goo

諸寺諸山住持職の儀 - 駿河古文書会

(散歩道で見つけたナデシコ)

駿河古文書会の昨日の続きである。同じ慶応4年4月に新政府から出されたものである。早い時期に諸寺諸山の人事管理を新政府の元に置こうとする御触れである。旧幕府時代に寺院が培ってきた勢力は侮れないものがあった。

慶応4年3月には神仏分離令が出ており、明治3年1月の大教宣布の詔をきっかけにして、廃仏毀釈運動が一気に拡がった。明治政府が廃仏毀釈を直接進めた証拠はないが、神仏分離によって各地の神官に職を得た国学者たち、得られなかった不満分子などが中心になって運動が拡がった。従って、倒幕の主力になった、多くの国学の徒が居る藩ほど、廃仏毀釈が徹底された。この御触れはその流れの中にある御触れである。

諸寺諸山住持職の儀、これまで朝廷へ願い出で候向きはもちろん、その地旧幕府に於いて訴状を請け来し候諸寺においても、向後太政官代へ願い出づべく候事
一 諸末寺住職の儀は本山より伺いの上、本山より申し付くべく候事
一 諸宗本山はもちろん、末寺に至るまで、その本山にて取り調べ、宗門、国郡、寺号等巨細書付差し出すべき事
※ 巨細(こさい)- 細かく詳しいこと。
公事訴訟の儀はその国裁判所へ申し出るべし、大事件に至らば、すべて願い出るべき事
※ 公事訴訟(くじそしょう)- 江戸時代、出入筋による裁判のこと。公事と訴訟を区別しないで一括して、吟味物(者)に対して用いた語。おおよそ、今日の民事訴訟にあたる。吟味物(者)が刑事訴訟にあたる。
一 従来藩々にて取り扱い来たり候分は、すべてこれまでの通り相心得節、別段、巨細書付差し出しに及ばず候事
 但し、この執奏家へ伺い来たり候向きは、先執奏家へ伺いの上、仕るべく指揮の事
※ 執奏家(しっそうけ)- 天皇など貴人に取り次いで奏上することを役割とした家柄。
右の通り、仰せ出され候に付、それぞれ触れ示すべく候、無本寺の向きは、その国郡裁判所に取り寄せの国主、諸寺より触れ示すべく候、比丘尼寺においても同断取り計い申すべく候事
※ 無本寺 - 独立した寺で、末寺のないもの。
※ 比丘尼寺(びくにじ)- 尼が住職をする寺。尼の住む寺。尼寺。

但し、執奏これ有り候寺院へは、その執奏家より、触れ示すべく候事
 閏四月
右の通り御触れこれ有り候間、村々その旨相心得申すべく候、以上
  宮ヶ崎役所
 辰六月七日      浜通り村々
            中通り村々
            山行通り村々
         右村々 名主
             組頭
            寺院へ
なおもって、この書面、村々早々順達これ有るべく候、以上
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )