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義父初盆の御詠歌

(昼間一家でお墓参り、亡き義父寄進の観音像前で)

夜7時より義父の初盆で、近所の皆さんが集って、御詠歌を上げてくれるというので、手伝いに女房と出掛けた。初盆の祭壇を前に座布団が20以上並べてあった。この班は17人だから、座布団をたくさん並べておくと、きっと皆んな遠慮して前の方が空いてしまうからと、座布団を祭壇のある和室の部分だけにして、洋間の部分は片付けておいた。やがて三々五々やってきた近所の皆さんは、祭壇にお線香を上げて、遠いところから座布団を埋め始めた。数が足らなくなったところで、洋間にも3枚ほど座布団を増やして、空き座布団を作ることなく、座って頂けた。場所の譲り合いは奥ゆかしいようで、けっこう面倒なものである。

義弟は久し振りの御詠歌に、皆んな覚えているだろうかと心配していた。御詠歌が身に付いているお年寄りが次々に亡くなって、今中心になってくれる人たちは見様見真似で御詠歌を上げてくれることになる。今後続けて行くには、みんなでもう一度正調の御詠歌を教わることが必要ではないか、などと部外者は余計なことを話す。

鉦や御詠歌本は、何人分か手提げ袋に納めて引き継がれていて、皆んなに配られた。その御詠歌本は平かなで大きな字で手書きされたもので、読みやすく出来ている。足らない冊数を、義父が手書きして準備しておいてくれたけれども、一部変体仮名や草書体の部分もあって読めないからと、皆んなに配られることは無かった。たしかに、古文書の勉強をして自分でも、スムースに読めないところがあった。

「第一番那智山青岸渡寺」と先導者が発声して、御詠歌が始まった。
ふだらくや きしうつなみは みくまのの なちのおやまに ひびくたきつせ

西国三十三札所の御詠歌である。御詠歌を詠いながら、何やら私語が交わされて、3番でストップしてしまった。鉦の叩くタイミングが違うという。1回叩くところと3回連打するところが間違っているという。意見が交わされて、どうやら3回連打する場所が判明したらしい。

その後はテンポ良く進んだ。在所のお袋が一度ここの御詠歌に参加して、とても早くてスピードについて行けないと話したことがある。30年ほど前のことで、当時お袋は地元のお寺の御詠歌で先導を勤めていた。スピードが速いという事は早く終わるという事である。

途中一度休憩して続け、いよいよ「第三十三番谷汲山華厳寺」と最後の発声があった。ここは御詠歌が三首有り、二つ余分なのは、カーテンコールの気持なのだろう。
いままでは おやとたのみし おいずるを ぬぎておさむる みののたにぐみ

西国三十三札所の御詠歌は仏の教えを説くものや、名所旧跡の案内であったり、掛詞などの技巧の跡も見られ、じっくり読んで見ると、抹香臭いだけにあらず、けっこう新鮮に感じられるところもありそうである。

御詠歌の習俗が残る町は文字通り歴史のある街である。自分が住む新興住宅地ではとても考えられないことである。今後とも続けられることを期待するばかりである。

御詠歌のあと、少しアルコールも出て1時間ほど歓談された。話題に加わろうとしたが、話題があまりにローカル過ぎて、割り込む余地が見出せず、諦めて別室に引っ込んだ。
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