ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ67~ウォール街でのユダヤ人の活躍

2017-06-26 10:04:13 | ユダヤ的価値観
●ウォール街でのユダヤ人の活躍
 
 1913年から21年にわたるウィルソン大統領の政権のもとで、アメリカの社会に大きな変化が起こった。それまでのWASP支配の体制に、ユダヤ人が参入したのである。ロスチャイルド家とそれに連携するユダヤ人金融資本家らによって中央銀行(連邦準備制度)が設立され、アメリカが第1次世界大戦に参戦したことでユダヤ系軍需産業が発展し、大戦後はユダヤ人の入会を認める外交問題評議会が開設されるなどして、ユダヤ人が米国の政治・経済に深く参入するようになっていった。
 第1次大戦後、国際金融の中心は、ロンドンのシティからニューヨークのウォール街に移った。近代世界システムの中心都市となったニューヨークは、1920年には人口800万人を超える世界最大の都市となった。ウォール街では、全盛期のアムステルダムやロンドンの金融街がそうだったように、ユダヤ人が多く活躍するようになった。その中には、1830年代にドイツから移民したマーカス・ゴールドマンが創設したゴールドマン・サックス社に集うユダヤ人たちがいた。また同じ時期にドイツから移民したエイブラハム・クーンとソロモン・ローブが創設したクーン・ローブ商会に集うユダヤ人もいた。ドイツのユダヤ人銀行家ウォーバーグ家のポールとフェリックスの兄弟は、1902年にアメリカに渡り、クーン・ローブ商会の共同経営者となって、ウォール街で活躍した。こうしたユダヤ人は、婚姻関係を通じて強固な人脈を築いていった。ポールはソロモン・ローブの娘と、フェリックスはジェイコブ・シフの娘と結婚した。ポールの娘はフランクリン・D・ルーズベルトの息子と結婚した。
 ウォール街のユダヤ人の多くが、同じくユダヤ人であるロスチャイルド家の代理人をしたり、支援を受けたりしていた。アメリカにおけるユダヤ人投資家の活躍は、ヨーロッパのロスチャイルド家がアメリカの支配集団に影響力を増していくことにもなっていた。国家としての英米の連携の背後には、国境を越えた英米資本の連携があり、その連携の一部はユダヤ人の連携による。そして、ユダヤ的な価値観を身に付けた非ユダヤ人が、ユダヤ人資本家と競争または協調しながら世界経済システムを牽引していく体制が、第1次大戦後に欧米で完成したのである。

●FDR政権でのユダヤ人の躍進
 
 第1次世界大戦後、アメリカ合衆国では好景気が続き、投機熱が高まった。その狂乱の果てに、1929年アメリカ発の世界恐慌が起こった。1920年代までウォール街ではWASP支配が強固だったが、大恐慌によって、WASPの投資家の一部が没落し、ユダヤ人の投資家が躍進した。大恐慌による混迷を打開するために大胆な政策を提案したフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)が、現職大統領のフーヴァーを破って、1933年に大統領に就任した。FDR政権では、大統領の周囲に多くのユダヤ人が集まり、米国の政治を直接動かしていくほどになった。WASPは伝統的に生産部門を支配していたが、1930年代にはユダヤ人がWASPに対抗して消費産業や百貨店・通信販売・新聞・ラジオ・映画等で事業を発展させた。ユダヤ人の新興事業家たちはニューディール政策を支持する財界の支柱の一つになった。ウィルソン政権の時代から支配集団に参入して存在感を高めていたユダヤ人は、FDR政権の時代以降、さらに勢力を強め、WASPとほぼ拮抗するほどになった。
 ところで、ルーズベルト家の先祖は、オランダからニューヨークに移住したユダヤ人で、プロテスタントだった。FDR自身は通婚によって4分の3がWASP、4分の1がユダヤだったと見られる。FDRは、全米のユダヤ系市民から「モーゼの再来」と仰がれた。大統領になると、表面にFDR、裏面にダビデの星が刻まれているメダルが大々的に売りに出された。ユダヤ人が民主党と結びつき、強固な同盟関係を築いたのは、FDR政権の時代だった。1936、40、44年の大統領選ではユダヤ票の約9割がFDRに投じられた。
 FDRは、同じ民主党のウィルソン政権の政策を踏襲した。それはハウスが中心となって立案した政策である。ハウスは、FDR政権でも大統領に助言し、閣僚・高官にCFRの会員を任命するように働きかけるなどして、影響力を及ぼした。
 ルーズベルトは、ニューディール政策を強力に推進した。ニューディール政策は、それまでの政府は市場に介入せず、経済政策は最低限なものにとどめる自由主義的な経済政策から、政府が積極的に経済に関与する修正自由主義的な経済政策へと転換したものだった。このニューディ―ルという標語は、大統領特別顧問のサミュエル・ローゼンマンが作り出した。ニューディール諸立法の立案では、大統領補佐官のベンジャミン・コーエンが中心となった。ともにユダヤ人である。
 ルーズベルトが任命した高位の公職者は、15%強がユダヤ人で占められた。FDRは、閣僚に複数のユダヤ人を起用した。財務長官のヘンリー・モーゲンソーは、ドイツ系ユダヤ人で、戦後処理をめぐって対独強硬案を出した最もユダヤ的なユダヤ人だった。米国初の女性閣僚として労働長官となったフランシス・パーキンスは、ロシア系ユダヤ人だった。ルーズベルト政権の12年間一貫してその職を務めたほど、大統領の信任が篤かった。
 モーゲンソーの右腕だった財務省高官のハリー・デクスター・ホワイトは、両親がユダヤ人だった。ハル・ノートを起草し、日本を対米戦に引き込んだ。戦後はブレトン・ウッズ体制を実現させ、IMFの理事長となった。
 ルーズベルトは、私的なブレーン・トラストと呼ばれる頭脳集団を持っていた。多くは、政界・財界・学界・法曹界で活躍するユダヤ人だった。ブレーン・トラストには、マルクス主義者が多くいた。その代表格がフェリックス・フランクフルターで、ハーバード大学の左翼教授だったが、FDRによって最高裁判事に任命された。レックス・ジー・ダッグウエルは、コロンビア大学教授でマルクス主義経済学者だった。ガイ・ダグウェルもコロンビア大学教授で米国でもロシア革命のような革命が可能という意見を持っていた。大戦後、GHQの職員として日本国憲法を起草したチャールズ・ケーディスは、FDRの若手法律ブレーンの一人だった。ケーディスは、フランクフルターの弟子であり、またドイツの法学者でラビの息子だったゲオルグ・イェリネックの弟子でもあった。
 FDRを取り巻くユダヤ人の中で、最大の大物は、大富豪バーナード・バルークである。バルークは、戦争を通じて巨額の利益を得る「死の商人」だった。FDRの顧問として、第2次大戦で米国の軍需生産全般に強い影響力を及ぼした。バルークについては、後に原爆の開発・製造に関する項目に詳しく書く。

 次回に続く。

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