出してくんねい」酒、豆腐の吸物を持って来る。この女、年の頃、廿三、四と見えて、せい小さく、顔はお亀の面のようなる。

喜八「おめいは善光寺さまの申し子なら、一寸八分いう物だが、秋葉様の麓だから三尺ばかりの御せいだねい」
女「あい、せいは小さくても、秋葉様の申し子で、御内陣が広いで、鼻高天狗様でも御祭りは出来ます」と、この噺を肴に酒も呑みしまい、ここをたちながら、弥次さん一首出来、また、

   身のたけは 三尺坊と 言う物の ちよっぽり鼻は いかに似ませぬ
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