ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

ユダヤ54~マルクスは痛烈にユダヤ教を批判した

2017-05-26 12:31:08 | ユダヤ的価値観
マルクスは痛烈にユダヤ教を批判した

 19世紀後半から20世紀にかけて、世界に最も大きな影響を与えたユダヤ人の一人が、カール・マルクスである。
 資本主義の発達は、貧富の差を拡大し、社会的な矛盾を増大させた。サン・シモン、フーリエ、オーエンなどの社会主義者が改革・変革の思想を説き、バクーニンらの無政府主義者が破壊的な行動を起こした。そうした思想・運動を主導していったのが、カール・マルクスとその盟友フリードリッヒ・エンゲルスだった。
 マルクスは、1818年にユダヤ人弁護士の子として、プロイセン(現ドイツ)に生まれた。祖父はユダヤ教指導者のラビだった。だが、父が1817年にキリスト教に改宗したので、マルクスは、非ユダヤ教的な教育を受けた。
 マルクスは、脱ユダヤ教化したユダヤ人として、政治的・社会的な活動を行った。1844年刊の『ユダヤ人問題によせて』で、マルクスはユダヤ人問題を論じた。そこで、大略次のように述べている。
 ユダヤ教の現実的な基礎とは何か。実際的な欲求つまり私利である。ユダヤ人の「世俗的な祭儀」は何か。あくどい行商である。彼らの世俗的な神は何か。貨幣である。「貨幣はイスラエルの嫉妬深い神であって、他のどんな神もそれとは共存できない。貨幣は人間のあらゆる神々の品位を貶め、それらを商品へと変えてしまう」。ユダヤ人は、この神を崇める宗教を広めて、「キリスト教徒を自分たちとそっくりに変えてしまっている」。ユダヤ人は資金力を使って自らを解放し、次にキリスト教徒を虜にした。ユダヤ教崩れのキリスト教徒は、隣人よりも金持ちになること以外にはこの世に何らの使命もなく、「現世は株式取引所」だと確信している。政治は資金の奴隷となっている。それゆえに「市民は自らの内部から、絶えずユダヤ人を生み出す」。「貨幣に対するユダヤ的な態度を廃止すれば、ユダヤ人とその宗教、ユダヤ人が世俗世界に押し付けてきたこのキリスト教の改悪版は消えてなくなるだろう」。
 このように述べるマルクスは、「ユダヤ人の解放は、ユダヤ教からの人類の解放なのである」「あくどい商業主義と貨幣、つまり現実的で実践的なユダヤ教から自らを解放すれば、われわれの時代はおのずと解放されるだろう」と書いている。脱ユダヤ教化したユダヤ人による痛烈なユダヤ教批判である。
 当時のドイツでは、カント以来のドイツ観念論哲学を究極まで進めたゲオルグ・W・F・ヘーゲルの哲学が権威を誇っていた。ヘーゲルはキリスト教に依拠し、神は実体にして主体であるとしてその疎外(外化)と環帰の弁証法の論理による絶対的観念論を体系化した。これに対し、ルートヴィッヒ・フォイエルバッハは、キリスト教の神は人間の類的本質を対象化したもので、人間の自己疎外を示しているという説を打ち出した。マルクスはその説を受けて観念論を批判し、史的唯物論を唱導した。宗教については、「宗教は、悩める者のため息であり、心ある世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆の阿片である」として、現実の変革を主張した。(『ヘーゲル法哲学批判序説』) 
 マルクスは、近代西欧に発生した資本主義が生み出した貧富の差の拡大、苛酷な労働、不平等・不自由、疎外などの問題に取り組んだ。そして、究極の原因は、生産手段の私的所有にもとづく他人の労働の搾取と領有にあると考えた。マルクス=エンゲルスは、1848年に『共産党宣言』を出した。彼らの理論によれば、生産手段の私的所有を撤廃して、社会的所有とするならば、階級的不平等は消滅し、万人に自由と平等が保障される無階級社会が到来することになる。
 ヘーゲルは、絶対的観念論の哲学において、歴史を絶対精神の自己展開とした。マルクスはこれを批判し、実際の歴史は人間の階級闘争の歴史であるとする唯物史観を打ち出した。『経済学批判』(1859年)の序言で、マルクスは唯物史観を、次のように定式化した。
 「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまり彼等の物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を取り結ぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的生活諸過程一般を制約する」。「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階に達すると、今までそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。そのとき社会革命の時期がはじまるのである」と。
 こうした歴史観を以て、マルクスは、社会的不平等の根源を私有財産に求め、私有財産制を全面的に廃止し、生産手段を社会の共有にすることによって経済的平等を図り、人間社会の諸悪を根絶しようとする理論を説いた。
 ロックは、所有権を自然権とした。だが、マルクスは、所有権が自然権であることを否定する。私有財産制は、生産力の発達段階において現れたものとする。ロックの説く普遍的・生得的な権利はブルジョワジーの階級意識の表現として、これを批判した。権利は階級闘争によって発達してきたものであり、人間一般の権利を認めない。権利は、共産革命によってプロレタリアート(無産階級)が戦い取るべきものとした。
 マルクスは、「万国の労働者は団結せよ」と呼びかけ、1864年に国際労働者協会の設立を実現した。これは第1インターナショナルと呼ばれ、以後社会主義・共産主義の運動を国際的に進める中心的な組織となった。
 マルクスとエンゲルスは、プロレタリアートとなった労働者階級を組織し、革命を起こすことによって、共産主義社会を実現することを目標とした。共産主義とは communism の訳語である。コミュニズムとは、コミューン(commune)をめざす思想・運動を意味する。コミューンとは、私有財産と階級支配のない社会であり、個人が自立した個として連帯した社会であるとされる。それは、新しい人的結合による社会だという。エンゲルスは、『反デューリング論』(1878年)で、建設すべき共産主義社会について、「人間がついに自分自身の社会的結合の主人となり、同時に自然の主人、自分の自身の主人になること――つまり自由になること」。「必然の王国から、自由の王国への人類の飛躍である」と書いた。マルクス=エンゲルスは、その社会について、具体的には語っていない。むしろ語れなかったというべきだろう。想像の中にしかない社会であり、空想に近いものだったからである。
 マルクスは、資本主義社会の経済的運動法則を解明すべく『資本論』を書き、第1部を1867年に刊行した。第2部の執筆中、1883年にロンドンで死去した。遺稿は、エンゲルスによって、1894年に刊行された。

 次回に続く。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿