平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
Y氏のお墓参りに、力餅氏と会う
昨日朝、Y氏の13回忌の墓参に城崎に行く。現在は合併して豊岡市城崎町である。最寄のJR駅は山陰線の城崎温泉駅である。一昨晩、城崎の力餅氏から電話を頂き、時間を約束して9時過ぎに城崎に着いた。女房も、前回一緒にお墓参りして、力餅氏とも面識があるから行ってもよいというので同行した。
何年ぶりになるのだろうか。お店の場所を忘れてしまい、町の人に尋ねようかと女房が聞くが、もう少しと車を進めた町中に、力餅氏のお店を見つけた。あらかじめ、当日はお店が休みでシャッターが閉まっていると聞いていたので、看板とそのシャッターが目印になった。
孫を見て行ってくれと招き入れられ、次男さんと女のお孫さんを紹介された。一歳半になる孫が余程見せたかったのであろう。ここにも、孫命のジージが一人いた。
極楽寺のお墓は山懐にあり、その前面には最初来たとき、お寺経営の保育園があって、幼児の声が満ちて、お墓に眠る人々は時にその声に起されて微笑むのだろうと、お寺に保育園は悪くないと思った。現在は幼保一体化のために、敷地を広げ園舎を立て直す土木工事をしていた。
お墓は妙にすっきりしていた。花台に花が無かったから、このお盆にお参りに来た人はなかったのだろうか。聞けば、Y氏の実家は城崎にはすでにないから、墓参に来ても宿に泊まるのだという。途中で買って来たお花を花台に活けた。力餅氏が持参したお線香をいただき、手向けて墓参を済ませた。もっともY氏もここには不在で、千の風になって吹き渡っているのであろう。戒名を確認したところ、「秀道宗達信士、平成11年5月6日、53歳」と刻まれていた。これもひょっとして個人情報の開示に成るのだろうか。
墓参の後、少しドライブして日和山でコーヒーでも飲もうという、力餅氏の誘いで車を走らせた。おそらく昔話をする相手に飢えていたのであろう。力餅氏は実に饒舌であった。お喋りには負けない自分が完全に圧倒されていた。城崎温泉の中を流れる大谿川を遡る道をたどると、鋳物師戻トンネルが有り、抜けて下ると竹野に出る。ここも今は豊岡市竹野町である。
昔、海水浴で何度も訪れた竹野浜は土用波もまだ立たず、波が静かで海水浴客もまだ多かった。竹野の街を流れる川は、猫が伏せているように見えるところから猫崎と呼ばれる岬の西側を通って海に注いでいるため、猫崎の東側にある竹野浜には生活排水が流れ込まない。だからきれいな海水が保たれており、関西でも屈指の人気のある浜である。
(日和山竜宮城)
山陰海岸は東北の松島より余程雄大で美しいと語る力餅氏の自慢話を聞きながら、日和山に向かって海岸に沿った道を走らせた。日和山は建物は近代的にきれいになったけれども、自分の昔の記憶とそれほど違わなかった。竜宮城の見える喫茶室で力餅氏の話をさらに聞き、場所を食堂に移して昼食を食べながらさらに話が続いた。力餅氏は話に夢中で、頼んだうどんを残してしまったほどであった。
色々な話を聞いたけれども、またこのブログで扱うこともあるであろう。力餅氏は再会を約して城崎の町の入口で車から降りて行った。
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