ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権122~ネイションとエスニック・グループの違い

2014-11-16 09:42:31 | 人権
●ネイションとエスニック・グループの違い

 次に、ネイションとは何か、またネイションとエスニック・グループの違いは何かを検討する。
 アンソニー・スミスは、ネイションを「歴史上の領域、共通の神話と歴史的記憶、大衆的・公的な文化、全構成員に共通の経済、共通の法的権利・義務を共有する、特定の名前のある人間集団」であると定義する。また、エスニック・グループ、彼のいうネイションの原型となったエスニック共同体あるいはエスニーの属性を6つ挙げていた。繰り返しになるが、(1)集団に固有の名前、(2)共通の祖先に関する神話、(3)歴史的記憶の共有、(4)一つまたは複数の際立った集団独自の共通文化の要素、(5)特定の「故国」との心理的結びつき、(6)集団を構成する人口の主な部分に連帯感があることーーである。
 スミスの所論において、ネイションにあってエスニーにない要素、及び逆にネイションにあってエスニーにない要素を見てみよう。
 まずネイションにあってエスニーにない要素は、「歴史上の領域」「全構成員に共通の経済」「共通の法的権利義務」である。このうち、「歴史上の領域」について、スミスは「エスニーの場合は、領域との結びつきが歴史的、象徴的なものに過ぎない可能性があるのに対し、ネイションの場合、この結びつきは物理的、現実的なものとなる。その意味でネイションは領域を持つ」と述べている。これは、ネイションは必ず物理的・現実的な領域を持つが、エスニック・グループの方にも物理的・現実的な領域を持つものがあることを意味する。共同体、部族国家、部族連合国家、前近代的な国家・帝国等がそれである。スミスは「エスニック国家」という用語も使っており、これは国家であるから当然、領域を持つ。エスニック共同体がエスニック国家となり、エスニック国家がネイションの国家、すなわち国民国家となる場合には、もともと統治する領域が継承されていく。次に、「全構成員に共通の経済」「共通の法的権利・義務」については、エスニック・グループにも、その集団における経済活動があり、また法的な権利と義務の固有の体系がある。
 逆にエスニーにあってネイションにない要素は、「特定の『故国』との心理的結びつき」「連帯感」である。「特定の『故国』との心理的結びつき」については、ネイションにも過去の国家や帝国の復活を目指すものがある。「連帯感」については、構成員の間にまったく連帯感が存在しないネイションは考えにくい。
 このように考察すると、上記のスミスの所論では、ネイションとエスニーの違いが明確にはなっていないことが分かる。むしろ、私が注目するのは、上記の所論とは別に、スミスがエスニック共同体を「文化的な共同体」とし、ネイションを「文化的かつ政治的な共同体」とする点である。ここにこそ、これらの違いが浮かび上がる。
 先に書いたように、私は、エスニック・グループを単なる文化共同体ではなく、文化的かつ政治的な共同体と捉える。多くのエスニック共同体には、族長・首長・国王等がいて政治権力を所有し、一定の制度や慣習のもとに統治が行われている。領域の境界線は近代国家の国境のように明確ではないが、共同体は一定の空間に居住・占住するか、空間を専用的に利用する。動物におけるなわばり(テリトリー)に比せられる。エスニック国家は当然、国家ゆえに政治的である。ただし、領域は明確ではなく、そこにおける統治権は限定的である。一方、ネイションは統治領域が国境で区切られて明確であり、また主権としての政治権力を持つ。それゆえ、ネイションとエスニック・グループとの違いは、文化的か政治的かにあるのではなく、後者の場合、統治権は西洋の国際社会で各領域内の最高統治権とされる主権とは認められていないことである。この一点にこそ、ネイションとエスニック・グループの最も重要な違いがある。
 ただし、主権の観念は統治権のあり方を表すに過ぎない。主権とはまず教皇権、皇帝権に対する主権であり、最初は国王権だった。国王の主権は、また他の国王や封建領主に対する主権だった。一定の領域内で最高の統治権であり、実力を独占した組織の持つ権力である。ウェストファリア体制以前の国家は、エスニックな国家だったが、国王や封建領主は領域の人民を統治し、領域を支配したり課税や使役を行ったりするための政府または統治機構を持っていた。すでに14、15世紀から近代的な専門的官僚制が発達し、また軍隊を保有していた。ウェストファリア体制になった時点で、ドイツにおける約300のすべての諸侯国の主権が保障された。この条約に西欧の66カ国が調印し、それらの諸国の国王の主権が制度的に認められた。エスニック共同体及びエスニック国家の持つ統治権と、ネイションの国家の持つ主権との違いは、法制度上の観念の違いである。
 ネイションについては、エスニック・グループのうち主権国家の建設を目指す集団をネイションと呼ぶ説と、主権国家を建設して国民となった集団をネイションと呼ぶ説がある。前者の考えの場合、国民には別の概念が必要になる。しばしばこれが「ピープル(people)」とされるが、ピープルは国民以外に、「人民」「民衆」「住民」等に使う言葉なので、一義的に国民すなわち国家の総構成員、国籍保有者の総体に特定することはできない。私は、後者の考えを取る。主権国家建設を目指しているが、独自の政府や主権によって統治する領域を持っていない集団は、ネイションではない。エスニック・グループであると区別する。
 ネイションを目指すエスニック・グループは、他の主権国家に対抗し得る統治権を得ようとする。すなわち主権の獲得を目指す。近代的な主権としての統治権の獲得を目指す点が、前近代的なエスニック・グループと異なる。
 エスニック・グループが主権を持つ政府を樹立した時点で、その国家の所属員の集団をネイションという。ネイションは、主権を行使する独自の政府を持つ人間集団である。政府を樹立する前の集団は、ネイションではなく、ネイションを目指すエスニック・グループと区別すべきだろう。

 次回に続く。

■追記

本項を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」の第2部は下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-2.htm

最新の画像もっと見る

コメントを投稿