ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

21世紀の「日英同盟」復活へ

2013-06-13 08:54:49 | 国際関係
 日本とNATO(北大西洋条約機構)、特に英国との安全保障の連携強化の動きがあり、注目される。
 安倍首相は、前任時の平成19年(2007)1月、ブリュッセルのNATO本部で開かれたNATO理事会に日本の首相として初めて出席した。NATOは北米諸国・欧州諸国・トルコの28カ国が加盟する軍事同盟。安倍氏は、NATO幹部を前にした演説で、「日本とNATOは平和構築や復興支援、災害救援などで役立つ知識や経験を共有できる。新たな協力の段階へと移行すべきだ」と訴えた。安倍氏のNATO訪問は、欧州諸国のアジアの安全保障への関心を呼び覚ました。以後、日本とNATO間で、戦略的協力とパートナーシップの強化が目指されている。
 この点に関し、産経新聞論説副委員長・高畑昭男氏が、同紙本年1月5日号に書いた「日米プラス英で対中連携を」という記事は、戦略的な思考に立つ秀逸なものだった。
 高畑氏は言う。「日本の領土や主権を守り、地域の平和と安定を確保するには、日米同盟の強化と充実だけでは足りない。欧州や世界に安保協力のネットワークを広げていく努力が一層欠かせない時代になった。NATOとの協力の中でも、とりわけ大切なことは英国との関係を強化することだろう」と。
 わが国は、1902年から23年まで日英同盟を結んでいた。日露戦争の勝利は、日英同盟に負う所が少なくなかった。日本の台頭を警戒した米国は、1922年ワシントン会議で四か国同盟を成立させ、日英同盟を解消させた。米国に敵視され、また英国との同盟を失ったわが国は、以後、国際社会で徐々に孤立する方向に進んだ。
 わが国は大東亜戦争で敗北し、戦後は米国に国防を依存する形で安全保障条約を結んでいる。一方、英国は、NATO諸国の主要国の一つであり、米国とは強い紐帯で結ばれている。こうした中で、わが国がNATO諸国の中でも英国との協力関係を強化することは、日米英へと連携を広げることとなり、有益と思う。
 高畑氏は言う。「習近平体制の中国はキバをむき出しにした。対抗する日本は日米同盟を立て直すと同時に、日英協力を活用して欧州や豪州、インドなどとグローバルな協力を拡充していく工夫が欠かせない。かつて強力な同盟を通じて帝政ロシアを破った歴史も日英にはある。今また大国の無法な挑発にさらされる中で、日英同盟を実質的に復活させ、日米英でスクラムを組むことは大きな意義がある。日米、米英の同盟に、日英協力の太いパイプが加われば、中国の危険な行動を抑止する日米英の外交パワーを飛躍的に高めることができるだろう」と。優れた見方だと思う。
 安倍首相は昨年12月就任後すぐ、日米同盟に加えて欧州との安保関係を重視する姿勢を表明した。安倍政権は、北朝鮮のミサイル問題や中国の海洋進出の積極化など東アジアの安全保障の環境変化に対し、NATOにも理解や協力を呼びかけてきている。NATO加盟国も東アジア情勢に高い関心を見せているという。なかでも英国との間では、わが国は、安保協力を拡大させつつある。野田政権の昨年4月キャメロン英首相が訪日し、日英防衛協力で合意した。以後、両政府間で戦略対話や武器禁輸三原則の緩和、兵器の共同開発、情報の共有などについての協議が行われている。
 こうしたなか、英国のヨーク公アンドルー王子が今秋訪日し、21世紀型の新たな「日英同盟」を模索する国際会議を東京で開催する計画があるという。会議開催を計画しているのは、王立防衛安全保障研究所(RUSI)。アンドルー王子が事実上の会長職にあるRUSIは、米国及び英連邦諸国と緊密な情報交換ネットワークで結ばれ、英政府に外交安保政策を助言する「特別な研究所」とされる。
 東京で開催予定の会議では、日英両国の防衛・外交の当局者や防衛産業関係者のほか、安保問題の専門家らが出席し、東京で2日間にわたり、日英安保の枠組みのあり方、防衛装備品の共同開発、サイバー・セキュリティー、英国の情報活動等について意見交換を行う計画と伝えられる。暴走する北朝鮮、軍拡を進める中国を念頭に、日英間の安全保障強化に向けた動きとして注目される。英国との連携は、オーストラリア等、英連邦諸国との関係発展につながる可能性もあり、わが国政府は積極的に日英同盟復活に取り組んでもらいたいものである。
 以下は、高畑氏の記事。

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●産経新聞 平成25年1月5日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130105/plc13010503290004-n1.htm
【土・日曜日に書く】
論説副委員長・高畑昭男 日米プラス英で対中連携を
2013.1.5 03:28

 安倍晋三氏の首相再登板で思いだすのは、前任時の2007年1月、ブリュッセルの北大西洋条約機構(NATO)本部で開かれたNATO理事会に日本の首相として初めて出席し、日・NATO間の戦略的協力とパートナーシップの強化に先鞭(せんべん)をつけたことだ。
 NATO諸国の代表らを前に行った「さらなる協力に向けて」と題する演説で、安倍氏は「日本とNATOは平和構築や復興支援、災害救援などで役立つ知識や経験を共有できる。新たな協力の段階へと移行すべきだ」と訴え、アフガニスタン復興支援などで連携を深める道へ踏み出した。

欧州の関心呼び覚ます
 安倍氏のNATO訪問がアジアの安全保障に欧州側の関心を呼び覚ます伏線となったのは言うまでもない。NATOも前年の首脳会議で日本、豪州、ニュージーランド、韓国などアジア太平洋の非加盟国と連携を強める方針を打ち出し、日欧が安保協力を深める姿勢の醸成に結びついていった。
 北朝鮮の核・ミサイル開発は当時も東アジアの脅威だったが、6年後の今は、それに加えて中国による強引な海洋進出や沖縄県・尖閣諸島の奪取を狙った攻勢が強まり、日本の安全保障環境はさらに険悪化の度を強めている。
日本の領土や主権を守り、地域の平和と安定を確保するには、日米同盟の強化と充実だけでは足りない。欧州や世界に安保協力のネットワークを広げていく努力が一層欠かせない時代になった。
 NATOとの協力の中でも、とりわけ大切なことは英国との関係を強化することだろう。
 英国はNATOの欧州側同盟国の中核を占め、歴史的、文化的に米国と「特別な関係」にある。しかも日英は、地政学的にユーラシア大陸の欧州側とアジア側の両端に位置する海洋国家だ。自由と民主主義の価値を共有し、ともに米国と緊密な同盟を維持してきた点でも共通要素が多い。
 昨年4月、安倍氏の路線を引き継ぐ形で野田佳彦首相は来日したキャメロン英首相と首脳会談を行い、新たに「世界の繁栄と安全保障を先導する戦略的パートナーシップ」関係を確認した。
 北のミサイルやイランの核問題などで戦略的対話を深め、緊密な連携で一致したほか、武器輸出三原則の緩和を受けて防衛装備の共同開発に踏み出すことでも合意した。6月には防衛担当閣僚による「防衛協力覚書」を交換し、英海軍と海上自衛隊の共同演習、海洋安全保障、サイバー・宇宙での協力、防衛装備の共同研究・開発などを取りまとめた。
民主党政権下では日米同盟の空洞化など多くの面で日本の国益を損なったが、こと日英協力に関しては野田外交を評価していい。

米国以外と開発の意義
 中でも、日本が米国以外の国と初めて防衛装備の共同開発へ乗り出した意義は大きい。戦闘機開発などの例をみても、一国で行うよりも共同開発のほうがはるかに費用対効果が上がる。多様な発想を組み込むことができ、互いの経済・技術交流にもつながる。
 技術や経済の利点に加え、戦略的メリットも重要だ。そもそも敵国同士が共同開発することはあり得ず、国家の防衛にかかわる共同事業に取り組むこと自体、同盟のような関係に向けて協力を深める第一歩でもあるからだ。
 習近平体制の中国はキバをむき出しにした。対抗する日本は日米同盟を立て直すと同時に、日英協力を活用して欧州や豪州、インドなどとグローバルな協力を拡充していく工夫が欠かせない。
 かつて強力な同盟を通じて帝政ロシアを破った歴史も日英にはある。今また大国の無法な挑発にさらされる中で、日英同盟を実質的に復活させ、日米英でスクラムを組むことは大きな意義がある。
 日米、米英の同盟に、日英協力の太いパイプが加われば、中国の危険な行動を抑止する日米英の外交パワーを飛躍的に高めることができるだろう。

日英同盟復活させたい
 日英防衛覚書を受けて、日本の主要防衛産業で組織する経団連防衛生産委員会は今月末、大手20社による調査団を英国とイタリアに派遣する。防衛装備の国際共同開発には、各国の事例や体験が役に立つ。同委員会は平成22年から欧米に調査団を派遣しており、直ちに共同開発が始まる段階ではないが、そうした官民の研究や調査協力を着実な成果に結びつけていくことが大切だ。新たな安倍政権にもそのための十分なバックアップを期待したい。
 今日の日英協力の展開は、6年前のNATO訪問が大きなきっかけとなっている。再び日本の政治のトップに立った安倍氏には、改めて当時の感慨を胸に日英関係の強化と活用に力を注いでほしいと思う。(たかはた あきお)
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尖閣:中国首相が「日本が盗み取った」と公言2

2013-06-12 09:54:59 | 尖閣
 李克強首相が尖閣諸島を念頭に「日本が盗み取った」と主張した発言は、昨年9月楊潔●(よう・けっち)外相と李保東国連大使が国連総会一般討論の場で行った演説に通じる。楊外相と李国連大使は、この時、尖閣諸島の領有権を主張し、日本が尖閣諸島を「盗んだ」という表現を計7回使用した。日本による尖閣国有化に関連し、日清戦争末期に「日本が中国から盗んだ歴史的事実は変えられない」と述べ、「強盗の論理と同じ」「マネーロンダリング(資金洗浄)のようだ」とも表現した。国連総会という国際社会で重要な会議の場で、日本を盗人呼ばわりする中国の姿勢は、異様だった。
 これに対し、日本の国連代表部の児玉和夫次席大使は、同演説に反論する答弁権を行使し、日本の尖閣諸島領有の歴史を詳細に説明した上で「日本の固有の領土」であることを主張した。李国連大使が激しく反論すると、日本は2度目の答弁権行使で、「歴史的事実と国際法に基づき、尖閣諸島は日本の固有の領土だ」と主張した。
 中国の言い分は、尖閣は台湾の付属諸島であり、カイロ宣言及びポツダム宣言によって、中国に返還されたはずだという論理である。カイロ宣言は、台湾などに言及し、「日本国が清国人より盗取したすべての地域を中華民国に返還する」と規定している。しかし、戦後の日本の領土は、昭和27年(1952)4月28日サンフランシスコ講和条約の発効を以て、法的に確定したものである。講和条約でわが国は、日清戦争で割譲を受けた台湾を放棄したが、わが国は台湾割譲以前に、尖閣諸島を閣議決定で沖縄県に編入している。当時、尖閣はどこの国にも属しておらず、国際法上適正な手続きによる編入だった。中国は、日本はカイロ宣言・ポツダム宣言に定められた義務を果たしておらず、「戦後の国際秩序に挑戦」していると主張するが、中国の言い分には、まったく根拠がないのである。
 だが、楊外相らの発言は、単に国連総会の場を使ったプロパガンダではない。周到な研究と計画あってのものと見て、わが国は外交的な対抗策を講じるべきである。中国政府は、日本に対し、第2次大戦の戦勝国の地位を利用し、戦後秩序を維持するという論理を用いて歴史認識や領土の帰属に係る主張をしている。中国が国際連合で歴史カードを使っているのは、国際連合は、第2次世界大戦の時の連合国がもとになっており、戦勝国が戦後秩序を維持するための機関として設立されたことに関係する。わが国では国際連合と訳すthe United Nationsは、正しい訳は「連合国」であり、中国はそれを使用している。日本は連合国に降伏して、連合国=国際連合に加入を許された旧敵国である。国連憲章には、日本を敵国と見なす「敵国条項」が残されたままである。この敵国条項は、中国が日米安保を無効化するために悪用する可能性があり、注意を要する。
 なお、李首相は、ポツダム宣言について「カイロ宣言の条件を必ず実施すると指摘している」と述べた。だが、カイロ宣言については、米英中参加国首脳の誰も署名はしておらず、チャーチル英国首相は国会ではっきり宣言の存在を否定している。米国国務省はカイロ宣言はなかったと公に発表している。宣言というより、公告という程度のものであることを、抑えておく必要がある。
 ところで、中国の習近平国家主席は、異例にも国家主席就任後、早期に訪米し、オバマ大統領との首脳会談を行った。6月7日、米カリフォルニア州で行われた首脳会談で、オバマ氏に対し、尖閣諸島は歴史的に見ても「中国固有の領土」と主張を繰り返し、中国の譲れない国益を意味する「核心的利益」に位置づけているとの認識を表明し、主権と領土統一を断固として守る方針を強調した。また習氏は「中米両国が互いに相手の核心的利益を尊重することが重要だ」とくぎを刺したと伝えられる。
 習氏が国家主席に就いて中国の最高権力者となれば、覇権主義的な行動を一段と強く推進してくることが予想されたが、予想通りの展開である。習氏は、オバマ氏との初の首脳会談で、オバマ政権を米中二大国のG2路線に引き戻させようとするとともに、尖閣については、尖閣については強い姿勢を示すことで、米国を牽制し、米国が日本に譲歩を迫るよう促す狙いがあったものとみられる。また首脳会議で「核心的利益」と述べたことで、日本に対し、引き続き強硬な方針で挑んでくることは確実である。
 6月上旬の米中首脳会談に向けて、中国は沖縄についても、これを奪取しようとする姿勢を明確にした。6月2~3日の拙稿「中国の沖縄略奪工作と琉球独立運動」に書いたが、5月8日、中国共産党機関紙、人民日報は、沖縄の帰属は「歴史上の懸案であり、未解決の問題だ」とする論文を載せた。11日人民日報傘下の環球時報は社説で、この論文に言及し、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」と中国政府に提案した。15日、沖縄では「琉球民族独立総合研究学会」が設立された。これに呼応して、衆院沖縄2区選出の社民党・照屋寛徳国対委員長が「沖縄、ついにヤマトから独立へ」と題した文書を公表した。16日環球時報は、社説で「琉球民族独立総合研究学会」について「中国の民衆は支持すべきだ」とする社説を掲載した。こういう流れの中で、米中首脳会談における習主席の発言は、行われている。ここ数か月間の中国の尖閣及び沖縄に関する外交宣伝工作の展開あっての発言であり、米中首脳会談に向けても計画的にかつしたたかに工作を展開してきたのだろう。
 中国は、尖閣=沖縄略奪工作を一貫して進めており、今後、一層大胆にかつ執拗に展開してくるだろう。尖閣諸島周辺で武力による威嚇を繰り返し、国民の間に厭戦気分を醸成し、同時に反戦思想を高揚させ、憲法改正や集団的自衛権行使が進まぬようにする。同時に沖縄の独立運動を育成し、沖縄県民の意識を誘導し、本土の反日左翼を利用し、沖縄と中央のメディアを操作する。そして、戦わずして勝つ孫子の兵法によって、兵を動かさず、米国と衝突せず、民主的に沖縄県民多数の意思によって、沖縄が独立し、中国の勢力圏に入ってくるよう謀る。だが、もしこの最善の策が国内外の事情によって遂行できないと見極めるや、牙をむいて襲い掛かってくるだろう。
 日本国民は、わが国の主権の要である尖閣を守り、また沖縄でチベットや新疆ウイグルの人民と同じ悲劇が起こらないよう沖縄を守り、またそれによって日本そのものを守らねばならない。

(註 ●=簾の广を厂に、兼を虎に)

関連掲示
・拙稿「尖閣を守り、沖縄を、日本を守れ」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12o.htm
・拙稿「中国の沖縄略奪工作と琉球独立運動」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/b67a056be689c5ea0b357d66fa9b8da9
・拙稿「米中再接近をけん制し、価値観外交の展開を」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/9ef38f8b6965e21b17d046cff9e144ce

尖閣:中国首相が「日本が盗み取った」と公言1

2013-06-10 08:43:08 | 尖閣
 5月6日米国の国防総省は、中国の軍事動向に関する年次報告書を公表し、沖縄県・尖閣諸島をめぐり、中国が昨年9月から「不適切に引かれた直線基線」を使って領有権主張を強めていると指摘した。米政府は領有権問題で特定の立場を取らないとしているが、尖閣諸島周辺に独自に設定した「領海基線」について、「国際法に合致しない」と断じた。
 「領海基線」とは、領海の範囲を規定する際に基となる線である。国連海洋法条約で基線から12カイリ(約22キロ)の範囲まで領海を設定できるが、中国政府は昨年9月、尖閣諸島を中国領として扱えるよう、一方的に基線を設定した海図を国連事務総長に提出した。米国国防総省は、この動きに対する見解を発表したもので、国防総省が尖閣に関することで「国際法違反」との立場を明確にしたのは初めてだった。これに対し、中国外務省の華報道官は、独自の領海基線について「完全に国際法などに符合する」と主張し、米国に対し「この問題で誤ったシグナルを発してはいけない」とけん制した。
 中国政府は、尖閣諸島を略奪するために、段階的に主張と行動のレベルを上げてきている。4月26日には、中国外務省の華春瑩副報道局長は、記者会見で、尖閣諸島について「釣魚島の問題は中国の領土主権問題に関係している。当然、核心的利益に属する」と明言した。中国政府が尖閣を「核心的利益」と位置付けていることを、外交当局者が公式に認めたのは初めてだった。
 いずれ習近平政権の閣僚級が尖閣諸島を「核心的利益」と公言することが予想されたが、国営新華社通信によると、5月26日ドイツ訪問中の李克強首相は、ベルリン郊外のポツダムで演説し、尖閣諸島を念頭に「日本が盗み取った」と主張し、「世界平和を愛する人々は、第二次大戦の勝利の成果を破壊したり否定したりしてはいけない」と述べたという。
 李氏は、ポツダム宣言について「日本が盗み取った中国東北地方や台湾などの島嶼を中国に返還すると規定したカイロ宣言の条件を必ず実施すると指摘している。これは数千万人の生命と引き換えにした勝利の成果だ」と強調した。また「ファシストによる侵略の歴史の否定や美化の言動は、中国人が承諾できないだけでなく、世界各国の平和を愛する正義の勢力も受け入れられない」と発言したという。
 これに対し、菅義偉官房長官は27日の記者会見で、李首相が「日本が盗み取った」と主張したことに対し「あまりにも歴史を無視した発言だ」と批判した。また「尖閣諸島に関する中国独自の主張に基づくものであれば、決して受け入れることはできない」と指摘し、「いかなる発言もわが国の立場に影響を与えるものではない」と強調した。29日にも、中国の王毅外相が尖閣諸島をめぐり、ポツダム宣言の規定を引用し、菅氏に「もう一度、(歴史を)まじめに学んだらどうか」と領有権を主張したことに反論し、「尖閣諸島はポツダム宣言以前から日本の領土。私は歴史をしっかり勉強して発言している」と述べた。「(中国側の発言は)全く歴史を無視した発言だ。さかのぼると、(1895年の)日清講和条約締結以前から、尖閣はわが国固有の領土だった」と強調した。このように、即座にかつ明確に反論することが必要である。

 次回に続く。

人権48~権力と暴力

2013-06-09 08:30:07 | 人権
●権力という力の観念

 私は、権力とは、個人または集団の関係における権利の作用を力の観念でとらえたものと考える。権利関係は社会関係の表れであり、その関係の一つに優劣がある。優位者すなわち支配・収奪・保護・指導する者は、劣位者すなわち支配・収奪・保護・指導される者に比べ、より大きな権利、より多い権利を持つ。だが、劣位者もまたより小さな、少ない権利ではあっても、権利を持つ。権利関係の要素である個人または集団は、相互に行為の主体であり、対象である。この相互関係は、相互作用の関係である。こうした優位者と劣位者の権利の相互作用を、力(power)の概念でとらえることができる。
 力とは、日常語において、目に見えないが人やものに作用し、何らかの影響をもたらすものを指す。ここでいう力は、能力であり、意思の力であり、また強制力でもある。そうした力の観念を用いることによって、権利関係を権力関係としてもとらえることができる。
 劣位者にとって、優位者の権利の作用は、強大な力と感じられる。だが、劣位者の権利も一定の作用をする。微弱な力であるが、優位者の力に対して影響を与え得る。ここで力を発する側と力を受ける側は、ともに意思を持つ。そして、相互に力を働かせる主体であり、作用の対象である。この相互作用における力は、社会的な力である。それが権力(power)と呼んでいるものである。もちろん日常語を用いる人々は、こうした反省的な思考をして、言語と概念を生み出してきたわけではない。無意識的・無自覚的に行ってきた言語活動と思考作用の中で、権利と権力の相関性が自ずと形成されてきたのである。
 権利の相互作用を力の観念でとらえることの利点に、力という定量的な概念を用いることにより、量的な比較が可能になることがある。すなわち、大きさと小ささ、強さと弱さ等の感覚的な表現によって、権力の状態や機能を理解することができる。端的には、権利の量や関与する人員の数、武器の数等が、権力の量的側面を表す指標となる。力の観念を用いることで、権力関係の変化を量的な変化としてとらえることも可能になる。この点もまた反省的な思考によって、人々が言語と概念を生み出したのではない。経験と慣習によって、自ずと形成されてきたものである。

●ホッブスとロックにおける権利と権力

 権力とは、個人または集団の関係における権利の作用を力の観念でとらえたものである。これは私独自の見解だが、この見解は、ホッブスとロックの所論によっても裏付けられる。
 ホッブスは、自然権とは「各人が、彼自身の自然すなわち彼自身の生命を維持するために、彼自身の意志するとおりに、彼自身の力を使用することについて各人が持っている自由」だとした。自由は権利だと言っている。権利は、能力であり、意思であり、また強制力である。ホッブスは、自然状態は戦争状態だと想定した。「全人類の一般的性向」は「次から次へと力を求め、死によってのみ消滅し得るような不断の意欲」である。人間がその意欲によって力を求めて行動し、互いにぶつかり合うとき、「力の合成」が起こる。その結果、合成された力は「人間の力の中で最大のもの」となる。ホッブスは、国家の設立を、こうした物理的な力の合成として説明した。ホッブスの力は物理的な力と表象されているが、その力は意思に基づく能力であり、権力である。それは権利の作用でもある。ホッブスの人間は、生命の自己保存のために、権力を求め続ける者である。また個々人の意思を合成して生まれる国家は、権力の主体である。その権力が主権である。主権は統治権であり、統治の権利であり、また権力である。ニーチェは生命の本質を「力への意志」であるとし、「力への意志」を生の唯一の原理とする闘争の思想を説いたが、その思想は、ホッブスと通じ合う。また、あらゆる人間関係に「無数の力関係」が存在するとして権力のミクロ分析を行ったフーコーの思想にも、ホッブスは通じる。
 ホッブスは、生命の安全のため、絶対的権力への絶対服従を求めるが、ロックは、生命・自由財産の所有権の保全のため、人々が政治に参加し、権力を協同的に行使する体制を求めた。ロックは、自然状態は完全に自由で平等な状態だとし、「そこでは権力と支配権はすべて互恵的であって、他人よりも多く持つ者は一人もいない」とした。ロックは、自然状態において、「権力と支配権」を認めている。「人間は、自分の所有物、すなわち生命・自由・財産を、他人の侵害や攻撃から守るための権力だけでなく、また他人が自然の法を犯したときには、これを裁き、またその犯罪に相当すると信ずるままに罰を加え、犯行の凶悪さからいって死刑が必要だと思われる罪に対しては、死刑さえ処しうるという権力を生来持っている」とロックは言う。ロックは同意によって設立される政治権力の目的を、所有権の調整と保存においた。人々は共同社会に入ることで、自然状態における完全な自由は失う。拘束は受ける。だが、権利は保持する。権力を合成し、合成された権力の行使に参加する。そのようにして生命・自由・財産を共同で防衛すると考えた。
 権力とは、権利の作用を力の観念でとらえたものととらえると、ホッブスとロックの思想が理解しやすくなるだろう。人権の思想を考察するには、ホッブスとロックの理解が必要であり、権利との関係で権力を把握することが、その近道である。

●「暴力」という訳語の弊害

 権力論においては、欧米の論者を中心に闘争性が偏重される傾向がある。権力の闘争性は、しばしば力の行使を強調して語られる。そうした文献の翻訳には、「暴力」という訳語が多用される。暴力という漢字単語は、英語のviolenceや forceの訳語である。violenceは、相手を物理的に傷つけようとする行為であり、またその行為に用いられる force(力)である。広辞苑は、暴力を「乱暴な力、無法な力」と解している。だが、violence や force には必ずしも「乱暴な」「無法な」という意味はない。「暴」という漢字は、「手荒い」「粗暴な」「暴れる」等を意味するので、「暴力」という訳語は、元の西洋語にない意味を加えるものとなっている。
 暴力と似た言葉に、武力がある。武力は、force や arms の訳語である。広辞苑は、武力を「武勇の力。また軍隊の力。兵力」と解している。この場合、「乱暴な」「無法な」という意味は含まない。武力は、組織された集団の力に用いる。武力を行使するための専門の人員を、武人・兵士等という。武力行使のための専用の道具を、武器という。武器は、身体的な力を増幅・拡大する。こうした専門の人員や武器を組織したものが、武力である。個人の身体的な力を暴力と言うことはあるが、武力とは言わない。
 ただの乱暴で無法な力と、管理されて合理的ないし合法的に用いられる組織的な力とは異なる。残念ながら、暴力という訳語では、これらの区別がつかない。そのため、権力について暴力の行使という言葉が使われると、権力は、乱暴で無法な仕方で力を振るうというイメージを与える。だが、多くの場合、権力は管理され、統御された組織的な力を、合理的で合法的に用いる。これは、暴力というより、武力と訳すべきである。
 権力の発動の形態である戦闘においては、破壊、殺傷を行う。これは指揮命令によって一定の目的のもとに行われる行為である。ただし、戦闘の過程で、破壊や殺傷そのものが目的となって行われるような状況も生まれる。こうした状況は、しばしば略奪や強姦を伴う。暴力という訳語は、こういう場合にふさわしい。
 他に暴力と似た言葉として、腕力・実力がある。腕力は、腕の身体的な力を意味するが、英語の arm は、腕の他に抽象的な力や権力を意味し、また武器や武力行使、武装等を意味する。実力は、広義では、目的を果たすために実際の行為・行動で示される能力を意味し、狭義では腕力、武力と同義である。実力に当たる特定の西洋語は、存在しない。武力と同様、腕力・実力にも「乱暴な」「無法な」という意味はない。暴力という訳語は、政治学・法学・社会学等の理論的な文章では、断りなく用いられると、読者に誤ったイメージを与えやすいので注意を要する。
 ウェーバーは「権力(Macht)とは、ある社会的関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性を意味し、この可能性が何に基づくかは問うところではない」と定義した。暴力という漢字単語を使っていうならば、ウェーバーのいう「可能性」の一つが暴力の行使である。ウェーバーに依拠する論者は、政府が持つ国家権力の源泉は「暴力の行使」にあると言う。だが、その力は組織された力であり、それ自体は中性的なものである。この場合、暴力という訳語より、武力または実力を使った方が、その性格を理解しやすい。そうした力を乱暴で無法な用い方をするか、合理的で合法的な用い方をするかは、力を行使する者の意思による。力そのものが乱暴なのでも無法なのでもない。
 ところで、武力に似た言葉に、戦力がある。戦力は、戦争を遂行し得る力を言う。日本国憲法は、第9条で武力と戦力の両方の語を使っている。条文は次の通り。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 上記条文に「武力による威嚇又は武力の行使」「陸海空軍その他の戦力」という文言があるわけだが、公定の英訳では、前者は「the threat or use of force」、後者は「land, sea, and air forces, as well as other war potential」と訳されている。武力は forceと訳し、軍隊も force を訳語としている。これに対し、戦力は war potential と訳されている。potential は、潜在的な能力である。war potential は、戦争を遂行することのできる潜在力の意味となる。第9条における戦力は、武力のうち、国内の治安・警察ではなく、他国との戦争に用い得る能力を指すと整理できよう。
 この条文では、暴力という文言は使われてない。国権の発動である力による威嚇や力の行使、また戦争を遂行し得る力を、暴力と呼ばないのであれば、国家権力が行使する力を、暴力と訳すのは、不適当であることが理解されよう。武力または実力と訳すのが妥当である。
 なお、力の概念を漢字に表した訳語について補足すると、「暴力」は violence を violent power、「腕力」は arm を armed power、「強制力」は force を forcing power 等とそれぞれもとの西洋単語に共通する power の概念を抽出し顕在化させて、訳語を作ったものと理解できる。見事な工夫である。

 次回に続く。


96条改正反対論のウソ~百地章氏

2013-06-07 08:45:36 | 憲法
 7月21日の参議院選挙で、憲法改正が重要な争点となる。憲法改正の気運が高まるに従って、改正に反対する側の改正阻止の宣伝も活発になっている。これに対し、日本大学教授・百地章氏は産経新聞平成25年5月28日号に「96条改正反対論のウソを見抜け」という記事を書いて反論している。
 百地章氏は、厳格すぎる改正条件を課したのは連合国軍総司令部(GHQ)であったことを挙げ、「発議要件の緩和は権力者のためではなく、日本人自身のためであり、憲法を日本人の手に取り戻す第一歩となる」と主張する。
 憲法改正及び96条改正への反対論に、百地氏は大意次のように反論する。
 一点目は、「国民を縛るのが法律で、憲法は権力を縛るのもの」という意見について。まず法律の中にも国会法などのように権力(国会)を縛るものがあり、憲法の中にも国民に対して教育や納税の義務を課し、国民を縛る規定がある。憲法順守の義務は、政府だけでなく国民にもある。憲法は国家権力の行使を制限するだけでなく、政府に課税徴収権を授けるものでもある。また、憲法は「国のかたち」を示すものでもある。
 二点目は、「憲法によって縛られている権力者が、勝手に憲法改正のルールを緩和してしまうのは、本末転倒であって許されない」という批判について。96条は「憲法改正阻止条項」と化している。参議院のわずか3分の1を超える議員が反対すれば、憲法改正の発議すらできない。国民の多数が改正を望んでも、たった81人の参議院議員が反対したら、一字一句たりとも変えられない。国民が主権を直接行使できるのは、憲法改正の国民投票だけだが、96条によって国民は主権行使の機会を奪われている。
 三点目は、「改正手続きを厳格にしておかないと政権が変わるたびに憲法が改正されかねない」という見方について。その危険は皆無と言い切れないが、「国会が両院の総数の過半数で発議し、国民投票でも過半数の賛成が必要」というのは、法律の改正より遥かに難しい。法律でさえ、国民の中で意見が対立している場合には、簡単に制定できない。改正の発議を総数の過半数にしたからといって、憲法がコロコロ変わるなどということは、まず考えられない。
 そして、百地氏は、改正要件をせめてフランス並みにするよう提案している。フランスの場合は、両院で過半数が賛成し、国民投票でも過半数の賛成が得られれば、憲法改正が実現する。96条改正案は、このフランス並みの規定への改正である。
 冒頭に引いた「発議要件の緩和は権力者のためではなく、日本人自身のためであり、憲法を日本人の手に取り戻す第一歩となる」という百地氏の主張は、問題の核心を突いた見解である。改正反対派は、「国民を縛るのが法律で、憲法は権力を縛るのもの」と盛んに宣伝しているが、現行憲法の制定時において日本国の政治権力を縛ろうとしたのは、わが国を占領統治していたGHQである。厳格な発議要件を維持することは、日本人が自ら憲法を改正することを防ごうとしたGHQの意思を持続させることである。
 第96条の規定は、GHQが秘密裏に英文で起草した憲法案に、次のように記されていたものが、もとになっている。

 英語の原文: Amendments to this Constitution shall be initiated by the Diet, through a concurring vote of two-thirds of all its members, and shall thereupon be submitted to the people for ratification, which shall require the affirmative vote of a majority of all votes cast thereon at such election as the Diet shall specify.
Amendments when so ratified shall immediately be proclaimed by the Emperor, in the name of the People, as an integral part of this Constitution.

 日本語訳: 此ノ憲法ノ改正ハ議員全員ノ三分ノ二ノ賛成ヲ以テ国会之ヲ発議シ人民ニ提出シテ承認ヲ求ムヘシ人民ノ承認ハ国会ノ指定スル選挙ニ於テ賛成投票ノ多数決ヲ以テ之ヲ為スヘシ右ノ承認ヲ経タル改正ハ直ニ此ノ憲法ノ要素トシテ人民ノ名ニ於テ皇帝之ヲ公布スヘシ

 最終的に公布された96条は、次のようになっている。
 「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」
 現行96条の改正要件は、GHQの英文原稿と基本的に変らない。すなわち、GHQから押し付けられた改正要件に従ったものである。日本国民が自らの意思で主権を行使できる国民になるためには、まずこの96条を改正するということは、重要な課題なのである。
 なお、百地氏は産経新聞社による「国民の憲法」の起草委員の一人として、具体的な改正案を提示している学者・有識者の一人である。
 以下、百地氏の記事。

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●産経新聞 平成25年5月28日

【正論】
日本大学教授・百地章 96条改正反対論のウソを見抜け
2013.5.28 03:22

 憲法を主権者国民の手に取り戻そうというのが、憲法96条改正論である。ところが、護憲派の巻き返しにより、世論がやや反対の方向に傾き始めた。このまま行けば折角(せっかく)盛り上がってきた改憲論議そのものに水を差しかねない。

≪権力「縛る」だけが憲法か≫
 護憲派は「国民を縛るのが法律で、憲法は権力を縛るのもの」と喧伝(けんでん)している。しかし、法律の中にも、国会法などのように権力(国会)を縛るものがあるし、憲法の中にも、国民に対して教育や納税の義務を課し、国民を縛る規定が存在する。また、憲法順守の義務は、当然国民にもある(宮沢俊義『全訂日本国憲法』)。
 確かに、「立憲主義」の立場からすれば、憲法が国家権力の行使を制限するものであることは間違いない。その意味で、憲法は「制限規範」と呼ばれる。しかし、国(権力)が国民から税金を強制的に徴収できるのは、憲法によって政府(権力)に課税徴収権が授けられたからだ。この場合、憲法は「授権規範」である。
 さらに、憲法は「国のかたち」を示すものでもある。従って「憲法は権力を縛るもの」などといった独断は誤りであり、護憲派が自分たちに都合のいいように考え出したレトリックにすぎない。

≪発議要件緩和は国民のため≫
 次に、「憲法によって縛られている権力者が、勝手に憲法改正のルールを緩和してしまうのは、本末転倒であって許されない」(小林節慶応大学教授)という批判である。一面の真実を語っていることは間違いない。しかし、現実問題として考えた場合、憲法96条が、「憲法改正阻止条項」と化しているのは事実である(拙稿「憲法を主権者の手に取り戻せ」=4月11日付産経新聞本欄)。
 各種世論調査から窺(うかが)われるように、最近では国民の6割前後が憲法改正を支持しており、衆議院でも3分の2以上の国会議員が憲法改正に賛成している。にもかかわらず、参議院のわずか3分の1を超える議員が反対すれば、憲法改正の発議すらできない。
 つまり、主権者国民の多数が憲法改正を望んでも、たった81人の参議院議員が反対したら、一字一句たりとも憲法は変えられないわけである。これはどう考えても不合理である。
 このような異常事態から一日も早く脱却しようとするのが、96条改正の眼目である。こう考えれば、発議要件の緩和は権力者のためでなく、何よりも主権者国民自身のためであることが分かる。
 選挙権と異なり、国民が主権を直接行使できるのは、憲法改正の国民投票だけだ。だから、憲法96条によって、国民は主権行使の機会を奪われ続けていることになる。護憲派は国民主権の問題などどうでもよいというか。
 それに、そもそもこのような厳格すぎる改正条件を課したのは連合国軍総司令部(GHQ)であった(西修駒沢大学名誉教授)。それゆえ、発議要件の緩和は権力者のためではなく、日本人自身のためであり、憲法を日本人の手に取り戻す第一歩となる。
 すなわち「憲法は権力者を縛るものであり、権力者が勝手にルールを緩和してもよいのか」などといった単純な話ではないから、現実を無視した机上の空論に惑わされてはならない。

≪せめてフランス並みにせよ≫
 もう一つの有力な批判は、改正手続きを厳格にしておかないと政権が変わるたびに憲法が改正されかねない、というものである。
 確かに、その危険は皆無と言い切れないが、「国会が両院の総数の過半数で発議し、国民投票でも過半数の賛成が必要」というのは、決して簡単ではなく法律の改正より遥(はる)かに難しい。ちなみに、法律の制定や改正は、定足数(総数の3分の1)の過半数、つまり極端な場合、総数の6分の1を超える議員の賛成で可能となる。
 それに、容易なはずの法律でさえ、国民の中で意見が対立している場合には、簡単に制定できない。例えば、外国人参政権についていえば、国民の中に強い反対意見がある。そのため、衆議院で圧倒的多数を占め、再議決さえ可能だった民主党政権下でも、結局実現できなかったではないか。
 したがって、改正の発議を総数の過半数にしたからといって、憲法がコロコロ変わるなどということは、まず考えられない。
 厳格といわれるアメリカでは、両議院の3分の2以上の賛成で発議し、全州の4分の3の議会の承認が必要だが、発議は定足数(過半数)の3分の2で足りる。だから、総数の6分の2を超える賛成があれば、発議は可能である。また、ドイツでも両院の3分の2の賛成が必要だが、国民投票は不要だ。それゆえ、日本国憲法の改正は世界一難しいといってよい。
 この点、フランスでは両院で過半数が賛成し(ただし総数の過半数といった縛りはない)、国民投票でも過半数の賛成が得られれば、それだけで憲法改正が実現する。これは96条改正案と変わらないが、それでも護憲派は緩やか過ぎるというのだろうか。(ももち あきら)
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円安株高持続の条件~田村秀男氏

2013-06-06 10:31:31 | 経済
 昨年12月の衆議院総選挙後、円安株高が続いている。一時円は101円台にまで下がり、株は日経平均株価は1万5千円台にまで上がった。この円安株高はいつまで続くのか。持続の条件は何か。
 産経新聞の社員エコノミスト、田村秀男氏は、昨秋より、株と円相場の振幅が常時同調しており、「円安即ち株高、円高即ち株安という図式が『アベノミクス』相場の特徴」だと指摘する。
 ただし、現在の円安株高は、日本国内の景気回回復への期待のみで起こっているのではない。円の価格はドル等の通貨との相関関係で決まる。田村氏は、端的に「円相場水準は日米のお札の刷り具合で決まる」と断言する。そして、今後の予想としては、「一本調子の円安は考えにくい」という。その背景にはFRBによる量的緩和(QE3)があることを指摘する。
 田村氏によると、日銀はこれから年末にかけて月平均7兆2500億円の円資金を刷り増す方針を決めているが、米国も今年に入って、毎月平均800億ドル余りのドル資金を追加発行している。「7兆2500億円を800億ドルで割ると90円余りとなり、日銀のおカネの発行規模からみると、1ドル=100円水準には届かない」と言う。
 では、現行水準以上に円安が進まない場合、日本の株価はどうなるか。「当面、その鍵を握るのは残念ながら日本ではなく、FRBとウォール街である」と田村氏は見る。米国が量的緩和を解除すれば、円高株安の圧力になる。ただし、米株式市場はFRBによるドルの輸血が止まると、市場が大きくふらつく恐れがあり、米景気の力強い復調が確かになるまで、FRBのバーナンキ議長はQE解除に慎重な姿勢である。逆に、「FRBがQE3を打ち切れば、黒田日銀の異次元緩和の威力が増し、ドル資金に比べた円資金量が増えて円安に振れ、日経平均が上昇気流に乗るだろう」と田村氏は予想する。
 基本的にこの見方は、金融理論から見て正しいと私は思う。
 田村氏は言う。「日本としてはまだまだ楽観できない。アベノミクスの実行は始まったばかりで、依然として金融政策に偏重しているし、脱デフレの道筋は描けても、現実に見えたわけではない。安倍首相はこの秋には予定通り来年4月に消費増税に踏み切るかどうか、最終決断するが、『15年デフレ』が短期で解消されるはずはない。デフレ下の消費増税は円高・株安ムードを再燃させる危険が大いにある。円安・株高の軌道固めを優先すべきなのだ」と。
 この点の主張にも私は同意する。平成10年以来続くわが国のデフレは、円が100円前後、株が1万4千~5千円になったところで、急激に解消されるものではない。大胆な金融緩和の効果が、実体経済を活性化し、国民の所得が増えて消費が増え、また民間の投資が活発になるまでは、数年かかると見たほうがよいだろう。しっかりデフレを脱却しきって、適度なインフレのもとに力強く経済成長する軌道に乗るまで、消費増税をしてはならない。むしろ、経済成長が順調に進めば、自然に税収が増え、消費増税をする必要はなくなる。安倍首相には、日本経済のかじ取りを誤らぬよう、自信をもって、采配をふるってほしいものである。
 以下は、田村氏の記事。

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●産経新聞 平成25年5月12日

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130512/fnc13051208370003-n1.htm
【日曜経済講座】
編集委員・田村秀男 円安=株高持続の条件
2013.5.12 08:35

鍵は米量的緩和と消費増税

 昨年秋までの低迷がまるでうそだったかのような株高が続いている。株式投資に関心がなかった方々も、「やってみようか」と思い始めていることだろう。が、株高はいつまでも続くのか、死角はないのか、とよく聞かれる。それを突き止めるためには、株価が何によって決まるかをよく理解しておく必要がある。
 まずは株と円相場の関係である。衆院解散総選挙の機運が高まった昨年11月中旬から、1ドル=80円前後だった円は下降、8600円台だった日経平均株価は円安とともに上昇を続けて現在に至る。



 グラフは、日経平均株価と円の対ドル・レートの変動を比較している。年初以来、5月8日までの国内市場の営業日ベースで7日前の各相場の増減率の推移を追うと、一目瞭然、株価は円高に振れると下がり、円安で上がっている。前日比でみれば、逆に動く日もないわけではないが、数日以上の期間に広げてみると、株と円相場の振幅は常時同調することが見えてくる。平たく言うと、程度は別にして、円安即ち株高、円高即ち株安という図式が「アベノミクス」相場の特徴なのだ。
円相場水準は日米のお札の刷り具合で決まる。厳密に言えば、日銀による円の発行量(現金発行量と金融機関が日銀当座預金に留め置く資金量の合計=マネタリーベース)と米連邦準備制度理事会(FRB)のドル・マネタリーベースの割合が決め手となる。白川方明(まさあき)前総裁時代、日銀は円の新規発行を小出しでしか増やさないのに、FRBは2008年9月のリーマン・ショック後、猛烈な勢いでドルを刷り続け、昨年12月時点でもFRBが刷る1ドルに対して日銀は50円弱しか発行していなかった。それが超円高の背景にあるとみた黒田東彦(はるひこ)総裁・岩田規久男副総裁の新日銀首脳部はマネタリーベースを来年末までに2倍にする「異次元緩和」政策を4月4日に打ち出した。量的緩和期待が先行していた外国為替市場では円安基調が定着した。
 10日の東京市場で、円の対ドル相場は100円の壁を突破したが、今後、一本調子の円安は考えにくい。その背景にはFRBによる量的緩和(QE3)がある。米国は今年に入って、毎月平均800億ドル余りのドル資金を追加発行しているが、黒田日銀はこれから年末にかけて月平均7兆2500億円の円資金を刷り増す方針を決めている。7兆2500億円を800億ドルで割ると90円余りとなり、日銀のおカネの発行規模からみると、1ドル=100円水準には届かない。
現行水準以上に円安が進まない場合、日本の株価はどうなるか。当面、その鍵を握るのは残念ながら日本ではなく、FRBとウォール街である。そのからくりを述べよう。
 まず、FRBはQE3で米金融機関に上記の資金を流し込む。その余剰資金が株式投資に回るので株価が上がる。ウォール街の機関投資家はグローバルに株式投資しており、日本株の保有比率を決めている。米株価上昇に伴う日本株の比率の低下を避けるために、日本株も買い増す。かれらはすべてドル建てで計算するので、円安の場合、やはり同じく日本株のドル建て額が下がるので、日本株を買い足す。米株高と円安で日本株を買い、米株が売られるか円高の場合は日本株を売る。売り買いはコンピューターによる自動操作によるので、瞬時に実行される。日本株の売買高の5割以上は外国人投資家によるが、その本拠はウォール街にある。
この仕組みからすれば、FRBの量的緩和政策は日本株の行方に大きく関わる。FRBがQE3を打ち切れば、黒田日銀の異次元緩和の威力が増し、ドル資金に比べた円資金量が増えて円安に振れ、日経平均が上昇気流に乗るだろう。ただ、米株式市場はFRBによるドルの輸血が止まると、市場が大きくふらつく恐れもある。FRBが資金供給を増やさないときに米株価は下落してきた。米景気の力強い復調が確かになるまで、FRBのバーナンキ議長がQE解除に慎重なのも無理はない。
 日本としてはまだまだ楽観できない。アベノミクスの実行は始まったばかりで、依然として金融政策に偏重しているし、脱デフレの道筋は描けても、現実に見えたわけではない。
 安倍首相はこの秋には予定通り来年4月に消費増税に踏み切るかどうか、最終決断するが、「15年デフレ」が短期で解消されるはずはない。デフレ下の消費増税は円高・株安ムードを再燃させる危険が大いにある。円安・株高の軌道固めを優先すべきなのだ。
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中国から富裕層が海外に大量移民~石平氏

2013-06-04 08:43:16 | 国際関係
 シナ系日本人評論家の石平氏によると、「今、中国で大規模な移民ブームが起きている」という。中国現代史上で3回目の移民ブームであり、過去2回と違い、「今回は富裕層と企業家が主力」である。「1千万人民元(約1億6千万円)以上の資産を持つ中国国民の6割はすでに海外へ移民してしまったり、あるいは移民を検討している。さらに、個人資産1億元以上の富豪企業家では27%が移民済みで、47%が検討中」だという。
 産経新聞平成25年4月11日号、【石平のChina Watch】の「中国で大規模移民ブーム 富豪企業家では27%が移民済み」と題した記事に、書いたものである。
 移民による人材と富の流出は甚大らしく、中国がこうむる損失は非常に大きいだろう。
 いったい富裕層や企業家たちが中国を出て、海外へ移住するのはなぜか。石氏の記事によると、最大の理由は「財産の安全に対する心配」である。莫大な財産を蓄積してきた富裕層や企業家たちは、究極の「安全対策」として海外移民へと走っているらしい。
 石氏は「このままでは、国中から金持ちがほとんど逃げ出してしまい、独裁政権と貧乏人だけが残ってしまうという、中国自身にとっての最悪の事態になりかねない。それでは、中国の経済と社会が崩壊するのも同然である。つまり、今まで中国に成長と安定をもたらしてきた、『独裁体制下での市場経済』の『小平路線』はすでに行き詰まっていることが明々白々だ。市場経済を残して独裁体制を無くすのが、この国に残される唯一最善の道であろうが、今の習近平政権下では、大変革を断行できそうもないところに、中国の絶望がある」と書いている。
 以下は石氏の記事

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●産経新聞 平成25年4月11日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130411/chn13041107520001-n1.htm
【石平のChina Watch】
中国で大規模移民ブーム 富豪企業家では27%が移民済み
2013.4.11 07:46[石平のChina Watch]

 今月4日、中国の各メディアは海外移民に関する一つのニュースを報じた。2012年の1年間、中国からカナダへ移民した人の数が3万2900人にのぼり、中国は、カナダへの最大の「移民輸出国家」となった。
 実は今、中国で大規模な移民ブームが起きている。今年1月に発表された「中国国際移民報告(2012)」によると、中国現代史上3回目の「移民潮(ブーム)」が起きているという。過去2回の移民ブームと比べれば、今回は富裕層と企業家が主力である。報告によれば、1千万人民元(約1億6千万円)以上の資産を持つ中国国民の6割はすでに海外へ移民してしまったり、あるいは移民を検討している。さらに、個人資産1億元以上の富豪企業家では27%が移民済みで、47%が検討中であるという。
 中国の経済と社会を支えていくはずの経営者と富裕層による雪崩式の移民ブームは当然、国内で大きな問題となっている。先月5日に開幕した全国人民代表大会では、代表の一人である企業家の王挺革氏が、「移民による人材と富の流出は甚大で、国家がこうむる損失はあまりにも大きい」と指摘し、「一刻の猶予もなくそれを食い止めなければならない」と提案した。
 世界第2の経済大国となった中国の富裕層と企業家たちが競って海外へ移民するのはなぜなのか。上述の王氏が一番の理由として挙げているのは富裕層の「財産の安全に対する心配」である。つまり、カナダなどの法治国家では個人資産がきちんと保護されているが、体制の違った中国で自分たちの財産が果たして大丈夫なのか、という心配が、中国の富裕層を海外移民へと駆り立てる最大の理由となっているのである。
 もちろんそれは王氏だけの意見ではない。1月22日付の『中国企業報』は「企業家の移民潮」を取り上げた新聞記事の中でやはり、財産の保持に対する「不安全感」を企業家移民の理由の一つに上げている。高名な経済学者で北京大学光華管理学院教授の張維迎氏も最近、「中国の企業家たちに安全感がない。だから移民ブームを起こしている」と語り、政府の「反省」を求めたと報じられている。
 しかし問題の根っこはむしろ、当の政府が成り立つ政治体制にある。1990年代以来、共産党政権は「社会主義市場経済」を打ち出して独裁体制下での市場経済の発展を推進してきたが、その中で党と政府から独立した企業家階層が大きく成長してきた。
 その一方、旧態依然の独裁体制の下では、絶大な権力を握る政府各部門が権力をかさにきて企業家たちを食い物にし、さんざんいじめている。しかも、党と政府の力が法律を完全に凌駕(りょうが)している状況下では、権力はその気になれば企業家の財産と身の安全をいとも簡単に奪うことができるし、実際そうやったケースは数えきれないほどある。
 だからこそ、莫大(ばくだい)な財産を蓄積してきた企業家たちは究極の「安全対策」として海外移民へと走ってしまったのだが、彼らは身の処し方によって体制への離反を表し、いわば「社会主義市場経済」の破綻を告げているのである。
 このままでは、国中から金持ちがほとんど逃げ出してしまい、独裁政権と貧乏人だけが残ってしまうという、中国自身にとっての最悪の事態になりかねない。それでは、中国の経済と社会が崩壊するのも同然である。
 つまり、今まで中国に成長と安定をもたらしてきた、「独裁体制下での市場経済」の「トウ小平路線」はすでに行き詰まっていることが明々白々だ。市場経済を残して独裁体制を無くすのが、この国に残される唯一最善の道であろうが、今の習近平政権下では、大変革を断行できそうもないところに、中国の絶望がある。
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中国の沖縄略奪工作と琉球独立運動2

2013-06-03 10:43:14 | 国際関係
 中国は、その後も予想通り、一段一段エスカレートしてきている。それが本年5月の動きである。
 5月8日、中国共産党機関紙、人民日報は、沖縄の帰属は「歴史上の懸案であり、未解決の問題だ」とする論文を載せた。論文は政府系の中国社会科学院の研究員らが執筆。琉球王国が歴代の中国王朝に対して朝貢を行う「冊封国」だった経緯を説明した上で「琉球王国は明清両朝の時期には中国の属国だった」とした。その上で「(当時は)独立国家だった琉球を日本が武力で併合した」とし、尖閣と同様、日本が敗戦を受け入れた時点で日本の領有権はなくなったとの認識を示した。尖閣については「歴史的にも台湾に属している」と指摘した。
 続いて11日人民日報傘下の環球時報が社説で、人民日報に掲載された先の沖縄の帰属は「未解決」とする論文の主張に言及し、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」と中国政府に提案した。社説は「日本が最終的に中国と敵対する道を選んだならば、中国はこれまでの政府の立場の変更を検討し、琉球(沖縄)問題を歴史的な未解決の懸案として再び提出しなければならない」と主張。その上で「中国は琉球への主権を回復するのではなく、今の琉球の(日本に帰属している)現状を否定できる」と強調した。そして、この問題で日本政府に圧力を加えるため、具体的に3つの方策を中国政府に提案している。
 第一段階は、「琉球問題に関する民間レベルの研究・討論を開放し、日本が琉球を不法占拠した歴史を世界に周知させる」。第二段階は、「中国政府が琉球問題に関する立場を正式に変更し、国際会議などで問題提起する」。第三段階は、それでも日本政府が中国と敵対する姿勢を続けるならば、「琉球国の復活を目指す組織を中国が育成し、支持すべきだ」「20~30年がたてば、中国の実力は強大になる。決して幻想ではない」との提案である。
 人民日報の論文に対しては、中国や台湾の一部専門家から批判の声が上がった。中国では上海・復旦大学の馮●(=偉のにんべんを王に)教授が中国版ツイッター「微博」で、人民日報論文は「学術上、根本的欠陥がある。米国が1962年3月に、日本が沖縄の主権を有することを公認しており、この事実を抜きにして何を論じることができるか。かえって日米接近を促進するばかりだ」と批判した。また台湾では、林泉忠・中央研究院副研究員が5月20日、香港のフェニックステレビのホームページ「鳳凰網」のブログで、「沖縄の帰属未解決論や独立論の重大な盲点は、沖縄で独立運動が多くの支持者を集め、彼らが『反日親中』だと勘違いしている点にある」と批判。林氏は沖縄県での調査をもとに、「人民日報論文の翌日、中国に悪印象を抱く沖縄住民が89%にのぼった」と報告した。また林氏が2005~07年に琉球大学と共同実施した沖縄県民へのアンケートでは、自分は「沖縄人」との回答が約42%、「日本人」が26%、「沖縄人で日本人」が30%との回答が多数だったという。「沖縄民衆は、中国社会が沖縄独立論で盛り上がっていることに不快感を強めている」と批判している。林氏は北京大学で客員教授の経験もあり、中国内でもネットなどを通じ、沖縄問題をめぐって活発に発言しているという。
 本年5月15日、沖縄は本土復帰41年を迎えた。人民日報や環球時報がこの日の前に記事を掲載したのは、計画的な行動だろう。また5月15日、沖縄で「琉球民族独立総合研究学会」が設立されたこととも関係がありそうである。日本国内では、「琉球民族独立総合研究学会」設立に呼応して、衆院沖縄2区選出の社民党の照屋寛徳国対委員長が自身のブログで『沖縄、ついにヤマトから独立へ』と題した文書を公表した。照屋氏は、4月1日同学会の設立を伝える地元メディアの報道に対して、同日付のブログで「明治いらいの近現代史の中で、時の政権から沖縄は常に差別され、いまなおウチナーンチュ(沖縄出身者)は日本国民として扱われていない」「沖縄は日本国から独立した方が良い、と真剣に思っている」と述べ、学会設立に「大いに期待し、賛同する」との意思を表明していた。
 沖縄在住の惠隆之介氏は、「照屋氏の見方は一部の左翼勢力の歴史観をもとにしたもの。県民の7、8割は今のまま日本の統治下にあるのがいいと思っている」と反論している。惠氏は、明治以降の沖縄に対して日本が国を挙げて近代化に努め、当時の県民が感謝していた事実を挙げ、「歴史の中で日本もアメリカもすべて敵というのは尋常な感覚ではない」と指摘すし、「照屋氏は議員のバッジを返上して主張すべきだ」と批判している。県民からも「独立が『沖縄の総意』とは思わないでほしい」と危惧する声が上がっている。
 惠氏は「県民の7、8割は今のまま日本の統治下にあるのがいいと思っている」と言うが、この点は台湾の林氏が沖縄県民の約7割が自分は沖縄人ないし日本人とアンケートに回答していると伝えるところと通じる点である。
 中国側は、5月16日環球時報が「琉球民族独立総合研究学会」について「中国の民衆は支持すべきだ」とする社説を掲載した。「琉球国は日本に滅ぼされた」とし「沖縄の独立には正当性がある」と主張し、「(独立に向けた運動が本格化すれば)中国側は国際法が許す範囲内で後押しすべきだ」と呼びかけている。
 既に中国は既に沖縄略奪工作を計画的に進めている。その実績をもとに、官制メディアが公然と主張と呼びかけをしているのである。今後、中国は略奪工作を一層大胆にかつ執拗に進めてくるだろう。沖縄の独立運動を育成し、沖縄県民の意識を誘導し、本土の反日左翼を利用し、沖縄と中央のメディアを操作する。その一方で、尖閣諸島周辺で武力による威嚇を繰り返し、国民の間に厭戦気分を醸成し、同時に反戦思想を高揚させ、憲法改正や集団的自衛権行使が進まぬようにする。そして、戦わずして勝つ孫子の兵法によって、兵を動かさず、米国と衝突せず、民主的に沖縄県民多数の意思によって、沖縄が独立し、中国の勢力圏に入ってくるよう謀る。だが、もしこの最善の策が国内外の事情によって遂行できないと見極めるや、牙をむいて襲い掛かってくるだろう。
 日本国民は、沖縄県民同胞がチベットや新疆ウイグルの人民と同じ悲劇を遭うことのないよう、尖閣を守り、沖縄を守り、日本を守らねばならない。

関連掲示
・拙稿「中国で沖縄工作が公言~石平氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/a3ac2550ec7308d805acfe732eb25d4a
・拙稿「中国は沖縄に独立宣言をさせる~惠隆之介氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/04d54eddda25a619aab628d9be7cca9a
・拙稿「『フランス敗れたり』に学ぶ~中国から日本を守るために」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08l.htm


中国の沖縄略奪工作と琉球独立運動1

2013-06-02 08:26:11 | 国際関係
 中国は尖閣諸島だけでなく、沖縄を狙っている。本年5月8日、中国共産党機関紙、人民日報は、沖縄の帰属は「歴史上の懸案であり、未解決の問題だ」とする論文を載せた。これは沖縄略奪の意思の表明である。11日には人民日報傘下の環球時報が社説で、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」と中国政府に提案した。これは略奪の方法の提示である。こうした中で15日、沖縄で「琉球民族独立総合研究学会」が設立された。これに呼応して、社民党の照屋寛衆議院議員が『沖縄、ついにヤマトから独立へ』と題した文書を公表した。照屋氏は国会議員でありながら、沖縄独立運動に賛同を表明している。こうした動きは、今後確実にエスカレートしていくに違いない。
 今から約3年半前、平成22年の初め、私は中国で沖縄は中国領だという主張が広がっているという情報を得た。それまでの中国の行動パターンから見て、この主張は段々エスカレートするだろうと予想した。そして、「中国は尖閣諸島だけでなく、尖閣の次は沖縄を狙っている。沖縄を略奪したら、さらに日本全体を狙ってくる。だから、尖閣を守ることは、沖縄を、そして日本を守ることになる」と警告と訴えをしてきた。昨年後半からは中国の動きに対し、危険性を感じる人がようやく増えつつあると思う。
 昨年24年7月、人民解放軍の現役少将で国防大学戦略研究所の金一南所長、復旦大学日本研究センター副主任の胡令遠教授、中国対外経済貿易大学国際関係学院の王海浜副教授らが「琉球は中国領だが、日本がそれを不法占領している」という主張を発表した。
 シナ系評論家・石平氏は、9月13日産経新聞の記事に、次のように書いた。
 「本来なら関係性の薄い解放軍の現役軍人と大学の教授がほぼ同じ時期に同じ主張を展開し始めたことの背後には、中国共産党政権の影が感じられる。解放軍将校と大学の教授の両方に影響力を行使し彼らに同じことを言わせることができるのは、当の共産党政権以外にはないはずだ」と書いた。石氏は、「中国が欲しがっているのは、決して尖閣諸島だけではないことは明々白々だ。彼らはすでに、日本の沖縄に対する野望をむき出しにしている。おそらく中国からすれば、沖縄を名実ともに『中国の属地』にしてしまえば、中国の海洋制覇戦略の最大の妨げとなっている米軍基地をかの地から追い出すこともできるし、日本本土を完全に中国の軍事力の脅威下に置くこともできよう。そうすると、『琉球の中国属地化』の次にやってくるのは、すなわち『日本の中国属国化』なのである」と。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/a3ac2550ec7308d805acfe732eb25d4a
 私は、10月31日ブログに「中国は沖縄に独立宣言をさせる~惠隆之介氏」と題した日記を書いた。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/04d54eddda25a619aab628d9be7cca9a
 惠氏は沖縄出身の元海上自衛官で、作家、拓殖大学客員教授である。惠氏は「沖縄本島では『弾を撃たない戦争』が既に始まっている」と警告する。ブログで紹介したビデオで、惠氏は、沖縄の仲井真知事は中国の帰化人の子孫で、元は蔡姓。稲嶺前知事も元は毛姓だと述べる。沖縄を取れば尖閣は付録で付いてくる。中国は沖縄に独立宣言をさせる。観光客と称して工作員を多数送り込み、親日派の首長を確保して発言を封じる。その時、わが国は何をできるか。内政干渉になるからと米国も手を出せない、と危機的状況を訴えている。
http://youtu.be/xuDJrJgn6Ho
http://www.youtube.com/watch?v=xuDJrJgn6Ho&feature=youtu.be
 先のブログに私は、次のように書いた。「沖縄の独立は、中国による直接的な侵攻・略奪ではない。沖縄県民の意思として行われるよう工作される。武力による戦争ではなく、諜報戦が行われている。独立宣言は、日本の国内法では非合法的な仕方であっても、中国は即座に沖縄独立に支持を表明するだろう。その途端に国際問題になる。今日、国際社会は、民族自決の検束によって独立運動を容認し、本国の武力介入に反対する傾向がある。中国は国連安全保障理事会の常任理事国であり、わが国は敵国条項の対象である。非常に厳しい展開となるだろう。もし沖縄が事実上、中国の支配下に入ったら、日本は窮地に陥る。シーレーンの防衛が困難になり、のど元に手をかけられた状態になる。中国による日本支配、日本併合へと進みかねない。
 中国による沖縄支配を防ぐには、どうすればよいか。私は沖縄県民の中国に対する意識の改革が最重要の課題であると思う。本土への不満と中国への幻想が結びついたとき、沖縄はチベットやウイグルと同じ道に迷い込む。次に重要な課題として、わが国は、中国の諜報活動から沖縄及び日本を防衛するため、刑法の通牒利敵条項の復活、スパイ防止法の制定、憲法改正と日米安保の攻守同盟化が不可欠である」、と。
 次に最近の動向を書く。予想通りに、いや予想以上に事態は進んでいる。

 次回に続く。