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金札御製造、御仕法のこと - 駿河古文書会

(散歩道のオシロイバナ)

先週金曜日の駿河古文書会で解読した分である。慶應4年(1868)閏四月に出された、金札御製造、御仕法の触れである。太政官代から出されたものだから、明治新政府によるものであるが、明治に改元されるのは、その年の9月8日であるから、過渡期の御触れである。西から順次平定され、明治改元を待たずに、新政府から次々と御触れが出されたようである。

皇政更(あらた)まり始めの折がら、富国の基礎を建てさせられたく、もっとも衆儀を尽くし、一時の権法を以って、金札御製造へ思し召しに付、当辰年より来る辰年まで十三ヶ年の間、皇国一円通用これ有るべく候、御仕法左の通り相心得申すべきものなり、但し、通用日限の儀は、追って仰せ出さるべく候事
右の通り、仰せ出され候間、末々まで洩れざる様、その向きより、早々相触るべく候事
  閏四月    太政官代

一 金札御製造の上、列藩石高に応じ、万石に付一万両ずつ、拝借仰せ付けられ候間、その筋願い出るべく候事
一 返納方の儀は、必ずその金札を以って、毎年暮れ、その金高より、壱割ずつ差し出し、来たる辰年まで、十三ヶ年にて上納済み切りの事
一 列藩拝借の金札は富国の基礎を建設させられる御趣意を体認奉り、ここを以って産物など精々取り建てるなど、その国益を引き起し候様、致すべく候、但しその藩々役場において、猥り遣い込み候儀と決して相成らざる候事
 ※ 体認(たいじん)- 心に刻み込むように十分会得すること。
京摂及び近郷の商売拝借願い上げたき者は、金札役所へ願い出るべく候、金高など取扱い候産物高に応じ、御貸し渡し相成り候事
 ※ 京摂(けいせつ)- 京都と摂津国。京阪地方。
一 諸国裁判所始め、諸侯領地内農商の者ども、拝借申し出候えども、その身元厚薄の見込を以って金高貸し渡し、産業相立ち候様、遣し致すべく、もっとも返納の儀は年々相当の元利差し出させ候事
 但し遐邑僻陬といえども金札取り扱い候向きは、京摂商
売振り合わせを以って取り計い致すべき事
 ※ 遐邑(かゆう)- 遠い土地。
 ※ 僻陬(へきそう)- へんぴな土地。かたいなか。僻地。

一 拝借の金高の内、年割上納の札は会計局において截ち申すべき事
 ※ 截(たち)- お札を切り刻んで使えなくする。
但し、正月より七月までに拝借分は、暮れは割上納七月より十二月まで拝借の分の五分割上納致すべき事

右の通り御趣意を以って、即今不融通を補い遊ばさせられたく、御仁恤の思し召しに候間、心得違いこれ為すまじく候、もっとも金札を
以って貸し渡し、金札を以って返納の御仕法に付き、引替は一切これ無し
 ※ 仁恤(じんじゅつ)- あわれんで情をかけること。
 閏四月


金札は紙幣のことで、金貨の代用として明治政府より発行された。まずは藩々に貸し出して、産業の振興の貸付金として普及を図った。返済を必ず金札で行なうとか、返済を受けた金札は会計局にて裁断して無効にすることも決めている。紙幣をどのように普及を図ったのか、大変興味深い。
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