ほそかわ・かずひこの BLOG

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ユダヤ152~唯物論的人間観からの脱却を

2018-01-15 09:45:22 | ユダヤ的価値観
●唯物論的人間観からの脱却を

 ユダヤ的価値観を超克するには、今日優勢になっている唯物論的人間観を脱却し、心霊論的人間観を確立する必要がある。
 唯物論的人間観は、人間を単に物質的な存在と見て、心は脳における物理的・化学的現象ととらえる。唯物論的人間観の優勢は、物質科学・西洋医学の発展やダーウィンの進化論、マルクス、ニーチェ、フロイトらの思想によるところが大きい。そして、この優勢の背景には、ユダヤ教の影響がある。ユダヤ教は、本来のキリスト教と異なり、来世をほとんど語らず、現世での幸福を追求する。西方キリスト教は、宗教改革以後、ユダヤ教の影響を受け、現世志向に大きく傾いた。その変化とともに資本主義や近代科学が発達して、社会の世俗化が進んだ。
 また、二人のユダヤ人が唯物論的人間観の形成に大きな役割を果たした。カール・マルクスとジ-クムンド・フロイトである。かれらについては第3章(4)に書いたが、マルクスは、史的唯物論を説き、ユダヤ=キリスト教的な神やギリシャ哲学以来のイデア論を否定した。その思想は、哲学・経済学・社会運動等に広範な影響を与えた。一方、フロイトは、無意識の理論を説き、心理現象を物理的なエネルギーのアナロジーで説明した。その思想は、精神医学・心理学・文化学等に多大な影響を与えた。19世紀後半以降、マルクスとフロイトの思想が人間観のあり方に強く作用してきている。
 唯物論的人間観に対して、私が心霊論的人間観と呼ぶのは、人間を単に物質的な存在と見るのではなく、人間には物質的な側面と心霊的な側面の両面があるとする人間観である。心霊論的人間観は、唯物論的人間観の欠陥を是正する。心霊論的人間観においては、個人の人格は死後も霊的存在として存続する可能性を持ち、また共感の能力は、身体的な局所性に限定されず、時空を超越し、波長の異なる領域にも及び得ると理解する。こうした人間観を確立することが、ユダヤ的価値観の超克のために求められている。

●人間を総合的に理解する

 唯物論的人間観では、人間を総合的に理解することができない。私は、人間の総合的理解を深めるには、心理学者アブラハム・マズローの理論を参考にすべきと考える。
 マズローは、人間の欲求は、次の5つに大別されるという説を唱えた。

(1)生理的欲求: 動物的本能による欲求(食欲、性欲など)
(2)安全の欲求: 身の安全を求める欲求
(3)所属と愛の欲求: 社会や集団に帰属し、愛で結ばれた他人との一体感を求める欲求
(4)承認の欲求: 他人から評価され、尊敬されたいという欲求(出世欲、名誉欲など)
(5)自己実現の欲求: 個人の才能、能力、潜在性などを充分に開発、利用したいという欲求。さらに、人間がなれる可能性のある最高の存在になりたいという願望

 マズローは、このような人間の欲求が階層的な発展性を持っていることを明らかにした。生理的な欲求や安全性の欲求が満たされると、愛されたいという欲求や自己を評価されたいという欲求を抱くようになり、それも満たされると自己実現の欲求が芽生えてくるというのである。
 自己実現こそ人生の最高の目的であり、最高の価値であるとマズローは説く。そして、人間が最も人間的である所以とは、自己実現を求める願望にあると説く。自己実現の欲求は、まず個人の才能、能力、潜在性などを充分に開発、利用したいという欲求である。「ある個人にとってこの欲求は、理想的な母親たらんとする願望の形を取り、またある者には運動競技の面で表現されるかもしれない。さらに別の者には、絵を描くことや発明によって表されるかもしれない」とマズローは言う。さらに、この欲求がより高次になると、自己の本質を知ることや、宇宙の真理を理解したいという欲求となり、人間がなれる可能性のある最高の存在になりたいという願望となって、より高い目標に向かっていく。
 マズローによると、自己実現をした人とは「人生を楽しみ、堪能することを知っている人間」であり「苦痛や悩みにめげず、辛い体験から多くのものを悟ることができる人間」である。そうした人は「感情的になることが少なく、より客観的で、期待、不安、自我防衛などによって、自分の観察をゆがめることが少ない。また創造性や自発性に富み、自ら選択した課題にしっかり取り組む姿勢を持っている」。また「開かれた心を持ち、とらわれの少ない積極的存在だ」とマズローは言う。
マズローの研究によると、自己実現の欲求は、他の欲求が満足させられたからといって必ずしも発展するとは限らない。食欲・性欲や名誉欲など、下位の欲求の段階でとまっている人が多いからである。
 マズロー以前の心理学は、研究の焦点を下位の欲求に合わせ、より高次の欲求にはあまり注目していなかった。例えば、マルクスの人間観は、19世紀の唯物論的心理学に基づき、「生理的欲求」と「安全の欲求」を中心としている。そのため、人間の幸福の実現には食物と安全が重要だとし、より高次の欲求には否定的だった。フロイトは無意識の研究を行い、それまでの人間観に画期的な変化をもたらした。彼は性の問題を通じて、より上位の欲求である「所属と愛の欲求」の研究をしたといえる。しかし、性の観点からすべてを理解しようとしたために、人間理解を狭くしてしまった。マルクスとフロイトの唯物論的人間観は、下位の欲求に焦点を合わせ、上位の欲求を軽視したものである。
 マズローの事例研究によると、自己実現を成し遂げた人は、しばしば、さらに自己超越を求めるようになる。自己超越の欲求とは、自己を超え、自分自身を超えたものを求める欲求である。そして、他の多くの人々のために尽くしたり、より大きなものと一体になりたいと願ったりする。自己超越とは、自己が個人という枠を超えて、超個人的(トランスパーソナル)な存在に成長しようという欲求である。それは、悟り、宇宙との一体感、宇宙的な真理や永遠なるもの、社会の進化や人類の幸福などの、より高い目標である。古今東西の宗教や道徳でめざすべき精神の状態とされてきたものである。
 マズローは、自己実現の心理学から、自己超越の方向に進み、個を超える、より高次の心理学を提唱した。これがトランスパーソナル心理学である。マズローは、「トランスパーソナル」とは「個体性を超え、個人としての発達を超えて、個人よりもっと包括的な何かを目指すことを指す」と規定している。
 人間には、こうした自己実現を経て自己超越に向かう人格的な欲求が生得的に内在している。その欲求は、アニミズムやシャーマニズムと呼ばれる原初的な精神文化にもさまざまな形で表れている。人類史に現れた諸文明は、より発達した宗教をその中核に持ち、多くの宗教は、死後も人間は霊的な存在として存続することを説いている。マズロー以後、トランスパーソナル心理学は、心理学という枠組みを超え、さまざまな学問を統合するものとなり、包括的な視点に立って人間のあり方を模索する学際的な運動となっている。これをトランスパーソナル学と呼ぶ。トランスパーソナル学では、人間は霊性を持つ存在であることを認めている。霊性は心霊性ともいう。人間に生死を超えた心霊性を認めてこそ、人間観は身体的な局所性を超えて、真に時空に開かれたものになる。死をもって消滅するものは、真の人格とは言えない。21世紀に確立されるべき新しい人間観は、こうした霊的な存続可能性を持つ人格を中心にすえた心霊論的人間観でなければならない。

 次回に続く。

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