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城崎、極楽寺と、加藤美代三画伯

(萬年山極楽禅寺)

Y氏墓参のお寺は、萬年山極楽禅寺という。墓参の後、お寺に寄ってみた。山門にあった由緒書きを読むと、中興の祖として沢庵禅師の名があった。力餅氏と会話の中で、沢庵禅師と家康の関係と話したが、家康ではなくて、三代将軍家光の間違いであった。有名な紫衣事件で出羽に流され、二代将軍秀忠の死で恩赦され、その後、三代将軍家光の帰依を受け、品川に東海寺を創建、住職となった。

家光との親交も深く、ある時、お寺で漬けた「たくわえ漬け」を家光に出したところ、美味を誉め、「たくわえ漬にあらず沢庵漬なり」と命名したという話が残っている。また二人には、
  「海近くして何がこれ東(遠)海寺?」(家光)
  「大軍を指揮して将(小)軍というが如し」(沢庵)
という問答が語り伝えられている。この二人けっこう親父ギャグをとばす間柄だったようだ。

その真偽のほどはともかく、世に「沢庵漬け」とともに、沢庵和尚の名前が残った。沢庵和尚は出石の出身であるが、この「出石そば」で有名な出石も、今は豊岡市出石町となっている。

もう一つ、由緒書きに名前の出ている人物に、加藤美代三画伯がある。極楽寺本堂が大正10年に再建されたとき、襖の全面には加藤美代三画伯により、水墨画、四季の図が描かれているという。

加藤美代三画伯は1912年、現在の兵庫県豊岡市に生まれ、京都日本画壇で活躍、ネットで見る限り、まだ健在で京都日本画壇でも最長老になるのであろう。風景画を得意とし、作家がとらえた自然の真実の相を描いている。年譜によると、極楽寺へ襖絵を収めたのは1988年で、しっかり記録されている。

力餅氏のお店には父が購入した加藤美代三画伯の四季の絵が有り、四季折々に店に展示しているという。お店に飾られていることを本人が聞き及び、大変喜んでくれ、わざわざお店に来てくれたこともあったという。自分の絵が死蔵されたり、人目の触れないところに置かれているよりも、誰もが見られる場所に展示されている方が嬉しいのは、画家に共通する思いではないだろうか。かの岡本太郎も自分の作品は皆んなに見られたい、それで絵を損なうならば、いくらでも自分が補修してやると語ったという。本人が直すならば作品の価値を損なうことはない。

今年の10月14~16日、豊岡市立総合体育館において、「加藤美代三画伯 白寿記念展」が開催されるといい、力餅氏のお店にも出品依頼の打診があったと聞く。近くであれば見に行きたい絵画展である。しかし、故郷の生んだ、日本画の大家、加藤美代三画伯の事は、今の今まで全く知らなかったのだから、なさけない。

加藤美代三画伯を含む、豊岡市のバーチャル美術館がネットで見ることが出来る。
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