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お盆に皆んなが集り、食器洗い器フル稼働

(たけ山に沈む夕陽)

我班の真ん中を東西に貫く道は、昔は馬道(うまみち)と呼ばれ、たけ山に秣(まぐさ)を取りに馬車を引いて行った道だと聞いた。おそらく、たけ山一帯は近辺の村落の秣場だったと考えられる。以前から、町名の「竹下」の、たけ山との関連を想像していたが、その状況証拠の一つになりそうだ。写真には今年も順調に育つ稲が写っている。早いところではすでに稲穂が出ている。幸いにお米には放射能の影響はなさそうである。

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お盆で名古屋のかなくん一家が帰って来ていて、そこへ昼間は掛川のまーくん一家がやって来て大変賑やかである。但し、まーくんのパパは車関係の仕事のため、休みが合わず、忙しくてまだ顔を見ていない。まーくんの弟のあっくんもようやく歩けるようになり、目が離せなくなった。あっくんは、まーくんやかなくんの動きをよく見ていて、言葉で負ける分、強気の行動は時としてまーくんを泣かせてしまう。まーくんも自分の主張を泣いて通そうとする知恵がついてきた。かなくんは一人っ子の甘さで、時々玩具など取り合いにまーくんに負けているが、けっこう我慢強く、身体をどこかにぶつけてもめったに泣かない。だから泣くときはよっぽど痛いときである。明日は名古屋一行が帰り、静けさが戻る。

それで、この3日ばかり、我が家の食器洗い器が大忙しである。夫婦だけのときは一日1回稼動させればお釣りがでるほどであるが、今日は朝から3回稼動し、まだもう1回分の食器が洗いを待っている。食器洗いは自分の役割と心得、極力やるつもりでいるが、一食終ると洗い場がいっぱいになって、今日のようなときは一日中食器洗いをしているような気分になる。

食器洗い器があるのだから、そのまま並べればよいと娘には言われるが、汚れたまま入れるのは何となく気が引けて、汚れを水で落としてから入れないと、気分が落ち着かない。こびりついている飯粒などが、落ちないで乾いて出てくるのを見ているからである。それでも、洗うに水で流すだけだし、布巾で拭う手間が無く、衛生的な点、食器洗い器は優れものである。

食器も食べ終わってすぐに洗えばわけなく汚れが落ちる。少し置くと汚れが落ちにくくなる。理想的には料理を作りながら、料理に使用した食器を洗うくらいな方がよい。女房が料理をする隣で使った食器を洗うこともやってみるが、料理をする方が気忙しくてたまらないだろうと思いやめた。但し、自分で昼食を作るときなどは、料理に使った食器は食事前に洗ってしまう。

食事を終えたらすぐに洗い場に立ち、空いた物からどんどん洗ってゆく。食事を終えた者から、自分が使った食器を次々に洗い場に持ってくる。そうするようになってから、皆んなが食べっぱなしにしないで、洗い場まで片付けるよい習慣が出来てきたと思う。
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