平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
百姓町人共、宮、堂上方入りのこと- 駿河古文書会
朝から公報無線で、大井川の花火大会再延期の放送が何度も行なわれている。当初、10日の予定が大井川増水のため、25日に延期され、同じ理由で再び延期された。延期されて、何時になるのかは未定だという。江戸時代、大井川の川越しもこんな形で川止めがされたのであろう。もっとも昔は公報無線を利用して知らせるというわけには行かなかったけれども。
このところ、秋雨前線が日本列島に停滞して、あちこちで雷が発達して豪雨を降らせている。まるで梅雨前線末期の豪雨が戻ってきたようで、秋雨前線の雨ではない。おかげであの熱中症を起こしかねない暑さは去って、有り難い天候ではある。長期予報ではこの秋、暑さが長引き、本格的な秋になるのはまだ先だという。
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駿河古文書会の続きである。今日の文書はいま一つ何のための御触れであるのか理解できない。
百姓町人ども聊(いささ)かの由縁を以って、宮、堂上方へ入り込み、用達または舘入などと唱え、提灯などに御用と記し、或いは紋付け置き、権威がましく振るまい致し候は、往々これ有るやに相聞く、かねて御布令の趣も弁へ趣き、右様の所為は不届きの至りに候、右以来相改めざるものは見付け次第召し捕り、御詮議これ有るべく候間、きっと相心得候様、仰せ出され候事
八月 太政官
※ 所為(しょい)- しわざ。振る舞い。
右の通り仰せ出され候間、村々その旨相心得申すべく候、以上
八月十日
安部町役所 柳新田始め
浅畑村々 名主
組頭
この文書も慶応4年8月に出された文書で、出したのは太政官とあるから、明治新政府である。8月9日には徳川家達が駿府に向けて江戸を立って、その道中であった。その受入準備を進めている駿府の村々に出された御触れで、受入準備を進める上で、特に注意を喚起したものなのだろうか。
四民平等の明治でも、江戸時代の権威が貶められることは、新政府も許さなかったという事なのであろう。明治維新そのものが、フランス革命のような自由平等を旗印に掲げた革命では決してなかったことを示している。
最初解読したとき、維新に便乗して、錦の御旗を掲げて、狼藉をなした輩の摘発をはかった御触れかと考えたが、どうも穿ちすぎであったようだ。
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