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秋葉街道似多栗毛10  森町 - 西俣

(大代川土手のセンダン)

花のない今の季節、散歩道に葉を落とし白い実が目立つ木があちこちにある。それがパラパラ落ちて、道を汚している。これはセンダンであろう。大代川の土手に生えたものは植えたのもではないから、鳥が種を運んできたものである。良く見ると、カラスウリが巻き付いて、赤い実がまだ残っている。

秋葉街道似多栗毛の解読を続ける。

    二編
あらたに逸竹堂主人、掛川の鳥居より森まで、作られたるを見て、予がこの書に及ばずとも、残りに猿の人真似と、少しなる智恵袋をふるい、この膝栗毛の跡馬に乗り、漸々と追い付き、森より秋葉、鳳来寺越え、御油宿まで作らばやと、首をかたげて筆を取るとも、その力にあらざれば、父の拙さは、許したまえ。


この逸竹堂主人と言うのが、初編の著者と見受けられるが、それで著者が分かった訳ではない。二編の筆をとるに「父の拙さ」と書いているから、初編が「逸竹堂主人」、二編が「逸竹堂主人の父」と考えられる。子の意思を父が継ぐのは考えられないことではないが異例に思う。普通は父の意思を子が継ぐのが順当だろう。まあ、これらの情報だけでは作者不明と言わざるを得ない。

およそ人間一生、欲と恋との、この二字を離れぬものと見へて、死にかゝりて居る親仁も、欲の皮ぎりの灸はすえゝず、七十になる婆あ様も色の咄しに笑うを見れば、恋は思案の外なるものと見えて、この弥次郎兵衛、喜太八はこの町を出で行きけるに、向うに女二人見えければ、急ぎ追い付き、

北八「おめえ方はどちらへ行きなさる」女「あい、私どもはこの山家へ茶つみに頼まれてゆきます」
北八「はあ、それならおいらが家へ来る茶は、弥次さん、この山家で出来る茶と見へる」
女「お前方は何所へ」北八「しれた事、おいらぁ、江戸の茶問屋の旦那様さ」
女「そやかえ、江戸も近年茶が安いけなが、なぜ値が安いのう」
北八「その筈さ、二、三年江戸もきつい色事が流行る。それで茶を呑むと色が黒くなるから、若い者は茶を止めやす。それで茶が売れぬから安いのさ」と、口から出次第をいう。

女「それにつけて、なぞが出来たで、掛けるが解きなさい。茶問屋の旦那衆と掛けて何と解く」喜八「大方、男がいゝから、助六の道中とでも解くら」
女「つんぼうの浄瑠璃と解く。その心は、聞いたふりのうそじゃ」

弥二「取りあえず」

歌  子鳥等を 思いの外に 家々を お茶にして行く 大鳥居の村
※ 大鳥居の村 - 森町から出たところに大鳥居という集落が今もある。

かく戯れつゝ行く程に、黒石より西俣村の入口に至り、折ふし、猪狩りにて、山より手負いしし飛び出し、弥次、喜太八の方へ、牙をいからし、飛び来るゆえ、両人あたりの木へかけ登り居りたりしが、ししは一散に駆け抜け、行衛知れずとなり。このあと色々首端はあれども、ここに略す。
※ 首端(しゅたん)- いきさつ、位の意味?

   (い)のししが 出て*玉を 木の又へ かけて行きけり 両又の里
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